はてなキーワード: 意志の力とは
大事なのは自分の尺度で評価するってこと。基準は自分の中にしかない、つまり昨日より、それをする前より良くなったかどうかを自分で決めること。良くなったらさらに良くする、あまり良くなければどうすればいいかを考えてやってみる。
自分が本当にやりたいことをしてるひとってこれを普通にできてる。自己肯定感が低いことを気にしてる人は自分でやりたいことが見つかってない。じゃあどうするってことなんだけど、自分で決めて行動できることならなんでもいい。
歯磨きをいつもより丁寧にするとか、駅までの道をスタイリッシュに歩くとか、そんな小さなことでいい。できれば意志の力を使わずにできる、習慣になっていることのほうがいい。意志の力が必要になるとそのせいで失敗することもある。
例えば、今日はちゃんとした夕食を作るとか朝考えても、疲れて帰ってきてできなかったりすると、評価は悪くなってしまう。
最初のうちは失敗すると嫌になってしまう可能性もあるので、失敗しない程度に調整したほうがいいかも。
あと、評価を他人にはさせないこと。元より良くなったか自分にしか決めることができない。他人があなたを評価するときはその人の基準を元に判断するし、その人の感情が絡んだりもする。好きな人なら甘めに、嫌いなら厳しくなるし、妬みなんかものっかりやすい。
相手目線で評価してくれる人なら参考にできるが、あなたの基準をはっきり分かるわけではないのでやはり、自分の基準で判断するのが大事。
毎週やってる洗濯くらいはしたが、
まず、洗濯できてるじゃん、すげーじゃん!
自分の場合も、似たような感じ(洗濯もできずに洗っていないシャツを着まわしており、部屋はゴミだらけ、冷蔵庫には賞味期限切れのアイテムが・・・)
だったが、気になることが多すぎるのが原因だと分かったので、
1. 不要物を徹底的に廃棄した(着ていない服や本、段ボールの箱、いらないもらいものなど、いわゆる断捨離)
2. 欲しいもの(10万円以内)は速攻でAmazonで買うようにした
3. 禁欲した
4. エロサイトや時間を食うサイトに対して、Blocksiteを使うようにした(面倒なパスワードつけてね)
でわりと改善した。睡運瞑菜もいいが、まず捨てる、辞めるがファースト。これオレ流生活改善の鉄則。それらは意志力をあまり消費しないから。そして、快楽の方向はより面倒くさくしよう。面倒くさくなるシステムを構築するのが大事。衣類も大体統一、自分が判断すべき事項を減らしていく。
Todo管理アプリはTodoist使っている。これはやりたい事のinboxと割り切っている。再スケジュールボタンをポンポン押そう。タスクが消えるぞ。できなくても気にしない。風呂とか歯磨きとかのデイリータスクはいれない。やってないのに見ると萎えるし、タスク完了にするのが面倒だ。google カレンダーとかでスケジュールすることもできるけど、どうせできないからオススメはしない。
さあ、明日(というより今日か)部屋を片付けよう。はじめるのはそれからで、そこに全精力をそそごう。
今まで生きてきて分かったことは、
自分は信用できない、意志の力に頼っても無駄だ、脳は必ず楽な方向に逃げ場を見つける、
というどうしようもない法則だけだ。
今まで生きてきて分かったことは、
自分は信用できない、意志の力に頼っても無駄だ、脳は必ず楽な方向に逃げ場を見つける、
というどうしようもない法則だけだ。
本当にやらないといけないことがあった場合。
「今は○○するしかないんだ」
3連休も半分過ぎたが、何もやれていない。
毎週やってる洗濯くらいはしたが、
近づいてきた資格試験の勉強もせず、プログラムもせず、部屋の掃除もしていない。
ダメだと分かっているのにできない。
するべき事も分かってるのにできない。
俺の人生はずっとこうだ。
何度も自分を変えようとしてきた。
日記をつけ、スケジュールを立て、タスク管理ツールを導入したり、ToDoアプリやGoogleカレンダーに予定を書き込んだりもした。
でもダメだった。
3日坊主の言葉通り、長くても1週間かそこらで使わなくなった。
最初のうちは日記やスケジューラを運用出来ていて、「このやり方は自分に合ってる」と思っても、
数日もすると、何かにとりかかろうとすると感じる苦痛が、そのまま日記やスケジュールやToDoを書こうとした時に感じられるようになった。
まるで、脳が「こっちへ行くとしんどい」というのを学習したかのように、免疫がついてダメになる。
今まで生きてきて分かったことは、
自分は信用できない、意志の力に頼っても無駄だ、脳は必ず楽な方向に逃げ場を見つける、
というどうしようもない法則だけだ。
するべき事をできる人って、どうやって自分を動かしているんだろう。
多分、この日記を見てるような人は、俺と同じくやるべき事ができずに、ダラダラ休日が潰れていく人がほとんどなんだろうが、
仏教ではカルマは「自分ではコントロールできないこと」を意味する。同じく仏教では、ダルマは「自分でコントロールできること」を意味する。
Amazon.co.jp: 天才の閃きを科学的に起こす 超、思考法――コロンビア大学ビジネススクール最重要講義: ウィリアム・ダガン: Book
提要 エピクテートス 人生談義〈下〉 エピクテートス 諸々の存在のうち ある物はわれわれの権内にあるが ある物はわれわれの権内にない 意見や意欲や欲望や忌避 一言でいえばおよそ われわれの活動であるものは われわれの権内にあるが 肉体や財産や評判や官職 一言でいえばおよそ われわれの活動でないものは われわれの権内にない そして われわれの権内にあるものは 本性上自由であり 妨げられず 邪魔されないものであるが われわれの権内にないものは 脆い隷属的な 妨げられる 自分のものでないものである そこで次のことを記憶しておくがいい もし本性上隷属的なものを 自由なものと思い 自分のものでないものを 自分のものと思うならば 君は邪魔され 悲しみ不安にされ また神々や人々を非難するだろう だがもし君のものだけを 君のものであると思い 君のものでないものを 事実そうであるように 自分のものでないものと思うならば 誰も君に決して強制はしないだろう 誰も君を妨げないだろう 君は誰をも非難せず 誰をもとがめ立てしないだろう 君は何一ついやいやながら することはなく 誰も君に害を加えず 君は敵を持たないだろう けだし君は何も害を受けないだろうから エピクテートス 提要 1 人生談義〈下〉 epictetus
例えば、眠いけど起きていたいという時に、本人の意識では、「頑張って」つまり意志の力で起きているという認識になるのだけど、頑張ったところで結局眠ってしまうこともある。
逆に、眠気は感じるけど特に頑張らなくてもなんとなく起きていることができた、ということもある。
つまり、本人が意志の力に頼るかどうかと、眠気に負けて眠ってしまうかどうかの間に、因果関係があるかどうかが明らかではない。
これはただの一例で、「意志の力で耐えた」「意志の力で耐えようとしたが負けてしまった」「意志の力に頼らなくても耐えることができた」「意志の力に頼らず、そのまま負けてしまった」という4パターンが想定できるケースは無数にある。4パターンが全てありうる以上は、因果関係が明らかではなく、従って、「意志の力」自体が無意味な変数なのではないかという疑念が捨てきれない。
こういうのをちゃんと調べて、「意志の力はなんらかの形で実在する」とか、あるいは「意志の力の存在を示す証拠は見つからなかった」みたいな一応の結論を出した研究があるかどうか気になった。
ADHDでもアスペでもいいけど、こういう発達障害の人間は、普通の人とは生きてる世界が違いすぎるため、相互理解には正しい知識が必要であることは、多分専門家の間では常識だろう。
これは普通の人が発達障害の知識を得るだけでなく、発達障害当事者が普通の人の知識を得ることも必要だと思う。
即ち、意志の力や情熱、経験則に基づく「ちょっとした工夫」だけでうまくやれる可能性は、かなり低い。
普通、人間理解というのは生まれてから蓄積してきた対人経験に基づいて相手を観察し、その場の現物合わせ、いわゆる「ちょっとした工夫」でこなすものである。
だからこそ、いわゆるコミュ強者と言われる人ほど、なまじ経験則でオールオッケーだったが故に、発達障害への理解に正しい知識が必要という所に辿り着きにくい気がするのだが、どうだろうか。
何より普通の人から見て、発達障害当事者の言動はしばしば不快感を催すため、そういう感情的反応も、一層理解を難しくする気がしている。
実際、今まで自分が見てきて「今思うと、コイツ絶対そうだろう」という人間が何人もいたのだが、彼らに対し、今だったら一体何が出来るのか、結構疑問である。
もし既に対処法が確立しているならトラバに書いてもらって構わない。
勿論、これらのケースで最も困っているのは本人であることは間違いない。
しかし、周囲だって大変な迷惑を被っているわけで、そういう意味では、彼らも加害者なのである。
確かに殴られたりキレられたりと、かなり暴力的な対応をされているが、これは明らかに彼らがしでかしたことへの「帳尻合わせ」なわけで、こういう対応をするから悪い奴とは言い切れない。
それを踏まえた上で、どういう対応をすべきなのか、かなり難しいと思う。
いろいろなご意見ありがとうございます。
女性、男性、未婚、既婚、未経験者、経験者、それぞれのご意見が
入り混じって、年齢によるタイムラインのイメージが頭の中に思い浮かびました。
共感できないとか、クズとかちんぽとかのご意見は、女性か若年なのだろうと
思いました。
女性は男の合理性について、本能的に共感できないのではと思います。
女性にとって、不倫男はどんな理由であれ、一途を貫けなかったという意味で
不幸の温床であり、忌むべき存在なのでしょう。
男性からは、冷静な分析、わかるという共感、それでもお前はバカだ、というご意見、
すべて頷けるご意見です。
女は身ごもる子供を育てるために浮気は許容できないし、男は種を広げるという本能から、
ひとりの女に固執しなくなるという、またかと言われそうですがDNAの司令があります。
男女の存在は競争の中にあり、男はいい女を取り合い、女は優秀な男を取り合う。
それは、本能というOSが、理性を押しのけて司令する。
今回のことで、それが自分の中にあることをひしひしと感じました。
しかし、人生でなにに価値を置くのか? 果たして自分の気持ちを押し殺して
品行方正に生きることで死ぬ前になって満足できるのか? という思いはあります。
それですべての個人はほんとうに満足できるのか? ということです。
生きることは一度きりで、死んだら生き返りません。
高齢の人へのアンケートで、「したことより、しなかったことに後悔した」という
ネットではサッカーの試合のように人のミスに平気でブーイングするが、
愛情の薄れた奥さんより、ほんとうに好きだと思った人をなぜ取らないのか?
ということです。
いずれにせよ、人は遭遇する出来事に試行錯誤しながら生きるしかなく、
自分も女との一期一会の出会いにいろいろ考えた末、行動した結果が、
修羅場だったということです。
判断が甘かったね、というのであればそうなのでしょう。
以下ご意見への返答ですが、冒頭文と分けて書いたので、
あなたが境界性人格障害にしたのではないか? という意見であればそれは的外れ。
最初に関係を持ったときに、リストカットの後だけでなく、全身のいたるところに自傷の傷があり、
いわゆるメンヘラだということがわかった。
障害者手帳を持っていていることもその後わかった。
つきあっているうち、被害妄想的なので調べたら、統合失調症らしいと思った。
ただ、精神障害だとしても、できるだけ普通の人として接しようと思いながらつきあっていた。
その後、気にいると男とすぐ寝るなど問題行動が多いので、
性格の傾向を調べていたら、境界性人格障害に多くの共通項があった。
境界性人格障害は、統合失調症と不安症の境界にいる例ということからの名称で、
まさにその症状だということがわかった。
それはあるかもしれない。
奥さんがいたので、しばらくは誘いを断っていた。
自分自身も限りある人生だからこういう経験をしてもいいかもしれない、
という思いがあり、関係に至った。
自分はどちらかというと蛋白で、仕事と趣味に没頭していればそれで
ただ、女の、すべてを捧げてもいい、死んでもいいというほどの猛烈な求愛は
初めての経験で、それほどまでなら・・・という揺らぎが起こった。
こちらのそっけない素振りにも関わらず毎日連絡してきて、話せば
明るく努めようとし、プレゼントなど尽くし方もハンパでなく、
単なる性欲ではなく、ものすごい「愛」をそこで感じた。
今思えば、それも病気のなせる技だったのかもしれないが、
相手のことを気遣い、できるだけ察してどうにかしてあげようという行動をよくしたことを
そう表現したのだけど、「甘い」「優柔不断なだけ」というご意見には賛同する。
知り合いからも甘いだけと言われている。
奥さんのことを含めれば、世間的に優しい男ではなかった。
奥さんにとっていい夫でありたいとも思っていたが、ひとりの男としての
アイデンティティを考えたとき、こういう道もあるのではないかという思いもあった。
全くそのとおりだと思う。
ただ、人間は非合理と合理の合わさったもので、男はどちらかというと理性的で、
女はどちらかというと感情的で、どちらが優勢かというだけに過ぎない。
ただ不倫の問題解決についての判断は、あくまで状況を統合するという理性が働いていたということ。
もちろんそれはある。
世の中には自分のようにリスクを取らず、死ぬまで誠実な人もいるだろう。
しかし、あなたが男であるなら、私と同じ本能が脳に組み込まれていることを忘れないで欲しい。
ただ機会が今までなかっただけで、あなたの中にも生物の本能は組み込まれている。
特に奥さんに対して悪いと思っている。
女に対しては、お互い様だと思う。
自分が誘いの乗らなければ誰も傷つかなかっただろうと思う。
誰の得にもならなかった。
全員が傷ついてしまった。
被害者とは思っていない。
女のことは自分も好きだった。
尽くしてくれる姿に本当の愛を感じた。
奥さんにバレてもそれは変わらなかったし、今でも会ったら気持ちが揺れると思う。
完全に接触を断つことで、もう思い出さなくなってきている。
ただ、もう会うことはないだろう。
別の形で出会っていたらと思う。
リスクを取ったことで、結果的に奥さんと女を傷つけたことを反省している。
ただ、単純に「だから不倫はやめましょう」という結論では、世の中の不倫問題が解決するとは思えない。
日本の結婚システムは、恋愛感情がいずれ薄まるということを考慮に入れていない。
残り2/3も、結婚システムにやむなく従っているところもあるだろう。
金持ちほど損をし、貧乏人ほど簡単に別れられるシステムになっている。
もちろん、恋愛感情がなくなっても、淡々と一緒に暮らす人もいる。
しかし40代の女性の浮気経験は7割以上、といったデータもあるように、
男女の行動傾向に結婚システムが合わず、不幸が生み出されている現実がある。
うつ病を治す方法なるまとめ記事を見て色々思い出したので、自分が(恐らく)うつ病だったときの対処法を備忘録も兼ねて書く。
自分は病院に行かずに自分で対処しようとしたけど、実際には人に話すのが一番だと思う。
・起き上がる気力が沸かず歩行が困難
・家から出られない
自宅で出来る療法をネットで調べて実践したが、当時見たサイトが見つからない。
腹式呼吸で自分が息を吸っているのか吐いているのかを意識して呼吸する。
右足の踵を上げました。→右足のつま先を上げました。→重心を前に動かしながら右足をつけました。
起き上がるなら 腰を浮かせました。→右手を布団につきました。→…
ドアを開けるなら 右手をドアノブに掛けました。→回しました。→押しました。→…
step2までが多分重要。
なので十分外を歩けるようになってから、自分が普段目を向けてなかった周りの景色を見ながら歩いてみる。
一番近い公園の遊具は何があるか?電柱に書かれている看板は?等々
しばらくは思うように頭が動かなくて自己嫌悪に陥ったけどこれもうつ病の症状らしい。
頭が動かないのはしばらくして改善した。
うつ病になると行動を起こすまでに必要な意志の力が足りなくて動けなくなる。
たまたまサーフィンしてた本の紹介ページで見つけたので引用。下に1〜4段階が示されているが、大抵の本は4番に終始している。コメントで「まぁモテ本に限らず、自己啓発本の多くが「俺論」だからねぇ。俺論が一番語りやすい分野は4番なんだろうね。」とあったけど、まさにそう。ちゃんと1〜3の基礎から実践出来る内容の本を買うべきだと思った。以下コピペ。
1.意志の力でどうにもならない無意識を変性し、努力で何でも達成出来る / 自己実現は快感だと感じるようになるステップ
3.それらの価値観を身体化するまで本を読み込む・慣れる・練習するステップ
ところが巷に溢れる本は4番、モテテクニックを語り尽くしているだけだ。結局それだけ読んでなんとかしようとする男は、一個一個のテクニックを使ってもちぐはぐで違和感丸出しの痛々しいヤツになるだけである。俺たちは、根本から改善しなければいけない。努力しようと思ってもなぜか行動出来ないのなら、その行動出来ない動機となっている無意識を探し出して破壊する必要がある。モテテクニックが上手く作動しないなら、モテテクニックが成り立つ論理、すなわち恋愛という感情がどうして生まれるのかを知る必要がある。結局、基盤となる前段階のベースをしっかり作らなければ、魅力的で誘惑的な男にはなり得ないのだ。
読んで覚えられないところは何度でも音読し、行動すべきところは実践し、鏡に映して確認し、もしくは他人に見てもらってしっかり身に付けよう。出来るまで何度も繰り返すことも重要だ。継続は力なり。反復学習が長期記憶を生成し、次第に身体化されてくる。
群生体になって死滅すると分かるようなことを繰り替えしても意味がないアニメ監督は
人間が違うところは飯が食えずにストレスが溜まるところを理性である意志の力で抑え込むことができる。
ウンコしたくても電車内なら我慢するのも立派な本能に打ち勝つ理性だ。
そのスケールが大きくなった人間こそが監督というポストにつくべきであり
社長、経営者、政治家、指導者に立つべきであるというのが健全な組織構造だ。
手がける作品のクオリティを上げる努力を放棄し諦めるような人間がアニメ監督になっているということだろう。
これはマクロ視点だったが、またミクロ視点に戻すと売れたい宮崎駿監督のようになりたいという監督がいるのなら
ミクロとしてはアニメを作る時にアニメを参考にするのは全く好ましくない。
そしていくらマクロ視点で話しても現実がミクロ視点でしか影響力がないので
帰結するのは個人としてどうするべきか、という行動論理に落とし込まなければ空論。
とりあえず確実に言えるのは、意志の力だけでなんとかするのはやめろ。効果ない。続かない。
俺の場合は気をつけてる事は次の2つ
1.ハードルを下げる
絶対にこれぐらいならできる。というところまでハードルを下げること。
例えば受験勉強なら、毎日6時間やるとか無理。やる気など続いてせいぜい一週間。
2時間でも無理。1時間でも辛い。一日20分とかまで努力のハードルを下げて徐々に習慣をつける。
ランニングなら一日1kmとかな。
2.環境を変える
部屋にいてマンガとかゲームとかネットとかで時間を潰してしまうなら、部屋にいてはいけない。
とにかく自分を誘惑する要因を減らせ。
喫茶店とか図書館とか、できるかぎり自分の気が散らなそうな環境に移動しろ。
http://anond.hatelabo.jp/20150415130329
いわゆる大人のADHDなのではないかと思うよ。
おおかた器質性のものだと思うので、意志の力による改善は諦めた。
でもリタリンやコンサータを処方してもらう、ってほどの決意は持ってない。
かわりに、元増田のように仕組み化の工夫でしのいでいる。
ITの支援をフルに使う。Google Calendar、TODO、Evernote、Dropbox。
記銘・管理能力の基礎スペックが足りてないんだからしょうがない。
そこだけ外部にアウトソースしちゃえばいい。どんなに僕や君がアホでも
タスクは瞬間的に着手してどんどん消し込んでいく。
先の予定はスケジューラーで集約管理して、期日前にリマインドさせる。
ストックすべき情報はクラウドに乗せてどこでも取り出せるようにする。
記録や管理や調整はITに任せる。ITで自分の能力を拡張するというより、
「自分」の枠組をITコミのところまで拡げて、1体の生物としての
「元・自分」のほうは、その一部の構成要素でしかない、と割り切る。
自分の仕事にこういう仕組みを組み込むと廻りの人にも恩恵があったりする。
「欠陥がある人間がうまく仕事できる環境」は「欠陥がない人間にとっても、
ADHDを語るときに「病者の光学」という概念を持ち出す人が結構いる(ぐぐってみて)。
自分もそれに同意する。欠陥があるからこそ、現実世界の面倒なこととか
不合理なこととかを鋭敏に感受できる。この感覚をメリットに変えよう。
がんばろうぜ〜。
ちょっと「しこり」のようなものができたのでそれについて書こう。
先日、とあるコンサートに行った。ニコニコ動画の「演奏してみた」から発したコンサートだ。僕は「演奏してみた」が大好きで、その中でもそのコンサートにはひいきにしている人が出ていたので楽しみにしていたし、愉しかった。いつもいつもニコニコ動画で見ているので、生の演奏、つまり好きなところだけ繰り返してみたり、いやなところは早送りしたり、やっぱり巻き戻してみたりができないことは新鮮な体験だった。充実した音楽体験ができ、非常に満足だったし、これから公開されるであろう動画にも期待ができる内容だった。
「しこり」を感じたのはすべてが終わり、ロビーに出た時のことだ。そこに募金箱があった。今回のコンサートは基本的には無料だった。「演奏してみた」では珍しくはない。おなじくらい対価がいるのも珍しくないけど。僕の浅い経験でも募金箱は珍しくなかった。当然募金をした。3000円を入れてきた。
(内訳)今回のコンサートよかったです料:1000円 次回もたのしみにしています料:1000円 僕は他の人とは違うんです料:1000円
そんな気分だと、今回の3000円を考えてみて思った。趣味にお金を使うときというのは、たぶんに期待料だと思う。僕は期待しているからこれだけ払う、という心理が働く。今回はより積極的に「次回もたのしみにしています料」を含んでいるのは結構な期待値だと思ってほしい。
「しこり」というのは最後の1000円だ。「僕は3000円出す」という満足のために出した1000円だと、帰宅してからじっと自分自身に問うてやっとわかった。払ったときは特に考えもなく「はい、3000円」だったのは正直なところだが、その内訳について、自分自身で認識していなかった。
それは言い捨ててしまえば、僕は3000円払うことで自己表現をしたつもりだったのだ。なんという底の浅さだろうか。
僕が「演奏してみた」が大好きなのは、たった数分の動画の裏にある膨大な練習の時間があるからだ。1人の人間が1つの楽器を満足に扱えるようになるまでにどれほどの時間と意志の力がいるのか。まったく楽器ができない僕には想像もつかない。上澄みだけを見ていると判っているからこそ「演奏してみた」の動画は輝くのだと思う。その1つの動画にしても1回の演奏で満足したわけでもないだろう。なんどもなんどもやり直して、やっと1つの動画が公開される。無料で。しかしコンサートならなんとかそれにこたえられる。しかし、僕は、それを自分のために使っているのだと気付いた。
とはいえ、それが奏者の心につながるのなら、とどくのなら、なにかを波立てるのなら、それでいい。僕のつまらないしこりや葛藤なんてどうでもいいことだ。ただ、増田に書きたかった。次回も楽しみにしています。
他人や出来事の犠牲者にならないための「思考のフィルター」 | 考えるための書評集
公益目的でなければ、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな
[権内][権外][分限自覚][エピクテートス]意志の力でどうにもならない物事
諸々の存在のうち
ある物はわれわれの権内にあるが
ある物はわれわれの権内にない
一言でいえばおよそ
われわれの権内にあるが
一言でいえばおよそ
われわれの権内にない
そして
われわれの権内にあるものは
本性上自由であり
妨げられず
われわれの権内にないものは
脆い隷属的な
妨げられる
そこで次のことを記憶しておくがいい
もし本性上隷属的なものを
君は邪魔され
悲しみ不安にされ
また神々や人々を非難するだろう
だがもし君のものだけを
誰も君に決して強制はしないだろう
誰も君を妨げないだろう
君は誰をも非難せず
誰をもとがめ立てしないだろう
君は何一ついやいやながら
することはなく
誰も君に害を加えず
君は敵を持たないだろう
けだし君は何も害を受けないだろうから
[アドラー][心理学][マズロー][欲求5段階説][反証可能性]
http://anond.hatelabo.jp/20131030005950