はてなキーワード: 当事者とは
そうか?
そういうのを開きたいなら当事者同士が自然と集まって発起されるのが一番いいんじゃないか?
ノブレス・オブリージュというなら、主催は有志に委ねてライセンス的な許可と支援金だけ渡しておくのが一番だと思う。
少なくとも夜職ができる容姿と若さ、コミュ力があるならどんな仕事でもできるでしょ
コンビニもスーパーも工場も清掃の仕事も一切募集がない採用されないなんて事はないでしょうに。
ていうかこの人、反売春のラディフェミが全員ホワイトカラーの高賃金で働いてるとでも思ってるのかな
そうじゃなくて男にも子供にも頼れず、世間からは馬鹿にされながら、華やかでも安全でもない仕事を低賃金でひーひー言いながら働いてる人が殆どだと思うよ?
すいみ〜
@coku2oc
死ぬか夜職の二択で夜職を選んでいる女性もいる事を脱コルラディフェミは知った方がいい。「自分達は夜職するくらいなら刑務所に行くか死ぬ」と当事者の前で言ってしまえる人達なので、何を言っても無駄だろうけど
心理学では心理的リアクタンスとか、同情バイアスとか言うらしい。
それが働いていないと思われる状態が、以下ブコメ一覧で起きている。
Y_Mokko 好きでもない仕事を生きるために続けている話は良くて、好きでもない漫画の作画を生きるために続けてる話は叩かれるこの差
このブコメは当事者に全面的に同情的であり、やや視野が狭いとも言える。
一方で、2〜5位の注目ブコメは批判的かつ星もY_Mokkoより多い。
問題は、Y_Mokkoの視野に刺激されてしまった人たちによる批判的なブコメが次々と止まらない事だ。
普通なら、叩きコメントが注目ブコメトップに来た時点で、「言いたいことを言ってくれたわ」「こんなに叩かれてかわいそう」と言う心理が働き、批判のブコメ自体が少なくなったり、批判にしても何かうまいことを言おうと大喜利コメントが増える。
しかしそうならず、怒りしかない批判コメントばかりになっている。いつまでもこの同情的なコメントがトップに来ているから。
政治の信頼回復とともに、何よりも政治が日本の次世代と向き合い、今日迫りくる少子化問題を当事者である彼らと共有し、真剣な議論を通じて本質的な解決を模索していきたいものだ。玉木氏は若者を政治的に一層、覚醒させよ。
https://www.worldtimes.co.jp/column/20241109-186781/
天朝より指示がありました
皆さんいいですね?
「年収の壁」の撤廃をめぐって、国民民主党の玉木が“総務省が一生懸命、こういう発言をしてくれと工作している。村上(誠一郎)総務相自身から知事会長などに連絡し、発言要領まで作っている”と騒いでいてして、堀潤が東京MXで援護射撃している。
『「年収の壁」巡り…総務相が全国知事会へ「反対してほしい」“申し入れ”か 宮崎県は緊急要請の“たたき台”作成認める ”』という見出しで記事が配信されているのだが、これがなかなかマスコミ的詐術の好例として興味深い。
まず、見出しに“か”が入っているのが味わい深い。
昔からマスコミには、“へもかの法則”というのがあって、見出しというのは“〇〇へ”、“〇〇も”、“〇〇か”の順で内容の信頼度が下がるというものだが、それに従えば、信頼度があまり高くない記事ということだ。
さて、記事は、玉木が“今、一生懸命、総務省から全国知事会や各自治体の首長に対し、工作をしている。工作というのは『こういう発言をしてくれ』『こういう減収があるからやめてくれ』ということを、村上大臣自身から知事会の会長などに連絡をして、発言要領まで作って”と発言したのを受けてのものだ
堀潤も“入手した情報”を元に当事者に取材をするのだが総務省が工作しているという裏は取れなかったたらしい。
その後、宮崎県の知事が緊急要請の文書を作っていた、という話になっていて、これは確認が取れたようだが、その文書がこれが、村上大臣自身が連絡して作らせたものなのかどうか、知事会の判断で自主的に作成したのかどうかは一切、言及なし。
まあ、工作していること自体の裏が取れてないのだから、当然である。
結局、記事から読み取れるのは“玉木の発言の裏は取れなかったけど、知事会は反対の文書を作成してた”ということでしかないのだが、なんとなく見出しと記事の構成でいかにも“工作があった”ような雰囲気を醸し出してる。
まさかこんなタイトルのエントリを未読者が読むわけがないと思うが念のため補足すると、このエントリは最終回の内容を含んでいる。未読者はUターン推奨。
さらにいえば、最終回の内容に満足している読者に読まれることも想定していない。あなたはあなたの読み取った【推しの子】を大事にしてほしい。
そのような方々の持つ不満はきっと決まっていて、「何故こんなにも救いがないのか」ということだと思う。
決して読者を苦しめるためだけにこのような結末を描いている訳ではなく、この結末の先にあるものを読者に提示したかったのだと筆者は考えている。
抱えている不平不満に対し、一つの解釈を提供することによって、納得の一助となることができれば幸いである。
こちらについては全読者が納得できると思うが、この作品は「嘘」をメインテーマとしている。芸能界という身近であるが遠い世界を舞台として、その裏側に密めく嘘を真実に芸能界の当事者として向き合うというのが大まかなストーリーだ。
言われてみれば、芸能界というのは嘘に溢れた世界だ。我々がスクリーンや舞台を通して観ている芸能人たちが、その舞台裏ではどのような人間で、どのようなことをを考えているか、我々は全く知らないし、知る権利もない。
しかしながら、スクリーンに映されたキラキラした世界が真実であるのか嘘であるのか、気になってしまうのも人間の性であると思う。そういった層へのリーチとして、元ドルオタがアイドルの子供として転生し、そして本人も芸能界を目指すというストーリーは最適だ。一般人の人格を持ったまま、生まれながらの芸能界の人格を得る訳だから、芸能界と一般のギャップを体感する語り手としてはこれ以上ない設定だと思う。
そして、転生したルビー、アクアもまたそれぞれのスタンスで世間に対し嘘を吐くこととなる。そうして吐いた嘘、すなわちフィクションの裏側を、他でもない本人の視点から嘘も真実もなく全てを体感するという構成。
ゆえにこのストーリーでは、作中の芸能界で起こっていることと、読者が体感したことが一致することを許容するが、作中での世間の芸能界像とは乖離していなければならない。この辺りを把握していないと、なぜ大団円のハッピーエンドでなかったかを理解することができない。
トンチのようなことを言うが、嘘を吐かなければいけなかったから必要に迫られて嘘を吐いているのである。
このように列挙してみると、「嘘を吐く必要性」が明確に整理されたストーリーラインが展開されていると気が付く。
しかし逆に考えてみたらどうだろうか。嘘を吐く必要がない素晴らしい世界だったら?己はこれ以上なく満たされていて、世間様に嘘をつく必要なんてございません。私は生まれついての公正明大です。そのようなキャラが、嘘を吐くことに説得力を持たせることができるか?
さて、【推しの子】のメインテーマを表現するためには、嘘を吐く必然性のある舞台を用意しなければならないというところまで整理できた。そして次に考えるべきは、何を嘘で隠すか、である。
嘘と言っても、方向性が二つに分かれていると筆者は思う。すなわち、
おおよそハッピーとバッドで分ける軸だと解釈してもらって構わない。
もっと他の方向性で区別することもできると思うが、ここでは【推しの子】がなぜハッピーエンドでないかを説明したいので、このようにしている。
さて、後者は想像しやすいが、前者は補足が必要かもしれない。具体的に言えば、クラスの人気者とお付き合いできたという場面を考えて欲しい。あなたは身に余る幸福を自慢したくなるかもしれないが、周りを慮り、付き合っていないと嘘を吐くことにした、といった状況である。想像できただろうか?
そして問題は、この二つの嘘のうち、どちらを【推しの子】で取り扱うべきか、である。そして考えて欲しいのであるが、芸能界を舞台とした漫画を描くとき、どちらの嘘の方がしっくりくるか?
逆に前者を描いていた場合は、
それはそれで見たい気がするが……
というのはともかくとして、ぶっちゃけて言うと、そういう類の漫画は世間に溢れているのである。有馬かなとアクアが注目を集めているのも、推しのアイドルの子供として転生した後に、その推しが殺されるというセンセーショナルで周りとの差別化のされたストーリーで注目を集めたという基盤があったことを忘れてはならない。
改めて考えれば、ハッピーエンドなんてものは、悲劇を隠す嘘の極致に他ならない。人間は例外なく死という悲劇を迎えるし、筆者も画面の前の読者も、人生の最後には消滅の恐怖に怯えながら消滅することになる。あるいは、恐怖を抱かせることすらさせない暴力的な最後を迎えるかもしれない。
例えば、作中の恋愛リアリティショーはアクアとあかねのキスシーンで物語を閉じた。あれこそが恋愛リアリティーショーにおけるハッピーエンドだ。あそこで番組を区切ることで、番組の視聴者に未来に希望を抱かせつつ、大団円で物語を終えることが出来ていた。その後のSNSでの交際報告はエピローグといったところか。
まぁ、アクあかは破局というよりも、アクアの己の手を汚してでも周りを傷付けたくないという優しさと、あかねのアクアだけに手を汚してほしくない死んで欲しくないという意見の相違のために距離を置いたというだけで、全然破局という感じではないんだが……だってそれってつまり相思相愛じゃん……まだ改めて2人の心が通い合う可能性はまだまだあったんだが……
ではなくて。とにもかくにも、
【推しの子】において、作中の登場人物はスタンスはともかくとして、物語の最初から最後まで世間に嘘を吐き続けたが、読者に対して嘘を吐くことは一度もなかった。徹底して、厳しい現実を示し続けた。
作者はやろうと思えば、アクアとカミキヒカルのインタビューのシーンで話を区切ることもできた。実際、あの場面は【推しの子】を「ハッピーエンド」にするか、それとも実際に描かれた「アクアの死という悲劇に遭っても立ち上がる、生きていくことを選ぶ」結末で話を区切るかどうかの分水嶺であったと思う。
ハッピーエンドにする方法は簡単。カミキヒカルはあの場で罪を告白し自首、そのニュースを皮切りに映画はヒット、物語のラストは使命を果たしたアクアが有馬かなの卒業ライブ終了後に告白してハッピーエンド……それが、おそらく1番丸く収まる、読者への優しい嘘だった。いつか訪れる誰かの死を直隠しにする、最も優しい嘘。
そうして、物語はどうしようもない悲劇に向けて突き進んでいく。そして、最後には遺された登場人物たちが、消えない悲しみを嘘で隠しながらも、同じく悲劇という暗黒を生きる人達を照らす希望の光となる……これは、ゴローでもなくアクアでもない「星野アクア」にとって、嘘でもなんでもない、真の救いになったはずだ。そう願いたいし、作者はそういった、悲劇を乗り越えていくエネルギーのようなものを見せたかったのだと思っている。
そしてそれは、表面上のハッピーエンドでは成し得ない。本物の悲劇を乗り越える、嘘偽りのない登場人物たちの心情を描く必要がある。さらに言えば、フィクションのノンフィクションとして「悲しみを乗り越えられない」姿勢を見せつつも、作中のフィクションとして「悲しみを乗り終え世間に希望を与えるアイドル像」を成立させる話の組み立てのためには、今回のような形を避けられなかったのだと思う。
そういった理由を総合して、最終的にこの結末を描くと決心したのではないか。
そして、そのエネルギーを読者に持ち帰って欲しかったのだと思う。現実はフィクション以上に嘘に塗れていて、正気とは思えない凶行もあったりする、明日にも希望のない、夢も持てない真っ暗な世の中だ。その中において煌々と輝き暗闇を照らす「推し」の存在。その光に嘘が含まれてないとは言えないけれども、その光に向かって世界が少しずつ好転していく。
筆者はそう受け取っている[^3]。その一心でこのエントリを書いた。まだこの話を悲劇としか受け取ってない人がいたら、その悲劇の後を懸命に生きるキャラクターたちをもう一度見てほしい。実際筆者は、最終話を見て、そのあと1話から読み直して、最終話のモノローグがそういうことを伝えたかったのではないかと考えるようになった。アクアが死んでショックを受けただけで終わったら、それは勿体無いことだと思う。そんなファンからの一意見を伝えたかった[^4]。
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[1]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中で「コンテンツとファンは相互監視状態にある」というセリフがある。当然、このセリフを記載した作者がファンを監視していないはずがないと、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない。
[2]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中では炎上について「その日のメンタル次第では本当に死んでやろうかと思う日もある」というセリフがある。キャラと作者の思想は区分されるべきであるが、そのような思想が作者の脳内の構成要素の一つとして存在していると、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない。
[3]: このエントリを書いてる途中に、赤坂アカ本人のインタビューが出回ってることに気が付き確認したところ、「ディスコミュニケーションを描きたい」といった旨のコメントがあった。じ、じゃあこのエントリの内容は……?となり怖くなったので、とりあえずアルコールを入れた。えっじゃあこのエントリも嘘ってこと?そうなのかな……そうかも……
[4]: そんな気持ちで旧Twitter自称Xを見に行って、検索欄がインプレ稼ぎなんだか炎上目当てなんだからわからないツイートで埋め尽くされていた。インターネットというものはどんどん地獄に堕ちていくな。もう純粋に収益とか考えずに己の意見を発信できるのなんて、もう増田しかないんじゃないか…… 増田、𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬 ……住民の質以外の欠点がないな……
前提:
・松本は謝って認めたら負け(フワちゃん等)。逆に謝らなかったら普通に芸能界戻れる(篠田麻里子が例)
理由:
事実である場合、松本側が一番怖かったのは、文春がどこまで情報を持っているかわからなかったところ。事実を証明できるものが少しでも出てきたら終わる。
だから、一旦引いて文春がどこまで持っているか確かめた。客観的事実がないことがわかったので、事実でないというスタンスを取って、「●●であれば謝る」と事実認定はしてないので正解。
事実でない場合、「なんで徹底抗戦のポーズとって取り下げた?」という指摘は正しい。事実でないなら、その証明ができなかったから負けだね。負けって言ってる人は、まっちゃんはやってない!悪魔の証明できなかったから負け!って言ってるのかな。(そうは見えないけど)
文春は、売れたら勝ちなので文春も勝ち。
文春の負けの条件は「事実ではない」と証明されることだけど、そうならなかったから勝ち。
女性は何がしたかったかわからないので、不明。あえて言うならタレこんで金もらったから勝ちなんじゃない。刑事告訴してない時点で、客観的事実はそもそもなかった可能性は高いし、松本を痛めつけたかっただけ?であれば、ある程度は勝ちなんじゃない。
馬鹿のために言っておくけど、本件が事実かどうかは論点ではない。現時点で公開されてる情報から事実である/ないを証明できるのは、当事者以外いない。
~~↑完全勝利~~~
~~↑勝利 ↓敗北 ~~ ※グラデーションで人によって勝利条件が変わるライン?
~~~↓完全敗北~~~
人によって勝利条件の認識が異なるので、勝ち負けの意見が分かれるのかも。
反論予想:
・前提が違う。テレビには戻れない。
→それは否定できない。ただ、誰にもわからない現時点では、過去から推測するしかなくて、謝らなかった人の方が戻れてる確率は高い。
まぁ、今後のテレビへの復帰によって変わるんじゃない。スポンサーとかテレビ局とか。シレっと復帰して、適当にイジられて松本憎しの人には最悪な結果になりそうな気がする。
・勝利条件違う
それは意見分かれそう。
現在、私は夏にステージIVの癌と宣告されて闘病中。この癌の転移期の平均生存期間は1年と少しほど。現在治療を進めている。運悪く抗がん剤との相性が悪く、薬疹を繰り返して治療はなかなか進まない。ステージや生存期間なんかの細かいことは書いていないが、SNSの趣味のアカウントには癌になり、先の治療スケジュールが読めないことや体調面を考慮して今後リアルのイベントへの参戦が難しくなることを呟いていた。
治療のため一昨日入院し、昨日退院。昨晩、家で趣味のアカウントに流れるフォロイーの呟きを眺めていた時のこと。
──神様は見ている。
──現に悪いことをした人は大病を患った。
決して私個人に宛てられたものではないものの、「悪いことをしたバチとして大病になってほしい」という趣旨の呟きに心はどんよりとした。
確かに不倫は良くない。不倫当事者の家族への裏切り行為だ。当事者の後先を考えていない浮ついた出来心によって家族の人生を大きく変えてしまう。なんて浅はかな行為だろうと思う。
ただ、それはそれとして、「悪いことをした=大病になる(なってほしい)」という考えはどうなんだろう。不倫が良くないのは大前提として、その罰として「社会的な制裁を受けてほしい」ならまだ分かるが、誰がいつなるか、本人の意思や日頃の行いに関係なく患う「大病」を不倫の罰に繋げるのはちょっと違うんじゃないかと思う。
この相互がツイートを宛てた先はあくまでも不倫した社内の人だと思う。この相互には実際に大病を患った人のことなんて目に入っていないし、考えてもいない。不倫した罰として大病になってほしいと言う趣旨のツイートをするが、大病は悪さをした人が受けるバチでもなんでもない。私は既婚者だが、不倫をしたから癌になったわけではない。大病が何かしら悪さをしたバチだと言うのは、あまりにも大病を患った人に失礼すぎる。この相互の周りにはおそらく大病を患ったことがある人はいないのだろう。なんて幸せな世間知らずなのだろう。
私自身は20代でガン宣告を受けたことや度重なる薬疹で進まない治療、治療の副作用に苦しめられていること等諸々の理不尽なことが積み重なり、もう神の存在なんて信じちゃいない。しかし、「神様は見ている」と言う相互の言う通りに神がいるのだとしたら、こんな不謹慎な発言をしたこの相互こそが何かしらの罰を受ける対象になるんじゃなかろうかと思う。ただ、私は大病は悪さをしたバチでもなんでもないと思っているので、「大病を何か悪さをした罰だと言ったこいつが大病になりますように」とは思わない。願うこともない。
私が願うのは、
①趣味のアカウントで自分が当事者でも何でもない不倫について延々と呟くことが場違いなことに気づけないこと(この相互は「日常のこととヲタクのことでアカウントを分けたい」という理由で日常垢は別に持っている)
この相互のフォロワーが上記について、この相互の考えのおかしさに気づき、こいつのことを嫌いになること。価値観を疑うこと。離れること。ただ、それだけだ。
どうかこの愚痴を見て、大病をまるで何らかの罰かのように「悪いことをした人は大病になれ!」と言って、大病を患っている人やその家族の人を傷つける人、また、そういう考えを持つ人が1人でも減るといいなと思う。
同棲なら住民票を移すだろうから、転居手続きを拒んだ時点で怪しい、と思って戸籍謄本を確認するかもしれないが、半同棲の段階ではしないだろうね... 役所の手続自体が生じないから。よほど怪しい行動が多い、とかなら別だが。
後、独身を装って、結婚を匂わせてシンママとセックス目的で付き合う既婚男性は一定数いるようだ。
シンママは婚活市場では圧倒的な弱者だから、結婚願望のあるシンママが交際相手が怪しい(他に交際者or妻子がいるかも)としても、聞けずにずるする付き合うことは多い。
多くのシンママは経済的弱者だが鈴木紗理奈はそうではないので、結婚を焦ったりしなさそうだが、親(特に母親)との繋がりが切れていて、子どもが思春期になって親離れしつつある時期のシンママの孤独感は凄まじいものがあるらしい。
確かに。
不倫がプライベートな問題で済まないのと同様に、二次創作も当事者同士の問題ではない。
声優の音声を無断で生成AIに学習させるのと同じ、法整備されてない現状でのモラルの話だ。
AIくんは「差別は悪いことである」という定義を疑うことが許されていないため
「悪いことを実行すると悪いことが起きると定義されているので、悪いことを実行することは悪い」という同語反復の回答しかすることができない
言うまでもないが世の中には
これフェミニズムの問題じゃなくて、今日やってた保守かリベラルかっていう問題じゃん
保守フェミニストはすべての不倫を悪とみなすし、リベラルフェミニストは不倫の善し悪しなんて当事者同士で自由に考えればいいとする
でも現代ではなぜか保守がリベラルを詐称したうえ、さらに「フェミニズムはリベラルの専売特許だ」とかうたうから二重に混乱が起きてる
ってやつでしょ?
どっちも当事者がいいなら許していいよ
ちゃんと仕事して、許す許さないは身内でやってくれれば全然何でもいいんだけど、
「この美女なら仕方ない、許す」とか言ってる人達めっちゃ気持ち悪い。
ブスなら許さなかったの?
何考えてるの?
古今東西大抵のゲームは何かしら影響を受けて与えてるので、別に遊戯王が誰にも真似されてないとは思えないんだよ。ただ、間違いの指摘をせずにこうやって当事者が感情のままに怒るのは、遊戯王以外を認めない意思の表れなんだよな
不倫に対する批判で「妻子との約束を守れていない」みたいに言ってる人を最近よく目にするんだが、本人と妻子が実際に交した「約束」を外野の我々は知り得ないので検証不能な批判なんじゃないかと思っている。
法的には婚姻は貞操義務を伴なうから、一般人はもちろんのこと、特に政治家や有名人は不倫を行なうべきではない、という批判なら分かる。そのような共通認識(不倫はよくないこと)が広く世間に存在していることも知っている。恐らくその「法的な貞操義務」についてを「妻子との約束」と表現しているんだろうが、それは当事者間で実際に行なわれた約束ではないのでミスリードだ。
外野から観測できない「妻子との約束を守れていない」「家族を大切にしていない」という批判は、自己を当事者に重ね合わせた考え方で危険な発想だと思うんだよな。批判したいなら、せいぜい「不倫はよくない」くらいに留めておくべきだと思う。我々は当事者では無いのだから。
自分は30代半ばのオジサンでまごうことなき「こどおじ」である。
見た目終わってる不細工の人権無しチビなので、もちろん独身だ。
自分は家業の資格を持っていて、住んでるのは親の自宅兼事業所で、親の法人から、毎年1000万円振り込まれている。
自分が何をしているのかは知らないが、1000万円くらいが毎年手取り。
ふと、インデックス投資を知って、2000万円をS&Pに突っ込んだ。
5%くらい毎年伸びるなら、毎年100万円がこれで入ってくるのか〜
この瞬間気づいた「これ、こどおじFIREナウじゃん」と。
そうか〜自分は、「こどおじFIRE問題当事者」になったのか。
親からの毎年の1000万円と合わせて、1100万円か。
5年後くらいに、1億円をインデックスに突っ込めれば、毎年500万円くらい?
まあ、そうなったら、親が死んでも、なんとか生きていけるのかねえ。