はてなキーワード: 差別者とは
とある鰻屋での事。
テーブル席は満席で、座敷かカウンターにしろと言われて、嫁とカウンターに着いた。
その時店のほぼ真ん中のテーブルには、ごついババアと親父が座っているように思えた。
他のテーブルも、夫婦や男同士で鰻を食していたのだが、何故か真ん中の夫婦らしき人達が気になった。
ババアの方だが、顔が汚いと言うか、ごついと言うか、化粧が汚いというか... あまりじっくり見るわけにもいかないので、
ババアが、「美味しいわね...」等と発する声は、明らかに作り物の女の声色だ。
カウンターからテーブル席=ババア達の隣のテーブルに移らせてもらった。
セルフのお茶を汲みに行くような素振りをしながらも、またちら見で確認してみる。
長い髪、下手な化粧、細い目というか小さな目(一般的なら大きく描くのだろうが)、
ごつい顔、腕についた筋肉やサンダルからはみ出したでかい足は、やはり男のものだ。
話し方も女のそれではないし、声もなんだか「気持ち悪い」。
俺は性的差別者のつもりは無いが、「気持ち悪い」と「思うこと」は差別なんだろうか?
そういう人たちは、誰にも迷惑を掛けないのなら、非難されるいわれは無いわけだし、好きにやればいいと思っている。
でも、グロテスクな人達に対しての気持ちは、やはり「気持ち悪い」 だ。
じろじろ見た訳ではないけど、確認しようという気持ちが働いている時点で、差別者なんだろうか?
そんな自分が残念だ。
相手の男の人の顔は見なかったけれど、30代半ばのような感じだった。
この男の人はどういうつもりで付き合っていたのだろう、とても気になった。
此処の鰻屋は2回目だったが、とても美味しかった。
それは単に自分の同意見者のコメントに積極的にスターを付ける人間に「差別をする人間は死滅すべきと考えている人間」が多いってだけの話で、「以後差別をしないよう改めるべき(改めればよい)と考えている人間」はいない(少数派である)ということにはならないよね
目立つから一部と全体を同一視していいと言う理屈は、オルタナ右翼の思想と穏健保守の思想を区別せずに右翼の一般思想としてオルタナ右翼の思想を取り上げていいと言ってるようなもの
少なくとも自分はそういうスタンスを取っているし、だからこそ分かるけど「改めさえすればよい」と考えている人間の多くは思想的にいって態度の転換を促すのみで、ことさら差別者の行為を取り上げて糾弾しない。つまり見えるところわざわざ出てこないし、過剰に出てこない方が望ましいと考えてるものだよ
何がどうしようが改まったと認めないでしょうが
それともある一定のラインの差別までは許して、できるだけ差別しないようにしようねってことなの?
※追記
これは他人と自分のズレを感じたことなんだけど、自らが存在することを前提に考えてる人が多いんだなと思った
自分は「認知できない被差別者」を想定する限り差別と区別は分断できないと考えてるんだけど、そうすると現行制度がどこかで被差別者を孕んでいる可能性があるように、自己規定・アイデンティティのような「存在」もまた差別であると考えなければならない。だから差別しない人間は発狂すると書いた
多かった意見として、「差別のない状態が理想だから、そうならないように努める」的なものがあったけど、それは「存在」という差別の容認ではないのか。自分が認知できる差別だけを許さないのならそれでいいかもしれない。でも認知の外を見るには「区別」をしてはいけない。反差別の人に発狂する覚悟はあるのか
「存在」を容認する人間に差別者を責める資格があるのだろうか。認知されない被差別者に興味はないということなのかな
※追記2
みんなのおかげで自分がどんな心理でこれを書いたかちょっと分かった
人間はポリス的動物って言葉を思い出した。そもそも、差別って言葉はポリス的動物の言葉なんだろう。自分はどこにいっても人間は人間だと「区別」していたけど、そうじゃなかった。社会から外れた人間は「人間」としての形を失うんだ。だからみんな必死になるんだな
「見た目問題は障害」バケモノと呼ばれた男性の願い 就活で心砕かれ
http://withnews.jp/article/f0170707001qq000000000000000W06810101qq000015484A
この件、俺は真剣に考えた。
というか前から考えてるんだけどな。
記事にあるような病名のある症状で奇形(不適切用語なら謝る)になった人までいかなくとも
あんまりにもブサイクでこれは人生に支障が出るってレベルの人を見かけたことあるだろ。
あの人達をどうするか?
究極的には誰も外見という障害で差別をしない世界になるべきだが
いるだろ?
「現代はルッキズムが酷いから」とか「外見で差別するような心の貧しい人間は相手しなくていい」とか
勇ましく外見差別者を罵る奴。 でも外見差別者の方が圧倒的に多いから。言ってるお前等だってそうだから。
現代でこれを乗り越えようとしたら仏道の修行をかなり頑張るしかない。
もしくは超ブサイクに向かって
「気の持ちようだ」とか「内面までブスになっちゃいけない」とか「人はそこまで気にしてない」とかいうやつ。
そんなわけねーだろ。
10人並みに可愛い顔した女と、どうお洒落しても覆い隠せないぐらいの容姿上の欠陥ある女と、同じハンデなわけねーじゃん。
なのに言ってる奴は鼻息ぴすぴすしながら「わあわたし(ぼく)いいこといったったー」「差別に反対するぼくちん(あてくし)」ぐらいの気持ちなんだ。
だからね。
「私は外見で差別しません」とか「人類は外見差別を克服できる」とか
まずは「重度のブサイクは人生に支障を及ぼすので立派な障碍者である」と認めろと。
えらそうに言うお前はどうなんだっていうと、
そういう自分について忸怩たる気持ちはあるけど、だからといって「差別しません」とか言ったらいけないと思う。
結構ギョッとするぜ。
表層意識では慣れるだろうけど、深層意識では恐怖や違和感持ち続けてダメージ受けたり仕事の能率落ちたりし得ると思う。
雄雄しく「そんなの気にしない」と言いたいとこだが、
おれは数十年生きてきて自分がそこまでタフじゃない人間なのを知っているし、
それを素直に認めるぐらいにはフェアでありたいと思ってるから。
記事のおじさんはまだましだよ。
2人目の男の人を見てみ。
俺はこれは絶対に耐えられない。怖い。
ガンガン精神的なダメージを受けて最終的にはだめになると思う。
だって俺となりの席の奴のいちいち大きい動きすらイライラするんだぜ?
なんでお前はデスクワークでそんな激しい動きをするんだとか、ファイルを机に投げ出すようにカンカン音を立てるなとか、
ほんとイライラするんだよ。
その俺はあの顔の人が視界に入ったら絶対ダウンすると思う。
「自分は平気だ」なんて奴は
リアルに想像するための経験がないか単に嘘つくことを恥じないかのどっちかだ。
彼等が外見差別者(俺たち全員のことさ)に露出せずとも可能な職種で自己実現できるよう特別な支援体制も作るべきだろう。
おじさんのように表に出てきてるのはサバイバーだけで、
障害レベルの容姿によって人生詰んだり死を選んでる人は相当居るだろう。
同性がされた差別はわかっても
異性がされた差別には関心がないんだな。
私は大勢の女性が男性からの差別で苦しめられたり殺されたりした歴史的な話や
でも女性からの差別で大勢の男性が苦しめられたことはあまり知らない。
たまたま少数という立場になってしまった男性が 女性優勢の立場で苦しめられたことや、
男性だからという理由だけで不当に業務上での差別を受けることがあった、というのをほんの少し知ってるつもりである。知っているつもりである。
お互いの苦しみを知ったところで
本当にわかりあえる時はくるんだろうか?
お互いの傷が癒える時はくるんだろうか?
絶対来ない。
「男性の受けた差別は大したことないじゃない!女性は歴史的にうんぬんかんぬん!」
「自分達は差別をしていないししたことがない!被害妄想が過ぎる!」
味わったことのない苦しみはわからない。
大したことじゃないのに騒いで欲しくない。
「というか貼った側が最早加害者なのでは?」
私は特定の男性に対して差別者のレッテルを貼るために書いているのではないつもりですよ〜
なんとなく海の流れの一部を見て思っただけ。
思ったことをインターネットの片隅へ流しただけのつもり。
数年前になるが欧州を冬の嵐が吹き荒れた。
その為、安全上到着後4時間ちかく飛行機の中に閉じ込められた。
その後、バッゲージクレームで荷物を待つが、延々7時間以上も鞄が出てくるのを待つハメに。結局荷物は出て来なくて、手回り品のみでオランダを旅行するハメに。
とはいえ、これらの原因は自然災害なので、KLMに責めるつもりは毛頭無い。
7時間荷物を待っている間、モニターには「準備中」の情報のみ。
だけだった。
しかし、後から到着した乗客達は鞄を待つ事無くそのまま通り過ぎて行っている。
残っているのは、アジア人ばかり…
その内、同じく5時間以上隣のレーンで待っていた韓国人の団体が怒り出してKLMの職員に殴りかかっていった。
さて、その後ようやく分ったのだが、実は荷物は初めから出てくる予定は無かったのだ。
【白人】の乗客には荷物の送り先を申請する用紙が配られていたのだ。
そんな案内は一切無く、英語での案内も皆無だったと思う。
しかし、20回ちかくKLMの職員に尋ねているのに、彼らは誰もマトモに対応してくれなかった。
それを知って、普段は仏の私の怒りは爆発した。
一番気の弱そうなKLMの若い女性職員を見つけ、これまでの経緯を説明した。
これが正解だった。
彼女はすぐに荷物配送の申請用紙をくれ、ホテルまで荷物を送るべく約束してくれた。
何故、こんな簡単な事を彼らはオフィシャルに案内する事ができず、7時間以上も混雑したバッゲージクレームで待たせようとしたのか真意は今も分らない。
少なくとも、私がヒヤリングできる英語の案内は一度も無かった。
後日、市内のホテルから電話でKLMに対し、荷物の確認を1日3-4回したが、今日にはお届けしますと言い、ついに届く事は無かった。
結局、着替えも無く、歯ブラシも無いまま、パンツも履き替える事無く旅行を終えた。
最終日にKLMに
「荷物を送ってくれないので、帰国便搭乗前に荷物を受け取りたい」
空港に行き、事情を説明すると、大きな体育館のような建物に通された。
その中には何千という荷物の山。
全てにKLMの荷札が貼られていた。
彼らは、はじめから荷物をホテルに送るつもりなど全く無かったのだ。
帰国後、KLMにクレームの電話をすると、滞在中に購入した身の回り品は、領収書があれば1日20ユーロを限度にお支払いします。と言われた。
そんな事、現地では誰も説明してくれなかった。
本当に酷い目にあった。
NL=
ノンケラブです
男女(なんにょ)ラブ
女男(にょなん)ラブです
上記を総称してエヌエルです.
そもそも「原作通りのカップリングが好き=ノーマル」と言う意味で利用している人もいます。
NLと言う単語を見てノーマルラブと意識的に読んでいるのはあなたではないでしょうか。
ノーマルラブ呼びを理由としてあげることで差別用語としていますが
そもそもNLやノーマルラブが「異性愛をノーマル」・「同性愛をアブノーマル」と使っているという前提が
同性愛やその他のジャンルを差別する意図で使っている人がいるならその人本人に直接言って下さい。
ノマカプ・ノーマルラブに疑問があるのならカタカナ表記を主張して下さい。
ピクシブ辞典のNLの記事に意図的にノーマルラブは差別用語であると書き込み、他の読み方の意味や男女CP好き差別の経緯を意図的に消している
百合好きと腐趣味の書き込みは見ていられませんでした。百合好きの人や腐趣味の人全てがこういう人だとは思いませんが、
他のジャンルに噛みつくように口出しすること自体がモラルもマナーもないように思えます。
これらはHLBG推奨派に多い行動かつNLアンチが推奨している単語なので男女CP好きとしては普通に使いたいと思えません。
決めつけで他者を差別していませんか。自分が嫌いだからと言葉狩りを行っていませんか。
他者に自分の考えを押しつけていませんか。都合のいいように利用していませんか。
嫌悪感をもって他の単語を利用しろと独善的にポリティカルコネクトを押しつけてくる人はただの悪意よる言葉狩りです。
そもそも「ノーマルラブ」は男女CPを普通すぎすぎて二次創作でやるとかありえないし必要ないと馬鹿にした側が利用し始めたこともあるので
ノーマルラブ呼びは男女CP好きとしても使いたくありませんし、その呼び方で使ってません。
また、あなたの社会活動やジェンダー論・フェミニズムに巻き込むためにNLを悪用しないでください。アフィブロガーと同じで信用できません。
NLが好きでないならほっておいてください。嫌いなものに粘着しててもあなたにとって損ですよ。
NLは普通に男女CPを愛でる人が繋がるためのジャンル用単語・タグです。
それ以上も以下もありません。
文脈やNL利用者がどんな使い方をしているのかを一切無視して単語のみに罪を着せている人の言いなりにならないでほしい。
少なくとも私はNLをノーラブ呼びしていない人が一人はいるということ、ただのタグの意味でしか利用していないことちゃんと知っておいてください。
そしてできれば男女CP好きかつ、異性愛好き差別的な活動をしている人に疑問がある人はNL使って下さい。
決めつけで差別者扱いされてイライラすることも多いと思いますが、その時間を作品やNLを愛でることに使ってほしいです。
参考資料。
https://togetter.com/li/1003018
id=guchihaki&tid=688&PHPSESSID=tcl6tmn8abujaf8i82urbnlkf3
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10127774025
腐女子嫌いな性的マイノリティによる腐女子愚痴AND考察ブログ
http://antisexual.blog.fc2.com/blog-entry-99.html
http://nanos.jp/nchangen/page/1/
9月14日ナカイの窓 ヲタクダンサー217「BL好き、NL(ニュートラルラブ)は安い恋愛、時代遅れ」発言で炎上 「うざい、きもい」
悩まなきゃLGBTじゃないってそれこそてめーの押しつけで勘違い
LGBTはいつも苦しんでいて周囲からおかしい目で見られて悩んでいなければ認めんって典型的な差別者
差別されてるホモにしか萌えないって言ってる差別者と何が違うのか
分かった風な口で偉そうにLGBTを使うなってお前が何目線から言ってるのか分からないけど少なくともお前が言える立場じゃねえわ
日に日に尾鰭がついてここに匿名で書いたところでどうにもならないのかもしれないけれど。
まず、何故スケオタが自分たちが釣られたと思ってしまったかのこと。
一番の理由はキービジュアルや声優情報が出る前からアイスショー等に公式がスペースを出して宣伝に力を入れていたことだろう。
私自身アニメもよく見るがかなり珍しい展開順だったのではないかと思う。
ファンなら誰もが知ってる振付師と衣装ブランドの名前も挙げられていたため結構盛り上がった記憶もある。
今でこそタブーになり消えたがキャラのモデルになった選手たちも公言されていた。
スケオタ向けのメルマガでアニメ円盤の特典映像についてのアンケートが実施されたこともある。
ここまでするからには、実際の大会とコラボし推奨作品になったりするようなスポ根もののアニメが見られると思ってしまったのだ。
スケオタだからこそ、普段見られないプログラム製作や衣装作りの過程が見られるであろうことに勝手に期待してしまった。
実際私もスケ連も監修していると勘違いしていた。
勿論その後は個々人がどんな物語どんなジャンルを好むかの問題だし、今のままでも楽しんでいる人も悲観してる人も、追っている人も切った人もいるだろう。
ただ、本格スケートという部分にモヤモヤしている人がいるのは、スケオタについてはこういう事情があったことを分かって欲しいのです。
次に、本当にこのアニメは(当初から)デリケートな性についての問題を描くつもりだったのかということ。このことについては私は否と言いたい。
だって、だったら男性キャラのモデルに実在の女性スケーターを据え、彼女が男性だったなら〜などと言えるはずがない。
(当初とつけたのはことが大きくなるにつれてこの設定が消えたからだ。)
他にも性についてやけに過激な言動が目立つが、それらの言動が周囲から許容されること=寛容な社会なのではない。
異性間だろうと男同士女同士、それ以外だろうと常識やマナーは一律であり、それはアニメ内だけでなくメタなところにも言えることで、
アニメだけを見て理解したつもりになるのは勘違いも甚だしいし、それを絡めて競技ルールや登場国の政治方針にまで言及するのはあまりにも危険なことだ。
少し矛盾するが最初、私は女性スケーターがモデルである件は好意的に受け入れていた。
創作における性の操作は繰り返されてきた表現手段であり現実世界の問題とごちゃごちゃにして狭められるべきものではないと考えていたからだ。
しかし、このアニメがファンが言うように本当にこのテーマを扱う作品なら話は別だ。
マナーの厳しいナマモノジャンルにアニメ公式そのものがなり得てしまうようなキャラ作りは避けるべきだったし、他記事にあった、LGBTを盾にしていると言われてしまうようなぼんやりとした作り込みで済ませられるようなものではダメなのだ。
(ただし、この件は某原案者が盛り上がってるだけでアニメ公式の方はなにも言及していないのでなんとも言えない部分ではある。)
恐らく、話数が若い段階で物語の方向性が変わったことは確かだ。オリジナルアニメではよくあることだし、製作スケジュールとの兼ね合いもあるかもしれない。
最初の項で書いたアンケートの、スケオタ自身の反応が芳しくなかった結果かもしれない(実際アンケートの取り方について少し炎上したのだ。)
ただ、その方向転換が大体的に打ち出したキャッチコピーを変えてしまうもので良かったのか、変えた時点の残り話数で、実在するモデルがいると公言してしまった過去がある状態で描き切ることができる題材として正しい選択だったのか違和感を覚えてしまう。
長々と書いてしまったが、どちらのファンが悪いのかが言いたいのではない。スケオタの中にもどんどんヒートアップしてしまっている人もいる。ただ、苦言を呈している人が差別者呼ばわりされ、実在選手を盾に揶揄されることが悲しくてならないのだ。
「女や有色人種だったら無制限に優遇しろっていうのかよ、ふざけんな」
と言って反ポリコレに走る人が目立つ。
しかし、そもそもポリコレの本質とはそういうことなんだろうか。
ポリコレ運動が高まるにつれ、「とりあえず女とかを優遇するやつ」のように認知されていき、
ポリコレに「ポリコレらしさ」が生まれてしまい、本質を見失ってはいないだろうか。
そもそもポリコレとは、
「同じ人間なので、あなたが目にするものはその人も目にします。目にしてどう思うか考え、配慮しましょう。」
ということではないだろうか。
女や他人種や性的少数者は「被差別属性の代表格」というだけだ。(当然他にも被差別属性はある。)
男や白人やシスヘテロは「差別する側にまわりがちな属性」というだけだ。(必ず差別しているというわけではない。)
「目の前の男は男なので、女をいじめてきた差別者である」という意見はポリコレの皮をかぶっているようで、
ポリコレを主張する側の論理が破綻しているのなら、論理の破綻自体を指摘すればいいのであって、
「間違ったことを言っている奴が掲げる正義は間違っている」とポリコレ自体を批判してしまうと、(差別者でないと前置きするか、ポリコレに代わる新しい差別反対の概念を打ち出さない限り)差別者と同じになってしまう。
(もちろん差別するつもりで差別するというのならもう言えることはない。)
ポリコレ側にも「私が男/多数派として生まれてきて、この意見を見たらどう思うか」という視点が必要だ。
「割を食ってきた側だけそんな大人の対応を強いられることこそ差別」という意見もよく見るが、
最終的には属性が解体されて、個人vs個人になっていけばいいと思う。
「万人は同じ(平等な)人間であり、違う(別個の)人間である」という方向を目指すのが、政治的に正しい「政治的正しさ」であると思う。
インターネットで「(90年代のオタクネイティブは秘していたような、女性に対して暴力的な言語表現が一般化してしまった」理由として、
00年代以前のインターネット社会では「女性がマイノリティだった」というのが大きいのだと思う。
女性嫌悪的な記事や、『ま~ん()』『腹パン』『糞女』などの『女性に対する明確な差別的言論』やセクシズムに溢れた表現が、
住み分けされることなく偏在し、男女双方の性嫌悪を再生産し続けている、という現状を重く捉えるためである。
後半、ポルノメディアのゾーニングについても触れるが、弊害が大きいのはむしろ、差別言論のほうであるように感じる。
かつてアングラサイトだった2ちゃんねるは、まとめサイトの存在によって「公」空間に引きずり出されてしまった。
ソース元となる「ニュース速報系」は、かつては「極端な思想同士が延々とプロレスをしている」一元さんお断り空間だったが、
雑談系板の分離、アフィリエイト排除のための板新設などを繰り返した結果、かつての「喪板(=モテない男性文化)」的な、
非モテ・ミソジニー文化が幅を利かせる空間として先鋭化した。客層をターゲットした広告が配置され、結果として女性差別と、男性向けの性表現で溢れかえる。
新たな住民が流入し、育ち、巣立っていくサイクルの中で、一般的な女性が見たら嫌悪感を持つ空間が醸成されてしまったのはほぼ必然といえる。
たまに誤解している女性がいるが、これを「日本社会の差別性の象徴」と捉えるのは正確ではない。
「もともと限られた男性たちが醸成した空間が、外部者である女性の目に触れるほどに一般化してしまった」が正しい。
なお、ここまでの推察は、既にあるまとめサイトをどうこうすべきという話ではなく、「結果としてやむを得ず現状がある」という過程の話である。
多くのインターネットサービスが提供しているのは、異文化衝突に対する、技術的アプローチによる解決だ。
Google的な広告モデルは、個人需要に対して徹底的にパーソナライズされる仕様になっている。受け付けない広告は、右上などに表示された×ボタンを押せば表示を止められる。
例えばtwitterは本来TLがデザインできる空間なので、攻撃的なタイプの「弱者男性(女性車両反対)」層、ツイッターレディースなどの、
IS○S的な用途は、本来、サービスのデザインに反する。「嫌いなものはブロックして見ない」が正しい使い方となる。
また、facebookは年々ポリティカルコネクトネス的な締め付けを強めているので、猥雑なインターネット空間が受け付けない層はそちらへ行くのが妥当、という側面はある。
とはいえ、情報リテラシーが高い、あるいは自制可能な人間ばかりでない。
そして、往々にして人間は、自分の空間をデザインすることではなく、差別者を批判することではなく、
『嫌いな』表現を攻撃する行為に労力を割いてしまう。現状、技術的手段が有効に活用されているとは言いがたい。
性差別を受ける体験から性嫌悪を強め、あらゆるセクシズム的な表現に対するアレルギーを発症する人は多い。
社会における表現の自由は「人権の総量」と同義であるといって過言でない。
表現規制が基本的人権の侵害に及んだ場合、社会的人権の確立が十分でない子供、そして次に女性が権利を奪われる。
この例は、事実上の男性向けポルノ規制法である青少年育成条例周辺の改正案が、全て、「子供の権利を奪う」方向に進んでいることに顕著だ。
焚書を及んだナチス・ドイツや、青少年健全育成法との内容的類似が指摘される、戦前の国家総動員法が物語る通りである。
一部東南アジア国家では強硬な規制政策が取られているが、独裁政権が横行し、「エロ本を買うより女を買うほうが安い」といった状況だ。
タイでは軍事政権に対するクーデターが起きたものの、短い平穏のあと、名君の死による大変な混乱が起きているのは周知の通り。
さて、「表現の自由」論について多くの行数を割くことは、ここではせず、過去や他国の先例に触れるに留める。
論じたいのは、見た目のイージーさに対して重要なリスクを持つ「社会法による規制」に訴えず、
女性が差別表現に傷つかないネット空間を用意するにはどうしたら良いのか、という部分だ。
まとめサイト女性の目に触れる、ということは、扱われるトピックに、女性にも共通する需要があり、
一般メディアのセクシズムに不満が出る、というのは、逆に捉えれば「セクシズムが除外された空間に需要がある」ということだ。
「クリーンな」と書いたが、女性向けキュレーションメディアの多くは
女性の趣味嗜好は細分化しやすいので、隙間需要はおそらく多い。
女性向けで、かつ、現行のまとめサイトに近いものとして「ガールズちゃんねる」「GIRL'S TALK」などがある。
まだ十分に一般化していない印象があるが、これらは、需要を上手く捉えたサービスだと思う。
ところで、女性向けキュレーションメディアの大半が「セックス」「恋愛」を全面に出している。
セクシズムこそが人を惹きつけ、湯水のように金を出させることは否定のしようがない。セクシズムは男性のみならず、女性にも深く根付いている。
社会的な建前が排除された女性向けメディア、「ガールズちゃんねる」「大手小町」あたりを見ても、女性の女性による女叩きは溢れかえっている。
それらを除外したサービスを作ったところで、収益を上げづらい(作るメリットが薄い)であろう、という推論は成り立つ。
視界内からセクシズムを排除したいならば、自らをゾーニングし、徹底的に安全な場所に引きこもる他はないだろう。
ここまで敢えて触れなかったが、女性向けのネット文化は、存在しなかったわけではない。
日本は性文化においても、女性への「slat shaming(ふしだら侮蔑)」的感覚が強く、また、女性のほうが趣味が細分化しやすい事情もあり、
女性向けの性表現は自ら「隠れている」のが実情だ。学級会文化、と揶揄されるように、同調圧力が非常に強い。
一般化する前の、かつてのオタク文化に近い傾向を持っているとも言える。
ただし、女性が男性向けの性表現に嫌悪感を抱くのと同様、本邦の男性も女性向けの性表現に嫌悪を抱く。
あらゆるネットサービスで問題となる、「腐叩き」に顕著だが、「腐叩き」が問題になっても、「女叩き」が問題になることは少ない。
「マイノリティ」の弱みだが、女性のインターネット利用は既に一般化しており、そもそも男女の大きな人口差はないので、人数的にはマイノリティではない。
「最近の腐女子がやりすぎている」のではない。男性向けの性暴力表現の一般性を考えれば、表に出てくるのは至極自然な現象だろう。迫害するほうが不当だ。
男性性への嫌悪から、女性差別表現と共に氾濫している男性向けポルノの規制を求めれば、女性向けの性表現も規制を受ける。
「ミラーリング」に必要なのは、個別のキンタマ潰しでもなく、ポルノバッシングでもなく、女性向けのポルノを、公空間に氾濫させることだと思う。
なお、筆者は少女の表象を好み、男性向け文化を主に嗜好してきた性別女性だが、
BL愛好女性の語りが好きだし、女性向けのゴアな表現の行き着く先がどのようなものなのか、強い興味がある。
同性が表象によって「性的消費」されることに抵抗はないし、異性に対しても特にない。
個人をイリーガルに侵害しない範囲に限るが(実在者の加害行為を扇動する気はない)、文化としては、更なる先鋭化に期待する。
攻撃的に、あるいは非攻撃的に、「自粛を求める」というものだ。何故書かなかったか。そもそも無理だと考えるからだ。
殴ったところで、他者加害傾向の強い人間は「反応があった」事実に溜飲を下げるだろうし、
攻撃的でない人は傷つき、嫌悪ないし憎悪を増幅させる。前向きな進展が起こるとは考えづらい。
空間のパーソナライズという形での技術的解決は更に模索されるべきだが、人間はそも身勝手で、経験外の事象への想像力を欠いた生き物だ。配慮を求めるのは非常に難しい。
一般社会では許されないような表現が溢れかえるインターネットの「公空間」だが、「すでにそのように形成されてしまった空間」において、性差別の欲望に抗うのは難しい。
現在の本邦において、男性も女性も、「男性嫌悪」「女性嫌悪」を内在させている。
「女性向け」のインターネット空間では、女性は性表現への渇望を隠さないし、お行儀よく振舞っているわけでもないし、男性を「消費」しもする。
最初から女性がインターネット空間でマジョリティだったとして、「自粛」などできる筈がない。これはそういう問題だ。
想像不可能な事象に人間は「配慮」なぞしないし、想像力の欠如は、体験することによってしか補われない。
男性にも、目に見える範囲で同性の表象が理想化され、客視され、消費される体験が必要なのだと思う。それこそが戦うこと、ミラーリングになる。
裏返しに言えば、ときに男性のオタクが憧れるように、「憧憬され」「求められる」のは、「女性」の特権ではないはずだ。
相互に消費し、消費され尽くす経験を経て、住み分けやお互いの線引きを探るか。社会法による規制という形で表現の自由、幸福に生きる権利が奪われることを望み、
共に滅ぶことを選ぶか。
「女性の生きづらさ」を改善するためには、空気を、構造を変えなければならない。
それは、「黙らせる」のではなく、自らが声を挙げ、表現することによってしか実現されない。
追記:本稿で取り扱いたかったのは、主として「女性に対する差別言論」が全く住み分けされない(されづらい)現状だったのですが、
表現上、ポルノメディアとの区別が曖昧になっていたので、一部をリライトしました。
ポルノメディアはかなりの割合でsexismを含むと認識していますが、それが単純な女性差別であるとは捉えていません(17:38)
然るべきときに然るべきことだけ喋ればいい。
つまり被差別時の議論においてはしゃべっていいってことねOKOK
いつでもどこでも「キズを晒すことを許せ」と言うようになるのは、人間が差別者・被差別者にしか二分できないという思想から出ている
はいバカ。特定のキズを晒したからといって別のキズは論点になってないから。
被差別者を見て不快になるクズバカが黙れと言いたいがためにこじつけすぎ。
差別を受けていると称している人間の中にも口が悪い奴がいたら、差別を別にして口の悪さをを指摘する必要があるだろ?その他にも色々あるはずだ
うんだからこういうこと言うバカって当事者意識もないくせに差別が悪いなんてみんなわかってるというエクスキューズさえすれば自分が不快になる言い方をたしなめる権利がある~でも明日には忘れるけど~というだけのクズだと散々言ってきたけど一ミリも人の話を聞いていないわけだよね
そんなバカが自分の話を受け入れてほしいとか言ってもあー馬鹿すぎてそりゃあ誰も話し聞かなくなるわなぁという感想しか湧かないわ
差別以外に本人の人格が原因で所々の問題が生じていると疑わしい場合、それを指摘するのは悪手か?
本人の自己申告だけでは差別がそもそも生じているかどうか疑わしい場合、それを検証するのは悪手か?
こういった場合でもとにかく「被差別者だ」と言う人間の意見を丸呑みしろと?
うんだから百万回言ってるよね事実性がどうかという検討がやりたいなら一人でやってろよ
キズを負わせるリスクを無視して爆弾投げ込んでからあれは間違いでしたすいませんでも差別はダメってエクスキューズしたからいいよね!というスタンスのゴミクズが人様と話そうとするなひとりきりで部屋の片隅で日光だけ浴びて24時間過ごしてろ
おまえの開示には付き合わないがオレの自称有益な情報や議論には付き合え、あぁおまえの被差別性には興味ないし明日には忘れるけどなというスタンスで他人から受け入れてもらえるとか想像力がなさすぎ
当事者を置き去りにして当事者感覚のない議論したつもりの自己満オナニーに黙って付き合え!!ってことなんだよなぁ
そりゃあそういう議論ではマジョリティ様が勝つよね、ネット上の議論でもだいたいが自分にとって心地良い意見が出た時点でそれを結論とするクズばかりなのだから
それ故にポリティカル・コレクトネスが求められているのに部外者でありながら不快を感じたくないマジョリティ様がワーワー騒ぎすぎ