はてなキーワード: 差別者とは
偶然、そこにいた全員が日系南米人で、少なからず日本への知識や関心があった人たちだったが、誰もアイヌのことを知らなかった。
日本の領土内にも先住民がいること、彼らがいまだに差別されている実情があることを説明しても、にわかに信じられないといった反応だった。
それどころか、日本に好感を持っていた人たちだったので、温和な日本人が先住民を差別…?と、話全体への疑いの気持ちがあったようだった。
私も、少し言い過ぎたかな、もう少しマイルドな言い方があったかな、と思い、しばらく気にかかってた。
次におなじことを説明をするときは、彼らの耳にもっと不快な情報を付け足さないといけないんだな、って思って、気が重い。
ナコルルがどうとか言ってしまったのでややこしい解釈をさせてしまったかもしれないが、あの件自体はそこまで関心はない。
ただ[特定の集団や民族の呼称を名指しして「死ね」](角カッコ内修正済み。追記2参照)はどんな文脈だろうと差別的だと思うし、オープンな場でそんなこと書いて、「その意図はなかった」は通じないと思う。
どちらかというと、その後に応酬されていたやりとりが、素朴に差別的なものだらけで、日本ではもうこんな空気が蔓延してるのかとビックリした。
「差別反対を声高に主張するから世の中に受け入れられない」とか。
全部、差別問題の中では初級の初級段階の話題で、そこで止まってるのか、という感じ。
しかも、他の差別問題より、現前性の意識が薄く、「無関係」の盾のもと、無意識に攻撃してる人も多くてビビる。
大半の人が日本にいて日本人だろうに、それでどうやって先住民族と無関係と思えるんだろう、と思う。
あと「反差別の連中は批判されたらすぐこれだから〜」みたいなコメント多いが、批判されたの…?いつ…?
当初は、問題となっていた、ナコルルについてのつぶやきをそのまま抜き出した文言を書いており、それに対し「お前も書いてる」という旨でご指摘をいただきました。
不必要な表記から、不要な論点を増やしてしまったことは大変遺憾でありますので、当初の表記を改めさせていただきました。
失礼いたしました。
これは間違いないと思う。この夏地元に帰ってよく分かった。
高学歴なら一歩間違えれば差別になりかねない言葉は通常避ける。
低学歴はそうじゃない
「本気で信じてるわけじゃないって」 「雑談のネタとして使ってるだけだよ」
「血液の成分の違いが性格に反映されないと考えるほうが無理がある」
とか一見専門的っぽい言い回しを使ってまで話したがる人までいる
ちなみに科学者は皆否定しているのだがそれは耳に入らないようだ。
でもこういう姿をみて思ったのがこれこそが日本人なのだとという事。
日本人には「正当な理由があれば差別しても良い」という考えが根強く、「理由があっても差別は駄目だ」という考えは綺麗事として処理される傾向がある(そもそもその理由が無いんだけどね)
安易に差別を批判すれば【独善的で押し付けがましく個別の"理由"を考慮しない欧米的な傲慢な考え、主張】であると受け止められる。
http://anond.hatelabo.jp/20151104184025
その中国系オーストラリア人の彼の就職が決まり、最近はうさかめにはまっているそうなので記念カキコしてみる
彼は頭がいい
どれ程いいかというと、2ちゃんねるまとめサイトで日本語を独学できて、その意味を理解できるくらいだ
「はっきりわかんだね」「ファッ!?」「オナシャス」などとスカイプ越しに言ってくる
それは別にいい
それを思うと、なぜ彼はゲイビデオ由来の言葉を喜んで使っているのかともやもやする
一方で、彼の淫夢語を聞いて、エンタメによる語学の独学の落とし穴も見つけた
だから背景等をちゃんと知らないと、特殊な話し方や表現を普通の表現だと思ってしまう可能性がある
映画で学んだ英会話表現が、すごく特殊な表現や人前では使いづらい表現かもしれない
とかく独学とは難しい
何度でも繰り返すけど、ヤリチンでも童貞でも普通にパートナー居たり居なかったりは概ね関係ない。人の話をきちんと聞けない奴は聞けないと思う。
仮に童貞が人のというか女性の話を女性だからといって軽んじる差別野郎が多いのだとすると、それは男性であれば強くあれなど童貞であるということを軽んじる社会からの圧力に屈している部分があるんだろうと思う。
あと長くも短くもない半端な自分の人生で見てきて思う事だけど。社会に色濃く残る男尊女卑のマッチョな文化・慣習に晒され味わい慣らされていくと、被差別者カテゴリーの女性などを差別者の色眼鏡のとおりであるというように見えるようになっていく傾向があるし、ものの見え方こそそう違わなくても、男性様の「特別待遇を享受出来るはずの男性という地位」にいるという事に慣れていく。特別待遇を受けるべきの地位にいることを当人は無意識にでもそれなりに経験を積んでいるので、女性ほかに厚遇されない、持ち上げてもらえない、まして被差別カテゴリーの者と同等に振る舞われたりする事は、男性である自分を軽んじられている・脅かしにきていると感じるようになったりする。もちろんそれは程度のごく軽い人もいるだろう。
今回のあの増田は、自分には繊細ヤクザにも程があるとしか思えないが、ブコメトラバからすると男性属性の人々にはそう違和感の大きくないものであるようで、それに関しては驚かないがその感性ではないと思っていた人がそうであると、自分勝手に思い込んでいただけであるけれど少々ショックだ。
表現の自由至上主義で他人を傷つけるのが表現の自由なのだと言って憚らない御仁だ。某SNSを久しぶりに見てみたらあまりに遠くに行かれてしまったものだと感慨に耽った。
この戦線で少しでも後退を許せば後は全面突破されるのだと、そういう危惧があるのだろう。その危惧はわかる。俺もオタクだから。自分たちの好きなものが取り締まられるのは嫌だから。クジラッ○スを読んでるだけで訴追される世界になんてしたくないから。
だが、戦線をヘイトスピーチにまで広げるべきじゃなかった。そこも「後退できない戦線」であり、差別発言を撒き散らす自由もまたあるのだと(自分はそれに反対するというエクスキューズをつけた上であっても)言ってしまった段階で、彼は越えてはならない一線を越えてしまったように思える。もちろん彼が差別に反対していることは疑わない。だが俺には、その行動は差別者を側面からアシストしているようにしか見えなかった。
ヘイトスピーチ規制派の理論武装はかなりしっかりなされてる。日本国刑法に侮辱罪や名誉毀損罪があり、それらが民事裁判で争われることもある以上、もとより(国家があらゆる表現に介入しないという意味での)完全な「表現の自由」など日本にはなかった(というか世界のどの国にもない)。侮辱罪や名誉毀損罪も適切に運用することができるのだからヘイトスピーチも法体系の中に適切に位置づけることができるはずだ、という主張はもっともで、ヘイトスピーチ規制消極派・反対派は漠然とした不安しか挙げられていない。というか、規制反対派だってガチガチのレイシストを除けば差別を肯定しているわけではなく、特に表現規制問題から手を広げた論客にとってはあくまで副次的な戦線だろう。彼らにとって本丸は別にあって、本丸防衛のためにヘイトスピーチ規制という戦線を死守しようとしているだけだ。
だが。ヘイトスピーチ規制派と表現規制派は同一ではない。表現規制に積極的な自民党の議員がヘイトスピーチ規制に慎重姿勢を見せ、ヘイトスピーチ禁止法に積極的な共産党が表現規制反対を掲げてきたことを思えば、むしろヘイトスピーチ規制派と表現規制反対派が共通の土俵で戦う可能性はあっただろうし、実際そういうスタンスで動いているひとも一定数いる。
しかし彼の目には、そのふたつは通じているように見えたのだろう。レイシストに対抗する姿勢を示す一部の人びとの中には、積極的に俺たちの趣味を、俺たちという存在を侮蔑し、キモオタと罵り、レイシストと同列であるかのように扱う連中がいる。俺は彼らと同じ戦列には立ちたくない。彼らを批判したくなる気持ちもよくわかる。だが彼らへの批判も度を過ぎれば同じ穴の狢だし、何より、同じ戦列に立つことは拒否しても別の場所でレイシストに対抗することはできたはずだった。けれど彼は、レイシストの主張も言論の自由の範疇なのだとはっきりと言ってしまった。
彼がそう表明するに至ったプロセスについては、よく〈理解〉できる。表現規制は嫌だ。一部のオタクに敵意を示すヘイトスピーチ規制派は嫌だ。ゆえに「表現の自由」を錦の御旗に掲げ、たとえレイシストのそれであっても「表現の自由」は守りぬかねばならない。ヴォルテール。その判断を導き出した理路はわかるのだが、しかし。
「○○人を殺せ」なんてものを「表現の自由」の名の下で正当化したら、「表現の自由」そのものが敵と看做されるのだと、「表現の自由」を掲げる陣営の信用もまた毀損されるのだと、そこに気づくべきだった(本当はこういう「陣営」を一緒くたにした雑な戦術指南なんてしたくないんだけど、そういう雑な括りでの戦術指南に基づいて反レイシスト運動側をdisっていたのはいったいどこの誰だよと)。加えて、彼は「差別」を軽く扱いすぎた。彼がレイシストという批判については、当たらないと俺は思う。でも彼の論理がレイシストに対して極めて甘く寛容なものになっていたのは事実だ。
そしてその甘い論理でヘイトスピーチ規制派に論争を挑むのだからもう目も当てられない。彼の行動はTrollでしかなかった。「表現の自由」全ツッパ。それもいいだろう。だが俺はそんな戦列には加われない。
「お前たちは結局表現の自由と言いつつてめえのズリネタが守られればそれでいいんだろ?」――こんな揶揄を何度も目にする。腹立たしい揶揄だ。俺は、もちろん出発点は非実在青少年ではあったけれど、そこから色々と手を広げて国内外で表現の自由が脅かされているニュースはチェックし続けていたし、少しは声も上げてきた。だからこそこんな揶揄を目にする度に、違う、そうじゃない、と言いたくもなるし、腹立たしいから全ツッパもしたくなる。でも、残念ながら、本当に残念ながら、そこに一点集中してしまっている人というのは一定数日本語圏のインターネッツに存在しており、一点集中するだけならいいがヘイトスピーチ規制論議に殴りこみをかけたり性差別が問題になっている局面で敢えて逆張りの論陣を張ってみせたりする。「○○人は嘘つきの劣等民族」と喚き散らして何が表現の自由だ。ポスターに抗議が殺到して取り下げに至ることのどこが表現規制なんだ。
表現規制反対派に向けられる主語の大きい揶揄には、繰り返すが個人的には大いに不満がある。でもそう揶揄されるに足るだけの人材がこちら側の陣営に大勢いらっしゃるのも事実だ。敵の不行状は全力で嘲笑えばいいが、味方の不行状はどうすればいいのだろう。なるほど、確かに俺は関係ない。しかしそうやって切断処理するには、俺の忠誠心は固くその陣営に結び付けられてしまっていて、結果的に「同じ反対派がすいません」という羞恥と「俺はそんなこと言ってねえだろ!」という憤りを半々の割合で抱えて画面の前で悶々とするしかないのだ。
そうやって悩むのはもう疲れたし、疲れたから「表現規制反対。なぜなら規制は不当だからです。Q.E.D.」で全ツッパしたくなるときもある。でも少なくとも、そういう悩みの元となっている、困った規制派とは縁を切りたい。同じ側にいるけど、違う戦列にいるのだと言い逃れたい。
フュリオサが男だったなら、今程度のものでは済まなかったのだろうなと思います。
フュリオサを男ヒロイン認定して所構わず自己解釈を披露する腐女子で溢れ、
映画のフュリオサの強い部分はスルーしたまに見せたメンタルの弱い部分ばかりを拡大解釈して
マックスに救われる和製英語としての「ヒロイン」に押し込めようという解釈が大手を揮う事になったに違いない。
亡き妻を忘れないマックスが否定され、フュリオサを置いて去ったマックスが薄情ものと叩かれる事になったかもしれない。
それに反論する側は何故か同性愛者差別者扱いされ、自由な意見が言えなくなったに違いない。考えるだけで怖いよ!うわぁ!
あるいはマックスが女だったとしても、「この二人の百合は公式だ」という声が大きくなり、そういう関係でないありのままの映画の二人を愛するファンは少数派になったのでは。
「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」派の皆さまへ - みやきち日記
てめえが勝手にそう感じてるだけじゃねえか、誰がそう言ったんだよ。
俺そんなこと思ったこともないし言ってもねえよ、お前の受け取り方一つじゃねえか。
そうだね。言ってもいないこと、思ってもいないことで文句言われるのはいやだよね。
でも、みやきちさんのエントリのどこに『id:kyomoeが「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」と言った』とか『id:kyomoeは「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」派だ』ということが書いてあるのかな?何度読んでもそんな箇所は見当たらないし、そもそもリンクされたエントリのタイトル以外の所にkyomoeさんの名前は出てきてないように見えるんだけど…。kyomoeさんのブログもリンクされてないよね。
あれ?もしかして「kyomoeさんが勝手にそう感じてるだけ」「kyomoeさんの受け取り方一つ」って話じゃない…?
念のためみやきちさんの前のエントリで「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」っていう言葉が出てきた部分も抜き出してみるね。
【ノーマルカップリング呼びをやめたら死んじゃう病の人たちは】、誰が何をどう説明しようと、「英語わかんなーい」、「歴史的経緯なんて知らなーい」、「日本と外国とは違うしー」、「差別する意図はないんだからいいじゃなーい」、【「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」】、「言葉狩りをするオマエこそ差別者だあー!」とかなんとか言い続けるだけで、絶っっっ対にやめないからね。
「どこかの同性愛コミュニティから『ノーマルは差別的だ』っていう意見が出てきてるわけじゃなく」? デマを流さないでくださいよid:kyoumoeさん。 - みやきち日記
うーん、みやきちさんは『【ノーマルカップリング呼びをやめたら死んじゃう病の人たちは】【「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」】とかなんとか言い続けるだけで、絶っっっ対にやめない』とは書いているけど、kyomoeさんがそうだとも、kyomoeさんがそう言ったとも書いてないよね。kyomoeさんが“ノーマルカップリング呼びをやめたら死んじゃう病の人”なら話は別だけど、みやきちさんはそう書いてないし、kyomoeさん自身も消したエントリでこう書いてるから違うよね。
「英語わかんなーい」、「歴史的経緯なんて知らなーい」、「日本と外国とは違うしー」、「差別する意図はないんだからいいじゃなーい」、「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」、「言葉狩りをするオマエこそ差別者だあー!」とかなんとか言い続けるだけで、絶っっっ対にやめないからね。
http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20150208/1423403189 - 2015年2月8日 23:50 - ウェブ魚拓
みやきちさんの前のエントリを読んでみても『kyomoeは「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」と言う』なんて書いてないんだよね。やっぱり「kyomoeさんが勝手にそう感じてるだけ」「kyomoeさんの受け取り方一つ」って話になっちゃうんじゃないかな?
だとしたら「誰も言ってないことをお前が言い始めたんだから俺も言う」っていう前提が崩れて、kyomoeさんは“言われてもいない悪口を「言われた」と思い込んで一方的に相手を罵倒した残念な人”ってことになっちゃわないかな・・・心配だなぁ・・・。
…と、茶番はこの辺でやめて“「俺はそんなこと言ってない」メソッド”のまとめを。
“「俺はそんなこと言ってない」メソッド”は基本的に“自分の発言”と“言及先のそれ”との差異を武器として使い、「あいつはこちらの言うことを理解していない」「あいつはこちらの言うことを曲解している」と主張することで相手方の信頼を落とそうとする手法です。特に自身が“批判されている側”の場合は攻守を逆転させることもできる強力なカードになります。
しかし“「俺はそんなこと言ってない」メソッド”が有効なのは“相手の言質が確実に取れた場合”に限ります。中途半端な状態で使うと上のように「え、そんなことどこに書いてあるの?お前の方こそ俺が言ってもいないことを“言った”とか決め付けんなよ」という形でブーメランとして自分に返ってきます。最悪のケースでは「これに反応するってことは自覚があるからじゃないの?」という形で墓穴を掘ることにもなります。
特に、今回のkyomoeさんのようにそのことを免罪符にして相手を罵倒してる場合は免罪効果もなくなり“一方的な思い込みや決め付けで相手を罵倒した残念な人”という結果だけが残るので注意が必要です。
“「俺はそんなこと言ってない」メソッド”を有効に使うのであれば“相手の言質を確実に取ること”と“相手に言質を取らせないこと”の両方を意識する必要があるので、思考力や文章力に自信がない人は止めておいた方がよいと思います。特に一時の感情に任せて書き散らすタイプの人には向かない手法です。
ちなみに“言ってもいないことを「言った」と決め付けてくる人”は本当に存在します。そうした人を相手にする場合は自分の書いたテキストを明示しながらその意味や意図を冷静に解説することをお勧めします。その際「もし誤解されたのならそれは自分が言葉足らずだった」などといった形で譲歩や反省の姿勢を見せることも有効です。
もちろんそれで“言ってもいないことを「言った」と決め付けてくる人”が納得する保障はありませんが、ちゃんとやれば見ているギャラリーの反応は変わりますので、いずれ“言ってもいないことを「言った」と決め付けてくる人”は孤立します。そこまでいけばその人がいくら騒ごうとも炎上にまで発展することはないので安心です。
皆さんはどうか「自分が使った武器は相手も使える」ということを肝に銘じつつ明るく楽しいインターネットライフを送ってくださいね。
以上、inumashでした。
ちなみに私はkyomoeさんのこのエントリを“批判のアウトソーシング”と捉えており、それ以前の“逆ギレ”も踏まえたうえで彼を“「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」派”だと認識しています。
※以前の“逆ギレ”はこちらから→http://anond.hatelabo.jp/20150209164159
援交だめ絶対とは思ってないよ。隠し通せれば別にいいんじゃない?って下に書いたでしょ。
ただ、現実に生きてれば、社会的に「隠した方がいいよな」と思うようなことほど、ばれるよ。何でかは分からん。
昔の友人のタレコミとか、本人が良心の呵責に耐えかねてとか、今時だと買主から写真が流出して、とか、色々あるんじゃないか。
日テレのアナウンサーなんて職業なら、本名で全国ネットに顔出しする仕事なんだから、まず間違いなくすぐに何かが流出したろうな。
夏目ちゃんのケースもあるし。むしろ夏目ちゃんなんにもわるくないと思うし本当にひどいと思うけど、それでもあの子は実質クビになっちゃったわけで。
で、何でかって言えば「『そういう人』がTVでニュースを読むのが相応しくない」という考えが何故かあって、そういう無駄なクレームを排除したいからだよな。
『そういう人』ってどんな人なんだろう、そういうのをダメだと言う人なんて職業差別者だ!って思うでしょ。でもこれが多いのよ。
今日ホテントリ上がってる銀座でホステスうんぬんのブログのブコメ見てみたらわかる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/ameblo.jp/toki718/entry-11962862836.html
水商売の出身だけあって文章が下手だとかうんたらかんたら、みたいなブコメが上位に挙がってたりするだろう。
彼らが考えている『そういう人』の条件であり、水商売の女にならそういう言葉を投げつけてもオッケーだと思っている人が、結構たくさんいるってこと。
もちろん全員が例外なく喜んでいた場合、誰も気づかない。そこに差別があるのかどうか、ってのは哲学的な問題になっちゃうね。例えば家畜人ヤプーの世界は俺らの常識から見たらグロテスクだけど、あれがあの世界で完結している場合に、介入すべきなのかどうか。
でも、被差別者のうち少数が「これっておかしいんじゃね? 支配者もおれらも同じ人間なんだから俺らは自分で自分のことを決める権利があるはずだよな」って気づき始めたら問題ははっきりする。差別者側からの抑圧だけじゃなくて、多数の被差別者の「おれら下層の人間だし」っていう常識/諦めも大きな壁になる。
どこに線を引くかに絶対的な基準があるわけじゃないんだよな。慣習の違う文化に接した時に、外から見たらそれって差別じゃね、と思えるようなことでも、一方的な判断で強制的に変えるべきなのか。当事者の声を細かく聞いてみるしかないだろうね。
感情の問題にしちゃうと、差別者が善意から差別を行い、被差別者もそのことを当然と受け入れている、という場合が扱えなくなる。
例えば植民地支配者が、「××人は能力が低く文明遅れてて自立できないから、我々が使役してやることで社会参加させてやれるのだ」と信じている、とか。
社会的な差別の問題なら、感情ではなく、あくまで不公正が生じているかだけに着目する。
どんな感情を持つかは個人の自由だ。そこに制限をかけることなんてできない。
個人的に「××人が嫌い、見るだけでヘドが出る」と思ってても、それを個人の感情だけに留めて、社会的な扱いに差をつけなければ、全くok。
感情の問題にしちゃうと、差別者が善意から差別を行い、被差別者もそのことを当然と受け入れている、という場合が扱えなくなる。
例えば植民地支配者が、「××人は能力が低く文明遅れてて自立できないから、我々が使役してやることで社会参加させてやれるのだ」と信じている、とか。
最近ホッテントリに入った一連の「女性の一人称によるエロ体験増田」は自分が書いた、とするエントリへの反応です。
さいたまのおっさんと呼ばれて→http://anond.hatelabo.jp/20140706232948
当エントリは以前、これらの記事は女叩きを誘発するものでは?と疑問を呈した者が書きました。
以下のエントリを読んでもらえると当方の主張が分かりやすいかと思います。
増田のオッサン認定というかネカマ記事について→http://anond.hatelabo.jp/20140702094451
一連の釣りエントリを書いたとする人物(以下おっさん氏)が本当に該当の4記事を書いたのか確証はありません。
また、自分のことを「はてな上では40代独身、埼玉県在住、人生鳴かず飛ばず、ってことになってます」と書いていますが
この設定含め、おっさん氏が告白していることが真実なのかどうかも確かめようがありません。
以上を踏まえた上で、なぜ増田であのような釣りをすることが問題なのか、自分の考えを書きます。
エロも過度にならなければいいだろうし(以前あった「おっさん女子大生だよ!」は面白かったな)
おもしろくて、予想のつかないネタで笑わせてくれるネタ師は大好きです。
でも差別は違います。性別、人種、容姿、年齢、国籍、などを理由に他人を誹謗するのはネットであっても許されません。
とくに障碍者や生活保護者など弱者をターゲットにするのは卑劣きわまりない行為です。
私がおっさん氏の釣りに異議を唱えるのもそうで、「在日だけど不正受給ウマーw」と煽る人に嫌悪を感じるのと同じ。
反撃が予想されない場所で匿名性を悪用し、特定の対象になりすまして悪感情を煽るのは悪質なヘイトスピーチです。
「おっさんの釣りってみんな分かってるし、そんな怒るなよ」と思われるかもしれません。
しかし以前のエントリで指摘したとおり、少なくない人数が釣られて女叩きのブコメやトラバをしています。
また、おっさん氏は「ピル飲んでるから中出しOK」ネタを4記事すべてで採用しています。
ただでさえピルは誤解されやすいのに、生活のために絶対必要な人までこういうネタのせいで偏見の目で見られます。
計750近くあるブコメはネタ扱いか釣り認定が大半ですが、ピルの件を問題にした人は極少数でした。
「おっさんの釣りってみんな分かってる」のなら、誤解を招く有害な情報を拡散すべきではありません。
仮に「俺はおっさんだけど女は全員浮気や売春してると思ってるしピル飲ませれば中出しOKだよね」と書いたら、
またはおっさん氏の文章がエロ雑誌やエロサイトに「実話」として載っていても、エロ創作として消費されるだけでしょう。
書かれている内容からすれば書き手の女性観がどんなものか大体の判断はつくはずですが、
ほとんどの読者は「釣りかどうか」を指摘するだけで、差別的な女性観はほぼ無視されました。
「仮に実話とすれば差別とは言いにくい」ことを利用されたのであり、だからこそただの釣りよりも悪質なのです。
彼が「はてなブックマーカーの嗜好に寄り添おうとし」ただけだとうそぶくのは
増田という場や、はてブというシステムに責任を擦り付ける卑怯かつ迷惑な行為です。
おっさん氏のような人は「差別者である自分」を直視したくないためにネカマをし、内容が差別的なのは読者のせいと言い張ります。
(ついでに言うと、増田でひどい性差別書き込みをしている人に反論すると急におっさん氏のように
「俺って繊細で傷ついててうんぬん」みたいな自己陶酔したポエムを書き始めるのは今までも経験していますが、
人をさんざん殴っておいて反撃されたら被害者ぶるようで滑稽です。)
なので釣りや差別が嫌なユーザーは場所を移しますが、悪質な差別者や釣り師はどこにでもやってきて場を破壊します。
今回のおっさん氏のように性別詐称すれば、仮に「女叩きのない女性向けネット空間」があっても無意味でしょう。
(2chの女性関連板が男性と見られるユーザーに荒らされまくっているのはご承知のとおり)
「嫌なら見るな」「増田なんかするな」「それがネットってものだ」という情強・ネット古参の言い分は、
「俺たちは今のネット環境が心地いいからお前は黙って去れ」と言ってるようなものです。
「嫌なら増田見なければいいし」「匿名の場で女叩きなんてよくあること」「ネタにマジレスwって言われそう」など、
こういうふうに考えるからいつまでもネット上の差別が減らないんだよなあ、と思い直し、投稿することにしました。
ネットではいまだに「匿名の場では何をしてもいい」というネット治外法権論を振りかざす人がいます。
あまりに悪質な場合は通報なども考えるべきですが、言論にはまず言論で対抗すべきかと思いました。
言うまでもないですがこれは「男が悪い」「女が悪い」ではなく「あらゆる差別は許されない」という主張です。
「死ね」とかはてな民が矛盾点を補強、または説得力を持たせる典型的な安っぽい手段だな。
いるいないは関係ありません。
お前の論理で考えたらな。
それによって、すべてのツッコみ所をカバーできる。
「そんな奴いないだろ」と言われたら、全て意味の無いものになるからな。
「常識で考えろ」なんて言ったら、お腹が空かない人間がいないことを証明できるのか?て話になるだろう。
あと差別問題で重要なのは、お腹の空かない人がいたとして、そいつらがどう捉えるか?それが本質的な問題だろう。
差別者(または疑いのある)や周囲の人間がどう意識するかってのは、その解決手段であって、本質的な問題じゃない。
「お腹が空かない人間」は何とも思っていなくても、周りが差別だなんだと騒がれたら、差別されていると思い込んで嫌な気分になるだろう。
それが俺の言いたいこと。
まあでも、うまく書けてると思うよ。
例えとしてはよく頑張ったな。
その中のひとつに、「福島への差別だ」というアホな意見が数多くあったのが嘆かわしい。
あれが「差別」だと? 差別と言ってる奴こそ差別意識があるんだぜ?
差別とは、たとえば「全国にいる福島出身の子供をのけものにするような行為」だ。
もっと例を出すと、「あのエンジニアのAさんは韓国人だからレイプしそう」とか、
「バイトで入ったアフリカ出身のBさんは黒人だから危険」とか、そういう類のものだ。
決して「アフリカ旅行で犯罪に遭う旅行者が多い」という言動が差別では無い。
もう一度言う。
「アフリカで犯罪に遭った旅行者が多い」発言が差別ではなく、そこから
「あの調理場のアフリカ人留学生も犯罪起こしそうだよな」と結びつけることが差別なのだ。
アフリカで犯罪に遭った事を報告した人間が「アフリカに対する差別者だ!」と弾圧されるなんて恐怖の社会。
そもそも、「公共の損失を防ぐ目的」のために、別の不利益が生じるケースは差別とは根本が異なる。
例えば「ある地方の魚を食べると病気になる可能性がある」場合、ある地方に対する不利益よりもまず
その際に必ず「不確定な情報を流すな!」と言う人間も出てくる。
だが確実に学者が証明してくれるまで「その魚を食べて病気になった」と
非常にマズイぜ、この社会。
「え、でも低線量の放射能で鼻血出るわけねーじゃん、馬鹿か、無知野郎が」と反論する輩もいるだろう。
だが「放射能×鼻血発言=叩いてもいい」という刷り込みが強すぎて、
ここぞとばかりに正義感を振りかざして叩いた人間が殆どじゃないのか。
実は放射性物質による鼻血の可能性は完全に否定はできないんだよな。
確かによく言われる「急性障害」としての鼻血は、大量の放射線を浴びないと起きない。
福島に行くだけで「急性障害」が起きることはまず無いだろうから、「鼻血」をトンデモという人間はこの「急性障害」について言ってるのだろう。
だが、空気中のホコリや花粉に付着した放射性物質が鼻の粘膜に付き蓄積していった場合、
鼻血が出やすくなる可能性は「統計を取るとわかるレベル」である可能性はある。
この鼻血が重大な病気を引き起こすかというと、急性症状の鼻血とは違い、可能性は低いとは思うが。
ちなみに俺は2011年の3月21日〜24日くらいに10年ぶりに鼻血がドバっと出た。
会社などでは「鼻血が出た」って発言しただけでトンデモ扱いされるから絶対言わないけどね。
当然ながらこれはたまたま出た鼻血の可能性が高く、放射能と直接結びつける気はない。
こういった報告の統計を調査していって、数%ほど高くなってるかもしれない、とようやくわかるレベルだろう。
あとは、今回鼻血が騒がれたが「甲状腺がん」の問題提起がもっと行われるべきだとは思ってる。
被害の可能性としては一番大きいからね。
チェルノブイリと状況が全く同じではないが、あの事故を参考にするべきだし、この問題提起を潰してはいけない。
それと原発問題を話すときに「福島」とひとくくりにしているので、
もっと実情に合わせて狭い範囲の地域名で呼ぶようにしたほうがいい。
今いいネーミングが思い付かないが、フクイチ付近を限定した地域名をつけるべきだろう。
まぁこう言うとまた「その地域を差別する気か!」という輩も出るんだろうが、
これによって起きる農家の売上の損失などに関しては、
食べたい人は食べていいし、食べたくない人は食べなくていいし、それを批判してはならない。
そしてそれによる特定地域への損失は、東電か税金による補填でされるべきだ。
俺が言いたいのは以上なんだぜ。
みんな信じたい情報を信じる、それでも構わないが、
「公共の損失を防ぐための問題提起」自体を潰す社会なんて、糞だろう?
■追記
というのも俺や俺のまわりで当時、鼻血が出た人間がいるからってのもあるとは思う。
id:yuhka-unoさんとかね。
専業主婦は奴隷だ! とか、そういう系のエントリ。まあコメント欄も荒れますよね。
別に意見は人それぞれだから、どんな批判しようとどうでもいいんだけど、ひとつ気になるのが、おそらく男性のコメント。
的なやつ。
とは言ってないし、
「男のせいでこんな社会になった」
とも言ってない。
「男がどうであるか」を一切書いていないのに、なぜそんなコメントがつくのだろう?
男女両方の立場で書いておらず、フェアじゃない
こんな感じではないだろうか?
そもそも世の中に男女それぞれ半数ずつ存在する以上、この社会を作り出した責は女にだって半分あるはずだ。
黒人みたいに違うところから無理矢理連れて来られた訳じゃないし、植民地にされた訳でもない。
女性への差別の批判=男性への批判 と思い込んでしまうのは間違いでないだろうか。
女性への差別がある ならば 男性への差別はない という論理は成り立たない。
差別って、謂れのないレッテルをある特定の集団に貼ってしまうことだ。女性差別問題において、レッテルを貼るのは男だとみなされがちだが、それは違う。社会が貼っているのだ。つまりそれを構成する女も自分自身にレッテルを貼っている。
そして男は、「男が女にレッテルを貼っている」という「レッテル」を貼られている。つまり、これは、差別を受けていることに他ならない。
だから、上記の
といったコメントは、ただの論点ずらしであり、男を擁護しているようで、全くできていないことがわかる。
「レッテルの貼られた女」をなかったことにして、同時に「レッテルの貼られた男」をも消してしまっているからだ。
「社会」が差別しているのに、「男だけ」が差別者であるように感じて苛立つのも分かるが(これも自分にたいするレッテル貼りなんだよね)、ちょっと冷静になろうぜ。