2016-11-11

政治的に正しい政治的正しさ

昨今のポリコレ周りの議論

ポリコレを主張する側の過激破綻した意見を目にしてか、

「女や有色人種だったら無制限優遇しろっていうのかよ、ふざけんな」

と言って反ポリコレに走る人が目立つ。

しかし、そもそもポリコレ本質とはそういうことなんだろうか。

ポリコレ運動高まるにつれ、「とりあえず女とかを優遇するやつ」のように認知されていき、

ポリコレに「ポリコレらしさ」が生まれしまい、本質を見失ってはいないだろうか。

そもそもポリコレとは、

「女や他人種性的少数者は、人間です。」

「同じ人間なので、同じ権利を与えましょう。」

「同じ人間なので、あなたが目にするものはその人も目にします。目にしてどう思うか考え、配慮しましょう。」

ということではないだろうか。

女や他人種性的少数者は「被差別属性代表格」というだけだ。(当然他にも被差別属性はある。)

男や白人シスヘテロは「差別する側にまわりがちな属性」というだけだ。(必ず差別しているというわけではない。)

同じ「その属性に生まれついてしまっただけの同じ人間」だ。

「目の前の男は男なので、女をいじめてきた差別者である」という意見ポリコレの皮をかぶっているようで、

政治的に正しくない政治的正しさ」だと思う。

こんな意見ポリコレと思ってほしくはない。

ポリコレを主張する側の論理破綻しているのなら、論理破綻自体を指摘すればいいのであって、

「間違ったことを言っている奴が掲げる正義は間違っている」とポリコレ自体批判してしまうと、(差別者でないと前置きするか、ポリコレに代わる新しい差別反対の概念を打ち出さない限り)差別者と同じになってしまう。

(もちろん差別するつもりで差別するというのならもう言えることはない。)

ポリコレとはなんなのか、本質を見極めてほしい。

ポリコレ側にも「私が男/多数派として生まれてきて、この意見を見たらどう思うか」という視点必要だ。

「割を食ってきた側だけそんな大人対応を強いられることこそ差別」という意見もよく見るが、

属性vs属性になってしまったら争いは終わらない。

その固定した属性を一からげに括ることこそが差別を生むのだ。

最終的には属性解体されて、個人vs個人になっていけばいいと思う。

「万人は同じ(平等な)人間であり、違う(別個の)人間である」という方向を目指すのが、政治的に正しい政治的正しさであると思う。

  • 個人対個人になって一人ひとりが個別に評価されるようになったとして キモくて金のないおっさんは誰からも顧みられず孤独死する一方 若い女は金持ちに囲われて生き延びることが容易...

  • 何百回目に言われてきたことかわからないけど一応もう一度書いとくと、 ポリティカル・コレクトネス自体は全く間違いがなく、真面目に主張をしている人は 女性だろうが有色人種だろ...

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