はてなキーワード: 切なかったとは
うちは今まで一切なかったのに急にお裾分け貰った
私の住んでいる地域ではここ数年で暴力団の抗争事件があり、暴力団排除を推している人がいたら、その人にしようと思った。
これなら、右派も左派も関係なく、誰でも賛成できる政策だと思った。
が、誰一人いなかったので、最低限、暴力団と関係のある人はやめようと思った。
最初、いいなと思っていた人がいた。
しかしその人には支援政党がついていて、暴力団に金を流した団体が支援する集会に出席していた。これはだめだ。
党議拘束や選挙支援がある以上、個人と政党は切り離せない。政党が反社を容認するなら私は投票しないことにした。
ある党は期待の世襲ホープが地元の反社幹部との付き合いを父子共に続けているとスクープされていた。祖父もヤクザであるという反社のエリートみたいな存在だ。これもだめ。
ある党は犯罪なら殺人までやって何回も幹部が逮捕されている人権団体(なお団体内に暴力団関係者がいる)が支援団体にいる。これもだめ。
ある党はみなし暴力団扱いの人を公認し当選させた。これもだめ。
ある党は暴力団や上記の人権団体には批判的な立場だが、党が天下をとっている街の指定管理先の団体を見てみると、反社と関わりがあると公言している人のいる団体の役員が出てきた。あと、私の見聞きする範囲でも産廃で違法行為を行う業者の代弁者として働いている議員を見たことがあった。これもだめ。
そうやって候補者から反社との関わりがある政党を除いた結果、無所属の人しか残らなかった。無所属と表記されていても本当に支援団体がない場合は少ない。
そういう人も可能な限り調べていった。所属している他の団体などの役員を確認し、事実上の支援政党の有無を調べた。
残ったのは現職1名、新人3名
あれだけいた候補がたったこれだけしか残らなかったのか……という気持ちになる。
新人二人は手書きで意味不明なことを書いている人と、やっていこうぜという気持ちだけ書いてある人。それ以上の情報が一切なかった。
現職は、過去の投票結果から一定数の得票を得ているので〇票持っている特定の支援団体があると思われるが調べても分からなかった。
新人の方も支援団体は見当たらなかった。政策ではどちらかと言えば保守、ネオリベ色を感じた。
最後に感じたのは、私の投票は無駄にならないか、という点だった。
現職議員はたぶん、私が入れようが入れまいが、当選するだろう。
これって、
実在する加害者に肩入れしたい気持ちはあるがそんな意地の悪い自分を悪役に見られたくない、
と考えた結果の戦略的発言であって、反語的なアドバイスなんかじゃ決してないよね。
リアルにこの斬り方する奴で道徳的な奴を未だかつて1人も見たことがない。
下手すりゃ自分が差別する側に立ち続けるために他人の被害を過小評価する狙いすらあったりもする。
このレトリックでもって侮蔑のニュアンスたっぷり込めて突き放す言葉を浴びせまくって相談者を思いっきり傷つけた挙句、
世の中ではまだまだ全然理解されていないんだなと感じる。例えばこれについてとりあげたハフポへのブコメ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4735313363514283237/comment/vkara
内容はいいよね。相手がYESと言ってないのに性的なことしていいと思ってる人いるの?相手はYESともNOとも言ってないのでつまりYESです!仕事進めましょう!って営業いるのかな。
こういったの。現在の制度、あるいは裁判所の判断含めNo means Noが基本となっているから、
相手がYesと言っていなくてもNoと示されなければ性的なことしていい、となっていることを知りすらしない。
裁判でも、Noを示すものがあったかーーこれは別に言葉でNoということに限らないーーが重要で、
仮にそう取れるものが一切なかったとしたら、Yesがなくて性的なことをしても強制わいせつ等にはならない。
コロナ禍になって唯一良かったと思うことは、セルフカットを学べたこと。
これまで何十年も生きてきて「自分の髪を自分で切る」という発想は一切なかったけど、いろんな人のセルフカット動画を見て自分も挑戦したら案外上手くいった。とりあえず自分の中では満足いく仕上がり。
セルフカットが可能になって精神的にかなり楽になった。美容師さんとの会話を避けられるし、好きな時にサッと髪の手入れができる。髪を好きなだけ短くできる。
今は全頭50mm、襟足は30-20mm、前髪だけはゴムで縛って取り分けておいて、眉辺りでカットしている。本職の人から見れば笑われてしまうような仕上がりだろうけど、自己はとても満足。衣食住何一つ自給自足できない人間だけど、髪くらいは管理できて嬉しい。
公益財団法人京都伝統伎芸振興財団が事実確認を行ったところ、
「五花街のお茶屋組合の役員が集まり以下の通り情報共有とコンプライアンスの徹底を行いました。
元舞妓を名乗る『Kiyoha@物書き』さんが所属していたとされる花街からは、ツイートされた内容について、現在及び在籍していたとされる時期においても、そのような行為は一切なかったこと、掲載されている写真については事実確認が取れていないこと、の報告がありました。
これまでから、法令順守や悪質な顧客から芸妓舞妓を守る取組を進めておりましたが、改めて、『20歳未満の舞妓については飲酒禁止を徹底すること』『芸妓舞妓の人権を守ること』など、法令順守やコンプライアンスの徹底を確認しました」
とのこと。
私と『誰も知らない』に関する最悪な映画体験について、書き残しておきたい。書きやすい文体として饒舌体としているが、誰が読んだって読まなくたっていい。ちなみにオチはない。ただただ、最悪だった、という話。
2004年公開、是枝裕和監督が脚本製作総指揮を行い、主演を務めた当時14歳の柳楽優弥がカンヌ国際映画祭の最優秀主演男優賞を受賞した作品である。『万引き家族』が話題になった際に取り上げられた作品でもあるため、耳にしたことのある人は多いのではないだろうか。
本作は1988年の巣鴨子供置き去り事件という、母親が4人の子供を家に置き去りにした事件を題材とした、いわゆる社会問題系の映画だ。
私はこの作品を、他の誰もこんなクソ最悪なシチュエーションでは観てはいないだろう、というシチュエーションで観た。
平たく言えば私はこの映画を、家出していた母親が半年ほど経って帰ってきた少し後に、その母親に連れられて映画館で観た。
私の両親は二人ともよく言えば自由なタイプで、悪く言えばたぶんあまり常識がない。私が十歳に満たない頃にどっちの不倫が原因だか知らないが、あれこれとあった結果、母親は携帯をはじめ何もかもを置いて家を出ていった。こちらから連絡はつかず時折一方的な電話があるのみで半年が経ち、ある日、「今から帰る」という電話を寄越してへらへら笑いながら帰ってきた。私が泣きわめいてもへらへらと笑うだけで説明も言い訳も謝罪も一切なかった、それが我が母である。
その母は、それまで映画館で映画などほとんど観ない人間であったのに、帰宅から少し後に私を連れて公開されたばかりの『誰も知らない』を観た。あるいは、家出前は父がうるさく自由に趣味の時間が取れなかったのかもしれないが、私には知る由もない話だ。
『誰も知らない』のストーリーについてはWikipediaなどにかなり詳細に載っているので、こちらでは特に記さない。とりあえず適当なサイトでストーリーを読んでほしい。そして薄っすらとでも察してほしい。私の体験がどれだけ最悪だったかを。
もう20年近くも前のことなのに、一度しか観ていないのに、今でも映画の色々なシーンを思い出してしまう。けれど自分がどう思ったのかは、少ししか覚えていない。世間でも評価されている通り子供たちの演技が妙にリアルで、子供ながらに、ああ、私はもう助からないのだな、というようなことを思った記憶だけがある。
そうして、映画を観た後、映画の中の母親と同じように私の母は再度家を出ていき、幸せそうな別の家庭を持った。母の映画の感想がどうだったのかは、聞きたくもないし知りたくもないし、映画を見たあと母は何も言わなかった。
映画を観ていて良かったのかもしれない、と今となっては思う。今の私はごくごくまともな、この不景気の世では少し恵まれているくらいの生活を送れていて、このまともな生活を手に入れるためには、他の子供たちよりも別ベクトルの頑張らなければいけないことが多かったように思う。頑張ることができたのは、もしかしたらこの最悪な映画体験があったおかげかもしれない。一切関係していない可能性も十分にあるが。
あのとき私は救われたかった。映画の中では子供たちは誰にも助けられず、子供たちは誰にも知られないまま生きていく最後が描かれていて、私はそうはなりたくなかった。私はまともになりたいと望んで、結果的にまともになることができた。
そうは思うものの、あの映画の意義はなんだったんだろうかと今でも考えることがある。世界は変わったんだろうか。『誰も知らない』ものを、知る人は一人でも増えたんだろうか。
少なくとも2010年代前半、毒親という言葉の一次ブームだろうか。あのころ学生だった私は、家の不満を少しでも漏らそうものなら肉親にも他人にも窘められた。乱暴な言葉は使わず、起きていることだけを訴えても、親にも事情があるのだと黙らされた。大人になり、経済的に完全に自立した今になって振り返っても、私の両親の言動は著しく大人としての責任感と良識を欠いたものだったと思うが、私が悪かったのだろうか。そして今は少しでも、子供を取り巻く環境は変わっているのだろうか。
なんのためにあの地獄は模倣されたのか。誰も知らない子供たちのことを誰かに伝えて、何か変わったのか。私はどうすればよかったのか。少なくとも今の私は、恵まれない子供がいると分かっていても何も行動には移せない。今でも考えてしまう。子供はあの映画を観てどう思えばいいのかと、監督に聞いてみたい。そもそも想定されていない観客なのだろうけど。
ちなみに母親が別で持った家庭はまた十年足らずで終わったので、あの映画の母親もどのみち幸せにはならなかったのだろうなと勝手に思っている。
それでも、今でも思い出す。映画の中の母親が、知らない家の軒先で知らない家族の“母親”をしている姿を。
ちなみに主題の都合上母親ばかり悪し様に書いているが、父親も負けず劣らずだったことには留意されたい。というかまあ、映画と同様に子供にとっては『実行犯ではなかった』というだけの話。
まあ妻が逃げた後は普通に子供を虐待し始めるタイプだったので、映画以降は紛れもない実行犯だったのだが。これが話のオチといえばオチになるか。
思ったより反応がついてちょっと驚いた。内容が内容なので、てっきり誰も関心は持たないだろうと思ってたから。
ちょこちょこコメントをもらったので追記すると、あくまで私の意見としては「こんな映画を撮りやがって」という話ではない。映画を批判するコメントも肯定するコメントも否定はしないが。難しい題材だから、人によって意見が違うのは当然だと思う。
ただ、恐らくあのときの私が観るべきものではなかったし、私には意義が分からなかった、という話。きっと意義が分かる人もいるんだろう。
言いたいことが膨らみすぎて霞んでしまったけれど、記事のメインの意図は言うなれば「新車の納品日がクソ暴風雨で最悪だったので、日記を書いておこうと思う。あと痛ましい愛車の写真も載せておく」みたいな話だったんだ。タイミングが悪すぎるにも程度ってものがあっただろ、って。
同情はありがたく受け取るし、笑う人は笑ってくれればいいし、正直なところ言及の“4DX超え”はかなり笑いのセンスがいいと思う。その程度の話だと思ってほしい。
手ぶらで彼の家の近くまで行った。
家に着く直前に、本当は親がいて挨拶してほしいと言われて驚いた。
さすがに手ぶらでは挨拶できないから近くの洋菓子屋に寄って手土産を購入して、彼の家に向かった。
そのまま立ち話で彼のご両親と4人で話していると
わたしはもちろん彼女の存在に触れることはできないし、彼もご両親も触れない。
とりあえず、10分ほど話して外に出ると彼に
「実は妹が2人いるんだよね」と言われた。
それっきり彼は妹のことは何も言わず、違う話をしてきた。
健常者の妹の話はよく聞いていたので、2人兄妹だと思ってた。
その間にもう1人障がい者の妹がいることは知らなかった。
その後、彼から話があるわけでもなかったので1ヶ月後くらいに妹さんのことを詳しく話してほしいと頼み、話してもらった。
彼が今まで友達などに妹の存在を隠してきた、振られるのが怖くて言えなかった、家族でご飯とか旅行に行ったことがないと言っていた。
妹のことはいまだに受け入れられず、それをご両親も知っているため、自分たちが亡くなった後は、健常者の妹を頼るから迷惑はかけないと言われたと言っていたが、妹さんのことを考えるとかわいそうに思えてしまう
彼は、妹がいなきゃ俺はこんな思いをしなくてよかった、俺が妹を受け入れられないのは親がそういう育て方をしなかったからだと言っていたことも引っかかっている。
仮に、私と彼が結婚して子供ができた時に障害を持っていたり、健康に産まれても途中で事故や病気で障害を持つことになった時に、逃げ出すのではと不安に感じる。
わたしには障がいを持つ家族がいないから、想像でしか彼の思いに寄り添うことはできないし、想像できないような葛藤も抱えているのだろうと思う。
彼の気持ちを考えると言いにくいことだとは思うし、自分が同じ立場だったらと考えると責めることはできないなと思う自分と、1年付き合って結婚の話までしてきてるのに家族のことを隠していたのはどうなのか、今回、偶然出てきてしまったけど、出てこなければいつまで隠すつもりだったんだろうと思ってしまう自分もいる。
挨拶に来てほしいならそう言えばいいし、妹のことも会わせる前に事前に話をするとか会った後に話をするべきだと思う。
妹が障がいを持っていることよりも彼の考え方や対応に誠実さがないことが理由で同棲・結婚を迷ってしまう。
【3/6追記】
さて、結論から言うともう一度話し合ってしばらくしたら彼から音信不通になりました。
なぜ、挨拶に行くことを教えてくれなかったのか
などを聞いたが、言っても言わなくても同じだと思ったなどわたしが納得できる答えではなかった。
また、犯罪者がいるわけでもないのになんでこんな思いをしなきゃいけないんだと言っていた。
自分が一番妹をそういう扱いして勝手に隠したがっているのは自分なのに何を言っているんだと思ってしまった。
もし結婚して子供が産まれてその子供が障害を持っていたら俺のせいだって思うんでしょとも言われた。
これは本当に悲しかった。
彼から見て妹、両親、わたし視点で語られた言葉が一切なかった。
それに会話の中で隠しててごめん、なかなか言えなくてごめんなどの言葉が一切ない。
車の割り込みなどもそうだが、ちょっとイラッとしたりしてもハザードをたいてお礼言われたらそのイラっとが消えるようにちょっとした謝罪やお礼で飲み込めなかったものが飲み込めたりするのになと思う。
結果、あまり納得のいかない終わり方にはなってしまったが彼が自分で決断して関係を終わらせてくれてよかった。
もちろん彼だけが悪いということはないし、わたしにもたくさん悪いところはあると思っているし、わたしの器が小さいとも思う。
妹さんとご両親とそして自分ときちんと向き合って幸せになってほしい。
いつか自分よりも大切な人ができてくれたらいいな。
子なし結婚していいのか?って増田を見て、その頃のことを色々と思い出した
友人の女性が相談所を開設する際に、結婚する気のない俺にサクラとして登録してくれと頼まれた
断ったものの軌道に乗るまででいいから名前だけ貸してくれというので応じたのだけど
意外にもお見合いの申し込みがあるもので、暇な時だけでいいので見合いもしてくれと要求のレベルが上がった
友人の頼みなのでやむなく月に1日か2日くらいはタダ働きしたよ
俺を結婚させたがっていた友人には少しは期待もあったんだろう
良い人が居たら本当に結婚しても良いんだよ?とは言われたが、そんな気は一切なかったので女性に会うだけで終わった
かれこれ50人位には会ったと思う
俺はサクラなので女性のえり好みなんかしないし会えと頼まれた人に会うだけだ
それでも変な女性は少なかったよ
それなり以上に真剣だったのだけど、子供は年齢とかの問題で産みたくないって人は少なからずいた
なので一部の女性としては、子供を持たない結婚は歓迎なんじゃないかな
あの人たちは結婚しないほうが良かったと思うけど、どうなったんだろうな
俺がただのサクラであり、結婚する気が全くないことが話をしたって全く分からなくて、再び会いたがったりするの見てると
人となりとか気持ちより、スペックシートしかみてないよね?ってのが、サクラの俺には分かっちゃうんだな
「貴女にも、結婚にも、全く興味の無い俺のどこに素敵な家庭が作れそうな要素を見出したのですか?年収ですか?」ってそんな感じになるんだよね
父が入院することになった。期間は数か月に及ぶかもしれないってくらいの長期らしい。
その間、健康に自信のない母は一人では不安があるらしく、家族の中の誰かが引き受けなくてはって事になった。
これは流石の家族間の仲は悪くない我が家でも少しは揉めるかと思ったら、母の「どこかでしばらく置いてもらえない?」との問いに
長兄の「じゃあ、うちにおいでよ。久しぶりに母さんと一緒に暮らせるのは嬉しいよ」で一決。
両親の金婚式に贈り物をしたり、海外旅行に連れて行ったり、家族思いの兄は兄妹が揉めてるところすら父母に見せたくなかったんだろう。
それで収まらないのが兄嫁。
同居は嫌だ、と父母が出かけたタイミングでのたまう。
「たった数か月じゃないか、生涯ずっととは言ってない。親孝行させてくれよ。」
と優しく頼む長兄。しかし、兄嫁は首を縦に振らない。
しばらくは優しく頼み込む兄に対して
「私と義母さん、どちらが大事なの?」と兄嫁が言った瞬間に、兄の顔が憤怒のそれになったのが、わたしには分かった。
兄が怒ることなんて滅多にある事じゃない、ただし、一度怒らせると父ですら手が付けられないほど頑固になるので、この先の展開が予想出来て肝が冷えた。
案の定、数年前に晩婚で見合い結婚した長兄には子供もいないのが災いしたのか「分かった、なら別れよう」と。
「お前の代わりになる人は見つかるかもしれないが、両親の代わりはない。お前が、どちらかを選べというなら、俺に悩む理由は全くない。
別れよう。そんな残酷な選択肢を突きつけるお前には、用はない。」
この一言には、兄嫁も衝撃を受けたようだ。
事前に相談ってコメントがあったけど、出来るはずない。だって帰省するまで、そんな話一切なかったしね。
「じゃあ話し合って決めます」って言うよりも「うちに来い」って言えちゃうのが、何でも先陣切って行動する兄らしさだと思ったくらい。
さて、その後。
怒った兄は全く手に負えない。勝手に怒りが収まるのを待つしかないが、母と既に故人となった前の兄嫁だけは、その怒りを治められる。
「兄嫁子さんは、1月中に家を出てください。結婚前のご自身の資産と、結婚後1年強で二人で蓄えた500万ほどは、全額をお持ちください。
引っ越し費用と引っ越し後半年の家賃は私のほうで出しましょう。結婚後に購入したもので必要なものがあれば、全て持って行ってください。
車から洗濯機に至るまで、全て差し上げます。」敬語とか、完全に切り捨てモードはいってるなぁと戦慄している私たち妹。
おそらくだけど兄は結婚前に作った相当な資産と、前の結婚時に購入した持ち家がある。
成人した親族に祝いでバイクを買ってあげるくらいには経済的な余裕もある強者だ。
その立場から一方的に追い込んでくる兄の怒りを、故人なら宥めることが出来たと思うけど、兄嫁はオロオロするばかり。
「謝ったほうがいいですよ・・・」って、わたしは言ったが、固まってしまって手もない様だった。
そうこうしてる内に親戚へのあいさつ回りから戻ってきた母が、兄が何かに怒ってるらしいことに気づく。
「正月早々に、どうしたの?」と尋ねる母、「何もないよ」と空とぼける兄。
「まさか、私のことで兄妹喧嘩でもしたんじゃないでしょうね?」、「まさか。それで喧嘩になんてなるはずがない」と兄。
「「わたしたち」は、喧嘩してないけど」せめてもの援護である。
「じゃあ夫婦喧嘩でしょう」と言うと、「喧嘩じゃないよ」と逃げる兄。
そこで感づいて「兄嫁子さん、何があったの?」と母。
事情が明らかになり、逆に怒る父母に「あんな酷薄なことを言える女と夫婦で居られるか」と、怒りが収まらない兄だが
「そんな冷たい人の世話になりたくなんかないよ」と母に言われて、明らかに萎んでいく。
そんな感じで家族に対しては兄の怒りは長くは持続しないしから、兄嫁さんはまだそこまでの関係でもないのだろう。
そうした顛末を経て、兄嫁と母の間でも話がもたれ、改めて兄の家に母が厄介になることで落ち着いた。
アプリ上でやり取り、会うことを決めてライン交換までは話が進むが、お互いの仕事の都合上会う日がなかなか決まらないことがある。
それまでは1~2週間ほど、ほぼ毎日自己紹介的なメッセージのやり取りをしていたが、関係が関係なのでプライベートの事を話すことも無いし、予定確認含めてのやりとりが週に1回とか2回になった。
間隔が開くにつれレスポンスが悪くなり、そのままフェードアウトされることが多い。
この場合はどうすればよかったのか。
友達未満の関係でも、会うまでこまめにメッセージを送らなければならなかったのか?
アプリの特性上女性が受け身になるからモチベーションの時点でミスマッチなんだろうけど、
ときどき、「体育教師は運動得意だから体育苦手な奴の気持ちがわからない」というのを見かける。
中学の時の走り幅跳びの授業で、自分の実力別に練習のやり方を変えていたんだが、実力が低かった俺のメニューは・・・
「空中に放り出される感覚を養う」
とにかく飛んだだけ。何もわからん。
https://togetter.com/li/1231847
ここに書かれているようなフォームのチェックだとかは一切なかった。
サッカーもちょちょいと蹴る練習パーっとやって試合。柔道は最初からしっかりやってくれたかな。でも柔道はやったことないやつばっかだから当たり前か。
「体育教師は運動得意だから体育苦手な奴の気持ちがわからない」というのは、まったく間違っているというものでもないと思う。
https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1511583109116198917
ある研究者の人が、指数関数や微積を義務教育に含めろとおっしゃる。
一般の人間は働き始めたら、「微分?そんなのやったねぇ。」で終わりだ。
「x^nを微分するとnx^(n-1)になる」を覚えている奴が優秀レベルになる。
働き始めたら学校で覚えていたこととは別のことを覚えなくちゃいけない。
何かを忘れて覚えていかないといけないんだ。
微積とお客さんのことを覚えること、大多数の人間にとってどっちが大切だ?
「微積は我々の生活に密着していて~」とかそういう言葉遊びしているんじゃないぞ。
考えてみろ。微積とお客さんのことを覚えること、大多数の人間にとってどっちが大切だ?
言い方悪いけど、ぶっちゃけブラック企業の研修のほうがよっぽど役に立つ。
諸先生方の反応したら、ものの見事に「無駄!!」と断じていたけど。
でも、あそこでぶち込まれるマナーやら仕事術のほうが大多数の人間にとっては大切なんだ。
あんなとこで微積や指数関数が~なんて言ってたら「なに甘ったれてんだゴラ!」ってぶっ飛ばされるだろう。
学問を4年、6年、長くて10年ぐらいかじってきた人間が一般企業で使おうとしても使えない。
それに、今の中学のカリキュラムに微積ぶち込んだら超詰め込み教育になる。
多分だけどこの手の先生は「もっと学問を大切にしろ!」だからさ、ほかの教科も増やせとかいうんじゃないか?
超詰め込みが超超超詰め込みになる。
ぽやーっと理解した中学生が高校行って、中学で増えた分高校では難しいことやって…
今より「あ、俺勉強向いてねぇ」って学問あきらめるやつ増えるんじゃないか?
まさかまさかまさか先生方「微積・指数関数も理解できないのか!」とか言わないだろうな。
一般人には厳しい。
https://anond.hatelabo.jp/20221105115632
ぼく勉と五等分、かぐや様とではクオリティに差があるのだから、パラレルストーリーが悪いのではなくぼく勉が悪いのだという説が散見される。
これはぼく勉の話がつまらなかったから盛り下がったのだという趣旨で一理あるように見える。
しかしあえてぼく勉ではなくパラレルストーリー自体が悪いのだと私は主張する。
まずメディアミックスであるがぼく勉より単行本売り上げが低かったゆらぎ荘の幽奈さんですらゲーム化している。
単に人気が低いというだけではゲームより遥かにコストが低いボイスドラマが打ち切られる理由にはならないだろう。
またそもそもジャンプで2年以上連載していた作家に対してお前がうまく出来なかったから悪い、もっとうまくやれたはずだと言うこと自体傲慢極まりないと一蹴しても良いだろう。
そもそもの話として、ぼく勉に話の良さは求められていたのだろうか。
ぼく勉は元々1話完結を繰り返す構成であり、長編と言われるものでも4話程度の連続した話しかない。その中ですら粗が目立った。
そして本編終盤の強引さを鑑みればその後のパラレルストーリーの出来についても推して知るべしであったが、そのような中でも多くのファンはパラレルストーリーを歓迎していた。
同じ作者が描くのだから、話のクオリティが急に上がるわけがないのは誰しもがわかっていたはずだ。
つまりぼく勉は話の良さなど期待されていなかった。強引でもいいから自分の好きなキャラの思いが成就することだけが望まれていたのであり、実際にそれは叶った。
読者の求めていたことを叶えて、それでも盛り下がってしまったのだからこれはぼく勉が悪いわけではないだろう。
まとめると
ぼく勉に話の良さを期待していたファンなどほとんどいなかったのだから、話の出来が悪かったから盛り下がったのだという主張は失当である。
となる。
ぼく勉はキャラの可愛さで人気を獲得し、長編の話作りが下手であることもわかった上でパラレルストーリーが歓迎されていたのだから、ファンが望んでいたのもキャラの可愛さだけのはずだ。話の出来の良し悪しは関係ない。
作者は今まで通りキャラの可愛さを引き出していたのだから、十分にうまくやったと言えるだろう。(理珠ルートはキャラが出なかったのでまあうん)
もっともこれはぼく勉は話を期待されていない漫画だから、話の出来が悪いのが悪いという批判は成り立たないということに過ぎず、話を期待されている漫画であれば話が良ければ受け入れられたのかという課題が残る。
そこでぼく勉が仮にストーリー面も期待されていたものと仮定して、以下にパラレルストーリー自体の問題点を上げていくことにする。
読者が自分の推しキャラが終わった時点で満足して読まなくなることは想像に難くなく、読者が減るのも当然である。
ぼく勉の場合、頭3つほど抜けた人気のあった真冬がヒロインであった最後のルートですら大した盛り上がりを見せず(事実単行本売り上げが他より上回っているわけでもない)、最終回でもトレンド入りすらしなかった。
トレンド入り自体はジャンプの打ち切りになるレベルの漫画(例:レッドフード)でもすることがあるものであり決して高いハードルではない。アニメ化していない作品ですら円満終了なら最終回のトレンド入りは定番となっているので、ジャンプ連載作品ではむしろしないほうが珍しいと言って良いだろう。
読者が減少するということはすなわち作品が連載中であるにも関わらず、話が進むごとにどんどん盛り上がりが減っていくということになり、活気の減った漫画は余計に見向きがされなくなるという悪循環を生んでしまう。これはぼく勉に限った問題ではなく普遍的な課題だろう。
五等分の花嫁やかぐや様では作中の描写がどうだ、ここの描写がああだと言った考察が盛り上がっていたが、ぼく勉はパラレルストーリーが始まった時点でこれまでの描写が語られることがほぼなくなり、考察ブログも更新を停止することが目立った。
これはパラレルストーリーが本編の描写と連続するものでない以上、何がきっかけで彼を好きになったのか、何がきっかけで彼女を好きになったのか。そういったことを本編の描写から考察することが出来ないのだから当然だろう。したところで意味は無い。話を期待されていたのであれば、なおのこと虚しくなるだろう。
個別ルートは本編の描写と繋がっていない。であれば推しキャラを持つファンは本編の描写を語ることが虚しくなるだろう。それが個別ルートまでの間にあった出来事なのかどうかわからないのだから。
全く語らないことはないだろうが、以前までと同じ熱を持って語ることは出来ない。同じキャラを推すファン同士であれば個別ルートの話題で盛り上がれるだろうが、違うキャラを推すファンとはそれで盛り上がることは難しい。無意識にどこかで俺の好きなキャラのルートではその出来事はなかったという冷めた目線が生まれてしまう。
SNS時代の今、語られなくなることは作品にとって致命的である。パラレルストーリーは二次創作需要の先食いですらなく、ファン交流の土壌ごと奪っていることに等しい。
これは恋と嘘のように最初からマルチエンドにすると決めていた作品であれば回避できる問題ではあるが、現実的には難しいだろう。週間少年漫画誌で人気と伏線を両立させることは困難であり、ぼく勉のように途中でなんとなく決まることが大半のはずだ。
最後にたとえパラレルストーリーをやったとしても各キャラのファンを満足させることは難しいという最大の問題がある。
パラレルストーリーに対する各キャラのファンの主な反応はこうだ。
- うるか派 とにかく発表方法やその他の扱いにキレている。※
- 理珠派 ほぼ関城さんがメインで理珠がサブ扱いなので不満の声が目立つ。
- 文乃派 話自体にはそれなりに満足しているがパラレルがなければ本来は文乃が勝っていたはずだという幻想に縋って不満が渦巻いている。
- あすみ派 とりあえずやってくれたことに満足している。
- 真冬派 圧倒的な人気なのになぜか先生と生徒じゃなく先生と先生の恋愛になるという扱いにキレている。
※参考
作者に嫌われているキャラクターを好きになってつらい
https://anond.hatelabo.jp/20200724234926
【追記】作者に嫌われているキャラを好きになったら特典でも冷遇されてつらい
https://anond.hatelabo.jp/20210308181806
【替え歌】作者に嫌われている。
このように手放しに満足しているのはあすみ派だけだ。
なぜ満足しているのかといえば、登場が遅く人気も低いためエンドヒロインになる芽が一切なかったのに、奇跡的にヒロインになる姿を見ることが出来たから満足しているのだ。
この点真冬も同じく設定的にエンドヒロインになる芽が一切なかった。ではなぜこちらはキレているのかと言えば、パラレルストーリーをやること自体が真冬の圧倒的な人気を背景に生まれたものだと信じられているからである。
つまりパラレルストーリーをやるきっかけが真冬の人気によるものなのだから、当然話のクオリティも素晴らしいものであるはずだという期待があったのに、その期待が裏切られたから不満を持たれているのだ。
このように元々芽がなかったキャラのルートをやったにも関わらず、そのルートの出来が良くなければ恨まれてしまう。
芽があったキャラであれば、話が良くても悪くても本来は勝っていたはずなのに二番手以降に追いやられたという逆恨みをされてしまう。
元々なければ諦めがつくが、中途半端に与えられると足りないものが目についてしまう。半端な救済は逆に恨みを買ってしまうという、社会問題でもよく見られる現象と同じことだ。
結局のところ満足ができるのは元々芽のなかった不人気キャラのファンだけであり、人気キャラのファンは余計に不満を持ってしまうのである。
本来ルートがなければないであるもので満足できる。五等分の花嫁を見ればわかりやすい。
一花のあの思い出だけは嘘じゃないんだよの泣き顔で切なくなれるし、二乃のあんたを好きって言ったのよという告白で痺れることができる。三玖の私は私を好きになれたんだという独白に感動できるし、四葉が私の分の仕事をお願いしますという台詞をようやく言えたことも胸を打つ。五月の私は私の意思で母を目指しますという宣言が嫌いな人間はいないだろう。
(各キャラの台詞は筆者の趣味でピックアップしたものであり、あくまで例である)
結ばれようが結ばれなかろうがそれぞれのキャラに素晴らしいシーンは存在していて、通常キャラのファンはいいところを見つけて満足できる。満足出来ないファンもこういうルートがあればよかったと理想を追える。
パラレルがある場合それは出来ない。各キャラのファンが見たいのは結ばれるところであり個別ルートである。
すなわちそれまでの話にいくらいいシーンがあったとしても、個別ルートの出来が良くなければ満足されないのである。
そして一度公式に提示された以上、それは違うこれが正しいと自分の理想を追える気概のあるファンは少ないから、ファン活動のハードルもパラレルの有無で段違いになってしまう。
自分の好きなキャラの思いが成就する場面をやるのであれば、誰だって自分の中の理想の形で成就することを想像する。当たり前だが多くの場合理想通りに行くはずはない。
漫画である以上、あまり長い話数は出来ないのだからなおさらだ。
普通であれば期待外れに終わるのは一度だけ、一人のキャラのファンだけだが、ぼく勉のようにした場合はヒロインの数だけ期待外れに終わることになる。
作者に対する失望が増えるほど作品に対する興味も冷めていく。当たり前のことであってぼく勉に限った話ではない。
失望されなければいいというのは一つの理想ではあるが、それは全教科満点取れば入試に受かると言っているようなものだろう。
仮に話のクオリティが期待されていたとしても、パラレルストーリーを連載する以上
というパラレル自体の問題点があり、仮に万が一クオリティが高かったとしても盛り下がっていたと考えられる。
よってぼく勉が特別うまくやれなかったのではなく、パラレルストーリーという形式がそもそも悪いのだ。
なおパラレルストーリーという形式をぼく勉が選んだ事自体が悪いというのはそのとおりだろう。
ただその場合の批判は、作品ではなくそれを選んだ作者に及ぶべきではないかと考える。
これがまさにパラレルストーリーをやったことの弊害ではないだろうか。
作品の内容を評価される手前、パラレルをやった意義で評価されてしまうのだ。
この話題がぼく勉である意味は何もない。内容について踏み込まれないから作品の理解を深めることは出来ない。
「この技できるのすごいだろ」「ここで有名な○○のオマージュ」(同類にしか分からない共感系)とか、
舞台系はそういうのばっかりだよね。
昔見た「HEADS UP!」というミュージカルは全然そんなことなくて、歌うまいでしょ???感もダンスうまいでしょ???感も一切なかった。ダンスに至ってはズレもあったけど、演者さんみんな「観客を楽しませる」という感じで踊っていて、とっても楽しかった。ミュージカルアンチ(特にテニミュ以降のやつ)の私でも楽しめて、あれこそが所謂「エンターテイメント」というものだと思った。
逆にオタ芸やってるファンって途中から推しアイドルのことBGMくらいに扱ってて(自分の芸主体になってて)失礼じゃね?って思ったりする。
自己満足を延々と見せられても初心者には楽しくないんだよな。なので、初心者を(初心者も)もてなす気があるかないかで見ればいいと思う。
私は大学生で、5月に無実の脅迫容疑で逮捕されました。その経緯を記します。
〜前置き〜
逮捕される6日前の5月20日、別居中の父が自宅で不審死したとの連絡が来ました。死後1ヶ月ほどの状態で発見され、死因も分からず、他殺かどうか、事件性がないか警察が調査中との事でした。
〜容疑となったことの発端〜
そんな一報を聞きドタバタしている中、気を紛らわすついでに、私がかつて大学内でトラブルになっていた同級生Aへの愚痴を、同級生BにLINEで話しておりました。
その中で酒を飲みついヒートアップし、5月25日夜、「Aの家を家凸して放火してやりたい」とBにLINEしました。その後言いすぎたと思い、LINEメッセージの送信を取り消し、Bには他言しないようお願いしました。
〜任意捜査〜
翌5月26日午後、自宅に警察が突然来ました。「Aを脅迫した覚えあるよね?」と言われました。私は一切身に覚えがなく「ありません」と答えました。警察が、Bに送ったLINEを見せて欲しいと言ってようやく何のことか理解しました。私がメッセージの送信を取り消すよりも前に、BがAにLINEを転送していたようです。
「あれでしたら、Bに愚痴を言っただけで、A本人に伝えようとしたつもりは一切ありません」
そう何度も言いましたが、警察は断固として「強制捜査になる前に任意捜査に協力して欲しい」と言い続けていました。仕方なく任意捜査に応じ車で連行されました。
署に到着後、いきなり本籍地、両親の氏名や仕事、そして幼稚園〜大学までの生い立ちを調書に取られ、「あ、これは逮捕するつもり満々だな」と感じました。
脅迫罪の構成要件は「生命、身体、自由、名誉又は財産に対して害を加える旨を告知して人を脅迫した」こと、ですから、私の発言を、第三者を介してトラブルの相手方に伝える意思があったことを捜査機関側で証明できないと、刑事裁判にかけても、私を有罪にできません。(法学部なので知ってました。)
なので私は必死に、「Bに対してAのことを指し放火してやりたいと言っただけで、それをA本人に告知する意思は一切なかった」と否認しました。
しかし取調官は、AとBは友人同士で、伝わる懸念は十分考えられたよねと言うだけで、いたちごっこでした。
私は正直、父を殺害したのだと疑われていて、別件逮捕するつもりもあるんじゃないかと疑い怖くなり、冷静に何度も容疑を否認しました。
〜逮捕〜
署に到着後4時間くらい否認を続けた頃でしょうか、「〇時〇分、脅迫容疑で通常逮捕します」と告げられ、手錠をかけられました。
容疑の否認に疲れ切っており頭が真っ白で、「あ、これが冤罪か、まさか私が被害者になるとはな。」といった感想でした。
送検された先の検察の取調でも、冷静に「私は人を脅迫しようとした故意は一切ない」と否認を続けました。今では嫌疑不十分で不起訴になっておりますが、長い戦いでした。
〜あとがき〜
大学の刑法の教授に相談すると、このような場合私が脅迫罪になる可能性は有り得ず、むしろ転送したBが脅迫罪になると話してくださいました。
嫌疑不十分で不起訴になったため、前科は着きませんでしたが、それでも逮捕歴(前歴)は残ったままですので、米国にビザ無し渡航できないなどの生活上の不便は残ります。
弁護士に相談しても逮捕は重すぎるとのことでした。私がなぜ逮捕されたのかはよくわかりません。しかし、明らかなことは警察は本当に自分たちの思い描くストーリー通りの取調をおこない、こちらの話を聞くだけでまともに信じてくれないことです。逮捕状の請求を受けた裁判官も個別に判断せず請求の許可を下していると思います。