はてなキーワード: レクイエムとは
「安倍さんの後ろに若い男がいて、直径15センチ、長さ3、40センチくらいの黒い筒のようなものを持っていました。
安倍さんが倒れて数秒後に、男はその筒を上に向けて、さらにもう一発撃っているのが見えた。
弾が落ちてくるような様子は見えなかったし、1回目に聞いたのとは違い、乾いた音だったので空砲だったのかもしれない。
安倍さんの方を狙ったのではなく、空に向けて撃っていたので、あとから考えれば、何か特別な意味があったのかもしれません」
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/07081751/?all=1
「聴こえますか父さん兄さん
こんなたくさんの人に読んでもらえるなんて思わなかった。みんなありがとう。
ただ、なーんも読み取れてなくて脊髄反射で「うるさいうるさーい!新しいの!すごいの!これからは縦なの!老害は黙ってて!」ってお怒りな人も中にはいるねー。やっぱりウェブトゥーンばかり読んでると読解力が落ちるのかな?wで、あなたのおすすめは何?「知らんけどまだ新しいからこれから出てくる」なんて言い訳は通用しないよ。もう答えは出尽くしてんだよ。ウェブトゥーンの歴史舐めんな。いいから原点にして頂点のsnowcatを読め。
あとね、ごめん!「ピッコマの社長が言ってた」ての嘘だったかも。読んだ記憶があるんだけどソースが見当たらん。自称詳しいオッサンの話を鵜呑みにすんなって話が、そういうとこだぞになっちゃった。反省。しかし明らかに翻訳されてない作品があるのは本当。国ごとに翻訳されてるされてないにバラツキがあるのも本当。興味がある人はnamuwikiの書式が読みやすい。例えばこれとか人気あるみたいなんだけど、中国語翻訳しかない。
https://namu.wiki/w/%ED%94%84%EB%A6%AC%EB%93%9C%EB%A1%9C%EC%9A%B0
こっちはサッカー漫画。なんとインドネシアと南米というよくわからない組み合わせ。面白くない!?
https://namu.wiki/w/%ED%83%91%EC%BD%94%EB%84%88
最後に韓国の人による「最近のウェブトゥーンがつまらない理由」というタイトルのウェブトゥーンを引用して締めたいと思う。みんなありがと!
https://m.ruliweb.com/best/board/300143/read/57085857
(以下本文)
日本が、世界が、連日HUNTER×HUNTERやベルセルクの帰還で大盛り上がりだ。そんな中、今でも必死に「ウェブトゥーンが世界を席巻している!」と信じたい奴らがいる。はいはいご苦労様。大丈夫、その苦労ももうすぐ終わる。君らへのレクイエムとして、何が間違っているのかひとつひとつ噛み砕いて教えてあげよう。
これはよく知られた基本中の基本だが、韓国でウェブトゥーンという形態が生まれたのは、韓国の漫画業界が一度崩壊したからだ。彼らはあの焼け野原から這い上がって来たからこそ、今がある。この基本すらわかっていない連中はお話にならない。ハングルと間違えてハンガリー語でも勉強してきたのか?釜山港へ帰れ。
「いや日本だって出版不況が叫ばれている。この混沌の時代、海の向こうからやってきた黒船に勝機を見出すのだ!」…なんて号令が効いたのはコロナ前まで。もう古い。むしろ今、稼ぎどきに稼がないでどうする?
電子を含めれば、今は始まって以来の大漫画時代。読むものが多すぎて困ってるくらいだ。苦しいのは小説や雑誌。今引っ張りだこの漫画家様がウェブトゥーンなんかやる必要どこにもないのだ。
…おや?そういえばウェブトゥーンには食うに困ったラノベ作家が原作者として大量に流入しているんだっけ?
日本の漫画は本屋に行けば読める。昔はこれが当たり前だった。今はどうだろう?みんなが自分のプラットフォームに読者を呼び込もうと、広告やSNSに大忙しだ。人気の漫画なら、僕ヤバのように勝手にトレンド入りするけどね。
ではウェブトゥーンの本場韓国では、ウェブトゥーンはどこで読めるのか。これがなんとPCでは「NAVER」などの大手ポータルサイトで読めてしまうのである。毎日のようにアクセスするトップページに「今日のウェブトゥーン」が並んでいたのだ。否が応にも目につく。あの頃は、誰もがPC房(韓国式ネットカフェ)の横長ディスプレイでマウスホイールをカリカリしながら読んだものだ。PC房でやる事といえば、スタークラフトかミニホムピかウェブトゥーンという時代。見開きの漫画は貸本屋か、違法ダウンロードで読むものだった。ちなみに「今日のウェブトゥーン」は、ドラマ「重版出来!」の韓国版リメイクのタイトルでもある。
さすがにスマホの時代になって、スマホ版では1段階深い階層に落ち着いてしまったけどね。もうすっかりアプリへの移住が定着したということだろう。その点Yahoo!Japanは頑張ってるな。
検索ポータルサイトのトップページからすぐ読むことができ、しかも各話にはコメント欄がついており、いいところで次週へ続くことを嘆いたり、推しの尊さに昇天したり、気に入らないヒロイン(「神之塔」のラヘルなどが嫌われキャラの代表格だろう)を叩いたりするファンらで賑わっている。
これって何かに構造が似てないか?はて…そう!おなじみ「ヤフコメ」である。
もはやまじめにニュースを読むためにヤフーニュースを読むという人もなかなかいないだろう。お目当てはあくまでコメント欄。ニュースをダシに、ああでもないこうでもないと雑談をするのが楽しいのである。
ウェブトゥーンは雑談の「お題」としてうまく機能している。盛り上がる仲間もいないのに、話のタネだけ投げて寄越されたってつまらないだけ。ウェブトゥーンは、井戸端会議の「井戸」なのだ。
「その井戸が日本では多すぎて客の取り合いになっている。ひとつに統一してほしい。ひとつの井戸でいろんな出版社の漫画をまとめて読めるのがピッコマやLINE漫画だった。だから成功したのだ。日本も韓国を見習え」
これは一部は確かに正しいだろう。しかし、乱立しているのは韓国だって同様である。NAVERウェブトゥーン、NAVERシリーズ(なぜふたつあるのか謎だが、たぶんこちらは完結作品がメインのようだ)、カカオウェブトゥーン、カカオページ(これもなんで分かれてるのか謎だが、たぶん元々ダウムウェブトゥーンを買収してできたサービスなのでその残滓か?)レジンコミックス、ポスタイプ、リディブックス等ざっと思いつくだけでもこれだけある。考えることは皆同じだ。
見開き漫画のゴールはどこだろう。憧れの雑誌に名を連ね、単行本が本屋に並び…その中でも、アニメ化はやはり別格だろう。鬼滅がアニメ化で化けたのは記憶に新しい。
さて韓国国内におけるウェブトゥーンのゴールといえば、それはもちろんNetflixドラマの原作であろう。しかもそれが全世界に配信される。実写しか勝たん。だって陽キャだもん。
では日本のウェブトゥーンはどこを目指せばいいのだろう?「韓国ではドラマ化されていますよ、世界進出ですよ」と夢を語るばかりで、具体的な目標が出てこないのだ。単行本化さえままならない。まさかかつての栄光を失った日本のドラマ制作会社に期待しているわけではあるまい。頑張ってコツコツ描いていれば、韓国からイケメンプロデューサーが来日してきて、Netflixで配信してくれるとでも言うのだろうか?
それはさすがにウェブトゥーンの読みすぎだろう。ちなみにSPY×FAMILYは見開き原作のアニメだが、全世界で配信されている。アニメならWIT STUDIOがウェブトゥーンやるらしいので、それに期待か。
ただひとつ思い当たるとしたら「ウェブトゥーンで注目を集めたのち、見開き漫画に転向する」パターンである。狙ったわけではないのだろうが実際に今「タテの国」の田中空が「ドラゴンの子」を、「氷の城壁」の阿賀沢紅茶が「正反対な君と僕」を連載している。なんとも夢のない話ではあるが、ウェブトゥーンというだけでも珍しい今、目立つための有効な戦術のひとつとして覚えておいて損はないだろう。なおどちらのウェブトゥーン作品も、単行本化は難しいようだ。ジャンプブランドをもってしてもである。
氷の城壁はともかく、タテの国は演出が縦型に特化しすぎており、本宮ひろ志「新グッドジョブ」のようにページを半分に分割するか(それでも入り切らないコマがありそうだが)、いっそゲーム(サウンドノベル)化でもしないとソフト化は困難だろう。結局縦ならではの演出なんて正直者が馬鹿を見るだけで、単純なコマ運びの方が単行本化=マネタイズしやすい。クソである。
じゃあなんで「あのジャンプの!Dr.STONEの!」Boichiの話ばっかで、尹仁完の説明が「知らんけどLINE漫画のCCOの人らしいよ」止まりなんだよ。尹仁完といったらあの「新暗行御史」だろうがっ!しかも公開されたイラスト、衣装のピタピタ具合とかどことなく山道ちゃんに似てるよね?
どうせDr.STONEも子供のクラスで流行ってたか何かで聞きかじっただけなんだろうな…。サンケンロックすら知らないんじゃねーの?少年誌では書けなかったバイオレンスとエロスの大爆発が期待できるけど。ほんっと金の話しかしねえのな…。
なんか、コロナで韓国行けないからか「ぼくの考えた最強の韓国」像が蔓延しててすごい怖い。そもそも「ウェブ」トゥーンなんだから検索すればすぐなんだが。
じゃあアニメ見せとけ。色ついてんぞ。大体ソースどこだよ。どの国のどの出版社のどの編集長のご意見なの?何時何分何秒?え、そこら辺の読者の感想?話にならない。でカラーにしたら飛ぶように売れたの?数字は?リクープした?
いやさ、読めよ。まず。面白いウェブトゥーンを夢中になって読めよ。毎日何本でも読めよ。そっからだろ。まさか読んだ事もないのに描こうとしてんの?サロンか何かで描かされてんの?ていうかさ、ジョジョ読んだ事ある?本当に興味がある人は、「興味ある」なんて言わねーんだよーッ!
お前みたいなめんどくさいオタクはターゲットじゃないんだよ。ウェブトゥーンの客層はそんな細かい事気にしてない。なんならカタカナ多すぎたら難しくて読めないしな。彼らは六本木クラスが日本の漫画だと思っているし、問題なく楽しんでいる。
っていうか昔から韓国では日本の漫画をがっつりローカライズしてたから惰性で続けてるだけだと思うけど…
韓国では確かにそう(一般名称)なんだけど、実は日本ではNAVERが商標登録しちゃってるんだよね…。だから「スマトゥーン」だの「タテスク」だの名称が乱立しちゃってるんだろうな。まじめなとこほど避けるだろうし…。
K-POPみたいな「みんなで一丸となってこの文化を盛り上げていこう!」っていうわかりやすい愛称がないと、なかなか広まっていかないと思う。こんな足の引っ張り合いみたいな事をやる界隈に、未来なんてねーわ。
あと韓国の特に若い人の場合はどんどんウェブトゥーンと漫画の境界が曖昧になってて、TwitterとかInstagramの横にスライドするひとコマ漫画でもウェブに載ってれば全部ウェブトゥーンでよくね?何が違うの?って人も普通にいる。何回も言うけど、東村みたいな自称詳しいおばさんじゃなくて現地の情報に当たれよなー。こんな増田をシコシコ読んでる時点で期待出来んが…。
それがウェブトゥーンも結構勝手にコピーされて翻訳されてロシアとかで大量に出回ってるらしいんだよなー。スクショ禁止だったりするけど完全じゃないんだろうね。ちょっと韓国のウェブトゥーン作者をウォッチしてたら「きちんとお金出して買いましょう!」みたいなツイート頻繁にしてる。どこも大変だのー。
な、ナンダッテー!!
…あ、あのさー。韓国ではもうウェブトゥーンが登場してからもう20年くらい経過してんだわ。
そんな漫画が読めない子供が増えてるだとか、全然売れないなんて話聞いた事がねーんだよ!!
というか学歴社会の韓国では子供に大量の学習マンガを買い与える風習があるよ。カラーだけど、普通に紙の本だよ。WHY?シリーズなんかは日本語訳もされてる。
むしろ先程も書いたようなウェブトゥーンアプリで韓国語に翻訳された日本の漫画がバラ売り課金でサクサク読めるんだわ!!
な?むしろウェブトゥーンに飽きた韓国人が昔の漫画を読むっていう好循環が生まれてるまであんの。ハングル読めないバカでもONE PIECEやSPY×FAMILYやH×Hくらい検索できまちゅよねー?怪しいおじさんに教えてもらわなくたって現地の評判わかんだろ?手に持ってるスマホは飾りか?
なんで遅れてるだの終わりだの言うくせに、「先進国」で実際に起きてる現象は都合の悪いところだけ隠して脅すような事ばかり言うんだろうね〜?あれれ〜?
うーん、なろうっぽくないウェブトゥーンも韓国にはたくさんあるんだな。ピッコマの社長が言ってたけど戦略的にジャンルを絞って翻訳してるだけで。フランスだのインドネシアだのあちこちに輸出してるみたいだけど、恐らく国によって「ウェブトゥーンって◯◯ばっかりだよね」というイメージは違うんじゃないか?
例えば、日本でいうコミックエッセイジャンルなんかはウェブトゥーンでも人気がある。ただただ一人暮らしを楽しむだけーとか、猫飼ってるだけー、作者がいろんな料理に挑戦するだけー、とか。そもそもウェブトゥーンの黎明期はそれらが主流だった。個人ブログに描いた絵日記のようなもの。つか、だから縦スクロールなんだわ。
あと、なろうっていうか韓国のなろう小説が原作だったりするのは本当。韓国にもなろうみたいな小説サイトがあるんだよね。これだけウェブトゥーンが普及してる韓国でもやっぱり文字で書かれた小説を読みたいってファンはたくさんいるし、ウェブトゥーン版から入って続きが気になるから原作小説を先に読んでしまうファンだってたくさんいる。いい循環が生まれてる。ってこの話さっきもしたな。
なろう系のウェブトゥーンはドラマ化も難しいしねー。職場のイケメン上司と契約結婚しますみたいなのは根強い人気。なろうっていうかハーレクインに近い?
うん、バレエがテーマの漫画も、高齢男性が主人公の漫画も、男性が女性的とされていることに挑戦する漫画も、ここに書ききれないくらい大量にあるけどね!
ドラマ化するのは珍しい?日本に勝った?じゃあ漫画業界ではなくドラマ業界が見る目ないんじゃね?バレエできる男性俳優も少ないだろうし。NHKの深夜とか結構変な漫画原作のドラマあったりするけどな。ああいうのをNetflixで配信してほしいもんだわ。
あとアイズナー賞って日本の漫画もたっくさん受賞してるからね。ノミネートされたのはすごい事だけど、そんな前人未到の快挙みたいに言われても正直困惑するわ。
でも漫画がアジア全体で盛り上がって、ライバルが増え、切磋琢磨できるのは本当に素晴らしいことだと思うよ。正直な気持ちだよ…。
これなんなんだ?多すぎ。マジで気持ち悪いんだが。文章に残すとなんか不都合なことでもあんのか?ほんとサロン界隈と親和性が高いっつーか…
疲れた…。
結局「いいからその世界を席巻しているバチクソ面白いウェブトゥーンとやらを屏風から出してくれよ!」の一言に尽きる。俺レベはつまんなかったから他のね!
以上!おわりっ
あー宝石の国楽しみだー
クソ映画見終わってから邦キチっぽくこきおろす時にどう糞だったのかを表現しやすくなる程度の結果にしかコミットしたことねえわ嘘吐氏猫大好(LIE・ZAP)。
でもクソ映画を見終わったときに語彙力皆無だったらと思うとちょっとしたB級ホラーだわ。
たとえばデビルマン見終わって「びっくりした。時間の無駄だった。原作が可愛そう」で終わったらそれこそ2時間分の自殺でしかないからな人生に虚無を与えたって意味において。
せめて「ジュノンボーイのクソ寒学芸会がまるでジャニーズ中心にくまれた憎まれた紅白の如くで国民的漫画にふさわしい国民的な映画だなって思わせてくれる。原作の型破りで冒涜的なシナリオの初読後感を再現せんと徹底的に原作を冒涜し尽くしながら嘘だろそんな展開に調理するのって驚きをどこまで続けてくれるサービス精神には俺がミシュランガイドなら思わず1つ星をプレゼントしたくなるわもちろんアマゾンのレビュー画面でだが。むしろこの映画自体が宵の一つ星行き先不明な迷えるjupiterファン憤慨間違いなし大炎上の9・18事件。人間の潜在的な残酷さによってデビルマンが破壊されること自体がメタ的な原作再現であり永井豪の墓を荒らして無理やり頭蓋骨にレクイエムを聞かせていて最高にバイオレンス電波ジャックでしたわ」ぐらい言えないなら本当あの映画を見たという人生の汚点を別のシミを上書きしてタイヨウの海賊団も出来ないわ。
母さんは死んでしまった。
病院から様態悪化の連絡があってから一緒に病院へ行ったね。死の二日前だった。
あなたは会いたいというより義務感から僕に付いてきたという感じだった。
前々から気になっていたんだ。
嫁いでもう50年だもんね。そりゃあ、実家にいたときとは違って当り前だよね。
顔を見ても誰だか分からなくなってしまった母に会ってもしょうがないから......
しょうがなくてもしょうがなくなくても、心配してしまうのが血縁というものじゃないの?
忙しくてもつい気になって会いたくなるのが身内というものじゃないの?
家に来るとあなたと母は大声でしゃべり合い、大声で笑い合ってた。
同じ町内だもの。嫁いでからもいつも実家に来て明るい性格な者同士でそりゃあにぎやかだったよね。
同居の義父母の世話は完璧だったのに。
毎日、病院へ行って本当の親子みたいに尽くしてた姿が脳裏にある。
でも、あなたは実母の世話は1年に2~3日でも多い方だった。
それも僕が頼んだ時だけ仕方なくという感じで。
実母の世話の優先順位がかなり下の方にあるのに気づいた時はショックだったのを覚えている。
何回も見損なったものだ。
そして見損なうたびにあなたとの心の距離は離れて行ってしまった。
取り返しのつかないくらいに。
でも、変わってはいけないもの、忘れてはいけないものがあると思うんだ。
でも、いい方向に変わりたいよね。
僕にとっての母は、自分の次に大切な人だった。
あなたにとっての母は、おそらく7番目か8番目に大切な人だったんだろうとは思う。
死を前にした母に対面するとき思ったんだ。
同じ温度差の人と一緒に対面しないとしらけると。
あなたは、衰弱してしまった母を見て、よそのおばさんでも見るようによそよそしかった。
そして、いよいよ危篤となったとき、あなたは電話に出なかった。
父の時もそうだったね。
そりゃあ、深夜にスマホで起こされて病院へ駆けつけるなんてしんどいさ。
そして電話があったら飛び起きて駆けつけない?
僕は、深夜、ひとりで母親の死と対面した。
父の時もそうだった。
(どうしてひとりかって?)
-----------------------------------------------------------------------------
姉は僕がゲイなのを知っている。
(親にもカミングアウトしたけど、なんかイマイチ理解できなくて困惑した。大正生まれだもんな。でも姉の世代なら理解できていると思ってたけど違った。
今後、あなたが結婚するかもしれないからとか訳のわからないことを言っていたね)
そして僕が母を一番大切な人だと思っているのも知っていると思う。
長女が死に、長男が死に、末っ子次男として生まれ、田舎の農家の跡取りとして大事に育てられたのにゲイで結婚できないという悪夢のような現実。
------------------------------------------------------------------------------
葬式の時、あなたは悲劇を一手に背負いながらも気丈に振る舞うという女優を演じきった。
仏壇のお花も四十九日の法要もご香典も誰かが見てる前では完璧に良い娘を演じきった。
でも、本当に大事なことはそういうことかしら?
本当に大切なことっていうのは、生きているうちにしないと意味がないのよ。
生きているうちにいっぱい会って、いっぱい話して(ボケててもいいから)、いっぱい介助しないと意味がないのよ。
死んでしまってからいくらお花を飾っても、いくら拝んでも、いくらお金を積んでもなんにもならないのよ。
でも、あなたはそのことを後悔しないのよね、たぶん。
忘れてはならない大切なものとして兄弟ふたりで共有していると勝手に思っていた。
でも違った。
そのことが残念でならない。
もらった愛情の半分も返せなかったけどね。
それが心残り。
ジ・エンド。
母さんは死んでしまった。
病院から様態悪化の連絡があってから一緒に病院へ行ったね。死の二日前だった。
あなたは会いたいというより義務感から僕に付いてきたという感じだった。
前々から気になっていたんだ。
嫁いでもう50年だもんね。そりゃあ、実家にいたときとは違って当り前だよね。
顔を見ても誰だか分からなくなってしまった母に会ってもしょうがないから......
しょうがなくてもしょうがなくなくても、心配してしまうのが血縁というものじゃないの?
忙しくてもつい気になって会いたくなるのが身内というものじゃないの?
家に来るとあなたと母は大声でしゃべり合い、大声で笑い合ってた。
同じ町内だもの。嫁いでからもいつも実家に来て明るい性格な者同士でそりゃあにぎやかだったよね。
同居の義父母の世話は完璧だったのに。
毎日、病院へ行って本当の親子みたいに尽くしてた姿が脳裏にある。
でも、あなたは実母の世話は1年に2~3日でも多い方だった。
それも僕が頼んだ時だけ仕方なくという感じで。
実母の世話の優先順位がかなり下の方にあるのに気づいた時はショックだったのを覚えている。
何回も見損なったものだ。
そして見損なうたびにあなたとの心の距離は離れて行ってしまった。
取り返しのつかないくらいに。
でも、変わってはいけないもの、忘れてはいけないものがあると思うんだ。
でも、いい方向に変わりたいよね。
僕にとっての母は、自分の次に大切な人だった。
あなたにとっての母は、おそらく7番目か8番目に大切な人だったんだろうとは思う。
死を前にした母に対面するとき思ったんだ。
同じ温度差の人と一緒に対面しないとしらけると。
あなたは、衰弱してしまった母を見て、よそのおばさんでも見るようによそよそしかった。
そして、いよいよ危篤となったとき、あなたは電話に出なかった。
父の時もそうだったね。
そりゃあ、深夜にスマホで起こされて病院へ駆けつけるなんてしんどいさ。
そして電話があったら飛び起きて駆けつけない?
僕は、深夜、ひとりで母親の死と対面した。
父の時もそうだった。
(どうしてひとりかって?)
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姉は僕がゲイなのを知っている。
(親にもカミングアウトしたけど、なんかイマイチ理解できなくて困惑した。大正生まれだもんな。でも姉の世代なら理解できていると思ってたけど違った。
今後、あなたが結婚するかもしれないからとか訳のわからないことを言っていたね)
そして僕が母を一番大切な人だと思っているのも知っていると思う。
長女が死に、長男が死に、末っ子次男として生まれ、田舎の農家の跡取りとして大事に育てられたのにゲイで結婚できないという悪夢のような現実。
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葬式の時、あなたは悲劇を一手に背負いながらも気丈に振る舞うという女優を演じきった。
仏壇のお花も四十九日の法要もご香典も誰かが見てる前では完璧に良い娘を演じきった。
でも、本当に大事なことはそういうことかしら?
本当に大切なことっていうのは、生きているうちにしないと意味がないのよ。
生きているうちにいっぱい会って、いっぱい話して(ボケててもいいから)、いっぱい介助しないと意味がないのよ。
死んでしまってからいくらお花を飾っても、いくら拝んでも、いくらお金を積んでもなんにもならないのよ。
でも、あなたはそのことを後悔しないのよね、たぶん。
忘れてはならない大切なものとして兄弟ふたりで共有していると勝手に思っていた。
でも違った。
そのことが残念でならない。
もらった愛情の半分も返せなかったけどね。
それが心残り。
ジ・エンド。
馳星周先生のデビュー作『不夜城』のシリーズ第二弾。ゴリゴリのノワール小説だが、某BLレビューサイトによれば、本作を読んでBL沼にハマったという姐様もおられるようだ。
私は確か二十年前に本作を一度読んだ記憶があるんだけれども、面白かったという感想だけが残り、内容はほとんど覚えていなかった。闇落ちした劉健一のクズさ最高潮ぶりはぼんやり記憶していたのだけれど。郭秋生のキャラがかなり立ってるのに存在ごと綺麗さっぱり忘れていた、私の記憶力は一体……。
ろくでなしの警察官崩れ滝沢と、凄腕の殺し屋郭秋生のダブル主人公で、物語は秋生視点と滝沢視点が交互となって進行する。
郭秋生は、楊偉民の子飼いの殺し屋だ。暗殺の依頼を請負い、秋生は一年ぶりに歌舞伎町に戻った。いつものように卒なく仕事を片付けた秋生。ところが、楊偉民はいつものように秋生に逃亡先を用意してはくれず、歌舞伎町に留まれと命じた。そればかりか、楊偉民は秋生を歌舞伎町を支配する二大勢力のうちの一つ、上海の老板・朱宏と引き合わせた。朱宏の情婦のボディーガードとして雇われる事になった秋生。いつもとは違う仕事に戸惑い、不安を覚える秋生だった。
その少し後、滝沢誠は彼のボスである北京の老板・崔虎に呼び出された。崔虎の直属の部下である四大天王の一人・張道明が殺されたという。おそらくプロの犯行だった。だが、張道明の居場所を知るものはいなかったはず。すなわち、内部に裏切り者がいて、プロを雇い張道明を暗殺させたに違いない。崔虎は滝沢に裏切り者を探せと命じた。
初恋に囚われ続ける美貌の殺し屋と、ろくでなしの変態サディスト元警官。交わることのないはずだった二人の運命が、交差しようとしていた。
BL描写のある面白い小説を読みたいと思ったらむしろBLレーベル外から探せって事で、二十年ぶりに手に取ってみた本作。何となく面白かったなという記憶しか残っていなかったのだけれども、いざ読んでみたら本当に面白い。ものすごいページターナーっぷり。次はどうなるんだろうと気になってしまい、つい夜更ししてまで読んでしまった。
一般レーベルでのBLっぽい作品ということだけど、お互いに相手に恋し合ってイチャイチャするっていう訳ではなかった。まあ、非BL作品なんだから当たり前だけれど。
しかし、滝沢が秋生に恋に落ちるシーンとか、秋生の声を聞く、秋生に視線を向けられる、秋生と会話をする……その時々の滝沢の反応がめっちゃ乙女チックなピュアラブさかげんで、エモいの通り越して面白かったなw 複雑に絡み合う欲と謀略、大陸にまで及びそうな意外にもスケールのデカい話、とか、最終的にはどうでも良くなって来るくらいの一方通行ラブロマンスだったー! なにこれ。ごめんなさい、こんな時どんな顔すればいいのか、わからないの……………。笑えば、いいと思うよ……………。
滝沢は秋生をどうしようもなく好きなんだけれども、秋生は「正直どうでもいい(早くリタイアして犬飼って暮らしたい」っていうスタンスを崩さない。っていう、無情感が最高すぎる。実に萌えた。滝沢が恋する乙女モードの目で見た秋生は本当にカッコよくて、つられて恋しそうになる。
が、秋生が史上最悪のピロートークをする場面(無論相手は滝沢ではない)で、「日本にいてわかったんだ。おれはホモにもてる」と断言したせいで、脳内に固まりつつあった秋生のイメージ画像に亀裂が入った。ちょ、ちょっとまって。滝沢の乙女チックな秋生描写と世間一般の日本人の乙女に好かれる美男子描写は大体一致すると思うけど、ゲイにモテるとなるとだいぶ違くなる気がする。一体、どのようにイメージを修正したらよいの!? 女にもゲイにもモテる優男とは、どんな風な奴のことを言うのだろうか……。例えば昔のケイン・コスギみたいな人とか? いやでもそれはマッチョ過ぎないだろうか。てか、ケイン・コスギのことなんて、十五年ぶりくらいに思い出したな、私。
かなり脱線してしまった。ともかく、ストーリー展開の面白さを楽しみつつ滝沢の純愛についニヤニヤしちゃう感じで、感動して泣いたりとかはしなかった。
商店街歩いてたら近くの小学校で立てこもり犯が出たぞーって騒ぎになって。銃持った警官がわらわら集まってきて道のそこら中に身構え始めて。
それに囲まれて「なに、なに?」ってなってるうちに「一般人は早く行って!」みたいに追い払われて移動。
「そうだな、犯人もまだ学校にいるし、危ないし、入るか」って思って入って。
でもちょっと犯人がいる場所観たいなって思って体育館の方に行ったらパトカー大量に集まってて体育館というよりかはでかい倉庫みたいなとこのシャッター開いてて銃撃戦になってた。
「よし、観たな」って思って校庭の方へ戻る。校庭はかなり広いというか、トラックの周囲に街路樹みたいの植えられてて代々木公園くらいの広さある感じ。
おいおい、どこまで続いてんだよこれって思いながら歩いてるとジョギングしてる人とか犬散歩してる人とすれ違う。
おもしれー、どんどん行ってみようって思って歩いてると、校長先生が話する台みたいなのの上にシャチョーが立ってる。
「しまった! シャチョーだ、見つかる!」って思うも、かなり弱ってる感じ。
よく観ると後頭部にぱっくりと穴が開いていて中身がない。裏側から眼球も観えている。もちろんそれ自体命に支障はなく、いつもどおりのシャチョーなのだが「ああ、かなり重い病気の治療痕だな・・」と思って複雑な想いに駆られ、その場を去る。
そこからさらに進むとなだらかな草原みたいな斜面ぽいところに出て。なんか牛っぽいのがいっぱいいた。
「わー牛放牧してんだ」って思ってよく観ると首がない。
首ないけどおとなしそうだな、セルルックだし、と思う。
そのままズンズン進むとBGMが悲しい感じになってきた。
「やば・・空気変わってる。ちょっとこれ、俺の為のレクイエムみたいになってるんだけど」って思うと、セルルックの首なし牛の大群がじわじわと自分との距離を縮めてくる。
あ・・ダメだ、なんか具体的な攻撃とかなさそうだけどこれ接触ダメージあるやつだし全力ダッシュしてもたぶん逃げられないって思いながら小走りしてると案の定囲まれてぎゅうぎゅう押されてしまった。
「外やばいよ」って言ってる。
「そうな、窓閉めよう」って言って窓閉めて白っぽい薄い透けるカーテンみたいなやつも一応しめておく。
そしたらすぐにお隣さんがそこにへばりついて中を見ようとしてきた。危ないところだ。
しかし本気を出されたら窓を割って侵入されてしまうだろう。まだ理性を保ってるみたいでそういう行動はしないみたいだが、時間の問題なのは分かる。
長居はできない。折を見て外に出るため、荷造りをする。そしたら懐かしいものがたくさん出てきてしばらくそれに見入ってしまった。
娘が、4歳の頃よく身に着けていたリュックを背負い外を眺めている。リュックは風化してボロボロだ。ちょっとでも引っ張れば肩のベルトが千切れそう。ピンクの生地も色あせてる。
5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。
・すぎやまこういち(1931年東京都生。作曲家。日本バックギャモン協会会長)
・植松伸夫(1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリーで活躍し、1986年スクウェア入社)
(要約)
すきやま:
だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、
あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。
ドラクエやると、やれCDブックだアニメだときて、レコードもブラスバージョンやエレクトーンバージョンやピアノバージョンが出て、
そうなると色んな出版社がピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。
植松:
すきやま:
どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね。
植松:
まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)
すきやま:
でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。
植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?
植松:
60近くはあるかもしれないですね。
すぎやま:
60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?
植松:
1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。
すぎやま:
働き者だなあ(笑)
植松:
曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。
すぎやま:
植松:
そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?
すぎやま:
そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。
その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。
でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。
植松:
作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。
そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。
だから作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、
自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。
30曲に抑えようとしたんですよ。IVのときもちょっと多いと思ったんです。
今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまいますね。
すぎやま:
僕も曲を絞り込むときは断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。
前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。
でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。
植松:
すきやま:
働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから、
それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。
スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。
植松:
今回そのアイルランドのリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れますと
ユーザーの意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)
別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。
以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンのときとかって難しいじゃないですか。
すぎやま:
ちょっとやりにくいよね。
植松:
いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位で民族音楽好きだから
入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。
先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、
すぎやま:
植松:
日本人だったら日本の音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。
日本に昔からある音楽が自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、
一度「雅楽(古来の宮廷音楽の総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製の管楽器)を習いに行ったことがあるんです。
そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、
ブライアン・イーノのシンセサイザーの音楽に近い印象があったんですよね。
すぎやま:
笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。
植松:
そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。
雅楽は朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、
逆にヨーロッパの民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。
自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、
最近は自分が日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。
すぎやま:
僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。
和風喫茶やレストラン、エアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。
アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人になっちゃうでしょう。
僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。
町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、
ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。
植松:
バッテンなんですよね。
すぎやま:
植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。
で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。
「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、
西洋音楽のエフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。
それは江戸時代の三味線や琴の音楽でしょっちゅうやってることなんだよな。
「ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、
そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代の音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。
あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。
で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。
植松:
ミとファの半音でメロディと伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。
自分でもああぶつかってるな、クラシックの音楽のテストなら絶対にバツだなと思っても、
その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。
すぎやま:
それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。
いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。
それが前後の関係や音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。
ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。
ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら
植松:
難しいですよね。音楽を学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。
どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。
小中学校を通して音楽というものを学校の教育に取り入れて100点取った人は偉い、
大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。
すぎやま:
音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、
植松:
すぎやま:
笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。
だからファイナルファンタジーとかドラゴンクエストの音楽というのは大事なんですよ。
植松:
ドラゴンクエストの音楽が好きになってコンサート行きますよね。
すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。
それはものすごい影響力だと思うんですよね。
子供がオーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。
そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。
すぎやま:
他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。
だから、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。
植松:
すぎやま:
しかし、いつもゲームの音楽作るときに、昔の大作曲家の作品聞くじゃない。
とてもかなわないなと思うことが多いね。
植松:
すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)
すぎやま:
昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。
チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。
植松:
チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。
すぎやま:
とんでもない大天才だよね、あの人は。
あの時代で20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションのうまいこと。
植松:
この前、西田敏行がロシアに行ってチャイコフスキーの足跡を辿るという番組をテレビでやってたんですよ。
僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーはホモであるというのを聞いて、
「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)
すきやま:
その良かったというのはどういう意味なの?
植松:
チャイコフスキーも人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。
すきやま:
モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。
植松:
チャイコフスキーにしろモーツァルトにしろ、メロディが非常にわかりやすいんですよね。
クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。
すきやま:
ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。
植松:
すぎやま:
植松:
だからドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。
すぎやま:
ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。
他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)
植松:
すきやま:
だからそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。
吟遊詩人がマップの中のトルコやアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、
それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。
植松:
すぎやま:
増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。
植松:
一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。
どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。
すぎやま:
植松:
すぎやま:
ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。
植松:
いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。
すぎやま:
でもなんかすごく多い気がしたな。
植松:
実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。
すぎやま:
チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。
植松:
あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。
すぎやま:
植松:
ヘタクソなやつが最後はコンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、
最初はメトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後はドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、
あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。
すぎやま:
グリークとかチャイコフスキーのピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。
植松:
そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。
すぎやま:
植松:
息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。
すぎやま:
作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから。植松さんはドラクエは上がったの?
植松:
実は最後のダンジョンの手前でFFVのアレンジCDの仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。
すぎやま:
上がってないの!?
植松:
今日までに終わらせるつもりだったんですけど。
すぎやま:
僕は対談頼まれたときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、
元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。
途中でやんなっちゃうゲームだと上がれないけど、やってて楽しかったから相当寝不足になりましたよ。
植松:
今回はアマチュアの勝利ですかね。スクウェアのメンツって、単独で独立して音楽で食っていけるか、
絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。
すぎやま:
植松:
いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。
すぎやま:
ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。
植松:
結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。
そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。
全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。
そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。
そういうことが5のチームには無かったんですよ。
とにかく最後の最後まで、〆切のマスターを任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、
そこらへんの適当なプロの人を集めて作っても、ああいう気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。
今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、
終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。
すぎやま:
結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、
好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。
植松: