はてなキーワード: コメディアンとは
上岡龍太郎の漫談を聞いていても分かる通り、普通の人が聞いても「何言ってんだこのおっさん」から入らなければならない彼の演芸は、ダイナミックさで矮小さを誤魔化して潜在的に世界を侮らせる現代芸能界の風潮とは合わなかったのだろう、と思う。
タモリなどはそこら辺が上手くて、プレイヤーではなくコンダクターだったりバンドマスターとしてたまにチロッと指揮棒を見せたりエセピアノを弾いたりして場の雰囲気をコントロールしていた。
上岡龍太郎は話芸に特化していた。
話芸に特化していたからこそ、途中でその限界に達した。結局、緊張と緩和にしろ、守破離、起承転結にしろ、忙しくない読者がいないと役に立たない技術だった。
#Shorts動画がそうであるように、一分以内に型をつけなければならないのが現代のエンターテイメントだ。
だから、彼が辞めた後に彼の漫談を聞き流しながら作業する方々は多い。
現代の芸人とタメを張れるぐらい愉快な言葉を話していた気もするけれど、実は書いてる最中で思い出せなくなるぐらい薄っぺらな話で、だから、それこそがコメディアンとしての彼の話芸の極地なんだろうな、と思った。
いいじゃないか、その時はナンバーワンだとタメを張れると思えていても。
どうせ、あなたが思い出せないぐらい下らない話を丁寧に丁寧に聞かされて、そして面白かったなぁと思いながら薄ぼらけた意識のまま劇場からバラエティから帰っていくのだから。
なるほど、なんて小さな豊かさを持って帰らせてくれるのだろう。
現代では監視社会に差し掛かっていて、鬱陶しがられてるやつは記録も遡られてそいつの不正を徹底的に否定される状態ではある。
それがいつ発生するかもわからなかったりするのもしんどい部分だ。
こんな時代に、あのハッタリによって作られた小さく記憶も不確かな豊かさがあったことを忘れずに生きるのは大事なことなのかもしれない。
結局ここまで書いたこともそれっぽく整えて、それっぽく書いて、それっぽく見せただけのものなのだし
合掌
マッカーシー新米下院議長は就任後すぐに台湾訪問を表明し、反中勢力を設立して米国内で両党が激しく争っていると言える。郭文貴氏の努力の目的は何ですか? マッカーシー氏が台湾を訪問すると聞いて、郭文貴氏は興奮し、生放送でまるで米国と中国を掌握しているかのように明晰かつ論理的に話し、その表情と姿勢は本当に人々を笑わせた。 彼が優れたコメディアンであると言っても、私は何の疑いもありません。
朝のドラマの関係で毎朝のようにTwitterで話題になるということから牧野富太郎博士についてしらべてしまった。その関係で池長という牧野の援助者が神戸出身であることもしった。
その息子さんってのが池長潤さんで、この人は元大司教。神戸出身で大司教ってことは・・・とおもって、しらべたら、やはり中学高校の先輩だった。同窓会からの情報については時々
目を通しているが、この大司教さんのことについては知らなかった。OBといえば、(中途退学だが)有名なコメディアンが関係者にいて、その人のインパクトが凄すぎるのだ!!
すこしまえ、妻子を同窓会につれていった。KOの付属中学出身の親戚がいるらしく類似性を指摘していた。お坊ちゃま学校のOBってどこでもそんな感じなのかな。そんな感想をのこしていた。
こういうの本当に好きで、ポリコレバトルで「弱さ」こそが公金補助を引き出せる時代になると、コメディアンもアスリートも自分の持つ中で最弱の属性を看板に掲げるようになる。
その風潮の中で、人生の欲しいもののうち9割以上を手に入れてきた令和結婚難過疎化少子化時代の共働き都心部既婚富裕層が、なお満足できず贅沢品である子どもの補助もフルでゲットするために、子どもは弱い、ワーキングマザーは弱いと、弱さを掲げて社会に対する責めの姿勢に転じる。
それを見ると弱者男性に弱者度0点、貧困ママにすら弱者度20点前後を施してきた泉や福島や岸田や志位ら一同も、さすがに共働き都心部既婚富裕層ワーキングマザーには満場一致で弱者度100点満点をつけざるをえない。
ウィル・スミスに殴られた事件で「なんでその場でやり返さなかったんだ?」と聞かれて
クリス・ロックは「親の教育があったからだ」と答え、さらにこう追加した。
「親になんて教わったかって?白人の前でケンカをするなって教わったんだ」
会場大爆笑。
ウィル・スミスの件で増田でもちょいちょい「やっぱ黒人って暴力的なクソだわ」みたいな意見が出てた。
そのカウンターとして、ただウィル・スミスの暴力性を責めたり、やり返さなかった自分を讃えるじゃなく
立場が上の奴らが一方的にイメージを押し付けてくることに対するアイロニーとしても気が利いてる。
ザ・アメリカンジョークって感じでこの落とし方は本当にすごいと思う。
①何も考えていない
②他人と違うことを言いたい
③ネットDE真実に目覚めた
⑮石油が高くなったのはウクライナが早く負けないせいだと思っている
⑲ロケットを飛ばしている国はエライので最優先されるべきだと思っている
㉓ウクライナはすぐに負けると行ってしまったので自分のプライドのためにも早く負けて欲しい
㉘ジャベリンに親を殺された
㉙ドローンに親を殺された
㉜プラハの春等の被害にあっておりウクライナだけ助かるのが許せない
㉞強者に抵抗して返り討ちにあった過去がありウクライナは助けてもらっているのが許せない
㊱ウクライナという国を純粋に見下しておりロシアに逆らうのを生意気だと考えている
㊲嫌いな人間がウクライナの応援をしているので反対意見を言っている
㊳この状況でのウクライナアンチが一般的な会話における何気ない反対意見と同程度のものだと勘違いしている
㊴ニュースにウクライナが出るのに飽き飽きしておりとにかく戦争が早く終わって欲しいがロシアが諦めるとは思えないのでウクライナの降伏を望んでいる
あーもう無理これ以上は俺の頭がおかしくなる。
とりまこの辺か?
まあ複合的ではありそうだな。
冷戦を終結させ核戦争の恐怖から逃れた人類が祝砲とともに迎えた21世紀が、よもや侵略戦争とそれに伴う核戦争の懸念に飲み込まれるとは誰が予想したであろうか。ここに至る経緯は長く複雑であって一冊の書物にさえ収まりきらないものではあるが、それが世に出るころには世間の関心は賞味期限切れを起こしていると思われるので、ここにその一部を記そうと思う。
そもそも、ウラジーミル・プーチンがウクライナの併合をもくろむようになったのはいつのことだろうか。すなわち、民族的ロシア人の保護というロシア社会における要求に甘んじず、かつてのロシア帝国的な全スラブ民族の庇護者というアイデンティティを確立し、ウクライナをロシアの範疇とするべく模索を始めたのはいつのことだろうか。これは遅くとも2019年にはその転換は生まれていると考えられる。冷戦の勝者であったはずのアメリカはトランプ政権の下で国際的な威信を低下させ、アラブの春以降に生まれた膨大な中東難民はヨーロッパ社会を疲弊させた。東に目を向ければ2008年の中露国境問題の解決をもって後顧の憂いを絶ち、和平条約こそ結べないもののクリミア危機をもってしてもなお対露宥和政策を維持する日本を見る限り不安要因とはなりえない状況であった。そして、ウクライナにおいてさえ、2019年の大統領選挙では対露強硬派のポロシェンコが敗退し、政治的には素人のコメディアン出身でウクライナ語さえ満足に話せないゼレンスキーが対露宥和政策を掲げて当選するに至ったのである。むしろこの時にこそ、プーチンがミンスク合意を超えたウクライナの併合という天啓を得たとしてもおかしくはない。彼の帝国に、およそ実現不可能な侵略戦争の妄執を諫める官衙が無かったことが、世界の悲劇であった。
ロシア軍の当初の作戦は様々な面で事前の調査検討が不十分なものであった。もとより実現可能性も実効性もない目標を大真面目に検討しろと言う方が無理であろう。とはいえ、杜撰な侵略作戦はいかにして作られたのだろうか。これにはおよそ二つの側面がある。一つは、計画立案の手間を惜しんで集団安全保障条約(CSTO)加盟国内で政変が起きた際の介入計画を下敷きにしている面。もう一つは、プーチン個人が気に入るであろう要素を加えることで、彼個人が満足するように作られている面である。このため、作戦計画はもとより無理のある要求に非現実的な企画で回答するという悪循環の産物と化しており、2022年2月の史上稀に見る大失敗に至るのは当然のことであった。
プーチンはこれまでに2回、親露派内閣の救援に失敗している。ブルドーザー革命で当時ユーゴスラヴィア大統領であったミロシェビッチを保護できず、またマイダン革命でもヤヌコヴィッチ内閣を支え切れなかった。これを踏まえ、CSTO加盟国内で政変が起きた際の対応計画は、かなり真面目に練られていた。そのうちの一つが開戦劈頭のアントノフ空港攻略作戦の原型になっている。原型となった計画では、クーデターなどによって親露派政府が打倒されそうになった場合、ロシア空挺軍部隊が首都近郊の空港を制圧して先行する特殊部隊とともに政府首脳部を保護し、これを空挺堡として首都や周辺の主要都市と軍事拠点を順次制圧していくという展開を想定している。
実際、ウクライナ侵攻の直前に起きたカザフスタン政変ではトカエフの要請を受けてロシア空挺軍によるアルマトイ国際空港を中心とした展開が行われており、一方の権力を奪われたナザルバエフは隣国キルギスに脱出し、カント空軍基地でプーチンが政権奪還を支援してくれるものと待ちわびていた。権力闘争の結果は周知のとおりだが、仮にトカエフがより反露的な人物であれば結果は違っていたかもしれない。
ウクライナ侵攻計画においても、親露派大統領に対するNATO とりわけアメリカ主導のクーデターが発生した際の対応計画を元に、少数の特殊部隊と大規模な空挺軍を利用したアントノフ空港の制圧とこれを拠点としたキエフ制圧計画が立案されていた。この作戦の致命的な欠陥として、クーデターであれば存在していたはずのウクライナ国内の親露派有力者、とりわけウクライナ軍部隊やウクライナ保安庁内の協力者からの援護が十分に期待できない点が挙げられる。計画上は確かに彼らが侵攻開始と同時に蜂起する想定になっていたのだが、ウクライナ国内の親露派の多くはロシア軍の本格侵攻を信じてはおらず、投下された膨大な準備資金は個人的な利益に帰してしまった。さらに、開戦直前に至るまでアメリカによる情報公開攻勢が行われたため、ウクライナ国内の親露派との連絡調整を職掌に収めていたロシアFSB第五局は情報漏洩を恐れて正確な開戦日時を伝達せず、結果的に2月24日は(開戦日は教えてもらえると思い込んでいた)親露派に対する奇襲となってしまった。この、事前連絡のない開戦とロシアによる一方的な協力への期待は、数字としては出ていないが、民族的ロシア人あるいは経済的恩恵といったものを背景とした親露派の翻意を大いに促し、以後のロシア軍を大いに苦しめることとなる。
また、本来であれば、制空権の確保と空挺堡の構築、地上部隊の侵攻は十分に連携の取れたものでなければならない。しかし、ロシア政府内では侵攻作戦がプーチンの「お戯れ」であるとみなされていたため、作戦計画の内プーチンが喜びそうな内容、具体的には前述のアントノフ空港への奇襲といった派手な作戦やウクライナ全土制圧後のロシアへの併合宣言といったハイライトのみが詳細に検討され、それ以外の点については何ら考えられてこなかった。例えば、アントノフ空港を制圧した空挺軍部隊と合流するためにベラルーシから地上侵攻を行う必要があるが、チェルノブイリ原発周辺の森林地帯を通過する際の計画は東部軍管区のある若手士官に図上演習の課題として丸投げされ、提出された素案を元に別の将校が大規模演習の名目で具体的な計画に起こしていたことがわかっている。想定された場所以外では戦闘や妨害が起こらず、また演習名目であったために部隊の移動は迅速に進むという前提で計画が確定してしまったことが、キエフの戦いにおいて裏目に出てしまった。同様にロシア海空軍も、地上軍との連携が乏しく長期の作戦計画が立案されていないなど、全面戦争を想定したものとは到底言いがたい状況であったのには、このような背景があったのだと見られている。
開戦前年にもロシア軍はクリミア半島などにおいて大規模な動員訓練を行っていたが、プーチンが本気であると知らない者には、これら人員物資の集積はあくまでウクライナおよびNATO に対する威嚇として理解されていた。事情を知る者は当初計画があまりに楽観的であることに懸念を示していたものの、FSB第5局の人員の多くは親露派ウクライナ人の協力が当然あるとして疑わなかったし、またある者はプーチンが本気でウクライナ侵攻を計画していると認識していなかった。何より、プーチン本人が自分に気に入られるべく作られた即興の作戦計画を「狙い通りに」気に入ってしまった。平たく言うと、ロシア軍としては侵攻計画の前提となる環境整備は対外諜報活動を所管するFSB が行うことが大前提であり、しかしFSBはその軍事侵攻に十全な準備をできていなかったのである。本来なされるべき長期的な見通しの欠如は、未だにロシア軍を苦しめている。
もう一方のウクライナ側の防衛計画についてはどのようなものだったろうか。戦前、ウクライナ政府および軍が想定していたロシア軍の侵攻計画は以下のようなものであった。まず、ドネツク・ルガンスク両人民共和国(D/LNR)との停戦ラインにおいて大規模な衝突を起こす。これを受けてロシア政府はウクライナ政府に即時の停戦と撤退を要求する。ウクライナ政府が拒否した場合「ウクライナ軍による民族浄化作戦からのロシア系住民の保護」を名目にロシア軍による大規模な空爆を行う。空爆によってウクライナ政府が降伏しない場合、地上軍による侵攻を行い、かつてノヴォロシアと呼ばれていた民族的ロシア人の多い地域を制圧する。これらの地域はD/LNR と同様にウクライナ国内の(EU やNATOへの加盟を拒否できる)自治州として温存し、長期的にはこれらを通じてウクライナを間接的に支配する。このプロットは明らかにコソボ紛争における欧米の介入の経過をなぞったものだが、ウクライナ軍はプーチンの個人的な欲求からNATOに対する当てつけとしてこのような展開を望むと考えていた。ロシアが率先してウクライナに侵攻するのではなくD/LNR が優位な戦況を作り支配地域を広げる体裁をとることが国際的な批判を回避する方策であるため、国際社会による仲裁を拒否し民族浄化を続けるウクライナへの懲罰的攻撃という方便を生み出すよう布石を打っていくのである。前提として、ウクライナ国内でクーデターのような政変が無く、ロシア側からエスカレートを仕掛ける場合を想定すると、このような順で進むと想定するのは合理的である。
問題はこれがどの程度のスピードで進むかであるが、ウクライナ軍の想定ではコソボ空爆と同様に開戦から地上侵攻まで最大3か月程度の時間的猶予があると考えていたようである。今を思えばのんびりした想定であるが、ロシア陸軍の各部隊は徴集兵を少なからず含んでおり、これらは法律上ウクライナへ派兵できないため、全面的な戦争を始めるには予備役の招集と訓練が必要であると見られていた。したがって部隊の充足率を高めるのに必要な時間がある程度は期待できたのである。このタイムラグの間は空爆とドネツク・ルガンスク両州が主な戦場となる。そこで、ウクライナ軍としては東部に陸軍の主力を集中させてD/LNRとの停戦ラインを堅持することで大きな損害を与え、ロシア軍本体が参戦するまでに東部戦線を安定化、あわよくば地上侵攻を思いとどまらせるという方針が定まっていた。また、この時、クリミア半島やベルゴロド州からロシア軍が侵攻してくることが考えられたが、ここは動員した予備役や領土防衛隊で国境線を維持することとされた。長期的な見通しはさておき、ウクライナ軍にとって主眼はあくまで東部戦線であり、停戦ラインから20km の範囲で多数の陣地構築を行っている。隣接するヘルソン、ザポリージャ、ハリコフの各州での陣地構築は開戦後住民の避難と並行して行う予定であったと考えられる。
もし、開戦に先立ちウクライナ軍が上述の想定の元東部戦線への戦力の集中を行っていた場合、図らずもがら空きのキエフへロシア空挺軍が殺到していたことになる。では、ウクライナ軍はどこで引き返したのか。最も有力な説は2月21日のロシアによるD/LNRの独立承認の直後であろうというものである。前述のような経過をたどるには、D/LNR がウクライナの一部という立場のままロシアがミンスク合意の履行を強制する状況になければならない。両地域の独立を承認してしまった場合、D/LNR や民族的ロシア人が優位な支配地域を中心とした間接的なウクライナ支配という筋書きと整合しなくなる。また、東部戦線におけるD/LNR の攻勢が想定よりもだいぶ弱く、ロシア軍が両地域へ展開している部隊数も想定をかなり下回っていることから、ウクライナ軍では当初想定とは異なる侵攻計画がある可能性を認めざるを得なくなった。この時、米国からの情報によればロシア軍の侵攻計画は長大な国境線での一斉攻撃であった。残念ながら、ロシア軍が主体的に全面侵攻を仕掛けるという情報をウクライナ軍は信じることができず、さりとて東部戦線へ部隊を急派する必要もない状況を踏まえ、ウクライナ軍は部隊移動を取りやめ、部隊位置を秘匿したうえで数日待機、すなわち様子見することとした模様である。結果的に、キエフ周辺には開戦直後のホストメリ空港を一時的にせよ防衛するのに十分な戦力が残っており、第一機甲旅団はチェルニゴフ州でドニエプル川左岸を防衛することができた。一方で、南部においては部隊移動が混乱をきたしてしまい、クリミア半島との境界に当たるペレコープ地峡からメリトポリ付近に至る広い範囲で守備部隊のいない状況となってしまった。もしこの地域を担任する部隊が移動前であったならば、事前準備の不徹底なロシア軍の南部からの攻勢すら頓挫していた可能性がある。
『この世界の片隅に』:日本の新しい名匠、竹内涼真監督の作品で、優しい物語と美しい映像が魅力。
『おっさんずラブ』:人気コメディアンたちが出演する、楽しいラブコメディ。
『おおかみこどもの雨と雪』:宮崎駿監督の作品で、感動的な物語と美しい映像が魅力。
『ハリー・ポッターと賢者の石』:世界的に大人気のファンタジー映画。
『トコトン』:毎回異なるテーマを扱い、見事な演技で話題をさらう、本格派推理ドラマ。
『ラストサマー』:夏の終わりに、4人の少年少女たちが巻き起こす、恋と友情の物語。
『となりの怪物くん』:自閉症スペクトラムの主人公が、自分らしさを追求する姿を描く、感動的な作品。
めちゃくちゃじゃねーか!
アカデミー賞でウィル・スミスが妻(ジェイダ・ピンケット)の病気の件を馬鹿にされ、プレゼンターのクリス・ロックをビンタした件。
暴力が駄目なのは解る。暴力でやり返さなかったクリスが立派なのもわかる。
でも結果ウィルが処分を受け、クリスがお咎めなしで終わったの納得いかない。
ウィル・スミスがビンタした件、日米で温度差があるのは何故なのか? アメリカ人記者に聞いてみた | ロケットニュース24
rocketnews24.com/2022/03/30/1616848/
日本に伝わりづらい「ウィル・スミスがビンタした件」について / アメリカ在住日本人の話が目からウロコだった | ロケットニュース24
rocketnews24.com/2022/03/31/1617141/
でも、過去には世界的な晴れ舞台、グラミー賞の授賞式でスティービー・ワンダーの身体の件を馬鹿にしたアンディ・ウィリアムス、数年に亘って司会を務めてきたが次の年に降ろされた。
グラミー賞秘話~こんなことあったの知ってます? | 侍ヤンキースのブログ
ameblo.jp/samurai-yankees/entry-10205069373.html
1977年の第19回のグラミー賞のホスト~アンディ・ウィリアムス
その年のグラミー賞の目玉の一つは受賞式の当日、ナイジェリアにいて当時としては珍しい衛星中継で演奏を披露する予定のスティービー・ワンダー
しかし、本番中にアクシデントが起った。当時の衛星中継の技術がイマイチだったので「Sir Duke(愛するデューク)」を歌い始めたスティービーの映像や音声が乱れ、途切れ途切れに
で、その時、司会をしていたアンディ・ウィリアムス。~彼がふざけた感じでこんなことを言ってしまったのだ。盲目のスティービーに対し
「Stevie, can you see us now?(スティービー。今、僕らが見えるかい?)」
勿論、その言葉は顰蹙を買い、翌年からグラミー賞のホストはジョン・デンバーに代わった。アンディ・ウィリアムスはその後、謝罪のコメントを発表している。
Grammy TV Show Is Smooth but a Bit Silly - The New York Times
www.nytimes.com/1977/02/21/archives/grammy-tv-show-is-smooth-but-a-bit-silly.html
“The 19th Annual Grammy Awards” have been concocted for the recording industry. The production was flawed with technical difficulties, most notably in an elaborate and expensive live‐via‐satellite transmission of Stevie Wonder from Nigeria.
The picture came through well enough, but the sound was thoroughly garbled. Instead of quickly abandoning the project, the producers kept going back to Mr. Wonder in an apparent bid to recoup part of their satellite investment. A flustered Andy,,Williams. the slick host for the affair, found himself asking the blind singercomposer, “If you can't hear me can you see me?” Mr. Williams recovered with a rapid apology.
note.com/nipponcontext/n/nda946921b305
スタンドアップコメディアンは、アメリカ社会唯一の例外として「何を言ってもいい」という特権が認められている。たとえそれが差別的な言辞であっても
コメディアンならTPO問わずどんな場面でも他人の身体を馬鹿にしてOKなの?
コメディアン自身の舞台でなら許される、ってならまだまあ理解できなくもないが。
世界的にも注目される晴れ舞台、米国スーパーボウルのハーフタイムショーに於いて出演するラッパーはダーティな言葉を差し替えてる、TPOを考慮して。
Dr. Dre, Snoop Dogg, Eminem, Mary J. Blige, Kendrick Lamar & 50 Cent FULL Pepsi SB LVI Halftime Show
youtu.be/gdsUKphmB3Y?t=424
https://togetter.com/li/1869089
こういうまとめ見ててもさあ、単純に「ロシアは蛮族なんだ、野蛮なんだ、おかしな連中なんだ」(=自分達は正しく西欧側・自由民主主義側の枠内にいられるんだ)みたいなコメントばっかり出回ってるわけだけど
西欧・自由民主主義側が絶対に正義で疑ったりしてはいけないことになってるのか、なぜ自分が安心できてるのか(ロシア人・〇〇人はそういうもんだって嫌韓の焼き直しみたいなことをいえるのか)、そこまで踏み込んで考える奴全然いないよね
別にロシア万歳!ロシアの戦争正義!とか、大日本帝国万歳!アメリカ倒せ!みたいなことを言いたいわけじゃなくて(ロシア国内で今「何でロシアの戦争が正義なの?なんで俺達が徴集されなきゃいけないの?」と思ってる人は大勢いるだろうし)
もうみんな忘れてるだろうけど数か月前にアカデミー賞の式典でウィル・スミスが妻を侮辱したコメディアンを殴った時の日米の反応の差の時(反応差があること自体が悪い、みたいな)も思ってたし、前々から機会があればずっと思ってたんだけど
何でそう、何か「日本」という国名が付いてるだけで後の中身はヨーロッパや北米のごく一部からしか発していない風習に染まり切らなきゃいけないのか、それがごく当然の事となってんのか、全然分んないんだよな
「今、そうなってるから」「今それで発展してるから」ってのは追認とか気休めであって説明じゃないよな
西欧諸国もアメリカもある時点までは海外に力で自分達の力を押し付けまくって(戦前日本もその列に加わったり、都合が悪くなると看板替えて「大東亜共栄圏」とか言ったりして)た時期があって、別にその時点で「自由民主主義」が正義だった事は無いわけで
そんである時点から「なんか力ばっかり押し付けるのは止めにしたることにしたわ、ウチの若いもんも死にまくるし評判悪いから」ってなって一応西欧の一部諸国が勝手に体面だけ取り繕うようになっただけだよな
(旧植民地はそれに感謝しないといけなくて、感謝しなかった国は解放時に事務机まで取っ払われないといけなかった)
枝末になるけど別に「アメリカやイギリスの自由民主主義」が無くても中国も日本も世俗的には発展してたし、独自の政治参加や人命尊重の概念は発展させてたし、アメリカインディアンはアメリカ独立やフランス革命と何ら関係なく自前の高度な民主主義を持っていたわけで
そんで侵略とかは一応しなくなった後も、「アメリカでは親は子どもと同じお風呂に入りません!」(までならともかく)→「同じお風呂に入る日本は野蛮!」みたいなバカみたいな文化の解釈と押し付け(宮城遥拝の押し付けと変わらん)を官民一体でしてくる訳だろ
(あとこういう時に引合いに出される「アメリカ」ってごく一部のWASP・セレブのものであって絶対にインディアンやラテンや黒人や混血の文化なんて参照されないよな)
相対主義って最近叩かれがちだけど、それも程度問題で、何でここまで卑屈とすら言えるレベル(しかも「前からロシア人は気にくわなかったんだ」みたいなスネオ精神丸出し)で自分の境遇に満足したり疑いを持たなくなるのかを考えると、
リンディ栄養学 (Lindy nutrition) とは、「リンディ効果」と呼ばれる法則に端を発した栄養学。リンディダイエットとも呼ばれる。
古くから受け入れられてきた知識や習慣はそう簡単には途切れないということは、誰しもが経験的に知っている。そこには、長く使われれば使われるほど、つまり長生きすればするほど寿命が伸びていくという一種のパラドックスが生じているわけだが、これを科学的に説明したものがリンディ効果である。
リンディという名称はニューヨークにあるリンディーズという飲食店が元になっている。そこでは、毎晩コメディアンたちが集まり公演したステージの反省会を行っていたのだが、その会話の中でリンディ効果の原型とも言える仮説が生み出されたという。その後、大学教授によって現在の形に洗練されたこの法則は、リンディダイエットの提唱者であるPaul Skallas氏の手によって食事、健康、運動などあらゆる分野に応用され、一種のライフスタイルへと昇華された。
リンディダイエットの根幹にあるのは「時間こそが最も優れた判断基準」という思想であり、時間という試練に耐え、古来から生き延びてきた食生活ほど健康上の利点が保証されるとしている。リンディ効果に照らせば、そのような伝統的な食生活は今後も長きに渡って存続することが予想される。これはSkallas氏によれば、人間の消化器官は昔ながらの食生活に適応しているためであり、人間が慣れ親しんでいない加工食品が消費の中心となった西洋社会では、心臓病や糖尿病の罹患率が高まっているという。そのような訳でSkallas氏は、過去500年以内に発明された食べ物や飲み物を口にしないよう勧めている。
Skallas氏によれば、最もリンディな飲み物の一つには「紅茶」があるという。数千年の起源を持つ紅茶は、「ディープ・リンディ」な飲み物なのだ。一方で、コーヒーについては、「比較的新しいが、400年という時間のふるいにかけられたものであり、恐らく身体にも悪くないでしょう」と語っている。
また、20世紀に発明された紙巻きタバコはリンディではないため、リンディな形で喫煙したい人にはパイプタバコが勧められている。運動についても、現代的なエクササイズマシンではなく、ギリシャ神話に描かれたようなシンプルなウェイトリフティングこそがリンディな運動の仕方である。Skallas氏によれば、「ボディビルカルチャーは近代によって生み出されたグロテスクなサブカルチャー」であり、「運動の目的は筋肉増強ではなく、体の中で関わり合っている様々な仕組みの調整にある」のだという。
Skallas氏は、ヨガについても懐疑的な目を向けている。というのも、現代のアメリカ人が行っているヨガは20世紀に発明されたものだからだ。「ヨガは体に良いのか悪いのか、それはわかりません」「リンディは『それをするな』とは言わない。『何が起こるかわからない』と言うのです」
「ビデオゲームは?」
「リンディではないですね」
「大人のおもちゃは?」
「あちこちで犯罪を犯したり虐待する金持ち?とてもリンディです!」
エプスタインの例が示すように、リンディは道徳的な基準を内包しない。それが良いものであれ悪いものであれ、古来から連綿と続いてきたという事実には重要な本質が隠されているということをリンディは教えてくれるのだ。「人間の本質は変わりません」「古代の人々は人間の身体や行動について深く研究していましたが、それらは今でも有用です」
リンディ・ドリンクやリンディ・エクササイズなど様々な造語を作ってきたSkallas氏だが、隔離生活の閉塞感から逃れるために考案した「リンディ・ウォーク」は、中でも最も注目を集めていると言えるかもしれない。
「基本的にはただ散歩するという意味です」とSkallas氏は語る。「でも、多くの古代文化でも散歩は重要な伝統として扱われているでしょう。例えばキリスト教には『安息日の道のり』があります。ギリシャではヴォルタと呼ばれていて、イタリアにも同様の文化がある。これはただ歩くという目的のために歩いているだけなんです」
リンディ・ウォークでは、A地点からB地点へ真っ直ぐ向かうのではなく、目的地を決めず、手当たり次第に曲がることで心を刺激することが推奨されている。「歩いていたら面白いことが起きました。アイデアの波が次々と押し寄せてきたんです。考えようとしたわけでも何かを思いつこうとしたでもないのに、ただ現れてきた。魔法みたいにね」
現在ではSNSを中心にカルトな人気を集めており、大勢の人がリンディ・ウォークの最中に撮った写真をシェアしている。また、Skallas氏のツイッターアカウントも5万人を超えるフォロワーを擁しており、リンディの人気の高さが窺える。
Skallas氏は、リンディが人気を博した一因にはパンデミックの影響があったと推察している。氏によれば、これまで私たちは、人間を「不可侵の存在」だと捉えて楽観視していたところがあったのではないかという。しかし、パンデミックによって歴史上の出来事に過ぎなかった古代の大規模な危機が生じたことで、世界に対する人々の認識が一変。隔離生活の中で「欠乏」について考えるようになり、「人生において本当に必要なものはなにか」と自問するようになったことから、リンディに関心が集まったのではないかとしている。(ちなみに、500年前にも人々はマスクを付けていたことから、パンデミックも「ディープ・リンディ」なんだとか)