2023-06-02

上岡龍太郎スマートすぎた

上岡龍太郎漫談を聞いていても分かる通り、普通の人が聞いても「何言ってんだこのおっさんから入らなければならない彼の演芸は、ダイナミックさで矮小さを誤魔化して潜在的世界を侮らせる現代芸能界の風潮とは合わなかったのだろう、と思う。

タモリなどはそこら辺が上手くて、プレイヤーではなくコンダクターだったりバンドマスターとしてたまにチロッと指揮棒を見せたりエセピアノを弾いたりして場の雰囲気コントロールしていた。

上岡龍太郎は話芸に特化していた。

話芸に特化していたからこそ、途中でその限界に達した。結局、緊張と緩和にしろ守破離起承転結しろ、忙しくない読者がいないと役に立たない技術だった。

#Shorts動画がそうであるように、一分以内に型をつけなければならないのが現代エンターテイメントだ。

から、彼が辞めた後に彼の漫談を聞き流しながら作業する方々は多い。

現代芸人とタメを張れるぐらい愉快な言葉を話していた気もするけれど、実は書いてる最中で思い出せなくなるぐらい薄っぺらな話で、だから、それこそがコメディアンとしての彼の話芸の極地なんだろうな、と思った。

いいじゃないかデータなんてその時に見えなくても。

いいじゃないか、その時はナンバーワンだとタメを張れると思えていても。

どうせ、あなたが思い出せないぐらい下らない話を丁寧に丁寧に聞かされて、そして面白かったなぁと思いながら薄ぼらけた意識のまま劇場からバラエティから帰っていくのだから

 

なるほど、なんて小さな豊かさを持って帰らせてくれるのだろう。

現代では監視社会差し掛かっていて、鬱陶しがられてるやつは記録も遡られてそいつ不正を徹底的に否定される状態ではある。

それがいつ発生するかもわからなかったりするのもしんどい部分だ。

こんな時代に、あのハッタリによって作られた小さく記憶も不確かな豊かさがあったことを忘れずに生きるのは大事ことなのかもしれない。

 

結局ここまで書いたこともそれっぽく整えて、それっぽく書いて、それっぽく見せただけのものなのだ

 

合掌

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