はてなキーワード: NECとは
https://blog.tinect.jp/?p=83339
素敵な記事だった。特に後半のDBに関しては思うところがあった。
前に勤めていた中小企業は経営陣がほぼ馬鹿で、ITどころが経営スキルもまるで無く、挙句に社内SEより数段IT知識が無いけど経歴だけは立派な外部コンサルの妄言を信じるレベルだった(NTTやNECのプロジェクトに参加してましたとか言ってるけど首突っ込んでただけとか、酷いと会議資料のコピーがメインだったとか)
でそんなんだからシステム更新とかの検証環境とか新たに導入検討のシステムを試したりするのにいちいち噛み付く。特に検討した結果自社の仕事に合わないと結果が出ると無駄な時間と金と言う始末。そのくせPDCAサイクルとか言うんだから面白い。一度も失敗が無いPDCAとかあるんだろうか。どう考えても怖くてPすら出来ず実際務めている間に業務を変えるようなPは無く過去の遺産を食いつぶすだけだった。
今じゃ無能コンサルに毎月高い金払って意味の分からない社内の組織改革して誰が何の担当か分からなくなり、社員に経営者マインドを要求して、自分が抜けた穴にゴミみたいなITパスポートレベルを入れて細々とやってるようだが年収700万を数名払える会社でも無いのでこのまま潰れるし、正直家族だのなんだの言ってあの会社にしがみついてる残りの社内SEメンバーがマジで馬鹿だと今でも思っている。
なんか凄いことやってますよオーラ出しまくるからさ、きっと年収もめっちゃ多いんだろうなと思ったら全然少なかった。
俺なんかよりもうちと取引のある建設業や電気屋の人間のほうがずっと金貰ってるし、そんな俺たち薄給公務員よりも更に低いってかなりしょうもないなと感じる。
うちに出入りしてる冴えないNECやコニカミノルタのサービスマンよりも給料少なそう。
なんか偉そうに「データサイエンス」「AI研究」「DX開発」とか言ってたけど、要するに多重請けして流れてきた仕事をするだけの単純労働者なんだろうなと。
いや本当ビビって損したわ。
ネットじゃすぐ「1000万円稼いでるフリーランスです」「会社員時代の倍はないとね」みたいなのがイキってるけど、あれって本当に一握りなんだなあ。
というか、単にやってる人間が業界で30年とか働いてきたベテランのお祖父ちゃんだから給料いいだけみたいなパターンが多いんよね。
プロフの写真をずーっと同じの使ってるしそもそも最初に取ったのをデジタル化したときの画質が低いから若く見えてるだけで実際は完全にジジイだったりする。
ビビって損したとは本当にこのことだよ。
一握りの人間と比べるのさえ辞めれば俺と給料あんま変わんのやなあ。
Nintendo64のメモリー拡張パックって最初から付けられなかったのだろうか。確かにメモリーは容量に応じてコストが変わるから、最初から大容量メモリーを載せるのは難しいかもしれない。でもメモリーを取り替え可能にするための機構とかそういうのを考えたらトータルのコストはそんなに変わらないんじゃないだろうか。任天堂のホームページ(最近はホームページという表現もあまり使われなくなったが、少なくともメモリー拡張パックのページのレトロ感からするとそんなに違和感のある表現ともいえない)には定価2,800円とある。これは原価ではないし、メモリー拡張パックを保護するための部品のコストも含まれるだろう。実際の製造原価はそこまで高いとも思えない。ゼルダの伝説ムジュラの仮面のメモリー拡張パック同梱版の値段は7,800円で、同梱していないバージョンの価格は5,800円。差額は2,000円。それなら最初から付けてくれてもいいのではないだろうか。ほかに考えられる要因としては、Nintendo64のロンチ時には大容量のメモリを確保することができなかったという可能性。ドリームキャストの生産が追いつかずハード戦争においてPS2に致命的に出遅れたのも記憶に新しい。そっちの線なら割とありそうな気がする。ちなみにNintendo64のメモリーはNEC製で、ドリームキャストの生産の遅れにつながったPowerVRもNEC製。この頃のゲーム機は日本企業の部品が多く使われていた。やはり任天堂は数を揃えるためにメモリー拡張パックを別売りにしたのだろうか。
https://twitter.com/gamerobotlov/status/1682435734320607232
#NECアベニュー は
これには一般オタク老人会からも総ツッコミ、さらにPCエンジン関連の開発者たちがツッコミ。
https://twitter.com/Shingi/status/1682503628479946758
https://twitter.com/hor11/status/1683076902591037440
https://twitter.com/snapwith/status/1683084722354917377
もちろん「この影響で」というのは当時を知っている人間であれば完全なガセであり否定されて然るべきものなのだが、このオッサンが一切認めようとしない。
いわく「80年代からPC-88/98が圧倒的シェアだったと言ってもそれは一部の富裕層オタクだけのもので、一般に普及したのはWindows95以降だから間違ってない」だの「2000年にNECのシェアが高かったのはネットの記事にそう書いてある」だの、まあ一部の視点については完全には間違ってはいないんだが、肝心の「PCエンジンの影響で」という部分がソースもなにもない思い込みなのだから始末に負えない。
そもそもWindows95以降に爆発的に一般層に普及したといっても、まだまだPCは業務用のものであり、コンソールゲーム機の影響でPCが売れるなんてことは仮にもなかった。
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20010222/idc.htm
オッサンが挙げていたこちらの記事においても、出荷実績1,400万台中家庭向けは約50%の724万台だったという。
シェアトップ3のNEC、富士通、日本IBMといえばビジネスPCの御三家であるから、台数のうちかなりの割合が業務用だろう。
家庭用のうちNECのシェアがどのくらいあったかだが、これがWindows以前のPC-98全盛期なら90%くらいあったんじゃないだろうか。体感だけど。
Windows以降になると、NECはPC98-NXというAT互換機に移行するのだが、他の互換機との差別化は難しいため埋没していく。
それでも広告や店頭販促はかなり打っていたので雑誌やショップで見かける機会は多かったが、NECがシェアを取っていた感覚はまったくない。自分の周囲を見てもほとんどがソニーのVAIO、でなければソーテックやコンパックあたりの廉価機だったと思う。iMacが爆発的に売れたAppleのシェアも無視できないほどあったように思い出される。
さらにいうと、2000年頃は自作ブームだったのだ。98年頃のCeleron 300AやK6-2ブームを経て、2000年頃はPentiumIIIやAthlonが流行だった。メーカー製PCを買うより圧倒的に安く組めたので、自分もこの頃は自作機だった。
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20001122/nmb14.htm
こちらの記事によると自作PCが市販PCより2倍も多かったとある。PC Watch読者だからある程度マニア層のアンケートとはいえ驚きである。
ということで、「90年代、2000年代はNEC製PCが凄く人気でした」というのも家庭向けに関してはかなり怪しいし、ましてそれがPCエンジンの影響であるなんてことは誰が聞いても「?」となる話なのである。
前述の通り90年代前半ならPC-9801/21のシェアは圧倒的だったはずだが、本人が「PC-88/98はマニアしか買ってないから論外」って言ってるんだから除外すべきだろう。
なぜ(当の開発者たちに否定されてまで)PCエンジンのおかげでNECのPCが売れたことにしたいのかはわからない。話が通じないから深掘りすることもできない。
自分のチャンネルに誘導したいから炎上上等なのかガチなのかはわからないが、あまりの無敵ぶりに開発者たちも苦笑いしながら撤退するしかなかったようだ。
この方向性で進んでほしい
「影響力のある発明家」ってこれまでいなかったしな
生成AIの基盤となる大規模言語モデル(LLM)の開発が国内外で加速している。各社のLLMのパラメーター数と特色
米オープンAIの「Chat(チャット)GPT」など対話型AI(人工知能)の基盤となる大規模言語モデル(LLM)への投資に国内企業もようやく本腰を入れ始めた。ただサイバーエージェントやNTT、NECなど多くの日本企業が足元で注力するのは、欧米大手が手掛ける汎用的な対話型AIとは異なるニッチな領域だ。欧米勢に後れを取る中、日本語や特定の領域に特化することで活路を見いだそうとする国内勢の動きを懸念するのが、ソフトバンクグループ(SBG)の孫正義会長兼社長。かつて国内市場独自の進化により世界で競争力を失った「ガラパゴス携帯(ガラケー)」に重ねて警鐘を鳴らす。
【写真】ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長は、日本企業のAI開発への取り組みに苦言を呈した
「電気代を節約するとか、あんまりチマチマしたことを言っていると、あっという間に日本は取り残される」。東京大学が7月4日に開催した生成AIのシンポジウムに登壇した孫氏はこう懸念を口にした。さらに「日本の取り組みが『ガラケー』になってはいけないと苦言を申し上げたい」と付け加えた。
従業員500人程度の中小エネルギー会社 人事課長→従業員1万人超のSI企業(NECとかNTTとかそのへん)人事職(非管理職)に転職して一年ほど経過したのでその雑記。あんまり増田で人事の転職見たことないな?
それなりに要領がいい方だとは思うが、お世辞にも能力が高くはない。英語力も皆無。(TOEICは受けさせられて300ぐらい)
氷河期と言われる2012卒だったのに加え、自分が就職活動に対してやる気がなかった(4年から就活開始したあたりでお察し)が、4年時、中小企業の秋採用になんとか入社。しばらく営業職として全国を転々としていたが、途中で人事に異動。
採用・教育・給与以外の人事業務を実施(評価とか異動とか個別人事対応とか)し、30歳で人事課長に昇進。
30歳で課長というと一般的には早いのだろうが、残念ながら名ばかり管理職のため部下はおらず、残業代がなくなったため給料は減り、決裁権は1円たりともなく、業務も変わらず、ただ参加する会議が増えただけだった。
(これは余談だが、管理職に対し残業代を払わないためには、厚生労働省が開示している管理監督者の定義に合致している必要がある。前職では当然何一つとして合致していなかったため、名ばかり管理職に対し残業代を支払う旨の制度改定を提案し上司に持っていったがその後何一つ音沙汰は無かった。尚、内部通報制度を使用しようにも肝心の窓口が上司の為詰んでいた)
また、パワハラ気質やサービス残業(特に、上司からメールが来たら土日祝日であろうと24h以内に返信が必須なのがしんどかった)にうんざりしたのと、結婚に伴い全国転勤が難しくなったため転勤がない会社への転職活動を本格的に開始。
上記キャリアのため転職するなら人事職が良いだろうと考え、人事職で転職開始。転職は以下3点を軸に、エージェントを頼りながら進めていった。
(エージェントには管理職待遇がマストかを聞かれたが、上述の通りまともなマネジメント業務は実施していないため拘らず)
転職にかかった期間は半年程。エージェントは3名ほど使用。転職は30社ほどエントリーして、面接は15社ほど受け1社から内定をもらい快諾。
「5社受けて3社内定もらいました!」ってレベルの退職エントリが多い中比較するとひどいもんだけど、新卒就活の時の連戦連敗を考えれば無傷みたいなもんだった。
前職に退職の報告を上司にしたところ、「転職先が決まってから退職を報告をするのはマナー違反だ」「お世話になった会社を辞めるのは人間として狂っている」などと説教を受けた(注:上司は中途採用組)ため、やはり転職活動してよかったなあと思いながら適当にその場は愛想笑いで凌ぎ無事退職
・年収で500万→800万ぐらいになった(賞与は50万→130万に増)
・業務内容は採用~退職までの一連の人事業務すべてに薄く広くかかわる感じ
・転勤原則無しの扱いになったので、戸建の購入計画を進められるように
・在宅か出社かはどちらでも問題なく、業務に支障さえ出なければ共有スケジュールに入れるだけで在宅可能に
・裁量労働制のため、仕事が片付いていれば定時より早く仕事を切り上げることもしばしば。
・前職で(名ばかりとはいえ)「管理職」を経験していたためか次期管理職候補としての期待が大きく、今期の評価では最高評価を受ける。
・仕事の業務時間やストレスは減り、年収や待遇が爆増し、社内の人間関係も良好のため、転職はこれ以上ない大成功だったと感じる。
・周囲のメンバーを見ると、前職と比較しても(ごく一部のスーパーマンを除き)そこまで能力が高いというわけではないし むしろ自分の周りを考えると前職のメンバーの方が能力は高かった。(でも給料は今の会社の同僚の方が遥かに貰ってる)
・転職して一番のギャップは経営層から担当者まで全員穏やかな人である事。周囲から怒号が聞こえない事の快適さを痛感。
・バックオフィスの転職あるあるかもしれないが、自身の能力や仕事のアウトプットが増えていないにもかかわらず 年収や待遇が爆増した事の違和感が凄い。年収は個人の能力でなく所属する業界・企業によって決まるのはガチだなと感じた。
諸々反応ありがとう!
会社へ提案したのは私が人事部所属だったので、「人事としてこの会社制度は変えないとあかんな?」…といった業務上の理由で制度改訂の提案をしていた感じです。
転職した今、仲の良い後輩・同期達には転職支援する形でサポートしてるので、残された他の人たちの事は正直知ったこっちゃなく、通報とかは考えておりません。
これはネタバレなんですが弊社の経験者採用では前職の収入は考慮していなくて、
学歴とか経験年数とかの諸々を入力すると既定のルールに基づき年収がいくつか設定される仕組みになってるんだよね。その中で職場側の期待度によって選択するみたいな感じ。
なので俺が凄いとかエージェントが敏腕とかでなく、本当に自分の場合は運が良かっただけ。あとはいくつか言及されているように、(名ばかり)管理職経験者という実態がうまく働いたのはあると思う。
>氷河期の同期達
あの時皆どんよりしてたよね…
ただ、大学の同期で転職したメンツと話すと、だいたいみんな「転職は新卒就活より遥かに楽」って口をそろえて言うんだよね。
100社受けて1社内定あるかないかみたいな極限状態では絶っ対ないので、転職するかしないかは別としても片手間で転職エージェントと話してみたり、転職サイト覗いてみるのはいいんじゃないかな。
これまで新卒一括採用しかしていなかった大手企業も経験者採用爆増してるので、自分の経験と当てはまる求人さえあれば当時ではESすら通らなかった企業が割と気軽に面接してくれると思う。
>長い
3年くらい前に日本の半導体産業の近況をまとめたのですが、ここ数年で政治家の先生たちが何かに目覚めたらしく状況が大きく変わりつつあるので各社の状況をアップデート。
前回の記事 https://anond.hatelabo.jp/20200813115920
熊本工場:28nm, 22nm (工場稼働時) / 16nm, 12nm (将来計画)
日本政府の補助金とソニー・デンソーの出資という離れ業により、業界人が誰も信じていなかったTSMCの工場進出が実現した。現在は建屋の建設が進んでおり、順調にいけば2024年内には量産開始となる。生産が予定されているプロセスはいずれも世界最先端に比べると古いものだが日本では最先端であり、HKMG(ハイケーメタルゲート、トランジスタの性能を上げる技術)やFinFET(フィンフェット、性能の良い3次元トランジスタ)といった技術が新たに導入される。工場で生産される半導体の主なクライアントは出資者のソニー。衰退の激しい日本の電機業界だが、ソニーはまだ世界と戦う余力を残しており年間半導体購入金額世界10位で日本トップである。ただし、PS3のCell Processorを長崎で作っていたように先端プロセッサをここで作れるわけではない。PS5のCPUはTSMCの6nmプロセス製造であり、この工場では製造できないのだ。識者の予測ではイメージセンサー向けロジック半導体を生産すると想定されている。
■ Rapidus (ラピダス)
日本政府の国策で、IBMから技術を導入し自前で最先端の半導体製造を狙う野心的なプロジェクト。量産開始は2027年を予定。
彼は日立→トレセンティテクノロジーズ(ルネサスの那珂工場の前身)→SANDISK→Western Digitalという国内外の半導体メーカーを渡り歩いた華麗な経歴の持ち主である。
以前に社長を務めていたトレセンティテクノロジーズは2000年に日立と台湾の大手ファウンドリUMCとの合弁の半導体製造会社で、世界に先駆け現在の標準となる300mmウェハに対応した先進的な工場であった。ファウンドリ全盛の今から後知恵で見れば、限りなく正解に近い経営戦略と先進性を併せ持っていたがビジネスとしては成功しなかった。工場はルネサスに吸収され、小池氏はSANDISKへと移籍することに。そんなわけで今回の国策ファウンドリRapidusの社長就任は小池氏の二十数年越しのリベンジマッチでもある。
なお、氏のポエミーなプレゼンは業界でも有名。記者会見で日本半導体衰退の原因を「驕り」と一刀両断した一枚のパワポが話題をさらったが、本人が一番驕っているのではと不安がる声もある。
■ ルネサスエレクトロニクス
日立・三菱電機・NECのロジック半導体部門が統合した日本を代表する半導体メーカー。
5万人いた従業員を1/3にする大リストラ、先端プロセス製造からの撤退、海外メーカーの買収ラッシュを経て復活。そして大躍進。
昨年の売り上げは1兆5千億円を超え、はじめて統合直後の売り上げ(ピークは2011年3月期の1兆1千億)を抜いた。もう1+1+1=1とは言わせない。
旺盛な車載半導体需要にこたえるべく、政府の補助金を得てリストラで閉鎖した甲府工場の再稼働を決定。
コロナ禍では働き方が柔軟になり、リモートワークは全国どこでもできるようになった。ルネサスは開発拠点も大リストラで統廃合しており、三菱系の伊丹やNEC系の玉川をはじめ全国にあった設計拠点を日立系の小平に集約している。地元の拠点が閉鎖されて単身赴任をしている人も多かったのだが、最近ではリモートワークを活用して単身赴任先のマンションを引き払った人も出てきている模様。
増大する車載半導体需要にこたえるべく、デンソーが出資してパワー半導体のIGBTの生産を始めた。筆者はパワー半導体は専門外で、家電芸人が語る家電の説明程度にしか話せないため軽く紹介するにとどめたい。
半導体部門を手放したがっていたPanasonicがイスラエル企業のTower Semiconductorと共同で運営していた工場。
Panasonicが台湾Nuvoton technologyに持ち分株式を売却したため、現在ではイスラエル・台湾共同運営という珍しい業態になっている。
さらに、半導体最大手のIntelがTower Semiconductorの買収を進めているため、将来的にはIntelの拠点となる可能性があり、日本でIntelのCPUが作られる世界線もあるかもしれない。
が、本案件は米中対立のあおりで中国での買収審査が長引いているため、先行きには不透明感が漂う。
■ キオクシア
日本を代表するメモリ半導体メーカー。前回からの3年で、積層数は96層 → 112層 → 162層と2世代進化した。競合他社は232層品の量産も始めている(キオクシアは開発完了 / 本格量産前)が、最近の3D NANDは闇雲に積層数を増やせば低コストで作れるというわけでもない模様。
なお世間では半導体不足のニュースの印象が強く、半導体はもうかっているとの認識があると思うがコロナ禍でのIT投資ブームが終了したメモリ業界はリーマンショック以来の大不況である。
キオクシアも例外ではなく、最新の4半期決算で1000億円単位の赤字を計上してしまった。Western Digitalとの統合のうわさがあるが、もちろん筆者は何も知らないし、仮に知っていても絶対にここには書けない。
■ Micron Memory Japan (旧エルピーダメモリ)
ルネサスと同じく、NEC、日立、三菱電機のDRAM事業統合で生まれたエルピーダメモリを倒産後に米Micronが買収。
前にも書いたが、DRAM業界はプロセスのサバ読みが横行しており、20nmを切ったあたりから具体的な数字ではなく1X, 1Y, 1Z, 1αときて、ついに1βnm世代の量産にたどり着いた。広島サミットに合わせて、社長が来日。岸田総理と会談後大々的な設備投資を発表。1γnm世代を目指して日本初の量産用EUV露光装置が導入されることが決まった。
このEUVというのは波長が13.5nmの極超紫外線(Extreme Ultra Violet)を使った露光装置で1台200~300億かかる人類史上最も高価で精密な工作機械でありオランダのASML社が独占的に製造している。もっとも、メモリ業界の大不況を食らっているのはMicronも例外ではなく、岸田総理と華々しく会談している裏で数百人規模のリストラを慣行。こういう外面の良さと裏でやってることのえげつなさの二面性は、いかにも外資だなと思う。
東芝と共同でフラッシュメモリの開発を行っていたSANDISKをHDD大手Western Digitalが買収。キオクシアの四日市工場と北上工場を共同で運営している。
Western Digitalはメモリコントローラーを内製していることで知られSSDの性能の良さに定評があり、スマートフォン向けの売り上げが多いキオクシアとは、同じ工場を運営していても得意としている販売先が微妙に異なり、住み分けがなされている。(そのため、2社統合によるシナジー効果が期待されたびたび観測気球的な記事が出回る。)
なお、もともと日系半導体メーカーが大リストラをしていた時の人材の受け皿として中途をたくさん採用していた経緯もあり、人材の流動性は高い。在籍時の仕事ぶりがよければ、他社へ転職していった元社員の出戻りも歓迎と聞く。前述のRapidus社長の小池氏は、つい先日までここの社長をしていた。余談だが、上記Micronの米国本社の社長も旧SANDISKの創業者でWestern Digitalによる買収後に引き抜かれている。こういう話を聞くと、いかにも外資だなと思う。
イメージセンサーで世界最大のシェアを誇るソニーの半導体部門。2020年、2021年は米中対立のあおりを受けて主要顧客のHuawei向けの出荷減少に苦しんだが、2022年度は大幅に売り上げを伸ばし、1兆4千億円となった。他の半導体の例にもれずイメージセンサーも国際競争が過酷であるため、対抗して人員増強を進めている。Panasonic系エンジニアを引き抜くために関西に設計拠点を開設し、各地の工場の拡張も並行して進めている。調子のいい半導体メーカーはどこも人員増強を進めているが、ここ10年ほどは理工系の学生の半導体業界人気がどん底、かつ人材ニーズも少なかっため、新卒で半導体メーカーに就職した絶対数が致命的に少なく30~40歳くらいの中堅技術者の確保にどこも苦労している模様。なお、スマートフォン向けカメラの次の飯の種として、車載用途に数年前から注力開始。最近徐々に成果が出始めている。
■ ソシオネクスト
富士通とPanasonicのLSI設計部門が統合してできた日本最大のファブレス半導体メーカー。昨今の半導体ブームの波に乗り、株式上場、売り上げ2000億突破と非常に好調。3年前は1000億程度の売り上げだったので、すさまじい成長である。もっとも、母体となった富士通・Panasonicはピーク時の半導体売上が1社で5000億近くあったので、少々物足りなさを感じなくもない。復活は道半ばである。
■ メガチップス
ソシオネクストが誕生するまで日本最大のファブレス半導体メーカーだった。もともと任天堂向けの売り上げが大半だったのだが近年は多角化を進めている。昨年の売り上げは約700億とSwitch人気がピークだった時と比べるとやや劣るが営業利益は過去最高を記録している。
かつては日本を代表するファブレス半導体メーカーと言えばここだった。昨年の売上高は54億と、3年前紹介したときの30億から伸びたものの、ファブレス上位2社からはかなり離されてしまっている。大昔は韓国のサムスン電子に自社製品が採用されたのがウリで創業者の武勇伝にも頻繁に登場していたが、今では売り上げの75%を国内に依存しており海外展開の出遅れが否めない。
■ 東芝
車載用途のパワー半導体需要が伸びており、石川県の工場に300mmウェハ対応ラインを建設。この記事でよく出てくる300mmウェハとはシリコンの基板の直径であり、大きい方が製造効率が良い。125mm → 150mm → 200mm → 300mmと順調に大型化が進み次は450mm化と思われたが、大きすぎて弊害が大きく、ここ20年間はずっと300mmが最大サイズである。
従来はCPUやメモリといった分野の製造にしか使用されていなかったのだが、ここ5年くらいでパワー半導体にも300mm化の波が押し寄せてきている。
■ ローム
何かと癖のある京都系メーカー。車載事業が好調で売り上げが順調に伸びている。次世代パワー半導体材料と呼ばれていたSiCで日本国内の他のメーカーをリード。
余談だが、筆者は学生のころSiCを実験で扱っていた。単位を落としまくっていた不良学生だったので、教授がワクワクしながら話していたSiCの物性の話はすべて忘れている。今では家電芸人並みのトークしかできないのでSiCについて語ることはご容赦いただきたい。研究から本格量産まで20年超の時間がかかっていることに驚きである。基礎研究の大変さを実感する。
■ 三菱電機
パワー半導体大手。半導体に力が入っていないシャープから福山工場の敷地を取得し、300mmウェハ対応のラインを構築。SiCのラインも熊本に作るぞ!パワー半導体には詳しくないからこの辺で勘弁な。
日本の半導体産業が衰退しまくっていたころに、トヨタが危機感を覚えてデンソーとの合弁で設立した車載半導体メーカー。コロナ禍中に行われたオンライン学会に知らない会社の人が出てるなと思って調べたらここだった。
■ TI
米系のアナログ半導体世界最大手。富士通とAMD合弁のNOR FlashメーカーSpansionから買収した会津若松工場と茨城県の美浦に工場を持つ。最近は日本法人の話をあまり聞かない。
米系のアナログ半導体大手。三洋電機の半導体部門を買収したが、旧三洋の新潟工場は日本政策投資銀行出資のファンドに売却した。現在の日本拠点は富士通から買収した会津工場。富士通が半導体事業から手を引き工場を切り売りしたため、会津若松市内には米系大手半導体メーカーの工場が立ち並ぶことになった。
■ Infineon Technologies (インフィニオン)
ドイツの大手電機メーカー、Siemenseが20年ほど前に半導体部門を分社化して誕生した。従来欧州系半導体メーカーは日本での存在感があまりなかったのだが、富士通のマイコン半導体部門を米Spansionが買収、そのSpansionを同じく米Cypressが買収、そのCypressをInfineonが買収した結果、日本市場でも存在感を示すようになった。もともとInfineon自体が車載半導体に力を入れており、有力自動車メーカーがそろう日本市場に注目しているというのもある。
■ Nuvoton Technology (ヌヴォトン)
台湾の半導体メーカー。半導体から撤退したがっていたPanasonicから、Tower Semiconductorと共同運営している工場と、マイコン設計部門を買収する。Panasonic時代は、自社家電向けの独自マイコンをメインに作っていたのだが、Nuvotonに買収された後はArmベースの汎用マイコンに設計品目が変わった。日本法人は車載やモーター制御向けのマイコン開発に特化させていく方針で台湾の開発チームとは住み分けを図る模様。富士通ほどではないが、Panasonicも半導体部門を切り売りしており、所属していたエンジニアはバラバラになってしまった。研究室が一緒でPanasonicの半導体部門に入社した友人がいたが、彼は今どこに流れ着いているのだろう?
だいたいの人は貧しくなったんじゃない?
General Electric - $74.9 billion
ExxonMobil - $74.3 billion
Royal Dutch/Shell - $73.1 billion
General Motors - $47.3 billion
Pfizer - $44.4 billion
Wal-Mart Stores - $39.2 billion
Philip Morris - $37.7 billion
Procter & Gamble - $34.3 billion
American Express - $32.8 billion
Mitsubishi Electric - $29.8 billion
Nippon Telegraph and Telephone - $28.7 billion
Hewlett-Packard - $28.5 billion
Unilever - $27.4 billion
Time Warner - $26.1 billion
BASF - $25.8 billion
Novartis - $25.6 billion
International Paper - $25.2 billion
Mitsui & Co. - $24.7 billion
Matsushita Electric - $24.4 billion
Tokyo Electric Power - $23.2 billion
Deutsche Bank - $22.4 billion
Chase Manhattan - $22.4 billion
Ericsson - $22.3 billion
Samsung Electronics - $22.2 billion
American International Group - $22.1 billion
Sanwa Bank - $22.1 billion
ただインターネットとスマホがすべてのご家庭に行き渡ったからなぁ
何を基準にするかよね
ここ40年位の日本のゲームの歴史をハードの性能などを交えて取り敢えずプレステ辺りまでを解説して下さい
ここ40年間の日本のゲームの歴史は、多くの革新と発展がありました。以下は、主要なゲームハードウェアとその性能に関する概要です。
ファミリーコンピュータ (Famicom) / Nintendo Entertainment System (NES) - 1983年発売
任天堂が開発したファミコンは、8ビットのプロセッサ(1.79MHz)を搭載し、最大52色のグラフィック表示が可能でした。これにより、スーパーマリオブラザーズやゼルダの伝説などの名作ゲームが生まれました。
セガ・マークIII / Sega Master System - 1985年発売
セガが開発した8ビットの家庭用ゲーム機で、プロセッサは3.58MHzでした。最大64色のグラフィック表示が可能で、アレックスキッドやファンタジーゾーンなどのゲームが人気を博しました。
PCエンジン / TurboGrafx-16 - 1987年発売
NECとハドソンが共同開発したPCエンジンは、8ビットのCPU(7.16MHz)と16ビットのGPUを搭載し、最大482色の表示が可能でした。このハードは、R-TYPEや悪魔城ドラキュラなどのゲームで知られています。
スーパーファミコン (Super Famicom) / Super Nintendo Entertainment System (SNES) - 1990年発売
任天堂が開発した16ビットのゲーム機で、3.58MHzのCPUと最大32768色のグラフィック表示が可能でした。スーパーマリオワールドやゼルダの伝説 神々のトライフォースなどの名作が多数リリースされました。
セガ・メガドライブ / Sega Genesis - 1988年発売
セガが開発した16ビットのゲーム機で、7.67MHzのCPUと最大512色のグラフィック表示が可能でした。ソニック・ザ・ヘッジホッグやストリートファイターIIなどのゲームが人気を博しました。
セガが開発した32ビットのゲーム機で、2つの28.63MHzのCPUを搭載していました。最大対応色数は1677万色で、バーチャファイターやパンツァ
セガが開発した32ビットのゲーム機で、2つの28.63MHzのCPUを搭載していました。最大対応色数は1677万色で、バーチャファイターやパンツァードラグーンなどのゲームが特徴的でした。また、CD-ROMを採用し、高品質なサウンドやムービーの再生が可能でした。
ソニーが開発した32ビットのゲーム機で、33.87MHzのCPUを搭載し、最大対応色数は1677万色でした。CD-ROMを使用し、ファイナルファンタジーシリーズやメタルギアソリッドなどのヒット作が登場しました。3Dポリゴン技術の進化により、リアルなグラフィック表現が可能となりました。
任天堂が開発した64ビットのゲーム機で、93.75MHzのCPUを搭載していました。最大対応色数は1677万色で、スーパーマリオ64やゼルダの伝説 時のオカリナなどの革新的なゲームがリリースされました。カートリッジを採用していたため、読み込み速度は速かったものの、データ容量が限られていました。
以上が、おおよそ40年前からプレイステーションまでの日本のゲームの歴史とハードウェア性能の概要です。この期間には、技術革新やゲームデザインの進化が急速に進み、多くの名作ゲームが生み出されました。