はてなキーワード: 言霊とは
「死にて~」「もうダメだな俺」「おしまいだ~」的な言葉を通勤帰宅時の車の中で呟くのが最近のトレンドになってしまっている。
精神衛生上実によろしくない行為であるのは分かっているつもりだ。そんな言葉ばかり発していたら、いつか本当に精神が『死』に支配されてしまうのかも知れない。(こういう考え方を言霊って言ったっけ)
それでも止めることが出来ない。自然に口をついて出てくるということもある。だけど何より、その死にたい気持ちを糧に自分は生きていると思えるから、"死にたさ"を燃やしているのだと思う。
自分はこんなに苦しんでいるのに、この上更に俺だけが死ぬなんて不公平だし、何より癪にさわる。ぜってー死んでやらねえ。といった具合だ。
ああぁ、死にたいな~
1 問題提起
やらないとやれないの違いはなんだろうか。
行動を起こさないことの原因が、自分の判断にあるのか、外的要因にあるのか、という基準で区別されるものかと思うが、その判断はどうやってすればいいんだろうか。
行動を起こせるようにするには、「やる気をだす」「責任感をもつ」以外に、どうしたらいいんだろうか。
自分でも自分の状況が、「やらない」のか「やれない」のか分からないが、ひとまず主観に従って、「やれない」を使用する。
2 これまでの状況
私の仕事は、そこそこ専門的な仕事で、会社が、法人または個人から依頼を受け、会社が私に案件を割り振って、私はその案件を進めていく。
その間、業種は同じだが、勤め先は何回か変わった。
そのときのきっかけは、業務量が多かったり、人に相談できずに身動きできなくなって、仕事がどんどんたまっていったのが原因だったと思う。
休職明けてからも、半年に一度会社にいけなくなって、その会社はやめた。
次の会社では、職場に一人のことが多くて、仕事をサボるようになって仕事がたまって辞めた。
今の会社(ここ2年)では、「なんかやりたくないな」と感じる仕事がやれなくなってしまい、今、正に退職するかどうかの瀬戸際である。
難しかったり、初めてやる仕事になかなか手をつけられないということは、今までもあったが、この「やりたくない」は、それこそ電話一本かけることだけだったり、来ていた電話に折り返すだけだったりする。
別に難しくないし、今やれば終わることは分かっている。
でも、なんか今すぐはやりたくないのである。
仕事はほかにもあるので、とりあえず別の仕事をやっているうちに、次の日になって、さらに時間が経っていく。
そうすると、段々、自分からアクションをとるのが気まずくなって、もっとやりたくなっていく。
こんなのは当然で、小学生でも分かるというか、小学生でもすでに学習している。
自分でも、後回しにするときに、「あとで大変なことになるんだろうな」とは思う。
でも、その予測による「やらなきゃいけない」に、「やりたくない」が勝ってしまうのである。
また、例えば、締め切りがある案件で、どうしても今この仕事をやる必要性があることは分かっていても、手につかないことがある。
そのときの気持ちは、もはや「死ぬほどやりたくない。この仕事をするくらいなら、死ぬ方がマシである。何故なら、死んだらやらなくていいから。」という域である。
この「やりたくない」になってしまうと、例えば終電の時間まで会社にいても、休日出勤してみても、結局やらないのである。
人に見られているという強制力のない休日出勤では、六時間ただただスマホをいじって終わった。
(月給制なので、余分な残業代等は貰っていない。)
そうなると、「人として、社会人として当然やらなきゃいけない。」とは、理性では分かっていても、体は動かないというか、できないのである。
むしろ、「やらなきゃいけない」と思えば思うほど、「やりたくない」気持ちが強くなる。
ここでいう「死ぬほど」は、やりたくない気持ちの量的な表現というか、その仕事をやらないための逃避の発想からくるものだと思っていたので、自分でも本気で自分に死ぬ気があるとは思っていなかった。
ちなみに、半年休職する前は、「死にたいなー。首吊り用の縄ほしいなー」とは漠然と思っていた。
今思えば、このときから、未処理の仕事のことを考えたときに、死にたいと思うようになり、実際「死にたい!」と口に出すようになっていた。
しかし、今すぐ自殺するほどを死にたさはなく、かつ、言霊的に、死にたいと口に出すことで本当に死んだらやだな、という気持ちもあった。
なので、復職してから同じ気持ちになったとき、つまり、単純に未処理の仕事を思い出して押し潰されそうになったときは、「死にたい!」「うそ、死にたくない!」と口に、独り言を言うようになった。
3 これまでの対応
また、途中から、そのクリニックに併設されているカウンセリングで、認知行動療法を受けていたが、イマイチ改善されなかった。
「やりたくない気持ち」とか「やる気」にも波があって、認知行動療法で考えた対処方法が、続かないのである。
これをなんとかしようと、続けられるやり方が見つけられないかと、色んなビジネス書、自己啓発本を読んでみた。
そのうちに、ADHDに後回し癖があることを知り、自分はADHDかも?と思うようになり、クリニックで診断を受けてみた。
(ADHDの可能性が高い)が、他者評価(母)の点数は低いとのことで、先生としても「なんとも言えないな…」とのことであった。
自分としては、当てはまるエピソードはそこそこあるとは思っているが、自分のいたらなさをADHDのせいにしたい気持ちもあったから、医者になんともいえないといわれたら、自分もなんともいえないのである。
今は、試験投薬してみようとのことで、お試しで毎日出されたADHD用の薬を飲んでいる。
ちなみに、IQ検査は、言語は高くて他はそこそこだったので、ギャップを感じるかもね、とのことだった。
検査受ける際の困り事の説明に、上記「死ぬほどやりたくない」について説明すると、「それは、仮にADHDだったとして、それだけでは説明できないから、他に原因があるかもしれないね」と言われる。
そこで、現在のカウンセリングでは、「死ぬほどやりたくない」を解決するため、精神分析療法を受けていた。
なお、このカウンセリングの際に、「死ぬほどやりたくない」気持ちになることは話していたが、日常的に、未処理案件を思い出しては「死にた~い!嘘です!」とやばい独り言をいっていることは話していなかった。
本気で死にたい訳ではないので、実際よりも症状が重いと思われると考え、また、なんとなく担当カウンセラーに心を完全に開けなかったこともあり、言えなかった。
こうやって、日常的な「死にたーい」気持ちを真面目に受け止めず、嘘ってことにして、流して生活していた。
実際、家族のことを考えると、死ねば家族を傷つけるな、それは嫌だな、と考えてブレーキもかかっていた。
4 直近の出来事
さて、1月15日、私が外出中に、とある案件について会社に連絡があり、私が滞留・放置していたことが上司に発覚した。
そうすると、私には、会社に向かって、その案件の処理・報告をする必要がある。
でも、その理由は、「なんかやりたくなくて」という、完全に主観的で、理由にならない理由である。
ちなみに、私がよく連絡の折り返しをサボることについては、何度も注意を受けており、「社会人として当然だから!ちゃんとやって!」という至極最もな指導を受けていた。
(私のやれなくなってしまうことについては、「それは病気ではなくて、やらないだけにしか思えない。やるしかないんだよ。」と言われていた。)
このように、何度も指導を受けていたにも関わらず、全く改善できていないことを説明する必要が生じた。
また、社会人として、自分が起こした問題について、上司に報告するのは、当然の義務である。
これによって、この日、職場に行くことが、高度の「やらなきゃいけないこと」になり、「死ぬほどやりたくないこと」になった。
そして、普段なら、家族のことを思い出せばかかるブレーキが、イマイチかからなかった。
そこで、私は、とりあえずビル5階の屋上駐車場にでてから、その窓口にかけてみた。
つながらない。
いのちの電話を含む、そういった窓口に片っ端からかけてみた。つながらない。
かけては繋がらない、またかけてみては繋がらない、このやりとりを二時間弱やった。
この、「死なないための行動」ができなくなったら、次はいよいよ自分が飛び降りてしまうと思って、それはまずいとは思っていたので、ひたすら電話をかける行動をやめられなかった。
そのうち、自分が住んでいる市役所にも、そういった窓口があることが分かったので、そっちにかけてみた。
やっと繋がった。
「あなたは、やらないんじゃなくて、やれないんですよ。なにか原因があるんですよ。そして、その原因を明らかにするために、精神分析療法を受けて、やれることをやっているじゃないですか。」と、私が望んでいた言葉をくれてありがとう。
でも、そのまま出勤はできなくて、とりあえず同じビルのマックに行き、スマホを充電することにした。
どうしよう、なんて言おう、そもそももう2時間連絡なく出社していない理由についてもなんて言おう、ぐるぐるしていた。
自分がいつまでたっても、社会人としてやらなきゃいけないことをやらないことを、なんでいくら言われてもやらないことを維持してしまうのか、自分でも分からなくて、なんて言ったらいいんだろう。
このときの気持ち、考えたことを、ノートにまとめてみたりした。
やがて、会社から家に連絡がいったようで、家族からも連絡が入る。
でもどうしよう。
身動きのとれなくなった私は、自分の業界の協会?にメンタルヘルスの相談窓口があったことを思い出して、そちらにかけてみた。
そこで、ひとまず無事なことを家族から会社に連絡し、その後、日曜にカウンセリングがあるから、そのときにカウンセラーと一緒に電話して状況とかを話すことにする。
そして、その日は、家族を通して会社に連絡して、家族と一緒に帰った。
カウンセリングルームに電話して、事務員さんを通して、次のカウンセリングで一緒に電話かけてもらうことの許可をとり、その旨会社に連絡する。
日曜、カウンセラーに金曜の出来事を説明したら、カウンセラーはこういった。
「それで、なんで私が説明しないといけないんですか?」
手の指が冷たくなっていった。
それから、
「これは、精神分析療法じゃないですよね…」
ともいった(精神分析療法は、毎週やらなきゃいけないが、その前の週は年末でルームが休み、前々週は、私が親戚に会いたくて休んだ。今日もやれねぇじゃねぇかよ、という意味だ。)。
上司のこれまでの対応から、やらなきゃいけないとわかっていてもやれないだといっても、信じて貰えないと思って、信じて貰えないことが怖いから助けて欲しかったといった。
私が話した。
上司は、
「それはやらないだけにしか思えない。責任感の問題じゃないか。実家暮らしで、そばに助けてくれる人がいるから、そうなるんじゃないか。一度、助けてくれる人がいない環境においた方がいいんじゃないか。」
「(私)さんはできると思うよ。やんないと成長しないよ。できるって信じてるよ」
「上司の方は、(私)さんを信じてるんですね。」といって、その日のカウンセラーは終わった。
今週は、ひとまずリモートワークをすることになった。
月、火曜はそこそこリモートワークができていたが、水曜日に生産性が落ちた。
木曜、もっと生産性が落ちて、予定が消化てまきなかった。その日の業務報告ができないまま、夜中になって、どうしようもなく、寝た。
今日、「昨日は報告できず、すみませんでした。今日はあまりやれなさそうです。○○はやります。」とのメールをなんとか送る。
そのご、不穏な長文メールが返ってくる。
(中略)
今に至る。
4 私のぐちゃぐちゃな心境
責任感とか人として当然、ってだけで、できてたら、こんなことになってないんだよ!
やりたくてもやれないの!!!
私のせいじゃない!
(逆ギレじゃね?
結局やらないことを、維持することを自分で選択してるんでしょ。
本当にマジでやんなきゃいけないやつ(損害賠償請求されそうなやつ)はやるじゃん。
やらない方が楽だから、やんないだけでしょ。
これ以上、この仕事を続けても、同じことを繰り返してまた迷惑をかける。
もう辞めたいし、辞めた方がいいと思う。
(また投げ出して逃げ出すの?
これじゃいつまで経っても成長しないダメ人間のままだよ。)
独り暮らししたら、また部屋にコバエがわくだけですけど。
独り暮らししたら、責任感が身に付くってのはないと思うし、余計に家族がブレーキにならなくて、今度は飛ぶかも。
飛ばんと分からんのか?
(信じて貰えないことの当て付けか?)
担当カウンセラー、私が飛ばなくてすんだって話をしたあとの感想が「今日も療法できないじゃん」なの?そっちのが大事なの?
信じて貰えないのが怖いって話して、実話信じて貰えなかったやりとりをきいて、「信用されてますね」ってどういうこと?
(今まで日常的に軽く死にたくなってたことを話してなかったのは、自分じゃん。
そういうしかないんじゃね?)
多分、逃げ癖ついちゃってるんだよねー。
すぐ現実逃避、逃げのためにスマホいじったりネットニュースみたりするじゃん。
意志が弱すぎる。
いい大人とは思えない。
(もう一台スマホをかった。そっちには、スケジューラーとライン、仕事用のアプリだけいれて、持ち歩く。ツイッターとかpixivとかゲームいれてるスマホは家においてく。家族に預ける。)
多分、「仕事をやらずにいたい、すませたい、やりたくない」っていう目的のためにこうなっているんだろうなと思う。
そこから、どうしたらいいんだ?
今まで、口から「死にたい!」ってだしても、自分で本気にしてなかった。
真に受けずに、その気持ちを直視しないで、その気持ちからも逃げてた。
でも、その都度、「その仕事をやるくらいなら死にたい」って逃げの気持ちはあって、ブレーキでどうにかなってただけだった。
この死にたい気持ち、逃げたい気持ちに向き合うことが、実は必要なのかな。。。
5 最後に
本当にただの日記になったが、自分の気持ちを整理できた。よかった。
ちょっと考えてみて欲しいんだ。男の人のおちんちんをさ、あのおちんちんをだよ?お口の奥にまで入れてしゃぶること。足でおちんちんを挟むだけ、しかもタイツ越しでOK。どっちがハードル低い?ましてや、自分の性器におちんちんが入ってくることとどっちがハードルが低い?ってことになりますよ。足コキしましょ?ってことですねつまり
久しぶりにAmazon開いたら、アツギだのグンゼだのフクスケだのやたらタイツをおすすめしてくるんだけど、なんで僕の性癖知ってんの
毛玉ができにくいとか破れにくいとか匂いがつきにくいとかタイツの性能も上がってきて良いことなんだけどさ……なんかさ…寂しい気もするんだ………
あのさ、
まあ要は私がその時に設定して契約したアカウントやらのパスワードとかなどを尋ねてきたってわけなの。
思い出したけど、
顔が思い出せないのよねー。
で電話したら
そうね増田ちゃーんみたいな感じで。
あれ?そんな間柄の仲だっけ?
私もパッと言われて思い出せない山の八合目までのところまで行ってて、
結局思い出せなかったの。
私その人と仕事していたの昨年かと思ったけど、
まあ事なきを得まくったんだけど。
結局は思い出せなかったわ。
うーん。
なんだかモヤモヤするわー。
って思いつつ、
まあそれを思いつつって言っておきながら、
その後別に何かするわけでもないし、
いいんじゃないかしら?
本当に思い出せないのよねー。
べ、別に物忘れがなんとかって話をしたいわけじゃないんだかんね!
うふふ。
なんかいいラインナップがないわねーって言霊になるから言わないけど、
目玉焼き的なタマゴがドーンと挟んだ私好みのサンドイッチがあったら嬉しいなぁって。
ちょっとさ、
朝起きたらいきなり腰パワーがゼロで始まる今日一日の物語は辛すぎるわ。
起きてしばらくして腰を温めたら
動けるようになったけど、
冷えにはご用心よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
世の中の二度手間を解消すれば少しは簡単にできるはずじゃない?
だって、
正に二度手間じゃない?
そう思いました。
私じゃないのよ私のことじゃ。
人が作業してる横で見ていて、
まあ教えてあげたら良いと思ってるけど、
これまた私が最終チェックするときに
まあそんな愚痴はおいといてって感じよね。
どっか飛んでって欲しいわ。
電話も鳴るし、
もう今日はこの辺にしておくわ。
うふふ。
朝なんか忙しく呼び出されて借り出されまくりよ。
終わってやっと一息つけるのかしら?ってところよ。
ここまで長かったわー。
水出しで量使えるから、
困ったときは試してみてねー。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
その政令がくだされたのは、なんでもない平日の午後のことだった。
昼休み、うちのクラスの担任である佐藤先生が慌てた様子で教室に駆け入ってきて、突然教室のテレビを点けた。
教室のテレビなんて、そうそう使われることがないから、点いてる様子を皆が興味深そうに眺めていたら、画面に写った知らない政治家のおじさんがそう言ったのだ。
◆
何故同性愛を認めないのか?なんてことはない、理由は知らない政治家が語った。
ここ最近、何度もニュースで聞いたような、ありふれた馬鹿らしい理由だ。
「ここ、足立区では同性愛を赦してしまえば、神の裁きが下り、滅びてしまいます」
◆
神の裁き?ばかな話だ。
ばかな話だけれど、どうも大人たちはそんなばからしい話を真に受けているようで、足立区からはここ数年で随分と人が消えていった。
3年ほど前、政府の生み出した『ホモヘテロセンサー』というムズかしい機械は、同性愛者になりうる遺伝子を判定しているらしい。
そんな機械の普及と共に、同性愛者への差別はトントン拍子で激しくなっていった。
挙げ句の果てに、ここ1年では本格的に疑わしい人間は次々に追い出されてしまった。
"遺伝子レベルの判定"だから、血縁者に一人でも疑わしい人間がいれば家族でまるごと追い出されることになる。
中学まで仲が良かった夏美ちゃんも、この夏休みでどこかに消えてしまった。
◆
一度、現国の田中先生に「どうして足立区だけが同性愛者を許してはいけないんですか?」と聞いたことがある。
別に、同性愛に憧れがあるだとか、やましい気持ちがあったわけではない。
ふと、なんとなく疑問に思って聞いてみたくなったのだ。
田中先生は数秒、床に目線をやりながら顎に手を当てて考え込んでから、少しだけ笑って答えた。
「足立区って、"アダム"って言葉に少し、似ているでしょう?」
先生の言葉は、私にとって突拍子もない言葉で、思わず聞き返してしまった。
私の問いに先生はただ「えぇ」と言って首を縦に振った。
◆
「確かに、春香さんの思う通り、この地、足立区にはアダムとイブなんてえんもゆかりもありません」
「それでも、この世界には"言霊"というものがあります。アダチ、アダチ、と呼ばれ続けたこの地に、もしもなんらかの神や仏が宿るならば、音を因果に引き寄せられてもなんら不思議ではないのではないでしょうか」
◆
「事実、この足立区には昨今、神からの伝令が届いてるとの噂です。そろそろ、"期限"も近いのでしょう。『仏の顔も三度まで』と言いますからね。──神様の顔が何度まであるのか、私は知りませんが」
「春香さんも周りに同性愛者のような人がいたら先生にこっそりと教えて下さいね。私も、まだ死にたくはありませんから」
私はただ「無宗教なのになんでこんなことになるのかな」なんて、そんなどうでもいいことを考えていた。
やっぱり、神の裁きなんてばかばかしい。
勿論、同性愛が芽生えたからって世界……じゃなくて足立区が終わるわけなんてないだろうけれど。
◆
──そんなことを思い出しながら、手元の牛乳パック、いちごオレに刺さったストローを吸った。
「神様って、いると思う?」
隣でお弁当を食べている秋穂にそんなことを問う。……購買で買ったパンを食べている私とは対象的だ。
「ひゃあ、ひょうひゃろね」
少しオーバーな仕草でごくん、とたこさんウインナーを飲み込んで、でもちょっと飲み込むのが大変だったのか苦しそうな秋穂にそっと手元のいちごオレを差し出した。
秋穂は差し出されたいちごオレのストローをちゅー、と吸ってから舌をべーっと出した。
「文句言うな」
「そもそも春香はすごいよね。いちごオレに、メロンパン。よく甘いのと甘いのを食べられるよねー。私ならコーヒー飲んじゃう。あまあまにあまあまで、女子力だ!」
「甘いと女子力なの?」
「なんだったっけかなー。古い音楽なんだけどね。女の子はお砂糖とスパイスと素敵ななにかでできてるらしいの。お砂糖いっぱいは女子力なのです」
えへん、と秋穂は何故かドヤ顔で、大きな胸を張りながら語る。……いろんな意味で、ちょっとだけ羨ましい。
「じゃあ今度はカレーパンにしようかな」
「ほへ?なんで?」
「……女子力だ!」
「素敵な何かはどこに売ってるのかな」
「私との時間だよ!」
秋穂はそう言いながら両手を高く掲げる。彼女の仕草はいつだってオーバーだ。
私は少し笑いながら、すぐにお米とブロッコリーの間で箸を惑わせはじめた秋穂の横顔を眺めていた。
◆
秋穂は、重力に負け、垂れて邪魔そうな長い横髪を耳にかけながら私に目配せをする。
「ねぇ、どっちがいいかな」
上目遣いの彼女の視線──に、私の目線が重なることはなかった。
彼女の長くて黒い横髪がかきあげられて、あらわになった耳に、いくつもついたピアス。
私の目線は、そこに釘付けだった。
端的に言えば、意外だった。ギャップだった。
性格がゆるふわで、ほわっとしてて……見た目だって黒髪ロングで、あとさらさらで。
育ちが良さそうな──お嬢様っぽい、秋穂の耳にいくつも並んだピアスは、私にとってそれなりの衝撃だったのだ。
◆
私の目線に気がついた秋穂は「あっ」と小さな声を漏らした後、顔を赤くしてすぐに横髪を手ぐしで下ろした。
横髪を一通り整えた後、なんの関係もない、綺麗に切りそろえられた前髪を少しくりくりと弄りながら、悪戯な笑顔を私に向けて。
私は、その表情に見惚れt
黒人プリケツをバックからガンガン攻めて、ペシペシしたりハムハムしたりしたくて、tinderで相手を探していた。
見つかったのはジャマイカ人2人。
話は逸れるが、東北地方にチラホラジャマイカ人がいるのはなぜ?
ジャマイカ人→?
N=2だけど、ジャマイカ女の特徴を挙げていく。
1.すぐキレる
何気ない会話に地雷が多すぎて、すぐキレだす。
例) パトワ語話せる?♪→ は?ジャマイカ人だからってバカにしてんの?母国語は英語じゃ!殺すぞ?
2.やたらとスピリチュアル
言霊とか、格言とか、神とか、スピリット(気運)とか大好き。ヴードゥー教崇拝がルーツにある?
love, peace とか好きね。会話も端端にスピリチャル系の問いかけがあり、ついて行けない。
3.すごく、真面目(っぽい
ジャマイカ男が世界でも有数のクズなだけに、女性はしっかりめなのか?と勝手に想像。職業不明だけど、日本で一人暮らしできているから、本国的にはそれなりの給料もらってるよね。なんか、英語の先生とかヘルパーっぽい事してる。
こちらはただ尻を拝みたいだけなんだが、会ったらますます面倒臭そうで躊躇している。
なんでそれが突然出てきた?
それは既に書いた通り、「想像して遊びたい人」と「地に足つけて批評したい人」のすれ違いだと思うよ。
その部分はよくわからなかったのでとばしてしまった。メインなのか。ならちょっと頑張ってみようか。
第三者の力で嘘が禁じられた世界で誰かが発言したとき、それが真実であるとすれば、ある二名が互いに矛盾した結果を口にした途端パラドクスが発生するので成立しない
「ある二人が互いに矛盾する内容を口にし、なおかつ両者がともに真実を語っていた場合、パラドクスが発生する」ということかな?
まず、未来予知に話題を限定するので、ここでは「まだ起こっていないことについて話す」場合を想定するね。
私は発言という行為自体に介入して嘘を禁じることを前提に考えていたから、そもそも「二名が互いに矛盾した結果を口に」する状況を想定してなかったなあ。掘り下げると「未来の事象をも含むアカシックレコード」的な、あるいは宿命論的な存在を前提にしているね。むしろその前提ぬきに「嘘をつけないようにする第三者としての機能」を発想できなかった。設定の粒度の荒いファンタジーだけど、「嘘がつけない」という大本のお題の時点でそのくらいの粒度の話だと思ってはなしてる。
一方であなたは、発言の後に試行されて結果が出る、より現実的な世界を前提にしていて、そこで「嘘がつけない」という設定を実現するには「言霊的なものを想定している?いや違うよなあ」と混乱したのだと思う。この「言霊」的な「嘘抑止」もおもしろいね。話したことが現実になるので嘘がつけない。たしかにあなたの言う通り、この場合はパラドクスが発生するね。
なるほど。実は最初の返信(https://anond.hatelabo.jp/20200605155258)の時点で「1. 神の視点」と「2. 発話者の認識」に分けたのはまさにこの分類が念頭にあったからなんだ。「「嘘である」と増田によって認定されるか」ではなくて、禁じられるか否かについての分類だけど、たぶん答えになるはず。
正直者!
1. 2. ともに禁止。
たぶん正体くらいのつもりだよね?
いや、主語のほうが近い。何指してんのかわかりにくい。
最初からこう書けばよかった。単純に文章が体言止め多用で読みにくい。
例えば「明日は雨が降る」と言おうと試みる。言えたなら雨は降るだろうし、言えなかったらふらないだろう。
未来予知になってない。そもそも第三者の力で嘘が禁じられた世界で誰かが発言したとき、それが真実であるとすれば、ある二名が互いに矛盾した結果を口にした途端パラドクスが発生するので成立しない。もしそうした魔術的な、言霊としての嘘がない世界(すなわち口にすれば現実化する)を仮想してないなら発言される内容には意図しないハズレが必ず存在することになるので、未来予知になるはずもない。この増田の言ってることはおそらく後者だろうから、未来予知にはならない。
そして乗っ取りの件だけど、乗っ取られることすら察知できる機械の経済について話す前に、ここで乗っ取られる危険性が云々言い始める理由が不明。思考実験のテーマから外れすぎてる(素っ頓狂な印象を受ける)。
【追記】
なんか寝て起きたらそれなりにブクマついてて草。
冷静に読み返したら敬称つけてないの人として恥ずかしいから修正しました。
例示のやり方でネトウヨだと思われてるみたいだけど、政権よりの発言してもスターは稼げないのでそっちは言及してないだけです。悪しからず。
【本文】
はてブは、空気を読んだコメントを伸びそうなエントリーに付けてスターを稼ぐ対人型オンラインゲームだと思っている。PvPだからメタ、環境がその都度変化して、その変化を読んで時流にあったコメントをすることが醍醐味だった。
今のはてブはそのメタがめちゃくちゃシンプル。安倍政権を叩く、スター。自粛警察を揶揄する、スター。〇〇おじさん「〇〇」、スター。
簡単すぎて張り合いがない。
少し前までのブクマはもっとシビアだった。大喜利、ダジャレ、オタク知識の開陳、色んな手管を使わないとフラグトップはおろか人気ブコメにすら入れなかった。whkrさん、cider_kondoさん、金髪縦ロールおっさん、人気ブクマカをどう出し抜くか必死だった。
いま、よく見るブクマカを上回ることは簡単である。Kincityさんより、buuさんより、grdgsさんより過激なことを、より早く言えば勝てるだろう。でもそれになんの意味があるのか。知的興奮がない。自分がどんどん言霊に毒されていくだけだ。
コロナウィルスが去り、安倍政権が瓦解するまでブクマをやめようと思う。それまで自己研鑽に励み、磨き上げた剣で再び猛者達としのぎを削るのだ。はてブは面白くない人たちが面白くないことをする場に成り下がった。今は機ではない。
増田での最大の楽しみはポリコレバトルウォッチである。そう考えているのは私だけではないはずだ。過激派フェミニスト・子供部屋アニオタ童貞おじさん・キモくて汚くて金の無いおっさん等々の玉石混交な人々が自己の価値観をぶつけ合うバトルは、現実社会で行われる会話や議論に比べたら非生産的で意味の無いことだ。しかし、当のバトラー達が綴る文章は世界の破滅を示す黙示録であるかの如き筆致であり、「日本死ね」等の言霊の扱いに数多のウォッチャーが打ちひしがれてきたことだろう。
私はそうしたバトルを眺めるだけには飽き足らず、脆弱な理論で書かれた愚痴を正論ストレートの反論でぶち砕き、堅牢な理論に対しては間違った反論をわざと書いてその身を炎上の燃料にしたこともある。その際には憂国ネット右翼から革命的左翼まで様々な人格を演じて増田を盛り上げてきた。こうしたことができるのも増田のメリットだ。Twitterでは過去の発言と比較して矛盾を突かれてしまうし、匿名掲示板であっても5ちゃんねるのようにIDがあると自演乙と一蹴されてしまう。
しかし最近の増田は一体どうしてしまったのか。このご時世私は外出を控えているので、必然的に増田に入り浸る時間ばかりになるが、新型コロナに対する日常生活の不安や政府批判ばかりでつまらない。そんなことは真っ当なメディアで扱えばいいことであり、匿名による怨嗟の声が蔓延するバトルフィールドである増田に好ましくない。ほんの一二か月前は宇崎ちゃんやラブライブのイラストでフェミVSオタの熱いバトルが繰り広げられていたのだ。一枚の絵画で激論バトルをするなど教科書に載るレベルの歴史的美術品でもできないことを彼ら彼女らは増田を舞台に繰り広げていたというのに、今はすっかりいなくなってしまったのだ。
どの職にも特有のストレスというものはあるだろうけど、小説家にもつらいものがある。
それは仲間作家の存在だ。作品と著者人格は切り離すべきだとは思いつつも、ああまでつまらない小説で人から金を取ろうとする神経を疑ってしまう。
そしてつまらない小説に面白かったですよ~とか言うのは耐えられないのだ。いやずっと耐えてはきたけど、そろそろHPがなくなりそうなのだ。
せっかくの増田だしストレートに思ってることを書いてストレスを発散しよう。
カスみたいな中身のない小説で金を稼ごうとするな!!!!!!!!!
もっと内容に技巧を凝らして価値のある本を作って読者を感動させろタコ助!!!!!!!!!!
少なくとも人の感情くらいウソをつかずに正直に書けよ!!!お前らの小説のキャラクターうそばっかなんだよ!!!!!!!!!!!
書いた。海に向かって叫んだわけではないのでまったく気分は晴れないけど、それはともかく。
無論シビアな業界であり、話の質よりもパッケージを含めたマーケティングに精を出す方が職業作家としては大事だということはわかりつつも、どうしてもそういう風に思ってしまうわけである。人柄だけ取ったときは本当にいい友達なのでなおさらつらい。
最適解は知り合いの小説はそもそも読まないようにすることだと思う。これが精神衛生上一番よさそうだ。でも向こうが読んでくれているときに申し訳ない気持ちになるし、今まで読んでいたのに急に読まなくなったら変に思われるだろう。
もしくは自分が本当に好きだと思える小説を書く人にだけ会うようにするか。いやそれは無理だ。そもそもこの年になって新しく読んで面白いと思える小説なんて百冊に一冊あるかないかだ。
中にはかなり割り切れている人もいて「読みマシタ面白かったデス」とbotのように答える作家もいる。それがいかに内容の薄い感想であったとしても、受け取る側もなんとなく察しているから特に踏み込んできたりはしない。これは大人のマナーみたいなものだろう。そもそも人に読んでもらえるだけありがたいというのは変わらないので、読んでもらった上にさらに面白いという感想まで求めようとするプロは少ない。というか少なくとも私は見たことがない。
いい年こいて知り合い以上のトモダチを作ろうとしている自分が悪いのだろうかと思うときもある。割り切った付き合い方ができる人は「知り合い」を作るのがうまくて、本音で話す相手は奥さんとか旧来の友達とか編集相手に限るんだろう。非常にオトナ的だし賢いといえる。そういう人は作家間のコミュニティもうまくいくし色々な場所に呼ばれて人脈が広がり、仕事が増えてよりマーケティングもしやすくなるのかもしれない。とするとやらないほうがアホだな。私はきっとアホなんだ。そして不器用なんだ。でもこういうことでうじうじ悩むような人間性だから作家になったんじゃないかとも思う。
一流作家の桜庭一樹さんは、新人作家に対するアドバイスとして「群れるな」と言っていた。きっと色々なニュアンスを含んだ言葉ではあるんだろうけど、この場合でも当てはまるに違いない。
いい小説はいいと思い、わるい小説はわるいと感じる。そうしてはっきりと色分けをしないことには、自分の書いたものがいいか悪いかもわからなくなってしまう。
作家にありがちだが、私は言霊の存在を信じている。言っていることはいずれ現実になってしまうという恐ろしいシステムを。
私がたとえウソでもつまらない小説を面白いと言いたくないのは、それを口にしてしまったら、いつか遠い未来で自分が不安になるとわかっているからだろう。いずれ思い返したときに、あれを面白いと口にした場面が蘇ってしまい、きっと自信が持てなくなるに違いない。価値判断とは難しいものだ。
人付き合いに辟易して会社をやめたときも同じようなことを考えていたな。正直でいなければならないというのもコミュ障の持つ欠陥のひとつだ。
結論は出ないが決めた。
少なくとも、今後新しく会う作家の小説は読まないようにしよう。
既に知り合いの作家の新刊は? どちらかというとこっちの方が問題だけど。
読む時間がないと言い訳できるほど忙しい人間じゃないことは周知の事実だ。
本当に友達だったら、あるいはこういった本心を話しても大丈夫なのかもしれない。でもやっぱりそんな域ではないのだろうな。
うーん、困ったよなぁ。
読んで正直に今回は微妙でしたって告げる方がいいのかな。少なくとも私だったら正直な感想をもらえた方がずっと嬉しいな。
そうするか?
言霊を本気で信じている訳ではないが、愚痴を言うことは良くない事だと信じている。
だから、人の愚痴を聞くのは嫌だし、他人の悪口ともなると嫌な気分になる。
自分が失敗だと気づいたのは愚痴を言わないと、いつまでも心の中のバケツに溜まり続けて限界が来ると爆発してしまう...
爆発の仕方は色々あり、完全に病んで人間活動停止、人に対してブチ切れるなど。
ここで本題なのだが、愚痴を言わないひとはそもそも存在するのだろうか?
もし存在するとして日々のストレスや嫌な出来事に遭遇した気持ちを、どうやって処理してるのだろう?
僕は愚痴を言わないというよりも、現在は人類との関わりが希薄で、愚痴を言える相手すらいない。
また近々爆発する