はてなキーワード: 治療費とは
18万くらいで治るなら安い
→治るとは限らない。合う合わないがある
そもそも鬱に「治る」はあるのか?
エステでもいきなり複数回分払わせる料金形態があるが、その場合途中解約で返金してくれる。
複数回分を見込んで…なら、効果がないなら返金対応します!って方が良心的かなとは思う
最初1回高いのは、リピーターがほとんどいないからじゃないかな?と思ってしまう。電話対応の利用者はどれだけいるんだろうか
そもそも、必ず治ります!ってのは鬱病に関しては言えないと思う。
ただし、それが救いになったら、それは当人にとっては、払う価値がある。
あと、これだけお金を払ったのだから効果があるはずだ!という裏付けにする分には、初回高額の治療費は効果を後押ししてるのではないか
何かを始めようとすれば「ダメな奴は何をやってもダメ」と出鼻をくじかれ、じゃあ迷惑かけたくないんで何もしませんと言えば「逃げるな」「努力しろ」「甘えてる」、でしたら頑張ってやります、でも失敗しましたとなると「初めからやるな」「お前は引っ込んでろ」「努力が足りない」「そもそも努力してない」、仮になんとかやり遂げても「当たり前」「みんな出来てる」「そんなことで褒めてもらえると思うな」「下手くそ」
結局社会は無能に消えてほしいと思っている。同じく無能も社会から消えたいと思っている。双方の意見は合致してるはずなのに、無能は消えることも出来ず毎日社会の足を引っ張り続け、社会は毎日無能に迷惑を被る。ここで言う社会が受けている迷惑は仕事場でのミスや脛齧りの引きこもりだけではなく、電車の人身事故や投身自〇の巻き込み事故など〇殺が引き起こす二次被害も含む。
自分は無能で社会に要らないと確信し、社会から消えようとも今現在の日本では自主的に死ぬ時まで社会に迷惑をかけなくてはいけない。おまけに自〇未遂で病院送りになると治療費は全額自己負担となるらしい。
そこで私が提案したいのが⑴安楽死の合法化⑵希望制の人権剥奪⑶1と2で発生した死体の有効活用だ。
まず⑴の安楽死合法化。これは何度もネット上で議論になったり、これをマニフェストとして掲げる政党も現れるくらい広まった提案だ。まあ最近だとTwitterの自称反出生主義者が自分の気に入らない他ユーザーを叩くための免罪符にして暴れ回るので話が拗れて訳が分からなくなっているのだが、こういうネットチンピラを一掃するにも安楽死は是非実装されるべきだと思う。(かと言って合法化された所でコイツらが大人しく安楽死するとはあまり思えないが)話が逸れました。無能の話を続けます。家庭から、学校から、職場から、社会から爪弾きにされた無能を救ってくれる制度はありません。そして自主的に死ぬと死体蹴りされます。これじゃあどっちも損です。じゃあ自由に合法的に死ねる制度を作りましょう。これでwinwinです。でもそんなことしたら日本から人が居なくなる?これは完全に主観ですが人口は減っても大して損害はないと思います。あるSF小説であった話で、死後の世界を映すモニターが開発され、そこに映された天国の様子や死別した愛する人を観て多くの人々が自ら命を絶っていく。でも一部の人は拭いきれない死への恐怖から生き続け、ひたすら死体の処理をし続ける、という内容でした。この話をどう捉えるかは人それぞれでしょうが私はこう捉えました。「死にたい奴らは勝手に死んで生きたいor死ねない奴らは勝手に生きろ」と。私はこの物語の世界は凄く理想的だと思います。ただこの話だと死ぬ方法が苦痛を伴うものしか描写されてなかったのが少し残念ですね。かなり昔の作品なのだからでしょうか…。現実安楽死が合法化すればいわゆる自認のある弱者は淘汰され、人生お気楽有能ラッキーマンや根性論信者が生き残る「理想の社会」が生まれますね!そこでもカーストは生まれるだろうけど私みたいな底辺には知ったこっちゃありません。だって死んでるし。それに私らが受けた迫害なんかよりずっとマシだろうし。
⑵の希望制の人権剥奪は私の勘違いから思いついたことです。死刑=殺人の合法化=人権剥奪だとつい最近まで思い込んでました。馬鹿なので。でも不思議な話ですよね、法の下で人の生死を決められるのに自由な自〇は許されない。そもそも死刑確定しても何年間も国民の税金で生かして死刑にするときもあれこれ手順を踏まなきゃいけない。馬鹿らしいですよね?生きる価値がないと公式に認められた人間を血税でしばらく生かすなんて矛盾してますよね?それこそ某番組の雑ドッキリみたいに死刑確定したら即執行すればいいんですよ。罪人に死を覚悟する時間を与えるだけ無駄です。また通り魔がよく口にする動機で「死刑になりたかったからやった」、これは単なる建前かもしれませんがもし1%でも諸事情により自〇出来なかったから犯罪するしかなかったと考えてたら、是非人権を剥奪してあげてほしいと思うんですよね。
⑶は上の話の続きになりますけど、⑴のように自主的に命を絶つときにただ埋葬するのではなく、臓器移植など生きたいけど生き残れる可能性が低い方々のために役に立たせる方法を希望できるようになると良いと思うんですよね。また⑵のように死刑囚は人権を剥奪し今まで倫理の問題で出来なかった実験の被験者になってもらったり、死後も標本か何かにしてこれからの科学の発展に活用した方が遥かに明るい未来が待ってると思うんですけどねえ。
あるスポーツ選手はこう言いました。
「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」
あるアーティストはこう言いました。
「不遇を社会のせいにして、いつか大きな何かに無償の愛で救ってもらえると夢見てる負け犬どもが多過ぎる。いい加減目を覚ませよ。まだ間に合うから」
でもそれって成功したからこう言えるんですよね?努力が結ばれたからこう言えるんですよね?才能があったからこう言えるんですよね?周りの環境が恵まれてたからこう言えるんですよね?
「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」という有名な格言がありますが、これ裏を返せば1%のひらめきを生み出す才能が無ければそこでおしまいなんです。どんなに努力しても結局天賦の才能には勝てないんです。これ、ごく普通の人でも99%の努力しても1%の才能には到底及ばないのに、生まれ持っての無能となると99%努力してもやっとスタートラインかその手前なんです。それを「努力と呼べない」「社会のせいにしてる」なんて言われたらもう死ぬしかないですよね。じゃあ120%の努力をしろよとも思いますがそうして燃え尽きた無能を私は何人も見てきました。
ここで散々無能と呼んできた人の種類を詳細に伝えます。無能とは「発達障害」「精神障害」「知的障害」「サイコパス」そして「やる気のない人間」です。ちなみにわたしは知的とサイコパス以外全部当てはまります。このように書き連ねると今までの文章からして私のことを植松信者だと思われそうですが断じて違います。
優生学という考えがあります。簡潔に説明すれば劣った人間を減らし、優れた人間だけ生かして生み出そうというものです。世の中にはこの簡潔な説明文を見ただけで発狂し噛みついてくる人がいますが、それは植松事件や旧優生保護法、そしてナチスのT4作戦を想起させるからだと思います。これらは優生学に基づいた犯罪・政策であったから非難されていますが「『同意を得てない』人間に『有無を言わさず』優生思想に基づく方法で理不尽に命を奪ったり手術をした」という面にもっと注目してほしいんですよね。優生学自体を頭ごなしに否定するのははっきり言って思考停止してます。少し前某ミュージシャンの「お化け遺伝子」発言による炎上騒動がありましたが、これに反する意見としてナチスの政策と同じだ!と主張する人が多く見られましたが、ちょっとズレてるな〜と思いました。ミュージシャンの主張は「優れた才能を持つ人達(=お化け遺伝子保持者)を国がプロジェクトとして集め、その天才同士での結婚相手を決めるという、なんだか某アイドルが入信した統〇教会を思い出させる失笑モノの意見(もっと言えば結婚=子作りという旧時代の考え丸出しの発想がさらに大衆の失笑と非難を浴びた)でしたが、要するに彼の主張は「積極的優生政策」であり、一方ナチスが行ったので有名なのは前述のT4作戦やホロコーストなど「既に産まれてしまっている劣った人間を抹消する」方なので、お化け遺伝子をナチスと同じだ!と批判するのはあまり噛み合ってません。(一応ナチスも党の基準での「優れた人種」の女性とナチス親衛隊の男性を結婚させた事例があるので間違いではありませんが、例のミュージシャンのリプ欄でT4作戦のことを挙げ反論している方が多く見られたので敢えてこう述べさせていただきました)
それから記憶に新しいやまゆり園事件。これに関しては事件そのものより植松のダブスタっぷり、思考の浅はかさを指摘していきたい。「ケーキの切れない非行少年たち」という一昨年くらいにヒットした本がある。この本の内容をかなり要約すると「いわゆる非行少年と呼ばれるような少年院にいる子供達は軽度知的障害を抱えてるケースが多く、これを解決するにはある訓練が必要だ」となる。つまり知的障害があるから物事の良し悪しが分からないため罪を犯すのだ。そして植松は学生時代未成年飲酒や喫煙、さらに暴行事件や薬物乱用など起こした罪の数々を見れば典型的な「非行少年」である。ここで植松の思想及び主張を思い出してみる。「意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会に不要な存在であるため、重度障害者を安楽死させれば世界平和につながる」ケーキの切れない(略)と植松の前科、そしてこの主義主張、こうしてみると「軽度知的障害者が重度の障害者を攻撃している」という事が分かる。植松は正式に軽度知的障害と診断された訳ではないが、過去に軽犯罪を繰り返しその後件の事件を引き起こしたとなれば、立派なダブルスタンダードである。むしろ犯罪者は軽度知的障害者に多いとなると介護が必要なくらいの重度障害者と比べてどちらが社会に不必要かは言うまでもない。
最後に旧優生保護法について。私の正直な意見を言うと、この制度多少の改良を経て復活させてほしい。遺伝性の障害を持つ人が子供を持とうというのははっきり言って傲慢だ。だからと言って強制的に不妊手術を全員受けろとまでは言わないけど、発達障害精神障害知的障害を持ってて自分の面倒すらまともにみれないのに、同じ障害を持つかもしれない子供を育てられるのか?無理だろ。子供が生まれれば自分は変われる?幸せになれる?人生がバラ色になる?寝言は寝て言え。子供はお前らを幸せに導くラッキーアイテムじゃあないんだよ。これは健常者にも言えることだが、子供を作る動機として挙げられるもので、子供のためを思ったものがほとんどと言っていいほど存在しないのだ。「なんとなく欲しいと思った」「子育てがしてみたい」「夫婦間の中が悪いから仲裁役として」「とにかく楽しそうだから」「将来介護してもらうため」こんな感じである。(私はなんとなくで産み落とされました)せめて建前でも「子供にも幸せな人生を送ってもらいたいから」とか言えないのか。結局親というものは最初から自分第一なのだ。確証も無いのに何故か五体満足でオツムもまともな子供が生まれると信じて止まないのだ。そして実際出生前検査でダウン症など先天性の障害が見つかれば中絶を決断する親もいて、産まれても泣き声がうるさい言うことを聞かないなど予測可能なことで子供に危害を加え最悪殺害する親なんてのも後を立たない。さらにもっと視野を広げれば、人生なんて苦難の連続と散々言い伝えられているのに、それを経験しているはずなのに、ウエディングハイの延長で人ひとりの人生を強制スタートさせてしまう身勝手さと計画性の無さ、非常に軽蔑させられる。また優生保護法で強制不妊手術を受けさせられた方のインタビュー記事がネットにあったので読んでみましたときのことです。その方は精神障害を抱えており、自分に子供がいたなら人生は間違いなく幸せだったと仰ってました。いやー反吐が出る。子供は幸せを運ぶ天使か何かと思ってないか?こういう考えしか出来ないから自分の人生不幸だと思い込んで優生保護法に八つ当たりしてないか?まあいいや、少なくともこの方の子供となる不幸な人間は存在せずに済んだので良かったとしよう。
私は発達障害と精神障害を抱えているので絶対に子供は欲しくないし、もしこの先異性と体を重ねることになるとしても避妊失敗が怖くてとても出来ません。もし優生保護法がまだ現役で強制的に不妊手術します!費用は国が負担します!なんて言われたらきっと狂喜乱舞するでしょう。
まあ要するに何でも希望制にすれば良いんですよ。死ぬにも手術するにも人権捨てるのも。夫婦別姓も同性婚もしたい人だけやればいい。どうしてそんな簡単なことが出来てないんだ。多様性って何だ。あっ、でも子作りだけは免許制にしてほしいな。子育てって車の運転以上に知識・技量・適性が問われるはずなのに。おかしいよね、世界。
政治に興味を持たなかったから今の事態は訪れてる。日々の仕事を頑張っても、政治を忘れたら苦しくなる。
今回の医療の話をする。
一年たっても準備しない人の話をする。
日本の医療は、八割私立経営で小規模病院中心。公営が八割で大規模。ドイツ、ヨーロッパは八割公営で大規模。二割私立経営。ざっくりこんな感じ。
だから、ヨーロッパとか持ち堪えてるわけ。日本はすぐに限界が来る。
医療費全体は大して変わらない。ドイツヨーロッパは治療費に使ってて、日本は私営病院の医師の給料に使ってる。
金を医者に回してるだけ。これは厚労省や政治家が作った。日本の医療は、二割の公営のところが高いと宣伝してるだけ、やってる感。
そこを変えないと、いつまでも、コロナみたいなものが来たら、いつでもきついまま。
保険料払っても、何も変わらないよ。
東京での人の道でのすれ違う時の様子には時代の変化も感じます。
私は昭和の高度成長期育ちなのですけど、子供の頃は都内の狭い道を大人同士が交差する時に「すみませんな」、「ごめんなさいよ」、「どうもね」等と声を掛け合って体を捻じ曲げるようにしてでも衝突を避けている人が大勢いましたね。下町だったからまだ江戸期から明治、大正、戦前の昭和までの庶民文化の片鱗が残っていたのかも知れません。衝突率は酔っぱらい以外はほぼほぼゼロです。
まぁ、無愛想な人もいるので頭を気持ち下げて片手をちょっと上げて無言の「どうも」サインの人も沢山いたけれど。個人的には、この時期に東京は地方からの大量の集団就職とかで来た人々が暮らしていて、地方のなまりを聞かれるのが嫌で黙っている人が増えたのかなと感じていました。そして、この無言派の人々が増えたよね。結果、無言同士の「どうも」サイン交差がメジャーになってたな。まだ聞こえるか聞こえないか位の小さな声かけが残ってたけど。
平成の中頃になってから気がついたのは「おや?日本人(東京でだけど)は全く無言で交差するようになったなぁ」と言う変化。ベビー・ストーラー(ベビー・カー)を押して来るお母さんや松葉杖の人に道を100%譲っても、かなりの人は無言「どうも」サインもないんだなー。まぁ、感謝して欲しいから道を譲ってる訳でもないし、個人主義とやらの時代なんだろうが、知らない人同士のコミュニケーションや潤滑油は消えたと感じたかな。悪意で解釈するとそれが当然の権利だとか主張されてる感じ。善意で解釈すると、そこまでシャイで内向的な人が増えちゃったの?と言う感想。そんなんだと結婚生活やら家庭生活大変だろうなとか余計な事を思ったりする。さらに雨の日なんかには「傘かしげ」すらしない人も激増しているから、無言のぶつかり合いをよく見るようになった。私はそういうの嫌なんで速攻逃げてますが。。そのうち、出るんじゃないかな、「お前の傘で怪我したろ治療費払えよ」詐欺。
因みに、米国とか雑多な民族が一緒に暮らしてる国だと、知らない人同志の声掛けやあいさつは常識レベル。日本で暮らし始めた米国人とかと目があうだけであいさつしてきたりする、あれ。あんな感じ。ビジネス街ではいちいち挨拶なんかしないけど、郊外の住宅街とかだと知らない人同士でも挨拶してた。日本ではバス待ちとかでは皆黙って静かに待ってるけど、米国(といってもワシントンDC近辺)では結構、知らない人同士でも会話する。ある時、赤ちゃんをだっこしたお母さんと私だけでバスを待ってたら、そのお母さんがいろいろ話しかけてくる。私もそういうのに慣れて返していると、途中で、そのお母さんとっても安心した表情になったんだよね。その時の雰囲気である事を悟った。あなたはヤバイ人じゃないよね、安全な普通の人だよね、私達親子に手出ししないでお互い何事もなくバス乗っていきましょうね、と確認してるんだなぁ、と。因みにこの国では通行で体がぶつかるなど絶対禁忌だからまず無い。もしそれが起こったらかなり面倒くさい。
米国から日本に帰ると、日本を良くも悪くも感じた。デパートのガラスドアの向こうに女性がやってくる。私が慣れたのは男性がドアを開けてあげて、女性をまず通してあげる文化。女性はニコッと微笑んで「ありがとう」と言ってくれる社会。日本でこれをやると女性が戸惑うか、極度に恐縮される。もしくは一部は過剰に喜ばれる。まぁ、早いもの勝ちで通ってく文化に、そう文句がある訳ではないけれど。
私は特に今の日本の悪口を言いたいわけでは無くて、その特徴や変化を述べたかっただけ。今の日本、暮らしやすくなったところもたくさんありますよ。例えば、昔は赤ちゃんを「おんぶひも」するのはお母さんの役割で、お父さんがこれをすると周りから奇異な目でみられて大変なプレッシャーがあった。我が家ではお母さんが疲れたら、赤ん坊のおんぶは犯罪ではないと社会の逆風に逆らってお父さんがおんぶしてたのですが、隣から物笑いの種にされたりでもう大変。今は普通にお父さんも「だっこひも」できる時代で良いよなーと感じます。
昔は良くも悪くも男尊女卑の時代。この時はみんなが喜んで暮らせる鍵は男にあって、男が周りを思いやって親切に努めるとかなりうまくいっていた。今は良くも悪くも女性の権利の時代。この時期にみんなが喜んで暮らせる鍵は女にあると思うな。女が周りを思いやって親切に努めると何が起こるだろうか。東京の通行で、実は女性がぶつかってくる時代の電子記録に、残しておきたい思いです。
「落としましたよ」
そう言って前を歩く男のコートのポケットに落とし物をねじ込む。
男はポケットに突っ込んだ手を「熱っ」といって引っ込める。
その落とし物はさっき男がポイ捨てた吸い殻だ。
「おい待てよ。何してくれてんだ」
「お礼は結構ですよ」
「ふざけんな」
男はポケットから取り出した吸い殻を再び道に落として激高する。
「また落としましたよ」
「捨てたんだよ。頭おかしいのか」
「火傷しただろ。治療費と慰謝料払え。あとコート代も弁償しろ」
「落とし物を返したあげただけなのに」
けっきょく警官が呼ばれて裁判になって、罪に問われた私は男が請求する費用と慰謝料の何分の1かを支払うことになった。
煙草のポイ捨てを目の当たりにするたびに私はこのような妄想をする。
どのみちポイ捨てに干渉して良い結果を妄想できたことはなかった。
現実の私は気付かれないようにしっかり火を消して吸い殻を拾い、ウェットティッシュにくるんで持ち帰って捨てる。
善行を積んでいるような気にはなれない。
私は親からすると金のかかる子供だと思う。中学高校大学と私立に進学し、奨学金も取らずに過ごしている。しかも今までバイトはしたことがない。そのくせ金遣いは荒く、使うときにパッと散財する。お金の管理も苦手な方だ。
最近自分の預金残高を見た時、なんとなく予想していた100万円にははるかに届かない金額で唖然とした。思っていたより私には全然お金がなかった。授業料生活費その他諸々を含めれば、仕送りをしてもらっても到底安心できる金額にはならないほど。
早速いくつかアルバイトを申し込み、そのうちの一つがうまくいったため親との雑談の中でその話をしてみた。だがそうしたところ、猛反対された。なぜ学生がそんなにお金のことを気にして、100万も貯めようとするのかと。金銭感覚がおかしいと非難された。
親の経験上、学生のうちはお金のことは特に気にせず、勉学に励み、サークルに勤しみ、アフターにも積極的に参加して人間関係を広く構築すべきらしい。
私もそれはわかる。だが、お金が無くなったらと考えると無性に不安になってしまう。私や他の兄弟の学費だけではなく、高齢のペットの治療費もバカにならないし、母ももう若くはない。いざというときお金がなかったら、どうにもならないんじゃないか?
私たちは普通の家庭だが、このご時世では“普通の家庭”も一般的なものでなくなっているというのに。普通の家庭、普通の家族の位置に安住している場合ではないというのが私の考えだ。だから、私には万が一のためのお金がいる。
だが、それは間違っているのだろうか?教えてほしい。
社会人の目に私のこの考えはどう映っているのだろうか。
誰か、私に教えてください。お願いします。
○ 米国における自殺幇助 (Assisted suicide in the United States - Wikipedia )
https://en.wikipedia.org/wiki/Assisted_suicide_in_the_United_States
「当然のことながら、死の幇助の受容性は文脈によって異なります。2014年のComRes/Careの世論調査では、73%が
“末期の病気で、自分の人生を終わらせることを明確かつ確定した意思を宣言した英国の 知的 精神的 判断能力 がある成人が、
致死量の薬を自己投与して自殺をする支援を受けることができる” という法案の合法化に賛成しています。
しかし、これらの同じ人々の42%はその後、死の幇助に反対するいくつかの経験的な議論が強調されたときに、考えを変えました。
例えば、愛する人に負担にならないように彼らの人生を終えるように人々に圧力をかける 危険性のようなものです。」
○ オレゴン、ワシントン、カリフォルニアの尊厳死の2016年レポート (尊厳死国立センター)
尊厳死法に基づく処方箋 | 尊厳死法による死に基づく死 | 尊厳死法に基づく死亡者の割合 | 全死亡の割合 | |
オレゴン | 204 | 133 | 65% | 0.4% |
ワシントン | 248 | 192 | 77% | 0.3% |
カリフォルニア | 191 | 111 | 58% | 0.1% |
合計 | 643 | 436 | 68% | 0.3% |
賛成派なら教育水準が高い=年収も高い層が尊厳死を選んでいるとするでしょう。
自分は反対派なのでハイパー学歴社会の米国に置いて高卒未満(Less than high-school education)がこんなに含まれているのかよが感想。
つかなんで修士未満か?じゃねぇんだよ、ニュースかドキュメンタリーで実質的に州から死ねと言われているってヤツみたぞ。
白人 | 非白人 | 高卒未満 | |
オレゴン | 96.6% | 3.4% | 5.9% |
ワシントン | 95.7% | 4% | 3.3% |
カリフォルニア | 89.5% | 13.1% | 5.4% |
賛成派なら、治療費の懸念は尊厳死にほとんど関係しない、経済的理由以外で自分自身に選択を下したとするでしょう。
自分は反対派なのでやっぱり経済的理由を気にしている人おるやんけ!!!以外に無い
保険なし | 治療費が気になる | |
オレゴン | 1.4% | 3.1% |
ワシントン | 2% | N/A |
カリフォルニア | 3.6% | N/A |
高額な治療費がかかり治療を受けたくても受けられない人もいるのでぜひ実現してほしい。
でも、不妊治療が少子化の根本的な問題ではないので、安心して子供を産んで育てられるように経済を活性化させたり、賃金を上げたりする方が先・・・・・
・携帯料金下げる
携帯料金は家計を圧迫してるからすごく助かる。ぜひ実現してほしい。
でも、これって経済回復の根本的な解決策にならないよね?経済を活性化させたり、賃金を上げたりする根本的な政策を示すべきなのでは・・・・・
まあ、事実かもしれないけど、仮に賃金上げるってどれくらい上げたら満足するのかな?
コロナ禍で特別定額給付金でたけど、年収が一人あたり10万増えたくらいじゃ満足できない日本人。
でも、300万の人も不満なんだよね?500万になればいいの?
でも、500万の人も満足してないよね?
なんだろ、すべての世帯年収が手取り1000万にならないと満足できないのかな?
なんか怖いな、日本人。
大麻のニュースにブコメたくさん付いてたので自分なりの考えを書いてみる。自分は大麻経験者でいまは未使用です。
オランダやスイス、アメリカ、カナダ、ハワイなど大麻が日常的に使われてる国は荒廃していますか?
違法にしておく根拠として「身体に害がある」というのは間違っています。酒もタバコも害はあります。
依存性は他のドラッグ(タバコ、アルコール含む)と比較して低いという研究結果があります。
そもそも「依存性がある」と「違法にする」は結びつかないです。依存性についてはニコチンのほうが大きな問題です。
それは大麻のせいじゃなくて個人の問題です。お酒で酔っ払って迷惑かける人の方が少数です。
それは逮捕されるからです。非犯罪化すれば逮捕されないので迷惑はかからないです。
ちなみにタバコは多くの人の健康を害していますが間接的に治療費を負担しているのは納税者であるみなさんです。
違法な品だから価格が上がります。非犯罪化して普及すれば割に合わないので手を出さなくなります。
この理論は根拠がなくただの妄想です。ビールを飲み始めた人が最終的にスピリダスに行き着かないのと同じです。
おそらく世界で最も難しい仕事のひとつと思われるアメリカ合衆国大統領だったオバマさんは若い頃に大麻を吸ったことがあるそうですが働いてましたね。
ちなみにオバマさんはタバコの禁煙を何度も試みて失敗しているそうです。アメリカ大統領になれるほどの人でもタバコはやめられないそうです。
なぜ大麻を常用すると生産性が落ちるんでしょうか?根拠はありますか?
合法化ではなく非犯罪化です。逮捕されて解雇されたり違約金を払わされたりする世の中はおかしいです。
ここまで読んでまだ「問題」があると思いますか?2次元ロリアニメだって問題になりますよね?
現在はハイになる成分の THC は医療用としてはほぼ見放されていて代わりに CBD が注目されています。
あーいますよねあなたみたいな人。「差別するな」と言ったら、差別されてる側に「前向きに対処しろ」とか言う人。差別構造に加担して平然としている人。反吐が出ます。
そもそもなんで「発言の意図を考える力」が足りないと判断したんでしょう?「発言者の意図」がなんであろうと、この話には全くの無関係です。私は発言者の意図が揶揄であれなんであれ、無関係の第三者を差別し傷つける表現はやめろと言っています。
この手のマインドって
と共通ですよね。どこで習ったんだろうっていうくらい、ワンパターンの思考停止です。実生活でセクハラ・パワハラ・差別発言をしないように、せいぜいご注意されると良いと思います。
天使といっても、キリスト的神の使いというよりは「ふわふわMy Angel的天使」のことを指す。
俺が「一年病気で出勤できません」ってなったら、会社は俺に辞めてもらうよう働きかけるだろうし、家族も一年俺を養えられる貯えがないし、その他使えなくなった俺を一年も待てる&待っている人間はこの世にいないし、いたとしても俺が死ぬ前に関わることはないよ
役所への手続き(治療費)もわからなくてできないし、そんなに頑張る理由もないし、そのまま死ぬのが一番楽だよ
無償の愛をもって無条件に生存を認めてくれる人が足りないし、増えたところで生き続けられるための幸せを手にできるわけじゃない
人間は多分、生まれた頃に無償で愛されて、だから他人を無償で愛せて、だから他人から無償で愛されるんだよ
俺には足りなかったか、なかった
もういいや、どうせ愛がどーのといったところで何かを変えられるわけじゃない
天使は愛で生きられる。
俺は愛では生きられない。まして愛を捧いでくれる人もいない。
そして100人のうち生き残った1人の話は小説やドラマやノンフィクション物語等になるが、死んだ99人の話は誰も口にしない。
知らないやつが苦しんで死んだ話を誰が欲しいと思うんだ?ニッチな趣味や職業柄の人以外は正直娯楽にもならないしむしろ苦痛だろう。