はてなキーワード: 専売特許とは
最高にバカだな。ここまでガックリ来るのも珍しい。
「世間でいう“女性らしさ”に抵抗を感じ、生きづらさを感じている女性」(毎日新聞)を指す言葉ですが、この世の中、男子も普通にこじらせます。
知ってるよバーカ!!
こんなのエヴァンゲリオンブームの頃から散々語られてきたことでしょうが!!
いやいやいや、大槻ケンヂとか伊集院光とか本田透とか、はてな非モテ論壇とかがさ、男性性こじらせて面倒くさいことになる苦しみを散々主張してきたでしょ???
それに対して「童貞だけじゃなく処女もこじらせますよ!」とか「女に生まれりゃみんなハッピーって訳じゃねえよ!ブスは死ぬほど苦しんでるよ!」とか「美人でもコミュ障だとなんやかんやで不幸だし、不幸なままどんどんババアになっていって地獄なんですよ!」っていうアンサーソングが出てきた、それがこじらせ女子ブームなわけじゃん???
ほんと、バカじゃねえの???なんでそんなに「男の方が苦しんでいる、女は男と比べれば楽しているんだ」ってことにしたいの???なんで「現代の男性」が苦しんでいることにしたいわけ?団塊男もバブル男も苦しんでる奴は苦しんでるし、楽してる奴は楽してるよ!「現代の男性」も苦しんでる奴は苦しんでるし、楽してる奴は楽してるよ!ブスも美人もJCもババアも、苦しんでる奴は苦しんでるし、楽してる奴は楽してるよ!
中村あきの星海社FICTIONS新人賞を受賞したデビュー作『ロジック・ロック・フェスティバル』が、古野まほろのメフィスト賞を受賞したデビュー作『天帝のはしたなき果実』と類似していると指摘され話題になっている。『ロジック・ロック・フェスティバル』は星海社のウェブサイトで無期限全文公開されている(http://sai-zen-sen.jp/works/awards/logic-lock-festival/01/01.html)ので読んでみた。その結果『天帝のはしたなき果実』だけでなく、米澤穂信の諸作品との類似点が見られたので検証したい。ちなみに現時点で私は『天帝のはしたなき果実』を未読であるが、これから読んでみる予定である。
読書メーターに12月4日に投稿されたjinさんのレビュー(http://book.akahoshitakuya.com/cmt/33836748)。
読んだ印象としては、米澤穂信が西尾維新になったつもりで古典部シリーズを書いたらこうなるんだろうなと思った文学部員が書いた同人誌と言った感じ。
読書メーターに12月11日に投稿された×(旧らっきーからー。)さんのレビュー(http://book.akahoshitakuya.com/cmt/34001390)。
米澤穂信とかを目指した結果、残念ながらそこに至らず。そんな印象。
まず『ロジック・ロック・フェスティバル』の物語の流れを説明する。以下が『ロジック・ロック・フェスティバル』の章タイトルだ。
全部で23章で構成されている。『ロジック・ロック・フェスティバル』のメインとなる事件は文化祭開催期間中に起きた密室殺人事件だが、文化祭が始まるのは「9.そして、時は来たれり」からだ。ではそれ以前はというと小さな謎解きが2,3あるという構成になっている。具体的には「4. モバイル・コード」で携帯メールの暗号の謎解き、「6. 大脱出」で閉じ込められた蔵からの脱出、「7. 女バス班室写真消失事件 前編」「8. 女バス班室写真消失事件 前編」で写真盗難事件の謎解きが行われる。
次に米澤穂信のデビュー作『氷菓』の物語の流れを説明する。以下が『氷菓』の章タイトルだ。
この章タイトルだけではどんな物語かわからない。『氷菓』のメインの物語はヒロインである千反田えるの叔父、関谷純が関わったと思われる33年前の事件を解明することである。しかし、その謎がはっきりするのは「4. 事情ある古典部の末裔」からであり、「2. 伝統ある古典部の再生」では千反田えるが地学講義室に閉じ込められた謎解き、「3. 名誉ある古典部の活動」では、ある本が毎週借りられている「愛なき愛読者」の謎解きが行われる。
はじめに小さな謎解きがいくつかあり、中盤からメインの大きな謎解きになるという物語構成は特定の作家の専売特許ではない。であるが『ロジック・ロック・フェスティバル』と『氷菓』の物語構成が類似していると指摘するのは間違いではないだろう。
『ロジック・ロック・フェスティバル』の「6. 大脱出」では、主人公(中村あき)がヒロイン(鋸りり子)の家をはじめて訪れるシーンが描かれる。これを『氷菓』の「6. 栄光ある古典部の昔日」で、主人公(折木奉太郎)がヒロイン(千反田える)の家をはじめて訪れるシーンと比較したい。
目に飛び込んできたのは圧巻の庭園だった。手入れの行き届いた生け垣。刈り込まれた木々。配置を整えられた岩。雨粒を受けてなお静謐を湛える池。その中を悠然と泳ぐ色とりどりの錦鯉。そしてそれらを統べるかのように鎮座する絵に描いたような日本家屋。その向こうには立派な蔵も見えた。
道なりに設置された飛び石を歩きながら息を呑む。家柄でここまで住む世界が違うものなのか。自身の境遇と比較すると、少しばかり悲しい気持ちになってしまう。
(中略)
唖然としているうちに僕は言われるがまま三和土で靴を脱ぎ、板張りの廊下を彼女に説明された通りに進んでいた。
広大な田圃の中に建つ千反田家は、なるほどお屋敷と呼ぶに相応しかった。日本家屋らしい平屋建てが、生垣に囲まれている。水音がするところを見ると庭には池があるらしいが、外からは綺麗に刈り込まれた松しか見えない。大きく開かれた門の前には、水打ちがしてあった。
(中略)
(中略)
石造りの三和土で靴を脱ぎ、千反田に先導されて板張りの廊下を進む。
太字で示したのが二つの作品で完全に一致した箇所である。いくつか単語が一致しているが、文節単位での剽窃は行われていない。単語の一致も同じ「日本家屋を初めて訪れたシーン」を描いたのだからあって当然だ。むしろ、庭園に入ってから周りを描写している『ロジック・ロック・フェスティバル』、生け垣の外から庭をうかがっている『氷菓』という点が大きく異なる。
そもそも、高校一年生のヒロインが日本家屋の豪邸に住んでいるという設定がめずらしいが、かといってこの設定が特定の作家の専売特許というわけでもない。
『氷菓』において、千反田えるが日本家屋の豪邸に住んでいるのは、千反田家が桁上がりの四名家といわれる名家だからだ。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、鋸りり子が日本家屋の豪邸に住んでいる理由は説明されない。家柄は明らかにされていないし、両親も学者だ。一般的な学者であれば豪邸を建てるほど高給とも思えない。シリーズ化されこれからの作品で明らかにされるのかもしれないが、現時点では主人公たちが閉じ込められる蔵を登場させるためぐらいしか物語的必然性がない。背景が説明されないので、どうしても取ってつけたような印象を受けてしまう。
『ロジック・ロック・フェスティバル』の「6. 大脱出」で描かれる主人公とヒロインが閉じ込められるシーンは、〈古典部〉シリーズの4作目『遠回りする雛』に収録されている短編「あきましておめでとう」と類似点が多い。例えば、どちらも冒頭に閉じ込められている主人公の述懐を置き、時間を巻き戻す形でなぜ閉じ込められることになったのかを記述する形式をとっている。
あらすじはひとことでまとめると以下のようになる。
具体的に『ロジック・ロック・フェスティバル』では、
具体的に「あきましておめでとう」では、
となっている。
以下、『ロジック・ロック・フェスティバル』において主人公(中村あき)とヒロイン(鋸りり子)が小屋(蔵)に閉じ込められるシーンと、「あきましておめでとう」において主人公(折木奉太郎)とヒロイン(千反田える)が小屋(納屋)に閉じ込められるシーンを比較したい。
目が慣れてくると、そこは本当に本の山だった。本しかないといってもいいくらい。備え付けの本棚に、そこらに積まれたボール箱に、ぎっしりと詰められた本、本、本――今すぐ古本屋が何件だって始められそうだ。
りり子に案内され、その後ろに付いていく形で奥の方に歩いていく。中はそれほどの広さでもないようだったが、薄暗さと障害物のように設置された本棚のせいで、なんだか迷路に迷い込んだような眩暈感があった。
一応分類されているのだろうか。背表紙を見流す限りでは全く統一感がないような気がするぞ。
と、その時。
ぎぎぎ、と何か引きずるような音がして、室内の明度が明らかに落ちた。
なんだろう?
りり子も一度こっちに振り返り、異変があったことを確かめ合う。
そして二人同時に思い当たった。
扉が閉まったのだ。そんな当たり前の結論に到達するのにいやに時間がかかった。
慌てて扉の方に引き返す僕ら。見るとやはり扉はぴっちりと閉められていた。風やなんかであの重い扉が閉まるだろうか。疑問に思いながらも、とりあえず僕は扉に近づいて手を掛けてみる。
「……あれ?」
開かない。まさか。
がちゃがちゃがちゃがちゃ。
いやいや、冗談でしょ?
「鍵が……閉められてる……?」
強く揺さぶってみると扉はほんの薄くだけ開いた。その間からは無慈悲にも完全に閉じられた錠が覗けて。
闇の中に手を突き出し、摺り足で進んでいく。目が慣れればもう少しマシになるのだろうが、いまはこうしないと危ない。そろそろと奥に進み、手に酒粕が当たらないかと気をつけてみるが、どうも手ごたえがない。
「簡単なお使いかと思ったら、なんだか面倒なことになってきたな」
「あの、折木さん」
いつの間に近づいてていたのか、千反田が俺のすぐ後ろで名前を呼んだ。背後でアルミドアが風に吹かれて閉まってしまい、納屋の中はいっそう光が入らなくなった。
『遠回りする雛』角川文庫版、218~219頁
「おう、開いてるぞ」
そして、なにやら不吉な、がこんという音。
「え? いまのは……」
とピンと来ていない千反田。俺はすぐさまドアに、暗くてよくわからないので正確にはドアがあったと思しき場所に飛びついた。アルミのノブの、冷たい感触はすぐに探り当てられた。
しかし。
がたがたと揺れるだけのドア。オレは千反田を振り返る。千反田の輪郭もはっきりしないけれど、なぜか、心配そうに小首をかしげるやつの顔が見えたように思う。
「どうしました?」
どうせ見えないだろうけれど、肩をすくめてみせる。
「閉じ込められた」
『遠回りする雛』角川文庫版、221頁
まず、このドアが閉められている構造をもう一度考える。このドア自体には鍵はない。だから、強く押せば、ほんの少しだけ開く。それ以上開かないのは閂のためだ。
『遠回りする雛』角川文庫版、228頁
今度は先程と違い完全に一致する箇所ではなく、同じ事象を別の表現にしている箇所を太字にした(そもそも完全に一致する単語はほとんどない)。非常に似通ったシーンを描いているので、一致している箇所がいくつかあるが、文節単位での剽窃はおこなわれていない。
違和感があるとすれば『ロジック・ロック・フェスティバル』において、「扉はほんの薄くだけ開いた」という点だろう。「あきましておめでとう」では脱出が困難なことを示すために閂がどのようにかけられているか仔細に描写されており、「強く押せば、ほんの少しだけ開く」というのも話の流れから違和感がない。一方の『ロジック・ロック・フェスティバル』においては、どのような扉なのか、どのように錠がかけられているかは具体的に示されておらず、一般的な扉と錠であれば扉が薄く開き外の錠が覗けるというのはおかしい。
「あきましておめでとう」では、折木奉太郎が脱出するために様々な方法を試す。そこにはどうやって脱出するのかというハウダニットの愉しみがあるが、『ロジック・ロック・フェスティバル』では、早い段階で窓から脱出できることがわかっている。謎解きの興味はほとんどなく、むしろそれまで葉桜仮名先輩一筋だった主人公(中村あき)がヒロイン(鋸りり子)を女性として意識するシーンとして描かれている。
『ロジック・ロック・フェスティバル』と〈古典部〉シリーズ両方を読んでいる私としては、影響は受けていると感じた。しかし、文章の剽窃など著作権法違反に問われるような箇所はないと判断していいだろう。他にも中学時代に探偵していたが、とあることをきっかけに探偵することをやめたという鋸りり子の設定が、〈小市民〉シリーズの小鳩常悟朗の設定と類似するなど気になるところがあるが、それはまたの機会に検証したい。
普段は大河ドラマや連続テレビ小説しか見ていないような部長の口からt.A.T.u.の発音が飛び出した。
「スニッカーズ発表会でさ、内田裕也が『北方領土返還ヨロシク!』っていったんだよ。
そしたら、t.A.T.u.のおねいさんの一人はさ、『絶対返しません』
僕の信条である「ロック」を部長のどうでもいい世間話に使われてしまった。
そのとき、部長から「ロック」を返してもらいたいがために過剰に反応してしまった。
「そんなこというもんじゃないですよ」
「ロックでいいんじゃね」
「そもそも北方領土は、4島だけでなく、樺太や千島列島まで日本の領土だったのです。宣戦布告もせずにソビエトが終戦のどさくさに攻めてきた。国際法上いんちきですよ。今でも根室の登記役場に行くと国後や択捉での土地の所有者の登記を見ることができます。さらに墓地が島に残っている人もいる。バラエティ番組の笑い話じゃすまない話ではないですか」
「ロックでいいんじゃね」
僕の専売特許の「ロック」は部長に侵略され、占有されてしまった。
部長はそれからしばらくの間、「ロックだねぇ」が口癖になったが、しばらくして飽きてしまったのか「ロック」を口にしなくなった。
それと入れ替えに僕の「ロック」は返還された。
この時期に就活する奴より説明会実施してる会社は可哀想に思う。
冬季から春季にかけて採用選考される人事の皆さん、でも優秀な人材に捨てられて可哀想。
普段お祈り出すのが会社の専売特許なのにこの時期まで選考するという事はお祈りされたんだろうね。
きっとこんな会話が人事方に注がれているに違いない。
業績が右肩上がりの経営ですってにこやかに語る君はどこか寂しげだ。
必死じゃなかった頃はヒトを小馬鹿にしたようなアホ面で適当にやってても就活生が面白い位にやって来てウハウハだったろう。
しかし夏季に入ると一転して必死な君は無理矢理笑顔を作って会社を売り込んでいた。
立ち止まってくれるのはこれまた冬季や春季に夢破れて祈られた自称優秀な就活生で、傍から見ればお似合いじゃないか。
そこから会社説明会の案内をして実際に来てくれたのは思った通り優秀な人材じゃないけど、それで満足すれば良かった。
でも一度優秀な人材を見てきた君は現状に満足できるわけもなく、片っ端からお祈りを出していくんだよね。
こうして一人も採らずに秋を迎えてしまった君は、上司に説教され今年4度目の説明会を実施する。
今度は誰も立ち止まってくれない。
就活生は皆敏感に外れくじに当たるかもしれない恐怖とこのまま就職出来ないんじゃないかという焦りで顔面蒼白だ。
君は選好みし過ぎたんだ。
誰も彼も多かった時に採用していれば苦労する事なんてなかったはずだ。
君は選好みできる立場じゃないんだ。
今年採用が見送られたら君は、そう。落第人事の烙印が押されるだろう。
もう優秀な人材なんていらないから、とりあえず当てこすりでも何でも確保するだけしてみようか。
優秀な人材を選好みしなければ早くに休みを取って旅行とか行けただろうにプライドだけは大手なんだね(笑)。
きっとそのように囁かれているはずだ。
「ねえどこが好き?」なんて面倒くさい質問女性の専売特許じゃなかったのか、ああ面倒くさい。
いや、だからって嫌いになったり冷めたりしないけど、面倒くさい。そりゃあその気になれば、YUKIみたいに、そこらへんのバカップルみたいに私があなたを好きな理由100個くらい正座してちゃんと言えるけど、そんな不安がって、言った端から否定しそうな空気で聞かれても言う気になれないって。っていうかそういえば何年か前に聞かれて答えたときは「でももっと○○な人はいくらでもいる」とか言われてめんどかった。
だいたい恋愛感情だなんて、細分化すれば結局はどうせ、他の人でもいい感情と、彼氏彼女じゃなくたっていい感情と、しがらみとの足しあわせなんだ。
たとえば、よく恋人がいてよかったと思うことなんかで挙げられる、抱き合うことやキスが気持ちいいだとか、辛い時に慰めてくれる人がいて嬉しいだとかは、ぶっちゃけ「恋人」がいればいいのであって、確かに相手があの面倒くさい男である必要はない。
じゃああの面倒くさい男の好きなところは、選んだ理由はって言えば、話していて楽しい。物事への態度が尊敬できる。横顔をこっそり眺めてどきりとするくらいには(私から見て)かっこいい。とか。とかね。
そう言えばあいつは「俺の上位互換なんかいくらでもいる」とか言うわけだ。まあいるだろうさ。いくらでもいるかっていったら怪しいと思うけど、まああいつより面倒くさくない素敵な男性ならいくらでもいるわ。目の前に現れたら、そりゃあ私も好意を抱くだろう。でもそんな人が現れたからってフらないって。そのひとと彼氏彼女って関係にならずにはいられない! とかそんな思わないから。
その理由は単純で、ひとえに過去の実績・経験と積み重ねである。お互い相手の好きなものだとか、喜ぶものを知っている(性的な意味で。いや性的な意味でなくても)。情けない醜い所を見せてしまったけれど受け止めてくれたっていう過去がある。私達が住むこの街のいろんなところに二人で過ごした幸せな思い出がある。…忘れたい思い出もある、が、でも「でも、乗り越えた!」というオチがつく。
だから別れたくないです。はいしがらみです。あと、一緒にいすぎて情が移っているので、可哀想でフれません。
これを正直にいったら問題があると思うので私は「ねえどこが好き?」にはっきり答えないしメンドクセーナーと思っている。
真面目な話、土日使うなら逆に会いに行った方が良い気がする。非現実度合いではどっこいだろうけど。
他の子どもや孫は冷たいというか、単に日常的に接していておばあさんがどんだけ衰えてるか知ってたのもあって淡々と状況を受け入れているだけだと思う。
骨折の理由が書いてないが箇所が足なので勝手に転倒と仮定するけど、目が不自由になった時点で転びやすくなったも同然と認識するのは発想としては自然だし。
高齢者の転倒が骨折に結びつきやすいのは医療従事者なら常識レベルのことだから医者だって「こんな風に簡単に骨折しちゃうものなんです仕方ないんです」って説明する。
術後はリハビリしないと予後はかなりの確率で悪化する(認知症、肺炎etc.)けど、専門施設の有無もさることながら、若くても痛すぎて泣く人もザラなリハビリに高齢者が耐えられないかもしれないということになると、リハビリは難しい=「あまり永くはない」という結論に至っちゃうんだろう。
そしたら患者家族は納得するしかない。納得して受け入れるしかない。
ヨメの手をちょっと借りたくらいじゃたぶん無理。必要なのは日常生活動作や作業を「やってあげる人」じゃなくて、「やるのに付き合ってくれる人」だから。
元増田は「家族が皆諦めている」と称してしまっているけど、その台詞はおばあさんに泣かれてでも恨まれてでも日常生活内までリハビリ付き合ってやれる人間とショックを受けてパニクってる人の専売特許。
の続き
226 :名前が無い程度の能力:2012/08/30(木) 21:00:42 ID:ue96xoJs0
229 :名前が無い程度の能力:2012/08/30(木) 23:33:15 ID:2Eeg/wZs0
全部ぬこーが悪い
全裸は無実だよ
231 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 00:07:51 ID:1OkpI8Jw0
全裸が長年稲塚をいじめて、稲塚がもうやめてくれと和解しようとしてきて、
ぬこーのやりすぎで発覚した
233 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 00:17:12 ID:NGW5/aeg0
しかもいじめでメンヘラにしといて病んでた時の痛い発言を盾に、
「こいつこんなに痛い奴なんすよww 叩いて当然www 俺ら悪くないwww」って言ってるんだからな
最低すぎる
235 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 00:47:16 ID:rw6UuLW60
全裸の件とかコスイベの件とか、自分たちがよろしくない事して周りからいやな目で見られてるって
自覚が無いのが怖い。当人たちに取っちゃやって当たり前なんだろうな
236 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 01:01:40 ID:AETOiMmM0
ため息しかでねぇ
237 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 01:04:06 ID:NMSpSVlk0
自覚とかの話しは野暮でしょ
238 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 01:14:10 ID:DGKix5GE0
239 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 01:20:23 ID:AiDFZ49A0
弱者を虐めたい願望丸出しで引くわ
240 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 01:27:48 ID:ejKqWbQE0
オフ会とかでも女に手を出してるらしいし
レ○プいかなくても見えないとこでやってるでしょ
憶測入っちゃうけど
241 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 01:50:22 ID:AiDFZ49A0
一見繋がりが無さそうなシオリと全裸に関係があったのは女だから目をつけてたってとこか?
シオリが言ってる裏であんなことされて…てのも関係あるのか?
243 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 02:46:03 ID:5q4QlgrM0
おい、ぬこー様、ここ見てるんだろ
245 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 02:56:19 ID:RIsh3q5I0
246 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 02:56:32 ID:Tgt5y6ns0
実は仲悪いんじゃ・・・
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=18891212
247 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 03:01:48 ID:FQjKcIkI0
キチすぎる
シオリも言ってたけど2万部ってドユコトー
248 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 03:20:13 ID:NGW5/aeg0
根は腐ってんのに臆病者だから礼儀正しい振りして、さらに他人の心配した振りをする偽善者
稲塚に本性見抜かれて、長年稲塚に粘着して潰そうと画策したみたいだけどぬこーが馬鹿なせいで全バレ
249 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 03:27:18 ID:Tgt5y6ns0
漫画内で全裸の本名らしきものがぶっ放されているが大丈夫なんだろうか
仮名か?
251 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 08:13:43 ID:gFcxUn760
頼む
252 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 11:10:00 ID:eOzNfegk0
だが二万部のところで一番ワロタ
259 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 12:12:43 ID:gFcxUn760
そんな小規模イベントなら運営のあの態度も頷ける
被害者を痛いと叩いて火消し
261 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 12:17:39 ID:CgZYPA1A0
それらを眺めてニヨニヨするのが俺の楽しみなのさ
274 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 13:33:26 ID:6yuUgSKI0
あの人好きだったんだが 絵が
ロボP騒動の時に知ってその時からちょこちょこニコ生見てたんだけど
その頃はシオリさんと付き合ってる感じだったのに、何時の間にか別れてたんか
シオリさんはエロゲ会社に就職したくて、それをぬこー様が応援してたりいいふいんきだったのに
あとぬこー様の絵がガチペドだけどリアルで付き合ってるシオリは今風のギャルっぽいところでいかにもリア充なオタで嫉妬してたw
275 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 13:51:05 ID:u6QDaQ6Y0
わざわざ周りに根回までしていじめてるんだろ
随分と計画的ないじめだな
276 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 14:29:31 ID:rUWgW9PE0
ダークソウルをやり過ぎたのか
290 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 20:31:45 ID:airU8/8I0
レイヤーでも運営でもない、東方の敵認定した聖戦士様が大量に湧く事態ってのはちょっとなー
あれは流石にニヨニヨする前にぞっとするというか
292 :名前が無い程度の能力:2012/08/31(金) 21:22:18 ID:lUaHWoNk0
296 :名前が無い程度の能力:2012/09/01(土) 00:45:53 ID:V0lD1B9M0
あちゃー
297 :名前が無い程度の能力:2012/09/01(土) 02:26:04 ID:kqktvmwo0
295 :名前が無い程度の能力:2012/09/01(土) 00:30:51 ID:kGQD7QpQ0
虐待願望
299 :名前が無い程度の能力:2012/09/01(土) 03:26:38 ID:79HGPXOs0
その手には乗らんぞ!
300 :名前が無い程度の能力:2012/09/01(土) 03:47:45 ID:kGQD7QpQ0
301 :名前が無い程度の能力:2012/09/01(土) 04:29:17 ID:lQYw2p2U0
ぬこーかどうかはともかく、不都合な話題から流れ変えたいのは見え見えですよね
とりあえず更に貼り付けるだけのネタってありましたっけ?
302 :名前が無い程度の能力:2012/09/01(土) 04:53:49 ID:bW8Ef3Rc0
313 :名前が無い程度の能力:2012/09/01(土) 09:05:01 ID:lYN3rRds0
【生放送】孫悟空がskyrimを荒らすよ を開始しました。 ttp://ニコ生URL #lv106226394
精神状態が察せられるな
10年前に公開された真珠湾攻撃の映画を思いついたように観て、
第二次大戦前、世界の有色人種のほとんどすべてが白人の植民地支配下で自立と尊厳を奪われている中で、
白人が優れているから有色人種は差別されても仕方が無いという当時の世界の「常識」を覆した、
記念すべき大事件だったのだ。
白人の専売特許と信じられていた近代科学技術を駆使して武装した飛行機をアジア人が操縦し、
戦艦を撃沈し、軍事施設を木端微塵に爆破し、白人を爆撃して蹴り散らしている。
当時どれだけの有色人種がこの光景を目の当たりにして、快哉を叫び希望と勇気を持っただろうか。
この映画はアメリカの国威発揚のために製作されたものであるが、
皮肉なことにも、世界規模で消費されるハリウッド映画であるだけに、
アジア人が白人をこてんぱにする映像を世界に放ったという点で、別の意味で衝撃的な映画と位置づけられたことだろう。
そして奇しくもこの数ヵ月後イスラム過激派によるテロが発生し、
真珠湾攻撃になぞらえられた。
実際はルーズベルトの謀略に嵌められただけと言えるし、
負けることは最初からわかっていたのだから、鉄則を守っていなかったという点で愚策ではあったのだろうと思う。
しかし、有色人種が近代科学技術を使って白人に対抗したという点で、
この事件は、宿命であったと言えよう。
先人たちの勇敢さに感謝しなければならない。
どうして苦しいことを認められなかったのか。
「かわいそう」でした。
人の世と隔たれた様なアフリカの小さな村での、矮小な自由から別の異質な自由を手に入れた彼等は、かわいそうでした。
彼等は学校に行けません。
彼等は人を愛せません。
彼等は私たちと同じじゃありません。
だからかわいそうでした。
皆大体同じことを考えたと思います。
今の社会では愛や希望と同じくらいに、他人の苦痛が氾濫しています。
そして情報化のおかげで感情というよくわからないものが相対化され、値札がつくようになりました。
違うのです。
周りの人も全然疑問は湧いてないようで、私もそう考えていました。
「苦しい」と言えば、
「お前より苦しい生活している人は一杯いる。」と言われ、
「死にたい」と言えば、
「お前が死にたがっている今日は、昨日死んだ奴が生きたかった明日なんだ」と言われる。
そしてそんな言葉を口にすること自体が恥ずかしく思われる様になり、中二病なんて名前が付けられる程になりました。
私は小学生の時に太っていることを理由にいじめられていました。いじめと言っても一部のクラスメイトなどに「デブ」などと言われるくらいなのでまぁ大そうなものではありませんが。はっきりとではありませんがその頃、デブでスポーツも出来ない私は全く価値の無い人間なのだと考えていたのですが、小学校高学年あたりでそのいじめはなくなりました。
理由は私の兄にありました。
私の兄は、かっこよくて、スポーツが出来て、私みたいに太っていなくて、そして、とてもユーモアのある人でした。
少し我の強い人でしたが、一緒に遊んだ時はなにかと私を笑わせてくれたのでその時の兄はとても好きでした。私はかっこよくないし、スポーツも出来ないけど、人を笑わせることなら出来るんじゃないか、と考えました。
実践してみれば簡単なことでした。
変顔をするだけで笑ってくれるし、デブと言われても開き直ればそれでまた皆笑ってくれる。ああ、自分の価値はここにあるんだなと思っていて、将来はお笑い芸人になろう、などと考えていました。
今思えばここが間違いだった、と感じています。
道化は見世物です。故に私という存在は指をさされ、馬鹿にされ、笑われるべき存在です。
そしてそのピエロは観客の嘲笑に包まれた喜びを糧に生きていくのです。
人の好奇心は底が無く、少しタガが外れれば面白いことならなんでもいい、と考えてしまいます。要するに、面白ければ私には何をしてもいい、という結論に至るのです。
私はそれを苦痛だと考えませんでした。
周りの人が笑ってくれることが喜びであり、それが快感でした。
ただ、やはり好奇心というものは一か所に止まらずに色んな方向に向くもので、自分では飽き足らず、いじめや、危ないいたずらもするようになりました。
私はそれを見ているのがとても嫌いでした。
笑うべきは私の存在であり、どんな下らない罵倒でもそれを身に受けるのは私の専売特許のはずでした。私の生きがいを横取りされたような気持になりました。
それは単純に、私は苦痛を喜びに変えただけであって、他人にとって苦痛はただの苦痛だったのですから。
私は本当にうれしいのか?
中学生になり、地元の学校だったので小学校のほとんどの生徒が同じ中学校に入学しました。思春期ですのでこの頃から自分の体型にコンプレックスをもつようになり、友達に部活の入部を勧められて、これは良い機会だと思い、サッカー部に入りました。
そうするとやはり、私を知らない人達も私を私として扱うのです。
わたしは結論しました。
部活に入ったお陰で自分でも見違える程痩せることが出来ました。しかし二年生になってすぐやめてしまいました。原因はいじめもありますが、何より私はスポーツのセンスが無いようで、後輩に馬鹿にされるのがこわくてやめて、というのが一番でした。
こう書いていると私はいつも教室の隅に追いやられているような生徒に感じると思いますが、私は交友関係が広く、人気もそこそこありました。情けないことに、私こそ周りの人達と同様に私を私として存在させていたのです。
何故なら、私はその私しか知らなかったからです。それに、今の私をやめてしまえば私の価値はどうなるのだろう、何か残るのだろうか、と考えていました。
中学生にもなると、いたずらなどを楽しむより、好奇心の側面としての、暴力的な行動が盛んになります。それで中学二、三年生では私はサンドバックでした。どこかで会う度に殴られるようになり、私のクラスでは暴力をけしかけるような人はいなかったので、教室の外へ出るのが恐くなりました。
勿論初めのころは抵抗していました。しかし、毎日、毎時間と続く暴力と、自分が未だに道化でいるという立場のせいで怒りを露わにすることができないという下卑た矜持と、そして何より、彼等の私に対する態度に絶望しました。
私が少しふてくされると、彼等は「ごめん」と言ってくれました。しかしすぐにまた同じことをするのです。その度に彼等は謝り、謝罪という行為の中に含まれているであろう自省や克己を蔑ろにして、5分前の誓約を堂々と捨てるのです。
一度、本気で怒ったことがありました。その日は珍しく喧嘩別れになったのですが、翌日にその人物は私に少し沈鬱な面持ちで謝罪してきました。私はその言葉を信じていました。しかしその翌日には何も変わってない、彼等と私の関係が在るだけで、自分が激怒した様子を真似された時は、名状しがたい、確かな殺意と、他人に対する恐怖と、途方もない呆れがないまぜになった感情で吐きそうになりました。その時、自分は人に怒ることはやめて、諦念が纏わりつくようになりました。
ただの暴力は一部の人間には大変興が乗るようですが、大半の人は一歩引くのが普通であって、いくらなんでも、やり過ぎではないのか、何故こんなことをするのかと聞くことにしました。この頃は最早彼等の前での私が思う私はただのいじめられっ子でした。
彼等いわく「お前を見ているとむかつくから」とのことでした。
なるほど私を見ていると苛立つのですかそうですか、じゃあ私はどうすればいいのだろうか、私という存在がむかつくのですかじゃあ私が消えればいいのですね。
彼等は私を少しも憎んでいないというのは知っていました。週末になれば遊んだりもするし、私を殴る以外にもコミュニケーションをとろうとするからです。一方私は殺意を持っていましたが、彼等に対する好意も持ち合わせていました。何故なら、暴力的じゃない彼等は面白くて、自分と対話してくれるからです。そして彼等は私をいじめていると考えていないのです。
限界はどうしても来てしまうものです。三年生頃には、家に帰って布団の中で泣くことが多くなりました。何故自分がこんな目に、自分は悪くない、やりかえそう、殺そう、という感情が渦巻くのですが、不思議なことに翌朝になると何事もなかったかの様にすっきりとしてしまうのです。一人で絶望を反芻する度に決意し、忘れる、ということを繰り返していました。同時に、私は学生生活を楽しんでいました。私でいることを楽しんでいたのです。
そして学校で面白い奴でいる私と家で惨めに布団にくるまって泣いている私とで、完全に乖離しました。
しかし私は希望も持っていました。自分の様子が変だと気付いた母親に尋ねられ、私は「馬鹿で嫌なやつがいる」とだけ言いました。すると母は、高校生にもなればそんなやつはいなくなる、と言ったので、私はなるほどと思い、多少の虚脱感と戦いながら勉強に励みました。高校生になれば自分は変われる、と信じながら。
勉強のお陰で、それなりの、県内で指五本のうちに入るか入らないかというレベルの高校に入学出来ました。少し離れたところにあり、何より自分を日常的に殴っていた人達はその高校に全くいなかったのでとても喜びました。
人格は変えることができませんが、キャラのようなものなら簡単に変えられると思っていました。しかし私はそこでも私を私として存在させたのです。
何故そんなことをするのか、私はいつまでも子供ではなく、自分の思考、行動の原因がわかるような年齢になりました。
私なりの結論でした。
そしてそれは正鵠を得ていました。
教科書を破られたり、靴を捨てられたり、落書きされたり、チョークを食べさせられたり。一日そんなことが無いと、何故か残念な気持ちになるのです。そして、私が望んだ苦痛を与えられると、不快な感情と同時に、安心できるのです。高校生にもなって、いじめられている悲劇的な私が好きなのです。皆から同情の目線で見られている私が好きで好きでしょうがないのです。しかし絶望もします。私は変わることができなかった。私は悪くないのに惨めなままだ、それは他人が無知蒙昧であるからだと怨み言が頭に並びます。
この頃、自殺願望がありました。しかし実際は死にたくなどありませんでした。何故なら私はまた、今の私を楽しんでいたのです。
高校三年生頃になると、受験シーズンとなり皆が勉強に励むのですが、私は中学生の頃の 様に大学に希望を持つことが出来ませんでした。それ以前に、普段の勉強からしてやる気になりませんでした。たまにやる気になって休み時間などに勉強していても、クラスの人が辞書を投げてきたり教科書を濡らされたりして勉強になりませんでした。
全てが嫌でした。
惨めに耐えているだけの自分が嫌でした。
こんな恥ずかしいことで頭がいっぱいになっている自分が嫌でした。
死にたい、とか、何故生きているのか、とかは子供が持つ感情であり、十八にもなった男子が持つべき感情じゃないのです。何より私は毎日学校に通えて、屋根のある家で寝食が出来て、家族がいるので、とても恵まれた人生を送っているのです。
私より不幸な人は世界中にいっぱいいるのです。私は、私の苦痛を認めることなど許しは出来ないのです。
二律背反の、板挟みの状態がずっと続きました。
学校で笑います。家に帰って泣きます。猿の様に自慰をします。寝ます。さっぱりして学校に行きます。この頃は寝ることと自慰行為が喜びでした。
私はそれでも狂えない。皆の前では面白いやつで、先生の前では立派なクラス委員です。おかしいはずなんです。頭が焼き切れるはずなんです。
しかし生きることを望みたくないのです。私が悲劇的であるためには。
生きることも、死ぬことも、選びとらずに責任を放棄したのです。
結局これが私の思春期の全てでした。
大学生になりました。
冬に勉強をそこそこにして、なんとか国立の大学に入り、親の前での面子を保たせました。
大学は県外で、更に海を渡ったので、実家に帰るにも一苦労なところまで来ました。と言っても別にその大学に行きたかった訳でなく、県外であり、かつ自分の学力で行ける範疇の大学を選んだだけでした。やりたいことも無ければ、大学生の遊びを謳歌したいわけではなく、またしても選ぶことをやめたのでこの結果になったということでした。
大学生にもなり、皆、落ち着いた行動をしている。それに慣れていなかったので戸惑ったのと同時に、自分の知っている自分がいないことに気付きました。
しかし確実に私と違うところがありました。
彼等は正常でした。
彼等には目的があり、良心があり、喜びがあり、夢があるのです。
彼等は何の疑問を持たず勉学に励むのです。
思い切り殴られた時より、制服をびりびりに裂かれた時より、この目を見るのが苦痛でした。
苦痛の得ることの出来ない私は、更に酷く、目を覆いたくなるようなことをするようになりました。
自分の苦痛を認めずに、自分をいじめた人間に同情をし始めました。彼等を誰も止められなかったのがいけないのだ、彼等の行いは環境のせいでありもし自分が彼等ならば同じことをしていた、と。傍観して楽しんでいた人達も同様に立場が逆なら私もそうするだろう、と。
苦痛の無いことが私には苦痛なのだ、苦痛を失えば私は私でいられないのだ、と。
使用期限の過ぎた苦痛に、記号と化してしまった過去の苦痛に相変わらず縋りついています。
行きたくは無かったのですが、身体が限界の様なので、最近になって心療内科に行ってみました。どうやらパニック障害のようです。しかしその症状は殆ど昔からあるもので私には馴染み深いものでした。この機会に精神科に行こうか、とも考えたのですが、この頭を治す気にはなってないのでやめておきました。
私は毎日働いて生きていくことに魅力を感じませんが死にたくはありません。生を望み、相も変わらず自慰をして寝る生活です。
結局私はいつまでも私なのです。変わることなど出来ませんし、忘れることも出来ません。意志も薄弱で、一人の大人としての責任も持てません。
しかし案外明日には希望を持って歩き出すかもしれませんし、誰かと衝撃的な出会いをして価値観が180度変わるかもしれません。
こんな人間になってしまいました。多分私は誰かに決めて貰うのを待っているのでしょう。そしてわかったような顔をして卑下をしながら斜に構えていればいいと考えるのでしょう。
私の苦痛は私だけのものです。他の不幸や苦痛と秤にかけることなど出来ないんだ!、とでも思えばよかったかもしれません。
でも結局子供ですし、そんな考えにはなかなか辿りつきませんよね。大変です人生は。
なんか最後の方で口調が変わっている気がしますし、長ったらしく冗長とした文をたっぷりと書きましたがこれもオナニー好きな私のオナニーです。不幸自慢みたいなのって気持ちいいですよね。書いたら少しすっきりしました。何も解決してませんが。
「6.11新宿・原発やめろデモ」において発生した、20歳学生に対する集団リンチ
「6.11新宿・原発やめろデモ(http://611shinjuku.tumblr.com/)」において、20歳の学生に対する、集団リンチ事件。
「ヘイトスピーチに反対する会」有志
柏崎正憲 栗原学 常野雄次郎(@toled) ほくしゅ(@hokusyu82) 山口素明 ほか2人