はてなキーワード: 同性愛とは
今意識の高い腐女子(敢えてこう呼ぶ)の間で流行っているタグがある。
私は商業BLのオタクで、一般的には腐女子と呼ばれる一味にふくまれるが、私も腐やNLやホモという言葉は使わないようにしてる。
でも、それは、腐女子の嗜好(作中にない恋愛感情を見出して萌える性質)が腐っているわけではないだとか、男女の恋愛をノーマルと呼ぶことが悪いからだとか、そういう理由ではない。
そもそも男女の恋愛を好んで読まないので使う機会自体が少ないが、NLと呼ぶだけで差別主義者扱いされたら面倒すぎる。
それと、腐女子という言葉を使う時、私は男と男の関係を腐っているとは思っていない。
なのに突然「BLは腐った恋愛じゃない!同性愛を腐っているものとして扱うな!」と言われるのだ。意味がわからない。
この辺りは浅原ナオト氏のnoteで詳しく書かれているけど、私ふくめ腐ったものを好む人への偏見と、私たちが好んでいる対象に対する偏見は分けなければならないと思う。
私の周りには、『異性愛がノーマルだと思うけれどNLと呼ぶことによる面倒事を避けるためにNL呼びをやめた』人が多い。
多分私の周り以外にもいるんじゃないかな。
この、面倒だからやめておこうという考え方は、果たしてフェミニストの腐女子(敢えてこう呼ぶ)の本意なのか。
呼び名を使う深層心理から変われというのなら、呼び方をとりあえず変えろというのは正しい方法なのか。
もし、とりあえず言葉狩りをして使う人が少なくなっていつかいなくなれば結果として構わないということであれば、それは、まあ、いいのかもしれない。
私も、何かを腐った呼ばわりすることやノーマル呼ばわりすることにこだわっているわけではない。
でも、こうやってただの面倒な人間の集まり扱いされるようになるだけで、避けられるようになるだけで、集団の外にいる人の意識が変わっていく気はしない。
バイデン大統領、政府の資金援助を受けている学校は、トランス女性を女子スポーツや女子奨学金などに受け入れろとの大統領令に署名 - Togetter https://togetter.com/li/1656939
こいつぁひでえや。
「この前の最高裁判決で性差別の解釈が変わった(性的マイノリティへの差別も性差別に含まれるようになった)ので、関連する法令とかプログラムとか洗いなおして、新しい解釈と合わないのが見つかったら修正しといて。よろしく」
今回の大統領令の根幹をなす米最高裁のランドマークケース。公民権法における性差別の解釈が更新された。
ジェラルド・ボストック氏はジョージア州アトランタがクレイトン郡、少年裁判所にて“good performance records”を10年間とり続ける優秀な職員であった。しかし2013年にゲイ・ソフトボールリーグに参加したのち、管理している資金の浪費が激しい(横領とかではない。念のため)という理由で「職員として不適格」として解雇されることとなる。
ボストック氏は資金の浪費など言い訳で、本当は同性愛者だからクビにしたのだろう、と元職場を訴えるが、下級裁判所では「同性愛差別による解雇は法律で禁じられていないためOK」として敗訴。(※1)
それでも彼はめげず。最終的に類似の訴訟2つ(1つは性的指向、もう1つはトランスジェンダー関連)と合体して最高裁判所まで持ち込まれることとなった。
そして最高裁。公民権法タイトルVIIの「人種、肌の色、宗教、性別、妊娠、または出身国に基づく労働環境上の差別の禁止」について、“性別に基づく差別”が女性差別or男性差別の二択だけでなく、性的指向や性自認に基づく差別も含まれるという判決が賛成多数(6-3)で下された。
ちなみに多数派意見を上奏したニール・ゴーサッチ判事はトランプ前大統領に指名された人物だったためそれなりに話題になった。
※1: 州ごとに違う。ジョージア州には同性愛者差別から労働者を保護する法は無い。アメリカ全土に適用される連邦法では「人種、肌の色、宗教、性別、妊娠、または出身国に基づく労働環境上の差別」は禁じられているがそこに性的指向は含まれていない(いなかった)。ちなみに「法律で禁じられていないならやってヨシ!」がアメリカという国である。
Bostock v. Clayton Countyは公民権法タイトルVIIに関する判決だけど、此度の大統領令ではこれが他の差別禁止法における性差別の解釈にも連鎖的に波及するものと認定した。“性差別”の定義を一貫させるのだ。
大統領令で具体的に触れている法律は教育修正法タイトルIX、公正住宅取引法、移民及び国籍法セクション412。雇用や解雇の時のゲイ差別は性差別で違法だけど、家買う時のゲイ差別は性差別じゃないから合法ね、なんてナンセンスという判断。
そして様々な関連する法や規則、ポリシーやプログラムなどがこれらの法律を参照して制定あるいは実行されており、その参照元に変更があれば修正の必要も出てくる。
此度の大統領令では、各連邦機関の長に対して各種チェック後その修正もやるように要請しているわけだ。
こりゃ「我々はトランプとは違う」ってアピールだね。他の大統領令でも似たような意図を感じる。
トランプの大統領令は、法や判例ガン無視して乱発してたもんだ。大統領令を裁判所が止めてたのは記憶に新しかろう。
それに比べて此度の大統領令はえらい穏当。最高裁判決を下敷きに、それを無理のないレベルで拡張する内容。「横紙破りはしませんよ。法や裁判所を我々は尊重しています」というメッセージがひしひしと伝わってくる。
まあその分パワーは小さい。悪意的に言えば“パフォーマンス”なんだが、私は評価したい。
大統領令では特にスポーツについての言及はない。一応、話の枕で一回だけsportsという単語を使っているがそれだけ。
では「バイデン大統領、政府の資金援助を受けている学校は、トランス女性を女子スポーツや女子奨学金などに受け入れろとの大統領令」はどこから出てきた話なのか。
おそらく教育修正法タイトルIXである。教育修正法タイトルIXには「米国内のいかなる人物も、性別に基づいて、連邦政府の財政援助を受けている教育プログラムまたは活動への参加から除外される、給付金の支払いを拒否される、あるいは差別的な扱いをされることがあってはならない」とある(※2)。
これがトランスジェンダーにも適用されれば、まあご懸念の事態が絶対に起こらないとは言えない。だがはっきり言ってナンセンス。
断っておくが、女子スポーツにおけるトランス女性の問題を軽視しているわけではない。一つの重要な議論として認識している。
しかし非常に包括的かつ広範囲に及びしかし最高裁判例に準拠したこの大統領令をその一点のみの話に矮小化するのは余りにもナンセンス。しかも直接の言及すらなく「そういうことが起こる可能性もないとは言えない」レベルの話である。
さらに言えばこの大統領令があってもなくても、最高裁判決がある以上遅かれ早かれ起こること(※3)。大統領令は言ってしまえば“念押し”でしかない。である以上「大統領令のせいで女子スポーツが云々」というのはやはりナンセンスと言う外ない。
※2:もちろん、十分な合理性があれば別。例えば公費で子宮頸がん検診をするさい、対象者を女生徒に限定しても差別にはならない。子宮を温存しているトランス男性がいれば、彼が検診を受ける権利はあるが。
※3:タイトルIXの“性差別”がタイトルVIIのそれに準拠するという判断は過去になされているし、トランスジェンダー差別に限定すれば“性差別”に含まれるという下級裁判所レベルでの判決がある。今は最高裁判例がある以上、大統領令が無くても訴えられたら敗けて解釈変更となろう。
トランス女性(MtF, male to female)は何故女子チームに入ってはダメなのか?それは偏に肉体的アドバンテージにある。トランス男性(FtM, female to male)が男性チームに入る分には問題視されない(ホルモン投与を受けている場合は別)。だってアドバンテージないから。
トランスジェンダー or notではなく、不当にマッチョ or notである。
それに生まれも育ちも女性だけどアンドロゲン過剰症でめっちゃ強い人もいるわけでな。ことはトランスジェンダーだけで済みはしない。
「○○は××だから問題だ」という時、まずは××の解決を模索するべきで、○○を排除して問題をナイナイするべきではない。それが「○○と△△は××だから問題だ」なら尚更。○○だけ排除しようとするなら勘繰られる。
特定の人々に身体的アドバンテージがあるなら、その代理指標を用いたレギュレーションを作ればいいのだ。いや既にある。テストステロン値による制限が。まだ完ぺきじゃないけど。
じゃあ残る問題が何かっていうとそのレギュレーションが州どころか学校単位でバラバラなこと。まったく制限がなく参加できる州/学校もあれば、出生時性別で判断される州/学校、ホルモン治療などでテストステロン値を下げなければ参加できない州/学校もある。
全米大学体育協会(NCAA)とその加盟大学では、トランス女性が最低1年間のテストステロン抑制治療を完遂していることを女性チームで参加する条件としている。ちなみにホルモン治療をしていない(テストステロンの投与を受けていない)トランス男性(FtM)は男女どちらとしても参加してヨシ。
つまり今後の課題は統一ルールの制定。難しいだろうが頑張ってほしい(無責任)
先述した通り、トランス女性の女子スポーツへの参加が問題になるのは、彼女らに身体能力上のアドバンテージがあるからだ。しばしばそこには“不当な”あるいは“不公平な”という形容詞がつく。
しかし、上でも少し触れたが、それはトランス女性に限定されたものではない。
アンドロゲン過剰症(※4)という症候群が存在し、これの発現者も身体能力上のアドバンテージを(女性の中では)持つと言われている。ちなみに国際シーンではむしろこっちの方が議論されている。まあ結果出しちゃってるし。
そういうわけでいくつかの国際組織では既にレギュレーションが敷かれている。
(例)
国際オリンピック委員会(IOC):競技の少なくとも4年以上前から女性であり、競技前12カ月間の血中テストステロン濃度が10 nmol/Lを超えていないこと。(ちなみにこれは2015年に設定したもので、↓のIAAF基準に合わせて5 nmol/L未満に変えようという話もある。東京オリンピックの後に新ガイドライン出すらしいが……)
ワールドアスレティックス(国際陸連;IAAF):血中テストステロン濃度が5 nmol/L未満であること。ただし、適用対象はXY型性分化障害および/または睾丸をもつ女性に限定。トランス女性に対する規定はまだない。(※5)
自分の意志で性転換したトランスジェンダーと先天性疾患のアンドロゲン過剰症を同じ扱いでいいのか?競技に参加したければ副作用のある薬を飲み続けろというのはアリなのか?“才能”と“異常”の線引きはどこですればいい?そもそも血中テストステロンは適切な指標なのか?etc.
しかしその困難を厭って、安易に特定の属性を切り捨てるのはいかがなものか。女性はかつて“切り捨てられる性”であった。そのことを思い出してトランスジェンダーとも向き合って欲しい。
※4:アンドロゲンは男性ホルモンとも呼ばれる内分泌物質のカテゴリ。テストステロンも含む。これが様々な理由で(女性としては)過剰に分泌されるのがアンドロゲン過剰症である。先天性疾患や腫瘍などで引き起こされ、生殖年齢の女性の5~10%がこの症状を呈するとも言われている。
いくつか例を挙げると…
5α-還元酵素欠損症:主に外性器の発達に異常が生じる。程度の差があるが、精巣および陰茎(一部)が体内に陥入し女性器に類似した形をとることがあり(pseudovaginal perineoscrotal hypospadiasというらしい。機械翻訳で
偽膣周囲陰茎下垂体。なんとなく意味わかるっしょ)、その場合、女性として育てられることが多い。世界陸上金メダリストのキャスター・セメンヤ選手が有名。ちなみに氏は金メダルのはく奪こそなかったものの、IAAFの現規則により大会への出場が制限されている。
部分型アンドロゲン不応症:アンドロゲン受容体に変異があり、アンドロゲンを不完全に受容することで性分化に異常が生じる。表現型は様々だが女性寄りの場合、極めて小さい陰茎および体内に停留した精巣、陰嚢のある辺りが陥入して女性器様になるなど、出生時に女性として判断されやすい。ちなみに完全型アンドロゲン不応症というのもあり、アンドロゲンを完全に受容できないため、不妊(不完全な精巣が体内にある)以外は正常な女性と区別がつかない(でも血中テストステロン値は高い)。
※5:2019年(だったかな?)の会談では言及している。トランスジェンダーの女性を女性のカテゴリーに含めることは、それが許容し得ない不公平を生み出さないという条件であれば、適格な資格基準下で促進されるべき。血中テストステロン濃度を基準に使用するなら、5 nmol/L以下の固定しきい値を採用する必要がある。等
【独自】銭湯でわいせつ行為の男性2人を書類送検 被害相次ぎ貼り紙も
東京・渋谷区の銭湯でわいせつな行為をしていたとして、同性愛者の男性2人が書類送検されました。
この銭湯では、「モラル・節度のないLGBTのお客様のご入浴お断り」と貼り紙をして注意を呼びかける事態となっています。
性的マイノリティへの理解を促進する活動を行う松中権さんは、「今回の行為については改めてほしい」としたうえで、「同性愛者、異性愛者問わず誰かに対する呼びかけではなく、そもそも『この行為をやめてほしい』という呼びかけであってほしい」と話しています。
最後の松中さんのコメントが尤もで、LGBT関係なく「迷惑行為をやめろ」で済む話でしょ
それなのにLGBTに限定したり「渋谷区は同性パートナー条例」が成立しましたが~とか関係ない話を持ち出したりしてこの銭湯悪意がありまくりでは?
で、ブコメなんだけど、LGBTだけが責任をとれっておかしいよな?
これってどこかで見たことがあると思ったらあれだ、キチフェミだ
「性犯罪はほぼ男の犯罪だから全男性が責任とれええええええ!」って喚いてるキチフェミまんまじゃん
ブコメみてると「そんな迷惑行為してるのはほぼLGBTでしょ!だからLGBT名指しでも問題ないし、LGBTが責任とれよ!!」な論調が目立つ
こういった一部の悪人を強調して同性婚とか同性愛者の権利向上にも悪印象つけて潰したいんだろうなっていうのがミエミエです
ワクチンの副作用報道に「そんな些細なことを大げさに報道するなマスゴミ!」って言うならマイノリティ中のマイノリティであるLGBTの迷惑行為にも同じ態度でいてくれよ
職場の先輩と二人で飲みに行って、終電が無くなって、先輩の家で飲み直すことになった。
今まで誰とも付き合ったことがなかったし、キスもしたことも、もちろんその先も経験がなかった。
いつかは経験するだろうと思っていたそれの時が来たんだな〜と他人事みたいに思った。
先輩と喋るのは楽しかったし、趣味も合ったし、だからその日は割と飲んでいた。3軒ハシゴした。
私は酔うと楽しくなっちゃっていろいろどうでも良くなっちゃうタイプなので、
仕事で関わる人と体の関係を持った後のいろいろとかは特に気にしてなかった。その時が楽しかったので。
先輩の家に着いて、おすすめのウイスキーとかをご馳走になってるうちに、隣に座ってきたり、手を握られたりして、だんだん酔いが覚めた。
距離が近くてドキドキとかもないし、手を握られて緊張とか嬉しいとかもなかった。
どう振る舞うのが正解なんだろうな〜って考えてた。
先輩のことは好意的に思ってたけど、その感情は男女問わず友人に対して持ってる感情と一緒だなってその時気付いた。
私は今日先輩と飲んでて超楽しかったけど、先輩的には今のこれがメインだったのかな〜って思ってちょっと残念な気持ちになったりした。
先輩はもう完全にそういうモードに入ってたのでされるがままおとなしくしてた。
私は恋愛経験がほぼ無くて、いつまで処女でいるのかを悩んだりもしてたので、丁度いい機会だからこのまま捨ててしまおう〜とかも思った。
体の関係を持ったら好きになっちゃうタイプが身近な友達にいたので、私もそれかもしれないから成り行きに任せようみたいな気持ちにもなった。
でもいよいよのときになって全然入らなくて、力抜いてって言われたけどどう力を抜いたらそこの力が抜けるのかが全然わからなかった。
こちらとあちらのサイズ感が全然違くて、これどうやっても入らなくない???とか考えてた。
先輩が何回かトライしてたけどやっぱり入らなくて、痛いですって伝えたら止めてくれた。
結局そのまま抱き着かれて眠った。そうやって寝るのは悪くないなって思った。
次の日の朝、会話もそこそこに家に帰ったけど、なんというか感情の整理がつかなくて
そもそも大人がサシ飲みして「この後俺の家くる?」「行きます~!」ってなったらそれはOKの意思表示になるのかなとか、
もしそうなら先輩に恥をかかせたことになるのかなとか、
先輩と飲むのは楽しかったから、2軒目で切り上げて帰ってたらまた飲みに行けたかなとか、
今は幸い一緒のプロジェクト無いけど、次顔合わせるときどんな顔すればいいかなとか、
そんなことを考えながら過ごしてた。2か月くらい。
結構引きずってた。
3か月目くらいからはすごい推せる映画に出会ってそれに夢中だったからあまり先輩のことは考えなくなってた。
昨日、久々の休みだったので手の込んだ料理を作って一人で飲んでた。
なにを飲んだか覚えてないけど家で一人だからべろべろになってしまって記憶が曖昧で、
確か先述の推せる映画の登場人物の一人がアセクシュアルなんじゃないか、みたいなツイートを見かけたんだと思う。
それについて検索したら診断のページが出てきて、軽い気持ちでやったけど、まあ自分は普通の異性愛者だと思ってた。
私には同性愛者の友達がいて、理解してるよみたいな態度で見守ってたけど、
それに対して自分のことは「普通の」異性愛者だと思ってるあたりお前はなんにもわかってねえよと今は思います。
心と体の性が一緒
・ノンバイナリー
診断結果を見たときに、自分の中にあったいろんな経験とか情報とかが正しくあるべき場所にしまわれたな、みたいな感覚があった。
今まで二十数年生きてきてこんなに納得したことはないなって思った。
私の恋愛経験がないことに関して、友達に「いつかいい人が現れるよ~」って言われることが多かった。
これはアロマンティック・アセクシュアルあるあるワードらしい。
でもまあこれはネットの診断であって、そのうち恋愛感情を抱くこともあるでしょうって思ったけど、
これはアロマンティック・アセクシュアルの人が良く思うことらしい。
あることの証明はできるけど、ないことの証明はできないってこういうことかって初めて身をもって知った。
気持ちのやり場がなくてアセクシュアルについて(多分)国内で唯一刊行されてる書籍をポチりました。
ドラマ映画に出てくる「こんなに好きなのに・・・!」的セリフにピンと来なかったり、
全部自分の経験不足故と思っていたけど、そもそもそういうの持ってなかったんだな。
LGBTの人はパトーナーが出来たりとかで周囲の人にカミングアウトの必要が出てくる場合もあるけど、
アロマンティック・アセクシュアルは別に何も言わなくても死ぬまでやり過ごせるかもしれないなって思ったら、
もしも今後パートナーが出来て、相手にカミングアウトしても、「それって俺に対してってだけでは?」となるのでは?
友達に言っても、「それって彼氏ができなさ過ぎての勘違いとか思い過ごしでは?」って言われそう。
私もそう思う。
両親に言って「そんな冷たい/寂しい人間に育ったなんて」なんて言わせてしまったら居たたまれない。
子供が欲しいってずっと思ってたけど、彼氏が欲しいとか旦那が欲しいとか思ったことなかったかも、そういえば。
本が届いて読んだら、やっぱり別に私は異性愛者で勘違いだったかもとか思うかもしれない。
けど、誰にも恋愛感情を抱かないとか性的衝動がないとか二十数年の実績が物語ってますよとも思う。
先輩とは、なんか、私が自分のことを把握していなかった故の事故みたいなものだったんだなって思った。申し訳ない。
先輩は会社の別の拠点の人間だけど、前はちょくちょくわたしがいる拠点に来て仕事してた。
最近見ないけど、来なくても仕事できるように調整してるのか、来てるけど私が気づいてないだけなのか・・・。
どっちにしろ気まずいんだろうな。飲み仲間として好きです。
絶妙なタイミングで必要な情報にぶち当たるあたり、やっぱりこの世は予定調和で出来てるんだなと確信しなおしました。
結局処女は捨てれてないな。
LGBTとBLは別物だから、娘がBL読んだからと言ってLGBTへの理解が深まるわけじゃない。
その嫌悪感を抱くことそのものが間違っているとは思わない方がいい。
これはBLに限らない。子供の交友関係の在り方、子供の恋人とのやり取りの仕方。子供と親は別人格なのだから合わないと思うことがあっても仕方ない。
でも正直言うと嫌悪感を表に出すのは間違っていると思う。
人は誰でも心の中に差別意識がある。それを認識しても人に示すのはいけない。
でもじゃあ気持ち悪いと感じている増田が悪いのかというとそうではない。
で、その方法はこんなところで無責任な人間に聞いてもどうしようもない。
夫に聞くのもあまりよくない。呆れられたり怒られたりしたら、増田の中では「娘にこんなこと思うなんてよくないことなんだ」と思うだけになる。
「価値観を否定するな!多様性なんだから!」と言う人間の言うこともわかるが、そんなもの頭でわかっていても感覚でクリアできなければ意味がない。
まあ私のこのコメントも同じだが。
http://anond.hatelabo.jp/20160110142936 |
https://anond.hatelabo.jp/20160131185333
これらを書いて5年が経った。自分はあいかわらず大学教員をやっている。
もっとも、10歳も20歳も年の離れた男性が、同世代の男子学生が及ばないであろう経済力(と女性あしらいの経験値)を背景に、先週告白してきただけの女子学生に手を出すなんて事象は自由恋愛なのだろうか、チート恋愛なんじゃないの、という疑問もなくはないのだが、当職はそのようなトラブルを処理する立場にないので、この疑問はしばらくのそのままとしておきたい。 |
その後、教員組織における管理職として経験を積み、学生-教員間の恋愛・セクハラ系のトラブルに対応する立場になった。
5年前の自分へのアンサーブログとしてここにメモを残しておきたい。
その頻度は、1つ目の記事に書いた数値とそう離れていない。
つまり、30代までの男性教員は、自分が担当する女子学生のうち、0~2%から好意(恋愛感情)を持たれる。「0%~」という下限は、教員本人がその種のことに疎くて気づかないか、教員が持つ心理的安全感が低い(むやみに怒る、清潔感に欠ける、不審なほど暗い等)かであり、大学事務と一般的なコミュニケーションがとれる教員であれば、2%が妥当だ。
そして、40代に入ると2%→0.5%ほどに激減する。
30代まではまだ世代が近いため、冗談やおどけが通じ、親近感を持たれやすいが、40代以降では人間としての重み(または老化)が現れる上、彼女らの父親と年齢が近づくため、恋愛対象から急速に外れることが大きいようである。
次に、男性教員がずいぶん年の離れた女子学生と交際することが自由恋愛なのか、チート恋愛なのかという問いについては、やはり後者であろう、という意見が大勢となりつつある。
学生と教員の両方を管理する立ち位置にある私自身の経験もあるかもしれないが、ここ5年での世間の変化がもっとも大きいように思われる。
上司と部下、業界のカリスマと新規参入者、業務発注者と受注者、部活の指導者と指導を受ける者といった権力勾配のある関係性における性的な行為は、セクハラその他の違法行為として認識されることが多くなった。
その実例は報道されたものだけでも多く思い出されるであろうし、MeTooという世界的な用語もここ5年で登場した。
学生の意思に反して交際を迫ることが言語道断であることは当然のこと、両者の自由意志のように見えても、異性の学生との交際の進展を積極的に拒否しない場合は、教員が権力勾配のアドバンテージを利用したとみなされるようになってきている。
つまり、自分から積極的に迫ったわけではなく学生側がアプローチしてきただけだという言い分は認められなくなってきている。
そこらへんのおっさん・おばさんが親子ほども年の離れた学生から交際を迫られるのはなろう小説の世界だけであり、現実社会でそれが起こるということはやはり何らかのチート(今回は権力勾配)があると考えるのが自然であろう。
(なお、この記事は女子学生→男性教員を中心的に書いているが、自分が見聞きした最悪の教員セクハラは、男性同性愛者である男性教授が好みの男子学生を(おそらく不当に)期末試験不合格とし、口頭試問と称する再試験をその地域の花火大会がある午後に設定し、当該学生を花火大会へ誘った上で自宅へ泊めようとした事案である。非常に悪質と感じたが、自宅へ誘った以外は状況証拠であり、教員本人が同性愛の指向を公的には否定したこともあり、懲戒には至らなかった。周囲の監視の目は厳しくなったが。)
大学教員が年の離れた学生と交際し、時には結婚までする話は、内田某氏が行ったとき(2009年)には著名人たちから無条件に祝福されたが、今ではかなり厳しい視線にさらされるように感じられる。
最初に書いたように、そのような時代変化を経た現在でも「0~2%」は変わっていないため、教員側が積極的に断る力を発揮する必要があるだろう。
大学教員が学生と交際する話がごろごろしており、温かく祝福さえされていた2000年代までを知る立場からすると、時代は変わるものだと思う。
[B! 性犯罪] 【独自】銭湯でわいせつ行為の男性2人を書類送検 被害相次ぎ貼り紙も|TBS NEWS
こういうのは一部の人、というには多すぎるんだよなあ。
何を言いたいのかわからない。
「一部というには多すぎる→全体もそうであるに違いない」といったミスリードでないのなら、どういう意図でもってこのコメントを残したのか説明していただきたい。
"かわいそうランキング"上位になれば好き放題できるようになる。本件に対する批判もすぐさま「差別」認定されるだろう。
当事者から見てもこれは明確な犯罪行為なのだから、このコメントは揶揄にしても筋が悪い。
この場合で言えば、本件の被疑者に対する批判とゲイ全体に対する非難とは、分けて考えなければいけない。
ハッテンしたきゃハッテン場行けや。
ハッテン場という単語には「ハッテンする場所」というぐらいの意味しかない。だから「彼ら」にとってはこの銭湯もハッテン場ということになってしまう。
「有料ハッテン場に行け」なら問題なく成立する言い分ではあるし、おそらくはそういう意味で言っている人も多いと思われるので、この指摘は揚げ足取りでしかないのだが。
ホテル行けよ・・
自分の家でやれ
これもよく見る反応だが、「それができれば苦労はしないんだよ」と言いたくなるゲイも少なくないのではなかろうか。
男同士での宿泊を断られるラブホテルは未だ多いし、かといって自宅に他者を招き入れるのは、「ゲイ」が被差別属性として機能している現状では(身バレ等)社会的な死に直結しうるハイリスクな行為である。
結局のところ、手っ取り早くそういう行為に及びたければ有料ハッテン場に行くしかないのである。(それさえも知人に目撃されればどうなることやら、という話ではあるのだが)
こうやって一部の心無いゲイが数百年の歴史をもつ共同浴場文化を潰すわけだ。本来であればゲイの団体から一番に批難声明が出てしかるべき。
「ゲイ」「共同浴場文化」の部分に他の単語を代入してみて、それでも問題ないと思うのであれば、俺から言えることは何もない。
個人的には、一部の心無い人物の行為によって彼らの属する集団が声明を出す必要にかられる、というのは健全な慣習と思えないが。
社会に対して価値観のアップデートを謳うと今まで自分たちがお目溢しされていたこともアップデートしなければいけなくなるんやで。
言わんとしているところはわかるのだが、同様のフレーズを目にする昨今のケースを鑑みれば「価値観のアップデートなど求めてない」という当事者もままいるだろうことは想像に難くない。
そもそも、今までだって「お目溢し」をされていたのかどうか。本件のような行為はもとより犯罪なのだし、数はともかく摘発もされていただろう。誰が、どのように、このような行為を「お目溢し」してきたというのだろう?
ネットで“同性愛者の出会いの場”と書かれている以上、同性愛者を指定した注意喚起は仕方がないんじゃないかな。迷惑行為をする人に伝わらなければ意味がない。
これに対しては「結局伝わりませんでしたね。残念です」としか言いようがない。本件に限らず、同様の被害に頭を悩ませる全国の公衆浴場の管理者に対しては気の毒に思うが。
ゲイ(もしくはバイ)のみならず性的少数者全般に対する印象操作として機能しうる注意書きに、いかほどの正当性があるのか。そもそも、社会の規範を逸脱するような人間に対して、貼り紙での注意喚起がどこまで有効なのだろうか。
そう考えると俺はこの注意書きを妥当とは思えないし、効果もそれほどなかったのではないかと訝っている。
ラブホでシャワー浣腸するやつが多いからゲイカップルお断りを掲げたらゲイ差別だって叩かれたのを思い出した
数年前にホッテントリ入りした
[B! 差別] 男性同士でラブホ、断られ 「あ、差別されたんだ」:朝日新聞デジタル
このニュース(および関連の増田)が念頭にあったのだろうが、妥当性を欠く偏見か、もしくは悪質な印象操作としか受け止められない。
俺個人としては「お断り」に憤ることもないが、それは実際に利害のあるホテル側の判断だからであって、第三者がネットを通じて偏見を助長することに対しては差別だと呼ぶ他ない。
なお、ゲイコミュニティではおよそ、男同士でも入れるラブホテルの情報が共有されている。
女性専用車両と同じだよな。誰が痴漢かわからないから男全体を排除せざるを得ないように、誰がハッテンするかわからないからゲイ全体を拒絶するしかない
俺はこの感性を悪だとは断じたくないが、どれだけヤバいことを言っているのかについては自覚的であって欲しいと思う。
はてな民はなぜ公然猥褻を擁護して、銭湯サイドを袋叩きにするのか?LGBTだから?
ここまで全てのブコメに目を通したが「公然猥褻を擁護」しているidは1人も見当たらなかった。こいつは一体何を見たんだろう。
・追記
犯罪行為を指摘したら差別、という論拠は流石に無理があると思うが。社会が悪い、それを正すべき、と話持っていくのはいいが、現状犯罪なものを批判するなというのは違うかと。
うっかりミスなのか悪意なのか判別つかないので真面目にお伺いしたい。どこに「犯罪行為を指摘したら差別」と書いてあった?
特定の犯罪を、行為者の持つ属性と分かち難いものとして結び付けるな。という話だったんだが、それが何故「現状犯罪なものを批判するな」に置き換えられてしまうのか不思議でならない。
その端的な扱いがゲイの描写だろう。ライトノヴェルでは、主要な読者層である若年男性の感情に訴えるホモフォビアがそのまま剥き出しで晒されている例が結構あるのだが、代表的な例がこれもまた人気作の「盾の勇者の成り上がり」だろう。まったく必要も必然も無い場面で男性キャラ同士をギャグとしてくっつけて、「ホモじゃねーよ!」と言わせることが笑いになると思っているしょうもない感性が見られる。それも一度だけではなく二度三度と。他人であっても、一個の人間が生きるということへの想像力が致命的に欠落しているのだ。
「チンコを手や床で擦ると気持ちいい」という性の目覚めのスタートラインに即した最もオーソドックスな性癖だとすら思うが。
「マンコにチンコを入れると気持ちいい!」「フェラ凄い!」みたいなのって直感的にはイマイチ理解できないじゃん。
性に今さっき目覚めたばかりの繊細な少年が、知らないオッサンのチンコと自分を重ね合わせてオナニーなんて出来るか?
オッサンが「うっ!気持ちいいぞ!うほほ」と言ってるセリフ1つで萎えちゃうだろ。
でもふたなりだったら、最初から最後まで女の子しか出てこない。
女の子がチンコが気持ちよくなって興奮する姿に、自分のチンコが気持ちよくなっていくのを重ねればいいんだ。
それともあんたらは「いいや、AV男優がAV女優にチンコ突っ込んで「あっ、気持ちいいよ。いいね」と喘いでるのを見て「うっはーまんこって気持ちいいんだうっらやましー」と瞬間、AV男優とチンコ重ねて、するのが健全なオナニーの第一歩だろうが」というのか?
それこそ繊細な思春期の少年からはホモかよキンモー☆(*この増田に同性愛を否定する意図はありません。あくまでも、性に目覚めたばかりの少年からすれば、男性が男性を興奮の材料とすることに嫌悪感を抱くのではないだろうか、という話です)って感じじゃないか?
どう思うよ?
別に愛し合う分については勝手にしてくれって感じだし、公衆の面前でイチャイチャされたら同性だろうが異性だろうがウゼェし、