はてなキーワード: 同性愛とは
元々これっぽっちもウイグルやチベットの人権に関心がなかった連中が、左派への当てつけと反中の時だけ持ち出すの、腹立たしいな。
ナイキのCMがなければウイグルなんてどうでも良かったくせに。
慰安婦問題がなければライダイハンの人権なんて考えたこともなかったくせに。
LGBTのことなんか気にかけていないくせに、トランス女性と他の女性が揉めている時だけしたり顔でフェミ叩きする連中がいるのも、地獄。
同性愛者を自分もネタにするくせに、イスラムの国で同性愛者が迫害された報道には食いつく連中もいる。
性的消費の話になるとイスラムのブルカを持ち出す連中も反フェミのつもりだろうが、女性にもイスラム教徒にも失礼だ。
自分たちだって女性を軽視しているくせに、何かあればすぐ市民活動家の性暴力スキャンダルを持ち出して引き分けに持ち込んだつもりの連中もいる。
MeTooの話題では冤罪冤罪と騒ぐくせに、ドイツの難民が関係する性的暴行のデマだけは必死に流そうとした連中もいる。
女叩きのためだけに、染色体異常の胎児の妊娠中絶や精子バンクのことを優生思想だとか言ってくる連中もいる。
女子受験生が減点された事件で大学側の言い訳を必死に擁護しておいて、自分たちが海外の入試で不利になると知った時だけ不平を言う連中も、どの口がと思う。
男なんだけどさ、結婚式挙げようとしていくつかの式場やイベント行ってるんだけど
うちのカップルはどちらかというと俺のほうが結婚式に憧れがあって、
花嫁たるパートナーの方はお金がかかるといってあまり乗り気じゃない。
だけど相談会でいろんな式場のブース回ってもほぼ全てのプランナーさんは
基本女性の方にアッピールする。(目線が基本新婦の方を向いてる)
あとは、式場が契約しているドレスメーカーはバリエーション豊富なのに、
結婚(式)は2人で挙げるものなのに、そこに新郎は不在なのです。
なんだろな、gender equality考えるなら結婚式=ハナヨメという
テンプレートを外してほしいんだよね。
これ男女逆だったらそれなりに問題になりうるよね。
とはいえ世の殆どのカップルは女性側が結婚式の主導権を握るんだろうから
商業的には正しいのだろうけど。
もっといえば、ヒアリングシートとかも書かされるんだけど新郎・新婦前提なんだよね。
これも同性愛カップルの事考えたらあんまりよろしくないよなあと思いながら
なんだよ、さんざん金かかるから挙げたくないんだよねとか言いつつ、ノリノリじゃん。
私はこれまでほぼゲイとして生きてきた。男のけつに入れたり入れられたりフェラしたりして、それなりにゲイの世界で性経験もある。まあゲイの人たちはノンケに比べて経験人数が多いので、私はあの中ではかなり少ない方だったと思う。
で、それはよくて、最近の社会の風潮を見てて思うのだけれど、なぜゲイの人たちは女性の味方みたいな括りで語られるのだろう。lgbtとかいうのもよくわからない。少なくとも私はレズの人たちと連帯感は持っていないし、同性愛者と女性が一緒になって男社会を打倒しようみたいな物語に私は加わりたくない。どうも私はフェミニズムというものが好きになれないし、何か精神の深い部分から湧き出てくる嫌悪感をフェミ思想に対して持っている。政治的に正しくないのはわかっている。でも自分の性格だからしかたがない。そして色々考えていると少し自分のセクシャリティもなんだか信じられなくなってくる。まあ私のことはどうでもよくて最近はやっている同性愛者がみんなリベラル臭のきついキラキラした人たちばかりではないことは知って欲しい。ゲイの権利がどうとかいってる人たちに、ハッテン場を徘徊してるキモオヤジが視界にはいっているかはよくわからない。
やっぱり思うのだけれど、セクシャリティと政治思想って混同してはいけないのだろうな。重なる場合が多いのだろうが、安易な決めつけはよくないと思う。
自分が男を好きになったのはもしかして女が嫌いだからなのかなとか思ったりもする。そうだとすると自分は哀れな人間なのか。あまり語られることがないけど、ゲイで女嫌いは結構な割合でいるんじゃないかな。私の思い込みかな。
返信ありがとう
個人的にはどちらかというと「見た目が女っぽい受け」の事を言いたかった
「見た目が可愛い系の受けは古い」とか「女装は受けの性別を尊重してない」とか言ってる人が多くて気になってた
そもそもキャラを勝手に同性愛者にしてる人間が女装程度でそんなこと言うなよって思う
男っぽい受けが好きな腐女子は何故かこっち側を下に見てる部分があるというか
私のいるジャンルが特殊なんだと思うけど、「わざわざ男女で二次創作する意味がわからない」「ノンケとは明言されてないのに同性愛差別してる(※原作で両思いの男女)」って平気で言う腐女子がいる
全てがそうとは言わないけどね
私の文字部分を実際に表現するような知り合いを全員、連れてきたり、
ノンケで彼氏ありの人で、メダカの授業のように、メスをオスにするための切込みを入れるような事も実施してきたり、
少々のことでも、そばにもいられないならば死んでほしいと言ってきてオカマを彫る実施をしようとした友人。
何だと思います?
3、死んでほしかった
それともヘイトスピーチ?
「男子メンバーとはえっちなイベントは起こらないのでとても安全」というエロゲーの注意書きは「ホモセックスって気持ち悪いよね~」というノリがあることは否定できない。
そう考えるとヘイトスピーチの一種として怒られることも理解できるんじゃないか。
「男子メンバーとはえっちなイベントは起こりません」なら単に事実を述べているだけだし、それがメリットかデメリットかはユーザーの判断に委ねられる。
何が悲しいって遺伝という仕組みがある以上彼らが多数派になることはないってことよ。
結局世界は変わらない。
同性愛者に生まれついたものは仕方ないが、異性愛者の側から望んで降りようとする人間はいつか世界の何かが変わるということもなく自分一人が負けて終わるだけだ。
世は異性愛規範に染まっていてイヤ!っていうのは分かるんだけど、「恋愛なんてしなくてもいい」「異性愛は"普通"じゃない」とか言われると、さすがにそうでもなくない?と思う
いや、俺自身は反出生主義だし、恋愛なんてせんでいいし、異性愛ごと人類が消滅するのがいちばんハッピーだとすら思うんだけど、それはそれとしての話だ
次世代に生命を繋いでいくために恋愛めいたものが必要なのは確かだし、9割が異性愛者なのも確か
いまいる人間は全員が男女の有性生殖で生まれてるというのも確か
人類なんて滅んでいいじゃん!というわりと絶望的な価値観でいくんじゃないんなら、恋愛とか異性愛を否定するべきじゃない感はあるんだよな
や、まあ否定しても肯定してもやるやつはやるし、同性愛者に肩身狭い思いをさせる意味ねえじゃんってことなんだろうけども
しかし、そんなら「同性愛も"普通"だ」の方向性で行って欲しい感じはある
実際、1割もいるならかなり普通だしな
国民の1割が乗ってる車があったとして、それを見て変わった車だとは思うまい
異性愛も同性愛も普通、というアプローチのほうが受け入れやすい 異性愛が普通じゃないと言われると、いや普通は普通だろという反発がどうしても先立つ
「恋愛なんかしなくていい」は、人類を滅ぼすぞという意思とともに発信されてほしい 恋愛を強制されない雰囲気の社会を次世代のために作りたい!みたいな主張にはわりと違和感がある
そういう感じですね
そういうことじゃないだろ文脈読めんの?
女の子とエッチしたいゲームやってて男が寄ってきたら嫌やろ。同性愛者の権利ばかりふりかざしてノンケの性的趣向は無視するのが多様性なんか?
マジレスすると『とても危険』なのは男性同士の性行為そのものではなくて、ターゲティング層のユーザー(この場合異性愛者)が自分とは違う性的嗜好のエロシーンを見せつけられるという事態だろ。
逆にゲイをターゲットとしたエロゲーで異性間のエロシーンを延々と見せつけられたら「同性愛者に異性愛を強要した! 差別だ!」って騒ぎ立てるだろ。
昔から恋愛を描いた創作が好きだった。少女漫画も青春モノもボーイミーツガールも、他ジャンルの作品のサブ要素として描かれる恋愛要素も、ジャンルを問わずそういう作品を好んで読んできた。数は少なかったが同性愛を描いた作品も昔は抵抗なく恋愛を映画居た創作の一つとして楽しんでいた。恋愛とまではいかなくてもどこかそういった雰囲気を感じ取れる、いわゆる”百合”や”腐向け”と呼ばれるような作品も昔は楽しめていたと思う。
具体的にいつからというのは覚えていないし、オタク文化の歴史に詳しいわけでもないけど、おそらく日常系アニメが流行りだした頃からだと思う。世のオタクの中で”百合”と呼ばれる作品が流行りだした。日常系アニメが全体的に”百合”と呼ばれがちというのもあるがどちらにせよ世のオタクが数々の作品に”百合”を見出しそれを今まで以上に持て囃すようになったのは間違いないと思う。
その結果日常を飛び出して明確に女性間恋愛を描く作品が増えた。正しく言うなら日の目を見る作品が増えた。
先述したように僕は同性間であれ異性間であれ恋愛を描く創作作品は好きだったから特別その流行に対して思うところはなかった。ただ、段々と「百合はいい」から「異性間恋愛より同性間恋愛のほうがいい」という主張を目にする機会が増えた。単純に目にするオタクにそういうのが多かっただけというのと、語の強い主張は目立って記憶に残ってしまうだけだとは思うのだけれど、僕はとにかくその主張が苦手だった。単純に理解が出来なかった。恋愛が同性間で行われていることと異性間で行われていることに違いを感じられなかった。同性間であればそれ特有の葛藤が生まれて、その特有の葛藤が面白い……等の意見ならわかるのだが少なくとも僕が目にしてきた上記の主張をするオタクはそういうわけではなさそうだった。どちらかというと異性間恋愛に対して否定的な感情を持っていて、同性間恋愛であればその不快な要素を排除された恋愛を楽しめる……というような主張に僕は感じてしまった。別に人の好みだろと言ってしまえばそれまでなのに、オタク全体の流行としてそういうものがあると思ってしまったのがおそらく失敗だった。
結果として、僕は百合作品を好むオタクのことを「純粋に恋愛を楽しむことが出来ない下等な存在」と見なすようになってしまった。さすがに語が強すぎるしここまでは思ってないと思うがまあわかりやすく言うとこういうことなんだと思う。異常に見下すようになってしまったことは少なくとも間違いないと思う。当然その評価は作品そのものへ伝播する。いつの間にか、百合作品に対して「ああ、また百合というだけで持て囃される作品か」と思ってしまい、不快感を覚えるようになった。作品に対する不快感というより過剰に持て囃している(と僕が勝手に判断している)オタクに対する不快感なのだが、どちらにせよその不快感は結果として作品に向けられてしまう。よく創作内で貴族とかが下民の文化なんて汚らわしくて……みたいなことを言っているのをみてなんだこいつらとか思ってたけど多分自分がまさにその状態になっている。なんなら自分が貴族なわけでもなく相手が下民なわけでもないという意味でより酷いと思う。
とにかくそういう感情を持ち合わせて以来百合作品を一度も楽しめていない。先入観は良くないと思い挑戦したこと何回もあるのだがどうしても不快感が生まれてしまう。
ただのオタクが勝手に被害妄想膨らまして、オタクを見下して、気分を悪くしているという内容の日記でした。頭の中では自分が一番おかしくて自分が一番悪いと理解しているつもりではあるし、いざ文字化してみて改めてそれを感じたけどそれでも一生治る気配がない。