はてなキーワード: 低俗とは
今回は少年ジャンプ+
今回、割と分かりやすい読み味。
驚異的な再生能力+引火したら対象が燃え尽きるまで燃え続ける炎を纏っているというのが、ここにきて第三者の目線で如何に驚異的であるかってことが描写されている(まあ、今さら感もあるが)。
味方から見れば神、敵から見れば悪魔っていう構図が実に分かりやすい。
アグニの明朗な戦う理由もいいと思うんだけれども、胡散臭さというか茶番感が拭いきれないのは、ヒネすぎた作風と露悪趣味のツケかなあ。
今回はガチャの話か。
動画サイトとかでも、ガチャするだけなのに割と受容あったりとかね。
業が深いよなあ。
バランスブレイカーや、環境の話まで出てきてネタになる程度にはマイルドではあるけれども。
話自体は、まあゲームに何を求めてプレイするかっていうことだろうね。
それが巡り巡って、初心を思い出すって構成なのはフィクションだなあと思いつつも綺麗な見せ方だとは思う。
ブログとかのゲーム引退宣言とかみていると誤解しがちだけれども、ゲームに限らず継続していたものをやめるのって、そんな劇的な理由なんてないことが主だよ。
日課のジョギングのように、いいものだと思いつつ、いつやめてもおかしくないとも思っている状態のことがほとんど。
理念だのとか、そういうのは取り繕った説明用の理由であって、実の所は本質ではないんだよね。
だからこそ、思い出したときにまたプレイ再開することだってある。
是非の話じゃなくて、そういうものってこと。
うーん、なんだかなあ。
テーマ自体が低俗である以上、それを低劣な価値観でもって紡がれると、面白い面白くない以前に、そういう無頓着な作風が先に気になってしまう。
もちろんとあるアイドルという個人の立場から見た、側面的な価値観ではあるという言い訳を用意しているとはいえ、結局のところ語られている内容は下品だしね~。
ポリコレ的な観点から是非を語るようなマネをしたくはないけれども、このご時世にあえてやる理由があると思えるほどの出来ではないかなあ。
少なくとも、これを手放しで賞賛できるような感性でいるのは私には無理。
削除依頼出されて消されたってのはかなり疑問。
いくら削除されやすい匿名ダイアリーだからって、個人も何も特定できないやつの削除依頼依頼が来ても対応できないでしょ。
本当に消されたんだったらこのあたりに抵触しているって判断されてるんじゃないかな?
結果的に児童ポルノに興味を持たせかねない情報を出してるわけだしね。
第6条(禁止事項)
倫理的に問題がある低俗、有害、下品な行為、他人に嫌悪感を与える内容の情報を開示する行為。ポルノ、売春、風俗営業、これらに関連する内容の情報を開示する行為。
まあ今回の内容はリンク付けてるし削除依頼出されたら消されるだろうけど。
何にせよ児童ポルノの場を潰そうとしてるのは良いことだし頑張って。
なんかおかしい。
わかるよ、ネットニュースでしか見てないけれど、電車が止まったかなにかで客にクレームつけられたかなんかした車掌さんが制服脱ぎ捨てて、線路に飛び降りて、それがテレビでは奇行として笑われているらしい、それに対してネットでは「車掌さんは悪くない」気運が盛り上がっているのは。知ってるし、車掌さんお気の毒やなあと思うし、笑いごとじゃないよなあとも思う。
けどさ、どうして会社に嘆願書を出すの。「処分じゃなくて心のケアをしてくれ」って会社にお願いしてどうするの。それは新しいクレームなんじゃないの。
近鉄からのなんらかの反応を期待してるわけでしょ、この動き。それは、あまりにも勝手すぎるんじゃないの。社員の処遇について、外野がどうこう言うことはおかしいんじゃないの。善意だからって、勝手に突き進んでいいわけじゃない。
なんでいま「車掌さん守れ」って会社に文句言うほうにみんな向いてるかっていうと、クレーマーが誰かわからないからでしょう。もし、この「数人から暴言を浴びせられていた」とされる「数人」が誰だか特定されていたら、その人たちが血祭りにあげられていたでしょうね。
この一連の出来事(人身事故→電車止まる→客怒る→車掌さん飛び降りる→テレビで笑われてるらしい)は、たしかに感情をゆさぶってくる。クレーマー最低、そんなのに詰め寄られたら地獄、それを笑いものにするワイドショー低俗、満員電車に乗らなければいけない働き方がおかしい、いやそもそも消費者が王様になってる今の日本は変だ、とか、いっぱい思いが湧いてくる。
でもさ、そのいやーな思いをさ、誰でもいいから顔が見えている登場人物にぶつけて、手っ取り早く解消しようとするのは違うよ。たとえば、この署名活動が無事実ってさ、「車掌は悪くありませんでした、彼のケアにあたります」ってことになって、なにになる?「『悪質なクレーム行為から職員(大切な社員)を守る』といった強い態度」が見られれば、クレーマー減るとでも思ってるのかしら。車掌さんよかったね、ってほっとするのかしら。
違うでしょうが。「クレーマーに傷つけられた社員を守るよう、会社にお願いする」ことでは何も変わらないんだって。これがもし「クレーマーに困っている駅員さんがいたら、代わりに話を聞いてあげましょうキャンペーン」とかならわかる。実際にクレームが発生したその場で、問題をなるべく小さくしようとしたい、という思いならとてもいいんじゃないかと思う。
けど、このキャンペーン、結局自分は名前を書くだけで何もしないで、「この人かわいそー、よろしくー」って言ってるだけに見える。そういう人たちが5万人いるように見える。たとえば明日会社から帰るとき、駅でよっぱらいが駅員さんにからんでて、そこに割ってはいって「なあなあおっちゃん、ちょっと飲みすぎやで水買うてくるからそこ座っとき」って言える人が5万人いたら、状況は違ってたはずだ。
なにか不都合なことを見つけたときに、「せんせー、すずきくんがザリガニいじめてまーす」って言いつけるところから変わらなきゃいけないと思うのよ。
自分じゃないえらい人がどうにかしてくれるから、自分は何もしなくていい、ってそのままだとできることが署名集めることになっちゃう。学級会じゃないそれ。「そういうことはしちゃいけないとみんなおもってます」って。
たぶん署名に参加した人たち、ただ、腹立つし、なんかやだから、できそうなことをしたくて、ここに名前書いたんでしょう。クレーマーを特定して叩きまくるのでもいいし、車掌さんを笑い者にしたテレビのコメンテーターを袋叩きにするのでもいいし、なんでもよかったけど、「車掌を守れ」っていうのは善意っぽいし、これなら胸張ってできるしって。
何かで読んだけど、「火事だ!」の一言で、善意の人たちがバケツを持って押し寄せてきて、家に水かけて、水浸しにするっていうイメージのとおりだ。その「火事だ!」は誰が言ったのかもわからなければ、ほんとかどうかもわからない。火事らしいという噂だけが広まって、言い出しっぺはどこかへまぎれて、バケツの人たちが帰っていったら、最後はたぶん、家を水浸しにされて立ち尽くす住人だけが残されるんだろう。
私には好きな若手俳優が居て、彼が出る舞台をよく観劇しに行っています。
彼の見た目も勿論好きだけど、彼の声や演技が好きで楽しく応援していました。昨日までは。
そんな推しが「私のホストちゃん」の入店テストを受けると知りました。
「私のホストちゃん」とは何なのか分からない人のために簡単な概要を説明します。
★「私のホストちゃん」とは?
客から貢がれる「ラブ」というポイントによって俳優たちの人気ランキングが決まります。
各公演の最後には最も多くのラブを貢いだ「太客」ランキングが発表され、ランクインした上位3名は終演後、指名したホストのオリジナル接客が受けられるサービスが実施されるなど、まるで本物のホストクラブに来たかのような体験ができるというお客様一体型エンターテイメントということです。
まあ簡単に言うと、推しの俳優をホストだと思って貢ぎまくってランキング上位にさせてあげようという鈴木O氏等による低俗な企画です。
このシリーズ、今まで推しが出ていなかったので存在は知っていてもスルーしていました。
面白いって言っている人は居るのであまり穿った言い方はしたくないのだけど、自分の推しには絶対出て欲しくないと思っていた。
こんな低俗なものに時間を費やすくらいなら、他の舞台に出てきちんとした演技を観たいと。
自分の推しには、息の長い素敵な役者になって欲しいと思っているからです。
なので今回、推しが入店テストという名の公開処刑…いえ、公開オーディションを受けると知った時はとてつもないショックを受けました。夢であって欲しいと思ったし、どうしてマネージャーは止めてくれなかったのかと心底落胆しました。
昨日、その公開処刑…公開オーディションがネット上で生放送されたのですが、まあ酷かった。
それに伴うオーディションだったわけですが、特技を披露するまでは耐えられたけれど、上半身を脱げ、と鈴木O氏に指示されてテストを受けている俳優たちが上半身裸になり「エア重量上げ」をした後に何か面白い一言を言えと指示されて指示に従ったり、引き続き上半身裸のままバカなことをやらされていた。
何年も真剣に応援していた推しのショッキングな姿に、これからどうしようと思いました。
みんな、自分の推しがこんなことさせられても大丈夫なの?面白いって思えるの?私は大丈夫じゃなかったから、とてもツラかったです。
入店テストを受けると決めたのは推しだと思うので、推しがやりたいようにやればいいと思う気持ち。
推しが一番だという贔屓したい気持ち。
色んな気持ちでぐちゃぐちゃになりました。
ツイッターを眺めていたら、推しに投票して舞台に出させてあげませんか?といった投稿がリツイートされていた。
マジで出て欲しいですか?
ねえ、あなた、推しが舞台に出れることになって、何万も何十万も貢げますか?
あなた、沢山お金を落とす覚悟があって声掛けしているんですよね?
これだけの醜態をネット上で晒してしまった推しが、オーディションに落ちたら落ちたで相当ツラいのですが、いっそ落ちて欲しいと思っています。
応援したい気持ちは山々です。推しだって出たくてオーディションを受けたんです。でも無理です。
世間では推しに出て欲しくないという声が多いんです。
推しのことを好きじゃない人も、彼は出なくて良かったんじゃないかと言っているくらいなんです。
彼は自分の価値を見誤っていると思いました。どうして出ようと思ってしまったんですか?
私は今回の「私のホストちゃん」には関わらないと決めました。
昨日の公開処刑も、観なきゃ良かったなあと心底後悔しています。
どうか推しが受かりませんように。
リオ・オリンピックで棒高跳びの荻田大樹選手が、跳躍のときに自らの股間の棒がバーに当たって失敗してしまった(ように見えた)というハプニングがあった。
産経ニュース:「棒高跳び・荻田大樹の失敗の瞬間をとらえた「ハプニング」映像 欧米などで視聴回数888万回以上 低俗内容に批判も」
http://www.sankei.com/rio2016/news/160817/rio1608170043-n1.html)
海外ではBBCも報じるほどの大騒ぎになっている。
BBC:「Olympic pole vault penis claim denied by Japan athlete Hiroki Ogita]
http://www.bbc.com/news/world-asia-37103648
ネタ的には、はてブでホッテントリ入りしてても可笑しくないのに、今のところその気配は無いようだ。
所詮、メジャーな競技か日本人がメダル取りそうな競技で、かつ日本語で情報発信されているものしか話題にならないのかな?と考えると
結局、はてなであれやこれや言われていることなんて、世界的に見れば井戸の中の蛙の鳴き声にしか過ぎないのだろうなあと思った。
http://anond.hatelabo.jp/20160814193625
ベッキー?だかの不倫騒動で週刊誌が持ち上げられるような風潮が
今年頭にあったけれど、あれも同じような気持ち悪さがあった。
作る側も見る側も、頭が腐った低俗な人間しかいないのかと思える。
まあここで、そうやって「日本人は云々」と罵倒して終わりだと、
俺も頭が腐った人間とやってることは同じになる。
そっち側に堕ちてしまわないために、システム思考をしなきゃいけない。
環境(システム)の視点で解きほぐし、定量化し、マネジメントしていく思考だ。
ただしく「環境のせいにする」。
徳治主義的な価値観が根強く残ってきた、歴史的・文化的要因が大きい。
「悪い奴」が湧けば潰し、湧けば潰しを繰り返していく。
でもこれだけ情報化が進んだ時代で、そんな前時代的なやり方を続け、
そういう意識はおそらく、誰もが持っていると思う。
やはり安易な勧善懲悪ストーリーを消費したい欲求が人々の心に隠れているからだ。
当事者意識をもって真剣に考えてやる義理を感じないから、そんなエンタメ消費ができる。
実際、真剣に考えることを職業とするジャーナリストやコラムニストなんかは
もうちょっとマトモに考えられる人もわけだし。
さあ、このへんまで印象論で外堀を埋めたところで。
日本の報道のレベルをデータで示して、レベルを引き上げるプランを誰か示してくれ。
俺も結局、当事者意識や参画意識の欠落した一介のニートにすぎなかった。
だから増田で滔々と駄文を垂れ流すくらいしか、抗議の仕方を知らないわけだ。
まあ、もう少しメタに捉えると、こういう卑屈さをみんな持っているんだろうね。
そう考えるから、発起してわざわざ「波風を立てる」ような行動を起こさない。
「和を以て貴しとなす」精神の負の側面だね。
これが腐敗の呼び水となり、結局は「異物」の排除に執着する心理につながっていく。
そういう空気を打ち破る離れ業は、一人のスーパーヒーローなんかじゃ成し得ないと思う。
そういう自己矛盾を打ち破るには、やっぱり個人の力ではなく、集団の力がないと。
シン・ゴジラもそういう事を言ってたんじゃないのかな?(金がないから見てないけどね)
ともかく若い世代にパラダイムシフトと言えるくらいの思想的転換が訪れないといけない。
その兆候は、けっこうあると思っているけど。
現実には、高い意識をもつ若者ほど精神を病んで引きこもってしまいがちで、
しかも追い打ちをかけられがちなのは、一体どうしたもんだろう?
ああ鬱々とする。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
個の判別として、自身のネームを「しげたか」と称したことからきている。
ネット初心者、老人、陳腐な政治や世間に対する価値観、どこか間の抜けた文体。
お礼の手段がなぜか高級肉を振舞うという設定だ(いくつかの要素は元ネタというか、モチーフらしきものがある模様)。
それら要素が他のユーザーにウケて、一時期ネタとしてこのサイトで流行した。
実在の人物にしてはあまりにも香ばしかったので、そういう設定のキャラクターという扱いが周囲の主な認識だ(まあ、真に受けること前提の方が面白いという人もいるだろうけれども)。
流行とはいっても、それから当人と思わしきユーザーからのネタ提供がほとんどなく、「しげたか」ネタを取り扱ったエントリで話題になるほどのものも出なかったから、すぐに廃れてしまったな。
元のエントリからしてブクマも大した規模でもなく、一過性のものだったので知らない人も多い。
知る人ぞ知るってネタで、私も静観していた身なので実のところあまり知らないんだ。
芸人とかが一発ネタで、単語を大声で言ったりするのがあるだろう?
あれに近いと考えてくれていい。
真面目な話を書きつつ、脈絡なく唐突に使われたり、エントリの〆として使われることも多いようだ。
前文から、余白を大きく空けて(いわば貯めや間を作って)用いられるケースも少なくないね。
ナンセンスギャグを挟むことで「自分の書いたエントリは取るに足らないものですよ」という意図を含ませるらしい。
稀に、そのままネタやテーマとして使う人もいるようだ(本気というわけではなく、あくまでクダラナイものという範疇でのネタだが)。
語感のよさ、低俗さから、このサイトではポピュラーなナンセンスギャグだな。
ナンセンスギャグだから白けやすいので、もし君がこのネタを使うなら本当に自分にとっても取るに足らない内容のエントリのときをオススメする。
もちろん、使いたくないなら使う必要もないが。
今回はやわらかスピリッツ
でも、不覚にも笑ってしまう。
このご時世に、こういう低俗なマンガがWEBで読めるって、ある意味で貴重だ。
それにしても、この作者ほんと画力変わらないなあ。
いや、でもオッサンやオバサンとかの画力は心なしか上がっている気もする……?
無意味な見栄の張り方とか、姪の優しさが逆にツライ感じとか。
ひえ~。
人と目を合わせると涙が止まらなくなる体質で、憧れの人に触れたいけれどできない。
なので、その人がいつも座っているソファに自分がなろう……って、いやいやいや。
非現実的で非論理的すぎて、賞賛していいか批判していいか困るが、発想はすごい。
やたらと詳細な方法を描写したりと、「このキャラクターを読者が本気でドン引きしてもいいから、とにかく変態にしてやる」という意気込みが感じられた。
今日、特定のキャラクターに対して感じる母性のことを「バブみ」と形容するオタクが多く存在している。私はこの「バブみ」という言葉が非常に嫌いで、またこの言葉を使っている人を見るたびに熱を起こし腹を下して寝込むくらいに頭が痛くなる。
特定のキャラクターに母性を見出し、そのキャラクターの魅力とするのは何ら問題はない。母性はキャラの魅力たり得る。ただそれを「バブみ」という極めて下衆で低俗な感情に直結し知能指数の低さだけが露呈された言葉に落とし込むことが我慢できない。赤城みりあちゃん(例)に感じるのは眩しすぎるほどの無邪気な愛と抱擁であって、決して「バブみ」ではない。というかなんだよ「バブみ」って、そんな言葉使ってて気持ち悪いと感じないの?マジで。いやマジで「みりあママにバブみを感じてオギャる」なんて文章が目に入った瞬間、思わず失明したよ。
「バブみ」に限らず、言葉の最適化が為されてしまうと、その最適化された言葉しか用いようとしない人が多く出てきてしまう。多様な表現が広がり続ける現代において、それらを形容するのに最適な言葉が出てくると、便利なものだからそれを使って簡単に自分の思いを表現したくなるのは分からないでもない。しかし、自分の持っている想いというものは、最初から最適化されたものであろうか?決してそうでは無いはずだ。感じたのなら、それを拙くとも自分の言葉で表現してみるのが良いのではないだろうか。寧ろそうしておかないと、いつかその想いすら最適化された範囲でしか表現されず、貧困なものとなるだろう。
実際便利だし、最適化された言葉を使うことに問題があるわけで無い。過度な使用や、言葉が最適化された結果が「バブみ」なんていう頭の痛くなるような言葉ではあって欲しくないのである。趣も無く気持ち悪いし低俗で、見るに堪えない。
選挙の教科書として、銀英伝を薦めるのが話題になっていたのを見て、しばらくその事が頭から離れなかった。
なので、今の日本状況や人物を銀英伝に置き換えてツラツラと考えていた。
そして、ゴールデンバウム王朝を成立させてルドルフ・フォン・ゴールデンバウムのような人物が登場する前段階は、今のような閉塞して明るい未来が描けない日本のような状態なんではなかったのか。
政争に明け暮れる碌でもない政治屋ばかりで、公費を流用して私腹を肥やすような老害や、具体的な代案もなくただ闇雲に反対や批難を繰り返すしか能がない烏合の衆の野党。
景気は一向に回復せず、格差や貧困は日に日に深刻になっていくが、有効な手立てを打てずにいる政府。
国民は、現状に満足しているわけではないが、まともな対立候補がいないという消極的な理由から、しかたなく現在の首相を支持しているだけ。
「他にもっとまともな政治家はいないのか?」と国民全体が呆れながら、悲嘆に暮れる。
国民は清廉潔白で有能な指導者がどこから現れないかと渇望する。
そんな現在の日本に、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムな人物が登場したらどうなるか?
銀英伝の読者だと後期の暴虐無人のルドルフ大帝の印象が強過ぎて、若い頃の絶大なカリスマ性を持ったルドルフを想像しにくいが、若い頃のルドルフはラインハルト・フォン・ローエングラムのような清廉潔白で有能でハンサムな人物だったはずだ。
だが、現在の日本にそんな人物が現れたかと言って、そう簡単に国民が喜んで、民主主義を投げ出すとは思えない。
が、ルドルフやローエングラムのような仮想の人物ではない現実の人物に置き換えたら、どうなるか?
小泉進次郎ならどうか?
現在ではない。5年後、6年後の小泉進次郎が、現在のまま実績を重ねて、40歳になったら、どうなるか?
その時の日本の状態がどうなっているか分からないが、現状より格段に良くなっているとは到底思えない。
高齢化は一層深刻になっているだろうし、格差も格段に進んでいるだろう。
そんな中で、小泉進次郎が総理に立候補したら、国民はそれこそ諸手を挙げて喜んで迎い入れる。
恐らく、父親の人気など霞むほどの絶大的な人気になるはずだ。
今だって、都知事選に立候補したら、圧倒的な支持を受けるはずだ。
さて、総理大臣になった小泉進次郎に、日本の国民は、どう接するのか?
国民の大半の安倍首相の底の浅さ、低俗さに気が付いている。だが、まともな代わりがいないから、消極的に支持しているにすぎない。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
前口上がコレだからNOと答えてもよいが、それなりには正しいかと(内容はともかく)。
書きながら間違いだと思ったら、普通はそのまま書いたりしないだろう。
或いは、低俗だがあえて間違ったことを意図的に書く理由なんていくらでもある。
釣り記事、提灯記事、心にもない、特定の人に絞った屁理屈や罵倒、自身の思想信条から外れたものを書いても同じだ。
そうした間違いが意図的ならば、自分の考え自体が間違っているわけではないからな。
それに、後に読み返して「間違いだ」と思っても、いま「間違いだ」と思っている自分は正しいと思っている。
つまり刹那的には、私は私のことを正しいと思っていることになるのさ。
これは私に限らず、君や大多数の人にとっても同じことだ。
もちろん、私や君が正しいからといって、他人にとっても正しいかは別の話だが。
みんな正しいということさ。
優しくて高収入の彼氏に別れを告げましたが後悔は全くありません。
彼はネットで女叩きをするようなつまらない人たちと正反対でした。
でも女性に対する優しさが無意識な女性への見下しからくるものに気がつきました。
企業の女性枠や裁判で女性にゆるい判決がくだるなどといったニュースがあるとネットでは「ま~ん(笑)」といった低俗かつ子どもらしいコメントが出てきます。
こんなコメントをする男性陣は論外です。(恋愛弱者ゆえに孤独死や通り魔の可能性があるので配慮も必要とは思いますが…)
彼はベクトルがちがう女叩きでした。
「女性には辛いことがたくさんある」というのです。これはこころの支えにはなりません。
なぜかと言うと根本には「女性は男性より劣るから配慮しなきゃ」という考えが感じられるからです。
私は男女は平等だと思っています。どちらが優れているといったことはありません。
専業主夫も問題ないと思います。男性にも逃げ場が必要だと理解できます。
それでも彼のような考えが少しでもある人は気をつけましょう。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
このスタイルでやるとさすがにクドいし読み手に優しくないので、文体だとかの全体的な構成は変えているがね。
架空のトンデモ物理講座や、簡単な足し算をテーマに他人に物事を正しく伝えることの難しさを描いた物語とか、割と手間のかかったものもある。
モンティ・パイソンの木こりの歌や、「MUSIC VIDEO」を匿名ダイアリー風に改変した我ながら低俗だと思うものとか、月並みな記事だとショートアニメの感想まとめとかも書いたなあ。
まあ、FAQ以外のものは注目エントリぐらいなら大抵いくけれど、ホッテントリレベルになってくると数える程度だ。
書いてて面白くなかったけれど、試しにセンセーショナルなモノを雑に書いて投稿してみたこともある。
英語の話や、ラーメンの話はここでも言及しているけれど、試しにここから離れて書いたこともあったなあ。
ミスリードをしたり、それっぽい体験談を作ったり、強めの口調で書いてみたら、失望に限りなく近い形で予想が当たったね。
「ああ、やっぱりこういうのが好きなんだね」と思ったよ。
まあ、このFAQが書いてて最も居心地がいいと確信できたのはよかったけれど。
文章で商売しているわけでもないのに読み手を意識しすぎて書くと、肝心の書き手にとって「書くこと」がつまらなくなる。
まあ不特定多数の読者がいる場所で、理想の読み手を想定して書くことの是非については過去にも回答したが。
むしろデタラメであったほうがいいだなんて考えているのだろう。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
だが誤解している人もいるが、「殺したい」じゃなくて「死ねばいい」だからな。
まあ、「殺したい」という言葉も大概だが、「死ねばいい」とは近くて遠い。
与り知らないところで、その人が青天の霹靂で死んだりだとかを、宝くじ一等のように願うということだ。
ちなみに、生死の確認についても興味がないことが多い。
大なり小なり、多くの人は誰かにそう思われながら生きているのさ。
それに不特定の人間が願ったところで、人はそう簡単に死なないよ。
私が君に死んで欲しいと思ったところで、君は死なないということだ。
深夜アニメは低俗で、猥雑で、品性下劣だ。普通の人間は深夜アニメに興味など持たない。
低俗で、猥雑で、品性下劣な存在に幻惑され外道に身をやつした人間もいる。これを書いている人がそうだ。
低俗さ、猥雑さ、品性下劣さがそれぞれ太い手綱となり、筆者を縛り続けている。それらの桎梏から脱することはもはやできない。
結局深夜アニメを見るということは、本質的には違法薬物の乱用と何ら変わらない。
岡田尊司が「アニメ・マンガ・ゲームなどは麻薬である」と自著『脳内汚染』で断じたが、氏の指摘は正鵠を得ていたのだ。
小中高校生時代、親や教師から「世の中には知らない方が幸せなことがある」と言われていた。
しかし小中高校生時代は無知蒙昧なのは世の常。無知蒙昧な筆者は、知識量の多寡と幸福度は比例すると無邪気に思いこんでいた。
確かに知識量が多ければ、学歴獲得競争で優位に立つことができる。知識が窮地を救うことも多い。
したがって「知識が多ければ不幸になる」というモデルは粗雑なものとしか言いようがない。
ただ、「知らない方が幸せなこと」も世の中には確かにある。
そのことにようやく気がついた。
外道に身をやつしたのは3年前の夏だ。
今までの記憶を抹消したうえで2012年の暮れに戻り、あの深夜アニメや原作の萌え漫画が存在しない世界で人生をやり直したい。
千葉県は消えなくてもいい。
母の携帯を見てしまった。父にメールを打っている母が数字変換に手こずっていた。「代わりにやってあげようか?」と私が代わりに打ってあげた。その時に、携帯変換予測ワード?で、私の名前が出てきた。
年始に父と私+母は険悪になっていた。父の不誠実な態度に私がキレてしまったのだ。不誠実な態度とは、直ぐに契約を結んでしまう祖母狙いを付けて新聞の押し売りが来て、たまたま祖母が居ない時に母と私が怖い思いをしたのだけれど、後日またやってくる事を父に相談したら、酔っていたのだろう、謎の上から目線で「新聞屋と言うのは~」とか「怖がらなければいいんじゃない?」とか「新聞をとる意義とは」「ああいう人は、恐喝がナンボで」「営業はそんなもん」と、「後日やってくるので、お父さんが対応して欲しい」という訴えに全くかみ合わない会話をヘラヘラヘラヘラしながら上から目線で語ってきた。
それから、卒業式の時に私の同級生に色目を使い、「あーあ。ママと結婚してなかったらお父さんは〇〇さんと結婚できたのになー」という事、それから、その同級生と一緒に食事したりしてた事。同級生は、男性からのそういう誘いに慣れてるみたいで無傷(性的な事はされなかった。増田のパパがしてきた事は私にとっては全く持って許容範囲の出来事だったから安心しな。行動に出る輩も居るけど、変な事は特に無かった。と言われた。)
そして新聞屋が来ても父は「居留守」を使い、対応しなかった。そして、その怖い新聞屋さんは平日母が居る時にまた押しかけてきて対応するハメになった。あんなにヘラヘラ上から目線の1人語りを我慢して聞いてたのに、私たちの恐怖感を受け入れずただ優越感に1人語りしただけで。結局、何もしてくれなかった。
私は、心因性の疾患持ちで、療養中だ。薬を飲んでいるが、恐怖感や圧迫感があると期外収縮が起きてしまう。今はちょっと病院から自宅で静養を、と言われている。そんなこんなで、この新聞屋の事はかなり精神的…と言うか新聞屋の姿勢に怒りと恐怖で一杯になった。
私は、色々な怒りがこみあげてきた、父に怒鳴った。母もショックを受けたみたいで「やだ…。でも、パパが居ないと、食べていけないもん…。でも、パパ最悪だよ。」と言っていた。
その後、母は「増田が寝込んでるのは、パパにショックを受けてるからなんだからね!新聞の事とか!だから今飲んでる薬も、強めの薬になったんだからね!」と言った。でも具体的な怒りの内容は言わず、寝込んで2階で横になっていた私から聞いても母の言い方は一方的で(要は口下手)、父は「何だかよく解らないけれど、その程度で怒ってる。でもそんなに怒る事?」な感じに聞こえる様な、「つたない説明」だ。
そして父は「何?俺は増田に土下座でもすれば言い訳?」「ママはさ、増田の味方なの?俺は悪者扱い?」みたいな所まで私は把握した。
その後、母も私の体調を心配してか、そして母も「パパ、ママも嫌だよ。」と父と距離を置いていた。
でも、しばらくたって、何故か母は父と仲直り?というか元通りになっていた。きっと「パパが居ないと食べていけない」と言って事や娘と父の「ニュートラルな存在(中間役)」として母が居なければ、と思ったのかなと思った。それはそれでいいかな、と思ってた。父の事に対する怒りは私だけでいいやと思った。同級生の件は、母は「なんかショックだけど…」とは言ってたけれど、それ以上深く傷つく姿を見たくなかったし。それに、何もなかったと信じたかったし。
それまで、食卓では父は大人しくなって私も決して父と目を合わせなかった。でも最近は違う。父はいつも通り大きな声で食卓を楽しみテレビを見ながら母と談話をして。
そして、先ほど、携帯電話で母のメール変換予測ワードを見てしまった。
「増田に、」「乗せられた」
もしかしたら、考えすぎかもしれないし、メールの使い方が今一つ得意じゃない母のことだから、この変換予測ワードがそのままストレートに出てるのも私の悪口?とは別件かもしれない。と思いたい。母の携帯をこっそり見たい。でも恐い。
母がやけに私に肩入れするのも、表向きは私の味方で、実は私が父の悪口で母を無理やり仲間にした、みたいな感じで父にメールして「増田に、」「乗せられた」と書いたのかなと思った。
母は私の理解者だと思ってた。でも、水面下でコソコソ何かやってるのかな、と思うと母は役者だな、と思ったし、父の「のらりくらり」な態度や、恐い思いをした時に相談しても、大黒柱として私たちを守ってくれなかった事(居留守)、そんな父に母が「増田に、」「乗せられた」と私を悪者にしてたのが…複雑だった。
母が父に送ったメールを見てみたい。でも恐い。そもそも見ちゃいけない。私の思い過ごしかも知れない。両親が元通りの仲になったのは「時間が解決した」ってパターンなだけかもしれない。
でも、何故か私は母のメールを見たがっている。依存や、色々な心労がたたり心細くて母を独占したがってた中での上記の出来事だったから、私が母に対しての気持ちが異常なのかも知れない。
何か、乱文で何が言いたいのか、と言うと、「母に対しての割り切り方」や「携帯メールを思い切って見てしまってもいいかどうか」です。
客観的に見て、結果として心臓に悪い事が書かれていたり、病状が悪化する様なのであれば、やり過ごす努力をするけれど、正直いって、モヤモヤしてる。
私の低俗な悩みを、どこかにぶつけたくて書いてしまいました。乱文でごめんなさい。読みにくい所があるかもしれません。ここまで読んでくれて有難う御座います。
はてブでは、はてブはヤフコメよりはかなりまともということになっている。そんなことはない。ヤフコメとはてブの大きな違いに、はてブは個人のブログが載ることがある。ヤフコメは契約しているサイトしか載らないが、はてブは契約とか関係なく個人ブログが多く載っている。
この違いで生んでるのが、個人アフィブログ。個人アフィブログでホッテントリに入れて、それで金稼ぎをしているわけよ。大したPVも入ってこない個人ブログは、ちんけなはてブからのPVに必死にすがり付いてるから。ヤフーではこんなことは起きない。各サイトと契約済みの文書しか載らない。
それに、ヤフコメで個人ブログのURL貼ったコメントなんか上位に来ない。ヤフコメで問題な誹謗中傷コメントだが、はてブにも誹謗中傷コメントがある。はてブは誹謗中傷コメントに加えて、個人アフィサイトの巣窟なわけよ。しかし、これを改善できるわけがない。そんなことしたら、はてなでなくなる。
はてなブログという個人アフィブログを必死に押しているのがはてなだから、はてブってのは個人アフィブログの掃き溜めになるわけよ。こんな個人アフィが蔓延ってるはてブの、どこがヤフコメより遥かにまとめなわけ?ヤフコメには全くない個人アフィブログの掃き溜めが、はてブにはあることをしっかりと認識しろよ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
幸福と同じように、不幸の解釈は多岐にわたるから一概にはいえないが、一応は手軽な方法がある。
幸福を認めないことさ。
逆に言えば、幸福でありたいならば認めればいい。
幸福の解釈が最終的に個人の裁量に委ねられる以上、客観的に分析すればするほど大抵の場合において結論は陳腐になる。
幸福の全貌が「その程度」のものだと思ったとき、君は不幸になれるだろうさ。
逆に幸福になりたければ、不幸について分析すればいいわけだな。
知らないほうがいい、やめておけ。
人は気に入らない人間が出てきたら、その人が何か酷い目に合ってほしいと思っているのさ。
立場や状況、程度が違うだけで、“この世界”でもそういう人たちは多いだろう?
自分にとって「気に入らない対象」に、アレコレ言いたくなる衝動に駆られた覚えがあって、実際に行動に移した人は少なくない。
マンガ、アニメなどでも、酷い人格の登場人物が好き勝手立ち回る→主人公などが制裁するという構図は珍しくないな。
もちろん、君のようにそれを低俗だと思うのは間違っていない。
ストレスを抱える→それを解消するというのを一つのコンテンツでやっている。
マッチポンプというのかな。
ストレスを解消したいがために、わざわざストレスを抱えさせるという本末転倒なことをしているわけだ。
そして、それを求める人間がいて、そんな人が少なくない。
とはいえ、ストレスは人を動かす原動力、脂質みたいなものだよ。
形にこだわらないなら、人がそれらを求めるのは自然の成り行きだろう。
まあ、「気に入らない対象」と「制裁」が分離している我々は健全もいいところだな。
対象が何であれ、「死ね」だとか物騒な言葉は使わない方が良いだろう。
人を呪わば穴二つというし、逆に君が「死ね」と思われても同情の余地はないからな。
……日本も君には死んで欲しいってさ。
まあ、日本の方が先に死んでも、日本に住んでる君はどちらにしろ死ぬけどな。
HAHAHA……移民しよう。