今日、特定のキャラクターに対して感じる母性のことを「バブみ」と形容するオタクが多く存在している。私はこの「バブみ」という言葉が非常に嫌いで、またこの言葉を使っている人を見るたびに熱を起こし腹を下して寝込むくらいに頭が痛くなる。
特定のキャラクターに母性を見出し、そのキャラクターの魅力とするのは何ら問題はない。母性はキャラの魅力たり得る。ただそれを「バブみ」という極めて下衆で低俗な感情に直結し知能指数の低さだけが露呈された言葉に落とし込むことが我慢できない。赤城みりあちゃん(例)に感じるのは眩しすぎるほどの無邪気な愛と抱擁であって、決して「バブみ」ではない。というかなんだよ「バブみ」って、そんな言葉使ってて気持ち悪いと感じないの?マジで。いやマジで「みりあママにバブみを感じてオギャる」なんて文章が目に入った瞬間、思わず失明したよ。
「バブみ」に限らず、言葉の最適化が為されてしまうと、その最適化された言葉しか用いようとしない人が多く出てきてしまう。多様な表現が広がり続ける現代において、それらを形容するのに最適な言葉が出てくると、便利なものだからそれを使って簡単に自分の思いを表現したくなるのは分からないでもない。しかし、自分の持っている想いというものは、最初から最適化されたものであろうか?決してそうでは無いはずだ。感じたのなら、それを拙くとも自分の言葉で表現してみるのが良いのではないだろうか。寧ろそうしておかないと、いつかその想いすら最適化された範囲でしか表現されず、貧困なものとなるだろう。
実際便利だし、最適化された言葉を使うことに問題があるわけで無い。過度な使用や、言葉が最適化された結果が「バブみ」なんていう頭の痛くなるような言葉ではあって欲しくないのである。趣も無く気持ち悪いし低俗で、見るに堪えない。
言ってることって「萌え」とかに置き換えても成り立たつように見えるけど