はてなキーワード: 一事が万事とは
上司「お前らはまさにソレだ」
同僚「どうすればよいのでしょうか?」
こんなやり取りが2年ほど続いた。
そして同僚は自殺した。
今ならパワハラとして訴えることが出来るのだろうか。
今でもまだ難しいのではないだろうかと私は思う。
今の日本人の目には、ただ上司が部下を指導しているだけに映るだろう。
今なら分かるがその実態は全く違う。
だけど当時の私はその事に気づけなかった。
曖昧な言葉を使う事で相手に言葉を反芻させ、結果として自分から破滅するように仕向ける。
”一時が万事”という言葉だけを使い後半を隠す。
その後に隠されているのはネガティブな単語だと想定する事ができるが、それは直接言われたのではなく自分で考えた言葉なのでより深く刺さる。
また、”一事が万事”という表現を使うことで相手の何もかもを否定すると同時に、全てを上手くやらなければ批判されるという恐怖を与える。
リソースには限りがあるので全てを上手くやることなんて出来ない。
何かに力を傾ければ何かが犠牲になる。
部下の考える力を伸ばしているという風に見せかけて、実際は相手に反論の余地を与えないようにして逃げ道を封じているだけだ。
上司が何を求めているのかが説明されないのにそれまでと違う自分であろうとするのだから、リソースの配分は滅茶苦茶になる。
それを繰り返させながらも上司は一向に答えを示さず全ての責任を同僚に負わせた。
そして同僚は、上司のマネージメント力不足による影響までもを自分のせいだと考え遂には死を選んだ。
整理してみると分かるが、実によく出来た呪いだ。
黒魔術と呼ばれている物は、もしかしたらこういった相手をいたぶる言葉のテクニックだったのではないだろうか。
言葉には不思議な力が宿っており、何気ない言葉の使い方1つで他人をいらくでも苦しめることが出来るのだ。
また、その暴発に気づかないで呪いを振りまいている人間には近づくべきではない。
よほどの理由がなければ関わる事でメリットが生まれることはない。
自分の使う言葉に無自覚な人間というものは、他人との関係に無自覚なのだ。
他人との関係に無自覚ということは、相手を傷つけることを平気で行える人間だという事に他ならない。
昨日さ、そろそろ古希を迎える叔父に「家のパソコンが壊れたみたいで全く使えない状態だから診に来てくれ」といわれて行ってみたら真剣に切なくなった。
叔父は、俺からみると亡父の弟なんだが、子のいない男やもめで、小さなアパートにバイトみたいな仕事の収入と年金と爺さんから相続した預金で一人暮らししている。
性格はなんて表現すればいいか悩むが、まあ極力よく言って「お人好し」で、若い頃から社会的に食い物にされるようなことが多く、身内はその尻拭いで相当(主に経済的な)迷惑を被ってきたらしい。
親父の生前は、親父が貯蓄用口座の通帳を預かり(叔父本人の合意あり)、定期的に生活費用の別口座に振替をしていた。本人の自由になる金があると危ないということらしい。
亡親からは自分ら兄弟姉妹に「資産管理を叔父本人に任せないよう」と申し送りされており、今は長女の姉がそれをやってる。
まあそんな人だ。
さて、パソコン復旧の話だが、電話ごしに症状を聞いても要領をえないのは過去の経験からわかりきっていたので、とにかく現場現物を本人の目の前で実演確認することから始めた。
まず電源は入るか。入る。
ここで叔父に質問。パソコンが使えないと言っているのは、何ができないのか→この画面の先に進めないとのこと。
とりあえずログインID、パスワードを訊き、入力。ログイン成功。
「できるじゃん」
「あれ?」
なんかよくわからん状況なので、一度電源を落として本人に実演させてみる。あー・・・。
「おじさん、テンキーはNumLockキーのランプ点いた状態じゃないと入力が効いてないよ。起動した直後はランプ消灯してるから、NumLockキー一度押してね」(という趣旨のことをかみ砕いて説明。後で備忘メモを作って渡した)
これで問題は解決かと一瞬思ったが、どうも状況が腑に落ちない。
そもそも今まで毎日使っていたはずなのに、なんで唐突にログインなどという超基本操作ができなくなったのか。
「これって、ログインできなくなったのいつ?」
「うーん、去年の夏くらいかなあ」
「ファッ!?」
イヤ確かに去年春の法事の以来メールした覚えないけど。それで日常に支障はないのか。
というか半年以上無駄に通信費払ってるわけだがそれでいいのか。
などとモヤモヤが頭を去来しつつログイン後の状態を確認したところ、問題の原因はすぐ判明した。
というのは、タッチパネル搭載機種でもないのにタブレットモードになっている。
はい、どうみてもWindows10への強制アップグレードです。本当にありがとうございました。
起動時のNumLock状態が変化したのもこの影響だろう。
これは果たして、叔父さんのロースキルぶりが悪いのか、Microsoftがクソなのか。まあ後者だな。
とりあえずデスクトップモードにしないと、ログインできたところで操作も覚束ないだろうから切り替え。
無線の設定もなぜか切れてる。当然認証情報など控えられていない。AOSS使うにもクライアントマネージャーのダウンロードが必要なので、とりあえずルータと有線接続。LANケーブル持ってきといてよかった。
これで一応ネットは復旧した。
次にメールはどうか。Windows10標準メーラには過去のメールが引き継がれているようだ。叔父さんが非標準メーラのユーザじゃなくてよかった。
あー、でも送受信ができない。面倒な。
「え?何それ」
部屋を小一時間漁ってそれらしき紙を発見。でもこれ、なんかメールアドレスとドメインが違う。そういえば去年変わったとか言ってたのを思い出す。
「これ多分以前のプロバイダだね。去年プロバイダ変えたとき書類一式渡されてると思うんだけど」
「うーん知らない。安くなるからと言われた」
・・・得体のしれない代理店から「消防署のほうから来ました」方式の営業かけられて、言われるがままに乗り換えしたんだろうなあ。じゃなきゃメールアドレス変えるような面倒なこと叔父さんはしない(そもそも発想がない)だろう。切ない。
仕方ないのでプロバイダに電話で問い合わせ。本人確認以外は全部自分がしゃべって情報収集完了。メールは復旧した。
というかその一つ前のプロバイダがあくどすぎる。叔父さんが200%利用しない月5000円くらいのVOD動画サービスに加入していやがった。
そりゃ普通の契約し直すだけで安くなるわ。まあ現プロバイダも、叔父さんが活用できるわけがない機器破損保証とリモートアクセスサポートのオプション計月1000円に加入させてやがったけどね。
叔父さんが勝手に書類無くした可能性も低くはないが、契約内容渡していない疑惑もあるしなあ。非常に微妙だ。
一応叔父さんに状況を説明して(おそらく理解はしていない)、同意の体をとった上でオプションは解約した。
後はプリンタの再設定だが、長期に動かさなかったせいでインクタンクが劣化し使えなくなってた。
時間的な制約もあり、半日やそこらでそこまでは面倒見切れないので、新しくプリンタ買いなおした方が安くて手っ取り早いとアドバイスだけして帰宅した。
お互いの家は電車で3時間近くかかるし、こちらも家庭持ちで暇じゃないので、次に面倒みれるのはまた数か月後だろう。
叔父さんはそれまでプリンタなしで過ごすだろうか。どっかの業者にカモられて変なプリンタを購入するだろうか。
パソコンに限らず、叔父さんの人生は一事が万事こんな調子だったのだろう。わかっていたことではあるが、改めてその人となりを実感すると親族として非常に辛い。
こういう状況に本人は不満も覚えず、疑問も感じずにいるというところが、なんか一番切ない。
今年の四月にUターンして西の方の地銀に入行した元MARCH文学部生だけどすでに辞めたい。
なにより辛いのがほとんど誰とも話が合わないこと。
趣味はゲームと漫画とインターネットな量産型オタク大学生を文学部環境でやってたので感覚が狂っているのかもしれないけど、それにしてもひどい。
雑談で週末の過ごし方の話になり、最近話題だからいいだろうと「君の名は。見に行ったんですよ」と言ってみても
「誰と見に行ったの?」以外の質問が出ない。もちろん一人でなんて答えようものなら大ブーイング食らうので友達といったことにするしかない。
お前らは映画を何だと思ってるんだと。シナリオとか美術とか音楽とかの話をさせろと。
一事が万事こんな調子で、スポーツ観戦とかテレビドラマとか子育てとかパチンコとか競馬に興味を持てない人間の居場所は皆無。
せめてプライベートでそういう話をしたり気軽に出かけられる友達がいればいいのだけれど、中学以前は疎遠、高校以降はみんな県外で一人取り残された形。
親と親戚からは早く結婚しろ子どもを作れ介護にも備えろ貯蓄をしろと突き上げをくらい。
外に逃避しようにも本屋まで車で10分、映画館までは30分。それ以外はなし。
休日出勤(ボランティアは除く!)なし、早出なし、残業ほぼなしの3なしホワイト環境だけど堪えられない。
仕事自体は嫌いじゃなし、職場の人達とウェイソイヤできるような人格になるかどこか違う土地に行くしかないと思い始めた。
実家の犬が死んだら出ていこうと思う。
夫に優しく出来なくてつらい。
アラサー、結婚して4年、2歳と3ヶ月の二人の子どもがいる。現在育休中。
夫は朝出勤して、だいたい23時過ぎまで帰ってこないので日中はほぼ私一人で子どもの面倒と家事をこなしているんだけど
ここに来て、疲れが溜まってしまったのか、とにかく夫の一挙手一投足にイライラしてしまう。
先日「いかにして妻との接触を避けるか」http://anond.hatelabo.jp/20160708081215っていう増田があったけど、あれは夫が書いたんじゃないだろうかとビクビクしながら読んだ。
夫は仕事で疲れているんだと思う。それは、言われなくたってわかっている。拘束時間は長いし、仕事の内容もハードなのは知っている。
「でも私だって疲れているんだけど!」って言いたくなってしまって、帰ってきて何もしないで大きないびきをかいて寝る夫にひたすら腹が立ってしまう。
昔は仕事中の夫に「お仕事頑張ってね!」なんてLINEを送ったりしていたけど最近は「私の視界からさっさといなくなってくれ」なんて内容のLINEを送っている。
最低、わたしは本当に最低でしかない。そんなことわかってるのにイライラが止まらないんだ。
もう子どもの前でも「仲の良い両親」を続けることに疲れを感じ始めている。
全て、家の中のことや子どもの面倒何もかも私がやることにすれば解決するんだろうか。
お義母さんはとっても世話焼きで、いわゆる「箱入り息子」として育ってきたので、一人暮らしを約10年してから結婚した私との家事スキルが雲泥の差なのだ。
だから「洗濯お願いね」と言っても「洗濯物を洗濯機に入れてスイッチを押す」で完成だと思っている。
実際にはそのあと干して、畳んで、しまうという流れがあるのにそれが見えていない。
(もちろんアイロンだって言われないとかけない。手洗い表示の衣類も普通に洗ってしまい、縮んだり色落ちさせたりしてしまう。)
一連の過程があることを説明し、ここまででいいからやっておいてねと言わないと彼は家事をやれない。
「洗濯お願いね」と妻に言われないと、そもそも洗濯をしようとも思わないのだ。
これはほんの一例なんだけど、一事が万事家事育児に関してはこんな塩梅で、どうしたってこちらの負担が大きい。
食洗機と洗濯乾燥機の導入でだいぶ楽になったけど、精神的な負担は全然減らず、むしろイライラは募るばかり。
疲れきって帰ってきた夫に散々文句を言って、自分だけスッキリして「じゃあねおやすみ」と寝室に引っ込んでいる。
そのあとずっと、どうしてあんな責めるようなことばかり言ってしまったんだと後悔して結局深夜まで眠れない毎日。
謝ったらいいのに、それもなんだか出来なくて。
どうしたらいい、どうしたらいい?と考えても良い答えは浮かばない。
夫はきっと、こんな私のこと嫌いなんだろうな。
私だってこんな妻になりたくなかった。
笑顔で、夫のことを支えて、疲れて帰ってきた夫に美味しい料理をたくさんふるまって、今日の子供達の可愛かった話をこれでもかってくらい聞かせて、
楽しく1日を終わらせてあげられるような妻になりたかったんだよ。
そんな一縷の望みをかけて、家事育児の分担について話し合いをするんだけど、1ヶ月もすると結局元通りになってしまう。
それでも私はまだ夫のこと好きだから、冷蔵庫には君の好きな桃を冷やしてあるよ。
今夜はちゃんと色々文句言ってごめんなさいって伝えよう。
その人は組織のマネージメントを担う階層にいて、自分は1メンバーというポジションで、共に事にあたってきた。
最初会った時から、メンバーに対する誠意が全身から感じられる人だった。
相手に通じる言い方を懸命に探って、理解を得られるまで言葉を重ねるタイプで、それでいていつも笑顔で、颯爽とした物腰。
何度か同じ現場を踏み、そのたびに「見た目もイケているけど、それ以上に言動が、更にそれ以上に仕事ぶりがイケている、これが真のイケメンか」と感動したものだ。
なんでも、大学在学中に今の道に目覚め、そのため卒業後別の学校に行き、尚且つマネージメント志向だったので、趣味のサークルを切り盛りしてリーダーシップの涵養に努めたという、半端ない苦労人らしい。
数年前の現場で最後に話し込んだ時、「僕はこの後しばらくヨーロッパで仕事なんです」とにこやかに言っていた。
自分はそれを受けて、今習得に向けて取り組んでいる物事、それで更に皆に貢献したいみたいなことを話したのを覚えている。
文字通り「是非またこの人に指導を受けたい」という熱い想いを抱きつつ、その現場を終えた。
その後、その人は実際にヨーロッパで仕事をし、帰国して程なく結婚したと聞いた。
そしてまた、その人と一緒の現場を踏めると聞いて、当然ながら大喜びした。
ところが…数年ぶりに会ったその人は、全く変わってしまっていた。
しかし、要求・指示がとんでもなく察してちゃんな内容に変貌していたのだ。
内容的には
「言葉にしてしまうと違ってくることってあるでしょう?『ここはこうしましょう』という約束事じゃ成り立たないことがあるでしょう?
だからもっと汲み取ってください。我々がやっていることってそういうものでしょう?」
「なんでこういう雰囲気で来ていた流れを無視するようなコミットをするんですか?もっと感じ取って下さい」
と一事が万事こんな感じだった。
ちなみに、その現場のメンバーは自分を含む修士が中核で、次いで博士持ちがいて、あとはそれ以外という高学歴揃い。
つまり聡明だけど個々のこだわりが強い、言い換えれば頭いいけどアスペ傾向な人が多かった。
だからこそマネージャとしてしびれを切らしたというのは絶対あると思う。
しかしそのような仕切りは、上述の特徴を持つメンバーにとっては少なからぬ負担になるし、ともすれば反感を買うということが分かっていないようだった。
ここまで「通じない」言い方する人だったっけ?と驚かされた。
結局、その現場も大成功だったのは事実である。それは勿論、まずはその人の手柄である。
しかし、今まで感じたことのない、猛烈な疲れを味わった。
どうしてこんなことになってしまったのか。
数年の間で、あの人に一体何があったのか。
残念な想いばかりが募る一件だった。
自分の意見が最後まで言えないのもストレス溜まるけど、何より周囲の会話が辛い。
AさんとBさんの会話を例に挙げると、
「すみませんBさんこの資料のこk『あーあーあの「こなんですけど図『表1.5のやつだr「いえ図3の『はいはいはいはい「図3の説明って、古いん『いや変えた「ですけどこれ『よ昨日更新し「ホントですか変わってないでs『したしたしたした「でも○○のままですよ、他は変わっ『そこは変えないん「てました『だよだって「けど、えー何でです『図3だけ××じゃ「でも課長から言われた『ない「ことを踏まえると図『でもも何も○○だよ「じゃ課長が間違ってるってk『課長が言ったの「とですか『図5の方だろ、あれh「あーあーあー図5ですか」『そうだよお前』 「『あっはっはっはっはっは』」
一事が万事こんな感じ。もう、もう、ウワアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!ヽ(`Д´)ノ
○朝食:なし
○調子
むきゅー。
お仕事は他の人のお手伝いをしていた。
咲の深堀さん似の人が使うデータをせっせとデータベースに突っ込む仕事をしていた。
が、なんか深堀さんが作った「使いたいデータ一覧」がミスってたようで、今日の仕事は意味なし仕事でした。
「Gears of War 4」マルチプレイβテストのスケジュールが発表。ただし,日本は対象地域に含まれない模様
http://www.4gamer.net/games/305/G030571/20160316123/
ふーん。
Halo5のキャンペーンは話の途中でぶった切って、Fableは開発中止で、ForzaはWin10でF2P。
クァンタムブレイクがこの土壇場でつぶれないよう祈っておきます。
Wii Uバーチャルコンソール3月23日配信タイトル ― 『超兄貴』『ポケモン不思議のダンジョン 青の救助隊・赤の救助隊』
http://www.inside-games.jp/article/2016/03/16/96915.html
当然、ポケダンは赤も青も両方持ってるし、実機もあるし、セーブデータに思い入れがある。
けど、こうやってVCでもう一度購入機会が巡ってくると買いたくなるね。
なんで売ってないねん。
父親は震災復興のボランティア?的な手伝いもしているので、たまに福島産のお米をもらってくる。
無論母親はそれを食べることはない。
もったいないから私がもらうよ、というと「あんたそんな汚い食べ物食べるの?!ガンになって死ぬわよ!」とか言う。
まぁ、ガンになって死ぬだろうね。うちの家系ほぼ全員ガンで死んでるし。ていうか多分あなたもガンで死ぬんじゃないかな、いつ死ぬかはわからないけど。
自分が福島産のものは食べたくない、と言って食べないのは自由だからもう勝手にしてほしい。
うっかりままどぉるをお土産に渡したときゴミのような扱いをされたのはショックだったけど、持ち帰って私と旦那でおいしく頂いた。
けど、その時もまず福島に行ったことをこんこんと説教され、おみやげも今この場で捨てて食べてはいけない!とか言い出した。
無関係な他人にまでその生活様式を強要するのはやめて欲しいんだ。
震災の時にはすでに結婚して実家を出ていたけど、出ておいてよかった。一事が万事これだったら耐えられない。
この前親戚が福島出身の女の子と結婚し、その結婚式にも出てきたのだが、帰りの車内は酷いものだった。
デキ婚だったこともあるからか、「あんな土地で生活してる子供なんてちゃんと生まれてくるのかしら」とか平気で言ってる。
新しい部署に異動してきて1か月が経った。悪い意味で、驚きの連続だ。
一番驚いたのが、隣の彼がExcelからWordの書式に手作業でコピペをしていたことだ。
完成後の確認含め、その作業に1人が1週間かかりきりになっている。
「差し込み印刷」機能そのものを知らなくたっていい。Accessを使わなくたっていい。
しかし、「なんとかラクにこなしたい」とひとたび願えば、書店でWordの参考書を見るなり詳しそうな人に聞くなりして、
「差し込み印刷」、もとい、「同じ完成物をラクにアウトプットする方法」にたどり着くことはそう難しいことではないはずだ。
なぜ、みんな、それをしない。
ぼくは、ラクにする方法を「探そうとしないこと」に、驚きと呆れを禁じ得ないのだ。
バカしかいない会社だからだ、と思われるかもしれないが、東証一部上場企業の本部での話である。
あなたの会社の誰かさんも、毎日意味のないコピペで残業代を稼いでいるかもしれない。気をつけろ。
ちなみに、「差し込み印刷」を設定してあげたら、件の彼にものすごく喜ばれた。一日一善。
手間のかかっていることがあったらとりあえず相談してね、と言っておいたが、
アルバイトに真剣に取り組んでるからって"不真面目"とか"勉強したくない"とかのレッテルを貼る人は理解できない。
たしかにアルバイトの時間が長くなればなるほど学業に充てる時間は短くなる。
でも、アルバイトせずに生活できる人なんてごく一部で、実際には多くの学生が学業とアルバイトを両立させてるのが現状。本当はやりたくなくもアルバイトせざるを得ないのが現状。ならば、このどうしても削れない時間を嫌々過ごすんじゃなくて、そこから何かを得ようと努力を尽くすことは素晴らしいことだと思う。
むしろ、目の前の本業以外のことに真剣になれない人、手抜きなことばかりしてる人は、本業だって疎かになると思う。一事が万事でしょ。
それなのに、あいつはバイトに真剣に取り組んでるからやる気がないとか、あいつはバイトの文句ばっか言ってるから真面目な奴だとか、あいつはバイトしてないからやる気満々だとか、本業以外のことをどれだけ蔑ろにしてるかで偏った評価をつける人って何なんだろうか。
やる気があるかどうかって、その物事に対してどれだけ意欲的に取り組んでいるかで評価すべきではないんだろうか。
アルバイトに真剣に取り組んでて、でも学業にも本気で取り組んでて、結果も出してる人が、"勉学に励みたいなんてウソつき"と評されてるのは納得がいかない。
そして、"あいつはウソつきだ""本当のことを言わない頭のおかしい人だ""厄介者だから関わらないほうがいい"とデタラメの噂を流して回る行動は本当に理解できない。
本気で大好きになり、この人と結婚したいと思っていた。3年くらい付き合ってたと思って、日記読み返したらクリスマス一回しか一緒に過ごしてなかった。たった1年ちょっとだったのか。
別れた原因は、元彼氏が私への愛がないことに気付いたから。最初から最後まで、変わらずなかったのに、なぜか気付かなかった。なんだろう。一生懸命、毎日色んな方法で火おこししてたら、アレ火種ないや!って気付いたけど1年経ってた。そんな徒労感を感じてる。
大切にされたいと思っていた。大切にされるっていうのは、ブランドバックを送れとか、ランチおごれとか、そういうんじゃなく、例えば、私にペースを合わせて、ゆっくりでいいんだ、と言ってくれることだったり、体調が良くないとき、寝てなよ、って言ってくれること、だった。相手はブランドバックのことだと思って怒ったり、無視したりした。私が悲しんだとき、一生懸命な態度をしていた。私を引き止めてるんだと思ってたけど、今思えば結局、自分は悪くない、悲しいと感じるお前が間違ってると説教してるだけだった。何か意見すると、一事が万事そんな感じで、話し合いができなかった。
なぜか、こんな自分だから仕方ない、と思っていた。友人に「増田が大切に思ってる人が同じことされてたらどう思う?」って聞かれて、ひどい人として最低、と思ったのに、大好きだった。何か魔法にでもかかっていたのかもしれない。
別れてほしい、と伝えたとき、俺はずっと前からそうしたかった、言ってあげられなくてごめんとあっさり了承された。ただ、愛がないだけだったんだと思った。
私は若い異性のいない職場に異動希望して、田舎に引越ししていた。結婚するつもりでいたからそれがどういうことか全く気にしてなかった。元彼氏に趣味を教えてもらい、私の趣味にも付き合ってもらってたから、共通の趣味の友人も失ってしまった。
孤独感がすごい。来週何すればいいのか。秋休みはどうしよう。つらい。失うのは本当につらいことだ。
元彼氏は確実に私を最低な気持ちにさせるのに、孤独感がひどくて「なんで別れたんだろう。いい所もある。せめてもう少し…」と考えてしまう。まあ、連絡先削除したからしたくてもできないけれど。
大切にされなかったし愛されもしなかった私は、この先誰かに愛されるのだろうか。そもそも出会いの少ない中で、自分の愛と相手の愛が両立して、何十年も一緒に生活できるなんてまさに奇跡のように思う。
失恋がこんなにつらいとは。
自慢話は男の得意科目などとよく言われる。
そんな俺にとって一番辛い現実は、彼女候補の女性が恐ろしく限定的になってしまうことだ。
事実として、俺は興味や関心が非常に狭いというか、偏りまくっているというバックグラウンドがある。
なんとも物騒な例えで恐縮だが、暗殺事件だったら犯人が使った銃の形式や構造や歴史、弾薬の種類や威力とか、そういうことばかり細かく覚え込んでしまう人間である。
銃に限らず一事が万事そんな感じで、他に音楽だったら珍しい楽器が使われていたら喜ぶとか、明らかに世の大多数とは喜ぶポイントがズレている。
物心ついた時からそんなノリで生きてきたのだから、「薀蓄が人生」みたいなオッサンが出来上がるのは、殆ど必然だっただろう。
おまけに自然言語よりもプログラミング言語のほうが得意だったり、なんでもパターンでしか覚えられない、それ以上の融通が効かないなど、物事の認知においても色々おかしい。
あと目を合わせるのも苦手だしな。
とはいえ、女の知り合いが一人もいないのは寂し過ぎるので「あれ美味しいよね」「わかるわかる」「ま、何とかするけどねw」に終始する会話はこなせるようになったし、「増田さんには悩みとか話しやすい」と評価をもらえる程度に聞き上手は意識するようになったし、バカ話でウケを取ることもそれなりにサマにはなった気がする。
おかげさまで、女の知り合いや友達は何人かできた。全く自慢にならないのを承知で言えば、中には二人で遊びに出かけたり、メールもLINEも盛り上がる仲に持っていけた相手もいる。
しかし、今のところそれ止まり、女友達と女の知り合いしかいない。
俺のイカれた生い立ちからすると、どうしたって会話の中に薀蓄が紛れ込んでしまう。
というか会話に薀蓄を含めるなと言われるなら「出家して世俗を捨てろ」と言われるほうがマシ、それくらい俺には苦しくて無理だ。
でも当然というか、薀蓄が出てきた途端、相手の反応は決まって「へーそうなんだー」である。
そこで我に返ってすごすご話題を変える。その繰り返し。
そして薀蓄が出てくるたびに、お互いのしっくりこない感も繰り返され、結果友達枠が妥当という結論になってしまう。
勿論、それだって友達がいるのは一人より寂しくないというだけで大いに意味がある。
でも、そうやって誰かと親しくなるたび、絶対に彼女になり得ないこともハッキリ示されるのだ。
こんなに虚しいことはない。
悲しくてやりきれないと言ってもいい。
恐らく、そんな俺を彼氏枠に入れてくれるのは、男の薀蓄を「やっぱり増田さんて博識~、話してて楽しい!」と目を輝かせる女性だろう。
これが最低条件というか、多分そうじゃないとお互い辛い。
なので、俺がするべきはそういう女性との出会いの機会を増やすことだと認識しているのだが、こういう女は本当に希少というか、滅多にいない。
○木村(榮)委員 私が準備いたした質問は厚生大臣がおられませんから、この次の機会に内閣委員会その他で厚生大臣に質問いたしたいと思いますが、ただ一点だけ参考までに承つてみたいと思うことは、大体これを見ますと、なかなかたくさん項目ばかりうまく書いてございます。ところが今までこういつたものができますが、大体なわ張りと責任のなすり合いが多いのです。そこで私は話をうんとくだいてひとつお尋ねしてみたい点は、たとえばびろうな話になつて來ますが、あの鉄道の停車場のレール上の現象でございます。糞尿物語りになつて來ますが、ああいつた風な現象です。大阪の駅に行つてごらんなさい。レールの上は糞の山です。ああいつたものは鉄道省が監督すべきものか、厚生省が監督すべきものか、社会保健衞生といつたふうな関係から言えば、國際的な大きな問題である。そういつたことは何十年この方かしらんが、このごろはちよいちよい私も旅行いたしますから見受けるのですが、特に大きな駅においてはこれを毎日のように目撃いたします。今日に至るまで何らほとんど具体的な措置が講ぜられない。一事が万事です。これは一つの例です。小さいと言えば小さい具体的な例ですが、このような現象を見たときに、ここにたくさんうまいことが書いてあるけれども、なかなかうまいことを書いただけではできないのです。そこで私の意見ばかり言つても問題にならないから、鉄道の糞はどこの管理になるのですか。
○葛西説明員 正確に申し上げますれば、直接管理していただくものは鉄道の構内でございますから運輸省でございます。しかし厚生省といたしましても今のようなことは公衆衞生、環境衞生の面から重大な関係がございますので、積極的に運輸省にお願いして、そういうものはとつてもらうように、即刻運輸次官にもお願いいたしまして、その措置を講じてもらうように努力をいたします。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/005/1098/00504221098001c.html
この文章、歳の近い兄弟がいない人間にとってはとても重要な視点。
この増田が言及してる視点があるだけで、将来子供ができた時に接し方がだいぶ違うと思う。
ただ、初めての子供ができた時は一事が万事初体験ですべて手探りでやらなくてはいけないので、
二人目以降と関わり方が違ってくるのは致し方ない。
ただ、手を抜くことと一生懸命なあまりに意識を向けられないということは違う。
できるだけ長子とそれ以降と同じように接しているつもりではあったが、
やはりこういう感想を持たれても仕方ないと思うような毎日になっていたので
とてもありがたい。
彼氏との同棲解消がもうじき本決まりになりそうで、年齢的に今後新たな異性との出会いの可能性はきわめて低く、はたして孤独に耐え切れるのかが自分の中での今後の課題になっている。
20代前半までは自分の可能性も信じていたし、結婚しなくてもひとりで生きていけると思っていた。
けれど、もともと自分を追い込むことを好んでやるマゾな性分に加えて八方美人の安請け合いを繰り返し、毒親からの干渉も重なり、うつ病になって25から26にかけて廃人生活を送っていた。
お薬と認知療法に救われて今はそこそこ人並みだが、いまだ断薬へのプロセスは一進一退でもどかしいほどに進まなくて、身体は常に重くだるくて、眠気は一日中抜けず、何より心の根底にある無気力感と虚無感がなかなか抜けない。
同棲は、おそらくうまくいかないだろう、という予感はあった。けど、大それた希望をわずかながら見出している自分もいた。もしかしたら、この人とならわたしも普通に生きられるのかもしれない、と感じることもあった。しかしやはりそれは夢想でしかなかった。同棲解消の原因はお互いにあるし、それで過剰に自分を責めることも、相手の非をあげつらうこともしたくはない。ただ、噛み合わなかったのだ。でもわたしは、本当に、まだ何も知らなかった子どもの頃以来ずっと忘れていた感覚を思い出してしまったのだ。家に帰ったら、おかえり、と言ってくれる人がいることのありがたさ。夜中目が覚めたら、隣に寝息を立てている人がいることの安らぎ。何を話すでもないけれども、そばに人がいることのあたたかさ。自分の料理を一緒に食べてくれる人がいることの楽しみ。
一人暮らしの詫びしさが、年を重ねるごとに身に迫る。
前は何でもなかった孤独という名の重しが、今はひしひしと音を立てて自分にのしかかってくる。
結局わたしは、彼を愛していなかったのかもしれない。
ただ孤独を埋めるために、彼を利用しただけなのかもしれない。
同棲に乗り気なのは彼のほうだったが、生育環境の違いでここまで違いがあるものかと驚くほどに、とにかく一事が万事、噛み合わなかった。
互いになんとかしてうまくいかせようと妥協と譲歩を繰り返し、その結果がこれだ。
シェアハウスを探したが、ド田舎のこの近辺では、メンバーの誕生会やイベントを頻繁に行うような交流メインのところが一件あるだけで、それもなんか違うように思って諦めた。
転職して都会に出ることも考えたが、仕事は気に入っているし、何よりうつ病からの一進一退を繰り返している自分にはそうそう簡単には現実的な仕事は見つかりそうもない。
なんで、やっぱり、この土地で今の仕事を続けながら一人暮らしをするしかないのかもしれない。
孤独に耐えうる何かがほしい。
猫は昔から飼っている。
仕事上がりにふらりと飲みに誘える仲間もいるし、学生時代からの友人だって。
でも皆、家庭を持っている。
家族とうまくいかなかった人間が新たな家族を求めるのは、おこがましいことなんだろうか。
努力が足りなかっただけなのだろうか。もっと努力すれば、うまくいくようになるのだろうか。
これまでの人間関係で学んできたことをよくよく肝に銘じ、親との関係で歪んでいる部分を客観視しながら、努力はしてきたつもりだった。
なんで辞めないんだろう。
自分にはお酌ができない、できるようになる気もしないし できるようにがんばる気も無い、つまりは そのコミュニティに合わせていく気はないってことなら さっさとそのコミュニティ抜ける方が良いと思う。
コミュニティ全体のほうが 自分に合わせてくれるなんてことはないだろうし、合わないコミュニティにいても精神的に辛いだけ。辛いだけならまだしも、病んでしまったりしたらわりに合わない。
たかだかお酌でってことなのかもしれないけど、一事が万事、ほかにも不満いっぱいあるんじゃないかな?
所詮は雇われの立場、貰ってるお金とのトレードオフで 釣り合わないと思うならさっさと抜ければいい。
そんでいろんな職場を経験すれば、我慢できるもの・できないものがわかってくるし。
雇われってのは多かれ少なかれ、我慢を強いられる部分はある。
それが嫌なら自分で商売始めるなりしてもいい。
私がサードブロガーという言葉を始めて目にしたのはこの記事を読んだときである。
はてな村では「誰が言ったか」より「何を言ったか」とか言うけど嘘だよね。またはサードブロガーアワードでも、γブロガーアワードでも、+αブロガーアワードでも同時並行で勝手にやったらええねん
この記事について私はこのような感想を残している。
順位を気にしてるからこそ「順位なんか気にせず行こう!」って言ってるみたいで、なんか根本的な解決になってない気がする。宇野常寛っぽい。 2013/10/19
http://b.hatena.ne.jp/masudamaster/20131019#bookmark-165863730
「電車に新しい席を作ろう」という話を書いたつもりです
と言っているが、新しい席も何も、インターネットという場には無数に席がある。それこそ無限にだ。
勝手に座ればいいのに、アルファブロガーがうんぬんアワードがうんぬんと言い続けるその姿勢
カースト論そのものがそもそも馬鹿馬鹿しいし、ましてやブログにはそういった類の優劣は無いはずだ。
私のような疑問・違和感を他の人も表明している。
・サードとかフォースとか言ってる人たち
ゴメンやっぱりよくわからない。
この人ら、何が言いたいの?
「僕はアルファーになれない。アルファーになれない僕らは何者にもなれないのと同じ。でも何者にもなれないのはツライから自らが何者かであると自称する。よかったら認めてくれ」って話なの?そうとしか聞こえないわけだが。
それが書き手個々人の自尊心とかやる気にとって意味があるのは何となく分かる。だが、読み手にとってそれ何の意味があるの?個々人が胸の内で持っていればいいことじゃないの?その概念を広めて最終的にどうしたいの?
(略)
そのサードブロガーとやらは、アルファとは何が違うの?アルファと違って何が読み手にとって素晴らしいことなの?別にブロガーにプロアマの違いがあるわけでもないし、「アルファブロガー」の劣化版としか思えないわけで。 サードブロガーとして認められたら何か満たされるの?すでにサードブロガーとして認められた人たちは、何か心が満たされましたか? 何か生活変わりましたか?
自分なりの目標立てて満足したいだけなら、そんな名前いらなくない?
そもそもなんでアルファにこだわる必要があるの?アルファとかにこだわってるの君等だけじゃないの?自分に自信はあるけどアルファは無理、だからセカンド、サード、フォース、フィフス。そんな志半ばで折れてくたびれた人みたいな話に読み手が付き合う必要あるの?
毎日のように「本物のブロガーとは」みたいなこと言ってる人は、本当はアルファになりたいんじゃないの?
「僕らはアルファになれないブロガーです!」と自称する意味がわからないし、それを公表して一体どうしたいのか、とは
誰もが持つ疑問である。ほとんどのブロガーはアルファではない。しかしブロガーはそんなこと気にしないし、ましてや
いちいちそのような自虐めいたことを記事にはしない。
「僕らは競争から降りたんですよ」と言っているわりにはアルファブロガーに対する意識がとても高く、これにも矛盾を感じた。
この時点で、私のサードブロガーに対する印象は最悪である。自分の立ち位置を意識して書かれたブログなどに価値は感じないからである。
このような記事が投稿されたが、私はこれがまったくわからないのである。
何が言いたいのかわからないのである。村上春樹がここで出てくる。
「○○かもしれないし、○○かもしれない」
「完璧な○○など存在しない。完璧な○○が存在しないようにね」
一事が万事この調子で、とても難解な文章になっているし、私や他のはてなユーザーへの回答・反論にはなっていないと言って良い。
なっていないから「サードブロガー」の意味は二転三転したのである。
それはこの池田批判にも繋がる
サードブロガー問題について理解したいと思っている読者に対して何かを説明しようという意図は全く感じられない。説明する前にさらに自分の課題意識を語って問題をさらにややこしくしている。読んでる人完全においてけぼりである。
そうこうしていると、次はトマト祭り(?)なるものが開催され、よくわからないが、この事件には私よりも私以外のユーザーが不満を漏らしていた記憶がある。
たぶん、トマトをお題にブログを書いてブックマークし合う、といったような話であろう。
身内ブクマ問題である。この部分にはあまりコミットしていないので私にはわからない。
そうすると今度は、やけに声の大きいとても目立つブロガーたちが集団で現れた。体調わる子を筆頭としたはてな女子、大彗星ショッカー、まつたけ、etc・・・。
彼らははてなで大騒ぎをした。とんでもないタイトルととんでもない極論をまぶした記事をはてなに大量に投げ込んだ。
はてな移住前のファンを引き連れてやって来た(ホットエントリが確保されていた)。
お金をください、ファンになってください、と叫んだ。自殺宣言をした。馴れ合った。アイコンを女体に変えた。
私は彼らのことをさっぱり理解できず、嫌悪感を持ちながらも考察した。彼らがブログを書く動機や目的は何か。
そして彼らをどうカテゴライズすればいいのか。
そのとき、私やはてなユーザーは、池田氏が提唱した「サードブロガー」という言葉を持っていた。
これを使わない手はなかった。
池田氏の提唱する「サードブロガー」に対する嫌悪感と、新参DQNブロガーに対する嫌悪感が合体した瞬間である。
「まとめて呼んでしまえ」
ここで池田氏は「提唱者が違う」とおっしゃられるかもしれないが、私はこの記事を提示したい。
サードって言葉使うと俺はサードではないとか、まつたけは一緒にするなとか、原義がー事実誤認がーってうるさいんだよ、あいつら。
そんな細かいこと知らないし、ソース当たるために読み返さねーよ…
そこまでしたくなるほど魅力的な人物や文章がない。
かなり口は悪いが、それなりのことは言っていると思う。
つまり我々は、友達でもない人のブログをいちいち過去に溯ってまで読まないということだ。
自分のブログを過去に溯ってまで読まれるということはとても光栄なことであり、それは自分に興味を持ってくれたということでとても嬉しい。
ただ、それはとても稀なことであり、だから私の過去もあなたの過去もほとんど参照されない(それは救いでもある。東浩紀レベルになってようやく参照されまくる)。
池田氏以外の最近のブロガーにも言えることだが、「私はこのときこう言ってるんですけど!」「過去記事見てください!」
というのは文章のコミュニケーションではたぶん有り得ないことだ。文脈の時制を統一するのが文章のやり取りであり、もちろん
日本のインターネットに居るほとんどの人ができているのに、サードブロガーになると途端にこれがダメになる。
「私の過去ぐらい知ってるでしょ?(みなまで言わないわよ)」ときたもんだ。そんなもん知らないのである。
そういう姿勢が、サードブロガーの文章の読みにくさの大きな要因となっている。
話は逸れたが、つまり私や他の多数のユーザーにとって、「サードブロガー」の提唱者・代表者は間違いなく池田氏だということだ。
さて以上が「私がサードブロガーという言葉を使うまで」の私的(主観)歴史である。
サードブロガーという概念・言葉が二転三転した経緯を私はこう捉えている。
他の人はどう考えているのか。最後に私の目に止まったものを紹介して今回の記事を終わる。
kanose 「サードブロガー」が今までのブログとどう違うか明確に説明されず、他人が理解できない時点で、定義がどんどん出てきたのは当然だったんじゃないかな 2013/12/23
そんな絶望した世界にサードブロガーという言葉が定義されました。
だって、そんな名前つけなくてもWebには、小さな世界や日常をを映し出す人達なんていくらでもいた。
トマトブロガーになりませんかって茶化す記事があったときに一緒になって笑っていた。
別の人間も、フォースブロガーでもプラスアルファブロガーでもええやんと言い出した。
いっぽうで、はてなブログの馬鹿騒ぎに苦々しい思いをしている人たちは、
だから、彼らが大して大事にせずにほったらかしにしてた言葉を使うことにした。
この動きがあった時も、大して反論のようなものは見られなかった。
この時点で、もはやサードブロガーは提唱者のものではなくなってしまった。
乗っ取りが完了してしまっている。
(略)
起源などどうでもいいとはいわない。言葉を提唱したこと自体に意味が全くないとは言わない。
だが、サードブロガーという言葉をどのように使うか決められるほど
トマトバイトテロが洗濯機に入って浮かれているときに笑って見ていた。
ところが、「サードブロガー」周辺のやりとりをみるに、このあたりがよくわからない。PVや影響力だけがすべてではない、と主張しているようにみえるけれど、実際、サードブロガーに該当しそうなブロガーがPVや影響力を軽視しているようには見えなかった。既存のはてなダイアリー・はてなグループのブログ群のほうが、よほどPVや影響力を意識せず動いているようにみえたからだ。そして、彼らはお隣さん同士で「拍手」をつけあい、「あしあと」を気にしあうようなプライベート的ブログ文化圏のソレに近いようにもみえた。本人達の思惑はさておき、日本のブロゴスフィア全域を前提として考えた時、第三の極と言えるようなポリシーの鋭利さは見出しえなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20131222231100
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
http://anond.hatelabo.jp/20131224125320
http://anond.hatelabo.jp/20131228163827
俺はブログと言う世界で生きている、この世界で偉いのは金持ってる奴でも喧嘩強い奴でもない、土日祝日ブログ書く奴。サードブロガーです!
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/12/24/170036
めんどくさいがざっくり説明しとくと、
元々、Tumblr界の魔神otsu●e氏が道路を暴走し、それを「情報戦略は始まっとるんや」とウチで茶化したらクマのお医者さんが鉄製の屑籠を振りかぶって
「悪いことは悪いって言わんかい...オマエネタにして調子乗っとったらぶち○すど、このクソ猿ブログが!!」
と怒鳴られ説教されて「やべー!殺される―!!怖ぇぇぇっ!! (((( ;゚Д゚)))」と冷や汗かいてるところを取り囲んでブコメで騒ぐはてな村お馴染みの盛り上がりの一連をyarukimedesu氏が
ブログ記事を沢山書いて、アルファーブロガーになりたいな、なんて思ったこともあったけど。今でも思うけど、こらあかんわ。人生はあきらめが肝心だ。“
と書いた。
それを見たinujin氏が「アルファなんて目指さないでいいんじゃね?」と言い出したところが最初。
だから元々の発祥も「ボクたちサードブロガーはもっとブログ界を盛り上げて...」なんて意味でも無かったんだが、ちょうどその頃新進気鋭でロジック・思考甘々で釣りまがいの記事を挙げまくって軽く炎上するようなブログが(昨日今日も何やら燃えてたらしいが)幾つも出て来たもんだから「新進気鋭のブログ=サードブロガー」と結びついて、その瞬間本来的な「サードブロガー」と言う言葉と概念は死んだ。
(略)