はてなキーワード: ワーキングメモリとは
上司に誘われて2人で飲んだ酒が抜けないので、このまま匿名をいいことに思いのまま書いてみたい。酒が入ってる。フェイクだ。これは作り話だ。創作だ。
昔から人の顔色を伺う癖が抜けない。私は頭は悪いが愛想だけは良い人間だ。いつもニコニコしている。人の顔色を伺うくせにワーキングメモリが人より小さいので器用に立ち回ることも出来ず、私にとって人間関係とは精神の磨耗でしかなかったと振り返って思う。
小学生の頃から粗暴な同級生に囲まれ、空気を読みとってイジメもした。他人が傷つくのを同級生と一緒に指差して笑った。周りに気を使いすぎた私が不登校気味になるのは極めて早く、親には無理やり学校に行かされていた。が、何かに対して逃げることが唯一の安息を得る方法だと悟ったのは小学生の頃で、この悟りは今に続く。
何かを得ることや知ることは楽しかったが、学校が嫌いになってしまった私は学校に関わるもの全てが嫌いになってしまい、勉強を微塵もする気が沸かなくなっていた。そもそも頭が悪いせいもあるが、中学生の頃、偏差値は30も無かったとおもう。
中学生の頃の記憶といえば、家で布団に篭りながら教育テレビを見ていたこと、学校にいるときは体が重く、常に眠かったことだ。私の髪質は剛毛で重度の縮れ毛で、私のようなエネルギーの無い人間は呼吸をしているだけで同級生から軽視されているのが手に取るようにわかった。コンプレックスがあちこちで肥大していった。もうどうしていいのかわからず、中学生ながら人生をすでに手放していた。パートに行く母が悲しそうな顔をしながら私を怒鳴り、申し訳なさそうに学校に電話をするのを布団の中で聞いていたっけな。
週に1度は休むような散々な成績だったが、近所の公立高校に進学した。
遊びに出歩かなかったので、祖母からもらえた毎月1000円のおこづがいはそこそこ溜まっていて、その金で縮毛強制をした。高校デビューというより、解決の一歩を踏み出した。しかし同級生に「それ縮毛?」といわれ、奈落に落ちた。縮毛強制ひとつで何かも解決したと思ったが、伸びてくる髪は縮れ毛でアフロのようになるし、抜本的な解決方法が無いことを知った私が気づいたときには、酷く内向的な人間になっていた。
高校生の頃の思い出も、やはり毎日が眠かった。頭の中が霞んでいた。体が重かった。ただ、晴れ渡る天気の良い日に仮病を使って早退して、住宅街を歩きながら抜けるような青い空を眺めてるときだけ、爽やかな風を浴びているときだけ、心の中にぽっかりと空いた穴の中に暖かく心地よい風が通るような、そんな気分になれた。遠い空に自分の居場所があるんじゃないか、どこか遠くにいけばそんな場所があるんじゃないか。そう思えた。そしてそう思い込むことでしか心が救われなったんだと思う。
そんなこんなでボーっと行き、ボーっと就職浪人し、ボーっと就職した。地方公務員になった。市職員である。同期たちはノビノビと学生時代を精力的に楽しんでいる上に私よりはるかに頭の良い人種だった。人間は急に変われるものじゃないみたいで、適応障害を起こし、バックレて退職した。家族からは顰蹙を買ったが、怒りの声ももはやノイズにしか聞こえなかった。社会人として最低なのはわかるが、バックレた時だけは救われる気持ちになれた。唯一生きてて気持ちよかった瞬間だった。乱暴にもぎ取ったモラトリアムの獲得に刹那的な希望を持てた。
その後も職については絶望的な気持ちになり、バックレることを繰り返した。私の履歴書と職務経歴書は、虚偽と虚栄と余所行きの顔で塗り固めてある。この話は創作である。
私はあらゆる能力が劣っている人間なので、どうしても周りの人間に軽視されやすい。そしてそのことが肌感覚でわかると、酷く逃げ出したくなってしまう。逃げることへの安息に逃げてしまう。
そんな私も今仕事が半年続いてる。奇跡的に周りの人間に恵まれた。本当に良い人たちだ。私のことを何かと気にかけてくれるし、同じような質問をしても嫌な顔をせず教えてくれる。
そして新たな感情がわいた。「私はこの優しい人たちの役に全く立てず、期待にも沿えず、片っ端からガッカリさせてしまうのではないだろうか」
今日飲みに誘ってくれた上司と会話していて、その杞憂がだんだんと形あるものに感じてきた。
皆とても優しいのだ、その優しい人たちと接していると罪悪感に苛まれてくる。自分がこの人たちに何も応えられる自信がどうしてもわかないのだ。
また息が詰まりだしてきた。逃げたくなってきた。安息が恋しくなってきた。
軽視されて強く当たられるのが辛いとばかり思ってきたが、優しくされることすら辛く感じてしまう事をこの時気づいてしまった。
生きているのが苦しい。この世に居場所はどこにも無かった。高校生の頃に思いを馳せた遠い場所にいけても、きっとこんな気持ちになるんだろう。
ホームで電車を待っているとき、ホームドアの向こうに初めて誘惑を感じた。人目も憚らず帰りの電車の中で涙が止まらなかった。そして体が重くなってきて、酷く頭の中に霞がかかってきた。グチャグチャな汚い顔のまま寝た。
昔、増田で兄弟2人とも自殺した人の書き込みをみたことがある。その人も自殺を考えていて、「いつも眠かった」という記述があったと記憶している。
それを思い出したとき、きっと私はもう取り返しがつかない所まで着たんだと思った。
私の話なんて「こんな奴みたいにならなくてよかった」という優越感しか与えることしか出来ないと思うが、そう思ってくれるなら冥利に尽きる。役に立てるのはそんなことぐらいだろう。
偏差値40の高校卒業後、2年間の浪人の末地方公務員の行政職に就くもあまりの頭の悪さに仕事にならず試用期間で退職。
失ったものの大きさをここにきてようやく実感し途方に暮れる。
一念発起して最近職業訓練に通いだした。電気工事士を目指すコースなのだが、手先の不器用さと理解力と飲み込みの遅さを存分に発揮し、電気工事士としての適性のなさを痛感。
皮肉にもOAスキルが平均より高い事が判明し、グループ作業では書類作成に適性を見出した。
相手が何言ってるのか頭に入らないこともあれば、言葉が上手に構成できずわかりやすく伝えられないのとがある。
これは引きニート経験者特有の悩みなのかもしれないが、ワーキングメモリが縮み上がってるんだと思う。
働いて社会に貢献したいという思いと、働くと必要以上に周りに迷惑をかけてしまい結局労働力どころか職場のボトルネックにしかならず、働き続けられる自信が無いという不安が一挙に頭を支配し、どうすればいいのかわからなくなる。
周りがたくさん頑張ってたくさん成長している間に、私は沢山の自責の念と沢山の自己嫌悪で、獲得していたかもしれない自信を喪失し、打たれ弱くなっていってしまったのかもしれない。
なんだよこの読みやすくスッと頭に内容が入ってくるいい文章ふざけんなよ、しかも手帳取れてるとかラッキー、ナメてんのか
あのな知らないようだから教えてやるが、全検査IQが高かろうが、動作性IQと言語性IQの差がなかろうが、発達障害は発達障害だからせいぜい安心しろ
処理とワーキングメモリがクソでこんだけの文章書けるんならさぞ知覚と言語の値がいいんだろうよ
前者と後者の差が15あるか?ん?20ある?もっとある?発達障害は群指数とか下位項目の間でデカければ疑われるんだよ
動作性と言語性が並べて一直線だからディスクレパンシーがないなんてのは数十年前の常識だ
お前の数値を見て発達障害の診断書を出す医者はいるから、どうしても発達障害の名前が欲しけりゃドクターショッピングしろ
残念ながらお前は頭が良すぎる
おまえ頭いいから発達障害とは言いにくいわって医者もまあいるだろうよ
知覚統合がクソなのに全検査やらなにやらが平均で手帳も取れねー俺からすればマジうらやましい
せいぜい手帳の恩恵を最大限に受けつつお前の納得できる病名にたどり着くんだな
あークソどっかで評価されろよお前
(他のスコアが高めなので、学歴や経歴はまあまあ良いんだけど)
苦労は分かるよ!
こんなの意図を汲み取って機敏に動く下の人間が欲しい背景なんだよね!
正確にいうと、私は、発達障害であることは未診断(医師からの診断は下っていない)の人間だ。でも、小児癲癇を起こした事があった事が原因か、ワーキングメモリが著しく低い。
話の核心を掴む事が下手だし、抽象的な会話・会議だと、もうお手上げ状態。ADHDと自閉症スペクトラムの混合型で、白に近いグレーゾーンだと医師からは言われたけれど…私が働いている姿を診たら、きっと「黒」だと思うだろうな、と思うほど、人として危ない職歴を経てきた。
まず、クビを何度も経験してきた。20代で4社かな…。その間、してきたアルバイトも、学生時代にしてきたアルバイトも、塾の個別指導の講師以外はすべてクビだったり、周囲に申し訳がたたなくて退職したり。
もう、自分が社会貢献できる事なんて無いし、寧ろ社会に迷惑だと思っている。手に職を、と色々と資格の本を見ると、「国家資格者なら、社会人として一からスタートできるかもしれない」と淡い期待、つまり野心を抱いてしまう。
私に出来る事、というよりも、あの世に逝くまでにどの様に生計を立てていくか。どの様に尊厳を護って生きていくか。それが大事なのに。
因みに生活保護という選択肢は考えていない。せめて、最低限、衣食住の自立が出来る資格は何か、模索している。
もしも私が資格を得たとして、その先の社会で他人様に迷惑・イラつかせてしまわない様にしなければならないし、世間様に迷惑をかけないことが大前提だと思っている。
「迷惑をなるべくかけない手に職で安定した生活を送れる仕事とは何か」という野心を捨てられず、未だ「社会の一員」として「人として」生きたいと考えている自分は、拗らせている大馬鹿野郎だ。
この2年ほど仕事の処理能力が徐々に落ちてきて、この数ヶ月は不眠や不安感をはじめとするうつ症状が続いているので、8年ぶり二回目の精神科通院をしている。
日頃感じている生きづらさの原因がわかるかもしれないよ、と医師の勧めで大人向けの知能テストのWAIS-iiiを受験した。
この検査は単語の意味を答えたり、積み木で模様を作るパズルや、口頭試問での算数問題、記号を素早く書き写す事など14種類のテストがあり、
それぞれの数値から、言語能力や物事を分析する力、ワーキングメモリと処理速度などを数値化する事ができる。
それらを4カテゴリーに分け、各カテゴリーの数値に15以上差があると低い能力が他の能力を引っ張ってしまうので、困難を感じやすいらしい。
特にアスペルガーやADHDを発見するのに有効で、カテゴリーごとのIQの差を見る事で得意な事や苦手な事を知る事ができるので、自分の特性を知る手がかりとして受験をした。
告げられた結果はIQ130で、これは非常に優秀と区分とされるらしい。130以上の人間は全人口の2~3%を占めており、クラスに1人居る程度なのでこの数値はそこまで特別ではない。私のカテゴリー毎の差は最大で(言語理解>処理速度)が30程度あったが、全ての数値が平均より上なので問題ないでしょう、という事で発達障害の診断はされなかった。担当医を信頼しているのでこの判断に不服はない。
けれど、この検査の結果には正直裏切られた様に思う。
問題は、自分は大抵の人よりも能力が低いと普段から感じて居る事だからだ。
職場や普段から接する人々、小学校時代の同級生に至るまで、周りの人は何故こんなに物分りが良く、ワンフレーズで会話を進める事ができて、一度受けた説明通りに動く事ができ、人の顔や名前を簡単に覚え、暗黙のルールを知っているんだろう。とずっと悩んでいる。
教師が全体に指示を出した時にクラスメイトはすぐに行動を始め、何をしたら良いのか分からない私はいつも周りの人がしている行動を真似て、ワンテンポ遅れてついていくのがやっとだった。
電話や窓口で、自分の要望や要求を伝えたい場面ではとっさに一言が出てこないので、いつも頭の中で予行演習を行ってから人に話しかけている。
目の前で起きている事を見聞きしていると、頭の中で今後起きる事の可能性を考え始めたり、選択肢の分岐が勝手に枝分かれを始め、頭の中のレイヤーが多層になってしまい、目の前の出来事に覆い被さっていってしまう自覚がある。
いつも心が散歩気味なので、車の運転が出来ないし、よく物を壊したり、見落としたりする。
IQはただの指標の一つで、パソコンのスペックの様な物だと思う。これは私のアイデンティティや人格、創造性を証明するものではない。
道具は使い方次第で活かし方が変わってくるので、扱う人が成し遂げたい事の目標をしっかり持って、心を折れずに取り組む粘着性が何よりも大事だと思っている。
私の場合は、目の前の情報が多すぎるといつも感じているので、持続性を持って取り組むのが困難だ。
勉強を始めると瑣末な事に注目したり疑問が湧いてきて、横道に逸れて考え始めてしまうので取り組む速度は遅い。
ひとつの事を終わらせるのに体力も時間も消耗して疲れてしまうため、投げ出し癖が強く、学業や仕事において特別な業績を残せていない。
けれど周りから優秀な人だと言われる事が多く、何か一つの事や分野に集中すれば結果を残せるだけの能力がある。と言われる続けると、普段の生活を送るために、周りの人の"普通"に合わせる事にいっぱいいっぱいな私はどうしたら良いのか分からない。
例えば解像度の低い写真があっても、赤色の丸い形の物という情報が分かればリンゴだと判断できるだろう。
より高精細に見る事ができたとしても、表面のテクスチャーがどうとか、そういう判断や処理に重要でない微細な部分に注目してしまって頭が疲れてしまうだけなんじゃないかと思う。
目盛りが細かすぎる定規は物を測る時に見づらいし、刻みのスケールが大きい方が見やすいと思っている。
自分にとっての生きやすさとは、微細な差異を見極める事ではなくて、大雑把に物事を大きく捉えられる見方なんじゃないかなと思っています。
どうしたら細かな事や重要でない事を無視して物事を捉え、一つの事に取り組む粘着性を手に入れられるのかな、と自問自答している。
この投稿は検査の結果を誇りたいために書いたのではなく、道筋を考えるための情報を手に入れようとしたのに、その結果に自分はまた悩み続けてしまうのだなぁ、という気持ちを残したくて書きました。
あくまで過集中も発想力も完全にはコントロールできないし、優れた学者やアーティストに必要な資質として「持続力」が挙げられるが、ADHDはそれがからっきしなんだよ。
だからADHDが抜きん出るパターンとしては、優れた定形のコーチやパートナーがついて、持続力って言う部分について補助を受けられるパターン。「ADHDは起業に向いている」ってよく言われるが、実は「経営には向いてない」んだわ。
経営に向いてる人は逆に起業に向いてない。だから、「起業家タイプと経営者タイプがタッグを組んでお互いを補い合う」という形のチームを組むのが、ADHDの勝ちパターン。
ワーキングメモリについては、説とかじゃなく事実だよ。お前ADHDについての本数冊でも読んだか?俺は論文読める立場じゃないからソースが本になってしまうのが申し訳ないが、少なくとも論文読める立場の人が書いた本を選んで手にとって情報収集してるから、少なくとも全く情報収集してないお前より正確な情報は持ってると思うぞ。オススメの本は「ヘンテコな贈り物」と「ADD/ADHDという才能」
あと、東大生で論文読んだりとか出来るだろうに、他人には「説」とかエビデンスを求めておいて、ソースが「自分自身」「ADHDの友達がいないからわからない」ってちょっとやっぱ抜けてるな。ADHD以前の問題だと思う、それは。
「ADHDならばワーキングメモリが少ない」だから「ワーキングメモリが少ない自分はADHDだ」というのが正しくないかもしれないじゃん?
単にワーキングメモリが少ない人なのかもしれないじゃん
だとしたらADHDかどうかわからない自分の状態からADHDの人一般のことを結論づけるのはよくないじゃん?
「俺は子孫を残すべきでない」って話をしたいならそうですねで済むけど、「ADHDは子孫を残すべきでない」という話ならなにを言ってるねんという話になるじゃん
なんか持ち上げすぎじゃね?
あんたの説で行くと世の中の優れた学者やアーティストの席はADHDが独占してるレベルなんだが
世の中見渡すとそんな風にも見えんぞ
ワーキングメモリを不適切なことに使ってるのではないかって説は面白いし俺もそんな気するけどね(ってADHDの知り合いおらんけど)
優秀さの尺度なんて環境が変われば全然違う。学問的な話での優秀さで言ったら、幅広く全方位的に抜け目なく情報処理・・・という話なら定形に劣るかもしれんが、集中力を発揮できる特定分野を短期的に膨大に情報処理・・・っていう事だったり、そもそもその分野がクリエイティビティを発揮すべきものだったりすると、定形さんはADHDに勝てないよ。
ワーキングメモリが少ないっていう認識は間違いで、「ワーキングメモリを侵食している処理が多すぎる」が正解。無駄が多いだけで処理してる情報量としては多いし、クリエイティビティを発揮するべき分野ではその無駄が「発想力」になる。あと、コントロールできないけど過集中中は、無駄に使ってた処理リソースを一気に集中の対象に注ぎ込む上にリミッターも外れてるから、その時の処理能力の高さは定形さんには真似出来ないよ。
統計的な話なんだろうが、ADHDで一般的な人に比べて知能指数は高い・・・って人は結構多い。多分、淘汰されやすい世界で生き残るには、そもそも平均より有能である必要があったんだろうなとマジレス。
周りの秀才と議論していてよく思うのは、ADHDの自分は穴の空いたロジック、スキのあるロジックを作りやすいということだ。
その理由はこうだ。ADHDは、ワーキングメモリが少ない。つまり、ある結論を満たす論立てを一つ考えると、そちらだけでワーキングメモリを使い切ってしまう。他の道筋から、その結論に対する反証が出てくるとかが、反射的に思い浮かばない。そして、1つの論で頭が一杯になってしまうので、複数の反論でつつかれても大丈夫な論を導き出すのに、一つ一つ検証がひつようになるので、ものすごい時間がかかる。
東大にいたのでわかるのだが、頭のいいやつは、反射的に反証や反論を思いつく。そして、複数の反論に耐えられる論を見つけ出すのも瞬時。おそらく、ワーキングメモリが広いので、複数の反論を一度に頭の中に入れて、同時に検証できるのだろう。
結論として、同じ東大卒でもADHD出ないやつの方が優秀。ADHDは遺伝するので、俺の子よりも、定型発達の子供のほうが社会的に価値が高い。
学歴みたいな努力でごまかしが効く指標でなく、ワーキングメモリの量とかでキチンと知能を測って、政府が責任を持って優秀な奴の精液を回収し、女性に配るべきだ。そうすれば、俺みたいな東大卒だけど遺伝子悪い奴が、後世に迷惑かけずにすみ、皆幸せな社会が実現される。
有難う。お世辞と思うけど、前向きなコメントを貰えて本当に嬉しい。実は…いきなり最初に書くと引いちゃうと思ったから書けなかったんだけど、学部・院と、今まで色々なアルバイトしてきて、上手く行った試しがないんだ。結論から言うと、ほぼクビ状態で辞めていく形やフェードアウトする流れ。送別会なんてされたことが無かったし。
今までやってきたバイトは多種多様にやってきた。飲食(ホール)、プールの監視員(体育会系で、タバコ吸ってる高校生バイトの先輩達にイジメられたり)、コンベンション(学会会場のディレクター)、複雑な建築構造をした座席が数百とある某音楽施設のホール(お席案内係)、個別塾講師(塾長の息子にストーカーとキモい手紙を渡されて怖くて辞めた)、図書館司書、某宅急便バイト(電話対応)
塾講師(ストーカーが無ければ)と図書館司書、宅急便バイト(マニュアル通りに話すだけだったから何とかできた)は、何とか…。あとはほとんど駄目だった。
臨機応変に対応できなかったり、同時処理が出来なかったり、聴覚処理(ワーキングメモリが弱くて物覚えが悪い、メモを書き取れず聞き直すと怒られる)、凡ミスが多いとか…。最初に書いた、「上司が黒と言ったら白でも黒と歯向かってしまう」のも、世渡りが下手で、「ひどい」「いけないこと」と思ったら、怒りのボルテージを溜めてしまい一気に爆発してしまうんだ。教授も今までのバイトを辞めさせられてきた経緯を聞いて「やはり、貴方は正常ではないと思います。」と言っていたし。
だから、せめて世間様や他人に迷惑が掛からないような、手に職(単調な仕事)はないかなって…。長文になってしまってごめんなさい。
http://ascii.jp/elem/000/001/162/1162199/
英語学習に関しては自分も成功体験があり、高3の時はセンター模試40点から半年で182点まであげたことがある。この記事内で紹介している体験ではなく脳科学的なアプローチであるSLAだが、高3で受験勉強を始めるにあたってボトルネックだった英語をあげるためにいろいろリサーチした中で出会った英語学習の本で同じメソッドが紹介されていた。御歳80歳くらいの同時通訳者が戦時中に中学校の英語教材を音読によって全部暗記したら米軍の言葉が聞き取れるようになった経験から、英語学習は中学レベルの教科書を音読するのがいいというメソッドだ。これを僕は愚直にやり、英単語を日本語に訳さなくても頭に意味がイメージできる状態にする→文章を音読して英語の文のままイメージできるようなになる(同時に英語のリズムを覚える) これを繰り返し、普通の市販の教材を暗記しまくったら解法テクニックは覚えなくてもセンター過去問で10分あまって90%の得点率になった(本番はメンタルが弱いので75%ぐらいしか取れなかったがw)。また大学3年の時は就活に備えてTOEICの勉強をしたときは、脳のワーキングメモリの処理の概念は理解していたので、TOEIC用の単語を覚える(無意識に呼吸レベルになるまで)→長文を音読するで英語学習の感覚を取り戻しつつ語彙を増やし、TOEIC用の対策本で文法問題は○×△法+エビングハウスの忘却曲線にそった反復学習で1回目の暗記→9時間後(または翌日)→1週後の3回くりかえすことで長期記憶に定着。これの勉強法で、3週間で460→645点であがった。そこで自分で考えて短期的に結果を出す経験を得たことに満足してまいその後の学習はしなかったがw、この記事で書いてあることは自分の経験則としてすごくよくわかる。
こうしてみるとグリットが足らない人生だね、筋はいいことはできてるし自分で考えて行動して結果を出すことも部分的にはできているけど一番のゴールは達成できていない。
中学校最初のテストでたまたま数学学年一位で部活の先輩とかいろんな先生にちやほやされて自分は本気だせば勉強できるとか勘違いして、授業以外ではほぼ勉強せずにトータル学年10位-20位くらいをうろうろ、3年最後のテストで一位とってやろうと思って勉強するも4位どまりで一位は無理か〜と思ったが、もっと前のテストから1位を狙っていれば学習のPDCA回せたと思うのにそんなことは気がつかず。
高校も県外に引越しのタイミングなので志望校選びを家から一番近い高校にして入ったが、入試の開示されたあの点数なら県1-3の高校合格ラインだったのに思考停止してた。
高校は勉強せずにテストで0点とかとってるのがクラスで目立ってたのがウケてたと思ってたので二年間勉強せず学年ビリとったり、英語数学国語で1とって進級できない人向けの試験受けることになってる時でも、本気出せばいけると思っていたw 今思うとこの時に勉強を通じて思考力や集中力、自分なりの課題解決のプロセスを確率する訓練を積んでいないのがいまに悪い意味で繋がっていると感じる笑
受験勉強も他の人からするととても伸びて結局国立大受かったのに、もっと上いけるとか思って浪人して堕落し結局一朗ニッコマでしょ、予備校入りたての時は地理は東大コースで京大の過去問といて他の生徒よりいい成績出したりしてたのに、夏になぜか世界史に変えてそこからめんどくさくなってセンター本番50点でまた地理にもどすという超迷走かましてた
そこで自分で浪人を選んだのに結果がでなかったのでネガティブになり消極的になったんだ、思い出した笑
つまり自信を失ってるのは自分で選んだ選択で結果がでなかったからで、自分への信頼がないわけで、そこを改めてとりもどさないと一生このままでしょ
やろう、ポテンシャルはあるはず、足りないのはやりきる力
自分にはADHDの傾向がある。ワーキングメモリが少なく、思いつきで行動することがよくある。某精神科でテストを受けたときは、やはり傾向はあるが、生活上困っていなければ治療の必要はない、とされた。
仕事中にツイッターがやめられないとか会議で高確率で寝る(寝てないときは内職してる)とか、全く支障がないわけではない。いや、むしろ困っているのは周りのほうだろう。特に、よく嫁さんには「あなたには私の話を聞いてもらえない」と泣かれる。ひとつひとつはしょうもないことでも、彼女にとっては自分をないがしろにされているに等しいのだろう。
そこで自省のために私が「話を聞いていない」と言われることについて場合分けしてみた。まあ、こんなことしていないで直せと言われたらそれまでなのだが……。
何かに集中しているか、別のことを考えていて相手の話を聞き逃す。
たとえばデート中に人ごみなどで先に歩いていて、話しかけられたときに対応できない。このあとどこに行くか、何をしようか、或いはまったく関係ないことを考えているときにおきる。
家事のことや買い物など、なにか頼まれても忘れていることが多い。たとえばごみの出し方。食事の仕方。まあこれは癖もあるかもしれないが。
ほかには、ほしいものを買う約束をしていて、結局数ヶ月たっても買わないなど。そのときを逃すと買うタイミングがわからない。
さっさとやっておけばすむことを後回しにする。面倒だからと手順を飛ばす。
そういうときは大抵スマホをいじってるとかで、自分のやりたいことを優先している。
後回しにするのは仕事も同じか。
これはAだよね、と話をしていて、そうだねBだよ、と正反対や関係のないことを話す。また思いつきで話題をころころ変える。
自分の中では話の筋が通っているが、言葉足らずや論理の飛躍で相手に全く伝わっていない。もしくは、相手が言っている内容や意図をを理解していないのが原因と思われる。
最後に。
パートナーに自分の話を聞いてもらえないというのは、想像しただけでも絶望的で、治るんだったらそうしたい。
ただ、内科に行って風邪薬もらって飲む、みたいな気軽さではないことも知っている。診断で幼少期のことを家族にインタビューするのも億劫だ(いまはあんまりうまくいってない)。それに改善するかもわからない。
……書いていてだいぶ無責任なやつだな、ひどいやつだ、サイコパスかよと自分でも思う。大学の研究に失敗して(理由はお察し)自己嫌悪で引きこもりをしていて、そこから抜けて就職してからはこんな感じだ。歪んでいても死ぬよりはましだと割り切っているが、先に嫁さんが絶望で自殺しかねない。
同じような症状がある人で、自分はこうして折り合いをつけている、というのがあれば教えてほしい。もちろん通院や投薬で改善した・しないも大歓迎だ。どうか、どうか頼む。
私は発達障害だ。ADHDとスペクトラムの混合型で、白に近いグレーゾーンと言われている。
ただ、やはり雑談や、パーティー(祝賀会、同窓会)などの場で、上手く立ち振る舞う事が出来ない。抽象的な会話も理解できず、急に話を振られたりすると適切に会話が出来ない。混乱して焦って、頓珍漢な事を言ってしまう。
外見や雰囲気からは、所謂プレコックス感はないと言われている。初対面や1度、2度会った事がある人とだと、表面的な会話になるからか、愛想で何とかなる。
けれども、何故か好意を持たれる人は決まって、下記の様な人達からだ。
・モッサリ(非モテ、友人極少なめ、身だしなみや清潔感が無い)
・レールから外れた人且つナルシスト(多分私以上に重度な発達障害の恐れ。本人に自覚は無し。)
私も発達障害で、恐らく自分が気づかない内に、もたついた行動や、はっきりとした話し方(主張をしない)をせず、加えて的外れな話し方をしてしまうのかもしれない。
ワーキングメモリも弱いので、ツーカーになれない所は十分自覚しているし。
だから、こういった上記の様な男性に、好かれてしまうのだろうか。
せめてこういう人達に近寄られず、好かれずに済む方法は。そして、そういう人達とは無縁の女性達は、どういう人たちなのだろう。
小学生の頃から他人に気を使いすぎるタイプで人に意見を言うのが酷く苦手なタイプだった。扁桃体がビクンビクンしてしまうのだ。
中学生になると容姿の事で他人から馬鹿にされる事が多くなり、意見を言えない私の精神は内へ内へと籠りはじめ、次第に人と一緒にいるだけで酷く疲れるようになってしまった。
地頭もよろしくない私は勉強ができず、成績も下から数えた方が早かった。中学卒業後は、徒歩圏内の馬鹿高校へなんとか入学できた。幸いDQN等はおらずいじめもなかったが、人と会話をしているとき人の会話が全く頭に入らなくなっていることに気が付いた。喋っていて相手の言っていることが稀に理解できることがあったが、何を返していいのかわからず、相槌を打つのが関の山だった。
卒業後、やりたいこともなかった私は予備校に二年間通い公務員を目指した。高卒区分で地元の市役所に無事入庁できたものの、仕事の説明どころか市長の挨拶すら頭に全く入らない私は焦燥感や恐怖心だけが募り、自己紹介をするだけでもパニックを抑えるでいっぱいいっぱいだった。そんな調子の私は職場で雑談すら碌にできず、一言喋るだけでも酷く緊張するようになってきた。
研修を受けるだけでも精神的にボロボロになる私が実務を通して経験値を積み業務を遂行していけるようになるはずもなく、経験を積むどころかストレスと恐怖だけが詰みあがっていった。
休みの日にせめて家で勉強をしなければと思ったが、仕事に関しての勉強をしようとすると酷い恐怖と眠気に襲われるようになり、土曜日は食事が喉に通らず寝た切りで、日曜日の昼間だけ食事をとってずっと寝ていた。
通勤中に仕事への恐怖を打ち消すために車の中で発狂の様な大声をあげている事への異常さを客観視した時にもう限界だと思い精神科にいった。
社交不安障害だといわれ、ワイパックスをラムネの様に摂取する日々が続いたが、自分の能力の低さが起因する恐怖が解消されるわけでもなく、1年足らずで仕事を辞めた。
休職を選ばなかったことは正解だったと思う。退職後は家に引きこもっていたが心が少しずつ安定していき、半年ぐらい経った頃、食事が美味しいと感じるようになるまでに回復した。というのが今までの経緯でここからが本題。
今は非正規だが一応働いている。幸い人とほとんど喋らない業務なのでどうにか仕事にはかじりついているが、やはり口語能力の低さが課題となっている。
仕事を探してお金を稼ぎたい意志は強いのだが、口語能力の低さがネックになりどうしても一歩踏み出せないのだ。
自分は人よりワーキングメモリが小さいのだと考えている。相手の言ったことが頭に残らなかったり情報として処理できなかったりする。自分で説明をする時にも、何を言いたかったか、何を言っていたのか、がすぐに頭から消えてしまう。質問をされるとその質問の意味が処理できず、そしてパニックになる。
コールセンターで働いて場数を踏もうかとも考えたが、またキャパオーバーをして振り出しに戻る気がしてできない。
某機関へとある手続き申請のために電話をしたのだが、言葉だけで情報を伝達し使いこなす職員の凄さ(できる人の方が多いのだが)に圧倒されてしまった。
トップレベルの口語能力が欲しいとも言わない。仕事で必要な口語能力が欲しいのだ。
いわゆる頭の中が多動というやつで思考がいつもしっちゃかめっちゃかなのと、
力を抜くと思考がそのままダダ漏れになりそうになったり、早く喋りたくて口が開きかける衝動を必死で抑え込んで、
日本語として成立していない、自分のフィーリングと語感だけで構築された脳内の中間言語を最低限通じる日本語に直しつつ、
状況を見て出したりひっこめたりしながら喋らなければいけないので、日本語で会話するだけでかなり疲れる。
かなり疲れるのだけれど、医者からするとテンポはやや遅いが普通に会話ができているので、ADHDの診断はつくものの、会社員もできてるしイケるイケるって感じらしい。
診断を受ける15年ぐらい前に、中学の社会の授業中に不意に当てられて慌てて立ち上がりながら「アパラチア山脈」と言おうとして、
「アパッチのArmadilloはさんざっぱら白濁したAsparagusの茹で汁で脈絡なくRock You」(英語部分はネイティブ風)とスラスラ答えて大恥をかいたことを契機に、
自分の異常性に気付いて自分なりに訓練し続けてきたおかげか、人前ではある程度抑え込めるだけマシな部類ではあるのだろうけれど、
表面上抑え込めたからといって普通の人に混じって生きるのが楽なわけでは決してなくてぐぬぬとなる。
歳を重ね、語彙が増えるほどに増している気がする中間言語の奔放さで脳内翻訳家の疲労は年々高まるばかりで、
心身の調子が良い日の方が、逆に思考の回転や衝動性が絶好調で、普通に会話するためのコントロールに苦心するという有様。
普通に喋るための抑圧感があまりに強かったので、先日居酒屋で友人に頼んで試しに中間言語をそのまま垂れ流した会話を少しさせてもらった際に、
どうせ私のクソ雑魚ナメクジなワーキングメモリでは覚えてなどいられないのでスマホで録音してみたが、あとから書きおこしてみたら思っていた以上に意味不明だった。
友人「おうおう、じゃあこっからってことで、はい乾杯おつかれー」
増田「ウィーンプラハ甲冑ぐるぐる モンティパラミッチャーげタンドリーナン(get out turn dreaming now かも) once on the way」
友人「いやー、トランプさん勝っちゃったねー」
増田「Database バンシャディフォルモントゥ 放射ニカラグア絡まって左から北川 総研証券ドンタコスったらドンタコス」
増田「タンデムマンダム オーデュロイキャベツPrismProxy ショートショートでガッテントゥルットゥ」
友人「そういや今度ポケモン出るやんか?」
増田「あんれまあビール さんさんさんさわやかスリザリン 僕らの肩にフリーズドライ 座布団どんぶりムートンブーツでムーンウォーク Boom Boomナチョス Ah」
友人「お前買う?」
増田「金平ごぼうで滅びた信玄 Likeカーティス、マヌカハニーは無理筋かなメルシー?」
友人「前のもクリアしてないし俺は今のところ見送りかなあ、でもそのうち買ってしまいそうやけど」
付き合ってくれた友人からは、ところどころなんとなくわからなくもないが友好的な宇宙人って感じで怖い。とのお言葉をいただいた。
自分でも支離滅裂な言葉をスラスラと喋ってるのを聞くとコイツァヤベェやって思う。でも喋るのはとても楽だった。今から年をとってボケるのが怖い。
いちいち随分グニャグニャと喋ってるけど、声に出しているのは頭の中を流れて行ってる思考の中から関連の強そうなものを一応言語としてすくい上げたものだったり、
口を動かしてる間に飛んでいかなかった強い言葉の成分なので、実際の頭の中はもうちょっといろんなイメージが駆け回っている感じ。
普段はここから普通の日本語に変換して喋っているわけだけれど、多分こういったことを言おうとしていただろうという翻訳後はこんな感じになる。
友人「おうおう、じゃあこっからってことで、はい乾杯おつかれー」
増田「ウィーンプラハ甲冑ぐるぐる モンティパラミッチャーげタンドリーナン once on the way」(うぇーい、どーもどーも、おつかれーい)
友人「いやー、トランプさん勝っちゃったねー」
増田「Database バンシャディフォルモントゥ 放射ニカラグア絡まって左から北川 総研証券ドンタコスったらドンタコス」(マジでなー、ヒラリーはホンマやらかしたな、えらいこっちゃで)
増田「タンデムマンダム オーデュロイキャベツPrismProxy ショートショートでガッテントゥルットゥ」(そうなりそうやな、まあ俺にはどっちがいいのかわからないけど)
友人「そういや今度ポケモン出るやんか?」
増田「あんれまあビール さんさんさんさわやかスリザリン 僕らの肩にフリーズドライ 座布団どんぶりムートンブーツでムーンウォーク Boom Boomナチョス Ah」(あーあれ、サンとムーン?)
友人「お前買う?」
増田「金平ごぼうで滅びた信玄 Likeカーティス、マヌカハニーは無理筋かなメルシー?」(今んとこビミョー、まあ買うとしたらムーンかな、お前は?)
友人「前のもクリアしてないし俺は今のところ見送りかなあ、でもそのうち買ってしまいそうやけど」
増田「晩酌よりかはキルフェボン、串刺し墓場酒場タタラ場板場ンティス?」(そういや前のもやってたな、ちなみに買うならどっちバージョンよ?)
軽度とされる人の中にはこんな感じの頭の中を抱えながら一般人のふりして暮らしているのもいるよということで。
世の中には同じようなことになっている人がきっといると思うので、そういう人に似た様なのがいるぞと届けばいいなと思う。
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追記
友人がすごいという件についてちょっとだけ補足。
友人とは取り決めとして、恐らく会話にならないのでしばらく一方的に会話を投げかけてもらうということにしていた。
ただ、ポケモンのくだりあたりはこれまでの付き合いから、こちらの反応や返事の仕方をなんとなく予想ができたみたいで、見返すと割とちゃんとした会話めいたやり取りになってた感じ。
とはいえ「はうあーゆー」と言えば「うんたらかんたら えんでゅー?」とくるから、うんたらかんたらが聞き取れてなくても返すとか、そういう感じのやり取りであって明確に理解ができてるわけではない。
そもそも合間合間で友人は「わっかんねー」としこたま笑い転げていたし、合衆国大統領は時事ネタとしてとりあえず投げてみたけど思った以上に無理そうだったから諦めたとも言っていた。
なんとなくわかる部分については、話し方のトーンとかアクセントとかに加えて、普段から私の傾向として、何かが思い出せない時にかわりに出てくる言葉がかなり音に引っ張られたりするので、
付き合いが長いとその辺りからぼんやりと「なんかマ行多めに言ってるから多分ムーンなんやろなあ」「バって一杯言ってたし疑問形だし、バージョンかなあ」とかそういう感じに想像していたらしい。
今回の件とは関係ないけれど「ヤバイ」の派生だけで10分会話してみようという遊びをして割と不自由なく意思疎通できてしまったり、
「次にお前は○○と言うゲーム(予想がついたらハモる遊び)」で正解を連発してお互いに気持ち悪がったりしたこともあるので、理解度が割と高いのだと思う。
どちらにせよしょうもない実験にも付き合ってくれるし、双方が相手に干渉しすぎないのが分かっていて気楽にいられるので、大変貴重な友人であることには変わりない。