はてなキーワード: ミニマリズムとは
とかよく言うけど、必要かどうかは目的次第でしかない。その目的に沿ってるなら必要という事になるし、じゃあその目的が妥当かどうかという話になってくる。
ちゃんと考えれば生きる事は別に必要ではないから衣食住も別に必須ではないし、金を稼ぐのも身体を鍛えるのも知識をつけるのも何ら必要ではない。
必要じゃなくたってしたい。
ニヒリズムへ至るような厳密な理屈ではなくて、単にその目的は本当に喜びをもたらしてくれるか、それにかかる費用と効用のバランスはどうなのか、くらいの事なんだと思う。
ブランドもんが欲しいのは、流行に踊らされて欲望を植え付けられたから。
とか言われがちだけど、きっかけが刷り込みだろうが何だろうが、一度自分の心の中に取り入れたのならもうそれは自分の気持ちと言ったって別に良いんじゃねえのって思う。
刷り込みがダメってんなら社会規範だって少なからず刷り込まれたもんだろうし、じゃあそれに従って募金とかするのは社会に踊らされる愚行なのか。
理屈を捏ねればキリがねえし、結局は可処分所得を考えつつ己のハートで判断するという日常でごく普通に行っていいるような事になってくるんだろうか。それをちょっと丁寧にやって、あんまり後悔のなさそうな選択をしようねって話なのかもしれない。
ミニマリズムとか断捨離みたいなの勧めてる本とかはこういう話をしてんのかな。にしては分厚すぎるな。もっと踏み込んで涅槃の境地に至る道とかについて語ってんのかな。
構造主義的視点をさほど重んじない実存主義者なので、自己責任論とはまた違うベクトルで苦悩の根源を自分の内面に求めがち。
それはそれとして、どこぞのボンボン生活を送ってた奴が欲は虚しく、果てしなく、苦悩をもたらすばかりとか天空目線で言うのは腹立つ。
おれは満たされた状態を経験してないんだから、その虚しさをこの身体で体験してもいなければそこに納得もない訳。
行き着く先がミニマリズムだったとて、まずは欲しいと思ったもの全てを買い漁る体験をしたい訳。それを続けて最終的には空虚さを感じるにしたって、そこをすっ飛ばして過剰な所有は無駄とか言った所で負け惜しみにしか感じられないの。
やりたい事をやりまくって最終的に飽きて虚しさが残るだけだとしても、その過程には確かな満足と納得があるはずじゃん。そうやって物事の感じ方が揺れ動く中でも瞬間瞬間に感じる喜びこそが人生唯一にして最大の意義だとしか信じられねえの。
欲捨てたら死んでんのと同じ。
身体が死んでる事より心が死んでる事の方が許せねえのおれは。
欲を捨て去った後の価値規範じゃその判断は正当化されねえのかもしれねえ。気の迷いだったと断じられるのかもしれねえ。
でも今この瞬間のおれは決して無欲な生き方なんて許せねえんだっつってんの。
見たい映画がありすぎて、計画的にスケジュールを組まなければならないような気がしてきた今日この頃。
「デジタルミニマリズム」を試しているが、スマホの中にはブラウザもなければSNSもない。
自分にとってプラスになるツールのみをデジタルで利用するというのがデジタルミニマリズムだが、匿名ダイアリーについては日記を書くだけにとどめれば負の影響を最小限にできる。
私にとってのデジタルの最大の悪影響は、実名と黒歴史が結びつくことだ。匿名ダイアリーであれば、ストーカー以外は私が誰であるかはわかるまい。
最近も私が過去に作ったTwitterアカウントを削除するために、サポートに連絡して、2つのアカウントを削除した。
やはり精神不安定の元凶はソーシャルメディアだ。有益なことをいうことを言う人がいるかもしれないが、統合失調症の私が精神安定するためにはスローメディアの方が良い。
さて映画の話に戻るが、スタートレックの全シリーズを見たり、ヤングシェルドン、ビックバンセオリーの全シーズンを見たりするためにはかなりの時間がかかる。
といっても終わらせることではなく、見ることが楽しみだから急いで見る必要はなく、毎日の娯楽として組み込んでしまえばいい。
やりたいことは映画鑑賞だけではない。コミックを読んだり、オンラインゲームをしたりして充実感を得たい。
ただ、Amazon Primeは、無料で見れる期間に制限があったりするものだから、焦らされている気分になってしまう。
娯楽に時間を費やすことの満足度を最大化するためには、スケジュールが必要だ。
月曜夜=ヤングシェルドン、火曜夜=ビックバンセオリー、水曜夜=スタートレック、木曜夜=ギャラクティカ、金曜夜=ドクターフー、土曜=オンラインゲーム、日曜=コミック
こういった具合に。
しかし資本主義の消費社会に騙されている気もする。私は節約中だ。それなのに、金のかかるコンテンツを次から次へと消費したら、浪費癖がつくかもしれない。
ビッグバンセオリーのシーズンワンを見終えて、すこし寂しい気分でした。シーズン2を見るには購入する必要があったので保留とし、代わりにヤングシェルドンを見ています。
個人的には、シェルドンとばあちゃんの絡みが好きです。正直者のシェルドンはうまくブラフを使うことができず、ばあちゃんに負けてしまうのです。「表情を信用できないなんて、一体なにが信用できるの」とシェルドンが言うと、「それが人生を面白くするのよ」とばあちゃんは言います。
さて、今日見た夢について話します。夢の内容は「サードバーティクッキーを有効化すると自分に対する誹謗中傷が増える、という5chの書き込みが話題になっている」というものでした。
これはどの程度信ぴょう性があるでしょうか。広告企業は個人情報を売買して、匿名掲示板の個人を特定し、攻撃しているのでしょうか。
といっても、これは単なる夢の話です。現実ではより複雑なプライバシー侵害が渦巻いていることでしょう。
私は最近Xに対して、自分の黒歴史アカウントを削除するようにサポートに連絡しました。するとサポートは「あなた本人だと確認できないので削除は無理です」と言ってきたのです。マイナンバーの情報を伝えたので消せると思いましたが、確かに私は過去に自分自身のマイナンバーの画像をネットで流出してしまった経験があるので、この方法で削除できたらちょっと怖いですね。
ところで、デジタルミニマリズムについて最近復習しました。自分にとってプラスになるアプリ以外はスマホから消す、ということですが、もうすでにそのようなことは自然にやっていました。XもFBも入っていません。
すると、こうやって匿名ダイアリーで書き込むことがプラスになっているかどうか考え直した方が良いでしょうか。
私は一つの仮説を持っています。中毒者は代替の依存物を見つけない限り、依存し続けるというものです。インターネット中毒者であれば、Xをやめても、別のSNSをやりたくなるというわけです。
匿名ダイアリーは比較的マシな場所です。というのも、形式が基本的に「日記」なので長文を残すことができ、長文であればかなり発散できるからです。
しかし匿名ダイアリーのデメリットは、他の投稿者がネガティブな投稿をしがちなことでしょう。匿名だと愚痴をこぼすものだと相場が決まっているのでしょうか?愚痴を書いてさらにストレスを増幅させていると自覚していないようですね。
「インターネットに充実感を求めるのをやめるべきだ」とわかってはいるのですが、「自分が楽しめるSNSはないか」などと調べてしまいます。
しかし私は「SNSが楽しめない」のではなく、「社会が楽しめない」のだと気が付きます。
なぜあの人はチヤホヤされるのに、この人はそうではないのか。その差が存在することにも不快感はありますが、私は「チヤホヤされていない、再生数が数えるほどしかないYoutube動画」のほうが楽しめるタイプなのです。
すると「社会が人気コンテンツの流布を最大化」しているのと真っ向から対立していることがわかります。
結局、私は「見せられているもの」に騙されているのです。ニュースもコンテンツも私向けに表示されますが、連中が「私向け」といって表示するものが、つまらないのです。
30代
若い頃はいつ死んでもいいやという心意気が大事と教わり、そう心がけてきた
自分の身の回りは常に整理整頓しミニマムに生きることにも慣れきった
結婚もしていないしから自分の後には何もないスッキリとした状態なのが心地良い
あと今年は遺書の書き方を習おうと思う
だけど今は少しだけ不安だ
いつ死んでもいいのは変わらないけど、死ぬ時期を選ぶことはできないのが苦しくなってきた
早まるならまだ踏ん切りが付くしむしろ明日癌と告知されても驚かないだろう
けど、これが80歳まで続くとしたら恐ろしいよな
自分ただ一人のためにこれから50年近く生きるのは相当無理がある
常に整理整頓を心がける必要があるし都会でなければかなり難しい
そうすると住処が固定化されるので、高齢者になっても現状維持は厳しい
その時に考えればいいのだが、その時に考えて動けるかなんてわからない
そしてなにより、数十年後の自分が今と同じ心構えをしているかわからない
一寸先の闇には無類の強さを誇るのに、何十年も生きる耐性がない
その音楽的ピークはとうとうあっちの世界に踏み込んじゃいました。
アメリカーナとは関係なく、フォークロアや地域性に根を張った手垢のようなものを感じさせない普遍的、天国的で透徹した音楽。
(などと勝手に感じてしまってるけど勿論、この国の偏った舶来文化の大勢の意識の中で生きている一個人の独りよがりですが)
全ての曲が完璧ですが、とりわけrebecca sylvesterはこのアルバムのハイライトです。
そしてGastr del Solの最高到達点…のひとつでもあると思います。
「why did the sharks watch him drown?(なぜ 鮫たちは彼が溺れるのを見守ったのか)」
という述懐と共に奏でられフェードアウトしていくコーダの、夜空へ飛び立つような心地よさに何度涙したことか。
the sea incertainの複雑な和音を多用した繊細なピアノのつぶやきは、大友良英さんのおっしゃる「恋をしている気分」そのもの。
hello spiralはポストミニマルがロックやノイズと結びついた、明るみに向けてグラデーションを伴いながら上昇していく、
構造的ではあるものの、光の回廊を進んでいくようにみずみずしい喜びにあふれた名曲。
バランスを失うとときに過剰な禁欲性を聴き手に要求しがちなミニマリズムの厭味がありません。
孤独とメランコリーの彼方を遠目に深呼吸するよう甘やかな浮き沈みを繰り返すthe relay、
our exquisite replica of “eternity”の一部分と同様のループの中で(この形態での)最後の爪弾きと独白のような歌を終えるGrubbs…。
そしてエンディングはJohn Faheyの名曲に、天かけるTony Conradの純正律バイオリンと、
わずかに3(4)回ピアノの和音が雨しずくのようにそっと寄り添う雄大なもの。
もちろん冒頭our exquisite replica of “eternity”はコラージュにおけるGastrでのO'Rourke畢生の大作。
そしてアメリカ、スイス、スウェーデンなどから参集した数々の即興・ノイズ畑の実験音楽ミュージシャンとのインタラクションは壮絶です。
これは共同的な創造プロセスの成果としても音楽史に刻まれるものではないでしょうか。
中核となる二人にしろ、誰が強固に支配的であってもこの音楽は生まれなかったのは間違いありません。
聴きすぎて一通りの音が頭に入ってしまった後は(それ俺です)自分の聴く環境・コンディションの変化の中でいつまでも楽しみましょ~!
GrubbsとO'Rourkeの敬愛するLuc Ferrariが言っていました。
「結局、私の最も興味があることは擦ることのようだ」
人にもモノにも、擦り合わせることで新しい何かが生まれる興奮があるっていう事でしょうね。
さまざまな異種の要素たちが無時間的な感覚で摩擦し、それらの反発や調和が要素の単なる総和をはるかに超え、躍動的・神秘的に関わり合っていくGastr del Solの作品群も、その音楽的大成者に違いないと思います。
最近はもう夜7時に寝てしまう息子と触れ合う時間を増やすべく、職場からdoor-to-doorで30分以内という条件で物件を探しているのだが、職場最寄りである都心3区の家賃がアホみたいに高くて笑ってしまった。
月40万、50万――(いや無理じゃん)――中にはホテル暮らしと大差ないような相場の物件まで存在する。
元々、職住近接志向が強く、通勤ラッシュは大の苦手。実際、独身〜新婚時代には、職場徒歩圏内のアパート(港区)に住んでいた。通勤時間を1分でも節約できるのなら、家賃が数万円高くなっても構わないという思想の持ち主である。
そんな自分でさえ、郊外に転居せざるを得なかった。部屋の広さが倍なら家賃も倍というわけではない。単身とファミリー、これだけ違うのか。
1LDK家族4人ミニマリズム生活だとか、旧耐震オンボロ3点ユニットバス生活だとか、色々な面で妥協すれば職住近接を実現することは可能だが、子育て世代にその選択肢は無い。
子供にとって良い環境を得ようと思えばこそ、(新築|築浅)×(3LDK以上)一択なのだ。
都心から隣接区にまで範囲を広げても、この状況は変わらない(そもそも都内ファミリー向け賃貸の供給が絶望的に足りてないという問題があるのだが、ここでは触れない)。
明らかにワケアリの最安物件が25万円から。家賃20万を超えれば、不動産業界的には「高級賃貸」のカテゴリーとされる中、である。
賃貸家賃は隣人リスクや住み替えの自由度込み、というのが(持ち家派)に対する賃貸派の言い分ではあるが、これだけの金額となると、流石に持ち家と比較して割高感が否めない。
毎月25万円、固定費が虚空に消え続けるというのは、なかなか肝が冷える話だ(もちろん個人の金銭感覚にも依るが、仮に手取り月100万あったとしても、家賃25万というのは少し躊躇する金額なんじゃないか)。
「郊外・持ち家は人権無し」という風潮がネット上では広まりつつあるが、皆、本当にこんな高額な家賃を払っているのだろうか? 私はといえば、勿体無いな、と感じてしまう。
子育て中の身、いうほど頻繁に引越しの機会が有るとは思えない(そもそも引越しが好きではない)し、偏見かもしれないが、ある程度高所得層の集うファミリータイプのマンションであれば、隣人リスクも然程高くはないのではないか?
かといって、マンション購入という選択肢にも食指が伸びないところである。
結局、子供が家を出てしまえば、広い家はそれほど必要ない。夫婦2人の終の住処なら1LDKでも十分だ。
被災時や、ライフステージに合わせた住み替えの柔軟さに関しては、賃貸に軍配が上がる。
逆に、どこかで売却というゴールを見据えた上で、資産価値の高いマンションを購入する、というセンもあるわけだが……
都心・駅近物件であれば、資産価値はそう下がらない、むしろ売却時にプラスになるというのが、最近の風潮ではあるものの、この不動産価格の歴史的高騰がいつまで続くか分からない。
それに、家探しとはいえ、(不動産)投資である以上、素人知識で迂闊に市場に参入することは戒めねばならない。
我が国は少子高齢化著しい人口減少国家であり、また、都心臨海部の災害リスクも無視できない。資産ポートフォリオの大半を不動産のようなハイリスク商品が占めているという状態は、投資のセオリーからいっても危険だ。
低リスクな物件――都心ターミナル、駅チカで利便性高く、災害にも強い、確実にこれは10年後も高く売れるだろうというマンション――も確かに存在するが、
そうした物件は(正当に)億超えの評定がされており、一介の勤め人には到底手が届かない。
売却益を見込めるような、安全な物件に住めるのは、結局地主か、元からの富裕層だけである。
今は、郊外の親の持ち家(戸建)を借りて住んでいる。高校卒業まで住んでいた旧家だ。低気密低断熱の、夏暑く冬凍える家だ。総アルミサッシの、空調の効かない家だ。
ローンは完済しているので、家賃は一切掛からないが、丘陵を切り崩して作られたバブル期の新興住宅地ゆえ、周囲に平坦な道は少なく、自転車泣かせの急勾配を越えていかなければ、最寄りの駅に辿り着けない。
駅まで駆け足で20分。都心の職場までトータルで1時間半。こんな立地でも、かつては富裕層がこぞって家を買い求めたというのが信じられない。万人が認めるところの立派な僻地である。
他の郊外住宅地の例に漏れず、価格はバブル期の半分以下に下落している、完全なる負債住宅だ。
それでも、かつて虫を追いかけた、向かいの旗竿の空き地には、知らぬ間に二世帯住宅が建っており、高校生くらい? の若い世代の住人を迎えている。近所の公園からは、入れ代わり立ち代わり、子供たちの遊び声が聞こえてくる。
両親の家は車で10分ほどの距離にあり、子育てサークルの数も、都外としては恵まれすぎているほどに多い。週末には、駅まで遠出すれば、子供も楽しめるマルシェなども開催されている。
この地域の少子化は、私が住んでいた20数年前には既に囁かれていたが、表面的には然程進行していないように見える。
古めかしい開拓当時の分譲住宅の中に、真新しい外装の新築が混じり、中には「パラサイト」に出てきそうな瀟洒なデザイン住宅(?)もある。
案外、似たようなことを考えた、私と同年代の第二世代が移り住んできているのかもしれない――都心ではパワーカップルがペアローンで湾岸タワーマンションを購入するが、郊外ではパワー二世帯がペアローンで二世帯御殿を建てるのである。
この地域一帯は郊外随一のお受験加熱地域ということもあり、都心一等地にしか無いような幼児教室(教室が少なすぎるため、中には都内からわざわざ通う子もいるらしい)も通園範囲内である。
子育て環境としては申し分なく、正直、中学受験が終わる頃まではここに住んでもいいかなと、考え始めている。しかし12年って長いな。
水曜日じゃあないですか
分割キーボード自作してる人だとその指またぎ問題を解決するために際のところ左右どっちにも同じキーをつけるってやってる人もいるみたいね
まあなんかスマートじゃないし僕ちん的にはそこまでして割りたいんかーいって思いますけどね
それより僕ちゃん今は60%サイズのキーボでイケてるやつがほしいんですわ
日本メーカーにもいくつかあるけどHHKBレイアウトとかいう極まったやつが主流なんで何というかアレでアレよ
僕ちゃんは普通の英語ANSIレイアウトの60%型がいいわ、ってなると海外のグループバイや中国のカスタムブランドが中心になるのね
DIY kitでQMKとかVIAっていう柔軟なキー割り当てができるソフトに対応してるやつならキーが少なめのミニマリズム志向なのでも慣れたら使いこなせると思うんですわ
というかむしろFキー列とかに指を伸ばす必要なくホームポジションが崩れにくくなるから組み合わせキーになるとはいえ中々悪くないんじゃないかって算段よ
そんでスイッチを自分で好みのやつを選べるから海外のYouTuberあたりがアホほどレビューしてる色んなブランドを漁って参考にするわけね
スムーズな感触でいい音がするリニアスイッチにするもよし、丸いひっかかり感がある人気のタクタイルスイッチを見繕うもよしよ
スイッチがついてこないなんて、はんだ付けが必要なんでしょう?と思いきや基盤にホットスワップソケットが装着されてるものがあってズブリと差し込むだけでいいのもあるんですわ
キーキャップもついてこなくてそういうのもキーキャップセットで買おうとすると中々良いお値段がするのもあったりして沼が深いんですわ
さらに音や感触にこだわるなら自分でスイッチ分解して潤滑したりするそれ用の小物類が色々売ってたりして動画もたくさんあるし本当にもうアレなんですわ