はてなキーワード: ベックとは
週刊少年ジャンプ2021年30号掲載の『ONE PIECE』第1017話で、衝撃の事実が明かされた。
それは、12年前、ゴムゴムの実が「政府の船」で「護送」されていた、というものだ。
ここからシャンクスやその他のキャラに繋げて与太話のような考察……というか憶測が飛び交っているが、
ここでは確実に拾える台詞だけを抜き出して、この真意について書き記したいと思う。
[第1話]ONE PIECE - 尾田栄一郎 | 少年ジャンプ+
物語の後半で、赤髪海賊団のベン・ベックマンは、山賊ヒグマにこう言う。
「ウチと一戦やりたきゃ」「軍艦でも引っぱって来るんだな」
軽く読み飛ばしてしまいそうな一言だが、違和感はないだろうか?
一般人の口語であれば、そんな定義を明確にはしないだろう。だが、これは漫画で、作者、(アシスタント)、担当編集、編集長と、複数のファクトチェックが入る。
「軍艦」「戦艦」「艦隊」……いくつもの言い換えができるが、この文脈で言いたいのは「個ではない戦力」のはずだ。
それならば、より攻撃的なイメージを持つ「戦艦」を使うべきではないだろうか。
日本大百科全書(ニッポニカ)では「軍艦」をこう定義している。
“「一つの国の軍隊に属する船舶で、当該国の国籍を有する船舶であることを示す外部標識を掲げ、当該国の政府によって正式に任命されてその氏名が軍務に従事する者の適当な名簿またはこれに相当するものに記載されている士官の指揮下にあり、かつ正規の軍隊の規律に服する乗組員が配置されているもの」”
長ったらしいが、要するに“一つの国の軍隊に属する船舶”を軍艦と呼ぶ、ということだ。
デジタル大辞泉では“海軍の艦艇で、戦闘力をもつものの総称。”とある。
「軍」艦、である。『ONE PIECE』世界を考えるなら、「海軍の戦力」と読むべきだろう。
「うぬぼれるなよ 山賊………!!」
一騎当千の赤髪海賊団(他の四皇と比べて「高い懸賞金アベレージを誇」ると評されている)と
戦うには数が足りない、それなら船でも持ってくるんだな、山賊だけど、という煽りであれば、
なおさら「戦艦」と言うべきだろう。「軍艦」を持ってくることなどできないのだから。
――つまり、ベン・ベックマンは、ヒグマが「軍艦」を「引っぱって来」られることを知っていたのだ。
話は第1017話に戻る。
政府の護送していた、CP9の乗る船で、ゴムゴムの実を護送していた。
行先はマリンフォードか、エニエス・ロビーか、インペルダウンか、マリージョアか。
いずれにせよ、海軍以上の組織の手に渡るはずのものだったのだろう。
ならば、それで終わるだろうか。海賊の襲撃に遭ってロストした、で納得するだろうか?
見せしめとして当時CP9だったフーズ・フーは投獄された。しかし、それは「解決」ではない。
政府直属の諜報機関サイファーポール、あるいは海軍といった組織が、奪還に動かなければおかしい。
ヒグマの懸賞金額は「800万ベリー」だ。また、「56人殺した」と言っている。
つまり、この手配書は偽物だったと見るべきだ。殺したのは、CP9として、だ。
「軍艦を呼べて」「殺人が許されている」……ヒグマはCP9であるとしか思えない。
「ウチと一戦やりたきゃ」「軍艦でも引っぱって来るんだな」
違和感がある。ヒグマがCP9であることを知っていたのなら、「軍艦で来い」と言うはずだ。
「引っぱって来い」……。
海軍から権限を譲渡されたCP9が「軍艦」を「引っぱって来」ることといえば――
つまり、ここの“煽り”というのは、「山賊は戦艦を用意できない」ではなく、
「CP9ですらバスターコールが発令できない」という意味だったのだ。
それは、四皇であるシャンクスに喧嘩を売る以上に、ゴア王国がガープの故郷だからだ。
四皇と海軍の英雄、両方に泥を塗れないだろう、という煽りだったのである。
命だけは助かりたいから? 否。フーズ・フーを見ていれば、お咎めなしにならないことは自明だ。
ゴムゴムの実は、政府が護送するほどに重要な悪魔の実だったのだろう。
来るべき時、来るべき者が口にするために、命を賭してでも――
プライベートなメソッドや関数をテストする必要は無いと考えています。プライベートなメソッドは、実装の詳細であるからです。
ほとんどの場合、プライベート メソッドをテストする必要はありません。 プライベート メソッドは実装の詳細です。
「プライベートメソッドはテストするな」と強く主張されるのは、ケント・ベックの影響もあるかもしれない。
例えばtwitterで、パブリックメソッドにだけテストを書き、テストが必要なほどプライベートメソッドが複雑ならそれを別のオブジェクトに切り出す必要があると発言している(twitter/kentbeck)ように、プライベートメソッドのテストに強く反対している。
またベックの書いたSUnit(xUnitの源流にあたる)には「ひとつのテストをひとつのオブジェクトで表し、それによってテストの独立性を高める」というアイディアが使われている(そのアイディアを実現するためにとても複雑な設計をしている Simple Smalltalk Testing: With Patterns)。テスト自身がひとつのオブジェクトとして独立しているなら、テスト対象となるオブジェクトのプライベートメソッドがテストできないのは当然のことになる。
が問題になる。
テストファーストで開発するなら手を動かしながら軽い気持ちで書きたい。
privateなルーチンの自動テストは面倒だ。実際にコーディングするときは最初publicにしておいてテストしてうまく動いていそうならprivateにするのだけど、この「いそう」がくせ者。いっそのことすべてpublicにしたくなる。
私は元々メソッドはprivateにしない主義なのでメソッドの場合は問題ないのだけれど、ファイル内の「関数」が問題になる。和了点計算だと和了形判定とか符計算とか和了役判定とか単体でテストしたい内部関数が山ほどある。(twitter/koba0367)
private メソッドをテストすべきか問題、原則論だけだと袋小路に入りがちだから、private メソッドをテストしたくなる具体的な場面について議論したほうがいいと思う。
自分がレビューでよく見る例としては、複数の public メソッドの重複部分を private メソッドに抽出した結果、濃い private メソッドと薄い public メソッドが一対多関係になる場合が挙げられる。設計としては間違っていないし、わざわざ public メソッド経由でテストする意義があるかというと微妙。(twitter/ts7i)
きれいなインターフェースを作ろうとすればするほどpublicメソッドじゃない部分に複雑性を追いやることになり、壊れた時に手戻りが大きすぎると思ったら、プライベートにバックドア開けてでもテスト書くようにしてます (twitter/mizchi)
しかしプライベートメソッドに対するテストを書こうとすると大概リフレクションなどで可視性の制限をすり抜けるとかメソッドの可視性を変更するといった回りくどさやコストの導入が必要になるので、じゃあプライベートに対するテストはそうしたコストに見合うのかが問題になる。
伊藤さんの答えは「原則書かないほうがいいという大前提のうえで、どうしてもというときは、"これはテストのためにpublic"にしているというコメントの上でpublicにする」だった。
自分は「テスタビリティのためにメソッドをpublicにする」っていう"実プログラムの挙動を変えること"の方が、「privateなメソッドをテストコードのみsendで叩く」よりも怖いって思ってることに気がついた。(twitter/highwide)
単体テストがホワイトボックステストだとするなら、publicかprivateかでテストの有無が変わるのは明らかにおかしいだろ。ややこしいロジックはprivateに隠蔽すべきだが、そこがテストできないなんて。 (twitter/kmaebashi)
private メソッドをテストするかどうか? まず最初に言っておきたいのは public/private は抽象の設計の問題であって、テストすべきかどうかとは当然無関係だろうということ。(twitter/qeigoi)
特定の言語の貧弱な機能に思考が制限を受けて誤った結論を出している典型的な例。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4684049296462116226/comment/megumin1
テストの粒度とメソッドのアクセス権は独立したものなので、「プライベートメソッドをテストすべきか否か」という切り方自体がナンセンスではあるのだが、現実問題としてはアクセス権がテストに影響するので難しい。(twitter/AoiMoe)
private メソッドのテストはすべきかどうかというより、「できるべき」であって、それができないというのも、ある種、言語機能とテストのインピーダンスミスマッチと言えるのではないだろうか、と思っている。(twitter/aetos382)
RustやGoではプライベートメソッドに対するテストが簡単にできる。
そのためかプライベートメソッドをテストすることに対して拒否反応があまりないようだ。
Rustのテストはファイル内とtests/以下の2箇所に書ける。
テストには開発用のホワイトボックステストと仕様確認用のブラックボックステストがあり、前者をファイル内に、後者をtests/に書けば良い。
例えば度々議論になるプライベート関数のテストについてはもちろんホワイトボックステスト。(twitter/blackenedgold)
Rustではプライベートに対して何の手間もなくテストが書ける。
Rustでprivateなメソッドのテストを書きたいなら、そのメソッドのすぐ隣に書けば内部アクセスになるから普通に書けるよ、ってのは目からウロコだった。できるだけ近いところにテストを書こうっていう文化と相まって最高。(twitter/kuy)
Rust のようにユニットテストをプロダクションに混ぜる方式はおれもいいと思ってて、テストとプロダクションを分離することで private 関数のテストができない問題があるけど(テストしたければクラスを分けよ/メソッドを公開せよ/テスト必要なし、に分かれるよね)、そもそもこの議論が不要になるよね (twitter/nunulk)
昨日「private method の単体テストは書くか否か」という話題がちょいとあったのだが、わしは当然書く感じの昨今を送ってきたもんで何で書かんのやくらいに思ってたんだけど、Go だと private なやつのテストが書きやすいってのがデカそう。(twitter/pankona)
golangのテスト書いてたけど、テストプログラムの名前空間(パッケージ)が、対象のプログラムと一緒で、そのためプライベートメソッドでもテストできるの良い感じ (twitter/74th)
Goのテストコード、テスト対象と同じパッケージにすればエクスポートしてない関数でもなんでもテストコードから参照できるんだけど、これってプライベートメソッドはテストすべきか議論するよりテスト書けと言われているようで好き。(twitter/plan9user)
「プライベートメソッドをテストするか?」とは別に「ドキュメントをソースコードと同じファイルに書いていい(文芸的プログラミング)なら、単体テストをテスト対象と同じファイルに書いてもいいのでは?」というのも論点になるかもしれない。
https://www.jiji.com/sp/article?k=2020061300301&g=int
問題の条文は3条3項で、性別や信仰などと共に、人種に基づく差別禁止をうたっている。削除を提案したのは野党・緑の党。ハーベック共同党首ら幹部2人は9日の独紙ターゲス・ツァイトゥング(電子版)への寄稿で、人種の概念は人をカテゴリー分けするもので、憲法の精神にそぐわないと主張。「人種はない。あるのは人間だけだ」と訴えた。
気つかされた。
人種を区別してそれぞれの間で、やれ何人が金持ちだ、やれ何人が少ないなど競い合ってきた。
俺らが抱いている苦しみや痛みだとかってのがどれほどか分かってるか?
こっちは、常に悩みや苦悩を抱えて懸命に生きてんだよ。
にもかかわらず、俺より大したことない大学行ってた奴や、高卒の奴らは普通に可愛い子と結婚したりして幸せそうにしてる。
こんな世の中の、どこがまともなのか教えてくれよ。
俺の方が18歳時点では学力が高かった。
にもかかわらず、就職活動の時は高卒以下の扱いを受け最後は無職になった。
36つったって俺にもプライドがある。
やりたい事とできる事の一致を探しているが 日本はそれができないようになってる酷い国。
俺が社会学で学んだ量的調査、質的調査、都市社会学、サブカルチャー論、労働問題、家族社会学、ジェンダー、民主主義、人権問題、更には、マルクスやヴェーバー、デュルケム、ギデンズ、ベック、ルーマン、パーソンズは全て無意味だってことか?
22か23で人生の選択を迫り、「働かない奴は死ね」だとかいう社会は全くもっておかしい。
しっかりと自分のペースで人生を歩めるような、福祉国家に日本は転換すべきだ。
俺より低学歴の高卒やただの学士の連中が普通に働いて結婚して幸せそうになったりしてるのにどうして俺だけがこんな目にあわなきゃならないのか、心底分からない。
俺より低学歴の上司に「電話も取らない」だとか説教されて、辞めてやったんだよ。
「君は、どうして電話も取らないの。他のみんなは積極的に取ってるのに。○大学まで出てるのにさ」
↑
最後の言葉でブチぎれて「こんな会社なんか俺のいるところじゃないんだよ」って辞めてやったんだよ?それ以降、引きこもり状態が続いてもう10年近い。俺が悪いのか?これ
電話取るのが面倒だし、上の奴らがやればいいだろ。声も聞き取れなかったりするし、嫌なんだよ
電話だけじゃない。
修士まで出てるのに、新入社員ということでテーブル拭いたりだとか、そういう雑用をやらされた。
どっか物運んだりとかも。
許せるか?
ポスドクでその道が絶たれた以上、今はやりたい事すら分からない。
ただ、漠然とあるのは「俺はイチローや将棋の藤井くん、スケートの羽生くんみたいな生き方をしたい」という思いだけはある。
試用期間で追い出された経緯をしっかりと説明する。
上司に呼び出されて「君は毎回電話も取ろうとしないし、声もボソボソだし、笑顔もしようとしない。掃除のおばさんが来ても、みんな挨拶して「ありがとうございます」って言うのに君は作業に没頭してそういうのも全くしない。人としてどうなの」って言われた。
だから、俺は「なんで僕は上位大学出てるのに、外部委託してて清掃なんかしてるような人に挨拶しないといけないんですか」って反論したんだよ。
あれ以降、上司も同僚も誰も俺のことを取り合ってくれないし、ろくに業務も振られなくなってる。
会社全体が俺のことを目の敵にするような雰囲気にすらなってた。
これ俺間違ってるのか?
教えてくれよ
俺は社会学専攻しているから分かるが、社会学の講義では「日本社会は世界的にも、人権的にも、民主主義的に劣っている。弱者に厳しい社会だ」って論調だったんだが「社会のせいに」してるんじゃない。
主任にしろ、係長にしろ、俺は資料作りしてたけど、毎度のごとく赤ペンでチェックが入ったりしてた。俺の方が学歴は高いし、学力もあり、大学の成績も良かったのにどうしてそんな奴らに、毎回俺が作った資料が赤ペンでやり直しさせられなきゃならないんだよ。これ見れば、あんたらだって俺が不当な扱いを受けたって分かるだろ?
遠い昔の記憶だが、思い出した。
こんな人格否定みたいなことを、平然と俺に言った上司のどこが優しいか教えてくれ。
・あなたの文章は、他部署の人へ配慮が全く足りない。他部署の人も、あなたと同じ専門知識を持ってる前提で書いてはダメ。
・大学の論文みたいな文章を、会社に持ってくるのはやめなさい。ああいうのは、本当の文章能力とは言わない。
・本当のコミュニケーション力とは、相手に分かりやすく、説明、書ける能力のことをいう。
このスレにサラリーマンやっている人がいたら聞きたいんだがこんな奴の言うことが、本当に正しいと思うか?
「あなたのデータ見てるけど、どうして不必要なところまで非表示にしたり消さないのか分からない。残していると相手が混乱するし、自分もミスしたりするでしょ」
「フォントを揃えなさい」
「セルの書式設定だけだと、見かけ上だけで小数点は切り上げされてないから、round関数を使いなさい。書式設定だけではダメ」
一々一、細かいところまで指示してきた覚えがある。あんたら、納得できるか?
こんな細かいところまで指摘されるのに。
エーアイとか自動運転とか介護とかの意識高い話題だと「ハードに強い日本の可能性」とか「ハードが進化した今なら行ける」とか「低賃金でも単純な/複雑な仕事ならエーアイ導入の余地がある」とか平気で言うオジサンがいるんだよな
追記:
初めに書いたように、これは自称IT詳しい人が理解できない表現ではない。認めたがらない表現なのだ。
「自動化しやすい高度に精神的なタスクAが自動化されました。次に自動化されるのは自動化しやすい高度に精神的なタスクBと、単純な肉体労働タスクCのどちらですか」という質問を投げかけると、詳しいオジサンAは「高度に精神的なタスクBである」と正しく回答する。
これは人が理解できない表現ではない。認めたがらない表現なのだ。
そして「容易なタスクが自動化されるのは、困難と考えられている故である。機械は困難に挑戦するが、容易はいつでも攻略できるのだ」というストーリーに逃げる。逃げ込む。「われわれが容易と考えている日常タスクは、実は高度である」という認識を持つことは、非常に多くの人にとっておそらくは苦痛なのだ。
だからどうした。われわれに残されるのは安い肉体労働である。われわれの価値判断基準と、機械にとっての高度さの基準が全く直行だか逆行だかしていることがいくら不快であろうと、事実が変わることはないのだ。
ばーか。
昔の格言か何かで、『戦略レベルのミスは戦術レベルでは取り返せない』というのがある。
確かに、近年電機業界で大きな損失を出した会社を見てみると、この戦略レベルのミスが非常に目立っておりなるほどなと思う。
プラズマディスプレイに社運をかけて大赤字を出したPanasonicやPioneer、巨額の開発費をCell Processorに投資して爆死したSONY、Westinghouseの買収でやらかした東芝等。
ところが、最近増田で話題のNECを調べてみると、こうした会社とは不振の状況が違うように思えてきた。
なんというか各事業で競争力を失って徐々に敗退していくというような。言い換えれば戦術レベルの敗北を繰り返してじり貧になったとでもいうか。
昔半導体がらみの仕事をしていてNECの事業所にも出入りしていたことがあり、個人的にも興味があったので歴史を少しまとめてみた。
なお、この記事を書くのに参考にしたのは下記NECのIRで、1990年からの業績データと、1995年からの会社紹介資料が閲覧可能。
https://jpn.nec.com/ir/index.html
1999年 半導体メモリ事業を日立と統合して分社化。後のエルピーダメモリ。2012年に経営破綻。
2000年 家電部門のNECホームエレクトロニクス事業停止。
2001年 有機EL事業をサムスンSDIと合弁化。2004年に有機EL事業から撤退。
2004年 プラズマディスプレイ事業をパイオニアに売却。
2010年 半導体子会社のNECエレクトロニクスをルネサステクノロジと統合。半導体事業から事実上撤退。
2011年 液晶事業を天馬グループとの合弁化。2016年に完全売却。
1991年 NECの研究員だった飯島澄男がカーボンナノチューブを発見
2001年 スーパーコンピューター地球シミュレーターが世界一の性能を発揮
2001年 2000年度3月期決算で過去最高の売り上げ5兆4000億円達成。 ※バブル期の1990年度でも3兆7000億円程度。この時期までは比較的うまく経営ができていたと思われる。
NECに出入りしていたころに思ったが半導体事業部に新卒で入った社員は大体優秀かつ深夜残業休出当たり前なモーレツリーマンだった。
設備投資も研究開発費も年間3000億円コンスタントに投資しており、今の水準で考えても少ないことはなさそう。
しかも20世紀終わりから21世紀にかけて爆発的に伸びた情報通信産業に社内のリソースを集中してて、バックに住友財閥もついている。
会社の置かれた状況を考えると韓国のサムスン電子や中国のHuaweiみたいに、今でも世界を席巻できていただろうに。マジでどうしてこうなった…
当時気になったのは本業と関係ない関連会社が異様に多いことぐらい。(不動産のNECファシリティーズ、運送業のNECロジスティクス、食堂運営のNECライベックス、企業研修のNECラーニング等)
どうでもいいけど最近のスローガンのOrchestrating a brighter worldってのはマジで意味不明。迷走ぶりを象徴している。
http://b.hatena.ne.jp/entry/gendai.ismedia.jp/articles/-/54373
「医療大麻」に対する肯定的な反応が多いが、どのようなものをイメージしているだろうか?
医療大麻Medical Cannabisと言った場合、ほとんどは飲み薬や注射ではなく、大麻草に火を付けて煙を吸入するものを指す。英語で検索すれば分かるだろう。上の記事中で言及されている大塚のサティベックスは「大麻から作られた薬」であり、医療大麻ではないのだ。
つまり嗜好品として吸われる大麻と医療大麻は大麻草の品種が違うぐらいで、実質的な差はほとんど無い。大麻製剤ではなく医療大麻解禁を求めている連中はまず下心があると思っていい。
大麻に医療上有効な成分が含まれるのは間違いないが、だからといって「医療大麻」が医療上有効ということにはならない。カテキンやポリフェノールが健康にいいからと言って、茶やワインが健康にいいとは限らないのと同じだ。十分な量を摂取できないし、余計なものをいろいろ取り込んでしまう。
THCはいわゆる麻薬で、鎮痛・吐き気止め・食欲増進などの効果がある。ただし効果が不安定で副作用が大きく、目的に反して痛覚が鋭敏になったり吐き気を増幅したりする場合もあるため使いづらい。他の鎮痛剤や医療用麻薬の効き目が悪い患者用としての需要はあるので、無意味というわけではないが。
CBDは麻薬ではなく、依存性もハイになったりもしない。てんかんの治療に使えるとか、抗がん剤の作用を増幅するとかいった効果があるようで、それなりに有望な成分だ。
ただし大麻やTHCと違って、CBDを薬として使用することは今の日本でも禁じられていない。CBDに期待するからといって、医療大麻解禁などを訴える必要は無いのだ。
嫁とケンカしてて、
確かに当てはまる事が多いけど、
その人たちのゴールって「自己愛」なんでしょ?
でもどうすりゃいいのかと「191自己愛性人格障害の自己治療と自覚を促す資料(http://mora110.blog.fc2.com/blog-entry-191.html)を読んだけど、
これって幸せになれるのかな…?
ーーーーー
・意地悪しない →当たり前。しない。
・悪口、陰口、告げ口言わない →これもしない。してないつもり。
・自惚れない →それほど自信ない。
・見下さない、駄目出ししない、こき下ろさない →これはダメ出し(問題点の抽出)も禁止なの?ある程度必要でしょ?問題解決のために。悪意は抜きで。
・他人の不幸を喜ばない →前に進まないのでやらないし。
・頑張り過ぎない →これはやり過ぎてるのかもと思ってハードル下げてる。
・物事を勝ち負けや優劣に絡めない →全部じゃないけど絡むのはどうするの?
・他人の欠点を探さない →探した訳じゃなく、ここが原因で揉めてる時はどうするの?
・相手や状況によって態度を変えすぎない →それは卑怯だしズルいのでやらない。やってないつもり。
・人のせい、世の中のせいにしない →それをすると解決しない。
自己愛行動心得
・他人の成功や長所で一緒に喜べるようにする →はい。そのつもり。
・「仕方がない」、「ま、いっか」、「人それぞれか」を前向きに口癖にする →それでは済まない時にどうするの?解決しないよ?
・自分の欠点を認めて笑えるようになる(逆に他人の欠点は笑わない) →コンプレックス自覚して笑ってるつもり。他人の笑うのは人間じゃないでしょ。
・『本心から』他人を褒めれるようになる →そうじゃなきゃ言わないよ。逆に嘘でも誉めるなら分かる。
・目に見える利益のない人間とも付き合ってみる(自己愛にとってそれ自体が利益です) →何が利益なのかが明示されてない。(まぁ損得勘定で付き合ってないのですが)
・人に何かしてもらったら感謝する、その感謝の気持ちをいつまでも持つ →普通に感謝もするけど、いつまでもって、どんだけ気を張って意識し続けなきゃいけないんだよ?!と。
・平凡であれ。平凡なことは大きな喜びとなりうる。 →上を目指すなってことじゃなくて、劣等感に支配されるなと受け取ろう。
・人と同じように、人間的に生きることは可能だ。しかも独自性を残したままで。 →アイデンティティーてヤツね。
・チームプレイをすると報われる。 →したいけど、できないチームもある。がんばる。
・いつももっとよくならねばではなく、人と同じでよい。そこに喜びがある。 →他人と同じって大量に変なの作る気か?と思わず、そこそこで幸せって思うことにする。わかった。
・一時の賞賛より、他人から長く尊敬されることをめざそう。 →直前↑のと逆のこと言ってないか?
・自分だけでなく他の人も大切な要望や意見を持っている。 →当たり前。そこを思って揉めてる。
・誰もが何か秀でたものを持っている。 →で、何がしたい(療法てなに?)
・自分の気分に責任を持つようにしよう。人の評価によって気分を左右
されるなら評価に頼っていることになり、抑制不能になってしまう。
→上の「他人から長く尊敬される…」てのは目指せ!で、こっちは強い心で他人の評価を気にするな!ってことなのかな?
ーーーーー
うー。まぁ、なんとかなるのかな。
これ読んでて相手が「物言わぬ」方のタイプなのかな?と思った。
沼が深い。
実はホントに苦しいし、なんとかしたいのだけれど。助けて。
雨降りそうだから1ヶ月ぶりに早めに帰った
帰る途中では雨はぽつぽつだったからよかった
塀の上で猫がしきりに顔あらってたけど、雨ぽつぽつ降ってるんだからあらってもあらってもしょうがないだろうに・・・と思った
かもしだの被害者にはなしをきいて杏と喫茶店でデートもとい話をした
まあそっちのほうがラクでいいけど
なんかコミュがイゴールと友人のやつGETして戦闘中にできる操作が増えたけどめんどくせえ・・・
かもしだパレスでの認知の水着?下着?の杏、スマホのカメラで写真とってしまった・・・
でも自由行動の余地がないポチポチ、たまに操作が続くと、PS4で座って操作するのがかなりタルくかんじる・・・
なのでvitaでのリモプをはじめて試してみた
一度設定からネットワーク接続テストしたあと、結局「みつかりませんでした番号を入力してくだしあ」って出たからそれ入れたらすんなりつながった
なんだよもう
p5 vita版でてほしいと思ってたけどリモプできるなら十分だわ
vita1年前にかってps4を1ヶ月前に買って、ps4ばっかやってたけど、それはせっかくps4買ったし、いっしょにかったグラビティデイズとかバイオも大画面でやったほうがよさそうだったし、ってことでps4実機でやってたんだ
でもペルソナレベルのアクション性低くて寝転んでやりたくなるやつはリモプ最高だわ!