はてなキーワード: ビュッフェとは
新宿区で生まれ、その後は23区外に引っ越したが、ずっと東京都内から出たことはなかった。
小学校受験をし、私立の小学校を卒業し、そのまま中学受験をして、いわゆる御三家に合格し、中高一貫の女子校を卒業した。
まさかそこでここまで大きなカルチャーショックを受けるとは思っていなかった。
私は自分がいかに世間知らずだったかということを全く知らなかった。
まず、初めに、医学部生同士での「親って医者なの?」という会話に驚いた。
喉元まで出かかって飲み込んだ。
私の周りの医学部志望生は、7〜8割は親が医者であり、親が医者であるかどうかを確認する文化がなかった。また、親が医者でなかろうと、会社の社長だの外交官だのばかりなので、「あ、そうなんだ。」くらいで終わりだったのであるが、ここでは違った。
非常に面食らった。
まず今までの人生で親の所得の話になったことが一切なかったことに気がついた。
なんとなくタブーのような、下品なような、お金の話をするという文化が存在しなかったし、他人を「金持ちだから羨む」という人に初めて出会った。
そして気がついてしまった。私が今まで通ってきた道は、『子供の教育費に月7-8万の学費を払い、かつ年100万近くかかる塾に通わせることのできる所得の親を持つ人間しかいない世界』であったということに。
加えていうと中高一貫の女子校ではバイトが禁止されていた。(している人は一人もいなかった。)
私自身小4〜6まで塾に通い、高2〜浪人1年間もまるまる予備校通いをしている。
かかった学費のことを親は何も言わない。
「医学部に受かってよかった。」
それだけである。
またさらにびっくりしたのが、
どこかに遊びに行こう!となった時に
と言われたことだ。
「お金がない」という理由を遊ぶ時に持ち出すという文化に触れてこなかったように思う。
遊ぶ時にかかるお金は、その思い出に対して支払うものであり、いくらになろうと楽しければ構わないし、やりたいことをしてきたと思う。(というと高級ホテルでランチビュッフェに行きまくっていたかのような印象だがそういう意味ではない。)
遊びたい時に、「何をしたいか」ではなく「予算」が先に来る文化。
そんな文化があることも知らなかった。
というかむしろ、うちの親は常に「うちは開業医でもないし貧乏だから節約しないと」と言っていたので、私はどっちかというと貧乏なんだな。と思って生きてきていたのである。
現にユニクロ大好きだし、特売も大好きだし、ポイントカードもめちゃくちゃ持っていて端からポイントを貯めている。
田舎とはいえ、本気の田舎では多分ないのだろうが、はっきり言って今の暮らしは本当に耐えられない。
友達と遊ぶ時はテレビか雑誌で特集していた店に行き、大きくなってからは食べログの評価が高い店を探し、予備校終わりに疲れたら伊勢丹に寄って化粧品を買ったり、ルミネセールで爆買いしてみたり。
レビューがなさすぎることで、食べログで店を探すことがこんなに困難になるとは知らなかった。
地方都市なんだからデパートくらいあるでしょうというが、私は新宿伊勢丹で先行発売の化粧品を、エムアイカードのポイント10%還元を利用して購入したいのであり、そのついでにフェラガモの靴を物色したり、グッチの新作にケチつけたりしたいのである。
前にトリーバーチの靴(一番スタンダードな、黒の革靴に金のトリーバーチのロゴが大きく付いているやつ)を飲み会に履いて行ったら、「その靴イトーヨーカドーで売ってるみたいだなww」と男子に言われて本当に驚いた記憶がある。
他人の持ち物(しかも靴などという少しこだわっていそうなもの)を平然とけなす神経と、トリーバーチすら知らないということに対する、二重の驚きである。
地元でずっと一番で、県で一番の高校を出て、この医学部に入ってきていた。
小さい頃からずっと「頭いいね!」「すごいね!」と言われ続けて、ピノキオみたいに鼻が伸びて育ってきている子ばかりなのだ。
何か言えば尊敬され、常にリーダー格として君臨してきた人たちばかりなのだ。
でも私は知っている。
たかだか地方の医学部に、賢い人間なんていないのだ。本当に賢い人は、理三だの、ハーバードだの、そういうところにいるのであり、
医者になるとか、ならないとか、そんな次元のところにはいない。
私たちはちょっとだけ努力するのが上手だったか、ちょっとだけ記憶力が良かっただけなのだ。
夜になると一人暮らしの部屋で本当に世界から取り残されたような気持ちになる。
私が今まで「当たり前」だと思ってきたことは、当たり前ではなかったのだと思う。
うちの親が「危ないから、事故った時に死なないように、強度のある車を」と言ってくれたから乗っている車でも、「目立つこと」の方が悪なのだ。
「昨日、コンビニにいたね」
いちゃダメなんだろうか。どこで何してもいいでしょう。万引きしてるわけじゃないんだから。
東京は、何をしてもいい。
何をしても、誰も何も言わない。
近くに住んでいても、知り合いに会うこともない。
早く卒業したい。
早く東京に帰りたい。
生まれ育った土地が自分には一番合っているというだけなのに、田舎と東京の話に置き換えている私はきっと性格が良くないのだと思う。
だからこっそり、ここに書く。
職場での事で、吐き出したいことがある
みじめで知ってる人には話せないからここに書くことにする
私は入社6年目の26歳の女で、
私はブスで、協調性もなくて要領が悪い
たまに外見や性格をいじられたり、陰口言われたりしていたけど
退職したいっていうほどでもなかった
いまだに忘れられずに引きずっているのでここに吐き出させてほしい
ワンボックスに7人、プリウスに4人乗ることになり私はプリウスに乗った
私は相槌を打ったり笑う程度で、あまりしゃべらず目立たないようにしていた
途中で昼食を取った後、駐車場でたばこをふかしながら部長と若手数人が
私のほうをちらちら見ながら何やら話をしていた
よく聞き取れなかったが、
「クニちゃんが…」
とか話しているのが聞こえた
私が、「クニちゃんって誰だろう?」と近くにいた男性社員に聞くと、
いや~、何でしょうねって濁された
社内では部長と男性社員がまたさっきのクニちゃんの話の続きをはじめた
何の話かよくわからないので、会話を聞きながらとりあえずニコニコしていた
部長がクニちゃんまじブスだとか、クニちゃんとヤれる?とか言っていた
専務は相槌打ちながらニヤニヤ笑っていた
話の内容が社内の人間の話なんだけど、クニちゃんがいったい誰なのかわからない
山田邦子の画像が一番上に出てきて、あ、これ私の話だって思った
私は顎変形症でアゴが出ているから、山田邦子に似ている=クニちゃんらしい
クニちゃんを口に入れろとか、クニちゃんにク〇二しろって言っていた
ヒュッと背筋が寒くなり、私は笑うことをやめて押し黙ってしまった
車内に重苦しい変な沈黙が流れ、さすがにヤバいと思ったのか部長が口をつぐんだ
もう恥ずかしくてみじめで死にたかった
社員旅行で、私は何もしていないのに何でこんなこと言われなきゃいけないんだろう
ジョッキをいくつも抱えてテーブルに戻ると、
ニヤニヤ笑いながらみんなが私を見ていた
席を離れている間に皆が何を話しているのか怖かった
次の日も一日こんな感じだった
水族館に行った後、外のベンチに座って皆で佐世保バーガーを食べた
人慣れしている鳩が、ハンバーガーのおこぼれをもらおうとたくさん寄ってきた
「お前、鳥好きだよな?」って聞かれた
部長や男性社員達が鳩に向かって「クニちゃんおいで~餌だぞ~w」と呼び掛け鳩を追いまわし、げらげら笑い転げていた
専務がお前と鳩を写真に撮ってやるからこっちにこい、ポーズを取れとスマホのカメラを向けながら言ってきた
嫌だとかたくなに断ったら、ノリが悪いとキレられた
何故か皆に睨まれた
もう愛想笑いも出来なかった
私一人だけお通夜のような顔をしていた
この年になってこんな思いするは思わなかった
来月職場に復帰予定なんだけど、この時の出来事を毎日思い出しては憂鬱になっている
好きでブスに生まれたんじゃない
ふっこう割使ったところ:
使った期間:
1位→9000円クーポン(18000円以上の2人以上の宿泊で利用可能)
2位→3000円クーポン(6000円以上の1人以上の宿泊で利用可能)
3位→6000円クーポン(12000円以上の2人以上の宿泊で利用可能)
次点→じゃらん遊びクーポン2000円(5000円以上の遊びで利用利用可能)
遊びクーポンは宿泊じゃないけどホテルのランチビュッフェでも利用できたのが良かった。
■感想
ふっこう割が3月末で終わってしまうので、使ってみた。
あの地震があった9月のあと、観光地の宿でキャンセルが相次ぎ軒並み安くなった。地震の被害がひどかったのは一部で、他は全道的に停電があったのみ。流通もだいたいすぐに戻ったし。
何度かいったことのある温泉地や普段は高くて留まれないラグジュアリーな宿までいろいろ。元々行く予定だったところもある。
10月~12月は20000円、12000円のクーポンで部屋のグレードあげたりした。
1月~3月はお金を使いすぎたのとふっこう割を当て込んでるのか宿の宿泊代が軒並み例年より高めになってたので9000円を使ってたな。
https://anond.hatelabo.jp/20190110103127
喋るのダメ!だけじゃなくて、
展示室では「壁沿いに行列作って順番に絵を見るもの」だと思ってる人がいて困る。
(定員数のある体験系の展示や、モナリザみたいに1作品に大人数が集中している場合は順番の意識も必要だけれども)
監視員の人が「列を作らないでください。鑑賞の順番はございません。お好きな作品からご覧ください。」って声かけしてても、なぜか順番に見ようとするのね。
監視員の人も大々的に絶えず言ってるじゃないから全員に伝わってないのかもしれないが。
展示室の入り口すぐ〜3つめぐらいまでの絵が混んでて、あとはガラガラ...とかが多い。並んでるだけで目の前の絵見てなかったりとか。
庭園美術館とか横浜美術館の、メジャーどころ(印象派とか)の展示にそういう人が多い印象。
(関係ないが、ビュッフェとかでもぐるっと並ぶ人いるけど、あれ無駄じゃない?全員が全種類を取って食べるわけじゃないのに...)
以前、展示室入ってすぐに空いている奥のものを見に行ったところ、年配の方から「抜かさないでちゃんと並んで!非常識!!」って言われた。
「私は美大卒ですが今までそんなルールは聞いたことがありません。監視員さんに確認されましたか?」って言ったら「!!(プイッ)」だったけど。
※一応書いておくけど、展示全体を逆走したりしたわけじゃなくて、いちエリアである展示"室"の話ね。
わけわかんないルール押し付けてくる人には「美大卒ですが」ってつけるとだいたい黙らせられる。
そんな風に肩書きを使うのは悲しいけど(美大卒なのは事実)、年配の方に対して「私はあなたよりも多くの展示を経験しています」と暗に伝えるためには致し方ないのかなとも思う。くだらねえ予防線ですまぬ。(にわかは来るな!美術好きしか展示を見るな!と思っているわけではないことを強くお伝えしたい)
ちなみに一番人が少なくてみんな自由に作品を見てる、かつ他人の動きが気にならないのは東京都現代美術館。あまりに人が少なくて、しかも美術関係者しかいなくてびびるけど、素敵な美術館なのでおすすめしたい。ツブレナイデーーーー(追記:今リニューアル中だけど3月に再OPENするよ!)
いつ行っても空いてるし、あの作品をもう一度見たいぞ!ってスタスタ逆走している人がいたりとか。(空いてるので全く邪魔になりません)
わいわい話しながら歩いてきた二人組がこちらの存在に気付いてスッと黙ったりトーンを落とすこともあるけど、それって別に「美術館ではしゃべっちゃだめ」って思ってるわけじゃなくて「作品に集中している誰かを邪魔しないため」に過ぎない。
あ、地中美術館とかだと、タレル部屋のベンチでだらだらおしゃべりしているだけの観光客とかがいて、それは流石に不快...作品鑑賞しないならカフェ行ってくれ!って思う。(監視員さんが注意してた。GJ!)
あと、「変な解説つけてる奴ww」って言ってる人がも多いけど、私はあれ逆に好き。
作者の経歴とか作品の年代間違っちゃってるのはまあ資料見てるわけじゃないからしゃーないよねって思うのと、作者の意図と受け手の感じ方の"齟齬"がアートの面白い部分だと思ってるから、その人の解釈なんだな〜程度に思って聞き流してる。
作者はエロティックな表現をしているつもりでも、見る側にとってはプラトニックに感じられたり、その逆とか。
私はこう思ったけど、あなたはこうなんだ!みたいな会話が楽しい。映画もそうだけど、見終わった後の感想戦が一番好きかもしんない。
いろんな解釈が生まれるてくるからこそ作品鑑賞って楽しいよね!逆に"ただひとつの解釈の正解"があったら、ここまでアートは存続しなかったと思う。
ラジオ「Session-22」書き起こし。https://www.tbsradio.jp/319359
"大学生のデート経験率は過去最低" 草食化とも報道された「青少年の性行動全国調査」その結果から読み取れる本当に大事な事とは?
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荻上:
今回、データから見えてくるものと、それを解釈するために社会の外側の変化を見ていくもの、まぁいろんなやり方があるんですけれども、今回取った調査の中で、例えばそのセックスをしなくなってきている、より厳密に言うと若いうちにセックスを経験するという人が減っている、ということの要因として何かピックアップできるようなものはあったりするんでしょうか?
永田:
ちょっとまず丁寧に行きたいのが、「分極化」なので若いうちに経験する人はまぁいます、一定数。しかしながら遅く経験する人がそれを上回る勢いで増えているので、結果として低下傾向にあるっていうことになるっていうのが分極化ですよね。
荻上:
はい。
永田:
それを踏まえて、経験しないっていう理由としてなんなのかっていうことを考えてみた場合に、今までの議論だとリスク化っていうことが言われてたんです。
そのリスク化っていうのはどういうことなのかっていうと、例えば妊娠するのが怖いとか、感染症が不安だとか、そういう風な事をまあ根拠なんじゃないのかっていう風に言われていてるんですけども、ちょっと今回調査で見えてくるところは、それだけではちょっとうまく説明できないのかなっていう風に言われているところではあります。
それに代わる理由として、相手がいないとかね、早すぎるとかね、あるいは特に理由がないとかね、そういうのが割と性交を経験してこなかった理由として、上の方に挙がっているんですけど、面白いのは「(性交の)相手がいない」っていう風に答えている人のうち、現在付き合っている人がいるのに「相手がいない」って答える人が大学生で40%、大学生で30.8%(注:聞き取った結果ママ)。
荻上:
うーん、なるほど。
永田:
南部:
定義が違う、ってことですか?
荻上:
ネット上とかで言われてる「自分非モテだから」とかじゃなくて、何か別の定義で「相手がいない」と言う人が増えている、と。
永田:
荻上:
あるいは、まだその年齢ではないからというような、まだ大人じゃないから、みたいな、そうした理由を挙げる方もいますよね。
永田:
結婚でも結構そうで「今付き合ってる相手いて、結婚したいなと思ってるけど、でもちょっとまだ結婚は……」ってよく聞くでしょ?(笑)それに置き換えてイメージすると割と分かる。
南部:
そうかぁ。
永田:
ちょっと古い価値観で言ったら、交際している相手がいて、25、6になったんだったらもう結婚するだろうっていう価値観で、ある時期の日本って動いていたんだけれども、もうそうじゃなくなってきて、別に付き合っているからといって、あるいはある程度の年齢になったからといって即、結婚するとは限らないと。
荻上:
ふーん。
永田:
で、その構図が今度は恋愛にも持ち込まれているっていう風な状況かなっていう風に見ることができるかなと思いますよね。
荻上:
平均が何回のデートかってのは分かりませんけれども、たとえばまぁ10回くらいデートしたらそろそろ行く場所もなくなってきて、でも一方で親密さは深まってきて、そろそろじゃない?みたいな印象があるかもしれないけれども、別に今たとえばチョイスはたくさんあるわけですし、なおかつ、しなくても楽しいんだったらそのままの関係で継続できるということだって当然あるわけなんですよね。
ある意味ではセックス至上主義、セックスがゴールとかではない、みたいな感覚が緩やかにある人たちも増えてるということなんでしょうかね?
永田:
そういう流れかなっていう、それがその新しい世代の考え方なのかなという風には思います。
面白いのが「大人になるために必要な事って何ですか」っていうことに対して、性交経験があるっていうことを答えた人は結構少ないですね。
荻上:
はい。
永田:
そうではなくて経済的に自立をしているとか、あるいは親から自立しているとか、そういうところをやっぱり挙げる人がかなり多くて、何て言うのかなその、恋愛しました、性交します、っていう手前のところに、もっと経済的に自立しようとか、しっかりした人間になってからそういう風なステップに行こうっていう風な考え方が挟まってるっていう風な状況として見ることができるんじゃないか、っていうのが今のとこの見立てですね。
荻上:
なるほど。
大人になるには「やらなきゃね」みたいな価値観って、だんだん後退していると。
逆に今あの気になったのが、例えば80年代90年代は学生も親の財力などで今の若者たちよりも余裕があったと思うんですね、経済的な。
となると、むしろそういったものにアクセスするための期待値みたいなものだけが維持されている結果、働いて自立しなければセックスとか結婚ってしちゃいけないものだという風になっているのかどうか、この辺りはどうでしょうか?
永田:
性交に対する価値自体が減じているわけではないとは思います。それはやっぱりすごくいいものとして、まぁ結婚と同じですけど、キープされていて、大事なものであるからこそ、しっかり準備が整って相手との関係に確信を持ててからそっちに行きたいと。
それが確信持てないような相手だったら、別にあの最終的に性交に至らなくてもいいし、交際しなくてもいいっていう風な基準になってきているっていうことかなっていう風に思いますよね。
荻上:
ということは恋愛とかセックスに対するある種の価値観、ポジティブさというのは変わらないのが上昇してるのが減少してるのか……
永田:
そうですね、性交の理由を聞いた時に、なぜ性交に踏み切ったのかっていうこと考えて、古い考え方だと「なんか恥ずかしいから」とか「経験したいと思ったから」とか、そういうのが多いかなって感じなんですけど、結構前の調査からそうなんですが、やっぱり「相手のことが好きだったから」とか「愛があるから」とか、それがやっぱり大きいんですよ。
愛と性と交際みたいなものの一体感みたいなものは失われてはいないということだろうなという風に思います。
それは結婚もそうで、性と愛と生殖が三位一体だっていうのって、ずっと前から指摘されてることなんですけど、なかなかこれ三つはバラバラになりにくいと。
それと同じような感じで恋愛においても愛情と性行動と「モノガミー規範」って言いますけれど「一対一で付き合っている」っていう風なことを大事に思うっていうことは、これは分かちがたく結びついているということだろうなと思いますよね。
荻上:
そのあたりは結構不思議で、僕は例えば分極化していくのであれば、そのモノガミー規範が弱まっていく、つまり一人が複数の人と恋愛していても合意してあればいいじゃないかであるとか、あるいはそのセックスをしているっていうことに対してわざわざ人に言わなくてもいいし、そうしたコミュニケーションを取らなくてもいいじゃないかとか、あるいは「この人とはセックスだけ」「この人とは恋愛まで」「この人とは結婚まで」とか、結婚というものが別にゴールじゃないし、そこも多様化してバラついてもいいのかなと思いきや、そこは割と強固にむしろセットになったまま、タイミングが遅れているっていうところが、気になったポイントというか、意外。
永田:
それ面白いとこですよね。まさに海外の結婚とかそうなんですよ。
つまり日本の場合だったら戸籍上の婚姻関係という選択肢一択しかないんですけれども、別姓もまだ法制度化されてないような状態なんだけども、例えばフランスなんかだったら色んなバリエーションがあるとか、その中で自分にとって何が一番いいのかと選んでいくっていう風に、選択肢広げる方法に多様化っていうのが進んでいくっていうパターンが一つあるんですけども、日本の場合にはなんとなく「多様になるよね」っていう風なことは知ってはいるんだけれども、実質的な選択肢が一個しかないから、つまりがっつり付き合うと最終的には結婚に結びつくような恋愛がちゃんとした恋愛である、っていう風な選択肢が一つしかないような状態になっているから、いまチキさんが言ってくださったようないろんな選択肢の中で自分がどういう風な生き方を選んでいくのかっていうところまで、「まだ」至ってないのか、まあそういう文化なのかはちょっとわからないとこなんですけども、面白い状況だなとは思います。
荻上:
そうですね。これがなんかちゃんとした恋愛と、あるいはその「遊び」とか「捨てられた」とか、そうしたワードって今でも飛び交っていたりするわけじゃないですか。そうした規範意識みたいなものがむしろ強化されているというのはなぜなのかということも分析対象になってきますよね?
永田:
それは私もとても関心があるところですね。
あのつまりコース料理しかダメだって感じなんです。ビュッフェ形式で色々多様なんだから自分が好きなものをたくさん取ったりとかしてもいいじゃない、で、アラカルトで色々頼んでもいいじゃない、ってなるかと思いきや、いろんなメニューがあるのは分かったけど自分はコース料理を食べます、っていう感じでみんなそれを選んじゃってるっていう状況です。
荻上:
今までは「1時間で食べようね」というものだったものが、なんとなく2、3時間でゆっくりと、というような状況になっているわけですね。
永田:
そうですね。
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ラジオ「Session-22」書き起こし。https://www.tbsradio.jp/319359
"大学生のデート経験率は過去最低" 草食化とも報道された「青少年の性行動全国調査」その結果から読み取れる本当に大事な事とは?
7日目
アトピー持ちなので、朝方や夜に症状が出た箇所の痒みに悩まされることが多いのだが、温泉の効き目かどうか、この旅行 最後の床では何に煩わされることなく眠ることができた。
ホテルの大浴場はどうやら良いものの様だが、帰りの飛行機の予定の時間から逆算すると、別府温泉で湯に浸かる時間が忙しないものになりそうで、ここはスキップする事にして、朝食をいただく事にした。
廊下にでて窓から階下をみれば、乙津川の堤防の上を、犬を連れたおじさんがぷらぷらと歩いている。
しかし、クロワッサンと一緒に盛り付けられたパンケーキや、コンロで再加熱するシシャモ、湯豆腐など、工夫のある料理が並ぶ。
朝に冷奴は定番だが、これが湯豆腐になっただけで贅沢な感じがする。
ホテルの朝食で、「充分うまい」以上の「ちょっと贅沢」を感じられると思わなかった。
日豊本線を上り一旦大分で下車、見目麗しい銘菓「雪月花」をお土産に買う。
別府駅の観光案内所で今日の目当ての明礬温泉へのバス便を聞くと、インフォメーションのご婦人は丁寧に教えてくれた。
明礬停留所でバスから降りると、目当ての施設に行くまで歩くので、次の地蔵湯前停留所で降りるのが良いとの事だった。
昼に見る別府は、昨晩と違い、多くの飲食店やコンビニが点在する、のどかだが決して寂しくはない風景だった。
バスには自分以外にも台湾人と思しき人々や日本の観光客が載っている。
バス停に停車した際、70すぎと見られるご老人が「かまど地獄と血の池に行こうと思うんだけど、どのバスには乗り換えればいいの?」といった様な事を聞いている風景はなかなかシュールだった。
「じそうゆまえ?」
女の子がバスの運転手に特徴的なイントネーションで行き方を訪ねている。
自分も明礬を通り過ぎ、地蔵湯前停留所で明礬湯の里に向かう。行き先は一緒だ。
降り立った地蔵湯前停留所は、紅葉の向こうにアーチ構造の端がかかり、所々で湯気が上がる絶景だった。
急ごう。
振り返ると、一緒に降りた女の子が微笑みながら礼をした。
高校時代に出会ったAは、私の親友だった。いや、親友だと思っていたのはもしかしたら私だけだったのかもしれない。私たち親友だよね、と言葉にしたことは確か一度もなかったけど、私は彼女のことを親友だと思っていた。くだらない話も真面目な話も秘密にしたいような話もオタク話も愚痴も、いろんな話をした。Aが彼氏と別れたとき、泣きながら電話を掛けてきたこともあった。私はそれがAに信頼されているようでとても嬉しかったのだけど、そのことをAは覚えているだろうか。
高校時代、私とAともうひとり、Bという友人がいた。部活動が同じだった私たちはよく三人で行動していたし、よく遊んだ。
高校を卒業して、Aは進学、私とBは就職した。遠方でひとり暮しを始めたBとはなかなか会う機会がなかったが、Aとはよく遊んだ。
ある日、Aに「今度Bと旅行するんだ」と言われた。そのとき私はへえそうなんだ、と軽く返したのだが、あれ、AとBっていつの間にこんなに仲良くなったんだろうとふと思った。ただなんとなく思っただけだったけど。
それからAが大学を卒業して就職し、忙しさから会う機会は減っていった。一年に一度会うか会わないかくらいになったとき、部活仲間の結婚式に呼ばれてAとふたりで参加した(Bは部活仲間たちを嫌っていたので参加しなかった)。そのときAに、「私が結婚式挙げるときは絶対あんたを呼ぶから」と言われ、私はそれが嬉しくて「じゃあそのときは絶対○○するから」と返したのだが、その○○の部分をすっかり忘れてしまった。なんて言ったんだったかな……。スピーチかな。余興かな。
そしてその日は独り身であることの愚痴を言い合いつつ、カラオケでオールした。
それから暫くして、ミュートしている部活動のグループLINEに飲み会の誘いが来た。私はAが行くなら行こうかなと思っていたら、グループに送られてきたAのメッセージは、「妊娠したから飲み会は行けません」の一言だった。
妊娠っていつの間に?相手は誰?プロフィールを確認したら知らない間に苗字が変わっていた。いつ結婚したの?私がグループLINEをミュートしていることをAは知っているのにそこで一斉に報告?
ショックだった。かつてあんなに色々なことを話したのに、彼女の人生において重大なことは私はなにひとつ知らなかった。でもまあ急なことだったのかもしれないし……他の人にも言っていないのかも……と自分を納得させることにした。
Bはこのことを知っているのかな。訊こうと思ったがやめた。知ってたよ、なんて言われたら尚更ショックだ。
そしてAが出産し、彼女から結婚式の報せが届き、結婚式は無事に執り行われた。旦那さんの顔も出身も年齢も何の仕事をしているかも、生まれた子どもの性別も名前も誕生日も、私はそこで初めて知った。
受付は職場の同期(恐らく)が担当していて、友人代表のスピーチはBが行った。AとBと、私の知らないAB共通の友人Cさんとの思い出を涙ながらに語っていて、私の心はスーッと冷めてしまった。
ああ、もうAとBの中に私は存在しないんだ。あんなに色んな話をして、あんなにたくさん遊んだのに。
結局私は何もせず座っているだけ。あとはたまに席を立って高砂に行き、出席していた友人たちと写真を撮るだけで終わった。
自分のカメラでは一度も撮らなかった。写真撮るの下手くそだから、と言い訳したけど、本当は写真を残したくなかったからだ。送ってもらった写真も保存していない。
この感情は恨み怨み、嫉妬なんだと思う。何に対してかはわからない。すべてのことに対してだとも思う。素直に祝福ができないちっぽけで心の狭い自分が惨めでたまらなくて、途中何度も泣きそうになった。
帰り道はBと一緒だった。予想より早く終わり、このあとはふたりとも何も予定がない。ちょっとお茶でもしていこうか、なんて言う暇もなく「じゃあね」と別れた。別れたあと、あーそんな感じねハイハイ、なんて思いながらとりあえず駅ビルに入る。
慣れない靴を履いたから靴擦れを起こして踵から血が滲んでいるし、疲れて頭は痛いし、デザートビュッフェの生クリームが効いてきて気持ち悪いし、さっさと帰りたいけど帰る気分になれなかった。目的もなくビルの中を三十分ほどぐるぐる歩き回って、荷物が重かったから帰った。歩きながら何度も何度も涙を堪えた。それがまた、情けなかった。
感情に耐えきれなくなってツイッターにまとまらない感情を吐き出していたら、大好きな子が心配して連絡をくれた。それにまた泣きそうになった。というか泣いた。
まとまらない感情は今もまとまらないままで、こうして文章にすれば少しはまとまるかと思ったがそうでもなかった。
大人になって自分の人生を歩む友人たちと、大人になれずいつまでも学生のまま時が止まってしまった私。何が違ったんだろう。どうして私は皆と同じになれないんだろう。
落ち着いたら連絡ちょうだいね、またご飯でも行こう。Aに掛けた言葉だけど、果たして彼女から連絡が来る日はいつなんだろうか。きっと来ないんだろうなと思いながら招待状を破って捨てた。
昔ステーキくにのワイルドステーキ1000円を食べた時は衝撃だった。
分厚い炭火焼きステーキがこんな手軽に食べれる店があるなんて知らなかったし。
家では和牛ステーキとかたまに食べてたけど、それと赤身の炭火焼きとでは、焼肉とステーキぐらい別の料理だと思ってる。
そしてしばらくして流行り始めた同じグループのいきなりステーキ。
炭火焼きの厚切りリブロースステーキがこの値段で気軽に食べれるなんてとやっぱり嬉しかった。
今ではあちこちで手軽な値段で分厚い炭火焼きステーキが食べれるようになったけど、それだっていきなりステーキが流行らなかったらそうなってなかったと思う。
最近はほんとにいろんな店ができて、安い日は400グラム1000円とか2000円しないで食べ放題とかあるからあまりいきなりステーキ行かなくなったけど、それにありつけるのも、やっぱりいきなりステーキが流行ったおかげかなと思ってる。
店舗作りすぎとか別業態に変えるとか色々言われてるけど、社会貢献としては素晴らしいことだと思う。
Day 2
自律神経をやっていようと、そうでなかろうと、旅行で眠れないのはいつもの事だが、処方された睡眠導入剤を飲んでも5時間足らずしか眠れないとなると、この体質は筋金入りだ。
自然に目が覚めたのは6:45。
二度寝を決め込もうとしても、ちょっとウトウトするだけで、眠気は「こんにちは」してくれそうもないので、あきらめて起きることにした。
眠気はどうあっても俺に「おはよう」と言いたいらしい。
睡眠不足とホテルパーソンへのコミニュケーションのハードルを前に少し逡巡したが、おそらく一番ストレスが少ない形で美味いものが食える可能性が高い、ホテルの朝食をとることにした。
朝食会場に向かう途中、外を見ると、強い日差しの向こうで噴水が上がっていて、これぞ南国の午前という感じだ。
シャンデリアの下がる大広間でコーヒーをサーブされて、料理を物色するというのは朝から優雅なものだ。
ホーチミンはフランス植民地時代からアメリカ傀儡政権の時代まで首都を置かれた地で、パン食の文化がある。
果たしてビュッフェにもバゲットやチーズ、レバーパテがあり、これは行くしかない。
他にも当然アジアスタイルの炊き込みご飯やカレー、ライスヌードル、揚げ春巻きもあって、洋越折中といった雰囲気だ。
どれも美味いが、カレー(多分)が出色だ。
さっぱりして、辛すぎないマイルドな味わいだが、スパイスの香りが口の中に拡がって抜ける。
席の背後をチラッと見ると、「Sweet TOFU」の文字と壺。
「TOFU?」とホテルパーソンに声をかけられて、首を横に振ったが、やはり気になる。
結局サーブしてもらうことにした。
甘い豆腐。予想通り豆花だった。
しかし、台湾のそれと違って暖かく、ココナッツフレーバーと生姜蜜がかかっている。
美味い。
これだけ食って自律神経失調症も無いもんだと言われそう。
大変満足した。
あの日差しを浴びたい。ポーチに気休めの安定剤を詰め込んで、食後の散歩に出ることにした。
行く当てのない散歩だけど、とりあえずベンタイン市場を経由してサイゴン川を目指そう。
よく見ると現地の人だけでなく、観光客と思しき欧米人の対応力も凄い。
「バイクを見切って躱す」のはこの街では必須スキルなので、嫌でも身につくらしい。
昨日と違う事と言えば、バイクのライダーのオッチャンに頻りに声をかけられる事。
迂闊に乗ったら多分ヤバイやつ。
「Ser , Go work.」笑顔で固辞して先を急ぐ。というフリでプラプラ歩く。
ホテルの目の前の公園で談笑していた少年たちに許可を貰って一枚。
リーダーか、英語ができるかする少年に何か話しかけられたが、意味はわからない。
でも敵意はないのは伝わったようだ。
しばらく歩くとベンタイン市場に到着した。
体育館の様な大型のアーケードの下に、色取り取りの生地や雑貨、飲食店。
夕食はここにしようかな?
自律神経が働いた悪さなのか、旅行の緊張なのか、食べ物の匂いがまだ辛い。
ここでも頻りに声を掛けられるが「ハハハ」と笑いながら素通り。
10:00。
日本以外のアジアは大体が外食文化で、例えば台湾などでは学生は校門前に陣取る屋台で朝食や昼食を買って教室で食うらしい。
多分ベトナムも同じなんだろう。
周りを見れば、学校の向かいに軒を並べる露店で固まって食を取っている学生も多い。
ドン!
飲料水を買おうとしてファミマに入ると、そこでも学生が食事を摂っている。
それにしても男子ばっかりだ。
青い揃いの制服のせいか、男子学生達は一様に小綺麗で、教育程度も高そうな印象を受ける。
一旦学校前を離れて、日本で言うところの伊勢丹、いやもっと格上の三越のような存在の百貨店、サイゴンセンターを物色した後、1時間程で戻ると、男子達はまだ周囲の露店で食ってる。
こいつら引っ切り無しに食ってるな、なんだったら今が本番かも知れない。
暑さもキツくなってきた、先を急ごう。取り敢えず川が見たい。
学校前を離れる時に、校舎の壁に学校名のエンブレムを見つけた。
ARIZONA STATE UNIVERSITY
なぜアリゾナ州立大学がホーチミンにあるのかは分からなかった。
相変わらずの躱しゲーを繰り返しながら辿り着いたサイゴン川は、隅田川よりもっと広く、澱んでいた。
薄々勘付いていたのだが、自分はまあまあな晴れ男であり、観光やここぞと言うときに雨に当たられる事は少ない。
10月初頭のホーチミンはまだ雨期のはずだが、それでさえもこの有様だ。
自律神経の不調も憂鬱な気分も、事、天気に関しては影響しないらしい。
願わくばその運をもうちょっと別の事にも回して欲しいくらいだ。
雨のホーチミンで、お茶でも飲みながら茫然とするというビジョンはひとまず実現せず、現実には炎天下の橋の上でこの旅行記を書いている。
何はともあれ、この時間でやりたい事はやった。
ホテルに戻ってシャワーを浴びてから、気になって例の学校について調べると、やはりというか、アリゾナ州立大学ではなく、カオタン テクニカルカレッジというらしく、機械や電子に関する工業高校らしかった。
そりゃ道理で男ばっかりな訳だ。
学校の程度はわからないものの、自作で車を作るイベントがあったり、インテルと提携して人材開発を行なっているらしかったり、そこそこ優秀な雰囲気を感じる。
ここは工業化・近代化真っ最中のベトナムだ、生徒といえば荒っぽい男の子達ばかりと相場が決まっている日本の工業高校と同じ感覚では考えられないのかも知れない。
多分、アリゾナ州立大学ともなんらかの提携を結んでいるのだろう。
準備している間に気が済んじゃった?
まず普通の人はディズニーランドのことを「パーク」とは呼ばない。
ホテルに泊まって8万。
チケット代が2万。
かなりウキウキで準備したね。
8万ならヴェネチアサイドかポルトパラディーゾサイドか。予約頑張ったね。
チケットや食事を別立てで金額出しているってことはバケーションパッケージではなく素泊まり?
ホテルの食事は部屋の予約に紐付けただろうから、予約が取れてまず喜んで、そのままハイな気分でどんなもの食べようかな、子供が小さいとコース料理なんて滅多に食べに行けないもんな、とか考えながらお店見るのが楽しいよね。
チケットは1デー?
2デーだと夫婦子供の3人で3万超えるから、2万ってことは1デーだよね。
書いた順が行程なら、1日目は泊まるだけにして、2日目がパークかな。ランドとシーのどっちかは書かれてないけど。
どっちのパークに入るのか、ホテル特典のアーリーエントリーで入るのか、効率よくどう回るのか、何時には起きないととか嫁さんと相談しながら決めていくのが楽しいよね。
この様子だとパーク内のお昼もしっかりPS取ったんでしょう?
パーク内の回り方とかFPの時間とか考慮して、何時くらいが良いとか、何を食べたいだとか、子供と一緒にメニュー見るのが楽しいよね。