はてなキーワード: ケンカとは
付き合っている人が「自己愛性人格障害」かもしれない。
先日になってようやく分かり始めた。
ここでキレるの?というところで切れ。
日常的に嘘を吐き、他人は信用できない、人を好きになったことがない。
とかそんなものばかり。
カッとなって手を出されたこともあった。
嘘もまあよく吐かれた。
自分が嘘を吐いているのに、私が嘘を吐いている!等と認めるまで罵倒された事もある。
彼は親に虐待されていたという。
私が見る限りだと多少裕福な中流家庭の子で、何不自由ない生活を過ごしたように思える。
実際、彼のお母様とお会いした時にもそういった印象を受けた。
しかし彼が言うには、自分は両親に愛されて育った記憶がないからとても憎んでいる、と。
それなのに、母親にはよく電話を入れたり、まめに実家に帰ったりもしている。
本人いわく、金があるから利用しているだけ、絞り取れるだけ絞り取って最終的には縁を切るらしい。
だけど困ったことがあれば泣きつくところはご両親のところしかないのである。
もはや笑える。
普段は優しい、自分を一番好きでいてくれると思っていた。
いずれは結婚もするであろうと思っていた。
まあそれは半年前に私が妊娠し堕胎をしろと彼に嘘を吐かれたことにより消えた訳だが。
それがわかったら少しスッキリした。
彼は病気なのかもしれない、私は見てくれに騙されていただけだ、と。
先日、彼と別れた。
まだ前に進む事は難しい。
どこかで彼を求めている事もある。
でもまあ、とりあえず頭を冷やすためにも、離れて考えてみることも大切だ。
フジのスポンサー離れが判ってきて、やっとこ「嫌なら見なければいい」に疑義を唱える人が増え始めたが、当初これは支持されていた。
「当然だ、良いこと言った、正論」なんて感じで。
上岡龍太郎の昔話まで持ち出す人も居たが、あれとは全然主旨が異なることが判っていただろうか。
上岡龍太郎はやりたいことがあり、それをやっていた。
だから、「嫌いな人は見なくていい」と言う。
スポンサーがそこに金を出すとしたら、それは上岡龍太郎のやりたいことと、それが引き寄せる視聴者を買うのだ。
だから、上岡龍太郎には言う資格がある、「見たくない奴は見るな」と、それは彼のターゲットではないから。
では、今回の韓流問題で「嫌なら見なければいい」と言ったタレントの、ターゲットは誰なんだ?
「嫌なら見なければいい」と言った対象の番組はなんなんだ?
自分の番組が否定されたわけでもないし、自分の芸が否定されたわけでもない。
TV局の韓流偏重が批判されているのに、そこに首を突っ込んで「嫌なら見るな」と言ってしまう。
そこに金を払っていたスポンサーに、彼らはなんと言うのだろう。
自身も、自分のターゲットを売り物にしてるタレントであるのに。
TV局の放送姿勢全般について、「嫌なら見るな」ってのは、スポンサーにケンカ売ってるだけだ。
あの言葉を聞いて真っ先に感じたのは、自分たちが広告塔でスポンサーはその視聴者を買っているのだという認識の欠如。
だから、ポジショントークとはいえ気楽に言えてしまうのではないかな。
「嫌なら見るな」って。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0805/432158.htm に似た話で、最近戸惑ったことがあるので、相談がてらチラ裏させてもらう。
長年友人付き合いをしている女性がいる。その女性は、大学の頃に一度同棲が破綻して、その後男性の家を転々とする生活をしていた。といってもとっかえひっかえではなくて、住み着けそうな相手を見つけるとその家に転がり込むという感じ。それである男性(A)と知り合って、一年後にまた破綻し、その後別の男性(B)の所で二年くらい住んでいた。
俺が知り合ったのは、その二人の間の時期で、一度彼女も俺の家に来た事がある。ただ、俺は掃除が好きじゃなくて乱れ放題なので、彼女は俺を好まず、それ以降は友人として付き合っていた。
その女性はちょっと自己中心的なところがあったり、時々長い愚痴を言う事もあるものの、普段は冗談も言え、滅多に怒る事も無く、遊んでいれば楽しく付き合える相手だった。ちょくちょくBを含め三人で遊びに行っていたりもした。
ところが、Bとの同棲が一年くらい過ぎた頃からトラブルが頻発するようになる。その女性がBをぶん殴り始めたり、携帯を壊したりとか、最初は半信半疑で聞いていたくらいだった。ただ、そのBが頼りない所もあって、結果その行き違いで起きたのだろうと、その時は思っていた。同棲から二年後、子供が出来て、デキ婚するかに思えたが、そこでヒスが炸裂して、直前に破綻した。Bは家を引き払い、その女性がお腹に子供を抱えて取り残される事になった。
一度は泣きながら俺の所に電話してきた事もあったが、親の援助で出産、シングルマザーで暮らし始めた。子供は順調に成長し、3歳くらいになった。その間、ヒスを起こすような事もなく、例えば子供に怪我の跡があったり、育児放棄で栄養失調を来すような事もなかった。子供は好奇心も旺盛で、やんちゃなくらいだった。俺と女性と子供で三人で遊びに行く事もあった。これを見て、俺は、その女性が以前の失敗を反省し、苦しいながらもなんとかやっていけるのだろうと思った。
そして一年ほど前、ある別の男性(C)と知り合った。Cは会社を興している人で、一種の仕事人間でもあり、事業上の借入金もあった。それなりに交際も順調だったようで、ついに結婚する事になったのだが、その一方、ここ数ヶ月はCに関する愚痴を俺の所によこしてきて、徐々に増えていった。遅刻するのに連絡をくれない、自分より家族を優先した行動をとるのが不満、以前より会話が減ったといった「確かに気に触るけど、いちいち気にしていたらきりがない」というたぐいのものだった。
そして、ついこの前、この件で話をしていて、さすがに耳を疑った。
など。
あんまりにも自己中心的に言い放つので、俺もビックリして、「お前何考えているんだ」とばかりに怒った(人の事で怒る俺も俺だが、いわゆる事業運営について少しは知っていたので、怒らずにいられなかった)。そしたら、女性もヒスを起こして、「あんたにはわからない」と硬直した様子で言い放って、初めてケンカした。一方で、数年前に泣きながら電話してきて、失敗を反省したのかと思っていたのに、それが全く活かされていないことに驚きもした。
長々と曖昧に書いているので、わかりにくくて申し訳ないが、こういう「異性と一定の近さになると、ヒスが炸裂する」現象というのは何なのだろう。先に上げた小町の記事でもそうだけど、「普段はとても良いやつ」なのだ。その女性も、周囲とは仲良くやれ、仕事やママ友とも付き合いも順調で、育児も並かそれ以上のことができ(子供がうんちを漏らした時、速攻風呂場に連れ込んで洗ってやった事もあった。独身の俺からすると尊敬してもいいくらいだった)、友達付き合いの俺にヒスを起こした事は一度も無かった。
にも関わらず、結婚する直前といった、非常に近い距離になると途端に相手への要求がエスカレートして、不満をぶちまけたり、手を上げたり、硬直した態度を取るようになる。小町の記事も、「愚痴が多く、それを要求しだす」といった行動が似ている。次の男性とすぐに付き合い始めた所を見ても、日常的にはほとんど問題が無いのだろう。
正直戸惑っている。何であれだけいいやつが、この距離感で相手の心情を全く無視した行動をとれるようになるのだろうか。異性との付き合い以外はほとんど瑕疵の無いやつが、どうしてヒスを起こせるのか。今のまま結婚すれば、いずれ破綻する事は目に見えている。友人としては幸せな結婚をしてほしい。だけど、それが期待できない。これはどうやったら解決できるのか。
http://anond.hatelabo.jp/20110828114627
ってことだけど、今回の騒動の本質は別段差別にはなかろうと思う
ネトウヨにはたしかに基地外レベルの差別主義者も散見できるけど
向こうさんが怨念をもって反日教育してなければ今現在本気で嫌う理由なんて何も無いって人が多いんじゃないかな
(感覚的にそう思うだけだけどね)
個人的には差別として嫌ってるんじゃなくて石を投げてくるから睨み返した程度
何年も反日デモやら領地問題やらでガタガタしてればそりゃ嫌いにもなるさ
そこで差別なんて言葉を持ちだすのは日本人にとっても韓国、中国人にとっても失礼じゃない?
簡単にまとめてみたいと思います。
自分自身の「して良かったな」とか、
「しておけば良かったな」という項目を洗いだしてみます。
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1)人間関係に苦しむ事
ちょっとした言い合いだったり、殴り合いのケンカだったり、いじめたり、
いじめられたり。色んな立ち位置で色んな視点から悩んでみるのはつらいですが、
後々色んな人の立場から出来事を考えられるようになると思います。
特に嫌な思いをする経験は対比して良い行動を生むことができます。
2)本気で恋愛してみる事
最初は加減も解らず気持を伝えてみたり、嫌われてしまうんじゃないかと不安になったり…
不安定な気持で下がったり、かと思いきやちょっとした事で上がったり、
意識しすぎてうまくいかない経験と、意識しなすぎてうまくいかない経験
両方してみると、次は調度良くお互いの関係を保てるんじゃないかと思います。
3)趣味を特技にする事
これはやり込めばやりこむほどいいと思います。
人ができない事が出来るという事はそれだけでも自信に繋がったりします。
色んな経験をする事ができてすごく幸運だったので参考までに。
4)親にたくさん迷惑をかける事
良いか悪いか解りませんが、よくある話で親に迷惑をかけた子ほど立派に育つ。
というのは実際にあると思います。10代にたくさん迷惑をかけることで、
20代これ以上は迷惑をかけれないと、自立する事が多いと思います。
何だかんだで忙しい学生時代。学校に課題に部活にバイトに恋愛にと、
とても忙しく過ごすと思いますが、詰め込めるとこまで詰め込んで、
6)たくさん挫折する事
挫折することで、自信を失ったり負け癖がついたりするかと思います。
何回か挫折することで自分には「何も無いのかも」と疑うこともあったり…
でもそうゆう経験は次は絶対に中途半端にはしない。これ以上は嫌だ。
7)ひとつだけやり切る事
自分で自分を追い込みひとつでもやりきったという経験を持つことで
自信を持つことができると思います。
8)お金で苦労する事
9)定番だけど一人旅する事
環境や人や習慣。いつもいる何かといるとその何かに流させれやすくなります。
何も無い状態になって自分を見つめ直すと色んなことに気づけると思います。
10)暇に苦しむ事
学生時代、「遊びたい遊びたい!」と言ってばっかりいましたが、
実際に学生だと長期の休暇があり、思う存分遊ぶ事ができますよね。
ずーっと自由に遊びたいと思っていても、いざ本当に自由にできる時間が
そこで気づくと思うんです、少しの制限や緊張感が
11)野望に近い夢をもつ事
10代は後先に考えず、とことん熱く燃えた方が良いと思います。
言葉の責任とかも考えずにとにかくデカい事言っちゃえば良い。笑
自分がカッコ良い、すごいと思った人、
誰でも良いのでとことん憧れて、とことんマネてみる。
本当にそうなりたいと思ったら成長のスピードは一気に上がると思います。
自分の場合は専門学校時代の恩師に憧れて今でも追いかけています!
13)たくさんの人や思い出に出会う事
人や土地、文化や本、映画、とにかくたくさん吸収する事を意識してください。
1日1個何でも良いと思います。何かに出会って自分を創ってください。
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たくさん書いてるうちに思ったんですが、
これはただの一つの考え方に過ぎません、
でも今の「楽」だけ取っていたら
後には「苦」しか残りません。
辛いことも楽しい。
そんな感じで今回はおしまい。
匿名なのはいいにしても、建設的な議論をやるには、増田や2chスレみたいな吹きさらしの平地じゃないところに「建設地」が必要だよ
何もかもが流れ去るような場所で、建設なんて無理な話
次に下らないことではない、公共放送なんだから云々という議論が白熱しやすい話題にうつるけど、これも俺からすれば「こんなこと複雑でもなんでもない」と思う。
なぜなら、NHK以外の放送局は最初から「みんなに見てもらえるような番組編成」を第一に考えているわけではなく、その時間帯やテレビを見る人たちの流行や求めるものに応じて流すものを決めているのは誰の目にも明らかだから。
いや、これは単純だと思う。(市場のシステムにおける)民間会社である以上、利益があがるプログラムを組むこと、これがNHK以外の放送局におけるプリミティヴな動機でしょう。
で、そうすると利益の追求によって倫理的な問題を起こしてしまう可能性を含む。これを内部から考えるのがコーポレート・ガヴァナンスの議論で、今回はたまたま外部から視聴者によって疑問がおこされただけだと思う。
したがって、
それが普通の態度なんだよ。それが岡村が言う「見たくない奴は見なきゃいい」なんだよ。彼がああいうことをわざわざタレントというデリケートな言葉遣いが重要な職業でありながら言ったのは、この状況がよほど「不自然」に思えたからなんだろう。つまり、自分の好き嫌いを拡声器で街中に向かって叫ぶことを「正しい」と感じている人たちへの強烈な違和感があったということ。
それと、これでもう二回目のデモが起きたみたいだから言うけど、はっきり言ってあのデモの光景は、クレーマーやモンスターペアレンツが一つの場所に集合してぎゃーぎゃーわめいてるのとかなーり近いw
クレーマーもモンスターペアレンツも自分たちの行動が正しいと考える「自分勝手な理由」を持っているけど、韓流デモ参加者もおんなじように自分勝手な理由を持ってる。
やってることは同じだよね。クレーマーは企業、モンスターペアレンツは学校といういずれも自分を「お客様」として扱ってくれる人たちに対して傍若無人に振舞う。デモ参加者も、「視聴者」というお客様として視聴者に逆らえないテレビ局にクレームをつける。俺はこれを弱いものいじめだと思うんだけど、こういうのやってて恥ずかしくないんかなぁとほんと思う。
というように個人の嗜好を主軸に行動を起こしているとは僕は思わない。
もちろん、個人の視点(perspective)によって意見を起こしているのは当然。私たちは一市民として声を上げる権利を有する。
振る舞い、行為を「どうやって」実現していくかの言説は良いと思う。
個人的には一回目に『散歩』といったのはカッコヨカッタなーと思うけど。
今回のデモは知らないけど、前回は韓国そのものを批判したりフジテレビが韓国に乗っ取られていると叫んだ人までいるようだ。ここまでくると、根底には単なる韓流批判だけではない何かがあるのでは?と思う。そう思う人たちがたくさん出てきたのも不思議ではない。
脳科学者の茂木がこのデモの真意を明確に人種差別と表現したみたいだが、俺もその線が怪しいと思ってる。
もちろん、真実は分からないが、単に「韓流を流されるのが嫌」という理由で何千人も集まるほど日本人って恥をしのばない民族だったっけと思うとそういう風に考えるのも間違いではないような気がしてくる。
隣人とケンカするのはどこの国でもよくあること。互いのいいトコ、悪いトコよく見えてしまうし。
でも日本人の排他的な態度が背景に透けて見えるのはそうだと思う。ただこれをメインにもってくると議論がよく分からなくなる。
痛快だったのは『チャングンソク(? ちょと名前たしかでない…)誰だー』『誰だー』と叫んでいたと。
好きなものをその時々に応じて「価値がある」とか「美しい」とか「建設的だ」とか自分勝手に賞賛する
…いやごめん、それは憶測かもしれん。
でも高確率で人は好きなものを自分の周りに置こうとしたり、追い求めたりする。
わざわざ自分の嫌いな曲を集めて聴く人なんてまずいないし、
苦手な人と付き合うという人も…いるかもしれないけど苦痛だと感じているかもしれない。
(自分が何かを嫌うという「対象への嫌悪」それ自体を好む人はいると思うし、実際にいる)。
ネガティブな発言は人を不幸の方向に導く。
不幸せになりたい人なんてのはほとんどいなくて、みんな自分が幸せになりたくて必死だというのが現状だ。
金がほしいし、
恋人がほしいし、
仕事したくないし、
気ぃ遣うの疲れたし、
時間がほしいし、
休みたいし、
あのボケナスの脊髄ひっこぬいてフニャフニャにしたろかっておもうし、
あー遠いなー 幸せって。
だからまあ、どこの誰かも知らん人のネガティブ発言を聞いてるヒマなんかこれっぽっちもない。
ストレスばっかりたまっていく。
もうちょっと説得力のあるというか、全体の最大幸福のための話だと、
要するにネガティブな発言を吐いても、主体も客体もだれも幸せにならない。
(私はいいけど)他の人が迷惑するからやめろ、という感じで主語が大きくなる。
ネクラではない「明日が楽しみな人たち」は、自分が幸せだと周りも幸せになるということを知っている。
その逆の発想で自分の不幸を拡散すれば周りも不幸になってしまうじゃないかとかなり注意勧告される。
更に明日が楽しみじゃない人たちにとってもこの説はけっこう支持される。
糾弾されるのはネクラでネガティブ発言をやめられない人たちだけになってしまった。
(ベテランのネクラになると自分をネガティブな気持ちに落としこむことですら快感になったりする。
それでもネガティブな発言をする人はあとからあとからどんどん増えていく。
仕事場や学校でたまるストレスを愚痴として発散するのと似ている。
みんな人生という仕事場でたまったうっぷんをちょっとでもごまかしたくてネガティブ発言をする。
「イヤなら見るな」と言われてもムリだ。
あーじゃあ、そういうネクラな人の心理状態を鑑みて、慎重になってネガティブ発言は見逃してあげるべきなんだろうか?
友だちのグチを聞いてあげることは許して、ほかの人のグチは聞かないし許さないだなんて不公平なのかも?
そんな誰かが割を食うような解決方法はイヤだなあ。
ネクラな人だって「我慢してやってんねんぞ」みたいな態度を感じると気ぃ悪いわ。
できればwin-winの関係がいい。
もうちょい考えを深めてみよう。
論争が起こることのそもそもの疑問が二つある。
ネクラな人たちにとってこの世界は、悲しみとか怒りとか醜さとか無意味とか悪に溢れているように見える。
しかし、もっと冷静になって考えるとそれは世界の一側面でしかないことに気付く。
ネクラな人たちが見る世界と同じくらい、そこには楽しみとか喜びとか美くしさとか価値とか善がある。
実際、自分を劣悪な環境に置いていれば、どんどんネガティブになっていくけれど、
ちょっと笑える話を聞いたり、
お酒を飲んだり、
気の置けない友だちと話したり、
引越ししたり、
仕事をやめたりするだけで、なんかちょっと楽しくなる。
環境の改善する度合いが高ければ高いほど(つまり劣悪な環境から離れれば離れるほど)、
(世界が変わるのを期待して待っていても、その前に狂うか死んでしまうかもしれない、
もっと悲惨なのは、より悪い方に世界が変わっていくかもしれないということだ)。
ぼくの書いたことがもし正しいとすれば、ネガティブな発言を我慢するだけでない、もう一つの道が見えてくる。
世界のことをよく知っている人がいるならば、この世界はどうしようもないと思っている人に向かって
と教えてあげることである。
これがやはり根本的な解決となる。
できれば言葉で教えるだけでなく、一緒に楽しいことをするといい。
言葉による理論ではなく体験による感動で理解してもらうといいんじゃないかな。
人にはその避けがたい特性があるから、誰か忍耐強い人が世界の素晴らしさを説く前にケンカが起こってしまうのだ、
たぶんね。
しかし、だからといって個人的には「対象が嫌いだ」という感情を封殺してしまいたくはない。
人はなるべく朗らかに、全てを愛する博愛主義者のように生きたほうがいいんだろうか?
そんなせまっ苦しい考え方のために人が生きているとは思えないし思いたくない。
人はもっともっと多様な価値観や考え方を持っていいと思う。
ニューギニアの島では弔いの儀式として食人の文化があった気がする。
今はない?
かならずしも弔いのために用いられた儀式ではない?
それを野蛮で邪悪な悪習だと言えるのは現地人でない人だけである。
アフリカの牧畜民ヌアのコミュニティでは、不妊の妻にかわって姉妹が夫の子を生んだり、
またその逆や、あるいは夫が子を持つ前に死ぬと兄弟が亡兄の妻との間に子を作ることがある。
前者の場合は夫の子であり、後者の場合は弟の精子で宿った命でも、亡き兄の子どもということになる。
この社会でいう夫とは、彼らの生業手段である蓄牛を婚資として支払ったものだ。
日本では親子関係は血のつながりなんだけど、彼らは牛のつながりであって、
ぼくらは彼らをバカにする時、彼らはぼくらをバカにするのだ。
「血のつながりってwwwwwつながってるわけないやろwwwwww」
ある事象に価値があるとかないとかって判断してしまうのは多くの場合、
特定のコミュニティ内でしか成立しない狭い考え方による独断と偏見でしかないのかも。
あれ?ちょっとまてよ…。
ぼくさっき”個人的には「対象が嫌いだ」という感情は封殺してしまいたくない”と書いたよねえ?
んで、
今その理由を書いたよねえ。世界にはいろんな価値観を持った人がいて、
それを認め合っていいんじゃねーの?みたいな。
「みんなちがってみんないい」論法。
でもちょっとまって。
ネガティブな発言をする人は、世界を(あるいは自分を)嫌悪している。
バーロー「あれれー?どっちの人たちも{きらい}って感情は同じだねー。」
そうなのだ。
ネガティブな発言というのはポジティブな感情ではない。絶望とか嫌悪感の表出なのである。
ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。
これはなんともバカバカしい話だ。
自分の嫌いは認められても、他人の嫌いは認められないと言っているのだから。
ぼくは個人的にはみんなちがってみんないいと思ってるんやけど、
その前提が成り立つことを許してもらえるなら、
「自分の嫌いを認めるなら、他人の嫌いも認めていいんじゃないか?」
ってことになる。
そうじゃないと「ネガティブ発言やめろ!」と言うたびに自分のクビを絞めてることになる。
ブーメランが飛んですぐに返ってきてる。「あんたがやめろよ…」と。
このバカバカしさは「ネガティブ発言をするな」という注意喚起のけっこうな抑止力になるかもしれない。
わーい!ぼくらは誰のことを嫌いと言ってもいいんだぞー!
○○のバカヤロー!!必死に走って間に合わずに目の前で電車のドアが閉まってしまえー!!!
というわけで
これでみんなハッピー?かな?
間違ってるかなあこれ?
2つ目は若干強引な感じもするから、もっといい方法あったら教えてほしいな~◎
ここまで読んでくれてありがとうございました。
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追記
現段階で寄せられたコメントにできる限り返答していきたいと思います。
どうしても批判のほうに目がいってしまって精神的にキツいです。
お前が一番ネガティブなんじゃね?って誰か突っ込んであげるべきだと思うの
ぼくはたぶんネガティブなんだと思います。ポジティブそうに見える書き方になっていますが、
ネガティブさを排斥しようとする状況が見るに耐えられないのです。
せめて「死にたい」ぐらいは言わせてほしいのです。ほんとに死なないために。
そういう人がたくさんいると思うんです。たぶん。
殺したくないんです。
ごめんなさい。生きててすいません。
生きてるんじゃなくてまだ死んでないだけのような気がしています。
ぼくはあなたのような人と共に生きたい。許しあいたい。強い人が怖い。
よかったらぼくのブログを読んでください。
http://d.hatena.ne.jp/yukkun1986/
新人の頃、意識的なマイナス思考が仕事には重要だと教わった。物事のいい面よりも隠れた危険性を常に考えろという「かもしれない運転」的なやり方
建設的なマイナス思考ですか。たしかにそれはいいのかもしれないですね。
未来という不確定性を検証するための思考はプラス・マイナス関わりなく可能性の一つとして考える余地があるのかもしれない。
ぼくはなんの役にも立たない(かもしれない)マイナス思考も封殺したくない。
あとでよむ
お願いします。
そうだね~、「いけない」ていう義務的じゃなくって、「いいたくないなぁ」ってね、うん。
誰も傷つけたくないのですが、それよりも自分が傷つくことのほうが怖かったりします。
これに関して自分は結論がまだない
ぼくもたくさんの意見をいただいて、
これで終わりにすべきではないと思いました。
そうなんです。相手の気持ちを考えることができれば、ぼくらは少しは寄り添えると思います。
問題は、双方にその余裕があるのかということです。
個人的にはぼくたちはもうちょっと相手を褒めたり、甘やかしてもいいんじゃないかと思います。
もうこれ以上人が病んでいくのは、堕ちていくのは耐えられない。
結論は俺も同じ考え。
現状が少しでもラクになればいいんです。
死ねばラクになれる、みんながもっと優しくなってもきっとラクになれる。
ぼくはどうせなら後者のほうがいい。
わーい。ネガティブ発言してもいいんだー(違)
ぼくはそれを咎めません。咎められません。
でも彼らを嫌いになれないのです。
ぼくがもうちょっと社会的に弱い立場だったら、
その立場を利用して言い返すこともできたのに、だなんて
【一番いけないのは、お腹が空いていることと、一人でいること】という話。
どこかで泣いている人がいたら、笑わせるんじゃなくて
バーローww
ちょっと悪ノリが過ぎたかも知れません。
でもあなたが喜んでくれるなら、それはよかった。
注意喚起くらいなら別にいいよ。強制力もないし、カウンターできるし。ポジであれネガであれ、みんなで同じ方向向いてるのが一番キモい
カウンターできません。
ぼくが正しいとか間違ってないなどとは思えないのです。
ちきりんさんが最近おすすめしていた「若者殺しの時代」という本の中では
バブル経済のことを「国中上げて間違ったことはやってないだろうと思っていたのだ。」と表現していました。
ぼくが合ってるとも思えませんが、じゃあ世の中の望むべく方向が合っているのかと考えると、
ポジティブ思考のイケイケで日本は負けただろwww / 「文句言う前に努力しろ」の一言で様々なデモが潰れちゃってるんだよね、それ一番言われてるから。
ぼくはネガティブで、基本的にネクラだと思います(たまにはポジティブにもなりますが)。
「文句言う前に努力しろ」の一言でいったい何人が死んでいるのだろうと思うと、ほんとうに恐ろしい。
暗い人は四六時中年中無休で暗いわけではなく、暗いことを言う確率が高いのでは。明るい人も同様。10回会って7回暗かったら70%の暗い人確率/キャラってやつなのかしら
そうだと思います。
ネガティブな発言が少しでもその人の気を紛らわせることができているのなら、
それでまだ死なないでいてくれるなら、死んでしまうよりははるかにマシだと思います。
ネガティブな発言をしている人間はネガティブ志向と解釈してしまう時点で説得力が無い。ネガティブな事をいう奴は人生を面白がっている奴も多い。ポジティブバカのように人生を楽しもうとはしてないかもしれないが。
これはたしかにそうだと思います。ネガティブ発言を風刺漫画のようにコメディに昇華する人はいると思います
(その喩えが適切かどうかはわかりません)。
読みにくいけど、今抱えてる問題意識に近かったので読んだ/かくして、「そんなネガティブ発言してると、世間からうざいやつだと思われちゃうよ」という太宰メソッドで注意勧告する羽目になって自己嫌悪するわけよ。
人間失格にある
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
自己嫌悪するしかないほど逃げ場がありません。もう首を絞めつくしました。
ぼくはそれをどうにかしたい。
何かを貶める発言をするなら逆の考えの人達から反感を買うくらいは覚悟してないとそれは甘え。反感を買ってでもする意義があると思う発言だけすればいい。
甘えたいです。ごめんなさい。
ほんとは人をイヤな気持ちにさせたくないです。ごめんなさい。
自分にウソをついて「大丈夫です」と言う度に、自分が嫌いになっていく。
皆でネガティブ言い合って皆でそれを嫌い合う。それが公平なのかも。どちらかが我慢するのはどうかな?/寛容さは大切だと思うけど。。
例えば、学校でデブな同級生に向かって「やーいデブ」と悪態をついて、
ひるんだり、へこんだりせずに「デブで悪かったな!」と言い返せることが対等で良い関係を作るのかもしれません。
乙武さんはそういうことをやっているので、みんなが彼のように強くなれればいいなと思いますが、現実はそうはいかないですね。
メンタルの弱い人に救済を。
あなたは素晴らしい人だと思います。あなたのような人が救いになるんじゃないかと思います。
出家するべき
今も思っています。
「ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。これはなんともバカバカしい話だ。」…「フジテレビが嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている人は多いね。
誰のこともあまり嫌いになれない(苦手な人はいます)ので、嫌いだと言ってる人に遭遇すると混乱してしまいます。
長期的な幸せを望みます。それと同時に短期的な不幸・死の連鎖を止めたい。
それらが同時にこなせたらどんなにいいだろうか。
何が間違っているのかぜひ教えていただきたい。
前にポジティブシンキングだかの企業が倒産したような。見えてる世界で綺麗醜いを言うことはプラスマイナスはないのかな。それをどう思って聞くか言うかでかわるのかな。
解釈の違いで人の反応は変わるかもしれません。
そういう人たちは怖いですが、ぼくには彼らを叱りつける権利がない。
しかし、気に入らないという思いが誰かを殺しているのかもしれないならば、
ぼくはこのケンカをやめさせたい。
ぼくもそう思います。
もし、将来ネガティブにならざるを得ない状況がひっくり返ったとしたら(つまり誰もが「明日が楽しみな人」になったら)、
根本的な解決になるかもしれませんが、その分ネガティブ発言への風当たりの厳しさは増すだろうと憶測します。
だから、やっぱり「それでいい」ということにしたい。
ぼくはもっともっと慎重になりたい。
間違ったことをしたくない。だから、
みたいなタグをつけてるプライベートモードのボットか何かがいるけど
あれ個人的には効果的。
あのタグがついてるページはよほど見たいものではない限りクリックしなくなった。
読んだ記事に対して表面的な言葉だけで「真の問題」を理解したと思い込み、役に立たないコメントを書くタイプ。
相手がそれを受け入れないと「だってお前こう書いてるじゃないか」と部分的な切り抜きをもって相手を攻撃する。
とにかく他人に口出しするのが大好き。
自分の意見が見当はずれの押し付けであっても「自分は問題をちゃんと認識していなかったか」などと反省することはない。
はてブではよくあること。
自己体験などに支えられた強い信念を持っており、
自分の言ってることは絶対に正しいと思っており、正しいから受け入れられるのが当然だと思っている。
そのため、とにかく相手を説得したくてたまらなくなり、いつのまにかケンカをはじめている。
意見が正しくても受け入れられないケースなど山のようにあるということが分からない。人生経験不足。
典型例はこれ。 http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110901/1314876472
正直、5割の人に受け入れられれば御の字だと思うんだがなぁ。何割をねらってるんだろ。
自信満々に振る舞い、自分を先生、相手を生徒であるかのうように一方的に指導を行う。
目標や計画を打ち立てるところまでが関心の範囲であって、実際の泥作業は相手任せ。
基本的に相手の現状や現実を無視して自分の解決策を押し付けるだけになるためうまくいかないことが多い。
このタイプははてなでは少ない。唯一の例外がハックル先生だと思われる。
ハックル先生は、言ってる内容については結構本質的で正しいと思っている。
しかし、それを実行するプロセスに興味がないのか、実現する手段については
まるまるすっとばしたり理想論みたいなことばかり言うのでふわふわした印象を受ける。
多分彼の頭の中では既に理想の小説は出来上がっている。問題は本人にその理想を実現する力量がないということ。
他ならぬ自分自身が、自分の理想を裏切るというのだから、生きていてしんどいのではないだろうか。
承認欲求を大量に放出するという、はてなにおいてははぐれメタルなみのレアモンスター。
あまりにレアすぎて存在しないんじゃね?と言われる時期もあったが
最近その存在が確認され、はてな民を狂喜させた。 http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20111020/p
しかし実際は割りとビターテイストであることが判明し、事態は沈静化している http://togetter.com/li/203298
奪われないために、戦って守らなきゃいけないという意識が強くなったからだ。
戦争とか闘争ならば、勝たなきゃいけない理由があるし、
気持ちや作戦の準備ができる。一方で、
ケンカはというと気の強い奴の一方的で単純な略奪行為のように思う。
共有財産や共有地を気の強さでズカズカと他の人より使い倒すような感じだろう。
ちょっと損する程度、面倒になる程度。嫌な気分になる程度。
ケンカも含めてだが他人から奪うことで得をするというのは、卑怯で狡賢い手口のように思う。
今までケンカなんてしたことがなかったけど奪われ続けるのはしゃくだし、
戦ってみようということで、いつもより気を強く一歩だけ踏み込んでみた。
そして大人として守るために戦うことは気を強くすることと少し違うなぁとおもった。
というか、今日のは大人対子供(社会的地位がない人または気にしない人)の争いだった。
●大人対大人 ケンカではなく利益・領土を奪い合う法律やルールに基づいた戦争
●子供対子供 プライドとか共有地を奪おうとする気の強さに基づく腕力勝負。
大人としての強さを1つ勉強した。
子供に奪われ続けることは看過あるいは甘受して、
相手が大人の戦いをしようものなら、身構えて守るということなんだろう。
「教えて、はてサの人」
あの女性と別れてからだいぶ時間が経っているので、ネットにはもう書くことはないと思ってました。ところが、有村悠さん(id:y_arim)の書いたブログを読んで、ふとそのときのことを回顧してしまったんです。
何もおもしろい展開はなかったし、この話にオチはつきませんけど、ブクマしてくださった人が50以上もあったみたいだし、私なりにまとめてあの後の出来事を書きしるしておきます。
「明るいいじめの思い出」
http://lunaticprophet.org/archives/5266
いじめを受けていた女の子の話を持ち出した女子が、どういう文脈だったか、「中国人大嫌い。あいつら全員帰ってくれないかな」と言ったのである。原発事故を受けて帰国者が増えている、という話だったかもしれない。少なくともぼくはその文脈で、近所の中国人が経営している中華料理屋もしばらく臨時休業していたけれどもまた営業を再開した、あの店は美味い、という、反論ともつかない話題を振ってみたが、それがどうしたという顔をされただけだった。 もともと綺麗だったのがますます綺麗になっていた彼女は、「そういう人」に、なるべくしてなったのかもしれない。
もっとも、私とその女性とは、恋人として付き合ったわけじゃなかったです。休日にいつもよく会ったりするぐらいの間柄でした。ひどいネトウヨ癖をのぞけば、性格がダメすぎるってわけでもないし、私はけっして彼女のことを軽蔑しきっていたほどではなかったです。
ただ、そのネトウヨ癖というのがくせ者でした。私はそのために、ずっとイライラさせられてました。初めて会った日からひそかに「絶交したい」と思うようになったし、「孤独感をまぎらわすためにセックスしたいなあ」っていう目的のほかには、彼女と付き合いを続けていく理由が見つからなくなりました。
幸か不幸か、彼女は顔が平均レベルよりわるくてブサイクなほうだったし、セックスのためにわざわざ執着しようっていう気持ちも次第に失せていきました。それで結局、こちら側から別れを言い渡すことにしたんです。
伝達手段はメール。絶交を決めた本当の理由は、いっさい彼女に告げませんでした。それまでにも直接的には、「あなたのネトウヨ癖が気にくわない」という心境を伝えてこなかったんです。彼女とケンカして精神をすり減らすのも馬鹿馬鹿しいし、正しい方向に導いてやろうっていう意欲もありませんでした。
ですから、相手のことをわざわざ非難したりするのはやめて、短い文章に用件だけを書きつづって送りつけました。すると、相手もしつこく粘着はしてこず、ただちょっと数回かぎり、怒ったふうな呆れたふうなメールが来ただけでした。私は関係をこじらせたくなかったから、それらをひたすら無視していました。そのあとは音沙汰ありません。
そういえば、彼女もまた、会話のなかでナチュラルに、「中国が攻めてきたら~」みたいなことを言っていました。有村さんの日記を読んで、ふとそのことを彷彿としてしまったんです。あいにく私の目の前にいた女性は、まったく美人じゃなかったですけどw
有村さんが会ってきたという美人レイシストが、どういう人だったのかとても気になるところですが、こっちはと言うと、もうほんと中国への敵視がすごくて、さすがにウンザリしましたよ。
なにがひどいかって、彼女の場合、リアリティがまったく無いことなんです。
中国は経済・軍事のどちらにも大きな力をもっていて、日本との利害関係が衝突しやすいのは確かなんだし、双方のあいだに不安定な要素が山積みになっている。……っていうふうに、戦争になる危険がどういうものかを見極めているならまだ分かるんですが、彼女はそうじゃないんです。
「中国が攻めてくる!!」っていうのを、さも将来に必ず起こるべき現実であるかのように語るんです。しかもその解決策が、平和的な話し合いという戦争回避ではなくて、そういう努力にはいっさい触れないまま、とにもかくにも武力をもちいて防衛しようっていうことになっているんです。
彼女が話すのは、「武力を持つことで中国が攻めてこれないように抑止できる」とか、そんなマイルドで生易しいものじゃありませんでした。要は、自衛隊の人たちが命を張って、日本を攻めにやってきた中国軍と勇敢に戦い、国土と国民を守るっていうシナリオなんでしょうか。なにやら日本の民間人までが被害にさらされていて、自衛隊はそれを守るために戦闘にかり出されているとかいう、そういうシチュエーションの話ばっかりでした。
いくら最悪の事態を考えておくことが大切であるとはいえ、殺傷行為を伴うであろうそんな血なまぐさい話を、日常会話のなかでサラッと言われても…。('A`)
大体、こういう異様なほどの警戒心のなかには、むしろ逆に、彼女から中国人にむけた差別や偏見があるんじゃないかと疑いました。それゆえ、私はとても不愉快になりましたが、有村さんが会ってきた美人レイシストのようにわかりやすい形で、中国人そのものを蔑視して悪いふうに言うわけじゃありませんでした。彼女はあくまでその軍や政府を攻撃しているだけのようにも見えました。いずれにしてもそのさきは、どうせ知っても仕方ないことなので、私はあえて真意を探ろうとはしませんでした。わざわざ彼女を刺激して、めんどうに巻き込まれるのはゴメンだと感じていたんです。
すでに述べたように、彼女は軍オタっぽいところがあって、兵器とか飛行機とかのことをよく知っているようでした。そしてとりわけ、自衛隊のことは大好きらしくて、すごく憧れているようでした。会話のなかで「お腹すいたなあ」っていうのと同じぐらいナチュラルに、「もし中国が攻めてきても、いまの自分は何の力もないから、自衛隊に入って戦えるようになりたい!」っていうセリフが飛び出してくるほどでした。
これがネットの中だけで威勢良くやっているような、ひきこもりのネトウヨだったらいいんですけどね。自慢そうに話すのを聞くかぎり、実際にイベントがあるときは基地に行ったりとか、それ以外にも普段から交流を持つこともあるらしく、今はなんとかの免許を取るつもりだとか、まじめに取り組んでいる様子に見えました。(※でも、自衛官をめざすっていうような予定があるとは聞いてません)
そうそう。特に、田○神俊雄のことは崇拝しているらしかったです。もしもその理由が、あの顔がかっこいい、とか、あの声が好きなんだ、っていうことなら良かったんですけど、やっぱり案の定そうじゃなくて、「日本のことを真剣に考えているから」とのことらしいです。誇張なのか本気なのか知りませんが、「田○神さんの言っていることは全部正しい」とまで語っていましたね。
結局これについても詳しいことは聞いていません。私はべつに政治にも国防にも興味がないっていうのと、詮索しても仕方ないっていう気持ちがあったからです。彼女の機嫌をそこねないように、ひたすら受け流しておきました。
私だって所詮、高校の教科書にのっているぐらいの知識しかないですよ。しかし、彼女の知識は、それより遙かに劣っていると判断せざるを得ませんでした。たとえばちょっと話題をふってみただけなのですが、若槻礼次郎も高橋是清も、そういう名前を聞いたことがないという感じだったんです。「貴様はその程度の知識しかないのに、どうして自虐史観がどうだのと偉そうに語れるんだ?」……っていうイヤミの一つでも言ってやりたくなりました。むろん、私はそのへんも自重しましたが。
あっ、えーと。こういうと知能や精神に障害があるみたいに思われるでしょうが、彼女はいちじるしく知能が低いとは言えないだろうし、ふつうに友達もいるらしく、家族とは仲良く、過去には恋人ができたこともあり、ごくごく真っ当に社会生活をしているように見えました。難関とかじゃなくてむしろ偏差値は低めのところですが、大学は国立だっていうことです。つまり天才や秀才のレベルには及ばないにせよ、いままで勉強を頑張ってきたんだろうし、通常かそれ以上の知能は持ち合わせているんでしょう。実際、専門分野のほうでは、トンデモに走っているような気配はなかったんです。
どうしてこうなった、どうしてこうなった?(AA略) ←理系で進学を目指していたってことで、高校では歴史をとらなかったみたいだし、センター試験は地理でのりきったと言っていましたから、彼女が歴史にうといのは、そのせいだったのかもしれません。
ついでに補足しておくと、「歴史にうとい」というのには、少し語弊があるかもしれません。彼女は自分自身を「歴女じゃない」と言い張ってましたが、それにしては新撰組だとか、ごく一部のミーハーなテーマについては、メチャクチャ詳しかったんです。
それから彼女は、「ヘタリア」というのが好きみたいでした。私はタイトルを知っているぐらいでその作品を見たことがないから、どこをどうやってそれの影響を受けているのか分かりませんけど、日本史の場合とおなじく、世界史における彼女の興味は、完全に偏ったところにばかり集中していました。つまり、高校でやるレベルの基礎知識も持っていないわりに、細部のマニアックなところには豊富な雑学があるみたいだったんです。
そして、今までそういった雑学を組み合わせてきた結果なのか、彼女は国とか民族とかについて、何か決まりきったような、確固たるイメージをもっているようでした。(←ちょっと嫌な予感がしてきたから、私は怖くなってしまって、そこには探りを入れられませんでしたが。)
私は意見を述べたりすることなく、年上である彼女のプライドをおもんばかって、無関心&無知を装いつづけていました。けれど、あるとき魔が差してしまって、戦争をやっていたときの日本について、ちょっと否定的なことを言ってみたんです。するとすぐさま、「あなたは日本を嫌いになる教育を受けてきたんだ、それでそう思ってしまうんだ」と批判されてしまいました。
これにはさすがに腹が立ちましたね。私の頭のなかには、「日本が嫌いでいったい何が悪いっていうのか!?」という感想も浮かんできましたが、しかしそれ以上に、なにか、心にひっかかる不快なものがありました。
まず、私がどういう学校教育を受けてきたか何も知らないくせに、そして自身は歴史について高校生なみの知識ももってないくせに、「日本を嫌いになる教育~」だとかなんとか、そんなことを当てずっぽうで言われても困りますよ。
つぎに、もうひとつ。人さまの考えを勝手に決めつけて、軽々しく批評するのはやめてほしいなあと思いました。いや、私はまあ確かに愛国心が強いわけじゃないし、政治や国防のことなんて興味がない若者だし、日本が大好きで命をかけてでも守りたいって事もないけど、決してそんな反日とか薄情ばっかりってことはないのだよ。大体、あなたよりも日本の歴史については勉強してよく知っているつもりだし、あなたがさっぱり興味のないらしい日本の文学・美術っていう文化をすこしは楽しんできたんだ。それなのになんで「日本が嫌い」と断定されなきゃならんのだ?……という苛立ちがあったんです。
しかしまあ、あれでした。私はあまりうぬぼれたくないし、偉そうにふるまって他人のことを見下したくはないのです(←たとえそれが内心であろうと)。それに大体、彼女とケンカして争ってみても馬鹿馬鹿しいっていう理由で、このときもまた、苛立ちをなんとか抑えてお茶を濁しておいたのでした。
「6.11新宿・原発やめろデモ」において発生した、20歳学生に対する集団リンチ
「6.11新宿・原発やめろデモ(http://611shinjuku.tumblr.com/)」において、20歳の学生に対する、集団リンチ事件。
「ヘイトスピーチに反対する会」有志
柏崎正憲 栗原学 常野雄次郎(@toled) ほくしゅ(@hokusyu82) 山口素明 ほか2人
2年半付き合ってる今の彼女。
付き合い始めこそラブラブだったけど、いまやお互い忙しく、セックスしたのも最初の半年だけ。
お互い親にも会ってるし、結婚も意識していないわけではないけど、結婚観の相違とか、実家の家庭の都合とか、
そういうのが諸々あって現実味を帯びてこない状況。
というか、結婚は無理な気がする。
そこをあえて結婚するなら、今の遠恋のような、二か月に一度会うような、会ってもセックスしないような、そんな関係になるんだろうと思う。
そこで、きちんと話し合いを持ちたいのだけど、うちの彼女は将来について話す、とか、目先のことじゃないことを今考える、とか、
難しい問題に頭を悩ませる、とか、忙しいときに他のことに労力を割く、とか、他人に自分の考えについて意見される、とか、そういうのが大っ嫌い。
ゼロではないんだろうけど、絶対に避けたいものと思っている感じ。
でも、俺ももう27歳になっている。
お互いにそれなりに好きだし、親に挨拶した手前別れにくいし、二年半の情もあるし、別れたいって気持ちはないのだけど、そろそろ前向きになって、
好きでも別れるなら別れる、続けるならもっと具体的な将来を共有できるようになりたいって思う。
とにかく話し合いを持ちたい。
どうすれば、ああいう人と話し合いがきちっとできるようになるのかなって悩んでる。
別件だけど。
四月から引っ越してきたこの地で、いい感じになってる女の子がいる。
俺に彼女がいることを知ってるし、いい加減な関係になっても誰も幸せにならないので、そういうのはしないつもり。
だけど、彼女と3週間音信不通になったり、ケンカしたり、そういうのをあの子は知ってるし、相談のようなものもしたし、関係が破綻しているのは知ってる。
あの子は、彼女とはっきりさせるまで待つ、って言ってくれている。
彼女がいなければ、この人と付き合いたいなって思う。
でも、彼女を捨てて乗り換えるような覚悟もないし、それを思い切らせるほど深い何かを共有しているわけでもない。
彼女の好きなところはひとつもあげれないけど、嫌いなとこはいくらでも挙げられる。
こっちでのいい感じの人は、どちらもあげられない。
ただ、すごくいい子だし、家庭的だし、やっぱり目新しいものに興味あるし、彼女よりこの子のほうがいろいろ優れてる感じ。
いろいろ悩ましい。
一ヶ月前に書いたものがホットエントリになってびっくりしました。
「http://anond.hatelabo.jp/20110502165746」の続きです。
新たについたトラックバックにも、返信しようかと思いましたが、手に負えなさそうなので、補足を記して、まとめてご返信とさせていただきます。
まず、妻が「物が捨てられない人」ということを過剰にアッピルしてしまったことで、はてな界で伝説になってる xevra先生をはじめ、多くの方にご心配であったり、「パーソナリティ障害なのは確定的に明らか」「このままでは旦那の寿命がストレスでマッハなんだが・・」のような破壊力ばつ牛ンのエスパーレスをしていただき、恐縮でございます。深い悲しみに包まれたあまり、思わずブロント語が出てしまいました。
さて、それ以外の誤解ですが、「改善していない」ことはありません。
みなさんが大好きな使用済み生理用品は、ここ半年はまったく見かけません。
鼻をかんだティッシュは、完全ではありませんが見かけなくなりました。ゴミ袋も気がついたら替えてくれることも増えました。少しづつ改善されております。
また個人的に素晴らしい変化だと思ったのが洋服と雑誌を捨てられるようになったことです。
改善していく過程は全く書きませんでしたが、書くと長くなるので、要点だけ記します。
最初は怒鳴ってケンカすることが多かったです。ですので「怒らず冷静に対応した」というのも誤解で、最初は怒っていました。ただ、ご存知のように言って直るぐらいなら苦労はしないわけで、私も情報を集めて、試行錯誤しました。
私が率先して掃除をしてしまうと、妻は機嫌が悪くなります。どうしてかはわかっていました。私が掃除をすることで「自分は掃除もできないダメな妻」と感じてしまうのです。そこはよく話をして「ダメ妻だとは思っていないよ。大好きだよー」とフォローしました。基本的には注意しつつ褒めつつヨシヨシナデナデしつつといったところです。
それから、洋服を捨てられるようになった話ですが、たまたま見た「ティム・ガンのファッションチェック」があまりに素晴らしかったので、一緒に見るようにしたところ、しばらくして、洋服を整理するようになりました。ティム・ガン△。
一応がんばって個別に突っ込む。
はあ。
いや、記事のタイトルは
で、
内容も
「夫婦喧嘩は犬も食わない」という言葉もありますし、できることならケンカせずに済む方法を見出したいところですが、
という前提で始まる記事なんですが。
どーーーこーーーかーーーらーーーどーーーうーーーみーーーてーーーも、
どこにも書いてない前提条件を勝手に付け加えて「…としてならそんな的外れなことをいってないきもする」って、
あなたのおつむが。
というか
”どっちが悪いともないただの喧嘩であっても
それを収めるためには男性が一方的に譲歩と和平を重ね、
それこそ「一方的な加害者が被害者にする態度のように」努力を重ねよ。”
という記事だからこそ、
変だ、怒るべきだ、
という批判がついてるんです。
根っこから理解できてないのに反論顔で口挟んでどうするんですか。
ちゃんと読み取りましょうよ、本文とみんなの話。
「男の怒りは概ね正当だけど女の怒りは概ね理不尽」と思ってる人にとっては、
この記事は「これだから女は……」って考える記事だろうけど、
どこから出てきたのかサッパリわからないこの変な人間像がさらっと出てくるあたり
それこそ正常な読解力や判断力を奪うほど。