はてなキーワード: 関西とは
私は関西出身だが、関西の人間は関西に残りがちなのでこっちに来てくれた知り合いはあまりいなかった。
最初の一年間は物珍しさで東京都内のあちこちに遊びに行った。学生時代の友人とは地元から離れた解放感で、街の子みたいな遊びだと思うようなことを色々とした。
会社の同期とも、仕事での付き合いではあるが、仲良くなり就業後に飲みに行くようになった。
初めての一人ぐらしは自由が利き、ある程度の会社に入社したのもあり、金に困ることはなく、食べたいものを食べ、遊びたいところに行き充実していた。
そのせいで外出する機会がグッとへった。まるまる2か月誰とも会わなかった。
家にずっといて、お昼の時間になると近くのスーパーに行って一食分の食材を買って適当に作ったご飯を食べる生活。
"ニューノーマル"で浮き彫りになったのは、私には今友達がいないということだ。
徐々に緩和される中で、一年目の様に外に遊びに行けなくなっている自分がいた。
誰をどうやって遊びに誘えばいいのかわからないのだ。
会社の同期はあくまでも仕事の仲間でこのご時世に仕事終わり飲みに行くことはなくなった。
コロナの状況下で人を誘っても空気が読めない奴だと思われてしまうような気もする。断られたらどうしようが先行してしまう。
そもそも私に友達など昔からいなかったのかもしれないとも思う。
高校までは部活動に明け暮れていた。ちょっとした強豪校だったので休みもなく練習をする毎日。
休みの日だって、部活仲間と一緒にどっかに行くようなタイプで、みんなが行くから行くとかで自分が主体となって遊びに行くタイプではなかった。
大学に入ってからは、高校時代と同じスポーツのサークルに入った。
新しいスポーツを始めようかと入学当初は考えたが、結局やめた。高校までの貯金でスポーツを楽しめればいいからだ。今思えば誰かと仲良くしたいのではなく活動そのものだけに注力していた。
サークルの中では単純に技術があるので人目は置かれていたが、誰かと一緒に遊ぶとか特別している訳ではなかった。参加はするし、呼ばれたら同席するだけだった。
自分で誰かと何かをするということをしてこなかったツケが回ってきている。
そもそも友人と二人でというのも難しい。人と話すことは好きだけど誰かと一緒に遊ぼと言えるほどの勇気もなく悲しい。
ひさしぶりに会った所でなんでこいつに誘われたのとか思われて、何にも盛り上がらない所が見えてしまうのが嫌だ。同性と二人で遊ぼうとするのはよっぽど仲が良くないと逆に難しくないですか。
でも複数人はもっとハードルが高い。人一人誘えない奴が複数呼べるほど友達はいないのだ。誰か遊びに誘って下さい。一回誘ってくれればこっちから一回誘ってもいい気がするので。
こういった時に彼女がいるといいんだなと思う。寂しくなった時に無条件で自分の誰かに向けたい、思いやりとか、寂しさとかを"愛"に変換できるのでしょう。
休みの日は毎日家にいる。日常的に外国人がいるわけでも、仕事で使うわけでもないのにTOEICの点数が900点になってしまった。やることがないので本をたくさん読んで、頭に蓄積させてもぶつける所もない。
大学卒業後何回か転勤があって、転勤先でそれぞれいろんな女と付き合ってきたけど、
本気でいいと思える女が全然いなかった。
勿論今住んでる関西でも、なんだかなという女ばっかりに思えてしまう。
そんなついこの前、昔仲良かった大学の同期の女の子から連絡があった。
大学時代の研究室の同期の子で、昔から二人で何度もご飯に行くような仲だった。
働き始めてからはお互いの勤務地が結構遠かったから、帰省したタイミングでよくご飯に行っていた。
二人で話していて、育った家庭とか結婚に関する価値観が似てるなという気がする。
はあ、付き合いたい。付き合えるだろうか・・・
服のセンスがないと言われて30年経った。
興味がない訳ではない。ファッション雑誌もたくさん読んだしブランド知識もそれなりにある。
高い服から100円の服、ユニクロからしまむら、ハイブランド、ゴスロリからコンサバまで片っ端から着た。
腰ぐらいまで髪がある時もあればベリーショートと呼ばれるぐらいの時もあった。金髪の時も茶髪の時もあった。
別段特異な服を着ている自覚はない。黒、グレー、茶、白とかもう大抵誰でも似合うような服を選ぶ。
マネキンを上から下まで買った事もある。全身無地のことだって多い。標準的なMかSサイズの服。身長も標準。
それでもどうしても「服が変」「ダサい」と言われ続けて過ごしている。
もちろんファッション誌の服をそのまま着ても人間合う合わないがあるんだから正解じゃないのはわかっている。
でもこれだけ色々通ったんだからどこかに自分の似合う服装があるんじゃないのか。
でも、ない。ないというか、わからない。私は何を着れば一体一般的な人間になれるんだろう。
顔が云々、体系が云々、ではなく「コーディネートが悪い」「服の選択が悪い」と言われ続けている。ここまで来るとあからさまな欠点が見当たらないだけで顔や体系の問題なんだろうなと考えてはいるが。
誰かに見立ててもらおうにも、何を着せても「似合わないね……」と苦笑いされて終わる。
繁華街に出ればみんなオシャレな服を着て過ごしているように思える。
自分はそれなりに努力というか、理論的に考えて服を選んだり着たりするけど、世の中の全員がそれをできるとは思えない。それほど語っている人を見ないので人生に必須スキルではないと思う。(あったほうがいいのには違いないが)
というか理論的に考えた上で「ダサい」と言われる私がいる訳だからますます世の中の人間が普通に服を着れているのがわからない。
どうしてみんな、自分に似合う服を着れるんだろう。どんなに考えても努力してもダサいって言われ続ける。つらい。一生一人前の人間になれない。
もう好きな服を着たいだなんて思いは微塵もない。普通に、「変」って言われずに生きていたい。笑い者になりたくない。恥ずかしくて外に出られない。どうしてなんだろう。
皆色々ありがとう。ちょこちょこ返してるけど返信しきれないので聞かれてる事まとめて答えておきます。
>パーソナルカラー診断した?
しました。それ自体はものすごく有益な情報しかなくて誰もにおすすめしたい。
ただ結局似合うとされる色を揃えて身に着けても「組み合わせが微妙」「違う」って言われるのでもうわからんわい!と増田を書きなぐってしまった訳です。
>姿勢が悪いのでは?
自分もそうじゃないかと思って半年前ぐらいに矯正に通って治しました。
治した事はとても良かったんだけど今まで「比較的ヨシ!」とされていた服の印象が変わってしまい1から自分に似合う服の形を探す羽目になった訳です。で、混乱しています。
>周りが悪いのでは?
その可能性もありますけど、実際集合写真とかで見ると自分だけ浮いてる・・・って思う事が多いんですよね。結局自分で良し悪しを判断できないから人の意見を鵜呑みにするしかない部分もあります。
>お店の人に聞いたら?
よく聞きます。お店の人と話すの好きだし化粧品とかにおいては1から10まで揃えて貰った事もあります。でも服で同じことすると、家に帰ってから「いやこれ変な服」ってなる事多いですね。(化粧品も稀にある)
あと何故か結婚式とかでヘアセットしてもらう時もやたら一人だけ奇抜で難解な頭にされてる事が多いですね。何も言ってないのに。周りは普通なのに。謎です。
>ゴスロリは着ないだろ
中学生とかの頃の話なんですけど周囲の友人が全員コテコテのゴスロリ女だったんですよね。
私は基本的に接する相手に合わせて服を選ぶので、周りがいい!というブランドを無心で身に着けてただけなんです。今もそうです。でもいい!と言われるブランドから購入しても致命的にセンスがないらしいです。
まあ全身グッチでもダサい(と言われる)人いますからね。その思考自体がダサいって事になるんだろうなと思います。
>好きな服着れば?好きな服がないのがよくないのでは?そもそも思い込みでは?
これは私が大学生ぐらいの頃の事ですが、ファッション雑誌のトップに虎が力強く大口を開けているセーターが載っていたんです。私はいたく気に入って3枚色違いで買いました。
なんとなくお気づきかと思いますがこの服を着ている私を見た人間は口を揃えて「関西のババア」と爆笑した訳です。
なんてひどいことを!雑誌のトップに載ってたんだぞ!と私は反論した訳ですが100%笑われるので悲しいというより「本当にこれは駄目なんだ」と認めざるを得ませんでした。基本的にこんなのばかりです。
それでも若いうちは個性的なぐらいがいいじゃん、なんて思えましたがさすがに年を取ると年相応で身の丈にあった服を着るべきだと考えるようになります。
でも未だに自分がいいと思う服は虎が強いセーターとか馬がつよいワンピースのままです。
虎が強いヤツ、着なよ!とそれでも言われるかもしれません。でもいくら好きな服でも「関西のババア」と言われたり「隣歩きたくない」と言われるような服を一人でも着る勇気はないですね。
そもそも似合わない人間が無理やり着るのも服に失礼かなと思うんですよね。だから結論的には好きな服を着たいなんて気持ちは微塵もないです。
■ 慶應閥
三田会という組織を中心に、秘密警察のように梅雨時のカビのように広がる。
大学の特性として、平均的には能力が高いものの、本物のポンコツが結構含まれている。
にもかかわらず依怙贔屓で上からの引っ張りがあるので、バカ上司死ねと思ったら慶應だったりする。
慶應閥が強くない会社でも、トップが慶應になったとたんに慶應閥がはびこりがち。
慶應閥がはびこった会社は、必ず滅亡への道を歩む。カネボウ、三越、東芝…
地方ベンチャーとかで元気よかったのに、二代目が慶應で没落というのもよく聞く話。
要は、大変たちが悪い。
■ 一橋閥
如水会という組織を根城に、ハイフライヤーって感じで勢力を伸長する。
慶應との違いは、2つほどある。
一つは、単に就職偏差値が高い程度の会社だと、一橋出身者は閥をなすほど入らない。非常に高い会社にのみ存在する。
もう一つは、平均的能力も高いのは言うまでもなく、明らかなポンコツはごくまれ。
それにしても上からの引っ張りは強力。
要は、相当たちが悪い。でも慶應ほどではない。なぜか。
一橋閥は能力が高いし、彼らは一橋卒といえども無能を嫌うので、慶應閥のように会社を潰すことは稀だからだ。
鞏固な結束を誇る一橋閥にしても、慶應閥にしても、結束力がむやみに強い理由は、本質的には一つしかない。
それは次で述べる。
■ 東大閥
個々の戦闘力では、ほとんどの場合慶應と一橋は東大には及ばない。
むろん、慶應・一橋のトップと東大のボトムを比べれば、前者が圧勝するのは言うまでもない。
しかし、慶應・一橋のトップが入るとこには、東大のトップが入り、やはり残念ながら、個々の戦闘力では勝てない。
東大卒は無能を嫌う。東大卒の無能を最も嫌う。一緒にするなと思うからだ。
東大閥が存在すると言われる組織はあまたあるが、実際には東大閥は存在せず、たまたま東大卒がたくさん入るというだけだ。
東大法学部は経済学部と教養学部をさげすみ、経済学部と教養学部は文学部をさげすみ、群れることは一切ない。
一人ぼっちのオオカミが群れているように見えるのが東大閥の正体だ。
ただし、彼らは無能をことのほか嫌い、有能を評価するが、その場合の有能の評価基準は、知的な情報処理能力の高さだ。
そして、その能力が高い人間は、結果として東大卒である場合が多い。
東大卒が閥をなすとき。これは、慶應か一橋か京大のいずれか2つが閥をなし跋扈している場合だ。
その場合の東大閥の腹黒さ、他を蹴落とす策略の陰湿さは他に例を見ない。
結果として、東大閥と慶應閥と一橋閥と京大閥が争った場合、ハルマゲドンが発生する。
このハルマゲドン、私は唯一例しか知らないが、メガバンクが一個、本当に10年足らずで吹き飛んだ。三和銀行である。
■ 京大閥
京大は、地理的な遠隔もあり、上の三者の中間的な立ち位置になる。
すなわち、関西にあっては東大のように振る舞い、東京にあっては一橋や慶應のように振る舞う。
しかし、東京にあっては数が少ないので、慶應や一橋のようなパワーは多くの会社で持っていない。
京大閥が跋扈する会社は、関西発祥だが東京で生き延びている、住友系の会社が主である。
なお、東大に官僚志向が強いように、京大も、官僚志向が存在する。
しかし、国家公務員は東大濃度が高すぎるので、大阪市役所あたりに隠然と力を蓄えたりしている。
が、ここ30年の大阪市の長期低落で、有能な才能がすべて無駄遣いされている。
東大卒や一橋・慶應閥の荒野の中で勝ち抜いた京大卒というのが時折トップになるのを見る。
ただ、そういうトップは、意味なく東大を排除したりするので、コンプレックスというのは度し難いと感じさせられる。
結果、京大卒のトップが、東大を排除した結果、一橋又は慶應が跋扈するという事態が発生するのは時折観察される。
某赤いメガバンクなんかそうなってるって聞くよね。
他にリクエストがあれば書くよ!
(人が美味しく感じる塩分量1%~0.6%を作るための味噌の計算とかあるので
あと、
「タレ・ソース・ドレッシングでおいしい料理 (辻学園BOOKS) 辻学園BOOKS」
こいつも定番料理だらけ。外食頻度が減りそうなくらいのド定番本。絶版だけど。
鍋に適した具材、だしつゆ、そのつゆに適した自作タレアレンジなど基本がわかる
絶対にだれも褒めないけど嫌わない潰れない定食屋の味を覚えてそこから自分でアレンジしよう
こっちはちょっと趣旨の違う理系の書いた初心者向け本だが買うとこんなに違うんだっていう人もいた
関西の政令指定都市生まれ・育ちの女が夫の転勤で田舎に行って辛かった話
東京生まれ東京育ちの若者が田舎に転勤になって死ぬほど辛い話が話題になっているので、隙あらば自分語りをしようと思う。
当方はアラサーの在宅ワーカー、運転免許は所持しているが持病があり車の運転に不安がある。関西の政令指定都市の中心部にほど近い、終電を逃しても中心部から家まで歩ける距離の場所で生まれ育った。
酒が好きで、友人と頻繁に飲み会を開いたり一人で飲み屋に入ったりすることもしばしばあった。
関西の別地区(駅前以外はそこそこ田舎)出身の夫と結婚してすぐに関東の大都市に転勤。そちらには友達もいて、スキルアップのために仕事と並行して専門学校に行ったりして毎日が充実していた。しかし1年で中国地方に転勤することになった。
ここまでが前提である。
中国地方の田舎に引っ越す際、その地方の大きな駅周辺ではなく、大型スーパーに自転車で行ける距離の場所に家を借りた。既に車を1台所有していたが旦那が通勤で使うため、日中私は使えない。もう一台車を購入することも考えたが、持病のことと今回も1年で転勤になったら……と思うと二の足を踏んだ。
同県内の中心部に近い場所に友人がおり、県庁所在地のある場所で会うことになった。旦那とは共通の知り合いがいないため電車で行くことにし、徒歩だと45分くらいかかる最寄り駅まで車で送ってもらい、駅に入る。
駅員さんがいない。
まあ、これは想定内だった。
改札もない。
都会で見慣れた自動改札機がない。ICカードが使えないのではないか。仕方ない、切符を買うか……。
券売機がない。
これは想定していなかった。どうやって切符を買うのか分からない。アラサーになって電車の乗り方が分からないなんて思いもしなかった。
バスと同じ後払い制なのか?と冷静になれば分かるのだが、私にとって電車は券売機で先に切符を買うというものだと信じて疑わなかったのだ。
「終電21時→到着翌朝5時」……? アプリで終電だと表示されたルートだと、途中の乗換駅から最寄り駅までの電車が朝の5時前までなく、22時半から5時まで待つというルートだった。前の時間の電車を調べ、県内の中心部から最寄り駅に電車で帰れる終電は「19時半」だということが判明した。終電19時半……これが田舎の公共交通機関か……と頭を抱えた。
田舎に住んでいてある程度は覚悟していたが、「遊びに行くのに予想以上に交通費がかかる」ということが出かけることに対してハードルになった。
中心部に買い物に行くだけで3000円。
家の周りには徒歩で行けるお酒を出す飲食店がない。お酒を飲んだら運転ができないので車で行って代行で帰ることになる。美味しい店は20km先ということもざらにあるので、飲食費とは別に約5000円。
家賃が都会に住んでいた時と比べて安くなっているとはいえ、形の残らない交通費に数千円を出すことにためらってしまう。私は実家の立地が良かったこともあり、交通費に片道1000円以上かかることが滅多になかったので、抵抗が大きかった。
遊びだけではない。
平日の昼間。旦那の仕事中に足にけがをしてしまった。足首に痛みが走り、段々と腫れあがっていく。田舎の病院は数えるほどしかなく、最寄りの数キロ先の病院は休診日。その次に近い病院は十数キロ先。最寄りのバス停から直通バスはない。田舎の病院の診療終了時間は早いので旦那を待っていられない。救急車を呼ぶレベルでは全くないし、そうなるとタクシーか、と考えた所でタクシー代が頭を過る。……それなら一晩様子を見よう。
そう考えた時に「これがもっとひどい病気や怪我だったら……?」と怖くなった。生活がひっ迫しているわけでもないし、旦那はタクシーを使ったからと言って怒るような人ではない。しかし都会ではすぐに医者に行こうと思うことも、こちらだったら行くのを躊躇ってしまう。それがとても恐ろしくなったのだ。
田舎に暮らしていて良かったこともあるし、辛かっただけの生活ではなかったが、持病や運転に不安がある自分には田舎は辛かった。
当方20代後半、大阪府下(京都寄りの北河内)に生まれ、浪人を経て23歳で京都の某私大の文系学部を卒業し、海運会社に総合職として就職。配属は営業職。大阪で3年間勤めた後、地方転勤を言い渡された。
転勤先は九州のど田舎。海運会社なので港がある町だが、それはもう大変な田舎。人口は3万人をやっと超えた程度で、市内にJRの駅はかろうじて1駅あるも、1日数本程度しか運行しておらず、引越して1年経つまで踏切の音を聞くことはなく、列車の車体を見たのは1年3ヶ月経ってからのことであった。ちなみに新幹線の駅までは100kmほど、車で下道走った場合2時間ちょっとかかる。そんな町で、営業職とは名ばかりの何でも屋をやっている。
転勤が決まった頃は「うわあとんでもない田舎に住むことになってしまった……1年で転職して関西帰ろ……」と思っていた。友人に転勤を報告したLINEでそう発言している記録が確かに残っているし、本気でそう思っていた。しかし、転勤から1年半が過ぎたところだが、私はまだこの町に住んで、同じ会社で働いている。
少し時を遡って、転勤前の大阪勤務時代の話をしたい。2019年1月頃の私は、同じ部署にいた10歳年上の上司から地味な嫌がらせを受け続けて1年以上過ごしており、どこでもいいから異動したくて仕方がなかった。そんな折、人事部長との面談の機会があり、諸事情を話した上で異動したい旨を伝えた。弊社は個人の希望が人事異動に反映されることはごく稀なのだが、若手は2〜3年で部署異動し、様々な経験を積む方針が明らかにあったため、ここで話しておけば早ければ春に動きがあるだろうと見込んでいた。
そして目論見通り、3月半ばに異動を言い渡されたのだが、前述の通り、転勤先はど田舎であった。
内示から着任までの期間は2週間、短いリミットの中でまず足を運んだのは中古車ショップ。そう、家を決めるよりも先に車を買ったのだ。これから暮らす町は車がないと生活ができないレベルの田舎だった。鉄道については前述の通り、路線バスは走っているものの、職場から最寄りのバス停まで3kmほど離れている。徒歩or自転車で通うにしても街灯が少ないため、一応女性の当方としては少しばかりの恐怖心があった。
ここで様々なチェーン店の最寄り店舗まで車でどれほどかかるかを説明したい。田舎度合いを計るにはこれが一番わかりやすいと思っている。
マクドナルド:30分
ユニクロ:30分
ドンキ:30分
イオンモール:50分
ざっとこんな感じである。自宅から車で10分圏内にコンビニ大手3店が揃っていて、謎に100均とドラッグストアも複数ある分暮らしやすいが、娯楽までの距離は遠い。ちなみに鳥貴族とサイゼリヤは県内にない。これが結構つらい。
話を戻そう。そう、こういう土地に住む上で家の次に必要な物が「車」だった。私は内示を受けた3日後、中古車ショップに向かった。その日は家族で白浜に行く予定にしていたため、運良く揃っていた両親のアドバイスを受けながら車を選ぶことができ、手頃な軽自動車を購入した。この時の前提と重視したポイントは以下の通り。
・カーナビ付き。
・5〜6年前までのモデル。
・2〜3年で恐らく関西に転勤になる。
一番最後の項目だが、地方の次は本社がある関西に戻す、という弊社の傾向を踏まえたものである。つまり、「車に乗って生活するのは恐らく2〜3年だが、生活のために車を買おう」という意志のもと、条件に合う車を購入した。奨学金200万を繰上げ返済したばかりの社会人3年目には80万が限度だったが、母に60万借金することでローンを組まずに済んだ。余談だが、明後日振り込まれるボーナスでこれも完済となる。
そして私は車を買った10日後、今住んでいる町に引っ越した。単身者が少ない土地柄のため、家賃5.3万円の2LDKに一人で住んでいる。実は人生初の一人暮らし、家族大好き実家大好き人間のためホームシックになるかと思いきや、旅行好きの性分が幸いし、休日は今まで行ったことがない観光地や景勝地を巡って楽しんだ。それなりにアウトドアを楽しむ才能があったし、なんとなく気づいてはいたが、どうやら女の割に車の運転が好きらしい。加えてオタクの当方、インドアの才能もあった。漫画を読んだりアニメを観たり、家から一歩も出ずに過ごすことも大好きで、つまるところ、適応能力が高かったのだ。
そして九州の田舎の人々はそれはもう優しくて温かくて、当時の上長はじめ職場の人々との相性が良かったのか、大阪勤務の頃よりも伸び伸びと働くことができていた。メンタル面の変化は肌の調子にはっきりと出ており、顔中にできていた吹き出物は姿を消した。職場に行くのが苦ではない生活は久しぶりだった。
ここまで楽しい田舎暮らしをつらつら書いてきたが、そう思えていたのにはもう一つ理由がある。職業柄、自身の財布を痛めることなく毎月、多ければ月2回、大阪の実家に帰ることができていたのだ。これはかなり大きい。田舎暮らしに苦しめられている東京育ちの某方には申し訳ないほどに。関西に住んでいる友人たちと、それなりの頻度で遊ぶことができていたし、趣味の観劇も大阪公演であれば気軽に足を運んでいた。仕事終わりに飲んだりカラオケに行ったり、平日夜にしがちだった遊び方ができない程度だった。
もちろん、田舎でも生きていけそうなくらいにはフットワークが軽い性分を理解していたから転勤をすんなり受け入れたし、この特権があるからこそ、地方転勤がほぼ確実であるにも関わらず弊社への入社を決めたし、なければ田舎暮らしは耐えられないだろうな、と思っていた。今年の2月までは。
コロナ禍により、2月末からしばらくの間帰省禁止となった。当初は1ヶ月程度で収まるだろうと思っていたが、日々状況は悪化し、長期化の様相を呈してきた。3月末の某日、とある舞台の大阪公演に行くため飛行機を押さえていたが、空港に向かう道中「もしあの田舎にコロナを持ち込んでしまうことになったら、特定されて村八分にされるかもしれない」という恐怖に襲われ、半泣きになりながら葛藤している最中、公演の中止が発表され自宅へUターンしたことがあった。飛行機が出発する1時間前のことであった。その後緊急事態宣言が発令され、ど田舎の支店にもテレワークが導入された。
GWも実家に帰らず、田舎で大人しく過ごした。大人しくと言っても、何度か人の少ない場所へドライブには行っていたし、感染者がほとんど出ていなかった県に住んでいるため、映画館の再開が都会よりも早く、再開初日に2作品をハシゴしたり、エンタメに飢えていたオタク心を都会の人より先に潤していた。漫画とアニメとドラマとドライブ、そして友達とのテレビ電話が私の日々を支えてくれていた。そんな生活の中で思ったことは「思っていたよりも一人で楽しく生きていけるんだな」ということだった。
いつのまにか実家に帰らず4ヶ月の時が流れ、6月上旬、久々の帰省を果たした。母の手料理を食べながら家族で談笑する時間が愛おしく、実家への愛着を再確認する日になったが、次に帰省したのは3ヶ月後のことだった。その3ヶ月間も変わらず、仕事をして、アニメを観て、漫画を読んで、ドラマを観て、映画を観て、ドライブに出かけて過ごしていた。家族に会えず、友達と遊べないことはストレスだったが、大阪に住んでいたところでコロナ禍では会うこともままならない日々を送っていただろうし、感染者が比較的少ない土地で過ごしている方が気楽だろうと思っていた。
ここまでつらつらと転勤の経緯や当方の生活ぶりを書いてきたが、田舎暮らしを送る上で思ったこと、これから転勤等で田舎暮らしを送るだろう人へのアドバイスをいくつか箇条書きで書いていきたい。
・電車やバスに乗って出かけられるところは言うほど田舎ではない。
・田舎暮らしを充実させたければ車を買うべし。田舎に馴染む気がないから買わないとか言ってないで買ってみたらいい。馴染めなかった田舎を少しは楽しめるようになる。
・田舎で暮らすには「田舎を楽しむ」姿勢が大事。「住めば都」なのではない。「住んでいる土地を都とする」のだ。
田舎暮らしを肯定するようなことを書いてきたように見えただろうが、正直なところ、最後の一文が一番の本音である。住んでいる土地を都とするのは個人の心持ち次第だと思ってはいるが、そう思う気力は一生続くものではないと感じている。
当方20代後半の女性であるが、転勤前から彼氏はおらず、いろんな意味で身軽に引っ越してきた。1年半以上を田舎で過ごしている間に同級生の数人は結婚していったし、中には親になっている人もいる。しかし、田舎に定住する気がない私のプライベートはというと、完全に停滞しているのだ。何もしていないからだという指摘は存分に受けよう。しかし、遠くないうちに関西に戻ることが9割方確定している女性と付き合う男性がどれほどいるだろう。魅力的な男性相手なら、結婚を機に田舎に定住したくなるかもしれないけど、私は関西に戻ってからプライベートを動かす努力をしようと決めている。
1年半程度を田舎で過ごしてみて、都会の田舎程度でもいいから、都会に住みたい、と改めて思ったからだ。車がなくても生活できるところに住みたい。適当に電車に乗れば梅田とか神戸とか京都に出ていけて、0時を回るか回らないかくらいの終電で家へ帰れるところに住みたいのだ。車の運転は好きだけど、自分の車を持ちたい!という欲は一切ないし、カーシェアやレンタカーでたまにハンドルを握る程度で満足できる。
田舎生活は楽しい!楽しいけど!それよりも!気軽に友達に会えて!実家に帰れて!エンタメに触れられる生活の方が欲しい!!!!
と言っても、祈る以外にできることはない。短ければあと3ヶ月ちょっと、長ければ1年以上今の環境に身を置くことになるが、これまでと変わらず田舎での暮らしを楽しむスタンスを崩すことなく、「早く関西帰ってきて!あそぼ!」と言ってくれる友人がたくさんいる幸せを噛み締めながら、1日も早い関西凱旋を夢見て過ごそうと思う。東京生まれ東京育ちの若者が住む場所を都と変えられることも祈っている。
https://anond.hatelabo.jp/20201201184650
当方20代後半、四国に生まれ、高校まで四国で過ごし、大学は関西の田舎にあるキャンパスに通っていた。紆余曲折あり25歳まで正社員をせずフリーターの身で田舎で過ごし続けていたが、25歳になり大阪のど真ん中で正社員となった。
勤務先は大阪の地下鉄沿線の製造業の会社で、事務をしたり現場(これも大阪市内の工場)に出張に行ったりしている。
・・・と、上記記事のテンプレートに則って書くのはここまでとして、結論から言うと大阪での生活は可もなく不可もなくである。
良い点と悪い点を書いていこうと思う。
・良い点
①気軽に何も考えず出掛けられる
上記記事に、都会は「心理的負担なく出掛けられる」という話があるが、車を持っていない人からすれば確かにそうだと思う。俺も大阪の街中で高校生とかを見かけると羨ましく思う。こんないろんな物が満ち溢れた世界で高校時代を過ごしたかったな、と。
また、上記記事に「東京に住んでいる時には外に出る理由なんて一切必要なかった。」とあるが、これは大阪も同じである。休日にとりあえず梅田行くか、心斎橋行くか、天王寺行くか、みたいな感じでふらっと街へ行くことが多い。実家だと取りあえず出かけるというとイオン一択になってしまう。
②街の変化にワクワクする
俺が大阪でよく行く街は梅田だが、あちこちで再開発がされており、完成後の姿を想像すると非常にワクワクする。ただ、当の大阪人たちはそんなにワクワクしないらしく、これは俺のような田舎出身の人間特有の心理なのかもしれない。
これのどこが良い点なのかと思うかもしれないが、この土地の未来が楽しみであるという感覚は、過疎化で衰退する一方の田舎とは正反対の感覚で、自分の気持ちもポジティブにさせてくれるものなのだ。
③交通費が安く済む
大阪市内に住んでいる俺のメインの交通手段は地下鉄だ。車は持っていない。車の維持費に比べれば地下鉄の交通費なんてかなり安いだろう。
しかも俺の場合、自宅-会社間の定期券ではなくマイスタイルという地下鉄の定額サービスを契約しており、その交通費も会社負担のため、大阪の主要な街には実質無料で行くことができる。
・悪い点
①人が多いことによる弊害
田舎出身の俺は、行列に並ぶことへの心理的負担が都会人よりも大きいと感じる。とにかく行列が待てない。行列に並ぶぐらいなら諦めるor別の場所へ行く、となってしまう。
また、朝夕のラッシュにも多大なストレスを感じる。ある日の帰り、電車で横にいた奴に肘打ちをされたのだが、その日一日中俺の怒りは収まらなかった。
そのことを同僚に話すと、「そんなことで怒ってる奴なんて初めて見た」と言われた。都会人的にはそういう行為は一瞬イラッとはするが、その後その怒りをズルズルと引きずったりはしないらしい。
それを聞いたとき、俺には根本的に人混みが向いていないのだなと感じた。
②家賃はやっぱり高い
大阪は東京と比べるとかなり家賃が安い方だそうだが、それでも家賃は高いと感じる。
大阪市内の地下鉄沿線、オートロック、トイレ風呂別、角部屋とかなりの好条件ではあるが、たった6畳の極狭なワンルームで毎月の家賃共益費が6万円。
対して四国住む友人は2LDKのマンションに4万円台の家賃である。
また、今のところ車を買う予定はないが、車を買えば毎月1~2万の駐車場代も発生する。
③夜も騒がしい
夜寝るときも外から何かしら音がする。一番びっくりしたのが、真夜中に道路工事をすることだ。
田舎だと昼間に車線規制とか片側交互通行とかして道路工事をするが、都会では夜中にするらしい。
上記記事に、周りに人の気配がないのが孤独という話があったが、田舎育ちの俺には分からない感覚だし、静かなことに越したことはないだろうと思う。
いま東京住み。
東京より快適と思った。
必要なものはたいてい揃っているし、スーパーの駐車場も混んでいないし、海にも山にも30分もかからない。
新幹線の窓から眺める工場エリアとは、また違うのだろうけれど。
個人的に住んだなかでは、いちばん快適なのは関西の郊外じゃないかな。北摂とか阪神間とか。
山に行きたければ六甲山がすぐ。
東京ほど混まない。
言いたいことはよく分かるんだけど、後半部分の「箱根や··········新宿御苑」に挙がってる例があまりにしょぼすぎて、やっぱり余暇は関西のほうが優れてるんだなと思ってしまいました。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4695013899158492162/comment/ymhb
都内の職場で恋に落ち、しばらくして同棲し、時々どちらが皿を洗うかでケンカしながらも、それなりに暮らしている。
1人で抱え続けるのも少し疲れたのでちょっと聞いていって欲しい。
兄弟姉妹に障害を持つ人がいる人のことをきょうだい児と呼ぶらしい。
私は2人兄妹で、5歳上の兄が生まれつき軽度〜中度の知的障害を持っている。
簡単な読み書きは出来て、なんなら私より綺麗な教科書通りの字を書く。
電車が好きで、休みの日には色鉛筆を駆使して私鉄の電車の絵を描く。
普段は一般企業の障害者雇用枠で働いていて、実家から毎日電車に乗って通勤して、多くはないが毎月給料を得ている。時々会社から製品の割引クーポンが送られてくると家族に分け与えてくれる。
父とサッカー観戦に行き、(隣以外には聞こえない声で試合と無関係な独り言をぶつぶつ言いながら)観戦しては帰ってきて手洗いとうがいをこなす。
家族に対してすらめったにボディタッチをしてくることもないため、危害を加えられない限り他害はしない。
様子だけ見るとちょっとコミュ症なだけに見えるのだが、会話してみるとかなり幼さの残る受け答えや落ち着きの無さが如実に現れる。
"ちょっとのんびりした子"どころでは無さそうだぞ?と気付かれるわけだ。
まぁそれでも親や親戚、ご近所さんや支援級の他の親御さんに可愛がられながら、アラサーになった。
彼は自称"お兄ちゃん"だが、私にとっては今でも"落ち着きのないデカい弟"である。
さて、先述した「きょうだい児」で検索すると「きょうだい児 結婚」というのがサジェストされる。
世のきょうだい児は、結婚において大きな不安を抱えているのだ。
自分たち家族だけで暮らしていくならこれまで通りの暮らしが続くだけだ。
しかし結婚となると話が変わる。バックグラウンドの全く異なる結婚相手とその家族が登場する。
「家族に障害者がいるんだ」と言った時にまず恋人はなんと言うだろうか?
この人なら受け入れてくれそうだと思っても、その瞬間を想像するだけで内臓が口から全部出てきそうなぐらい緊張感が高まってしまう。
どれだけお互い愛し合っていても、そのリアクション次第で2人の関係が終わってしまうかもしれないのだから。
もしかしたら相手は「そうなんだ!どんな性格?」なんて"普通の"きょうだいの話を聞くみたいに受け止めてくれるかもしれない。
しかし、そうでなかったら。
「えっ?あ、そうなんだ…」なんて言われたらもうおしまいだ。
近いうちに別れ話をすることになる。というかその日のうちに別れ話をされたこともある。
でもこれは仕方がないことだ。
相手の育ってきた環境によって培われた価値観はそう簡単に塗り替えられるものではないことを私たちは知っている。
もしかしたら何か危害を加えられたことがあるのかもしれないし、そうでなくても困らされたことがあったのかもしれない。
異性の、あるいは同性のでも他人の介護をする可能性があることに不安感がある人だって当然いる。
きょうだいの存在をカミングアウトする事は、両親に結婚相手を紹介するときの何倍もリスキーで、何倍も恐ろしい。
偏見かもしれないが、中高年の世代は若い世代に比べて差別意識を隠さない人が多いように思う。
差別しているという意識がそもそもない人もいるのかもしれない。
ゆえに大切に育ててきた我が子の恋人にそのようなきょうだいがいると知った時、おそらくショックを受ける人が多いだろう。
「孫に遺伝するのでは?」「両親が歳を取ったら夫婦できょうだいの面倒も見なければならなくなるのでは?」「今は良くてももし関係ない人にも迷惑をかけるようになったら…」など、たくさんのネガティブな想定が頭に浮かぶはずだ。
きちんと両親ときょうだいの老後のプランを考えてプレゼンすれば納得してくれるかもしれない。
それでも、叶わぬ恋になってしまうことは往々にしてある話だ。
「きょうだいに障害があることで恋人を振るような相手ならその相手の存在がきょうだいにとって良くないものなんだから別の相手を探せばいいじゃないか!」という意見を見たことがある。
そういうことではない。そういうことではないのだ。
自分のきょうだいのことを好きな人も嫌いな人もいるが、その恋人との将来について考えているのは、自分の将来について思い悩んでいるのは、まぎれもないきょうだい児本人なのだ。
障害があろうとなかろうと、子の面倒を見るのは親のはずだ。決してきょうだいではない。
自主的にケアをしようとする場合以外は自分自身の将来のことだけを考えれば良いはずなのに、どうして本人の結婚にきょうだいがこんなにも影響するのか。
どうして自分が産まれたのかについてかなり悩んだことがある。なんなら今も悩んでいる。
もしもそうだったら、私は結婚せずに実家にいて、家族が全員旅立つ日まで世話をし続ける想定だったのだろうか?
まだ怖くて親には聞けていない。
まぁ聞いても本当のことは言わないだろうが…
親が年老いた後も障害を持って産まれた我が子の面倒を見てくれる存在がいれば助かる。
我が子が"普通に"成長していく姿も見てみたい。
まぁ、なんというか、そういうことなのだろう。
私って何のために産まれたんだろう?
実は、恋人には「良い奴なんだけどちょっとトロくて話し下手な兄がいる」ということしか伝えていない。
そろそろ話さなければと思ったが勇気が出ないのでここに吐き出した。
正直に言うと同居して面倒を見たりするつもりはない。もう若くない両親が裕福ではない実家で面倒が見切れなくなったら、グループホームか施設で暮らしてもらう予定だ。
私とケンカしながら暮らすより、それなりのお金を払ってスタッフにケアしてもらったほうがきっと彼も生きやすいはず。
もちろん、兄にも兄の人生がある。
ずっとそばで見守ってはあげられないけど、できる限り楽しく生きていて欲しい。
子供がいる友人たちは「産めば可愛く思うようになるよ」と言っていたが、私のように苦しむ子供はこれ以上増やしたくない。
何十年か後になって、これまでの苦しかった気持ちが癒されたら、「それでも子供を産んでおけば良かった」と思うのだろうか?
…多分思わないと思う。
阪急と比較して、京阪は踏切が開くのが遅すぎて、開かずの踏切の原因になっている気がして、いらいらしている。
家の近くの阪急の踏切は、列車が踏切を通り過ぎると、方向表示の矢印がすぐに消えて、すぐに遮断棒が開く。列車通過1〜2秒で開き始める。
京阪の踏切は、踏切を列車通過後、5秒ほどして矢印表示が消えて、さらに5秒ほどして遮断棒が開き始める。
ひとつの列車の通過ならいいのだが、複数の列車が通過するときに開かずの踏切の原因になっている気がしてならない。
上り列車が通過した、やっと矢印表示が消えると思ったら下り方向が点灯。
その上りが踏切を通過し、ようやく矢印が消えて渡れると思ったら、上り矢印が消えると同時に下りが点灯!!!
このおかげでどれだけ乗りたかった列車に降り遅れたことか!!ほんとに!!!
安全が第一というのはもちろんわかる。ダイヤが変われば解決することもあるだろうが、1箇所の踏切のためだけに変更できるようなものではないというのもわかっている。
路線特有の問題とか、会社の規則とかあるのかもしれないが、京阪は無駄な安全係数を取りすぎているように思える。
踏切の開くタイミングにかかわらず、開かずの踏切問題はどうにかならんのかと思い、
今日も定時ダッシュしたのにもかかわらず踏切に引っかかって、乗り継ぎが良い電車に乗れずにくやしい思いをしながら待ち時間でで書き殴った次第です。