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はてなキーワード: 関西とは

2020-11-28

KKOと泣いても許されない関西ブス幸せになってほしい

happy end...

新百合ケ丘に新幹線は停まらない

関西方面用事があったんだけど、シンユリに着いてから気付いたわ

仕方がないか小田原までロマンスカー乗っちゃったよ

2020-11-27

[]ワンタンメン 関西だししょうゆ

地域限定の味だから興味本位で買ったけど失敗したなあ。

不味いとまでいうつもりはないけど、残りの4食分を思うと気が重くなる程度には後悔している一品

チャチっていうか、スープの風味が麺と合ってない感じ。

ポテチにも地域限定関西だししょうゆ味があるんだけど、それを思い出した。

個人的関西だししょうゆ味はポテチイメージが強いから、お菓子フレーバーをそのままラーメンスープにしているように感じるんだと思う。

いずれにしろエースコックワンタンメン食うんなら、いつものオリジナル版の方が断然いいかな。

2020-11-25

anond:20201125185944

関西文化圏の影響受けてると嫁と言うらしいね

地域性から許してあげな

日本学歴マウントが一番うざいのは関西大学のやつ

この言葉東大生に向かっては言っていい資格がある人間はそんなにいないってのがわかってない。

上野の話は自分東大教授という立場からあくま東大生に向けて言ってるのであり双方の対話なんだよ。

東大関係ない外野上野言葉を拾ってとやかく言ってるのを見ると勘違いもほどほどにしろよと。

アボガドバナナかと。

大半は努力してない言い訳したいだけだろ。プライドってもんがないのかよ。

年収400万以下の世帯とかならわかるよ。そりゃ大変だろ。

努力して東大で教鞭取るようになった人間がいうのもわかるよ。尊敬できるからそういうやつがいうならわかる。

でも年収600万の家庭に育った奴が言うのはクソだろ。そりゃただの言い訳じゃん。

お前らは十分努力すれば報われる立場だった。

そういう人たちが年収1000万世帯を指してあいつらは恵まれてる!=俺が東大に入ってないのは俺のせいじゃないって言いだしてんの?

ダサすぎ!

こんどからこの話したいなら親の年収を心の中で唱えてからやれカス

そもそも、そこでなんで東大生やり玉にあげるかね。

学費の面で言うなら国公立大じゃなくて私立医学部とか私立文系だろ常識的に考えて。

お前らのせいで上野に言われるまでもなく、東大生ってそのあたり嫌というほど自覚させられるんだよ。

開成とか筑駒みたいに周りも東大生を目指してる連中だけに囲まれ大学まで言った人間自覚いかもだけど。

塾とか通ってたら自然東大以外を目指してるやつらと一緒になる。

その時にテレビとかのせいで周りからひがみの目線で見られまくりってのは感じるんだよ。

から東大以外のところで東大をひけらかすような人そんなにいない。

そんなのは東大生であること以外に自分に誇れるものがないやつだけ。というか、他の大学なんてどーでもいいんだよ。これをマウントというならそうかもしれないけど。むしろ早稲田とか慶応とかMARCHみたいな中途半端大学学歴ひけらかしてマウント取ってきてうざい。 


この際だから言っておくけど、学歴マウントが一番うざいのは関西大学のやつだ

これはガチ

付属ではなくて受験して関西大に入学したの連中の俺努力して大学に受かったぜアピールはまじでやばい

しかもこいつらとにかく同じ大学で群れる。大学への帰属心が強すぎてキモい中華街ならぬ関西大学街とかできても不思議ではないレベル

んでこういうやつらが東大生かに出会うと「努力だけしてればいいって状況にいるのが既にめちゃくちゃ恵まれてる」って言いだす。

なんなのこいつら。恥という概念がないの?

いつもあきれる。

関西大学人間って東京人間からどれだけウザがられてるのか自覚しろ

かくいう私は高卒ですが何か。 大学いってるようなやつらは恵まれてる!許せない!

あ、ごめん。関西学院大学だったわ。 大学行ってないから違いがよくわかってなかった。

常に劣等感を感じる

同じような人いない?20代後半、独身サラリーマン

早生まれで学年の中では体つきが小さく、割と性格もおとなしい方だった。出身関西田舎の方にある小規模の都市で、中学だとクラスに何人かはヤンキーがいるようなところ。そういう土地だと、体が大きかったりスポーツができたり、ハッタリでもいいから悪ぶってたりする人がとにかく幅を利かせているから、自分みたいなタイプは割と居場所がなかった。あと、子供ほとんど全員が小学校まで、野球サッカーのチームに入っている(地方の人はわかると思う)けど、自分はより田舎の郡部の村から小学低学年の頃に引っ越してきたこともあり、どちらも入っていなかった。こうなるととにかく居場所がないし、舐められるし、劣等感ばかり募る。

生きる術として、絡まれにくい目線の外し方とか、自虐とかで笑いをとる最低限のコミュニケーション能力があったから明確にいじめられたことはなかったけど、ヤンキーだけじゃなくてたくさんの同級生に舐められてるな、と思うことは何度もあった。中学では運動部に入ってないからとか、体が小さいから、悪ぶってない(学ランの第一ボタン第二ボタンを外してない)から、というのでよく下に見られることが多かった。高校では偏差値が上位の公立校に入ったのでヤンキーはいなくなったけど、場の雰囲気は変わらないどころかもっとみんなマウンティングし合ってるような感じになった。高校では、球技が苦手で球技大会とかで活躍できないことも理由に加わって、見下されたり、ということが多かった。気にしすぎなんだと思うけど。

その後、大学から東京上京してきて、就職して今に至るが、いまだに当時の価値観劣等感を引きずって幸せになれない。誰かに見下されてるな、とか舐められてるな、という感覚に異常に敏感で、常に頭の中で憤ってしまう。そうじゃない人から見たら本当にバカだと思われるだろうけど、頭の中で常にいろんな知り合いが自分を見下して馬鹿にして、それに何も言い返せなくてもがいている感覚

東大を出て公務員系の仕事についたから、お金はないけど会社名前インパクトがあるということで、高校とか中学地元の元同級生と、誰かの結婚式とかで再会すると、同じ価値観を引きずってると思しき人からちょっと卑屈な感じで言葉をかけられたりすることがある。「おれはちょっと勉強舐めててサボりすぎたわ〜」とか、「お前の職場なんか天才ばっかりなんやろ?」とか。逆に同じ東大に入った別の地元同級生からは、よく海外出張に行ってることを自慢げに話されたりすることもある。(そんな小さなことでマウンティング合戦をするのが当然の価値観の中でみんな育ってきたのだ)

高校までそればかり気にして生きてきたからか、誰かが誰かを見下すとか見下されるとか、そういう価値観が本当に苦手で、そういう言動に触れると本当に嫌な気持ちになってしまう。自分のおとなしい性質地域雰囲気に全く合わなかった結果の不幸だと思っている。

また、他人言動を聞くよりももっと嫌なのは、内心では自分もその価値観(人を上とか下で見る価値観)にどっぷり浸かってしまっていて、地元に残った元同級生で、昔は威張っていた人なんかを、心の中で無意識に見下して溜飲を下げようととしているのを感じる時。

とにかく人と接するとそんなことばかり延々と気にしてしまうから、とにかくコミュニケーションを取るのがほとほと嫌になってしまった。どうすればいいですか、神様

2020-11-24

北海道の人が「北海道方言だ!」と勘違いしている言葉

ほとんどは、北海道に移り住んだ人が、元いた地方方言だよね。

なまら」は新潟

「いずい」は宮城

「わや」は関西

とうきび」とか「なげる」とか「おだつ」もそう。

anond:20201124093214

それは関西式の自虐ツッコミ待ち法では?

・・・ブリカスのんは、(自分ら堕ちた可哀想な奴やで労られて当然やから何ゆうてもええやろ)な、相手に対してキツいのが真髄かと

2020-11-23

ツイフェミ(総称)はなぜ自己矛盾してしまうのか、そしてなぜオタク対立してしまうのか

※ツイフェミとはTwitter上でフェミニズムチックな言動を行うが学問としてフェミニズムを勉強したことはなくリアル積極的活動しているわけでもない方々の総称です。

いわゆる"萌え絵"バッシングとはつまるところ、オタクが見て息を荒くしているのを想像すると気持ち悪いという生理的現象による不快感理由としているのは誰もが認めるところであるはずなのに、昨今は「公共空間に出すのが問題」「描かれた意図文脈問題」「TPO考えろ」「規制しろとは言っていない」「見えないところで勝手にやればいい」「表に出てくるな」という方向にシフトしてきている。もちろん旧来の「オタクキモい」「こんなの見たり描く奴は一生結婚できない童貞引き籠もり」「パブリックエネミーだ」式の批判を展開する御仁もいらっしゃる相対的には減ってしまったように見える。

差別糾弾する正義立場であるという自己認識邪魔をして心の奥底にある罵詈雑言を隠すための論理武装必要となり、本人ですら言語化できないマジックワード"性的消費"を武器したこと自己矛盾やツイフェミ間でさえ見解の相違を生んでしまっているのではないだろうか。「オタク人権は無い」「オタクなんて全員犯罪者予備軍だ」と週刊誌や口さがない方々が公言していた時代に比べれば随分と人権意識も向上したものだ。だが結果的にはこの杜撰論理武装が様々な軋轢定義が一意に定まらない用語を用いた議論不毛である)を生んでしまった。オタクとはとどのつまり変な理屈を見れば「いやそのりくつはおかしい」と早口で突っ込む動物なのだ。そして動物理屈など必要ない。ただ一言もっと素直に「オタクキモい!」と言えばいいのだ。それは半世紀近くも前から繰り返されてきた日常である太陽が東から昇り、西に沈むぐらいに自然なことだ。関西で言えば「儲かりまっか」に等しい挨拶だ。挨拶しただけで怒る人も世の中にはいるかも知れないが、殆どの人はにこやかに挨拶を交わすだろう。たったそれだけで不毛な争いはなくなる。挨拶は心の架け橋挨拶世界を救う。

2020-11-22

グッズ依存症をなんとか辞めた話

 

自転車操業破綻してやばいことになってる人とそれに巻き込まれ被害者の話を見かけて、私もグッズで破産しかたことがあったので増田に書き捨てることにした。

数年前まで私はガチめのグッズ厨だった。推しのグッズがでる度にはしゃいで買い求める、典型的なグッズ厨だった。

コラボイベントがある度に会社を休んで初日始発に店舗に向かい推しが出るまでランダムグッズを買い漁り、新商品が出る度にアニメイトに箱で予約しにいき、ついでにおみくじ感覚で陳列されているトレーディング缶バッジなどを買う女だった。

そんな生活を過ごしてたら当たり前だが普通に破綻したので、この記事でグッズ集めるの辞めたいな。とかグッズ買うの止められない。 なんて思ってる人の参考になれば身を滅ぼした甲斐があるので嬉しい。

今でもこのジャンルは好きなのとやめ方が酷いのでジャンルについては敢えて伏せるが、多分読んでく内にあーあそこのジャンルね。と分かってしまうかもしれない。その時はそっと心の中に閉まってくれると嬉しい。

あとグッズを集めている人からしたら信じられないような最低な手段を用いてるのでそれだけを踏まえて読み進めてほしい。

 

そもそもグッズ厨になったきっか

十数年前に流行った作品の周年企画でトレーディンググッズを買ったことだと思う。

それまで缶バッジすら出ないようなジャンル作品しかハマったことが無かったので、初めてトレーディングに手を出した。

結果、推しがでた。

これがダメだった。推しが出た成功体験結果的に悪かった。

と言っても記念グッズなのでこれ以上グッズが出ることもなかったのでこの時点では問題なく終わった。

 

大人作品にハマってしま

今まで商業的に成功してなかったり商業化すらされてないインディーズ作品など、いわゆるマイナー作品しかハマってなかったのが、ある日当時大人気だった作品キャラにハマってしまった。

コラボカフェをやるような作品に初めてハマってしまったのだ。

右を見ても左を見ても作品のグッズで溢れかえり、コラボイベントコラボグッズがどんどん決まっていく。

こんなことは初めてだったので、このビッグウェーブに乗らなければと思い、ナンジャタウンコラボイベントをやると聞きつけ初日に始発で参加した。

人生で初めて推し名前があるメニューを頼み推しブロマイドを貰い、推しのグッズを手に入れた。

さらアニメイトカフェなるものもやると聞き、急いで会員登録をしてアニメイトカフェに応募した。当選した。

推しメニュードリンクを頼んだ。推しコースターが来た。

缶バッジを上限まで買った。推しが4個来た。

この時点でもうダメだった気がするけど、アニメイトカフェに行った後、さらに他のイベント限定グッズを売るらしいことを知り、他の店でコラボイベントをやるらしいことも知った。

これらに全て参加し、上限まで購入したランダムグッズ全てに推しが出たりしてる間に、いつのまにか立派なグッズ厨が出来上がっていった。

 

・レート文化

何が出るかわからないランダム性のグッズをよく買う人はみんな知ってると思うけど、キャラによってレート差がかなりある

期間限定販売のグッズなどはだいたい上限が決まっており、推しがでなくても追加で購入できない。そうなるとレート差はかなり深刻な問題になってしまう。

自分推しだんだんレートが高くなっていったので、交換ではなかなか手に入らなくなってしまった。

ただ上限が6個まででも推しが2個はでるような運を持っていたので、自引きが一番手っ取り早く確実に推しをゲットできる方法だった。

当時はめちゃくちゃラッキーな上に推しに愛されてるじゃんハッピー。などと思っていたけど、結果的に見れば買えば出るという成功体験が積み重なって、よりグッズにのめり込む要因となってしまったと思う。

 

・痛バ文化

痛バという文化は正直馴染みが無かったのだけど、池袋を歩けば何かしらの痛バをいっぱい見かけるので抵抗感はなかった。

それと公式で行われるイベントで痛バを持っていると反応してくれるケースが何度か起きたのだ。

ここまでされたので勿論作った。持って歩くだけでめちゃくちゃ楽しかった。

あと交換の時に説明が省けて楽だった。

色んな理由で痛バ作りにハマり、そうするとますますグッズが欲しくなる。

家で飾る用、痛バ用、予備、3つは推しを集める必要もできた。


やばいと気づいた辺り

人気作品だったので毎日新しいグッズがアニメイトに並び、毎週何かしらのコラボが発表される、それらのグッズを全部BOXで買っていたので、毎月最低10万円以上は確実にグッズに使っていたと思う。イベント九州関西に行ったりもしたのでもっと使ってたかも。怖くて記憶封印している。

お金持ちだったら良かったが田舎から就職を機に上京してきて日々働いてるだけの人間にそんなに金はない。

なのでこんな生活を長く続けていると、当然目に見えて貯金が減っていく。

お金は減るが、一人暮らしワンルームの部屋にはグッズが溢れ返り、表紙を飾ったり特集が組まれ雑誌が積み上がっていく。

ある日急に実家に帰る用事ができ貯金確認したら、旅費分がこの貯金から無くなるのは痛い。と咄嗟に思ってしまった。たいした額ではないのにだ。ここらへんでようやく「もしかして買い物依存症では?」と危機感を抱いた。

しかしそれでも推しのグッズがほしい気持ちが強かったので辞めよう。という気にあんまりならなかった。

今振り返るとだいぶやばい

 

 

・グッズ厨をやめる初めの一歩

推しのグッズはいっぱいあるといっぱい嬉しい!という気持ちはそのままだったが、物欲無限でもお金は有限だったのでどうにかせねばならなかった。

とりあえずまず買うグッズを絞ろうと考えた。

その頃はらしんばんやkブ等で、情報を取りこぼして買えなかったグッズをこまめにチェックしていたため、アニメイト等の全国の店舗で売ってるトレーディンググッズや、ネット販売をしていたり、何度もコラボする店のグッズは値崩れしやすく定価より安くなりがちなことを学んでいた。まずそこを買うのはやめようと決める。

トレーディングで推しが手に入るか分からなくても、どうせ半年経てば定価以下で店に並ぶ。その時好きなだけ回収したらいい。今はこらえよう。

都内しか期間限定のグッズはあんまり再販しないから後々手に入り辛い。

みたいな色んな人の反感を買いまくる取捨選択の仕方で買うグッズや参加するイベントを色々選んでいった。人気作品からできた酷いやり方だと思う。

その当時は自業自得破産しかけるのをなんとかするのに必死だったため許してほしい。

 

 

・好きな絵柄のみを買う。

後々手に入りにくいグッズだけを買うと決めても、作品が本当に人気があったのでそれでもグッズは買いきれないくらい出てきた。

ひどい時は同じ日に別々の場所期間限定コラボが何個も重なっていた。

今までは相互代行などで手に入れていたがそれをやめようと思ったのだ。

なので、自分の中でのピンとくる推しの絵柄だけを買うことに決めたのだ。

結果的に言うとこれは余り効果がなかった。

グッズは基本的原作絵のままだったので、推しちゃんどれもこれも可愛い〜!となり全部欲しくなったからだ。

デフォルメ絵のグッズを買うのを辞めるようになったくらいである。

 

 

SNSでの取引をやめて現地交換のみにする。

次にやったことがSNS上の取引を全て終わらせることだった。

予約商品Box購入する時にツイッターで枠を譲る文化があることを知ってる人は多いはず。グッズ厨をやる上で利用したことがない人も少ないと思う。

私も勿論利用していた。しかお金がどんどん消えていく中で未清算取引がいくつも残っているのはリスクがでかすぎる。

余裕が少しでもあれば間違いなくグッズに使う。と自覚していたのと、いざ取引の時までにお金があるか分からない。という危機感があったので、予定を前倒して支払える取引は即座に支払い、まだ時間がかかりそうな取引分は全て現金に変えて名前を書いた封筒隔離し、発売されるまでファイルにまとめて本棚隔離することにした。

相手取引無視して飛ぶことよりも自分注意喚起される立場になりかねなかったからだ。

それとお金がないストレスで先送り癖が復活してきたので郵送での交換や代行もやめた。

自論だけどExcelなどで在庫お金管理が出来ない人はお譲り側に回るのは向いていないのでやめた方がいい。私は向いてなかった。

あと郵送交換もトラブルが起こりがちなので心身が健康状態でないなら控えた方がいいと思う。

そんな状態メルカリなんて勿論管理出来るわけがない。

初日以外グッズは買わない。推し以外は容赦なく手放す。

単推しだったのと部屋を圧迫する原因にもなるので、購入した推し以外のグッズはその場で手放すことにした。

これはあくま体感なのだけど、推し以外のグッズを手放したい時は初日が一番手放しやすい。

なぜかと言うと初日は一番ガチ勢が多いからだ。

購入枠の抽選で外れる人も多い。購入枠が当たってもそれまでに売り切れることも多い。

そうなると買いたくても買えない人がでてくる。

そんな状態の中で現地で買った絵柄を定価で譲る募集をかければ比較的すぐに決まるのだ。

ただ購入の時間以外で会場付近でたむろするのは当たり前に迷惑になるので、近所で時間を潰せる場所をあらかじめ調べておいたほうがいい。

 

 

クレカの利用をやめる

頑張れ来月の自分!などと言いながらクレカをばかすか使っていたので使用をやめた。

買い物依存症に陥ると、クレカ魔法カードになりリボ払い地獄直行する。という話をよく聞いていたので出来た判断だった。

心のストッパーが壊れていてもヤバイ仕組みを分かってさえいたら止まれる時もあるので、教育大事だなと思った。

まあその判断ギリギリ状態になるまでできなかったが。

クレカ封印してもネット決済などでクレカ必要場合もあるので、代案としてデビットカードを利用することにした。

その場で引き落としなので使いすぎることを防ぐ目的だ。デビットカード専用の口座を作ってそこに5万円だけ入れてその中でやりくりするように心がけた。そしてその範囲で3ヶ月続けてやりくりをできたら5千円単位予算を減らしていくことにした。

アプリで残金をすぐ確認できるので数字に弱くても管理がやりやすいのも良かった。

どうしてもクレカでないとダメ場合も勿論ある。

私は作品キャンペーンきっかけでマルイエポスカードを作り、そのままグッズ購入用のカードとして使っていたので、万が一使った時は決済額が確定したら即座にマルイカウンターに行き、現金で利用分を清算することにした。

数字に弱いため、引き落としではどれだけ使ったかピンとこなかったためである

 

 

推しがでなくなる

悲しいことに小手先対策よりもよほど効果があった。

それまでずっと何を買っても上限さえ購入したら推し複数でていたのに、ある時から全く出なくなったのだ。

たまにでても1個。交換はレートの問題でなかなか決まらない。転売はもちろん利用しない。

そうなるともう一度上限まで買うしかないのだが在庫がそこまでもたない。

この辺りで「買った中に私の推しがいる」という快感を求めてグッズを求めていたのでは?ということに思い当たった。

買い物依存症だけでなくギャンブル依存症にもなってきたのだ。

気付いたら何故か気が楽になり飢餓感も薄れていった。

 

 

引越し

上記のことを行っている時に諸事情都内から隣県に引っ越すことになった。

思うにこれが一番効果があった気がする。

23区内ならどこでコラボをやろうが始発で5時台につくような場所に住んでいたので、物理的に距離が遠くなると現地に行く億劫さがすごかったからだ。

今まで徒歩込みで30分で行けたところが電車で1時間以上かかり交通費も倍以上かかる。

現地についても抽選で外れるかもしれない。

そうすると一気に億劫になったのだ。

環境の変化でストレスがあったのも理由だと思う。

けれど一度行かなくなると、どんどん冷静になることができた。

あと今買わなくても過去に手に入れた推しがこんなにある。そう思うとかなり気が楽になった。

結局最後自分を救うのは推しである

 

・新しい趣味を見つける

グッズを買いに行かなくなると当然時間お金に余裕ができる。

しかしグッズを買いまくった後遺症か、お金を使っていない状況に違和感も出始めた。

おそらく依存症の症状の一つだったと思う。

なので気を紛らわすために新しい趣味を作ることにした。

新しい趣味ならやはり推しに関することがいいな。そう思い、絵を書いたり文章を書いたり色々チャレンジをしてみた。

結果的推しのぬいの服や小物を作ることにハマった。

ソシャゲ限定グッズの絵で推しが色んな服を着ていたのをフェルト生地再現することにハマったのだ。グッズ厨だったので家に資料はいくらでもあった。

いつだって新しい道を示してくれるのは推しである

あと健康のために始めたボルダリングにもハマった。

依存症になりやす人間依存先が多い方がいいとは思うけど、私は著しくズボラなので趣味すら管理ができなくなるのを考えて数個にしている。

ここら辺に関しては可能なら医者相談したほうがいい。

 

 

最後

私は依存心が強いタイプだったので、手っ取り早く別ののめり込み先を見つける選択肢をとったが、本来ならしかるべき施設に行って適切な治療必要な症状だったと思う。

一応、もしまた似たようなことに陥った時は病院に行こうと近隣の精神科ピックアップしている。

最初は私がルーズで自制心がないのが全てダメだと思っていたが、自転車操業破綻した人や、流れてくる色々な注意喚起を見るに、私のような人はかなり多いのではないかと思うようになった。

推しかわいいことに夢中になると人生踏み外してることに普通に気づかないよね。崖の底に叩きつけられてから気付くよね。

幸い私は後戻りできるギリギリ位置でやめることができたのだが、多分きっかけがなかったら間に合わなかったと思う。

なので書き捨てのつもりで書いたこ記事がグッズ買うの辞めたいと思った人の参考になってくれたり、やばいと気付いてない人がやばいと気付くきっかけになってくれたら普通に嬉しい。

2020-11-21

anond:20201121195048

高田馬場ぐらいなら出身地の人相手東京との断り無く話しても通じないことなかったけどなあ・・

別に東京からとかでなく、関西の有名な地名とかだって同じ。

それでいじめられたこととか無いし、まあ京都人は違うのかもしれんが・・

anond:20201121153828

そうした問題を抱えている人を集住して生活指導するコミュニティ施設を作るといいよね。

関東なら高尾山関西なら生駒山あたりが最適か、

自然に囲まれていて情緒が安定し、施設外の人に迷惑のかかりにくい立地の割に大都市にすぐアクセスできる。

隔離施設ではないから、訓練した人は実地にすぐ戻ることができる。

2020-11-19

anond:20201119122051

関西方面から出張レッスンしてくれるところがあったと思うぞ。

2020-11-18

祖母一年近く会えていない話

遠方に一人で住む祖母一年半くらい前に倒れた。

年末まではお見舞いに行ったりしてたんだが、一月は行けず。

そう言っているうちにコロナがはじまり関西に住んでいるあなたたちは病院に来ないでくださいと病院から言われ続けている。

祖母はずっと家族と会えずにいる。

元気かなぁと心配しているんだがなんとかならないものか。

そして遠方の家はだれも住んでいないのだが、NHKは本人ではないと解約してくれないらしい。

痴呆なので自分で解約できん。

困った。

anond:20201118175320

障害者」というくくりでコミュニティを作ると、包摂を掲げる手前、他害性の強い障害者お断りできなくなる。

あるあるだよね。

関西かどこかの大学でも障害カフェ揉め事に発展してたよ。

特別支援校に子供を通わせてる親御さんも、他の児童からの他害(かみつき攻撃、ギィー攻撃)に強く言えない。

2020-11-17

anond:20201117202542

ラジコで在関西制作番組を聴け、一年くらい(英会話シャワーに浸かれ!みたいだけど)

俺もなんでやねん!とかいいたい

キレのいい関西弁がうらやましい

せやな、とか

なんでやねん、とか

ちゃうやん、とか

やで、とか

そういうの言いたい。でも関西まれじゃないから言えない。

2020-11-16

今日もエセ関西の人いる。げんきー?

2020-11-14

anond:20201114184904

関西だけど略すのは愛情やと思う

UFJも親しみを込めてユニバって言うけど愛がなければ略さな

マクドナルド」を略して言うと?

傾向として関東方面は「マック」、関西方面は「マクド」と略すことが多いらしい。

わりと昔の話ではあるが、どちらがより妥当議論している人たちがいた。

関東人「『マック』が妥当。『朝マック』とは言っても『朝マクド』とは言わない。『マック』はマクドナルド自身公式に認めている略し方だ。」

関西人「『マクド』はマクドナルドを省略した呼び方、『朝マック』はそれ単体で意味もつ固有名詞であり、矛盾はない。同じ物事を違った言葉で表すことは往々にしてある。」

はっきり言ってくだらない議論だが、そんなくだらないことを熱心に議論できる姿はなかなかにほほえましかった。

2020-11-13

anond:20201113190603

どっかで2000って言う数字みたけど。

関東関西視聴率でも、それぞれで600世帯程度だってさ。。

集団に偏りが無い方がいいんでないかな。。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/1552827.html

anond:20201113140136

ある言語に「統一」することはそもそも不可能なのだ

現時点で、国際語となっている英語には、すでに多数のバリエーション(つまり方言)が存在しているのだ。イギリス英語アメリカ英語オーストラリア英語が違うことはよくネタにもされるので普通に知っているだろうが、英語母語とする話者一定いる地域誕生すればそこには必ず方言誕生するのだ。仮に日本公用語英語と定め、数世代あとに日本人が英語母語とするようになっても、気候歴史文化等々が他とことなるこの地で話される英語は必ず「日本英語」、ジャパニーズイングリッシュ英語日本弁になってしまうのだ。つまり統一」など最初からできないのだ。(そして、極めてリアル想像すれば、方言である日本英語」は、英語話者の中では、おそらく社会的差別される方言になるのだ。日本でも、方言話者がどのように扱われるかを見れば、それは簡単理解できるのだ。)


日本語を廃することは不合理なのだ

なぜなら、言うまでも無く、日本という地や文化歴史等々についてこれまで書かれた文献はそのほとんどが「日本語」で記されているのだ。日本に住む者にとって極めて重要情報源ほとんどが「日本語」なのだ。にも関わらず、それらの文化リソースを、数世代後の我々の子孫はそれを母語レベル理解することができなくなってしまうのだ。これはものすごいロスなのだ。もちろん、「その代わりに膨大な英語圏に関する文化リソースを手に入れられる」じゃない?と反論したいのだろうが、それは怪しいのだ。なぜならば、言葉文化はセットだからなのだ文化的な背景、自然文物に対する理解がない中で言葉だけを習得しても、それは月面で育つ地球人のようなもので、言語文化資産の十全な継承などおぼつかない、それは単に「全く新しい文化を一から作る」のとほとんど同じことなのだ。それは「古文漢文」がかなりの割合で読めなくなってきている現代日本が抱える問題でもあるのだ。


移行期間云々のこと

移行期間といっても、切り替えるだけなら実はそれほど時間はかからず、おそらく数世代完了するのだ。上で触れた「文語口語」の切り替えなど、一世代もかからなかったのだ。つまりそういうことは大した問題ではないのだ。ただ、その先に誕生するのは、上で述べたように「日本語的英語を使い、英語文化バックボーンはなく、かつ過去自分たち自身リソースへのアクセス力までも失った、新しい文化を一から創出しなくてはならない1億人」なのだ人口1,000人の小さな島で起きたことなら、その悲劇理解する人すらやがていなくなるだけで終わるだろうが、世界に大きな影響を与えるそれなりの規模の国家で行ったらどうなるか、想像するだに悲惨なのだ。まあ、日本が没落することで喜ぶ国があるとすれば、その国にとっては喜ばしいことなのだ。

日本語的英語」って?

英語公用化された第一世代は、日本語が入り交じった、たどたどしい英語を使うのだ(これを「ピジン」という。)一部の人は、留学などを通して「正しい英語」を身に付け特権階級化するが、だいたいの人はピジンの方を使うのだ。そうして次の世代になると、最初からピジン母語として使いこなし始めるのだ(これを「クレオール」という。)上の方で、日本公用語英語にしても、使用されるのは「日本語的英語」になる、というのは、つまりこの「クレオール」のことを指しているのだ。

たとえば「洋食」。カツ。カレーライス。いずれも食のクレオールなのだ。仮に「正しいカツレツとは○○である」とか「カリアー&ライスは一バリエーションであってそもそも英国式カリアースパイスドシチューだ」みたいな蘊蓄を並べて啓蒙しようとする人がいても、残念ながら世間では「かつ丼」やら「カレー」が登場し、オリジナルの「カツレツ」や「カリアー&ライス」とは全く別の料理が定着し文化になってしまうのだ。かつ丼カレーうまいから仕方ないのだ。言語でも、それと全く同じ事が起こるのだ。仮に最初一所懸命カツレツを作るフランス料理人を招いて教えてもらったところで、最終的に定着するのは「かつ丼なのだ。従って、「日本語を廃して英語公用語化しよう」なんて主張しても、「日本の食を全て『フランス料理』にするために和食廃止する」ことにはならなくて、単に「日本の食を全て『かつ丼』にするために、和食廃止する」みたいな訳分からないことにしかならないのだ。そもそもかつ丼うまいのは、和食うまいからなのだ。つまり本末が七転八倒なのだ

最後にただし……

ここまで書いて何だが、元ネタの話に戻るなら、結局「言語は滅ぶものなのだ。これは避けられないことなのだ。日本だって10年前と現在ではかなり違うのだ。むしろ言語は日々滅びており、そして日々滅びることをやめたとき言語は「死ぬ」のだ。方言が生まれるのも、見方を変えれば「標準語の滅び」だし、方言が消えるのも、見方を変えれば「標準語(という新たな方言)の誕生なのだ。そこに貴賤はないのだ。だから言語学者は「言語が滅びてはいけない」というような価値判断をもって言語に向き合うべきではないのだ。もちろん、自分研究対象としていた言語話者絶滅したら途方にくれるのは理解するが、それは文化史論的な見地から言うと、一つの現象に過ぎないのだ。たとえば、関西では最近TV等の影響もあり、日常的にかなり関東風のイントネーションで話す姿を多く見かけるようになってきているのだ。これは、一種の「滅び」でもあるし「誕生」でもあるのだ。なのに、「滅び行く関西弁を守れ」とか言い出したら、それは愚かなのだ。そういうのは、たとえば生物多様性が失われる……といった話とは全く違ってただの懐古厨なのだ。そのあたりを勘違いすると、元ネタ言語学者のように妙なエッセイを書き散らすことになるのだ。

日本廃止論への反論は、上に書いたように政策的にマイナスであり、そして現実的にも不可能だという話に尽きるのであって、「滅び行く言語を守れ」みたいな感情論に落とし込んではいけないのだ。感情論現実の利の前には極めて無力なのだ

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