はてなキーワード: 返上とは
やはりブコメと同じくヤフコメも開催などありえない、今すぐ中止しろの大合唱。
それにあわせて、緊急事態宣言に対して懐疑的というレベルを超えて今や守る気など起きるだろうか、という雰囲気。
あちこちで三密になってるのに感染者数が減るわけがない、検査を意図的に減らしているのだという見方がヤフコメでは支配的。
陰謀論と紙一重なのでブコメは慎重と思われるが、そう簡単に減るだろうかという懐疑派という意味では一致。
ヤフコメはスガが大嫌いだが、それ以上に立憲民主党が大嫌いである。
自民はどうしようもない悪政を敷いているのに、それを是正できないどころか文句ばかり言って何一つコロナ問題を解決できていない、
これはアンチ立憲というより、そもそも国会議員へのヘイトが積もりに積もっているといえる。
あるいはブコメでは妖怪どっちもどっちと攻撃されるために居場所がないのかもしれない。
とにかくヤフコメでは議員定数を削減しろ、議員報酬を返上しろ、というのがお決まりの攻撃パターンである。
ブコメでは大して話題にならないが、ヤフコメでは連日のようにこの結婚は今すぐにでも破断にするべき一択で大騒ぎである。
下手したらスガやオリンピックやコロナよりも盛り上がる日が少なくない。
ブコメ勢が見ればヤフコメはネトウヨの巣窟ということになるだろう。
多くの批判が寄せられている一方
医師などの診断で精神的な問題があると認められる場合ならば、ストレスを軽減する必要があるが
そうでないならば
いうことだとすると、選手は自分の都合で大会の収益システムの一部をボイコットすることになる
試合の獲得賞金を半額受け取る契約などを付帯すればいいのではないか
返上する賞金はスポンサーに分配して返金、もしくはスポンサーがOKなら他の選手の賞金に分配することでバランスが取れる
『試合をたくさんしたのに、会見拒否だけで半額はおかしい!』と言う方もいるだろうがそうは思わない
事前の取材を受ける、大会の放送に試合を流す、インタビューを受ける、大会主催のパーティーなどに参加するなどの行為全てに同意した上での報酬として賞金が設定されていること
そして、ここが重要だが、選手の活動とは別に多くのスタッフがスポンサー獲得に向けて尽力し、大会を設営し、その広報活動に従事し、放送局との調整、ボランティアの確保、会場の確保、警備、集客、アコモデーションなど様々な業務をこなしている
その上で優勝はじめ優秀な成績とメディア露出を果たした選手への最大のリスペクトとしてスタッフの年収の数十倍から100倍にもなる高い報酬が設定されている
その上で
選手の努力や技術と、スタッフの作業はイーブンな関係にあると思う
選手の高いパフォーマンスが無ければ試合は成り立たないがしかし、大会関係者の尽力がなければ大会は開催されないか、もしくは賞金のないアマチュア大会になるだろう
ならば関係はイーブン
手に入れるのは名誉のみでもいいはずだ
名誉は欲しいがスポンサーメリットを確保する行為は不参加だと言うなら半額の賞金を受け取る契約で試合に出れば良い
名誉が手に入れば
個人へのスポンサーは獲得できて収入は確保できるし、返上した金額を分配する事で、大会側の損失も補填することができる
誰を責める事もなく、選手の精神状態にも配慮しつつ問題を解決する事ができる
そこに関係するどのスタッフの生涯賃金にも登る数億円の報酬が手に入る
主催者や大会スタッフ、スポンサー企業のスタッフたちも、あらゆるストレスと戦いつつ職務をこなしている、全ての職務がストレスなく精神状態をキープできるものではないと思う
そんな中、年に一度行われるビッグイベントにおいて選手だけがストレスを理由に職務を拒否することは、フェアではないし、それが許されるならどんな仕事も『これは精神的な健康によくないからやりたくない』と拒否され成立しない
懲罰的な意味合いではなく、収益などに対する仕事量として、競技力を高め、試合で発揮することとメディアの露出はそのくらいのバランスで成り立っていると感じる
最低限のラインがどこにあるか、が全員同じでない限り、誰かがストレスを処理しなければ世の中は成立しないし
という話は高額な報酬を手にする立場では簡単に処理できるものではない
その報酬を手にできる『理由』が自分のみの経済活動の結果ではなく、あくまで『楽しいスポーツ』をプレーしていたら
「ストレス」と戦いつつも職務をこなして、自分よりも遥かに低い報酬でその報酬を獲得する努力をするスタッフや大会関係者の尽力により用意された報酬にたどり着いただけ
『スポーツが上手い』
それだけで手にできる報酬などどこにも無い
『理解が足りない』と誰かを責めることも
どちらも不毛な争いだ
仕事の作業量と報酬を巡るシンプルな契約の問題であるべきだと思う
もう一度言うが
この世の中に『スポーツが上手いだけ』で手に入る報酬は存在しないのである
スポーツが金を産むのではない
そこに携わる全ての人の『業務』により
そしてこれは私見だが
自分自身の感じる
『ストレス』も同じく
みんなでシェアしつつ、思いやりつつ
争わず軽減していければいい
多くの批判が寄せられている一方
医師などの診断で精神的な問題があると認められる場合ならば、ストレスを軽減する必要があるが
そうでないならば
いうことだとすると、選手は自分の都合で大会の収益システムの一部をボイコットすることになる
試合の獲得賞金を半額受け取る契約などを付帯すればいいのではないか
返上する賞金はスポンサーに分配して返金、もしくはスポンサーがOKなら他の選手の賞金に分配することでバランスが取れる
『試合をたくさんしたのに、会見拒否だけで半額はおかしい!』と言う方もいるだろうがそうは思わない
事前の取材を受ける、大会の放送に試合を流す、インタビューを受ける、大会主催のパーティーなどに参加するなどの行為全てに同意した上での報酬として賞金が設定されていること
そして、ここが重要だが、選手の活動とは別に多くのスタッフがスポンサー獲得に向けて尽力し、大会を設営し、その広報活動に従事し、放送局との調整、ボランティアの確保、会場の確保、警備、集客、アコモデーションなど様々な業務をこなしている
その上で優勝はじめ優秀な成績とメディア露出を果たした選手への最大のリスペクトとしてスタッフの年収の数十倍から100倍にもなる高い報酬が設定されている
その上で
選手の努力や技術と、スタッフの作業はイーブンな関係にあると思う
選手の高いパフォーマンスが無ければ試合は成り立たないがしかし、大会関係者の尽力がなければ大会は開催されないか、もしくは賞金のないアマチュア大会になるだろう
ならば関係はイーブン
手に入れるのは名誉のみでもいいはずだ
名誉は欲しいがスポンサーメリットを確保する行為は不参加だと言うなら半額の賞金を受け取る契約で試合に出れば良い
名誉が手に入れば
個人へのスポンサーは獲得できて収入は確保できるし、返上した金額を分配する事で、大会側の損失も補填することができる
誰を責める事もなく、選手の精神状態にも配慮しつつ問題を解決する事ができる
そこに関係するどのスタッフの生涯賃金にも登る数億円の報酬が手に入る
主催者や大会スタッフ、スポンサー企業のスタッフたちも、あらゆるストレスと戦いつつ職務をこなしている、全ての職務がストレスなく精神状態をキープできるものではないと思う
そんな中、年に一度行われるビッグイベントにおいて選手だけがストレスを理由に職務を拒否することは、フェアではないし、それが許されるならどんな仕事も『これは精神的な健康によくないからやりたくない』と拒否され成立しない
懲罰的な意味合いではなく、収益などに対する仕事量として、競技力を高め、試合で発揮することとメディアの露出はそのくらいのバランスで成り立っていると感じる
最低限のラインがどこにあるか、が全員同じでない限り、誰かがストレスを処理しなければ世の中は成立しないし
という話は高額な報酬を手にする立場では簡単に処理できるものではない
その報酬を手にできる『理由』が自分のみの経済活動の結果ではなく、あくまで『楽しいスポーツ』をプレーしていたら
「ストレス」と戦いつつも職務をこなして、自分よりも遥かに低い報酬でその報酬を獲得する努力をするスタッフや大会関係者の尽力により用意された報酬にたどり着いただけ
『スポーツが上手い』
それだけで手にできる報酬などどこにも無い
『理解が足りない』と誰かを責めることも
どちらも不毛な争いだ
仕事の作業量と報酬を巡るシンプルな契約の問題であるべきだと思う
もう一度言うが
この世の中に『スポーツが上手いだけ』で手に入る報酬は存在しないのである
スポーツが金を産むのではない
そこに携わる全ての人の『業務』により
そしてこれは私見だが
自分自身の感じる
『ストレス』も同じく
みんなでシェアしつつ、思いやりつつ
争わず軽減していければいい
そう考える強さもアスリートとして、タレントとして持ち併せたいと思う
https://www.facebook.com/story.php?story_fbid=10226286385974717&id=1493110918
実家ではずっと猫を飼ってきたけど、20歳くらいで先代が死んじゃったから、子猫は久しぶりだ。
それゆえに、一族は色めきたった。
子猫ってこんなに小さいんだ…!
こんなに元気なんだ…!
毛がぽわぽわしてる…!
でも私は静観していた。
なぜなら、「成猫派」だからだ。
そりゃ子猫は可愛いけど、それは子犬や子うさぎが可愛いのと同じであり、哺乳類の子供全般の可愛さでしかない。
やはり成猫の完成された美には及ばないと常々思っていた。
成猫の方がシッカリした前足やドッシリしたマズルを存分に楽しめるし。
なので、この子猫も早く大人にならないかなーなどと思っていた…
…のだが、去年帰省した時、私がニンテンドースイッチで遊んいるところに件の子猫がやってきて
「それ何?なにがうごいてるの?」と小さな前足をかけて画面を覗き込んできたので思わず「どうチタノォ…!かわいいでちゅね…」とむしゃぶりついてしまった。
コロナ禍で数ヶ月奴に会えてない。
最近写真で見た奴は、もはや子猫とは絶対呼べないサイズになっており、足腰がガッシリ、マズルはふくふくしていた。
早く会いたい。
権力者の傲慢が極まって、社会が切羽詰まるとこういう声が出てくるからヤバいと思ってる。権力者はもう少し謙虚になるべき。
さて、マジな話で五輪を中止させるポイント考えるなら、国内テロよりアメリカでしょ。アメリカで反五輪の世論がそこそこ高まれば、バイデンは無視できない。左右バランスが微妙だから。(たとえば「日本のために五輪をゴリ押しすれば、中国の開催する冬期五輪に加担して中国を利することになる。日本には『コロナと国際的な衛生のために』という名目で五輪を返上させ、中国にプレッシャーを掛けた方がよい。中長期的な戦略としては『五輪はオワコン』という流れを作り、中国の狙いに肩すかしをくらわすことができる。」みたいな論を立ててな(理由はいま適当にでっち上げたけど。))
バイデンから「菅ちゃん、またの機会もあるからな?(肩ポン)」てやられたら、速攻キャインて言うだろ。
あるいは国内的に「東京五輪は、日本の親中派が中国との連携を打ち出すためにこのタイミングで行うイベントであり、夏から冬へとバトンを回してアジアの一体感を演出する狙いがそこにはあるのだ」みたいな陰謀論を広めるとかかな。この場合、前の例より日本が受けるダメージは大きくなるが。
中国 習国家主席とバッハ会長が電話会談 “東京五輪開催支持”(2021年5月8日 6時27分)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210508/k10013018381000.html
はーーー控えめに言ってお排泄物ですわよお排泄物。今回は特にやべーですわ。
・お排泄物なスケジュール。今週中に自担当で数件の障害対応とのこと。他メンバーにも割当たってて全部で数十件ありますわ。
・締め切りが今週の金曜中ですわ。それが決まったのが昨日の月曜ですわ。最悪の手の土日返上も使えませんわ。
・せめて元々今週予定していたことリスケしてくださる?障害対応してたから他作業遅れましたはNG、なんて普段数字や日程と睨めっこしていてよく言えますわね?お子さまから算数と道徳を教えてもらってはいかが?
・計画外のアドホック試験はさぞや「やってる感」あったでしょうね?バグ出すの楽ちいでちゅか?いっぱいバグ見つけてえらいでちゅね〜〜〜。
・再現性低いのはかまいませんがせめてログ貼ってくださる?なんか知らんが起きました、から調べるの容易ではございませんわ。
・残業無制限にしていいそうですわね。それを聞いたメンバーが喜ぶと思われましたの?朗報!!みたいなノリで残業強要するの、頭のネジをお母様の中にお忘れのようですわ。
「弱者男性の指す範囲が広すぎる」という意見も目にしたから、「ある種の弱者男性」としておこうか。
ここで言う「ある種の弱者男性」というのはいわゆる非モテ男性、そのなかでも容姿等の外面的な要素で女性から嫌悪・排斥され、そのぶつけられた嫌悪を内面化した人達のことだ。
容姿がキモい、喋り方がキモい、動作がキモい、、、、女性はまあカジュアルに言い放つ。
そしてそんな言動は一切咎められず、むしろ「不快にさせられた女性こそ被害者」として正当化される。
女性は正しいので悪いことをしないだろう、女性は弱者だから男性というだけで恵まれているだろう、
女性は被害者だから男性に対して加害者にはならないだろう、女性にとって好ましいものこそ善だろう
こうした世の中のリベラルな通念が呪詛となって、後々「ある種の弱者男性」を苦しめることになる。
言われた側の男性は自然と「自分はキモい」「女性にとって不快」、果ては「自分は世の中の害悪」と自己を規定する。
なぜか?女性に不快な思いをさせ嫌悪させるものは「悪」だからだ。
(そうでしょ、フェミニストのみなさん?)
社会の正義に沿おうと真面目に考える男性ほど、こうしてより深く罠に嵌る。
「おまえは『悪』だ」と判定を下されたら、もちろん返上しようとする。だがその成否を判定するのも結局女性でなければならない。
つまり、男性が「善良な存在」であろうとすると、必然と女性ウケ(モテ)を意識せざるをえなくなる構造になっている。
だが、キモい男性がアプローチしても害悪扱い(セクハラ、告ハラetc…)されるだけなので、
多くの場合は徐々に恋愛=女性からの承認、すなわち「善良」であることを諦めていく。
「女性は男性の人格を、外面的な要素から正しくジャッジできる」という信仰のもとに、
「清潔感」という言葉で包められ正当化されたルッキズムにさらされ、(努力も虚しく)女性に好ましい容姿を実現できないというだけで
「不潔で不衛生」「人格が劣悪」のレッテルを貼られては正当化され、それをまた内面化していく。
(そもそも女性のジャッジ次第で人格までレッテル貼りされること自体が不当なのだが、そう思うことも難しい状況にある)
そして「ある種の弱者男性」は、「自分は害悪だ」と思ったまま、自信も自己肯定感も失っていく。
女性のいる場所はもちろん、女性に(人によっては同性にさえも)話しかけることを恐れて所謂コミュ障になっていく。
自信も自己肯定感も物怖じしないコミュニケーション能力も、男性が豊かに生きるには非常に重要だ。
むしろそれらが欠如するのは致命的とも言える。
女性の場合なら自信なさげな態度と言動は奥ゆかしさとも捉えられることもあるだろうが、男性、それも容姿が悪いともなればどうか。
例えば一般的な企業の入社面接を想像してみてもらえばその悪影響の大きさがわかると思うが。
そして流れ着くのは薄給のバイト、ブラック企業、危険を伴う肉体労働。
こうして、学校で女子にキモいと罵られた少年は、弱者男性となっていく。
女性たちからキモい害悪とレッテルを貼られ拒絶され、女性との交際を諦めた弱者男性は、
それでも大抵は「害にはなりたくない」と願い、女性を避けるように生活する。
弱者男性の多くは、女性から承認されない、恋愛できない自分はダメな奴なんだろうかと不安を抱え、SNSやgoogleで検索をする。
すると遅かれ早かれこうした文が目に入ってくることになる。
言い換えれば、「(異性愛者で)女性に選ばれない男は人格的に劣っているに決まっている」
あるいは「女性にとって好ましい男性は人格面も優れているに決まっている」、ということになる。
そしてそんな類の暴論が数百、時には数千単位の「いいね」を集めている。
さらに社会正義を謳うリベラルやフェミニストは、非モテ男性を敵視し、口を極めてその人格を貶める。
曰く、非モテ男性は甘ったれている。曰く、非モテ男性は性欲の権化である。
曰く、非モテ男性は誠実さがないからモテない。曰く、非モテ男性の悩みなど低レベルだ。
曰く、非モテ男性は女性を搾取しようとしている。曰く、非モテ男性は・・・
他でもない反差別を掲げるリベラルからすら平然と差別をされることで、ますます自己肯定感を失っていく。
―――女性たちに外面的な要因で拒絶されることで同時に人格まで否定されてしまうなんて、
それが正当化されるならば、払拭するには女性に承認されお墨付きをもらうしかないじゃないか―――
そのような指摘は、今度は「女をあてがえということか!」と歪められる。
「女をあてがえ論」の他には「ありのままの僕を受け入れて論」なんて言い方もしたりして、
とにかくあたかも自堕落で自分本位な男性が主張しているかのようなイメージを擦り付け人格否定が行われる。
それが例え「同じ人間として扱ってほしい」「外面的な部分だけで排斥しないでほしい」「あなた達と恋愛できないからといって人格を貶めないでほしい」という
願いから出たものであっても、女性に対して批判的だからというだけで「ミソジニー」果ては「インセル」呼ばわりされ邪悪のレッテルを貼られる。
挙句の果ては、「男性というだけで恵まれているんだから被害者面をするな!」と遮断され、
(女性のジャッジは正しい。)(男性なんだから恵まれていると思え。)
(女性は加害をしない、お前に落ち度がある。)(女性に嫌われるなんて悪に決まっている。)
フェミニストたちが形成するこうした世の中の通年は、人格否定された「ある種の弱者男性」をさらなる自己嫌悪と自信喪失、自暴自棄へと追い込み、その人生を淀ませていく。
女性たちはこの呪いのもたらす苦しみと構造の強固さを知ってか知らずか、今日も気に入らない男性へ気軽に「キモい」と言い放つ。
「キモい男は害悪」、そんな女性たちの価値観が正当化され力を得る世の中では、
善良であろうとするほど「キモイ男性」は何もできなくなっていく。
すこし思考実験と言うか、考えてみてほしい。
普段のあなたの行動範囲のなかで、女性(とくに若い人)に遭遇することがどのくらいあったか。
そして女性と遭遇するたび、それだけで自分がその人を不快にさせ、害を与えているとしたら。
場合によっては「キモい!」と面罵され、それに対して異議を唱えることはおろか、反感を抱くことさえ許されない、そんな価値観が正しいと思い込まされているとしたら。
あなたはまともな精神で社会生活を送れるだろうか?程度の差こそあれ、概ねこれが「ある種の弱者男性」の見る光景、生きる世界だと思ってほしい。
おそらく、俺たちのような人間はほとんどのリベラルの人たちの観測範囲には入っていないだろうと思う。
女性からいじめやハラスメントを受けて人生の舞台から転落なんて、そんな少数のレアケースの問題など、いちいち考えてられないと思うだろうか?
念の為に言っておくと、「ある種の弱者男性」は決して少なくない。少なくとも、リベラルの人たちが考えるよりはずっとずっと多い。
全国の学校ひとつにつき数名はいるんじゃないか。心当たりがある人も多いんじゃない?
まあ数が少なく見えるのも当然ではあるかも知れない。彼らは大抵が、社会の下層で怯えながら隠れるように暮らすから。
リベラルたちの視界から外れた社会のはずれへ疎外され、自分は世の中の害悪だとひたすら信じ込まされたまま、
ろくに声もあげられずに死んでいく。俺が同じ境遇ということで交流してた人たちはみんなそうだった。
「ひっそりとオナニーしながら死ね」だったか、フェミニストの偉い教授が言ったそうだが、「望み通りだ」と彼らの末路を見て笑うのだろうか。
女性にとって好ましくない外面というだけで人格まで否定しないでほしい。
同じ人間として扱ってほしい。
学部生のころ、研究室配属されたときに先輩から聞いた話。大昔に任期なし雇用された助教で、ボスの退官後もずっと教員として存在していた人がいたらしい。今も居るかは知らないが。彼には小部屋が与えられていて、論文等の業績が無くても定年まで在職できたそうだ。教員会議みたいなやつにはちゃんと出席していたらしく、そこで割り振られた雑用をやっていたらしい。彼は学生の配属先の選択肢に挙げられておらず、授業も受け持っていなかった。(オムニバス形式の授業で出てきたかもしれないがよく覚えてない)
現在のアカデミアのポストが任期あり雇用だらけになった理由のひとつに、そのような教員を無駄として排除したかったからというのがあるらしい。それって合理的か? あるいは本当にそうするしかなかったのか? だとしたらそれはなぜ?
「職員は割り振られた仕事をこなし続ける限り減給されない」みたいなルールが(暗黙的にでも)あったと仮定して、件の「大昔からいる無駄な助教」は彼の全盛期のときの給料を今も貰い続けていると仮定する。それが問題なのならばシンプルな代案として、「定年まで在職する権利は保証するが、給料は業績とかに応じて最低賃金レベルまで下がることがある」みたいな契約に切り替られれば、任期あり雇用だらけにせずにすんだのではないだろうか? (彼の雇用契約を反故にするのではなく、これから教員になる人の契約をそうするという意味)
(1)仮定が間違っている(件の彼の給料がすごく安くても、周りは排除したがる?)
(2)そういう契約ができない何らかの理由がある(だとしたら何?)
(3)手取りを最低限まで落としても、社会保険料とかがあるので大学側からみたコストはあまり下がらない(もしそうなら社会保険が薄い国では様子が違っている?)
それとは別に、給料がメチャクチャに上下しうる契約だと子どもを育てるのに不便だろうと思う。もし今日の若手世代が上記のような契約を提示されて受けたとしたら、選択肢としてそのポストを返上して民間に転職する、ないしは兼務するなどを常に考慮し続けるはずだし、その際に好待遇を得られるような能力とかを維持し続けようとするはずだと思う。
本屋が好きだったし、一度は書店員として頑張ってたこともあるけどもう嫌になって辞めた。
最近どこの本屋にもヘイト本やトンデモ健康本(スピリチュアル・ニセ科学)コーナーが絶対にある。しかも店の配置的にイチオシ商品を優先的におくような場所に平積み・ドカ置きで激推しされてることが多い。
店員だった頃、年配のお客さんたちが新聞の広告に出ていたから〜とニコニコしながらそういう本を買い求めていた。私たちが探しやすいようにってわざわざ新聞の切り抜きまで持ってきてくれるんだよ。いつもレジでなんでもないことにありがとうって言ってくれる、取り置きしただけでも感謝してまたくるよって言ってくれるような優しい感じの人も、そういう変な本を買っていく。キツい。例えば年配の人がトンデモ健康法を信じて病院の治療を拒否したりして最悪のことになったらどう責任取れるの?こんな優しい物腰の人たちがヘイト言説を吹聴するようになって晩年に身近な人たちの信用とか一気に失っちゃったらどうするの?自己責任って言うの?いい加減な内容の本を大量生産して、勝手に配本するのやめてくれないかな。私は店長とかじゃないから拒否する権利がなかった。そのまま並べて売れないでくれって願うしかなかったけど売れていく。ほんとキツい。
たぶんこういう人たちは本の権威をまだ信じてくれていて、本になるくらいだから立派な内容と認められたものを立派な先生が書いてくれたんだろうなーって楽しみにしてるんだと思うよ。すごい、そんな不思議なことで病気が治るんだ!とか、テレビ(ちょっと軽薄なメディアという認識?)は扱わない、難しい内容とか歴史問題の真実を硬派で堅実なメディア、本こそが教えてくれるんだって信じてるんだよ。
本が売れないのはわかるよ。でも、こういう過激なものに頼らなきゃ本当に売りたいものが作れないとか仕方なかったとかそう言う言い訳、トンデモ本にハマって亡くなったり人間関係失った人に向かって言えるの?
本が好きだから本が売れない時代でも頑張ろうと思ったけど無理だったよ。最低賃金も長時間重労働もきつかったけど頑張れた。でもデタラメ本を売り切るためにいっぱいPOP書いてオススメですってニコニコ笑顔で言うのは無理だわ。
いつも来てくれるおじいさんが「おすすめの広告?書いたの君なんだ!内容がわかりやすかったし上手だから買っちゃったよ〜読むね〜!」って買ってくれた本、だめだよ。絶対信じないでほしいし二度とこんな本を置く本屋さんなんかに近寄らないでほしい。だから続けるのは無理だった。こんなことしてたら「本屋」は死ぬ。本はもう少し生き続けると思うけど。
いいものも悪いものもある、受け取り方によって毒にも薬にもなるのが本だって簡単に言うことはできるよ。でも何が正しいかすら思考停止するようならもう、本という権威はどこかに返上しといてくれ。
「男ってだけで特権を受けてる」
それはそもそも真だろう。ナンパでいちいち呼び止められたり、ムネをジロジロ見られたり、電車に乗るときに周りを注意したりしないといけないなんてことがない。夜中でも自由に散歩できる… すぐ思いつくだけでもこれだけある。でもそれらの成立は直接的にはオレ自身の責任じゃないし、自分にできる特権返上のための何かは常にやってるし、そこに不満を感じたりもない。当然のこと。
こっちは完全に偽でしょう。具体的にどんな加害なのか聞いて見ないと考えようもないけど、そも自分への被害と自分の加害は無関係。独立して並行的に存在するのだから考慮する意味がないし。こんなの真面目に取り合う人はいないと思うけれど。
https://anond.hatelabo.jp/20210131122416
ほぼ同じ理由で、コロナ禍だし、いっそのこと期間限定で海の見える家に住みたい…と、別宅借りたんだけど、
移動も買い物も車ないと生活できない場所だから強制的にペーパー脱出したんで、ブコメにも書いたけど参考になれば
親は遠方、友人知人もペーパーだから、隣に誰か乗ってもらうという手も使えなかったんで、素直にペーパードライバー教習受けた。
教習所のペーパー講習通うか迷ったけど、価格があんまり変わらなかったのと、密避けたくて自宅まで車持ってきてくれる出張タイプのペーパードライバー講習を受けた。
私の場合、15年のペーパーではあるけど、原付に乗ったことがあるんで交通ルールはそこそこ大丈夫そうだったので、
1日4時間のコースで、千葉に引っ越すので都内からアクアラインで千葉まで移動出来るようになりたい、と希望を出して予約した。
教習当日はレンタカーのヴィッツを持ってきて自宅に来てくれた。それに補助ブレーキをつけて練習する。
車幅感覚とかなにそれ?だけど、こまめに軌道修正の声掛けはしてくれた。(右行きすぎてるよ、とか、こういう場面だと速度もっと落として、とか)
基礎の車間距離や、速度、停車時は前の車のタイヤが隠れるくらい、とか、具体的なアドバイスをこまめに出してくれて、かなり勉強になった。
都内ならではの車道に多い自転車や人の避け方、狭路、すれ違い方も教わって助かった。
自分は免許を合宿でそれも雪の新潟で取ってしまってたんで、都内ならではの道路事情や運転を知れてよかった。
市街地走って、広い駐車場のある商業施設に入って、駐車の練習を何度か。
これも図に書いてのハンドルの切り方の説明分かりやすくて、よかった。
ペーパードライバー専門だからか、全体的に講習の人も物腰かなり柔らかい口調で、ペーパー特有のつまづくところが分かってるからか、説明がとても分かりやすくてよかった。
市街地を走る・駐車の練習・首都高の出入りがあるコースを組んでくれて、だいぶ足がかりになってよかった。
特に首都高は、免許持ってる人でも避けてる人が多いから、これがきっかけで乗れるようになってかなり助かった。
原付経験があったんで4時間で足りたけども、完全にペーパーであれば、複数回いるかもしれない。
出張教習の時間がもったいないので、交通ルール(標識まわり)の復習だけは事前に自習しておいたほうがいい。
講習後いきなり乗れるようになるわけではないので、その後も自分の車を持つまで間を空けずに自主練したほうがいい。
都内ならカーシェア網があると思うので、使わない手はない。格安のレンタカーでも良い。
初心者マークは100均で準備して貼る。「わ」ナンバーの初心者なんて近寄りたくないから、まず距離を置いてくれる。
15分250円とかなので(予約時間の15分前には乗車できるので、実質30分)、入出庫の駐車の練習だけでもいいから、慣れを忘れないようにしたほうがいい。
時間に余裕のある時はナイトパックを使って、交通量が少なそうな時間帯を選んで、
駐車場の広いスーパーや、映画館にレイトショー見に行ったり、ニトリ・IKEA等、都内でも駐車場代がかからない場所に、車で行く必要がなくても練習と割り切って乗るようにした。
このあと、格安の短期カーリースで車を6か月契約で借りて引っ越した。
都内と千葉の往復で何度も高速乗って、降りて、観光して、スーパー行ってを繰り返して、ようやく年末に初心者マーク外してペーパードライバー返上できた。
8月末にペーパードライバー講習受けたのでだいたい4か月くらいかな。
運転する頻度が週に1回ぐらいだからこれぐらい掛かったけども、頻繁に乗る人なら初心者マーク外すのもっと早いと思う。
ここまでくれば当分運転しなくても、そうそう簡単には運転忘れないだろうと言うところまでは来れてホッとしてる。
私の場合、旅行でレンタカー使えるようになりたい、という動機が大きかったんで、その為にしては大きすぎる出費だけど、今後何十年と使えると思えば満足してる。
はじめに断っておくと、給与体系は会社によって違うので、この記事は当方の昔の経験に基づく話としてご覧くだされ。
海外駐在を知らない人からよく掛けられる言葉の一つに、「給料たんまり貰ってていいな〜」というものがある。
これはまぁ一定の真実を含むが、たぶん世に思われているほど懐が潤ってるわけでもないよってのが本記事の趣旨である。
海外駐在の給与算定には、「購買力補償方式」というのが採用されていることが多い。
これは簡単に言うと「本国で頑張ってる同僚と海外駐在を公平に扱いましょーね」というテーマのシステムである。
元々は欧米製造業のグローバル体制が拡大してきた60年代くらいにどっかのコンサル会社が編み出したらしい。
海外駐在というのは赴任する国で労働ができるビザを取得して行くわけだが、向こうの国だってビザを発給する相手の素性は慎重に吟味する必要がある。
なので(国にもよるかもしれないが)、基本的にはその駐在員が赴任先の現法にとって必要不可欠な存在であるというタテマエを付与されている。
また、この関係で駐在員というのは下駄を履かされ、日本でいう社長とかマネージャーとか、拠点長みたいなポジションを与えられる。
現法においては、このポジションに則った給与を与えないと会計上やら税金上やらで問題になるので、駐在員にたんまり給与を支払うことになる。昔よく言われていた「海外駐在は日本からも赴任先からも給与を貰っている」という風説はたぶんこれが発端である。
ところが、実際には現法における社長というのは大概の場合日本における部長クラス。マネージャーや拠点長は課長クラスである。
つまり、現法で貰っている給与というのはその人の日本の職位からすると貰いすぎなわけである。
この貰いすぎた差額をどうするかについては国や会社によって対応が異なると思うが、一例としては毎月会社に給料の一部を返金したりする。
もちろん上記のような背景あってのことなのだが、それでも毎月自発的に給料返上イベントが発生するというのはなかなかモチベーション的にクるものがある。
次に給与の中身の話になるが、駐在員の手当としては、大別すると危険地手当と物価調整の2種類がある。
危険地手当は読んで字の如く日本より危ない地域に赴任した駐在の方が多くもらえる。物価調整は日本より物価が高い国にいる駐在が多くもらえる。
ただ、物価が高い国というのは生活コストが高いということなので、より危なくて物価の安い国にいる駐在の方が可処分所得という観点ではメリットがあると思う。
また、控除という観点からは日本で支払うのと同等の税金をさっ引いて、駐在員の手取りを調整したりもしている。
で、これでもまだ何となくおちんぎんをたくさん貰えてそうな感じがするが、実際には国によって個人負担してでも揃えないと生活が大変な物が結構あって、この辺の待遇がどうなってるかが会社ごとの待遇差に繋がっている。
超大手になると今でも家族用の車購入を補助してくれたりするらしいが、自家用車を自己負担する場合はそれだけで結構な金が飛ぶ。
また国によっては治安上の理由でドライバーを雇わないといけない場合(まぁそれ自体が普通に考えれば贅沢なことなんだが)があり、これが個人負担だと一気に苦しくなってくる。
あとはそもそも論だが海外への転勤自体、トータルで考えるとすげぇ金がかかる。日本の自宅に持っていた家電や家具は購入してすぐだろうが何だろうが処分しなければならないし、それらは帰国したら速やかに買い直さなければならない。子供がいる場合は教育関連もかなりコストがかかる。
自宅を引き払うなどした場合は置き場を失くした車もセットで処分する場合が多いので、帰国した際の配属先によってはまた車を買い直さないといけなかったりする。(まぁ車については日本でも都市部と地方の転勤で同じようなことになるけど)
そんなわけで、確かに日本で勤務している時と比べて額面上では貰っているのだが、日本にいる時の倍もらってるとかは基本無いし、また生活の実情としてメチャ楽かというと言う程でもないというのが実態だと思う。
しかしなー、中国をはじめとしてアジア各国の経済成長が著しい中、日本水準の給与支給を是とするこのシステムは加速度的に割に合わない内容になっていくんじゃないかなーと思っている。
当時もぶっちゃけ夫婦で転勤の無い会社に勤めてそこそこの給料で2馬力した方が可処分所得という点では楽な感じがしたし。
また、そもそも海外で遜色なく暮らせる語学力とかのスペックがあって、バキバキに仕事する自信があるのであれば外資とか行った方が楽しく稼げるんじゃないかなーとかも思う。
まぁこんな感じの実情ですよというのを知ってもらえたらと思って書いてみた次第。