お前が喧嘩越しで汚い言葉を使ってるんだろ。それに相応に返してるだけだが。俺の言ってる内容は基本的なことでしかないし。
なるほど、長く続く大国家の起源が部族連合のようなものであるケースも割とあるよ?
戦国期の地方領主を束ねて天下統一、みたいなことをやるときには便利な形態だからね。
でも、それで終わってしまうのでは脆弱な国家にしかならないんだよ。
国家統一がなったときには、地縁血縁の束による統治形態の「解体」が始まるんだ。
地方領主に土地を所有させ、世襲で相続させて、その地縁血縁による統治を行う、という形態から、中央から任命した官吏に中央の部分としての任地を統治させるという形態に移行しなければならない。
そのためには、建国の際に功績の大きかったものであっても徐々に失脚させ、潰していかなければならない。強固な地縁血縁による地方支配は、盤石な国家を築く上では不安要因でしかないんだよ。
北海道を治める俺がなんで沖縄の問題のために費用を負担しなきゃいけないんだよ、みたいなことを必ず言い出すの、地方領主は。当たり前だ。彼の所領とは関係のない話なんだから。
だから、国家の体裁が整い、これからは一つの国としてやっていきますよ、となったその時に、必ず、今までやってきた地縁血縁の束による統治のシステムは否定されるんだ。国家と国民というフィクションをそこから始めるんだよ。文化への手入れとか、それこそ国民教育によって。
「我々国民」「我々日本人」というのはそうやって生み出されるフィクションだ。フィクションという言葉が悪ければ、そういう人工的な思想だ。いい悪いの意味じゃなく、事実の問題として。