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はてなキーワード: 矮小化とは

2019-12-22

anond:20191220014349

改変を見て。

あなたが書いたことは、いじめっぽいことではなく明快にセカンドレイプなので、自らの罪を矮小化するような言葉を使うのはがまんして、その癖がやめられるといいですね。おだいじに

2019-12-16

醜形恐怖って

醜形恐怖って自分容姿イメージに苦しむことで

もっぱら心の問題とされているけど

ブスは本当に醜形を理由危害を加えられるから

自分が醜形なことを恐怖しているのではなくて

醜いもの攻撃する人を恐怖しているのだよ

からこれを醜形恐怖なんていうオサレな病に矮小化して語らないでほしい

ブスは綺麗に可愛くなりたいとは思いこそすれ

ブスを刺しに来るお前(語彙力足りない表現)が怖いんだよ

お前恐怖症といったほうが正しいです

醜形恐怖でー

かいうブスマウンティングをキメられるたびに、ブスを舐めてるなとしか思えない

セルフ・ハンディキャッピングが得意なところがさすが、格下を踏んで自己肯定感を高めるマジョリティさまでおみそれする

2019-12-15

anond:20191215231220

そう!

「女にモテなそう」とか「それは男にモテないゾ⭐️」とか、言ったらあかんやつだと思う。

問題矮小化している…!っていつも思う。

2019-12-13

自分がわからない、なおしたい

就職活動の時、自己分析をした。しかし、自己分析を通して発見したのは、「過去自分他人に思える」「自分気持ちがわからない」ということだった。しかし、それらしいことを書いて出したらうまくいったので、「この感覚は私の生活問題ではない」と判断した。

実家帰省した時も同じような感覚に襲われた。昔自分が書いたもの他人のものに思える。高校に遊びに行っても、どこになにがあるかは覚えているのに、ここで3年過ごした自分を実感できない。

それは、私が自身問題の根幹を成している過去をすべて否定し、目をそらしていたことのあらわれにほかならなかったのだと、今は思う。

浮気をして、恋人を傷つけた。私にとって、そばにいる人を何らかの形でどん底に突き落とすことは初めてじゃない。

何が恐ろしいかって、同じ過ちを繰り返すところだ。今度こそ大丈夫、私はまともになった、そう本気で思い込んでいた。それがすべて間違いだったと、こういう形しか気付けなかった。

このことを友人に話したところ、「同じ過ちを繰り返すってことはなにか必ず原因があるはずだ。なんでそうなったと思う?過去について考えたことある?」と聞かれた。

この質問は私にとって目から鱗だった。私は現状の問題過去のせいにするのは、甘えで逃避だと思っていたからだ。だいたいのことは気合で乗り切る。つらくても明るく振る舞う。それが正しいと思っていたから、過去ことなんて、いつもいいことしか振り返らなかった。

「私は親に愛され、なにひとつ不自由なく育った。少し問題はあったけど、それを乗り越えていける家庭だったし、良いことを学んだ」

「私はパニック障害発症したが、それを乗り越えることができた。そのため、パニック障害であったことは過去のことだ」

「私はかつて多くの人を身勝手に傷つけたが、今はもうしない」

「私は友人たちと楽しく生活することができる」

「私の人生は豊かで、今までの失敗はそのためにあった」

マントラを唱えるように私はこれらのことを刷り込んだ。後ろ向きになることは逃避・甘えであり、常に未来をよりよくするために過去は全て封印すべきだと思っていた。しかしそれが重大な過ちであり、結局は自身の抱える問題の根っこを放置して、腐らせていた。

私は過去自分を強く否定して、現状の自分肯定しようとした。その結果、過去現在とのつながりが断ち切られ、自己連続性を失った。

私は過去自分に対して冷たい目線を浴びせ続けた。それが前に進むために必要な「自分に対する厳しさ」であると信じて疑わなかった。

カウンセラーさんはこう言った。「あなたは、過去自分と同じ目に今遭っている人が目の前にいても、その人に対して自分過去に向ける厳しさを同じように向けるの?しないでしょう?他人にしないことを自分にしてはいけない、自分気持ちを抑えるから他人気持ちにも鈍感になる。過去自分を抱きしめてあげなさい」

抱きしめる?過去自分を?抱きしめるに値しない、罪深い自分を?それがなんの解決になるの?

その瞬間、頭の中にはっきりとヴィジョンが見えた。高校生の自分中学生自分小学生自分。こんなことは初めてだった。

彼らの報われない思いが、私には耐え難かった。それは、私の根っこだったから。それを無視すれば、健常者としてやっていけるんだと思っていた。

小さい頃について、思い出すのは、お母さんが私のことを「かわいい」とたくさん言ってくれた記憶。でもそれは、珍しいことだったから心に残っていたのかもしれない。彼女は病に伏せっていて、感情の起伏が激しかった。私は、彼女彼女なりに努力し、苦しんでいたから、あのとき優しくしてほしかった、と求めるのは彼女否定するようで嫌だった。そんな感情を持つ自分は優しさにかけていると思っていた。

カウンセラーさんは「あなたの言う通り、お母さまは悪くないし、仕方がなかったことだけれど、あなたが寂しいと思った気持ちまでは否定してはいけない」と言った。まだ腑に落ちていないし、怖いからあまり考えたくない。

弟が生まれた。年の離れた、かわいい弟。私は弟の世話にのめり込んだ。自分の中で初めてわいた、血の繋がったまだ弱い存在へのとめどない愛情。それは劇的で、強烈だった。

そのとき子供なりに思った。「私は愛されるんじゃなく、愛す側なのだ」と。愛をもらう側じゃなく与える側の使命があって、こうなっているんだ、それはきっといいことだ、と納得した。弟は、ほんとうに、ほんとうに可愛くて、たまらなかった。

中学生の頃に、特発性過眠症になった。居眠りを繰り返してしまうが、成績は下げたくなかったので、勉強を頑張った。けれど、職員室で「そんな病気ほんとうにあるの?」と笑われた。意欲・関心・態度は最後までBだった。ジョーカー観た時、警察にそんな病気あるの?ってジョーカーが言われるシーン、その時のことを思いだして泣きそうになったな。

話は飛んで、あれは高校1年生の頃だった。突然私はパニック障害になった。ほんとうに、突然だった。過眠症は薬も処方されて改善に向かい友達もできて、彼氏もいて、部活も楽しくて、とてもいい感じだったのに、急にすべてが壊れた。

母は私の発作を思春期特有不安定さとみなし、「病院なんてとんでもない。寝て治しなさい」と言った。家にいてもずっと不安で逃げ場がなかった。

今なら、彼女がなぜそんなことを言ったのかわかる。自分と同じ運命をたどる娘を「異常」とみなしてしまえば、自分も異常者になってしまうから…だから彼女は悪くないんだ。彼女は精一杯やっていた。

でも私は、ほんとうは、とてもとても辛かった。誰も味方がいなかった。とうぜん高校生同士の恋愛なので彼氏もいなくなった。部活もやめなきゃいけなかった。友達とも接することができなくなった。なんで?とずっと思っていた。ようやくかかりつけの小児科ソラナックスを処方されたが、ずっと不安定だった。助けてほしい、助けがほしい。

私は、これらの気持ちを全て否定することになった。なぜなら、私はこの感情に振り回された挙句、過ちを犯したからだ。感情暴走するから誤る。ならば、感情をなくせばいい。そう思った。それはある程度は上手くいったのだ。

パニックは昼夜関係なく何度も私を襲った。安心できる時間ひとつもなかった。私が助けを求めたのは、男性だった。性行為をしている間もずっと怖かったが、ひとりぼっちよりましだった。

「助けてあげる」と言われてついて行ってしまった。いけないことだとわかっているのに、やめられなかった。次第に、私はこの関係肯定するようになった。生きるために必要なんだ、間違っていないんだ、と思い込むようになった。

そこから、私は人の感情を利用する癖ができた。「女」であることを供給すれば、愛されるんだ、と思った。小さい頃可愛がられたかった気持ちや、パニック孤独だったこと、過眠症という理解されづらい病気も、すべて恋愛感情といフィルターを通してならどうでもよくしてくれるみたいに感じられた。私が弱ければ弱いほど、みんな心配してのめり込んでくれた。

私は当然まともな関係を築けなかった。急に嫌悪感を抱いたり、うっとうしくなったりして、相手を突き放した。悪いことだとわかっていた。私の行動は変わらなかった。

大学生になってうつ病になり、ますます生活が困難になって、当時の恋人にかなり依存して生きていた。生活能力は皆無だった。そのことで自分を責めた。やつあたりもした。彼に世話をされるたびに、「私が何もできないことを本当は馬鹿にしているくせに!」と泣きじゃくって困らせた。認知が歪んでいた。彼を突き放してまた複数人間関係を持ち、試し行為を繰り返し、失敗し、変わりたい、と何度も思い、変われなかった。

私は、これらのことに一番蓋をしている。不安定だった自分も全て蓋をしている。この経験をどうこう思う以前に、なかったことにしたがっていた。精神的に不安定自分も、全て否定した。

から私は変わらなかった。表面上はニコニコとしていても、ずっと影は付いて回っていた。「私は大丈夫、もうまともになった」何度も何度も思い込んで、実際それは、途中まではうまくいっていたように錯覚された。ほんとうはずっと、ゆがんでいたのだ。

うつ病が治って、しばらく安定していた。この間に、社会生活での困難はほとんど解決された。ようやくまともになってきた、と思った。やがて恋人ができた。弟に感じていた愛情に近いものがあった。なんでもしてあげたかった。でも、相手を大切にしていたつもりで、その根底にはやっぱり見捨てられたくないという気持ちがあった。

私は過去を笑い飛ばしながら話した。こうやってあったことを矮小化して、強い自分を示したかった。そんな自分恋人が眉をひそめているのにも、私は気づかなかった。

私は最後まで、高校生の時のことは話せなかった。

浮気が発覚して、「化けの皮が剥がれた」と彼は私を表現した。その通りだった。私は元から人を愛せないのだ。無理をして軋んだ自分を埋めるように、酒を浴びるように飲み、過食し、そして再び不貞行為をした。私は何も変わらなかった。それどころか、より残酷な化け物に進化した。

人と親密になり、尽くしてやり、コミュニケーション能力を磨き、知識を貯め、あの手この手で、恋愛に限らず、すべての人間関係を求めた。たくさんの友達を作ってそばに置いた。とても満たされていた。

このことで、もっとも近しい人を最悪の形でどん底に突き落とす自分の加害性は、より際立つ結果となったと思う。

私はずっとずっと前から自分の加害性に気づいていたのに、愛されたくてそれを隠す努力ばかりしていて、加害性そのものをどうにかしようとは思わなかったのだ。勉強したり、化粧を覚えたり、流行りの歌を歌えるようになったり、接客コミュニケーションを磨いたり、そういったことが正しい努力だと思っていた。違った。しかし、努力しているか大丈夫、私は治った。もうひどいことなんてしない。そう慢心した。

不安定な時は一瞬で滑り落ちるようで、気づけば元の木阿弥だった。

そういえば、「コンビニ人間」について彼と話した時に、意見が真っ二つに別れた。彼はあれをバッドエンド寄りの解釈をして、私はすばらしいハッピーエンドだと思ったのだ。あんなに素敵な話はないと思っていた。リトマス紙のように、私たちの住む世界がまるで違うことを、あの小説は示していた。

カウンセリングや友人との対話を通して、私にとても似た精神疾患があることを教えてもらった。17歳のカルテのスザンナと同じ病気17歳のカルテを見た時は、スザンナと私は全然似ていないと思ったし、その時興味を持って調べてみた時も、こんな人もいるんだな、と思っただけだった。

真夜中のパーティのシーン、スザンナのカルテにはこう書いてあった。

自己像 関係 気分の不安定目標不明確 衝動的。自傷行為 カジュアルセックス反社会性と悲観的態度が顕著である

どうしてこれをみてさえ、あの時の私は、これが自分と似てないと言えたんだろうか、何だか笑ってしまう。

それはやっぱり、自分とぜんぜん向き合ってなかったし、そもそも自分がなんなのかもわからなかったからだと思う。

実際のところにているだけで全然違うのかもしれないし、わかったところでなにかが解決することでもない。

ただ、私が住んでいる、この無限に先送りされる世界感は、どうしようもなく加害的で、ちゃんと生きるためにはそれなりの時間と、努力と、誰かの知恵が必要タイプ問題だったということはわかった。それを矮小化して、根性論自分押し付けて、ひとりでやろうとしたから、私は自分の歩く道と、そこにたまたまいただけの罪のない人を焼き払ったのだ。

私は怖い。友達はいまでも私に寄り添ってくれるが、友達わたしに「あなたの好き」と言ってくれる部分さえ、もしかしたら、こうした歪みや病理の表出でしかないのだとしたら?すべてがひっくり返ってしまう。私ってなんだろう。

私にチャンスはもうないかもしれない。チャンスがあったとして、それに縋る資格すらないのかもしれない。私はそれでも、まともに誰かを愛せる自分になりたい、と、まだ、こんなになってさえ思ってしまう。

くじけそうになったとき自分がわからなくなった時に戻ってこれるように、増田にそっと流す。

対人関係自己像、感情などの不安定性及び著しい衝動性の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。

以下のうち5つ(或いはそれ以上)によって示される。

1. 現実的に、又は、想像の中で見捨てられることを避けようとする 「なりふりかまわない努力」(見捨てられ不安

2. 理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係様式

3. 同一性障害:著明で持続的な不安定自己像又は自己

4. 自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも、2つの領域にわたるもの

(例:浪費、性行為物質乱用、無謀な運転、無茶食い)

5. 自殺の行動、素振り、脅し、又は自傷行為の繰り返し

6. 顕著な気分反応性による感情不安定

(例:通常は2~3時間持続し、2~3日以上持続することは稀な、エピソード的に起こる強い不快気分、苛立たしさ、又は不安

7. 慢性的空虚

8. 不適切で激しい怒り、又は、怒りの制御の困難

(例:しばしば、かんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合いの喧嘩を繰り返す)

9. 一過性ストレス関連性の妄想観念、又は重篤な「解離性症状」 (注2)

2019-12-12

anond:20191212163653

負の性欲と正の性欲の性欲同士の争いに矮小化したいだけ、というならまだ公正な議論意見として尊重できる。でも、「オタク」とか「電波」とかネガティブキーワードを付加せずにはいられないから一気に説得力が落ちる。なぜ性的不快ものをわざわざ想起して自分の言い分を補強しようとしてしまうのか、キモオヤジを持ち出したとしてもそう。性的不快さのシンボル必要もないのに持ち出してしまう傾向を負の性欲と言っているんだよ。性欲と言って良いかは確かに議論余地があるけれど、正と負の権威付けに不必要に性を絡めようとする欲求存在していることを自分で示しちゃってるじゃない。女性だけでなく男性の一部もやる事だけれど

2019-12-11

anond:20191210171417

地獄みたいなブコメ群だ。

現代において非モテいかに辛い状況に置かれているかをよく表している。

特にブコメにいる増田を性欲モンスターとみなすエセ北方謙三と、彼女自分の都合のいいモノじゃない、バカにするなという非モテマウンティングは際立ってひどい。

増田風俗に行けと言っている奴らは、最後までこの文を読んだのか?②で増田風俗に行かない理由は明記されている。だいたい風俗に行って解決できるのは、せいぜい性欲ぐらいでそれが増田の苦しみの根本的な解決にならないことは全文を読んだら火を見るより明らかだろう。なぜ増田の苦しみを「どうせ性欲の問題、一発ヤッたら解決する」などと矮小化するのか。

あとまず女性を愛することから始めようとか女性にクレクレすんじゃねーみたいな趣旨ブコメ。どこにそんなこと書いてあるんだ。愛し愛されたいとは書いてあるが一方的に愛されたいなんて書かれてないし、ましてセックスするために彼女欲しいなんて微塵も書かれてない。②で書いてあるようなことは特に傲慢という訳ではなく普遍的に多くの人が感じることだろう。

非モテの生きづらさはこういうとこにある。非モテだけど彼女欲しいとか言うと、粗探しと上から目線説教が始まる。さらにこの説教が始まる頃にはもうこちらの話を聞いていない。彼、彼女が考える想像上の非モテへの説教を目の前の相手にぶつけるだけ。こうやって非モテが苦しみを理解されないだけでなく、彼、彼女らのオナニーに消費される姿には毎度反吐が出る。

とはいえ自分非モテなので立派な助言ができる訳ではないのだが、次のことは覚えておくと少し精神安定上良いと思うので軽く述べる。

誰かと付き合うことができるかどうかって本当に運の要素が大きい。彼女がいるやつといないやつで本質的に優劣がある訳ではないし、たとえそのように見えるものがあったとしてもそれは見る人の見方による相対的ものであって、絶対的な、それこそ増田が言うようなどうしようもない格差なんてものはない。またその相対的な優劣は人によって、また時間によってころっと変わるのである。だからサイコロを振り続けて欲しい。そして誰かに嫉妬して悩み続けたり、闇落ちしたりすることな人生満喫して欲しいと切に願う。

2019-12-05

anond:20191205112818

自分絶対的正義だ」という常識を揺さぶられるので相手の指摘を矮小化したいだけですよね?

2019-11-25

@Ohsaworks 氏の発言をさして問題だと思えなかった

さて、おおさわーくすこと大澤氏が燃えている。ここでもまとめられているように、

今回の一連の発言の中でもっと問題が明確なのは11月20日午前11:12の以下のツイートです。「弊社 Daisy では中国人採用しません」。なおこのツイートには11月24日18時時点で、318件のリツイートがなされ、511件のいいねがついています

https://twitter.com/Ohsaworks/status/1196974667422035968

続いて同日午後1:21には、他のアカウントから批判を受けて以下のようにツイート。「中国人パフォーマンス低いので営利企業じゃ使えないっすね」。

https://twitter.com/Ohsaworks/status/1197007069464842240

同日午後2:02には、さらに別のアカウントから批判を受けて「そもそも中国人って時点で面接に呼びません。書類で落とします。」とツイート。これは460件リツイートされ、385件のいいねが付いています

https://twitter.com/Ohsaworks/status/1197017322185052161

という発言問題視されてのことである最初に見た時、これはめちゃくちゃな発言であり、こんなことをいう人間が身近にいたら絶対にお付き合いしたくないと感じた。しかし、『とんでもない差別許すまじ』とか『東大マネックスに訴えて直ちにやめさせるべき』ということは思わなかったのだ。今となっては直ちに訴えるべきであったなあと思っているのだが、自戒も込めて、なぜすぐにそう思えなかったかということを書き記しておきたい。

理由1. 学環周り・出身者に人格能力一定ラインに達していないと思しき教員複数名いること

『学環』といって一括りにするのは間違っていることは百も承知であるのだが、あえて言わせてもらうと、一部学環関係者レベルの低さは底が抜けているように思う。私学のお飾り教授よりもはるかにひどい例が散見される。例えば大澤氏を除いて学環出身者で最も有名なのは落合某だと思うけれど、彼は知りもしない社会科学しょっちゅうくちばしを突っ込んでいる。本業で何をやっているのか全く知らないけれど、他の分野のサイエンスちゃんと敬意を払えない人間がまともな教育を受けてまともな研究をできているはずがない。あとしばらく前に炎上したのは『様』付けメールをもらってTwitterでぶちぎれていた伊東乾教授という職業を己を飾るアクセサリーの一つ程度にしか考えていないことが明々白々である。あともう一人、個人的比較的近くで見たことのある教授がいる。その人のグループが呼んだ講演者セミナー要旨を見たことがあるが、完全に論理関係破綻していた。論理関係破綻しているというのは屁理屈とかそういうレベルではなく、モーダスポネンスや三段論法が成り立っていないとかそういうような次元の話である高校生ですらもう少しまともな文章が書けるだろうなと思ったことを記憶している。もちろん、この講演者けがヤバかったわけではなく、その人のグループ構成員セミナーも後で見たが論理関係が完全に壊れていた。『情報』と名付けるからにはカリーハワード同型くらい教えてみてほしい。

というような感じで、見聞きした関係者アカデミアにいる人々が全員、自己顕示欲に比べ人格能力釣り合っていないように思え、今更そのサンプルが増えたところで、すでに感覚がマヒしており別に何とも感じなかった。学環の一部関係者のせいで、増田のような外部者からは学環周りの風評はすでに地に堕ちており、今更東大被害を与えるというようなことも想像できなかった。

理由2. 発言意味不明すぎて取り合う意味すら感じなかった

問題視されている発言のもととなっているのは、例えば「中国人パフォーマンス低い」というような話である事実ではないことは明らかである。『人種信条性別社会的身分又は門地』とその人間能力は全く関係がない。こんなことは幼稚園児でもわかることである。ましてや2-30年も生きていれば優れた中国人プログラマーなんていくらでも心当たりがあるだろう。正直ばかばかしすぎて、まともにとらえる気にもならなかった。大体がそもそもこのような根拠もクソもない妄言を吐く人間がまともであるはずがないし、それは彼のHTTPS周りの発言からも明らかである。まともでない人間のやっているまともでない会社に雇ってもらう機会を逸したところで痛くも痒くもないのではないか。そう思っていた。

しかし、それはどうやら増田日本人他人事からそう感じただけらしい。よくネトウヨキッズが言うような『俺がお前の立場なら事実を言われても何も思わないけど?』という論理にはまってしまっていたのだと思う。そもそも考えてみれば『未踏スーパークリエーター』で『東大准教授』の発言である。ある種の権威圧力をもって聞こえる可能性はあるわけだ。増田なんかはそもそも学環というだけで権威性に-infinityのゲタをかませているのだけど、世間的にはそんなこと関係がないだろう。上に書いたようにあまりにもばかばかしすぎて扇動にすら聞こえなかったのだが、『学環』とか『イキリ倒してる人』とかそういうバイアスを外して、「東大准教授中国人能力統計的に低いと発言した」と言えばその問題点は明らかであった。

結論


というわけで、バイアスがあったりすると人間はどうも問題矮小化して捉えてしまいがちであるらしい、というお話だった。まあよくよく考えてみるとこういう事象政治家発言とかでもしばしばあって、安部麻生がどんな妄言を吐いても国民スルーしてしまうのに似ていなくもないかなと思った。

あと東京大学は大澤氏をパージするのはいいんだけど学環全体をお掃除してください。まじめにやっている人たちが(いるのだとは思いますが)かわいそうです。

まーた朝日

大阪の女誘拐 伊藤容疑者「別の女の子オンラインゲーム相手になって」と誘い出す

https://dot.asahi.com/wa/2019112400005.html

題名と内容読む限り朝日臭いなと思ったら、案の定週刊朝日だった。

前にもスマホエロ広告叩きしていたし、普通にこの手の事もするのが朝日系列からな。

呆れはするが、驚きはしない。

しかし読んでいてまた包丁は使う人間次第だと言う説明をされたいのかな?と読んでいて思った。

ぶっちゃけネットなんざツールなんだからスマホゲーだろうが、ツイッター等のSNSだろうが犯罪する奴はどんなツールを使っても出てくる奴もいるだろうさ。

いつもながらまるでオンラインゲームが一番の原因であるかの様に責任転嫁をして、記者事件の原因を矮小化しているのが一番の問題だよ。

どうせこれもゲーム規制ネット規制事件を利用したくて書いたような記事だろうさ。

こう言う犯罪の原因を娯楽が原因と叫んで規制をしてもまるで状況が良くならなかった所か単に娯楽業界の壊滅を招いただけだったり、挙句の果てに経済悪化文化及び技術の衰退を招いた事例もあるのに今だこの手の記者は短絡的に安易責任転嫁をする様な記事を書くのが一番の問題だよ。

日本でもゲーム脳のせいでコンピュータ分野の発展が遅れたのは事実だし、韓国でも漫画叩きのせいで育ち始めた業界がぶっ潰れたりした事態もあったしな。

アメリカでも過去コミックコードとかあった訳で。

しかし昨今一般人フェイクニュースとやらが問題になっていると一部の連中は騒ぎ立てているけど、国内外わずマスメディアこそある意味ではフェイクニュース以上に悪質な記事を乱発している事実の方をどうにかした方が良いんじゃないの?

こんな事言いたくないけど、日本マスメディアでも朝日特にマスゴミと呼ぶにふさわしい存在だと思う。

2019-11-23

性的消費とは何なのか

フェミニズムLGBT文脈性的という言葉を使うなら「性」ということばを生物学的な意味だけに縮減することは避けねばならないし、身体的特徴のみならず、あらゆる場所に「性」が見出されるはずである。他方で「消費」という仕方を非難するのなら、そもそも消費されない表象など存在するのかという問題が残る。

したがって、「性的消費」なる概念批判的に用いられるとき、そこには客観的な「性」と、表象として「消費」され得ない実在が想定されていることになる。

ところで、このような実在論的な思考はまさしくプラトン以来の男性中心主義的な哲学思想の延長であって、フェミニズムや「性的マイノリティ依拠する理論として悪手なのではないだろうか。

追記

まり何が言いたかたかと言えば、フェミニズム理論的骨子はそもそも社会学以前にその大部分を哲学依拠しているという事実であり、またそうである以上、哲学史的な文脈理解しないままに「性的消費」というタームを無闇に振り回すことは本人が意図する以上の射程を含み得るということ。

哲学における運動とはつまり反省であり、思考の射程を掘り下げていくような運動であるのだが、その運動には自分という主体すらも揺るがされるような危険が伴う。しかし、社会学哲学の成果の上澄みだけを掠め取ってこの運動をたんなる気持ち運動矮小化してしまった。そのような運動においてはもはや危険反省は伴わず、ただ自分肯定してくれるような物語けが空虚なタームとして流通する。

フェミニズムから社会学へ、ではなく、ちゃん哲学へ遡るひとたちが増えればより建設的な議論ができるようになると思う。

2019-11-18

anond:20191118082915

いや侮辱だとかいう話になるのは事実矮小化しているのと同じでら問題もっと深刻って言いたいんでそ、この人は。

2019-11-17

anond:20191117110111

その意見自体正論なんだろうけど

差別発言により単純に不快な思い

と言ってるのを見たら、差別発言だと思ってるなら「単純に不快」と言うのは矮小化ではないのかというのが単純な感想だよ。

anond:20191117105122

でもキモくてお金のないおっさん純粋差別を受けているのを単に不快矮小化する発言には疑問を抱かないんですねわかります

2019-11-16

anond:20191116065234

Hagex矮小化して、君にとって何が特になるのだ?

事実をいうなら

刺殺した人間が悪いしかないと思うのだが

2019-11-12

新入社員研修マルチセミナーだった

会社に入って3ヵ月くらいしたころ、新人研修がありました。「きっと、業界歴史だとか、社会人としてのマナーだとかやるんだろうなぁ」と思ってたら、大きく裏切られました。待っていたのは「ランドマークエ〇ュケーションという自己啓発セミナーに3日間参加してこい」という指示。ちなみにこの集団外国ではカルト教団認定されてるらしいです。調べてみると、「洗脳」やら「勧誘」やら「マルチ」やら、怪しい言葉が続々と出てきます

初日セミナー日光も当たらない、外界と完全に隔離された部屋に誘導されます。「ここでこれから3日間過ごすのか……」と思うと、ちょっと憂鬱でした。まあよく考えると、この部屋に隔離して精神力判断力をすり減らす策略なんですけどね。参加者は200人ほど。最終的には200人が同じ行動をし、同じ思いを持ち、わ~~っと盛り上がることを強制されるので、劇場かのような錯覚を覚えるんでしょうね。普通に過ぎた初日でしたが、「ん?」と思うこともありました。昼食は向こうが勝手に用意したクソ高い弁当を買わされたり、休憩中には経験者が一心不乱に話しかけてきて、「私はこのセミナーでこんなに変われたのよ!」と力説してきたり。一日の終わりには、「大切に思う5人に、それぞれ500文字ずつ手紙を書く」という面倒な課題を出されたり。この手紙も巧妙で、睡眠時間を削るとともに、後に行う「知り合いへの勧誘」の際に、この文章を利用して勧誘を行うので、あらかじめ文章を作ることでサッと勧誘言葉が出てくるといった寸法です。

2日目以降に人格破壊が始まります講師の指示で、過去トラウマを発表させられます。僕にはそんなトラウマがないんであれなんですけど、自発的に高いお金を払って参加している人たちには何かしらの過去があるようで、皆さんトラウマをみんなの前で告白します。地獄か。

トラウマを発表したら、周りの人間は無条件でそれを受け入れます講師が口を開きます。「あなたのそれは、"story"です」と。"story"というのは、作り話ってことなんですけど、例を挙げれば、「他人を殴ってきたら怒ってきた。ただ、他人感情なんて分からないし、『怒ってきた』というのも、自分勝手相手感情を考えただけで、相手別に怒っていないかもしれない。自分は、相手感情を『作り話』として作ってしまった」という感じです。無敵の論理ですね。

講師が「それはあなたの"story"です」を連発し、告白したトラウマを次々と片付けていきます。「あなたが今まで悩んでたことはしょうもない無意味」「作り話に感情支配されるな」と、個人が持っている悩みをどんどん矮小化していき、"story"の1単語で片付けていきます。ただ、もうこの時点で洗脳されちゃう人もいるんですよね。最終的には、受講生全員で、「人生空っぽ意味なし!」と何度も大声で唱えさせられます。「人生空っぽ意味なし!「意味なし!」「意味な~~~し!」と、泣きながら叫ぶ声も聞こえてきます。まあ3日間も極限の状況に押し込められて、心が弱い人は洗脳もされちゃいますよね。

後は、「非合理な行動」「ええかっこしい」「エンロール」「ペテン」なんかも、このセミナーでよく使われる単語でした。上の話も含めて、全部が勧誘につながっていくんですよね。

「非合理な行動」ってのは、そのままです。自分が非合理な行動を起こしたときに、そんな自分もついてきてくれる友達が本当の友達だ、って論理です。セミナー中、定期的に「では今から30分時間を取るので、知り合い5人にこのセミナーのすばらしさを電話してきてください」みたいな時間が入ります最初参加者抵抗するんですが、講師が「これは非合理な行動です。勧誘をして、離れていくような友達は本当の友達ではありません」と大声で叫びます

ええかっこしい」ってのもそのままですね。「人間はええかっこしいだから勧誘なんて行動はなかなかとれない。ただ、感情なんて"story"なんだから、ええかっこしなくても別にいいじゃん」って論理ですね。受講者が、「ちょっと勧誘にはこういう理由抵抗があります……」という話をすると、講師が「あなた!それはええかっこしいですよ!」と急に怒鳴り始めます気持ち悪いのは、周りの洗脳済み参加者たちも、次第に講師と同じように、抵抗ある参加者を攻め立てます魔女裁判かな?

「エンロール」ってのもそのまま「巻き込む」ってことなんですが、勧誘活動をこの言葉に置き換えています。「勧誘しよう!」はあからさまなので、「エンロールしよう!」に言い換えている感じですかね。このセミナーで得たものを「分かち合い」し、「エンロール」することは美徳とされるので、洗脳された人はどんどん宣伝勧誘を行います

ペテン」ってのは「ペテン師」の「ペテン」です。自分に沸き起こる感情のことですね。勧誘をするときにも、「嫌だな……」って思いが沸き起こると思うんですが、それは「ペテン」です。似非感情であり、気にしちゃダメ感情です。さっきの「ええかっこしい」と合わせて、ランドマーク〇デュケーションの勧誘を行わない人間は、「ええかっこしい」で、感情が「ペテン」に支配されている扱いになりますファシズムかな?

以上の言葉を使った論理で、参加者を巧みに誘導し、勧誘活動をさせますちなみに、3日目の夕方には、参加者に対して「次のセミナーに参加しませんか?」という勧誘行為が行われます。何故かこれには90分ほどのたっぷりとした時間が割かれていますいくらかは忘れましたが、うん十万円する次のセミナーの申し込みを、その場で直ぐに行うことができます。確か分割も可能です。悪魔かな?

僕はそんなものに申し込むつもりはさらさらなかったので、その時間椅子に座ってひたすらジッと待っていました。そんな僕にセミナーの人がめちゃくちゃ話しかけてきます。怖い。「あなたは素晴らしい人間から、私もこんなに期待して話しかけてるんですよ!」「このセミナーはまだまだ不完全なところもあって、次のステップに進むことで完全な学びができるんですよ!」と、ありとあらゆる方法で語りかけてきますセミナーの人と電話番号を交換するという時間があります。こんな奴らに電話番号を渡したくないので、適当に番号を教えたんですが、「確認しますね!」と言ってその場でその番号に電話をかけ始めました。もちろん通じません。「あれ?繋がりませんよ?もう一度教えてください」「電話番号はこうやったら表示できるので、表示して私に見せてください」と責めてきます。とうとう本当の電話番号を明け渡すことになってしまいました。死亡。ちなみに、翌日直ぐ電話が来たので、着信拒否しました。

セミナー最後は、このセミナーに参加した人が、セミナーを紹介してくれた人を呼んで、「こんな素晴らしいセミナーを教えてくれてありがとう!」と感謝の意を伝えながらハグをする、という気持ち悪いイベントがあります。振り返ってみると、後ろにうちの会社の人たちが。気持ち悪いので、無言で無視していました。

希望者は4日目も参加できるんですが、僕はもう嫌悪感しか湧いていなかったので、強い意志で断りました。そんな感じで終わったんですが、細かいことを挙げればまだまだ気持ち悪いエピソードがあります。さすがに長すぎるので書きませんが。

一年後、自分は別の会社にいましたとさ。

2019-11-11

自民教」

桜を見る会」とか明らかに間違ったことしてるのに、騒ぐ方が悪いとか、民主党も悪いことしているとか、たったの5000万とか、

頑張って矮小化したり話題すり替えたりする人がいて、どうにかして安倍首相を守ろうとしているんだけど、これもう宗教では?

ダメなことはダメって言っちゃいけないの?

程度問題じゃなくて悪いことは悪いんじゃないの?そもそも逆に野党が同じことしたら同じこと言うとは思えない。宗派に基づいた一方的価値観でしょ。

はてブコメントより

2019-11-06

有識者会議」の思い出

大学入試英語民間試験導入の経緯で「有識者会議」の議事録がないとか話題になっている。本来それがないはずはない。形式主義のお役所で基本中の基本である議事録をつくらないわけはないので、実際には存在する議事録を「いや、それは職員メモで…」みたいな言い訳をするつもりなのだろう。実際、決済者のハンコがないとかなんとかで、正式議事録扱いにはなっていないのかもしれない。ただ、それはお役所の内部の手続きだけの話であって、記録を残さないような杜撰なことは役人はしない。

それはともかく、この「有識者会議」、だれがよばれるんだろうと思う人がいるかもしれない。大学教授なんかは、想像がつきやすいだろう。私も身内にそういうのが一人いるが、深刻ぶった顔をして、いそいそと出かけていく。その話は後でするかもしれない。

ただ、そういう「学識」系の人ばかりがよばれるわけではない。「学識経験者」の後ろ、「経験者」の方は、かなり広範な対象から選ばれる。選ぶのは役人だ。彼らの基準がどうなっているのか知らないが、たぶん、影響のありそうなところから文句が出ないように、バランスを考えて選ぶのだろう。民主主義でもなんでもない。彼らのアンテナの感度が悪ければトンチンカンな人選にもなるし、あるいは政治的圧力が入りやすいところでもあるだろう(たぶん)。

そうこういう私も、なぜだか「学識経験者」の端くれとして、ある会議によばれたことがある。さすがに国の省庁レベル会議ではない。もっと末端の、県庁レベル政策を決めるための会議だ。実は、「経験者」枠だとこういう会議によばれることは決して珍しいことではないらしい。というのは、後になってある団体非正規雇用で安い報酬である事務所に詰めていたとき、隣の席の私同様に冴えないおっさんが、やっぱり彼の専門分野で(確か電気系の技術職をどっかの会社でやっていたはずだ)何かの有識者会議によばれたことがあると話していた。だから、これを読んでいるそこらのおっさん、おばさんであるあなたも、県レベルくらいならある日突然に会議に招かれることがあるかもしれない。

ともかくも、私がそういう場によばれたのはもう16、7年も前のことだ。ずいぶん古い話になってしまったが、お役所仕事はどうも驚くほど進化しないようなので、雰囲気はたいして変わらんだろう。いろいろあってちょっと欝気味で引きこもり気味だった私のところに電話があって、確か日当1万円ぐらいだったと思うが、3回連続会議に出てくれと言われた。ちなみに内容まで言うといろいろアレなので言わないのだが、なんで私に声がかかったかと言うと、それはその頃、私があるメディア事務仕事をやっていたからだ。ちょっとちがうかもしれないが、保育園問題検討するのに匿名日記サーバー管理者に声がかかったようなイメージももってもらえればいいんじゃないかと思う。もちろん私は「もっと適切な人がいますから」と断わったのだが、こちらが別の人を紹介するつもりで話しているうちに、いつの間にか役所担当者丸めまれしまった。このあたりの詭弁は、なかなかたいしたものだ。

で、会議の方だけれど、確か「学識」側が3人、「経験者」側が3人くらいだったように思う。私以外はみんな顔なじみらしく(「経験者」枠の1人は私同様だったかもしれないが、学者同士は同じムラ社会をつくってるようだった)、私はけっこう居心地がよくなかった。広い会議室に、基本はその「有識者」たちが討論をするのだが、事務方が何人か座って(一応、「議長」は有識者から互選するのだけれど)、議事進行をつとめた。驚くのは、その会議室の後ろ半分には役人たちがたぶん20人くらいはいたと思うが、ずらりと傍聴している。もちろん書記方もいる。なんやかんやで、四方を取り囲まれたようななかで、会議ははじまる。

手元には、分厚い資料コピーがある。そのコピーに記された議題通りに議事は進行する。頭のいい役人がつくったのだろう、実によくできている。よくできているというのは、もう結論がわかりきったようなことしか書いていない。「皆様はどうお考えですか」と議長に言われても、「いや、そりゃそうでしょう」と頷くしかないようなことしか書いていない。

では、それで問題はすべて解決するのか、といえば、そうではない。そもそもその問題の切り取り方がおかしいんじゃないの、ってことはすぐにわかる。けれど、そこまでちゃぶ台返しをしていいもんだろうか? 枠組みを示されてそれにもとづいて知恵を出せと言われているときに、出発点から疑うようなことが許されるだろうか?

それでも私は、やっぱりそれが自分存在意義だと思うからオブラートに包んで、そういうことも言う。じゃあそこで議論がひっくり返って一から話がはじまるかといえば、そうはならない。「先生のご指摘はたしか重要なことかと存じます。それに関しましては、さら勉強させて頂き、次回の会議までには議事に盛り込むようにいたします。それでは次の項目に移らせていただいてよろしいでしょうか」と、実にそつなく無視される。そして、その次に行ってみると、私の爆弾発言はすっかり骨抜きされ、やっぱり「そりゃそうでしょう」と頷くしかないような項目に落とし込まれている。いや、そこまでいうんなら私はもう文句は言えないよ、でも、それってそうじゃないんだよなあって思っても、反論できない程度に役人たちの頭はいい。

結局のところ、私は3回のあの会議で(4回目は議長先生個人的な都合と判断で開かれなかった)、ただただ渋い顔をして頷いていただけだった。すべての枠組みは予め決められていて、それをひっくり返すなんて、技術的にも不可能なぐらい完璧にお膳立てされていた。そして、仮にそれに反逆することができたとしても、「そのような意見があったことは十分考慮いたします」の一言でそれ以上の追求はできず、そして最後事務局のさじ加減でそれがほぼ無意味なくらい矮小化されるのが関の山だった。

身内の大学教授に聞いても、基本的有識者会議みたいなものはだいたいそういうことになっているようだ。ほとんど無意味じゃないかと彼に追求したら、「けれどそこで一言言って議事録に残しておくことに意味があるんだよ」と諭すように言われた。それはそうなのかもしれない。だからこそ、「議事録ないなんてありえないよなあ」と、こんな昔話を思い出したわけ。

2019-11-05

anond:20191105153404

問題がない」とは言わないし、問題矮小化すべきでもないとは思うんだけど。

奇形」呼ばわりとかゲイフォビアとかに比べたらはるかに「どうでもいい」ことを批判するのに、「オタク君さぁ」だとかわざわざ侮蔑意識を強く出さないと気が済まないくらい余裕なくなってるんだなぁ。

2019-10-22

anond:20191022103825

それは言い訳にはならない。自分に降りかかる火の粉を大したことないというのは問題ないが、他人の困難を私が生きるためだからと矮小化させろというのは話がちがうでしょう。

なめられることはヌルめの困難じゃない

槙野さやかさんの『ジョーカー』評が滅茶苦茶

舐められること含め、女、マイノリティにとってはありがちヌルめの困難が白人男にとっては虐殺正当化を与える理由は?の元評 フェミを感じ取り(そこは正解)侮られたと感じ限界汚言のジョーカー化するこの増田2019/10/22 07:48

なめられることはヌルめの困難ではない。どうもこの"マイノリティ"っていうのに男は入らないのかもしれないけれど、同性愛者で発達障害なので書いておく。

なめられるということは、コミュニティに入れないということ。入っても不当に扱われるということ。これが小さなグループへの所属によるものなら影響は比較的すくない。阪神ファン巨人ファンになめられたって全然問題ない。阪神ファンでなめられたって何とかなる。でもさ、これが同性愛者だとか、発達障害(要するにグズ)とかになると変わるわけ。そこまでいくと、もうそこら中に同性愛者だとかグズをなめてる連中がいるわけで、なにかと「ぶつかるか」or「黙って我慢するか」みたいな状況が発生するわけよ。もちろん我慢するんだけどさ。で、どちらを選ぶにしろ居づらくなるわけ。そうなるとさ、ちょっと心が弱ってたりするときにその居づらい場所から抜け出してしまうんだよね。それが、友達グループとかならいいわけよ。でも、それだけじゃないじゃん。家族だったり会社だったり国家だったり社会だったりするわけ。これってヌルいのか?

さらに、なめてるやつが偉い奴だとよりひどいわけ、女だからどうせ辞めるだろうとか、同性愛生産的でないか税金をよこさないとか。そんなもんわかんねえじゃん。でも所属とかで決めちゃうわけだ。あるいは国家間なら、戦争火種になるわけ。電柱がどうのこうのとか、石油ルートがどうのこうのとかさ。それってヌルいことか?

別に男性からなめられないなんてことは無いわけよ。ホームレスだってなめられて台風の中低体温でしにそうだったでしょ?こん棒もってるでかい赤鬼避難しにきたらどんなに臭くてもなかに入れるじゃん。「体臭気にしろよ俺らのことなめてんのか」とか思いながら我慢するわけじゃん。生死にもかかわることをヌルいと言ってしまうのが全く分からない。

じゃあなめられないのはいったい誰だ?っていうと、そんなやつは誰もいない。こん棒もってるでかい赤鬼だって、いざ結婚ってとき相手の両親に嫌われるかもしれない。だってこん棒もってるし。このゲームには勝者がいない。いるとすれば、そんなことどうでもいいって言えて、ちゃん生活できるやつ。金持ちとか、自給自足生活者とか、一時的意味引きこもりとか。

なんでこんなことになってるかっていうと、それ以外でコミュニケーションをとることができないから。相手が「こういう人だろう」と推測して「こうすれば伝わるだろう」と行動すればどうやたって起こる。

からこそ、なめられることはヌルめの困難じゃない矮小化すべきことじゃない。

ついでに言えば、映画の彼は障碍者じゃないか白人男性っていうのは障碍をも上書きするのか?それともこのブコメ書き手が「白人男性」に対して抽象的なイメージしかもっていないのか?

それこそが人を人として見ないことで、人として尊重しないことで、なめてるっとことなんだよ。

2019-10-19

anond:20191019104846

それも同じ話だよ。関係のない話で事を矮小化したり大袈裟にするなってこと。

ブーメランじゃなくてMAP兵器だ。

ちゃんと敵味方識別したうえでのな。

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