はてなキーワード: 所謂とは
2割がチャラ男風オタク。2割がオタクじゃなかったのに染まった一般人。オタクに染まれなかった一般人のうち半分は退学いたしますですはい。
受験同期は「ソニーで偉くなってPS7辺りで俺が指揮を取る」「荷電粒子砲を搭載したロボットを作る」「カチャカチャターンで世界を制する」「コミュ障でも理系なら仕事があると聞いて」「メイドロボを嫁にしたい」「やっぱデジタルって業績いいんでしょ」みたいな感じでござるね。もちろん上から順に。
ぶっちゃけビビるぐらいオタクだらけで候。高校時代にクラスの上位5%に入るスーパーキモいオタクがここだと上位40%ぐらいの範囲に入り、未知の世界から来た未知のオタクがそのさらに上とはコレ以下に。さすがの拙者もヤバイオタクが多すぎて漫研とSF研は回避したほどゆえ。
なんだかんだオタクは遊びに飢えていますから成績は悪いのが多かったと思われ。成績上位は勉強という現実の中でオタクだらけの現実を逃避する矛盾回路を形成した一般人の者共なり。奴らが気まぐれにエロゲを欲しがった時に割れを流してやることでノートを借りて皆で写すこれ勝利の方程式なり。
先程述べたとおりにオタクに囲まれた世界を狂気と位置づけ勉強という現実に逃げ込んで正気を維持したガリ勉パンピーが成績上位常連なわけで、それがそのまま学校側に唆されて助教にまでなってしまうわけですな。そのまま気づいた頃には教授になって、死ぬまで幼児性に満ちたオタク共を二十歳超えてるやつしかない幼稚園で介護して一生を終える道を選ぶのですから人生とは恐ろしい恐ろしい。
教授のテンプレといえば無自覚アスペでごじゃりまして、こちらは説明するまでもなく一般社会への適応能力がマイナス200%2回生まれ変わっても魂の穢が酷すぎて社会適応100%負荷な確率が100%の超天然物スーパーアスペであるからして象牙の塔に骨を埋めるわけですな。世の中にはその職業の存在そのものが社会保障と言われる所謂公務員だの用務員だのと言った仕事がありまするがIQが過剰に高く社会に適当出来ないアルジャーノンを最高なベクトルで拗らせたような輩の墓場が教授という仕事なわけで。
残りは大体がアニメやゲームでなく物理学のオタクでして、クルマやでんちゃが大好きな人が多いのですよ。ブーブーの業界は最近ではプログラミングを売りつけて共同開発できるチャンスがバリバリ多いですしお金も持っていますので生き残りやすいのかも知れませぬ。鉄の者につきましても業界規模の大きさゆえに割と強いですな。はぇ^~ゲイは身を助けるんすねぇ~見とけよ見とけよ~。
えっ、イメージどおり?
こんなのオープンキャンパス行ったら分かる?
せ・や・な
横だけど、一時期そっち系にハマりかけてたので書きたくなった
私は、そういうシチュエーションを貫く系が好きだったが非常にレアだ
不条理じゃないやつとかでも、一貫して貫いて欲しい設定とかがある
タオル一枚で男湯に入って出てくるんならタオル一枚で男湯に入って最低限のミッションをこなして帰ってくればよい
ノーブラ浴衣でツイスターするのならノーブラ浴衣でツイスターするだけでよい
へんな絡みとか、農耕おせっせは要らない
というスタンス
だけど、商業作品のほとんどはそういう面白シチュエーションは所謂キャッチで、後半とかにごく普通のAVになって行ってしまうことが多い
単体ものでインタビュー飛ばすように、多くの視聴者にとっては抜きどころは後半の絡みなのかもしれない
だけど、後半興味なくて前半が好きっていう人もいる
中々長い同人人生の中で、貴重な体験をさせていただいたので、記念に「増田」というものを一緒に体験しようと思い、この話を書くことにしました。
お暇つぶしに読んでいただければ幸いです。
私は所謂「マイナーカプ」で活動をしていました。もちろんあえてマイナーを選んだのではなく、ハマったカプがいつもマイナーでした。
そのカプでのサークル参加はもちろん私だけ。ウエブで活動してる方はいましたが、出ている同人誌の9割は自分でした。
ありがたいことに、自分の作品をそこそこ読んでくださる方がいらっしゃったので、マイナーなりにも承認欲求はまぁまぁ満たされている状態でした。
ただ、メジャーカプの、アンソロジーやプチオンリーには、やはり憧れるものがありました。
同カプでお祭りできるのとても楽しそう。同志でアフターもとても楽しそう。
いつもボッチ参加でボッチで帰るタイプだったので、キラキラした世界でした。
いつか自カプがメジャージャンルにならないかなー、なんて何年も思っていました。
もちろんメジャージャンルの基準は当社比ですが、イメージとしては今までの100倍以上の規模でした。
既にでたくさんの人がpixivに作品を上げていましたし、ツイッターでも作品が溢れていました。同人誌もたくさん発行されていました。
初めは戸惑いましたが、自分の作った作品が、今までのマイナーカプの比べ物にならないほど反応がありました。絶対数が多いので当たり前の話なのですが、とても嬉しかったのを覚えています。
ありがたいことに、そのメジャーカプのアンソロジーやプチオンリーにも参加させていただき、とても楽しくて奇跡的な体験ができたと思いました。
しかし、私はそのメジャーカプにハマって、とても心が疲れてしまいました。
原因としては大きく2つ。
1つ目は、「同カプ界隈全員が自分の作品を見てくれるわけではない」ということ。
マイナーカプの時は、マイナーであることである意味自分が神でした。サークル参加も自分だけ、左右のサークルは別カプサークル。サークル前を素通りされても気にならないし、絶対数が少ないので反応の少なさも仕方ないと思っていました。
しかし、メジャーカプにハマったことで、そのことが目についてしまったのです。
あの人の新作には感想が来るのに、自分の新作には感想が来ない。
マイナーカプの時は、自分のために本を書いていると思っていたのに、どれだけそれを言い聞かせても、嫌でも比べてしまいました。
界隈の人間が多ければ多いほど、当たり前なのですが、いろんな人間がいます。
ハマったメジャーカプの界隈では派閥のようなグループができていました。
仲良かったと思っていたのに、AさんとBさんがいつの間にかブロックし合ってたということもありました。
Cさんの事が気に入らないから、Cさんとつるんでいる私のことも気に入らない、とDさんにブロ解もされたこともありました。
他にも色々あるのですけれど、ピンポイントなので避けます。人間ってめんどくせぇなぁ!!!!!!
なんかすごい疲れました。
これを書き起こしてる段階で、人が多ければ当たり前のことだなぁ…と思っていますけれど、井の中の蛙が大海を体験して覚えた感想です。
もちろんたくさんの自カプの作品に触れられたのはとても楽しかったですし、勉強になりました。いろんな性癖があるな!!!うん!!!!
そして今、蛙こと私は井の中に戻る、ということを選択しました。
もちろん無理やりというわけではなく、たまたま次に書きたい熱がメラメラ燃えているのが、井の中だっただけなのですが。
今のところまだそのカプのサークル参加は私だけです。
広い大海のときより、のびのびできる〜!!と負け惜しみみたいな感じになっているのも事実です。
ただ、「これがメジャーカプの苦しみ…」という貴重な体験ができたのは、とても良かったと思います。
さーて、井の中温かいな〜〜泳ぐぞ〜〜!!
長年Twitterしてるけど、最初にリプしなかった人はなんかリプライするの怖くて、所謂空リプで会話してる
フォローして直ぐに挨拶した人はその流れでリプしてるけど、しそびれると今更リプするのも怖くてずっとそのまま
かと言って、会話したいから相手のコメントに♡して空リプしてる
それで、一部のフォロワーとは何年も会話してる
婚活したくない
・パーティは高いし参加者はガチャ。7,8人と10分弱話して5000円。
高くて疲れるのはコストだからまだいいとして、たいして条件のいい女がいなくても、パーティで競わされると一番条件のいい女をゲットしたくなるし、それを他の男にもっていかれると普通に悔しい。
マスクで顔が隠れてるから、なんとかマッチングしても、外してみたら全然タイプじゃないなんてこともあり
・マッチングサイトは反応なしやお断りが大多数、お断りは「一応送っとくか」程度の女にされてもなんかむかつくし、反応なしは単純に無礼で待ってる時間が嫌。
おまけにあってみたら顔が写真と違うこともある。
女を奪い合う男側にしても年収爆盛りしたりしてる不誠実な男と競わされるのがキツい。
・結婚相談所も入会金だ活動費用だで平気で2桁万円が吹き飛ぶのがキツい。情報や写真の信頼性は増すが、高くて疲れるしゲットできるまでフラれつづけるには変わらず、婚活パーティより全体的に苦痛が多そう。
・今の生活より生活レベルを落とすのは耐えられない。生活のアップデートの一貫として世帯年収を増やしたり登場人物を追加していきたいのが主。
・子供は特に考えていないができてしまったら仕方ないと思う。ただ、それは完全に親のエゴなので、産むなら不自由ない環境や容姿を与えてやらないと貧困の再生産になる。
自分が受けた親からの投資と同じぐらいかけられないなら産むべきではないと思う。
・なので女側にも共働き、同程度の年収を望むが、女は自分の年収より高い男を選ぶ傾向にあるようで難しい(相談所の人間に聞いたところ、自分より年収の低い男は「尊敬できない」と思われるのだという)
・年収のある女を探す場合必然的に歳はかなり上になるようだが、容姿や肉体の価値は加齢に応じて低減していくので、結婚をしてまでその価値が低い状態の女を確保しておくのはデメリット。
あの程度の価値の女としか結婚できなかったのか、と他者に思われるのもきついし、結婚相手でマウントをとられる要素はできるだけなくしたい。
・同程度の年収かつ共働き前提で、かつ容姿の価値が高い状態の相手なら結婚しても(万一子供ができても)いいかなと思うのだが、なかなか難しい。
朝起きたら「結婚して良かった」と思える程度の容姿の女が横にいて、金銭的にも不自由なく生活できて初めて、現在と同程度に幸せになれるのだと思う。
かといって非婚を選ぶこともしたくない
・非婚化が進んでいるといっても結婚できている人間は周囲にも世間にもたくさんいるので、「結婚できなかったやつ」と思われたくもない。
・現在の生活はそれなりに気に入っているが、何かすごく熱中したり名を遺せている分野があるわけでもないので、非婚を選んでまでやりたいことというのもない。
・趣味なども基本一人で行うものなので、結婚しないと他人とのつながりがなくなり、近いうちに孤立するのは予測できる。しかし、それをよしとできるほど完全に人間とのかかわりを遮断して生きていけるとも思えない。
・今はそれなりに良い生活を一人で送っているが、それが一生続くことが幸せであるとも断言できるほどではない。
こうして書いていると結婚すべきではないタイプの人間だとも思う
・女を条件でしか見ていない、手段としてしか見ていないという指摘があるだろうが、おそらくその通りで、「何もかもを投げ出して自己犠牲にしてでもつなぎ止めたい」と思うほどの相手に出会ったことがない。
・そもそも男女問わず、そこまで強い感情や興味を他人に抱いたことがない。
・このままだと結婚しても幸せにはなれないだろうとも思うが、しかし結婚しなかったとしても幸せになれないだろうことに変わりはなく、ならせめて他人からは幸せに見える程度の体裁は確保しておきたい。
・結婚すべき人間でないから結婚しなかったとして、それで結婚できた人間ほど他者や世間は自分を認めてくれないと思う。
その他気になること
・自分にしか関心がない、というのは一般的でないのかもしれない。もしかしたら、他者の人格や人となりに興味を持ったり魅力を感じたりすることが一般的なのだろうか。
そう考えると、結婚できないのは条件面で負けているというよりは、人間関係構築のスキルが育っていないからだといえる。が、今更どうしろというのか。
・女が自分より年収の高い男しか愛せないというのは、要は「獲物をとってきたり他の部族と戦って自己犠牲してくれるオスを選ぶ」ということなのだろう。自己犠牲を強いることが男性の性的搾取とどこかで見たが、実際そうだと思う。
・共働きをしたくない女もまだいると聞いてウワーとなるが、共働きしないといけないのは女の年収を低く据え置きしている社会のせいであって、その責任をなぜ俺が引き受けなければならないのか。
・婚活系のサービスは結婚したい男女から搾取しているように感じてしまい辟易する。機会や情報を提供される価値はあるとは思っているのだが、にしても高いしつかれる。
・趣味で結婚相手を探せば、と言われたこともあるが、女に対して彼氏がいるか等の情報をそれとなく聞き出すのも大変だし、他の男よりサークル内で優位に立って自分をアピールしたり、人間関係のパワーゲームをやるのも非常に面倒。
・ここまで出てきた「他者」とか「世間」は、本当のところ自分に内在する規範意識やプライドだという自覚はある。だからどうって話なのだけど。
総合して
・他人に興味がないこと
どれを解消するにせよかなりの時間がかかる。その間にどんどん年をとり外見も衰え、周囲にはもっと高年収の競争相手が増えて、自分の条件は相対的に悪くなっていくことは想像に難くない。
質の悪いことに、婚活には終わりがない。試験や就活のように、あなたはこのレベルなのでここでおしまい、と決めてくれる存在がいない。
予めお断りしておくけれど、アドバイスが欲しいわけではないし、同情が欲しいわけでもない。
はてなブックマークやコメントツリーでなにかを言って欲しいわけでもない。
妻とは30年近く一緒にいる。
妻を手伝う、といえば聞こえは良いが私はそれまで漫画の「ま」の字も手掛けたことがなく、手伝いはしたものの、今だに作業の大半を妻がやっている。
私は凡人を絵に描いたような存在で妻に出会った頃も何をやっても上手くいかない人生だったから、妻と出会っていなかったら野たれ死んでしまっていたかもしれない。
いずれにせよ、妻は私と出会ってすぐにプロデビューを果たし、30年近く漫画を描いてきた。
・・・と言っても集英社や講談社のような有名な出版社ではなく、所謂レディスコミックと呼ばれるジャンルで描き続けてきた。
売上は、青色申告止まりの自営業、喧嘩も絶えなかったけれど、それなりに食べてゆくことが出来た。
そんな妻の仕事が、去年の秋に、ふつりと途絶えた。
30年近く仕事をし続けてきて、マンションを買える程ではないにせよ、数年間は何もしないで食べていけるだけの蓄えはある。
妻は仕事をするのは嫌いだが仕事をしていないと不安で仕方ないタイプの人間なので休むことを極端に恐れていたが、コロナが落ち着きを見せている状況の中、少し休もうよ、と説得をした。
普段味わうことのないゆっくりとした時間を満喫し、そろそろクリスマスの準備を、と思っていた矢先、妻が病院にいってくる、と言い出した。
聞けば胸に違和感があるのだという。
健康診断は毎年受けているし、心配のしすぎとも思ったが、検査を受けて何事もなければそれが一番だと思った。
だか、予想に反して大きな病院で精密検査を受けることとなった。
予約をしているのに長時間待たされ、時に部分麻酔を打ちながら数日間、検査を受けている。
乳がんのみならず、肺、肝臓なども「問題があるかもしれない」ということでチェックを受けた。
結果は来週以降だし、最近の癌治療はステージ1くらいなら数日の入院で治療を終えることが出来る場合がある、とも聞く
(聞いた話なので曖昧で申し訳ないし、この部分への「指摘」はしないで欲しい。まだ結果は出ていないのだから)
検査を終え、帰宅し、休んでいる妻の寝顔を見ると、今までのこと、そしてこれからのことを思う。
妻は今までのように働けるのだろうか。癌は再発しないのだろうか。
もし、妻が倒れたら私が働くしかない。
30年近く、妻の「手伝い」しかしてこなかった私が働けるのだろうか
もし・・・
もし妻が逝ってしまったら。
今回は「そう」でなくても、いつか「その日」は来るのだろう。
妻が私より先に逝ってしまった後、私はどうするんだろう。
死にたくない、という思いもあるが、生きている「意味」を見いだせるのだろうか。
生きるとは、働くとは、一体何なのだろう。
団塊の世代は1945年の終戦直後の1947〜1950年に生まれた世代。この頃は日本国憲法が施行、サンフランシスコ講和条約で主権回復した頃だ。
2022年現在70代くらいであと20年〜25年で居なくなるだろう。
本当の地獄は第二次ベビーブームに生まれた1965年〜1970年代に生まれた世代である。
団塊の世代の子として生まれたこの世代は20歳代でバブル景気に突入。
楽に就職を決め、結婚もしやすい年代だったと推察する。(これは田舎地域や不況の影響受けなかった職種か?)
昭和の考えを団塊の親から植え付けられ、それを今の若者に植えつけようとしている世代。また体罰や残業が当たり前で団塊世代と同じようなところがある。
しかし今の若者(所謂Z世代)は転職は当たり前、お金より休日や自由など考えが真反対である。
この若者と団塊ジュニア世代の軋轢は凄まじく、今でも「毒親」と言われている始末。
Z世代に幸あれ。
何って、そりゃありとあらゆる理由・原因が有り得るでしょうよ。人によっても様々。例えば、線型代数や微分方程式を例に取れば、そもそも自分で勉強するつもりがなくて勉強しないという選択をしている人達(例えば所謂文系の人達)もいれば、当初はやる気に満ちていたけれど何らかの理由やキッカケでやる気を失ってしまったとか、勉強以外の何か(課外活動とか恋愛とか)に熱中してしまったとか、やる気はあるけど頭がついて来なくて理解出来るようになるまで時間がかかってしまうとか、健康上の問題や経済的な問題で勉強どころではなくなったとか、他にもいくらでも有り得るでしょ。
むしろこっちが聞きたいよ。「だいたい皆甘えということになる」という結論は、いったい如何なる根拠と如何なる論理ないし議論に基づいて出てきたものなのですか? そもそも「甘え」ってのがどこから出て来たの?(俺はそんなことひとことも言ってないよ) また、「甘え」一つに絞り込む理由は何なの?
近年多様性の重要性を説く人々が少なからずいる。その中には所謂マイノリティや女性に配慮することを求める者も少なくない。配慮の方法についても様々なものがあるが、女性比率を○○%にするといった形を採ることがある。
所謂多様性の重要性を説く方々は、多様性自体が良い結果をもたらすかのように考えているようだか、そんなに単純な話なのだろうか。
もし多様性が全ての問題を解決するような因子であるならば、誰もが取り入れるに違いない。
だが、そうはなっていない。
本来はどの様な場合でも、ある行為を行う上で最も適した人間が配置されるべきであり、その過程においてより健全な競争というものが求められるべきだと考える。
その結果、属性の偏りがあろうと何の問題もない。それが老いた男性でも、若い女性でも、マイノリティであってもだ。
その様な実力主義という文脈の上では、属性を理由に排除することはないだろう。排除するべき理由としては能力がないからだ。
見せかけだけの多様性に配慮し、実力がない人間を分不相応な地位に就かせることの方が問題であると思う。
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この場において健全な競争環境と何かについては述べてはいない。それはより実力主義に重点をおいたためである。また能力主義との違いは何かと問われると、明確な違いを指し示すのは難しい。
個人的には、現在の“教育による格差の再生産”を和らげ、階級上昇の機会に富んだ社会を健全な競争環境と考えている。
その目的を達成するための手段としては、公教育のさらなる拡充と科挙的な試験の実施等が考えられ、それらがより(現在との比較的として)公正で公平な競争環境を創るのではないだろうか。
社会人になって、まもなく9年が経とうとしている。
義務教育も9年間だが、あの期間中の自分の成長と比べると、どうもこの9年間は(物理的に体が大きくなったことを除けば)成果に乏しい気がしてならない。
もちろん所謂社会人的な経験や、社会の本音と建て前みたいなものの片鱗は、多少なりとも体得できてきたように思われる。が、ひらがなや1+1からスタートし、高校受験レベルまでの知識を得てきた9年間と比べると、あまりにも心もとない成長度合いだなあともの悲しくなって仕方がない。
これでも大きな変化として、結婚と子供の誕生は挙げられそうだ。
結婚を通じて感じた、家庭を築く難しさと相手に対する感謝の気持ちの大切さというのはとても真新しく思われたし、生まれてきた子供が異常なまでに早く成長していくスピードを見ると(生まれて1年後には歩き出し、2年後にはどんどん喋り、3年後には正論で親を諭してくることすらあるのだ)、いよいよこの人生の主役は自分ではなくなってきたかのようにも思える。
もちろん自分が主人公で居続けたいと思えば、今の過程をぶち壊すことだって原理的には可能なので、自ら好き好んで主役を降りた一面も多分にあるのだが。
これから先、これほどまでの大きな変化がどのくらいあるのだろうか?
そう思うと、この9年間よりも、もっと無機質で中身のない9年間がこれから待っているような気がしてくる。ジャネーの法則の通り、中身の薄さに反比例するかのように、時の流れはどんどん早くなっているように感じる。
欧州に住んで数年、欧州が日本よりも遅れていると感じさせられることは頻繁にあれど進んでいると思ったことはほぼないし、Veganや環境保護とかはイマイチ共感できなかった。けれど、なぜか多様性云々に関してはすごく魅力的というか「正しい事」のように聞こえた。まあ自分も小学生の頃から見た目のことで色々言われたりとかあったからかもしれない。元々政治的信条なんてなかったけれど、所謂リベラル的な思想になっていたと思う
ある日、ぶらっとエジプトへ行った。小学生の頃に家族で韓国に行ったことはあったけれどあまり覚えてないので発展途上国を体験するのは実質初めてだった。(エジプトは北アフリカだしあれでもかなりマシなはずなんだよなと思うと色々と考えさせられる)二日目あたりで「みんな平等✨」みたいな考えは消え失せていた。そもそもまず歩いているだけでこっちが差別される国で「平等✨」も何もあったものではない。
通りすがりの現地人からいきなり写真撮られたりとか、しつこい声かけとか(日本人の想像と理解の範疇を超えたしつこさなので、日本人が想像できる「しつこさ最大値」の7倍しつこいと思って欲しい。それでも足りないくらいしつこい。この世界は実は作り物で、バグったNPCだらけのところに来てしまったのではないかとすら思った。)、挙句に襲われかけたりとか、ああ……もう何も考えたくなかった。
舗装されていない道をトボトボ歩いていると、なんだかよく分からない臓物だか羊の頭部だかを焼いている店のおじさんが棒で幼稚園児くらいの子どもを叩いていた。「こんな人たちだらけの国に私は住めないなぁ」という考えが真っ白な脳の中にポツンと浮かんでいた。「そんなことを思っちゃダメだ」とも一応思ったけれど、エジプト人の圧倒的なしつこさパワーの前に、西欧によるリベラル洗脳はすごく無力だった。(でもこいつらをこの前まで支配してたってヨーロピアンってやっぱ桁外れの野蛮なんだなとか謎の納得もしていた)
正直に書くと、現地の人が本当に気持ち悪かった。
エジプトに住んでいる日本人とか、カイロ大を主席で卒業した日本人とかいるらしいけれど、シンプルにすごいなと思う。もしも日本でエジプト人と知り合ったとしても、その人が生まれ育ち日本でもない限り私はその人を絶対に信用しないだろうなと思う。エジプト人全員が詐欺師じゃないとか、旅行者にだけああなのだとか、もちろんいくらでも反論は思いつくけれど、それでも無理。自分は差別主義者だった。狭い世界しか知らなかったから綺麗事の咲くお花畑でうっとりしていられただけだったのだと気付いて悲しかった。しかもたった数日エジプト旅行するだけで気付ける簡単なことすら気付けない自分のアホさ加減にもうんざりした。
10日目、空港で帰りの飛行機を待っているときの安心感。エジプト旅行の一番楽しかった瞬間は帰りの飛行機が在住国に降り立ったときであった。
結局多様性多様性言ってる人は無知か偽善者かどちらかなんだと思った。もしかしたらそれ以外の何か(共産主義者とか?安い労働力が欲しい・かつ彼らが住んでいる地区には間違っても移民が来ないような大企業のお偉いさんとか?)があるかもしれないけれど、自分にはよく分からない。日本の多様性を増やすべきだと日本で叫んでいる日本人はエジプトかどこか(どこでもいいが)に勝手に移住してそこの多様性増加に貢献したらいいと思う。
たまたまエジプトは分かりやすかっただけで、現実、他の国であっても日本とエジプトとの差と同じくらい日本とは違うんだろうなと思う。後、エジプトのことは今もすごく嫌いだし二度と行かないけれど、それはそれとして彼らが日本より劣っているとは思ってない(むしろ向こうからは思われてそうではあるが‥異教徒だし)ただ、違うというだけのこと。
松下玲子さんの「本条例は参政権を認めるものではなく、住民投票の結果はあくまで参考にされるだけで、法的拘束力はないのだから、たとえ外国人であっても意見を表明する自由は認められるべきだろう」という考え方も理解できるし、玉木雄一郎さんの「所謂"参政権"を認めるわけではなくとも、一般的な意味で"政治に参加する権利"を認める以上、憲法などとも調整しながら最大限慎重に判断されるべき」という批判も、どちらもよくわかる。
おふたりとも非常に優秀な政治家で、私はどちらも応援しているので、変なイデオロギー闘争に巻き込まれるのは勘弁して欲しい。
「外国人が参政権を持って何が悪い」と言う左翼の人たちも、「外国人に意見を表明する自由なんて必要ないだろ」と言う右翼の人たちも、我田引水するのも大概にして欲しい。
・野党系議員, 社会学者, 弁護士, ジャーナリスト, 活動家などが中心で、現実社会でも知名度がある人間が多い
・比較的に高学歴で、海外留学経験者も珍しくなく、安定した収入, 生活基盤がある。要は親ガチャ当たり民
・毒親育ち, ADHD, 借金持ちの風俗嬢など闇を抱えている
・↑の苛烈な生い立ちも相まってか、希死念慮が強く、また反出生主義を標榜する者も多い
・無類のBL好き
・より急進的な男性嫌悪。リベラル男性やフェミ男性も憎悪の対象
・↑から、「野党より(所謂LGBT法に慎重な)自民党のほうがマシ/自民党に投票した」派が多い
・モリカケ桜, 護憲, 入管問題など他の左派的アジェンダには無関心、もしくは自民党寄りの意見が目立つ
・↑に際してやり合ったリベラル系フェミからしばしば「ネトウヨと同根の人種」とレッテルを貼られている
・じつは国会議員や企業役員の男女比などアルファフェミが精力的に訴える問題にはあまり関心がない
(それよりもLGBTからの女性スペースの死守やポルノ廃絶要求にリソースを注ぐ)
所謂ツイフェミが、批判の論拠としてる部分を言葉を変えて話してるだけ。
「現地の人の方が作品を愛している」みたいなのは、作品が利益を落とす場合、顕著に表れる。
そりゃそうだ、消費側はいくつかあるコンテンツの一つでしかないが、現地にとってはそうではないからね。
この辺りもバカバカしくてな。
「真似する人が居る」だのなんだのの理由付けで、虚構においても不条理にタバコと酒がダメになったが、別に「架空キャラの人権が認められて、その健康を守るために」ダメになったわけじゃない。
人も殺せるし、車の運転もして良いが、酒とたばこはダメとか下らんよな。
んで、こういう時、都合よく、「使役」だの「人間と同じように大事にしてほしい」だの言い出す。
怖気の走る話だ。
そもそもな、「キャラ愛=人権を認める」なんて話になっていくなら、「小学生がロボットに乗って平和を守る」とか狂気の沙汰も良いとこだろ。
それが、販促キャラになったとたん、「現実の人間と同じ扱いにしなければ認められぬ」とか言い始める。
だから、「都合よく」人格を見出すし、「都合よく」彼女らも人間だ、みたいなことを言い出す。
んで、その勝手に見いだした人格や人権をして、その消費を問題にする。
マッチポンプも良いところだろ。
まさにツイフェミの所業で、3投稿になんら新しい知見はないぞ。
「おばあちゃんが孫のように扱っているからキャラの飲酒設定をなくしてください」とか言われたら、キチガイかと思うだろ?
何が使役なんだよ。
結局、クリティカルな部分は全部印象論に終始してる。