2022-01-05

多様性なんていらない、必要なのは実力主義

近年多様性重要性を説く人々が少なからずいる。その中には所謂マイノリティ女性配慮することを求める者も少なくない。配慮方法についても様々なものがあるが、女性比率を○○%にするといった形を採ることがある。

しかしこれらは全くのナンセンスの様に感じられる。

所謂多様性重要性を説く方々は、多様性自体が良い結果をもたらすかのように考えているようだか、そんなに単純な話なのだろうか。

もし多様性が全ての問題解決するような因子であるならば、誰もが取り入れるに違いない。

だが、そうはなっていない。

本来はどの様な場合でも、ある行為を行う上で最も適した人間が配置されるべきであり、その過程においてより健全競争というものが求められるべきだと考える。

その結果、属性の偏りがあろうと何の問題もない。それが老い男性でも、若い女性でも、マイノリティであってもだ。

その様な実力主義という文脈の上では、属性理由排除することはないだろう。排除するべき理由としては能力がないからだ。

見せかけだけの多様性配慮し、実力がない人間分不相応地位に就かせることの方が問題であると思う。

より健全競争環境下での、超実力主義

これこそが本来考えるべき問題だ。

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この場において健全競争環境と何かについては述べてはいない。それはより実力主義に重点をおいたためである。また能力主義との違いは何かと問われると、明確な違いを指し示すのは難しい。

個人的には、現在の“教育による格差再生産”を和らげ、階級上昇の機会に富んだ社会健全競争環境と考えている。

その目的を達成するための手段としては、公教育さらなる拡充と科挙的な試験実施等が考えられ、それらがより(現在との比較的として)公正で公平な競争環境を創るのではないだろうか。

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