予めお断りしておくけれど、アドバイスが欲しいわけではないし、同情が欲しいわけでもない。
はてなブックマークやコメントツリーでなにかを言って欲しいわけでもない。
妻とは30年近く一緒にいる。
妻を手伝う、といえば聞こえは良いが私はそれまで漫画の「ま」の字も手掛けたことがなく、手伝いはしたものの、今だに作業の大半を妻がやっている。
私は凡人を絵に描いたような存在で妻に出会った頃も何をやっても上手くいかない人生だったから、妻と出会っていなかったら野たれ死んでしまっていたかもしれない。
いずれにせよ、妻は私と出会ってすぐにプロデビューを果たし、30年近く漫画を描いてきた。
・・・と言っても集英社や講談社のような有名な出版社ではなく、所謂レディスコミックと呼ばれるジャンルで描き続けてきた。
売上は、青色申告止まりの自営業、喧嘩も絶えなかったけれど、それなりに食べてゆくことが出来た。
そんな妻の仕事が、去年の秋に、ふつりと途絶えた。
30年近く仕事をし続けてきて、マンションを買える程ではないにせよ、数年間は何もしないで食べていけるだけの蓄えはある。
妻は仕事をするのは嫌いだが仕事をしていないと不安で仕方ないタイプの人間なので休むことを極端に恐れていたが、コロナが落ち着きを見せている状況の中、少し休もうよ、と説得をした。
普段味わうことのないゆっくりとした時間を満喫し、そろそろクリスマスの準備を、と思っていた矢先、妻が病院にいってくる、と言い出した。
聞けば胸に違和感があるのだという。
健康診断は毎年受けているし、心配のしすぎとも思ったが、検査を受けて何事もなければそれが一番だと思った。
だか、予想に反して大きな病院で精密検査を受けることとなった。
予約をしているのに長時間待たされ、時に部分麻酔を打ちながら数日間、検査を受けている。
乳がんのみならず、肺、肝臓なども「問題があるかもしれない」ということでチェックを受けた。
結果は来週以降だし、最近の癌治療はステージ1くらいなら数日の入院で治療を終えることが出来る場合がある、とも聞く
(聞いた話なので曖昧で申し訳ないし、この部分への「指摘」はしないで欲しい。まだ結果は出ていないのだから)
検査を終え、帰宅し、休んでいる妻の寝顔を見ると、今までのこと、そしてこれからのことを思う。
妻は今までのように働けるのだろうか。癌は再発しないのだろうか。
もし、妻が倒れたら私が働くしかない。
30年近く、妻の「手伝い」しかしてこなかった私が働けるのだろうか
もし・・・
もし妻が逝ってしまったら。
今回は「そう」でなくても、いつか「その日」は来るのだろう。
妻が私より先に逝ってしまった後、私はどうするんだろう。
死にたくない、という思いもあるが、生きている「意味」を見いだせるのだろうか。
生きるとは、働くとは、一体何なのだろう。