はてなキーワード: 恐ろしいことにとは
→上記よりは肉のコクがあるがまだ満足感低い
→部屋がカレー臭くなった(これなら鍋で作るわ)。かなり味わいアップしたのだがカレールーが煮込み前提だから?
→加熱感が手軽に出て現環境トップだがコスト増。使いかけのペーストは冷凍庫へ(凍らない)
肉と玉ねぎペーストとオートミールとカレールー1皿分でギリ100円行かないくらいだろうか
俺は過去に
・小銭入れ
・家の鍵
を警察に拾われた結果、イチャモンつけられて返してもらえなかった。
コチラが必死に「こういう形、こういう場所、この時間、この色、この番号」と伝えると向こうはそれに「じゃあこっちからも質問いいですか?」と追加の条件を出してきてそれに答えられなかったからだ。
小銭入れのときは「中に入っているポイントカードの番号」だったが、主要なカードをメインの財布に入れたどうでもいい余りのカードばかりなので番号を控えておらずに撃沈。
家の鍵のときはついていたキーホルダーを作った会社。キャラクターは覚えてるけどキーホルダーの会社は知らねえよ。何が裏に刻印があるだみねーよそんな場所。
ノートPCも恐ろしいことに「裏に張ってあるWINDOWSの認証番号」だったが、そんなの控えている人よっぽどのITオタクだけじゃないですか?知るわけねえよ普段使わねーから。
必死にあれこれ他の特徴を伝えるも「いやーこっちが出した質問に答えられないなら駄目でーす」の一点張り。
見事にこれらの遺失物は警察に3ヶ月保管され、3ヶ月後に「ねーねー捨てていい?ゆーてお前が特徴答えられないなら結局捨てるけど」と電話が来てそのまま廃棄された(らしい)。
デパートや電車で同じような落とし物をしたときは「こういう形、こういう場所、この時間、この色、この番号」まで伝えたら返してもらえた。
つまり、
落とす
店員や駅員が拾う
↓←ここで落とし物コーナーに行ければ セーフ
警察に渡る
↓←ここで警察のいじわるクイズに答えられたらセーフらしけど俺にはどう考えてもアウトにしか感じられんので実質 アウト
もう2度と帰ってこない
という構図である。
皆!
絶対無理!
https://twitter.com/Hiroshi99857672/status/1459431881527545860
このツイートについて。
アメリカでMBA取っておきながら、アファーマティブアクションに対する理解がその程度なのか…何のためにアメリカに留学したのか。
アメリカの大学入試は、コネ社会と非常に親和性の高いシステムになっている。日本でいうところのAO入試が、全体の入試の枠の一部ではなく、すべての枠で対象となっていると考えると想像しやすい。AO入試自体アメリカの入試制度の輸入なので。
アメリカの入試制度では、SATまたはACTと呼ばれる、日本でいうところの共通テスト(旧共通一次、センター試験)が存在する。ただし、SAT/ACTは共通テストより簡単。数学に至っては日本の高校受験レベルで、しかも電卓持ち込み可能なのでまじでアメリカの教育水準が心配になるのだが、飛び級制度があるので問題ないらしい。
しかもこの試験、日本のように年一度ではなく、年に何回も受けられる。年に何回も試験を受けられるとどうなるかというと、年に何回も試験を受けられる経済的基盤がある家庭が有利になる。
有名大学に応募するような連中はSATやACTで満点を取っていることが前提。とすると、どうやって合否をつけるかというと、
・小論文
・学校の推薦状
・面談
などが判断材料になる。トップ大学が国立大学な日本と異なり、アメリカのトップ大学は全部私立なのでよりこの傾向が強い。単に試験の成績が良いだけでは足りず、スポーツや課外活動などで優秀な成績を上げていることが重要になる。そして、それらスポーツや、学校では教えてくれない課外活動に十分な時間を割けるのは、当然ながら裕福でコネのある家庭に限られる。
■就職
アメリカでは、日本と違って、新卒だろうが中途だろうが即戦力を求める傾向が強い。でも新卒が即戦力になるわけないじゃん。ではどうするかというと、新卒はインターンで戦力を付けてから、そこで認められればそのまま就職する。しかし恐ろしいことにこのインターンは多くの場合、無給である。裕福な家庭であればインターン中の生活費を出してくれるだろうが、貧しければバイトしながらインターンという二重苦に悩まされることになる。また、日本以上に学歴重視の傾向があり、特定の学位を持っていないと応募時点ではじかれるとかざらである。さらにいうとジョブ型雇用なのでうんぬん…長くなりそうなので書かないが、要は日本と比べて貧富の差が就職により大きく影響を与える社会となっている。
この問題を、性別や人種の観点から是正しようというのがアファーマティブアクション。アメリカの人種比率に比べて、男性や白人が多くの要職を握っているのはおかしいから是正しろ、という仕組み。学校の生徒の比率は黒人は何割、白人は何割、アジア人は何割、女性は何割、という風にあらかじめ枠を作っておくことで、学校に男性や白人しかいないというような問題を強引に解決する。もちろん学校だけではなく企業にも採用されていて、管理職が男性や白人しかいない、というようなことを是正するようになっている。
アファーマティブアクションにもいろいろな批判はある。例えば、アジア人の方が平均的な学業成績が上なのに、アファーマティブアクションによりアジア人枠が少ないから大学に落ちた、というようなむしろ結果として白人優遇になっている問題もある。男性や白人に対する逆差別だ、というのもその通り。また、フランスのように、人種にかかわる統計を取ることすら禁止し、人種問題は存在せず、肌の色にかかわらず全員がフランス国民だ、というような真逆のやり方も存在するが、このやりかたは明らかに失敗しているのでここでは取り上げない。
"過剰なアファーマティブアクションのせいで、成果とはかけ離れた登用や昇進だらけ"
アファーマティブアクションの考え方を全く理解していないと言わざるを得ない。
・現代のアメリカ社会では、男性や白人による"成果とはかけ離れた登用や昇進だらけ"となっている。
・無能な人間が男性である、白人であるというだけで要職についてしまっている。
・家庭環境の問題によって、女性や非白人は金やコネというゲタを履かせてもらえないことで、人気の大学、人気の職業につくチャンスを損ねている。
・ほっといても現状は変わらないので、強引に枠を作って社会是正しよう。
という考えなので、むしろアファーマティブアクションにより、不当に評価されなかった人たちが評価されるようになり、成果に沿った登用や昇進が行われるようになった、と考えるのが正しい。
もちろん"過剰なアファーマティブアクションのせいで、成果とはかけ離れた登用や昇進だらけ"になる可能性はある。しかし、ツイートしてる方の職業である弁護士業界において、アメリカでは男性や白人が比較的多いのは歴然たる事実であり、従ってアファーマティブアクションが過剰どころか全く足りていない業界筆頭であるので、現状認識がガバガバすぎるのではないかと言わざるを得ない。正直言って、友達のアメリカ人をダシに、適当にアファーマティブアクションを雑に非難したいだけに見える。
そういうのが本当にあったとしてもうれしくない。
好きになった人じゃない容姿の人が好きな人の動作性格をするってうれしいか。
客観的に美しさに照らして美しいと思えたとしてそれが何になる。
好きになった顔とは違ってるんだから同じ人と対峙してるんだとしてもいつものようなときめきもなくなってしまうだろう。
俺が好きになった顔で俺だけに見せる顔をするからいいんだ。どこぞの芸能人でその顔をされても興味がわかないという人もいるだろ。
しかしこれは思考実験として深めていくと恐ろしいことになってくる。
たとえば催眠術じゃくて本人の意思として整形手術でどこぞの美人女優と呼ばれる者と瓜二つになったら受け入れられるだろうかとか。
もはや元の顔ではないが、それは本人の意思なのだ。連続性があるのだ。
老化しても受け入れるだろう。同一性という観点では整形も同じだ。しかも老化と違って本人のなりたかった意思だ。受け入れるのが筋ということになる。でもこの結論は妙な気がする。
海外の住所とかさ、
ガチガチに桁数とかを守りに守らないとこの先には進めないフォームになってるから
これ以上先には行けないときがあって、
攻めるも守るもうまく行かないときがあるのよね。
特定の国だけのやり取りがあってそれを覚えろって話もあるかも知れないけど、
だいたいは初めての国だったりするパターンが多いので、
これが都市名?州?なにそれ?美味しいの?ってレヴェル。
普通あると思うちゅーの。
でも最初に一番困るのは、
住所や郵便番号を見てもどこの国からかのってのが分からないのよね。
だから
そこから国を割り出すのよ。
グーグルマップでその時に表示された
違う違う、
全世界電話番号桁数選手権での第1回戦ぐらいは突破できるのよね。
あと、
その国は何語なの?ってことも意外と困るのよね。
基本やっぱり英語で事欠かない暮らしを過ごせる翻訳サービスがあるように、
すさの凄まじいものねって
とても有り難く思うのよ。
あとこれあったら私絶対買うんだけど、
せいぜい
この国の郵便番号は何桁、
その桁数目安辞典が欲しいのよね。
そういうの手探りでやってると1日が終わってしまうと言えば言いすぎの過言なんだけど、
これさー
全部調べて全部送料も見積もりして、
って感じになるのよ。
いかに国内流通のシステムの料金が離島遠方を除く一括したほぼ同一のシステム料金になっているのは、
そこの考える手間や時間や暇をかけて煮込んだ
美味しいビーフシチューのように
冬に温まれる美味しくてハッピーなレシィピと同じようなのかも知れないわ。
問屋さんが卸してくれないわけよ。
あー海外発送とかドイメンがくさいけど
しかたないわね。
海外に思いを馳せ参じて頑張るわ。
うふふ。
よくみたら真ん中のハムサンドのゾーンのハムがやっぱり厚くなってたみたいで
気が付かないところのバージョンアップに
私気が付いちゃったわ。
美味しいわ。
日々の気付きって大事よね。
髪切って短くなってたので、
私はここぞとばかりに
タモさんのズラとタモさんのマイクをもって髪切った?ってリアルに聞いてみたら、
そうですね!ってなかなか100点な返しに
仕掛けた私が笑ってしまったわ。
私も髪切ろうかなーって言う人ほど切らないわよね
あのコアラの1トンの握力で記が見つかれたら、
なかなかコアラさんは力加減手加減してくれる優しい動物さんなんだわ。
なんだっけ、
そうそう、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
無能な味方という枠組みを制作するに当たり、もっとも分かりやすく、かつ納得がいく枠組みが宗教と呼ばれるジャンルの中に大量にあったりする。中でもユダヤ人の十戒は、いかにして無能な味方を見分けるかという視点で見るならば、笑っちまうほど的確で分かりやすい形でそれぞれの戒律が定められている。あわせて、キリスト教における七つの大罪についても、同じことが言える。
せっかくなので、双方の戒律から見る無能な味方の判別法についてを簡単に述べる。
基本中の基本。一つの集団を形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。
また、無能な味方を排除する際にも、一言「背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である。
これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。
ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。
恐ろしいことに、ユダヤ人の祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。
休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。
家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。
当たり前。でも、別に生存競争を否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民の虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争で圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在が集団内にいていいわけがない。
昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。
これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。
同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである。
宗教が集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である。
やけに生活観のあふれるユダヤの十戒と比べて、キリスト教の七つの大罪は、完璧に戦時中、もしくは争乱に特化したつくりになっており、飢饉や疫病、戦争といった中世暗黒時代のかほりあふれる、無能な味方の割り出し方法となっている。
主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位。自分が世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦の遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。
これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。
喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実。
これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力が必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。
これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉の場合、集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉の場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。
これは、完璧に飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ、飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。
上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須の技術となる。
忠義、希望、勇気、純潔、慈愛、純愛、友情、誠実、知識、正義、分別、節制、貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品
・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去に七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望や純潔、上品といった要素が含まれるのも仕方がない。
無能な味方という枠組みを制作するに当たり、もっとも分かりやすく、かつ納得がいく枠組みが宗教と呼ばれるジャンルの中に大量にあったりする。中でもユダヤ人の十戒は、いかにして無能な味方を見分けるかという視点で見るならば、笑っちまうほど的確で分かりやすい形でそれぞれの戒律が定められている。あわせて、キリスト教における七つの大罪についても、同じことが言える。
せっかくなので、双方の戒律から見る無能な味方の判別法についてを簡単に述べる。
基本中の基本。一つの集団を形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。
また、無能な味方を排除する際にも、一言「背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である。
これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。
ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。
恐ろしいことに、ユダヤ人の祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。
休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。
家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。
当たり前。でも、別に生存競争を否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民の虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争で圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在が集団内にいていいわけがない。
昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。
これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。
同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである。
宗教が集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である。
主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位。自分が世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦の遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。
これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。
喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実。
これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力が必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。
これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉の場合、集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉の場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。
これは、完璧に飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ、飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。
上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須の技術となる。
忠義、希望、勇気、純潔、慈愛、純愛、友情、誠実、知識、正義、分別、節制、貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品
・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去に七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望や純潔、上品といった要素が含まれるのも仕方がない。
言語は抽象化されたデジタルな概念だけど、それを出力するのに発生器官を用いるとアナログな情報が出力されることが辛い。
でも最終的にはそれをデジタルな情報に直していかないと会話は成立しない。
「浜田さん」と口にしたいとき、発音が悪いと「アマダさん」になり、さらに電話や相手の耳が悪いとそれが「ヤマダさん」に変化する。
もしもメールでやりとりしていればこれは起こらないし、もし起こっても「あなたは確かに「アマダ」と書いてますよね?」と聞き返すことが出来る。
音声はそれがない。
音は出した瞬間に消えるし、もしも記録されていても記録機器の性能によって劣化する。
人間の耳が持つカクテルパーティー能力のせいで除去されていたノイズがモロに乗ってくる。
だが恐ろしいことに発生した本人はその音から「ハマダ」を確かに拾ってくる。
いやそもそも、生まれてきた地区や育ってきた環境によって同じ音でも発生方法が違ったりする。
日本人はRとLを区別できずにすべて「ら行」にすることで知られているが、それは日本人の発音する「ら」がRとLの中間で行われるからであるが、これは外人からすれば理解不能の子音である。
標準語と呼ばれる実質的な東京弁は存在するにはするが、それだって完全に全国で同じ発音が用いられているかは怪しいものだ。
つまり、文字として思い浮かべた言葉を口を使って出力するというD⇔A変換が行われた時点で、その正確性はまずもって失われるのである。
これが本当に辛い。
なぜ、わざわざ正確性を下げてる必要があるのか?
人間はもっとデジタルなものをデジタルなままで出力することに対して拘るべきじゃないのか?
むしろアナログで出力することを有難がる節さえあるのは理解に苦しむ。
それは音楽データをコピーする際にCDのデータを直接パソコンに取り込む代わりに、スピーカーで再生したものをマイクで保存するようなものだ。
狂っているとは思わないのか?
私は思う。
ふと思ったんだけど
スーパーの売ってるお寿司ってシャリあるじゃないシャリ銀シャリ!
振り向けばそこに銀シャリ!
って限りなく青に近い銀シャリ!
でね、
まるでヒトシ君みたいな言い方してるけど、
あのシャリはどうやって成形されてるのかしら?
でも
職人やロボットがいたらもっと美味しい自慢のお寿司ですよ!ってアピールできるんだけど、
そんなにアピールしていないところを見ると、
つまりあの美味しそうな旗つきケチャップライスゾーンみたいにして、
かぱってご飯詰めてひっくり返してシャリ作ってるんじゃないでしょうね?
あのスーパーお寿司のシャリってどうやってるのかしらっていつ考えても解決しないのよね。
夜も寝れないときは本当に寝れないわ。
誰も寝てはならぬ!って。
それぞれのお店にオーダーメイドカスタマイズされた製麺所から配送される製麺トラックの運ぶ美味しい麺の銀シャリ版みたいに、
実は世の中には
私たちが知らないところで、
巨大炊飯シャリセンターからシャリがそれぞれのスーパーに配送されてるのかな?って
少しでもくっついたらアウトじゃない。
そうなると1つ1つ巨大炊飯シャリセンターで作って持ってくるのはコストが運送費用がうんとかかるような気がするし
やっぱり、
スーパーの厨房には何かしらの寿司シャリ握りロボット的な機械があるのかも知れないわ。
どう考えても、
人が型押して、
カップ麺の謎肉よろしく美味しい合成大豆肉だって出来ちゃうんだから、
お寿司のシャリがいまさら1つ1つ寿司職人のカウンター寿司以外のお店の全ては何かしらの機械でシャリが成形されているはずよね?
私はそう思うわ。
そうなると
そうよ!
もうスーパーお寿司の10貫500円!とかそのワンコインランチよりもワンコイン上回る期待と希望と勇気を手にし、
え?これで本当に500円なの?ってサーモンも入ってて10貫で500円という
どういう世の中の仕組み?
ベジータさん風に言うなら、
まるで半額お寿司のバーゲンセールのようだな!って見たまんまそのまんまのことを言いそうよ。
これも大量生産効率化のファクトリーオートメーションがなせまくりまくりすてぃーる技だとおもうわ。
あのその
お寿司シャリ機械のシャリが流れてくるベルトコンベアってのがあったら、
朝から、
よし!しゃりきっていきましょう!って
張り切ってのを、
しゃりきってってダジャレみたいに言ってるんではなく、
業界用語職人の様に「シャリを切る」っていう言い方での仕事始めの合図的みたいな、
頑張ってシャリってるのかも知れないわね。
売れ残ってボッシュートされないにしても
もうちょっとハッタリというか、
お寿司ですよ!って
箔をつけるためにも980円とここは大きく出て
半額で売る前提で元から高く売ってる商魂たくましい寿司なのかも知れないわ。
でもまだそれはそれでいいんだけど、
謎というか
ベジータさんもさらにその半額バーゲンセールに言葉が出ないように。
帰って味わってみたら
まあこんな味よね!って
超妥協点まつり!
高級寿司屋の高級木材のカウンターなんて囓ったことないから分からないけど、
たぶん高級お寿司屋さんの木のカウンターの方が美味しいはずだし!
お寿司のシャリとネタとを剥がして小皿に入れた醤油を付けて食べるときの音の様をたった一文字の漢字で表せないのと一緒に……、
って何の話しだっけ?
そっかー
違う違う!そうじゃないの、
ってそれ急に縮尺がおかしくなったガリバー旅行記のガリバーが小っちゃくなったときか!って粗品さんばりに突っ込むけど、
標準的な寿司シャリロボットが握るシャリを1シャリって単位で言う標準値とすると
その半分ぐらいの半シャリでいいわ。
もう、
ご飯でお腹パンパンになりたくない説を唱えている炭水化物摂取しない方が健康なんじゃね?理論を唱えているわけでもないんだけど、
私はゾウさんよりキリンさんよりお魚が好きなのよね。
それならお刺身頼んでもりもり食べなさい!って鈴木杏樹さんにも雑なツッコミで言われちゃいそうだけど
まあ
お寿司屋さんでお寿司頼むお刺身5種盛りをちびちび食べるのが私の夢かな!
正当な正式の由緒正しい元祖本家海鮮丼ってなにかしら?って思って意識したことないから、
あれは温かい飯が正解なのか
冷やし飯の方が正解なのかしら?って問題もあるし、
やっぱり私はノリノリのノルウェーサーモン大盛りがいいな!って
鮭とサーモンが同じ魚だってことに気付いた春と書いて鰆と読む魚みたいに初めて気が付いたわ。
同じ魚なの!?って
でもまあ
もうミョウガも切れた頃だし、
アガリにするわね!
お寿司だけに。
うふふ。
これが理想型の栄養バランスカロリーメイト的なサンドイッチで私の朝のご機嫌さんを演出してくれるわ。
朝はご機嫌で始めたいじゃない?
そう思ってるの私だけ?
まあいいわ。
さて残りはどれぐらい残っているでしょう?
なんてね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
やや相貌失認ぎみだけどある程度までは把握できる(身長が5cm違うとか髪の長さが2cm違うとかなら区別がつく)
そういう時に問題が自分の能力や才能ではなくて人格にあるとされて擦られることにいい加減疲れた
音痴の子供が合唱コンクールで悪ふざけを続ける小悪党としてなじられ続けるような
幼稚園の頃から空気が読めないとかノロイだとか一緒に遊びたくないだとか何考えてるのか分からんとか言われてきた
小学校に入る頃には人と関わるのがすっかり嫌になってずっと一人遊びをしていた
中学高校ではそういったアスペっぽい連中同士でつるんでもみたけどやっぱアスペってアスペからみてもウザイので1年ぐらいで自然消滅した
人間と付き合うのが面倒くさい
恋バナをしろと振られることがあるが無茶を言うなと思う
そういう人間は技術職になるといいらしいが自分は大学で選んだ専攻を4年間ですっかり嫌いになったので事務職をしている
事務の世界でもエクセルを使いこなせればスーパーマンになれるらしいが、我社のパソコンはクソポンコツなのでそもそもエクセルでマクロをまともに組むことも出来ないからその道は閉ざされている
それどころか今どきメールもロクに使わずにFAXが主流の地獄の世界だ
FAXはメールと違って開封確認が出来ないので届いたことを電話で確認するのは必須になる
辛い
FAXを送っているのに電話で確認するという作業の虚無感が辛い
内容について質問が来たら当然電話で答えるのだがヒトと会話することが本当に辛い
そんな会社辞めてしまえばいいと言うのは簡単だが、このゴミのようなFAX社会に一度組み込まれて15年以上暮らしてしまえばもはや同年代との事務能力の差は恐ろしいことになる
穴あけパンチで上手に穴をあける技能が役に立つような職場は、結局同じレベルの昭和世界だ
平成の世界に辿り着こうとしても、マクロの組み方もよく分かってない上にコミュ障の事務が必要とされることはない
今いる会社、今いる業界のことについてなんとなく知識がついていることだけしか今の自分に人材としての価値はない
詰んでしまった
技能を身に着けなければ生きていけないような人間として生まれてきたのにそこから逃げてしまった
高校時代にゲームばかりせず勉強をしていれば同じ専攻でももっと楽しめたのかも知れない
そもそも楽しくなくてもいいからその業界で必死に生きればよかったんじゃないのか
自分は注意力がない
人の顔が覚えられない
なにもない
生きていけない
生きて行きたくない
新人や同僚で自分より少しだけアスペがひどい人が凄い勢いで悪口を言われているのをよく聞かされる
これはお前に対しても言っていることだがお前は治す機会を与えてやっているんだぞ優しいだろうという言外の声が否応なく突き刺さる
取引先の顔を咄嗟に忘れたり恩義のある先輩の名前を間違えたりするとそうかやはりこの世界は私の居場所じゃないんだなと感じる
全てのデータが自動的に電子的なログとして残る世界ならもう少し呼吸がしやすいはずなのに限りなくアナログな世界で生きる
そしてその世界で居間も暮らしているヒトの多くがアナログの繋がりこそが大事なんだよなと私に同意を求める
ちげーやバカ野郎畜生が私は毎日そのことで死にかけてるんだぞ?
もう無理だ
この人生をこんなことにしてしまった自分が間抜けすぎてその悔しさだけで死にたくなる
職場の自殺防止パンフレットにはふと死にたくなったらどうこうと言うが
私はこの38年間ずっとずっといつだって死にたかったのだがどうしたらいいんだ
死ぬぐらいならいっそ休んだり会社を辞めればいいというが私は何をやめたらいい
人生を降りろというのか
残酷だ
そういった言い方をすれば人生を降りる必要を感じる人間がいるという発想自体がない人間が多数派で
正常なのだと突きつけてくるがそれはあまりにも暴力的で卑怯じゃないか
数が多いと言うだけで我らこそが正しいのだお前らは私達に嫌な気分を味あわせないよう工夫してそっと死になさいなと
だけど私はそういった卑怯者達に多数派の暴力に負けてしまって毎日必死に媚びへつらって生きているんだ
こんなに悔しくて辛くて死にたくてどうしようもなくて馬鹿馬鹿しいのはなんなんだ
きっと私と同じようなヒトもたくさんいるだろうに皆多数派に媚びへつらって必死に口をつぐんでいる
その横で彼らはこの世界はとっても素晴らしいから次に生まれてくるウチの子も幸せなのよと語り合う
ふざけないでくれ私はこの世界に生まれ落ちて少なくとも38年間辛かったぞ
この世界が人を幸せにする機能を持っているというのならいい加減今までのツケを払ってくれ
私の積み上げた幸福と不幸のアンバランスのツケがどれほど膨れ上がっているのかいい加減分かってくれ
もうダメだ
自分を騙していても仕方ない
生きていてもこんな世界じゃ幸福にはなれないことにまた気づいてしまう
でも嫌だ
ツケを払わせずに死にたくない
今まで必死に生きてきた私達に対してお前らのやってきたことはちゃんと結果に結びついたぞと言ってやりたい
飛びゆくは常に暗雲
翼を休める場所を求めて
増田は間違ってないと思うよ。ひどい虐待を受けたわけじゃないが、私は増田の言うようなことが理由で子供をひとりしか作らなかった。
子供が抱っこしてもらいたがった時に必ずその子だけを抱っこできる。何か欲しがった時に気兼ねなくその子にあげられる。褒めるときも叱る時も他と比較をしなくていい。これほど気軽なことはない。
配偶者が育児にリソースを割ける余裕があって協力的な人ならいいけど、自分の腕はどうがんばっても2本しかないからね。
「親子にも相性があるから〜」ってブクマ、どこの親も世代を問わず同じような言い訳をするもんだなって逆に感心しちゃったよ。
そりゃ、真面目と勉強が多少できるのだけが取り柄で容姿も要領も愛想も悪い姉なんかより、勉強は苦手だけど運動得意で顔も要領も愛想もいい妹の方がみんなかわいくてちやほやするに決まってるって大人になれば理解できるけどさ。つれえわ。わかってたってつれえよ。子供ならなおさらね。
「かわいくない子の方は将来犯罪者にならずとっとと家出ていけばそれでいい」くらい思ってるのかも知れないけど、比べて分け隔てるような育て方をしてるとかわいい方の子だってひん曲がるんだよ。
私はオタクの非モテとして日にも毒にも当たらぬ青年期を過ごしたが、妹は高校くらいからグレはじめてだめんず男に振り回されて酷い目にあってばかりいた。小さい頃はあれだけ皆から好かれてて友達もたくさんいたのに。
なんのことはない、私は「可愛くなかったら何をどうしたって愛してもらえないんだ」と思っていたが、妹は「お姉ちゃんみたいに頭がよくていい子じゃないと愛してもらえないんだ」って思っていたんだよ。妹は妹で私の見えないところでしっかりと別の軸を比べられていたんだね。
妹のとこは二人目ができなくて奇しくもうちと同じ一人っ子同士になってるけど、私が育てたわけじゃないのに姪が小さい頃の私そっくりになってるわ。すぐにガミガミ言われて言いたいことちゃんと言えずに下向いて、自分がやりたいことじゃなく親のやらせたいことをやらされる子になってる。
「(妹)はお母さんがお姉ちゃん(私)にやったのとそっくりに子供を育ててる。止めるんだけど『お母さんもこう言う風に子育てしてたでしょ』と言い返されると何も言えない」と母が言う。
自分の子供を使って母への復讐をしているのか、自分の子供を自分(妹)のようではなく、私のようなコンプレックスまみれのコミュ障に育てることが妹にとっての育児の成功だと思っているのか正直わからない。
ただ、これで顔の可愛い弟妹でも生まれてたらどんな恐ろしいことになるんだろうと思ってたので内心ほっとしてる。ごくたまにしか会う機会のないうちの子の前で「お姉ちゃんなんだからちゃんとして」と、うちの子となんの問題もなく楽しく遊んでるだけの姪に向かって何度も何度も言うような妹だから。