そういうのが本当にあったとしてもうれしくない。
好きになった人じゃない容姿の人が好きな人の動作性格をするってうれしいか。
客観的に美しさに照らして美しいと思えたとしてそれが何になる。
好きになった顔とは違ってるんだから同じ人と対峙してるんだとしてもいつものようなときめきもなくなってしまうだろう。
俺が好きになった顔で俺だけに見せる顔をするからいいんだ。どこぞの芸能人でその顔をされても興味がわかないという人もいるだろ。
しかしこれは思考実験として深めていくと恐ろしいことになってくる。
たとえば催眠術じゃくて本人の意思として整形手術でどこぞの美人女優と呼ばれる者と瓜二つになったら受け入れられるだろうかとか。
もはや元の顔ではないが、それは本人の意思なのだ。連続性があるのだ。
老化しても受け入れるだろう。同一性という観点では整形も同じだ。しかも老化と違って本人のなりたかった意思だ。受け入れるのが筋ということになる。でもこの結論は妙な気がする。