はてなキーワード: 心中とは
芝居で人気を博し江戸でお馴染みの美しき不良少年となった「お若えの」こと白井権八ですが、そのモデルとなった平井権八も大変興味深い人物であり、恋人の小紫とともに江戸の人々の興味関心の対象であったようですのでひとつご紹介いたします。
平井権八は、延宝3年(1675)11月3日に鈴ヶ森の刑場で磔刑に処せられた人物です。
もとは剣術自慢の因幡鳥取藩士であった権八は、どういうわけか父の同僚である本庄助太夫なる人物を斬り殺してしまい、鳥取を出て江戸へやってきました。
そして吉原三浦屋の小紫(こむらさき)という遊女と馴染みになってお金に困り、権八は揚げ代のために辻斬りによる強盗殺人を繰り返してしまいます。
実録小説『幡随院長兵衛』によれば、権八が江戸へ出て5年間のあいだに「刀にかけたる人の数、手帳に留めたる分のみにても百三十二人」ということで、数字はおそらく誇張されているとは思われますが恐ろしい辻斬り犯であったことが伺えます。
指名手配犯となってしまった権八は自首しますが、小紫に会うために手鎖を外して脱走などを試み、ついに処刑されてしまいます。
権八の処刑後、権八が自分のために重ねた罪を知った小紫は、悲しいことに目黒東昌寺におかれた権八の墓の前で自ら命を絶ってしまったのでした。
東昌寺のお坊さんは、この地に「比翼塚」を建立して二人を弔いました。比翼塚というのは心中したりして命を落としたカップルの遺体を一緒に葬った塚ことです。権八小紫の比翼塚は現在も下目黒に残されており、役者さんが参拝に訪れることもあるようですよ。
ちなみに、舞台の上の「南無妙法蓮華経」と書かれた巨大な石は、平井権八が処刑された時の鈴ヶ森にはまだ建立されていなかったものだそうです。さらに、年代的に幡随院長兵衛と出会っていたはずがないこともわかっています。
しかし美少年の大量殺人犯というモチーフの魅力から、男気溢れる侠客の幡随院長兵衛との男色めいた芝居づくりがなされるなどして現在に至ります。
人によってはそう感じる人もいるということだな。
○ご飯
朝:松屋の朝食。昼:レタス、たまご、ベーコン、米を炒めたやつ。夜:レタス、豚肉。アップルパイ。
○調子
期間限定ストーリーのために最新に追いつくためにガンガンシナリオを読んでた。
・5段階評価:3
・あらすじ
三人のタイタンが支配するレヴィールで、貧しい生活を送る中で生き死にのやり取りを生業としていたバニーとバロン。
二人は互いの出会いから、自分のために殺しを行うのではなく、世界の平等を取り戻すために殺しをしていた。
そのために三人のタイタンの一人ナハトナハトから仕事を請け負い、もう一人のタイタンアイシィレンドリング力を削ぐための活動を行なっていた。
そうして幾度と襲撃を繰り返す中で、民衆にもアイシィレンドリングへの悪感情が溜まり、バロンの元に大勢の人が集まるのだった。
・印象に残ったセリフ
「運命と呼ぶには薄汚れていて……
宿命と呼ぶにはみすぼらしくて。
バニーのことをどう思っているのかを分かりやすく吐露していて好き、
・印象に残ったキャラ
鴨撃ちのウッド
二言三言喋っただけのモブなんだけど、妙に印象深いし、何より力自慢をしておきながらナハトナハトを知らない世間知らずっぷりが可愛い。
自然鎮魂編のジーナや機械反乱編のジェイツーのような名モブの雰囲気がする。
・感想
天地侵略編で機械反乱と自然鎮魂のキャラたちのストーリーはひと段落し、新しいストーリー。
今回のレヴィールは西部劇っぽいんだけど魔法や占いもあるのが面白い。
主人公のバニーとバロンは、今までのシャドバの重苦しいシナリオの実績を踏まえると、どう考えても幸せにはなれない雰囲気がプンプンして読んでて苦しかった。
アリサ以外の初期リーダー組はカケラも出番なかったけど他のリーダーで出番あるのかなあ?
・5段階評価:4
・あらすじ
アイシィレンドリングが金利を跳ね上げたことに起因する治安の悪化を危惧したヴィンセントの命令で単独捜査を開始する。
バロンがアイシィレンドリングの部下に立ち向かう様を見て、遂に銃を抜くのだkつた。
・印象に残ったセリフ
「そんなに辛いなら、やめちゃえって。
金なら…… 僕が稼いだっていいんだ」
人質を巻き添えにしてしまい落ち込むマイザーを励ますセリーナの台詞。
結果は断るのだけど、ダメ男マイザールートも見てみたかったな。
・印象に残ったキャラ
金にことばかりのアイシィレンドリング、恐怖のためにめちゃくちゃするナハトナハトたちと同じ巨人でありながら善人だった。良い人だなあ。
・感想
めっちゃ好みの話だった。「普段は戯けているが、実は凄い」っていうベタ中のベタが大好きなので、こういう話は大好物。
普段は銃を抜けないマイザー君が抜いた途端に加速の魔法を使ってばったばったと薙ぎ倒す。いいね。
人質を誤射してしまった件など、シャドバらしい暗いストーリーもありながら、教会でシスターをしている幼馴染のセリーナに、優しい上司のヴィンセント、そして何よりマイザーのことが大好きな街のモブキャラたちとの魅力的な交流。
こういうのでいいんだよ、こういうので。暗い話一辺倒じゃ疲れるもんね。
まあ…… 次のセリーナが明らかに暗い話っぽいから…… ねえ……
・5段階評価:3
・あらすじ
教会で子どもたちと暮らしながら、裏ではヴィンセントの命令で人を殺していたセリーナ。
レヴィールに出没する異形を殺害する任務を受け持つも、締めきれず教会へと帰る。
そして、バニーバロンの発起に合わせて、アイシィレンドリングを撃つ任務を開始する。
・印象に残ったセリフ
「……ご飯のお代わりって、いいですか?」
教会でご飯を食べた後、嫌悪な雰囲気の中呑気に言い放つアリサのセリフ。
・印象に残ったキャラ
老シスター。
セリーナの任務のことをわかっていながら、なお神の実在を信じるキャラ。
うーん。暗い話だなあ。
・感想
物語あるあるに教会裏で悪いことしがちってのがあるけど、典型例だった。
マイザールートで匂わせていたセリーナの本性が明らかになるも、マイザーへの気持ちに嘘はないみたいで一安心。
とはいえ、このゲーム人を自分の意志で殺す人に容赦しないからなあ……
・5段階評価:4
・あらすじ
記憶を失い彷徨っていた女性が、女殺しのごろつきイスタと出会う。
イスタは女性にイルガンノという名前を教える。イルガンノは復讐のためにアイシィレンドリングと戦う中、異形という未練を持ちながら死んでいった者であることを知る。
しかし、イルガンノとその復讐相手はイスタの嘘で、実際は女性はイルガンノではなく、イルガンノはイスタの自殺した妹だった。
イルガンノは生前姉の魔力により死に淵から蘇生したことを思い出しながらも、イスタの最後のお願いのために姉のためでなく「イルガンノ」のために戦うことを誓うのだった。
・印象に残ったセリフ
「……それが済むまでの間は、私は私じゃなくていい。
イルガンノで構いません」
重い。
・印象に残ったキャラ
イスタ。
どうしようもない小悪党なんだけど、最後の最後でイルガンノに道を示せたのは良かったのかも。
・感想
好きなお話だった。
世界を巡るなんたらや三人の巨人の話は蚊帳の外で、イスタとイルガンノの関係性のお話。
最初からずっと嘘だったんだけど、その嘘が最後の最後に誓いの言葉になるの寂しくて辛かった。
・5段階評価:2
・あらすじ
ゼシルウェンシーとの戦いに挑む面々。バロンは自らが死んでもバニーが大義を継ぐことを期待して敗北、マイザーはゼシルウェンシーの感染能力により本来守るべき民衆を殺してしまい絶望しセリーナと心中、イルガンノは自身の本当の復讐の相手がゼシルだと知り暴走してしまい、結果バニーを除く主人公勢は全滅してしまう。
唯一生き残ったバニーはアリサと共にアイシィレンドリングを打つが、それこそがアイシィレンドリングの真の狙いであった。
・印象に残ったセリフ
「メイシアさんは、悲しそうだったと思いました。」
過去のシナリオを振り返るアリサのセリフだが、そうだったかなあ……? 感が若干する。
・印象に残ったキャラ
マイザーの死を嘆くヴィンセント、バロンの死を嘆くナハトナハト。
・感想
バロンが認識阻害魔法をバニーに対してもかけていてため、バニーがバロンの死体を見つけることすらできないくだりが強烈だった。
因果応報とはいえ、ここまで悲しいことないでしょ…… しかもバロンの大義は全然バニーに伝わってないし……
二人で心中するマイザーとセリーナも悲しいし、家族のことを想って暴走してしまうイルガンノも悲しいし、やっぱり暗い話だった、
五人ともはバッドエンドから話が始まってるようで救いが見えない、この後どうなるんだろう。
SEEDは再評価されてるよなーとか言うのを見ると「いや俺は当時から今までずっとダメだと思ってるけど怒りをまき散らす行為は何年も続かないだけだぞ、あとデスティニーでしらけすぎて憑き物が落ちた」って思う
ファーストとかゼータとか初期の作品の要素を雑に流用してなんとなくガンダムっぽいものをつくりました!みたいのがくさくてくさくてめちゃめちゃリアルタイム視聴してるときキレてた
でもさ
デスティニーでなんかすごい雑なストーリーで、話の途中だが主人公じゃないキラヤマトのダイナミックエントリーだ!ストフリが出て殺す!みたいな感じで、なんかこれいいとこってミーティアの全力射撃をGIFにしとけば全部じゃね、唐突なホモ心中エンドだし、みたいのをみてると
SEEDってすげーよな!おはなしがあったもん!
って俺ですら再評価したもんね
そういう意味では再評価はしたよ、まあまあ気に入らないガンダムだったけどデスティニーよりは全然よかった
ダブルオーは相当好きなガンダムだな!というのに比べるとまったくもって低評価ではあるけど、それでもデスティニーよりは相当よかった
Vtuberサロメ嬢の配信を見ていて思ったのだけど、やはりお嬢様言葉や敬語には人の心を和らげる力があるんだな。
俺は強い言葉が凄く苦手で、ギバラが大人気だったように過激な言葉で怒りを表明するほどウケるというV界隈の空気感に馴染めていなかったのだけど、サロメ嬢のそれは凄く良い。
「どけ!」ではなく「おどきになって~!」、これだけでかなり安心できるというか、かわいいの気持ちが先に来る。
勿論、キレ芸を多用しないというサロメ嬢のスタンスの問題もあると思うが、語尾が「ですわ」になり涼やかな高音になるだけでこれほど見やすくなるとは思わなかった。
お嬢様言葉の絶妙なフィクション性が現実との微妙な乖離を生み出し、薄い膜で包まれた世界の出来事として受容できるというのもあるのかもしれない。
この発見は何かに使用できるのではないかと思い、試しに日常生活で焦った時にサロメ嬢のようなお嬢様言葉で思考するようにしてみた。
道に迷った時、普段なら「ヤバいどうしよう、間に合わん、クソ、どうなってるんだマジで」と思うところを
「何もわかりませんわ~~!ここはどこですの~!?どなたかお助けになって!とりあえず警備員の方に道をお聞きするのですわ~~!!」と心中で叫ぶだけでめちゃくちゃ落ち着く。
お嬢様の自負というか、謎の度胸が生まれてバンバン道も聞けるし、心中でありったけ叫ぶことで脳に多少余裕ができるし、活路が見えると「やりましたわ~~~~!!!」という気持ちになってどんどんとポジティブな方向に気持ちが動いていく。
まさか思考する言葉の体系(?)を変えるだけでここまで気持ちに差が生まれるとは。
ちくちく言葉はやめてふわふわ言葉を使おうというのもあながち間違いではないのかもしれないというか、びくびく言葉・キレ言葉をやめてお嬢様言葉を使うことは人生に有用だなという発見だった。
2位:anond:20061214085342(155users)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20061214085342
JASRACっていいとこ一つもないし、JASRACのせいで音楽業界は成長できなくなってるよね。音楽に関わる仕事をしようと思って入社した人たちは今どんな思いなのかな?
まあ、似たような話が沢山あるし、違う話ではリアルタイムにもめているのが話題になったこともあるし、胡散臭さは何故ワイドショーに流れないのか不思議なほど。
そりゃ伝説にもなるなぁ。とんでもねー話や。
金取るだけ取って、アーティストに払っていないって言う話しは田舎にいる私にさえ欲聞く話。突然、何をやったか把握してないのに「演奏したろ金よこせって」電話がきたって前聞いた事あるな。
「大槻ケンヂが自分のエッセイに筋少時代の曲(高円寺心中。もちろん本人作詞)の歌詞を引用したんだけど製本後いきなりジャスラックが「知的財産権は我々にある。使用料をよこせ」って」なにこのうたうた詐欺
やりかねないな
大槻ケンヂがJASRAC「オーケン事件」の真相を語る - 音楽ナタリー
死にたいって思っても親より先に死ぬなんてって気持ちと飼い猫がいるからって思いですぐに考えるのやめる。だから死にたいのに今すぐには死ねないって考えるのがしんどい。
自分の思うように動けなくなるのが嫌だから50代くらいで死にたいって母に言ってたら母の機嫌が悪い時に死にたいって言ったってどうせ怖くて死なないんだからって言われた。そりゃ痛いのも苦しいのも嫌いだから死ぬのは怖いよ。でも死ぬことって一種の逃げ道になってていつでも死ねるからって安心できてる部分もあるから否定的なこと言わないでほしかった。腹いせに死んでやろうかと思った。でも猫いるから死なない。しんどい。
猫遺していくの可哀想だから猫と心中しようかなとか考えるのしんどい。猫には長生きしてほしくて私より先に死ぬなんて嫌だっていつも思ってるのに。猫がいたから今までどんなに落ち込んでも死にたくなってもまた元気になれたのに、猫がいるから死ねないって考えちゃうのしんどい。
猫のおかげで生きてるけど猫のせいで死ねない。こんな考え方がしんどい。
飼い猫が死んだら死のうかな。行動できるかわからないけど。あと多分10年もしないくらい。
痛いのも苦しいのも嫌いだから怖くて中々行動できないけど死にたくないって思うようなこと猫のことしかない。猫死んだらいよいよ死ねるかも。
ちょっと楽になった。
anond:20220517213328を見て自分もやりたくなったので今更ですがやらせてください。
キリがないので1アーティスト1曲縛りで。
順位付けしようとしたけど結局好きなアーティスト順にしか並べてないことに気づいて発売順に並べることにしました。
以上、50曲。選曲とコメントで合計6時間ぐらいかかった気がする。でも楽しかった。
こんなもん地上で爆発したらどうなるねん
https://www.youtube.com/watch?v=wtthhilAO3Y
昭和17年(1942年)5月、日本軍の攻勢により推移していた太平洋戦争は、後に戦局の変わり目として位置づけられる事になる「ミッドウェイ海戦」を目前に控え、重要な局面を迎えていました。
しかし、戦時中とは言え普段とほとんど変わらない生活を送っていたここ下湧別村の漁民にとっては、そんな国家の重大事など知る由もなく、折しもオホーツク海沖合に現れたニシンの大群の行方が目下の関心事でした。
ニシンの豊・不漁はその年の村民の生活水準にそのまま直結するため、その群の到来に村はにわかに活気づきます。
そんな5月17日、その日も沿岸では村の漁師たちが総出で網を仕掛けていましたが、その作業中に一人が波間に浮遊する金属製の樽状の物体を発見します。
そして、素人目から見ても異様な雰囲気を醸し出すその”水に浮く不思議な鉄の塊”がおそらく「機雷」であろう事に彼らが気付くまでにはそれほど時間はかかりませんでした。
思わぬ危険物の漂着に漁場は騒然となりましたが、「これが機雷であればなおさら放置しておく訳にもいかぬ」との”勇気ある”漁労長指示により網に掛けながらひとまず浜まで引き揚げる事にします。
数十分後、幸い移送途中で爆発する事もなく「ポント浜」の砂上に”恐る恐る”陸揚げされた直径約1.2m・長さ約1.5mの機雷と対峙した一同は、まず警察への通報が先決との判断により代表者が市街地にある派出所へと向かいました。
ところが、その時派出所では村の東側に隣接する「サロマ湖」内で時を同じくして発見された”もうひとつの機雷”を巡って既に大騒動となっていたのです。
”国籍不明”の危険物が二つ同時に漂着したこの”大事件”については、一帯を所轄していた「遠軽警察署」を経て直ちに「北海道庁警察部」へ連絡が取られましたが、意外にも警察部からの回答は「所轄署責任において爆破処理せよ」というまことに素気ないものでした。
実は北海道の特に日本海沿岸地域における浮遊機雷の漂着は当時それほど珍しくはなく、これまでの事例では当該所轄警察署の手によって難なく処理されていたという事実が、先の無関心とも思える本部指示につながる訳ですが、当地では前例がなく、ましてや爆発物処理の専門知識もない遠軽警察署としてはその対処方法に頭を悩ます事になります。
その後即刻開かれた署内幹部会議上では「軍の協力を仰ぐ」という策も提案されたものの、遠軽警察署長としては「他の署が自力で処理しているレベルの事案について他所の助けを乞う」などその自尊心が許しませんでした。
こうして、意地でも地元の手によって行わざるを得なくなった作業は約1週間後の5月26日午後1時に決行すべく、二つの機雷を「ポント浜」一箇所に集め、遠軽警察署の監督の下、その運搬・管理を地元警防団(警察や消防業務を補助する民間組織)に、そして爆破処理を管内にある「生田原銅山」の”発破技師”に依頼する事が正式決定されました。
しかし、この時署長の頭の中ではこれを機にもうひとつの”とんでもない”計画が進行中だったのです。
ここ下湧別村をはじめとする遠軽警察署所轄管内では普段大事件が発生する事もなく、平穏であるがゆえ警察署長の立場としては至って”退屈”な日々を過ごしていました。
また、生活のため日頃と変わらず農・漁業に勤しんでいる人々が、署長の目には「戦時中にも拘わらず危機意識がない不心得者」のようにも映っていました。
そこで、この機雷爆破処理作業を一般に公開、爆発の威力を見せる事で庶民の「戦意」と「国防意識」を高めると同時に、警察の威信を確固たるものにするべく画策していたのです。
かくして、村役場などを介し回覧や口コミで村内はおろか近隣地域にまであまねく周知されたこの”一大イベント”は、物珍しさも手伝っていたずらに人々の興味をそそり、更には当日わざわざそのために臨時列車が手配された事もあって、その日は爆破時刻の午後1時に向けて老若男女合わせて一千人規模の見学者が各地から現場へ向かっていたと聞きます。
さて、決行2時間前の5月26日午前11時頃、現場のポント浜では遠軽警察署長以下警察官9名と、署長命令によってなかば強制的にもれなく召集された下湧別市街及び近隣集落の警防団員約150名が事前集結していました。
二つ並べられた機雷を前に、あとは生田原から火薬の専門家が到着するのを待つばかりでしたが、しかしここに至って爆破方法を巡り現場が混乱する事になります。
通常、機雷の爆破処理というのは水中において一つずつ行われるのが定石であり、その日もそれに従って実行される予定でしたが、当日になってその事実を知る事になった漁業本職の警防団からの猛反対を受けます。
というのも、海中での爆破は一帯の魚介類を死滅させる恐れがあり、それは漁民にとっては明日からの生きる糧を失う事を意味しました。
彼らにしてみれば死活問題だけに警察側からの再三の説得や恫喝に対してさえ一歩も退く事は出来ず、しばらくの”攻防”の末、漁師たちのあまりの頑強さについに根負けした署長は陸上処理への変更をやむなく了承します。
粘った甲斐あって勝ち取った結果に安堵した警防団員たちでしたがその代わり、陸上で爆破するには現在近過ぎる二つの機雷を、誘爆させない距離として設定された約50mの間隔まで引き離す作業が待っていました。
こうして気乗りしないまま予定外の力仕事をする羽目となった彼らの心中には、これらが「既に機能を失った不発弾に違いない」という思いが一様にあったようです。
発見されてから1週間まったくの変化も見せなかったこの”錆びた鉄塊”に対して徐々に警戒心が薄れていった事に加え、ことサロマ湖から運ばれてきた方には、実は数日前に”命知らず”な村の鍛冶屋によってあろうことか持ち寄ったハンマーで叩くという危険極まりない試みがなされていますが、結果その衝撃にもびくともしなかったという事実も、「もはや危険ではない」と彼らを暗に確信させる要因になっていたのでしょう。
それぞれ多忙な仕事が待つ警防団員たちにとって、本業もままならない毎日を無理強いするこの”いまいましい敵”への扱いは、そんな思いもあってか最初と最後では大きく異なっていました。
初めこそその取扱いには慎重を期され、移動も衝撃を与えないように砂上をゆっくり”引きずる”方法がとられていましたが、この段階では労力を惜しんでか本体にロープが巻きつけられ無造作に”転がされて”いたと言います。
しかしやがて、鍛冶屋の”無謀な挑戦”を受けていない方、つまりオホーツク海で発見された機雷が、軟らかい砂から馬車道の硬い轍(わだち)の上に転がり出た瞬間…それは既に浜に到着していた気の早い数百名の”観衆”が見守る中で起こりました。
今まであれほどいかなる反応も示さなかった機雷が、まるでこの時を待っていたかのように火花一閃、大爆発を起こしたのです。
そもそも軍艦をも爆沈させるほどのその破壊力は当初の想像をはるかに超えるもので、破片は爆風に乗って障害物がない砂浜の中を数百メートルに渡り飛散、傍らにいた警防団員や警察官は言うまでもなく、一応安全を考慮して遠巻きに置かれた一般見学者の多くも無事ではいられませんでした。
爆発による黒煙が消えた後には、直径10m・深さ3mの穴と共に、周辺に斃れたおびただしい数の人々が残され、そのほとんどは瞬時にしてその命が失われたであろう様子が一目で判るほど現場は凄惨を極めたそうです。
現場から4kmほど離れた下湧別市街地でさえもその轟音と震動に激しく揺れたと言われるこの前代未聞の機雷爆発事故においては、死亡者112名・重軽傷者112名という未曽有の惨禍を見る事になりました。
そして、この”公開爆破”を企画した遠軽警察署長や、直前において爆破地点を変更させた警防団の代表者も、その過ちを悔やむ時間すら与えられないままこの日帰らぬ人となっています。
この大惨事により現場に居合わせた警防団員のほとんどが死傷し、下湧別村は多くの”働き手”を、そして家族にとっては一家の”大黒柱”を一瞬にして失いました。
「一体誰のせいでこんな事になってしまったのか」…機雷を放った知らざる敵か、現場に丸投げした道庁警察部か、それとも無謀な計画を立案した警察署長あるいは陸上処理を主張した警防団員か…もはやそれをぶつける相手もいない中、人々の行き場をなくした怒りと悲しみだけがポント浜には残されました。
合掌