はてなキーワード: 希望とは
ガイドラインでは、誤嚥リスクのある宿主に生じる肺炎、と定義される。
そのうち最も多くを占めるのは高齢かつ進行した認知症患者が発症する誤嚥性肺炎である。
内科救急で最も多く経験する疾患で、入院で受け持つ頻度もかなり高い。
特異なことに、最も多く接する疾患の一つでありながら、専門家が存在しない。
肺炎だから呼吸器なのかといえば、呼吸器内科医は認知症への対応は専門ではない。
精神科は認知症診療が業務範囲に含まれるが、身体疾患が不得手である。
脳神経内科医は嚥下や認知症を専門領域の一つとするが、絶対数が少なく、専門領域が細分化されている。
そんなわけで多くの場合は内科医が手分けして診療することになる。
そういうわけだから、誤嚥性肺炎に対する統一的な見解はない。ガイドラインも2013年から更新されていない。また誤嚥性肺炎に関する文献や書籍はあるし、質の良いものが出版されているが、多くは診断、治療、予防に重きを置く。価値観に深く踏み込んだものは殆どみない。患者自身が何を体験しているかを推定している文章は殆ど読んだことがない。
病状説明も僕が研修医でほかの様々な医師の説明を聞いても、肺炎です、誤嚥が原因です、抗菌薬で治療します。改善しないこともありますし、急変することもあります、といった通り一遍の説明以上のことを聞いたことは殆どなかった。
もっともよく経験する疾患でありながら、どうするべきかの具体的な方針は大学教育でも研修医教育でも提供されないのだ。
にもかかわらず、認知症患者の誤嚥性肺炎は最も多い入院かつ、その患者は入院期間が長い傾向にある。入手可能なデータだとおおよそ一か月の入院となる。死亡退院率はおよそ15-20%で、肺炎としては非常に高い。疫学については良いデータがないが、専門病院などに勤務していなければ、受け持ち患者のうち5人から10人に1人くらいは誤嚥性肺炎が関連している印象がある。
誤嚥性肺炎は、進行した認知症患者ほど起こしやすい。そして、誤嚥性肺炎を起こすことでさらに認知機能が低下する。しばしば経口摂取が難しくなる。そして自宅や施設へ退院することが難しくなり、転院を試みることになる。
典型的には進行した認知症を背景に発症するので、意思決定を本人が行うことができない。患者は施設入居者であることも多く、施設職員がまず来院する。その後家族が来院して、話をする。肺炎であるから、治療可能な疾患の前提で話が進む。進行した認知症=治療不可能な疾患があることは意識されない。
ここでは、進行した認知症、つまり意思決定能力があるとは考えられない患者、今自分がどこにいて、周りの人がだれであって、自分の状況がどうであるかを理解できないほどに進行した認知症患者、と前提する。
退院してもらうための手段、という意味では治療は洗練されてきている。口腔ケアを行い、抗菌薬を点滴する。嚥下訓練を含めたリハビリテーションを行い、食事を早期から開始し、食形態を誤嚥しづらいものに変える。点滴を早期に切り上げて、せん妄のリスクを減らす、適切な栄養療法を併用して低栄養を防ぐ…。
そういったことを組み合わせると、退院できる可能性は高まる。身体機能も食事を再開できないレベルまで低下することはあまりない。
しかしそこまでして退院した患者は、以前の身体機能・認知機能を取り戻すわけではなく、少し誤嚥性肺炎を起こしやすくなり、活動に制限がかかり、介護をより多く要するようになり、認知機能がさらに低下して退院していく。
だから人によっては一か月とか半年後に誤嚥性肺炎を再び発症する。
家族や医師は以前と似たようなものだと考えている。同じような治療が行われる。
そこに本人の意思はない。本人の体験がどうなのかを、知ることはできない。
というか、進行した認知症で、ぼくらと同じような時間の感覚があるのだろうか。
本人にとって長生きすることの体験の価値があるのか、ないのかも知ることは難しい。
というのは逃げなんじゃないか。
状況認識ができなければ、そこにあるのは時間感覚のない快・不快の感覚だけではないか。だとすればその時間を引き延ばし、多くの場合苦痛のほうが多い時間を過ごすことにどれほどの意味があるんだろうか。
なぜ苦痛のほうが多いかといえば、状況を理解できない中で食形態がとろみ食になり(これは美味とは言えない)薬を定期的に内服させられ(薬はにがい上、内服薬をへらすという配慮がとられることはめったにない)、点滴を刺され、リハビリをさせられ(見当識が障害されている場合、知らない人に体を触られ、勝手に動かされる)、褥瘡予防のための体位変換をさせられ、せん妄を起こせば身体拘束をされ、悪くすると経鼻胃管を挿入される(鼻に管を入れられるのは、快適な経験ではない)
どちらかといえば不快であるこれらの医療行為は、治療という名目で行われる。
多くの医師は疑問を抱かずに治療する。治療される側も、特にそれに異をとなえることはしない。異を唱えるだけの語彙は失われている。
仮に唱えたとしても、それはせん妄や認知症の悪化としてとらえられてしまう。
老衰の過程が長引く苦しみがあり、その大半が医療によって提供されているとは考えない。
ここで認知症というのは単なる物忘れではないことを説明しておく。それはゆっくりと進行する神経変性疾患で、当初は認知機能、つまり物忘れが問題になることが多いが、長期的には歩く能力、座る能力、食事する能力が失われ、昏睡状態となり最終的には死に至る疾患である。
多くの内科医はこの最後の段階を理解していない。肺炎で入院したときに認知機能について評価されることは稀だ。
実際には、その人の生活にどれだけの介護が必要で、どのくらいの言葉を喋るか、笑顔を見せることがあるか、そうしたことを聞けばよいだけなのだけど。
進行した認知症で入院するのがどのような体験か、考慮されることはめったにない。
訴えられるかもしれないという恐れの中で、誤嚥のリスクを減らし、肺炎を治療するべく、様々な医療行為が行われる。身体が衰弱していくプロセスが、治療によって延長される。
医療において、患者の権利は尊重されるようになってきた。僕らは癌の治療を中断することができる。良い外科医を探すべく紹介状を書いてもらうこともできる。いくつかの治療法を考慮し、最も良いであろうと考える治療を選択することもできる。
しかし患者自身が認知機能を高度に障害されてしまった場合はそうではない。医師が何を希望するかを聞いても、答えてくれることはないし、答えてくれたとしても、状況を理解できないほどに認知機能が損なわれている場合は、状況を踏まえた回答はできない。
そこで「もし患者さん本人が元気だった時に、このような状況をどうだったと考えると思いますか」と聞くこともある。(これは滅多に行われることはない。単に、どんな治療を希望しますか、と聞くだけだ。悪くすると、人工呼吸器を希望しますか、心臓マッサージを希望しますか、と聞かれるだけだ。それが何を引き起こすかは説明されずに)
しかし問題があって、認知症が進行するほどに高齢な患者家族もまた、高齢であって、状況を適切に理解できないことも多い。また、記憶力に問題があることもしばしばあって、その場合は話し合いのたびに最初から話をしなければならない。このような状況は、人生会議の条件を満たしていない。もしタイムマシンがあれば、5年前に遡れば人生会議ができたかもしれない。
親類がいればよいが、これからの世の中では親類が見つかりづらかったり、その親類も疎遠であったり、高齢であったりすることも多いだろう。
そうした中では、理解が難しい場合も、状況を理解して改善しようという熱意に乏しい場合も、(本人の姉の息子がどのように熱意を持てるだろうか)、そして何より、医師が状況を正確に理解し彼の体験を想像しながら話す場合も、めったにない。
意思決定において、話し合いは重要視されるが、その話し合いの条件が少子高齢化によって崩されつつあるのだ。
「同じ治療をしても100回に1回も成功しないであると推定されること」
この二つを満たすことが無益な治療の定義である。この概念を提唱した、ローレンス・J・シュナイダーマンと、ナンシー・S・ジェッカーは、脳が不可逆的に障害された患者を対象としている。
彼らはいかなる経験をすることもないから、治療による利益を得ることもない、だから無益な治療は倫理的に行うべきではなく、施設ごとにその基準を明示するべきだ、というのが彼らの主張である。
高度に進行した認知症患者の誤嚥性肺炎の治療は、厳密な意味での無益な治療ではない。彼らは何かを体験する能力があるし、半分以上は自宅や施設に帰るだろう。自宅や施設では何らかの体験ができる。体験を感じる能力も恐らく完全には損なわれていないだろう。
この完全ではない点が、倫理的な空白を作り出す。
そこで死に至る疾患である印象が失われた。
専門家の不在は、価値の普及を妨げた。病状説明の型がある程度固まっていれば、それがどのような形であれ、専門家集団によって修正され得ただろう。ガイドラインは不十分である。医療系ガイドラインはエビデンスのまとめと指針である。つまり誤嚥性肺炎の診断・治療・予防であり、その価値に関する判断はしばしば言及されない。ガイドラインはないにしても、診断・治療・予防に関して役立つ本はある。ただ、価値に踏み込む場合も、基本的にはできる限り治療するにはどうすればよいか、という観点である。
人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン、人生の最終段階における医療・ケアに関するガイドラインは存在するが、そもそも高度な認知症を合併した誤嚥性肺炎が、人生の最終段階と解釈されることはめったにない。だからこのガイドラインを用いた話し合いができることは少ない。また、多くの医師は、押し付けられた仕事と認識していることから、じっくりと時間をとって家族と話をすることはなかなか期待できそうにない。多忙であればなおさらである。
さらに状況が不利なのは、個々の病院のKey performance indexは、病床利用率であることだ。
認知症患者の誤嚥性肺炎は、しばしば酸素を必要とし、時に昇圧剤やモニター管理を要するなど重症であることが多く、入院期間が長くなる。そのため、看護必要度を取りやすい。多くの病院は、その地域に病院が不可欠であることを示す必要がある。不可欠であることの証明に病床利用率と、看護必要度は使用される。そのため、誤嚥性肺炎の患者を引き受けない理由はない。救急車の使用率も高く、数値上は確かに重症であるので、病院経営上は受け入れておきたい。
介護施設に入所した場合は、誤嚥性肺炎の死亡で敗訴し、2-3000万円の支払いを命じられる訴訟が複数あることもあって、搬送しないという選択肢は難しいだろう。
介護施設から搬送された患者が誤嚥性肺炎であることは多い。その一方で、こういった場合家族が十分な話し合いの時間を割けないことが多い。片手間でやっている医師も、長い時間をかけて説明したくはないので、お互いの利益が一致して肺炎治療が行われる。
一方、最近増えている訪問診療は、誤嚥性肺炎の治療を内服で行うとか、そもそも治療を行わないという選択肢を提案できる場である。そこには期待が持てる部分もある。定期的な訪問診療でそうした話がしっかりできるかといえば難しいが、可能性はある。ただ、訪問診療医になるまでに、誤嚥性肺炎に関する専門的なトレーニングを受けるわけではない点が問題になる。しかし家での看取り、という手段を持てるのは大きいだろう。
訪問診療を除けば、医療の側からこの状況を改善することは殆ど不可能なように思える。
病院の経営構造、施設の訴訟回避、医師の不勉強と説明不足、そしてEBMと患者中心の医療を上っ面で理解したが故の価値という基準の不在、めんどうごとを避けたい気持ちと多忙さ、患者自身が自己の権利や利益を主張できないこと、家族の意思決定能力の乏しさや意欲の乏しさ、こうした問題が重なりあって、解決は難しいように思える。
現在誤嚥性肺炎を入院で担当する主な職種である内科医は、糖尿病の外来診療を主たる業務とする内分泌代謝内科という例外を除いて、減少しつつある。
専門医制度が煩雑になったからというのもあるが、ぼくは少なからず認知症高齢者の誤嚥性肺炎を診療したくないから、希望者が減っているのだと思っている。確かに診療をしていると、俺は何をやっているのだろうか。この治療に何か意味があるのだろうか、と考えることがあった。同じようなことを考えている医師は少なからずいる。露悪的なツイートをしている。しかし構造上の問題点について踏み込むことはそこまでない。
僕は構造的な問題だと思っていて、だからこういう文章を書いているわけだ。
進行した認知症患者の誤嚥性肺炎とは延期可能な老衰である、という共通の認識が広がれば、状況は変化してくるかもしれない。事実、認知機能が低下していない高齢者で、延命を希望しない方は多い。その延命の意味は具体的に聞けば、かなりしっかりと教えて頂ける。
誤嚥性肺炎の診療は、所謂延命と解釈することが可能な範疇に入ると僕は考えている。
後期高齢者の医療費自己負担額一割と、高額療養費の高齢者優遇の組み合わせを廃止することや、診療報酬改定によって、誤嚥性肺炎の入院加療の色々なインセンティブを調整することで、否応なしに価値が変化するかもしれない。そういうやり方をした場合、かなりの亀裂が生まれる気もするけど。
メモ。
https://x.com/bozu_108/status/1813170714322870567
https://x.com/bozu_108/status/1813164657630409184(TikTokからの転載)
「なんしようと」の判別ができる
https://x.com/bozu_108/status/1813155364008841405
https://x.com/bozu_108/status/1813154105797583025(全て画像)
https://x.com/bozu_108/status/1813152847782891924(全て画像)
A型とはこんな人
https://x.com/bozu_108/status/1813150330773029018(画像)
https://x.com/bozu_108/status/1813146556024996089
坊主とは
ポケモンGOのやり過ぎで坊主バークビになりました。新宿虚無僧バー、お茶の水BARスジャータ営業中。1日店長募集中!ご希望の方はDMかhidarihidari2000@yahoo.co.jp迄バー垢
@bozu810
セックスはできる妻の中でローテするから良いとしても、子供いないままレスになった妻は簡単に離婚されると思う
ぶら下がりたいだけなら一夫一妻希望の男を狙った方がいい
地元局KDKAに対して、容疑者と同じ学校に通った一部の若者は、容疑者が「いつも一人でいて」「狩り用の服で登校してくることがあった」と話している。
一方、元同級生のサマー・バークリーさんはBBCの取材で、容疑者は「いつもテストの成績が良く」て、「歴史が大好きだった」と話した。
バークリーさんによると、容疑者は「政府や歴史についてはなんでも知っているみたいだった」、「でも特に変わってるとかではなくて、いつも親切だった」。教師たちにも好かれていたという。
「そこにいたけど、彼と仲が良かった人がだれかいたのかどうか、思いつかない」と、匿名を希望した元同級生はBBCに話した。「特に彼を気にしたことはないけれども、普通だった」。
べセル・パーク高校の射撃部に所属し、容疑者と一緒に2022年に卒業したジェイムソン・マイヤーズさんはCBSに対して、容疑者は選手になれなかったのだと話した。
「トライアウトで二軍チームにも入れなくて、そのあと在学中、一度も選抜テストを受けにこなかった」
マイヤーズさんによると、クルックス容疑者は「普通の男の子」で、「特に人気があるというわけではなかったけれども、別にいじめられていたわけでもない」という。
「誰かの悪口を言うとかそういうことはしない、いいやつで、こんなことができるなんて思いもしなかった」
藪の中か?
新卒至上主義批判への反論としてよく出てくる言い分なんだけど、
「若者」である時期なんて人生のほんの一時期なんだし、その時期だけ不利でも別によくない?寧ろ誰にでも若い時期はあるんだから平等といえるだろう。
若いうちはみんな非正規、スキルを積んで正規に上がっていくというシステムならば
貧乏なのはみんな同じだから、未来に希望が持てるし結婚や出産子育てへのハードルも下がるだろう
逆に新卒至上主義社会だと新卒で大企業の正社員になれば適当にやっててもその後の昇給は保証されているのでやる気を失うし
今のファミマのレジには障害者向けに指さしで希望を伝えられるように簡単な画像メニューシートが貼られてるはずだから確認してみて
https://www.family.co.jp/company/news_releases/2022/20221121_03.html
今日も早速忙しくなりそうよ。
でもおおかたというかおおむねというか、
あ!忘れてた!
私最近季節の歌うの忘れがちじゃない?
わーれーはうーみのーこしーらなみーのー
それはともかく、
今日はその半分のお仕事はもう終わったと言っても過言の言い過ぎではないぐらいな感じ。
でも早々に今日も早く終わらせられちゃいなよ!って自分自身に言い聞かせたいから、
早く終わりますように!って
これもいち早くいち早く書き終えて仕事に取りかかりーの
たぶん、
今週というか今日をいかに乗り越えるかが焦点のポイントになるフォーカスで集中しないとダメなの!
こういう時思い付かないわ、
何かを乗り越えなくちゃいけないときになんとか山!って言うじゃん。
それ、
それが思い浮かばないわ。
海の日の翌日だというのに
うかうかしていられないし
うふふ。
朝はしっかり食べておかないと今日は特に昼どうなるか分からない学園の校歌でも歌いたいぐらいなので、
ヒーコーでもはや流し込むと言ってもいいぐらいな感じ。
これももう半分ぐらいになったので、
また今夜あたり作っておかなくちゃいけないかも知れない的な量よ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ドル円ロンガーフルレバのわたしの視点で、根拠薄弱の妄想もりもりなので、異論反論大歓迎です!
私は経済のこと1ミリもわかりません!絶対に鵜呑みにしないでください!!!!
特に内容はうろ覚えとか思い込みを中心に書いてるので、間違ってると思います。
喧嘩腰とかバカにしたような態度ではなく、優しくうさぎちゃんを抱きかかえる気持ちで間違っているところを訂正してください。
本当は介入したくないんだけどせざるを得なかったというのは、まぁいつものことだし前提です。
木金の介入は3兆円、1兆円1兆円じゃないだろうか。
アメリカCPI鈍化は織り込み済みで0.5円ほどしか下がらなかったところに売り浴びせて一気に157.5まで下げました。
まぁ今までの8円以上滑らす介入に比べたらショボいのは、外貨準備高を使いたくないのは当然として、この程度で良いと思っているからです。
なんでこの程度でいいかと言うとドル円レート160アッパーを避けたかったということでしょう。そしてそれは月末の日銀会合の発表を示唆しています。
日銀は利上げをするという発表をするという、眠たい行動を先月取りました。はぁ?すると回答したときすでにしているんだ。みたいなのをどっかの漫画のキャラが言ってた気がしますが、ほんとうに眠たい発表でした。
するする詐欺ですね。
でも今月末の会合ではするする言ってるしするっぽいです。(誰がこんなことを信じているのでしょうか)
160を切っていてほしい理由はやっぱり、この日銀会合結果が円安材料になるのでしょう。だからこそ。一時しのぎでもいいから月末までの間だけでも160アンダーにしておいて、会合結果での吹き上がりを抑えておきたい。そんな戦略。戦略と言うにはあまりにもその場しのぎのお粗末なものですが、政府の金融政策がお粗末じゃなかったことなど無いので、割と推理の根拠は揃ってる気がします。
直近の円安防衛ラインは160円になってるのかも知れません。というか、多分そう思わせることで市場を牽制しているのでしょう。
まぁやりたいことはわかりますし、月末までそこを防衛したいというのであればある程度合理的だし防衛できるかも知れません。
160アンダーでも介入するぞ。と言うメッセージがあることは自明です。
また1兆円程度の小規模介入を繰り返していることからこのような政府の認識も伺えます。大きなレバレッジを取っている大口投機筋から大量の売りを仕掛けられている。だからこそ、小規模介入でも彼らの限界まで張り詰めたレバレッジポジションを燃やせる。そのように考えてるのだと思います。
私はドル円ロングしているし当然今の円安が投機筋の円売りによる歪んだ市場活動の結果だとは全く思いません。
もちろんそう言う投機筋が居ることは事実ですが、投機筋だけの動きでこんな円安になることはありえません。円安の根本原因は為替差益であり、何よりも日本自体の国力低下ですし、市場にばらまきすぎた円のせいです。
だからこの円安の主な要因は、単純な円の弱さであり、市場の実需を反映した価格であり、投機筋はそれに乗っかっているだけなので、投機筋をちまちま焼いたところでこのうねりは絶対に解消されません。
アベノミクスでお金を配りまくったんだから円安になるのは当然であり、MMT理論では一定の領域までならお金を配っても極端なインフレにはならないと言っていました。
あの、オカルト扱いされているMMT理論ですら、どの時点かはわからないけれど極端にお金を配り過ぎたらインフレが加速すると注意をしていました。
なぜ日本が極端なインフレにならなかったのかと言うと、日本は量的緩和をしてもインフレにならなかったからです。という頭の悪いトートロジーで成立していました。
実際に異常な量的緩和を何年も続けていても日本は極端なインフレにはなりませんでした。だからこそ、MMT理論は実現するのではないかという一つ時の希望がありましたが、円安なっとるやないかい!
MMTは無理っぽいですね。
なんでMMTの話をしているんだ?
ということで、今更この円安を止めるなら、金利を10%とかにしたら良いんだけどそんなことしたら日本国民の生活破綻するので無理です。
外貨準備高を取り崩してその場しのぎの円買いを繰り返すしか無いですし。
無理だろうな。
日本経済は全然加熱していません。冷え切ってると言えるほどではないけど、景気良くないのに増税も利上げも無理です。
あー、でも日本政府ってマジで、それやったら制御不能になるに決まってるだろうっていう意味不明なことするの得意なので、本当に利上げするのかなぁ。
日本経済壊れてでも良いから不動産取引制限して90年代の好景気を叩き落としたように、今回本当に利上げするのかな?5%ととか?
日本の金利が5%の利上げしても物価上昇のスピードに追いついてないからまだドル円の実質利率レートの差まだドルのほうが高いのではないかな?
日本は本気で円安を止める目的で利上げするなら5%以上上げる必要あるけど無理だし。
実際に先月の植田さんは利上げに踏み切ると言いながら、かなり長期スパンでのゆっくりした利上げをすると言っていた。
植田さんや日銀としては、本心では利上げするつもりは無いのじゃないのかと俺は思っている。
だって意味不明だもんな。日本国内の景気を促進するために自分たちで金をばらまいておいて、景気回復しない段階でその影響を打ち消す政策やれだもんな。
意味不明だわ。
なので7月末の日銀発表での利上げは、0.05%上げるとか、下手すると具体的な数字を発表して実施時期を発表とかそんな感じだろう。
それを示唆したのが先週の激ショボ介入に込められたメッセージです。
まとめです。
日銀はショボい介入をした。その理由は月末に控える日銀発表による円安ロケット噴射を和らげるためです。
多分想定防衛ラインは170円ですが、この理由により直近は160円アンダーにレートを抑え込みたい。
また7月の間だけでも牽制するために、160円防衛ラインを市場に意識させたいので小規模介入で牽制した。
実際のところは160円の死守するつもりはないので早晩この防衛ラインは突破される。
とくに月末の発表で吹き上がる可能性が大きい、160以下に抑え込んでおきたいという政府の行動からかなりの確証を持ってそれが見て取れる。
160アンダーでは円を買いまくるべし。
元専門学校関係者だけど、少子化なので基本的には出願者は全員入学させてあとは担任に丸投げやで
就職は実績と言うけど、就職できなかったら「もともと就職希望ではなかった」旨の書類を提出させて就職率の分母から削るだけの話
進級はなんとでもなるけど、さすがに国試はね...どうしようもないので、合格できないんじゃないかな。そもそも実習できるかどうかあやしいし。
とはいっても、今の専門学校は普通に学習障害の子とか結構な割合でいるので、知的障害が一人来たぐらいではどうということはない
父親に対する感情ゼロを言う設定に無理があったので、比較的自然な形に年齢を修正しました 後ほど、別の増田で設定通りの年齢設定で修正をします anond:20240715002416
わたしが小学校へ入ったばかりの頃、他所に女を作って母とわたしを捨てた父だ。
今の父(養父)を手放しに「とても良いお父さんだった」とは正直言えない、色んな思いをしたけどそれはまぁ今は割愛。
奨学金は自分で払ったけど、短大まで行かせてくれたし、不自由なく育ててもらった。
だから、表面上は実の父に対する感情がないふりをしていた。無を装っていた。
中学生になるまで毎年誕生日にはプレゼントと手紙をもらっていたけど、何も感じていないかのように振る舞っていた。
実際は、心の奥底では父からの贈り物に喜びや複雑な思いを感じていたけど、それを表に出すことは出来なかった。
母や養父を傷つけたくない、新しい家族の和を乱したくないという思いが強くて、実の父に対する感情を押し殺していた。
養父がわたしを実の娘のように思ってくれていることに対しての気持ちもゼロじゃなくて、実の父とのつながりを示すようなことは避けていた。
そうすることで、家族の中での自分の立場を守ろうとしていたのかもしれない。
母は時々、実の父の話をしてくれたけど、私は表面上無関心を装っていた。知らない芸能人の話でも聞いてるような態度を取っていた。
実際は、話を聞くたびに胸が締め付けられるような感覚があったけど、それを悟られないように努めていた。
ただ、母の声の調子や表情から、彼女の複雑な気持ちが伝わってきて、それを見るのが辛かった。
母の心の痛みを感じ取りながらも、自分の気持ちを抑え込むのに必死だった。
わたしが結婚した時、母から実の父に、結婚式の招待状を出す?って聞かれたけど
「なんでそんなこと聞くんだろう。出すわけないじゃん」って思った。今のお父さんに悪いじゃん、って。
でも、子どもが生まれて、子育てにもすこし慣れてきた今。なぜか、実の父のことが急に気になった。
それで、色々探してSNSをみつけて、ブログがあったから読んでみた。
それから、ブログを読んでいるうちに、長年抑え込んでいた感情が一気に溢れ出した。
父の日常や趣味、考え方を知るにつれ、自分の中にある似た部分に気づき、知らなかった父の人間性に触れた。
そして、突然、今まで味わったことのない喪失感と同時に、やり直せるかもしれないという希望が湧き上がってきた。
自分でもびっくりするくらいわんわん泣いた。今まで築けなかった関係、聞けなかった話、共有できなかった時間、全てが一度に押し寄せてきて、涙が止まらなくなった。
そして、その感情の中で、すごく父に会ってみたくなった。
今までもらっていたプレゼントと手紙のお礼も、やっと素直な気持ちで伝えたくなった。
長年の沈黙を破る勇気が湧いてきて、SNS経由で連絡をしてみた。すると、思いがけずあっさりと繋がることができた。
20年以上も会ってない子どもからの突然の連絡なんて気味が悪いかな、とか、拒絶される可能性もなくはないなと思うと怖かったから、
「連絡がきて嬉しい」と言ってもらえて安心してまた泣いた。
そして今もやりとりが続いていて、過去の母との思い出の話やこれまでのお互いの話をたくさんLINEで話してる。
これからゆっくりと距離を縮めていけたらいきたいなと思う反面、複雑な気持ちもある。
母の心情を考えると、この状況を伝えるべきか、あるいは黙っておくべきなのか、悩んでしまう。
母を傷つけたくないという思いと、実の父との関係を再構築していきたい気持ちの間で揺れている。
今さらになって、父に会いたくなった理由について自分なりに考えてみた。
子どもが生まれて、自分も親になったことで、家族のことを考える機会が増えたのが大きいのかも。
それに、今の生活が落ち着いてきたってのもあると思う。
自分の中に安定感が出てきたから、過去のことと向き合える余裕ができたんだと思う。
もし父から会うことを拒否されても、今なら立ち直れる気がしたからだ。
夫に相談した時、「感動的な再会みたいなのを望んでるなら、傷付くかもしれないよ」って言われたけど、
学生のころや、結婚前は、意識的に実の父への感情を抑え込んでいたんだと思う。
子どもの頃から、母の気持ちを察して、実の父のことを口にするのを避けていた。
でも、心の中では「お母さん、私にも実の父に会う権利があるんじゃないかな」って思っていた。
実の父との関係を築くことは、新しい家族への裏切りのように感じていたのかもしれない。
でも、当時はそれが精一杯のやり方だった。
母や養父を大切に思う気持ちと、実の父への複雑な思いの間で揺れていたんだと思う。
今、自分の子どもが生まれて、新しい家族ができた喜びに満ちている。
この幸せな気持ちが、過去を見つめ直す勇気をくれたのかもしれない。
自分の人生に幸福と安定感があるからこそ、実の父との関係を考える余裕ができたんだと思う。
手放しで良い父親だったとは言えないけど、これまで育ててくれた養父への感謝の気持ちも、より深まった。
自分が親になって初めて、両方の両親の気持ちが少し分かるようになった気がする。
特に母の立場が本当に理解できるようになった。浮気で離婚して、しかも子どもを置いていったという父の行動が、母にどれほどの傷を与えたか。
もし自分がそんな目に遭ったら、立ち直るのにどれだけの時間がかかるだろう。想像するだけで胸が痛む。
だからこそ、実の父と連絡を取り始めたことが、母の気持ちを踏みにじってしまうのではないか不安がある。
また、円満とは言えない養父との関係を崩さないかという不安もある。
でも同時に、20年以上越しに実の父の存在を改めて受け入れ、複雑な感情と向き合えるようになったことは、わたしにとって大切な一歩だとも感じている。
まだ迷いはあるけれど、長年封印していた感情の蓋を開けたことで、何か大切なものを取り戻せた気がする。
これから実の父とどんな関係を築いていけるか分からないけれど、少なくとも自分の中で何かが変わり始めた。
子育ての喜びと、過去との和解の兆し。この二つが重なって、人生の新しいページを開いた感覚がある。
これからの人生で、私の子どもにも、両方の祖父の存在を伝えられたらいいな、そんな穏やかな気持ちでいる。
ただ、それを実現するには、まず母の気持ちを大切にしながら、慎重に進めていく必要があるだろう。
この複雑な感情を、どうやって家族全員に理解してもらえるだろうか。
それでも、今なら冷静に、そして思いやりを持って話し合える気がする。
遊園地に連れていってお土産のぬいぐるみ買って、外で高いオーガニックジュース買わされて、他の時間のかかるアトラクションを断ったら1日台無しみたいな顔されるのなんでなん。
結局やることになった挙句、時間なくなったから自分の行きたいとこには行けない、みたいな。
まだまだ自分の親レベルが低いのだろうか。うちの親は連れて行ってくれることがあまりなかったので、そう言う育ちの違いもありそうだけど、どれだけ子どもの希望を叶えるべきなんでしょうね。。親ってのは滅私奉公に徹しないとしないとダメなんですかね?
遊園地に連れていってお土産のぬいぐるみ買って、外で高いオーガニックジュース買わされて、他の時間のかかるアトラクションを断ったら1日台無しみたいな顔されるのなんでなん。
結局やることになった挙句、時間なくなったから自分の行きたいとこには行けない、みたいな。
まだまだ自分の親レベルが低いのだろうか。うちの親は連れて行ってくれることがあまりなかったので、そう言う育ちの違いもありそうだけど、どれだけ子どもの希望を叶えるべきなんでしょうね。。親ってのは滅私奉公に徹しないとしないとダメなんですかね?
https://anond.hatelabo.jp/20240712182743
の増田を読んだ。男女性別逆ではあるが元増田に共感できるなと思って読んでいた。世間のマジョリティも当然そうだと思ってたんだけど、ブコメ見ると意外とアポなし訪問肯定派がいて驚いたので自分の見解をコメントしておきたい。
一言で言うと、アポ無し訪問は生活のスケジューリングが狂うんで、恋人だろうが会うためのコストが上がって負担なんだよね。
そこそこ忙しい社会人の常識的な感覚としては、当日会う予定の連絡は遅くても昼休みくらいには欲しいと思ってて。なんて言うか、「今日会社で上司に酷いパワハラくらって、メチャクチャ辛いから俺と飲んで慰めて欲しい…」くらいのことがないと恋人だろうがアポ無しで訪問しない認識なんよ。
普通の社会人の平日の生活ってさ、翌日朝イチで大事な会議がある日はお酒飲まずに早めに寝たいとか、毎週水曜はジム通いしてるからこの日はなるべく予定入れないようにしているとか、TOEICの受験近いから最低週5時間は英語勉強する時間確保してるとか、帰宅早くなったから「自分一人分」の食材買ってご飯を作り始めるとか、夕方までに予定入らなかったら、その日の夜は自分のために時間使う前提で動くよね?
とはいえ、恋人が部屋まで尋ねてきたら「夜ジム行きたいから今日は会えない」って追い返すわけにも行かないでしょ。事前に訪問来るのわかってたら、少し早めにジム行って、夜9時以降の遅めの時間なら会えるとか調整して自分の時間も恋人と過ごす時間も両立できるのに、アポ無しで訪問あったばかりに自分の予定はダメになって(でも恋人は自分の希望叶えられてラッキー)、不公平な状態になってしまうわけじゃん。
だから、俺の感覚だとアポ無し訪問は「ワガママを聞いてあげてる」的な認識になってストレス蓄積していくのね。相手がワガママな振る舞いしてる自覚あって、受け入れてくれることに感謝の気持ち持ってくれてるならまだしも、ワガママな振る舞いと認知されてないのがまた辛いところで。この感覚、真面目に仕事してる社会人なら共通で持ってるもんだと思ってたけど、意外とそうでもないの?
自民党にずっと民主党は甘えまくって批判してれば支持もポジションも得られたわけだけど
その後(それ以前からも?)政治にいっちょ噛み勢は民主をずっと叩ければ
まあ当時の失望とかもあれば仕方ないかもしれないけどその後10年経っても民主党相手に遊んでいる
都知事選も蓮舫相手にキーキー騒いで当選後も蓮舫相手に未だキーキー言ってる
小池百合子が続投でどうなんだろうという希望も不安も話題になんてしない
政治を語るの大好きなくせにいつまでも自民と民主の話しかしない
自民は政権与党だから解るよ、立憲民主党、国民民主なんて政権能力もなければ政権とれる可能性もない党
批判してそれで気が済んでるネット政治評論家たちに颯爽と表れたヒーローが石丸さんだ(暇空さんもかな?田母神さんもかな?内海さんもかな?)
じゃずっと断る権利が店側にあるだろって言ってたからセーフやな
子どもをいつでもどこでも泣き叫ばしておいてもOKな店もある、ダメな店もある
髭生やしたイブニングドレスの女性を名乗る男性がいてもOKな店もあるし、ダメな店もある
店側が断ればいいだけだな
2020-07-05
お前いつも女湯に入りたがってるな
公衆浴場(銭湯)の未来は明るいな > 増田においてのみ
公営 と 私営 の普通浴場を合計した、いわゆる 銭湯(一般公衆浴場) は、現在4,293施設くらい
ビジネスチャンスかも知らんぞ
ものすごい銭湯好きの集まるインターネッツなので、今後のマーケティングに活用されると良いだろう
■契約自由の原則を頑なに無視
締約の自由
内容の自由
- 運営側は刺青やドレスコードと同じく拒否もできる
- 運営側はジェンダーフリーな浴場を用意することもできる
- 運営側は湯着や水着などを着用を義務づける事もできる
- 利用者は利用する店(契約する店)を選ぶことができる
- 利用者は希望に叶わない店であれば利用しない(契約しない)権利がある
- 利用者はオーナーと相談/合意の上で、店を貸し切りにできる
日本にあるものを頑なに無視
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犯罪自慢はやめましょう
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建造物侵入罪ですね
「性自認は女性」と説明の利用客、女性トイレに侵入容疑で書類送検
https://www.asahi.com/articles/ASQ163TGKQ15PTIL010.html
大阪市内にある商業施設の女性トイレに入ったとして、大阪府警は6日、戸籍上は男性で自覚する性は女性だと説明する40代の施設利用客=大阪府内在住=を、建造物侵入容疑で書類送検した。
送検容疑は昨年5月末、大阪市内の商業施設の女性トイレに正当な理由なく侵入したというもの。トイレには女性用と明示されていた。同じフロアには男女問わず利用できる多目的トイレもあるという。
逆は一昔前には多かったけど、今はそうでもないしね
ほんとに心がどうとかはどうでもよくて、社会的に女として扱われたい生物学的には男(あるいは男として扱われたい生物学的には女)と区分される人間がいるってことでいいんじゃないすかね…
支障がない限りは本人の希望に沿えばいいし、トイレとか浴場とかちょっとそれだと困ることは別の対策を考えればいいだけで、そこを本当にそうか?とか疑う必要はないと思う。そんなの決着つくわけないし。
あとパス度が高くて普通に入れてる人で、なんか自分は特権階級のつもりなんだかしらんけど露悪的なキモいことを言う人がいるけどそれは絶対やめろ。