はてなキーワード: 屁理屈とは
実家は拡大方針を取らなかったので、作中の塾の発展とは異なりますが、
月としての教育インフラであった塾業界、そして受験ビジネス産業については
いろいろと父の話を思い出すこともありました。
そして私が学生だった20年以上前と比べて、塾の位置付けがこんなに変わっていること、
塾が悪いなんて言っている人みたことないと書いてあるブクマの意味がよくわかりました。
私自身が自分の経験のために、学生時代から塾のイメージをアップデートできていなかったのかもしれません。
いま、塾はこんなにポジティブに捉えられているのですね。
塾の子供たちのエピソードは昔を思い出しました。自分は蘭に一番似ていたと思います。
教師から目の敵にされていたのもあり、良い成績を取ってやるという気持ちもあり、
父親はそんなことを全然望んでいなかったと思いますが、自分は塾の広告塔だと思って、
良い成績を取って、生徒を集めて、家庭を助けたいとも思っていました。そんな大人びた子供でした。
逆に父は、生徒の進学結果などを公に公開することを反対で、良い中学・高校に進んだ学生は多いのに、
また、習熟度別クラスに反対で、同学年は成績に依らず一つの教室でした。それは父のポリシーだったと思います。
私は成績もよかったこともあり、たしかに学校の定期試験をなめていたこともありました。
歴史なんてただの暗記科目、子供の記憶力チェックをされているだけなので、
別にこれは日本の歴史じゃなくても、マイナーな外国の言葉のボキャブラリでもなんでも取り換え可能だ。
そのときは、明確に叱られました。歴史とは現在と地続きの人間の営みであって、
いまがどのようにつくられてきたのか、そして人間がこれまでどれほどの愚かなことをしてきたのか、
それを学ぶものだと。
私が、「いやいや、この似たような仏像の写真を並べて、名前を当てる問題なんて、ただの暗記&IQテストじゃん」
みたいなことを言った時に、いまはそう思えるかもしれないけど、いつかその違いを楽しめるようになる時が来る。
そういうのが教養なんだと教えてくれました。当時はただの屁理屈だと思いましたが、
今思えば、父の言葉は真実でした。橋本治のひらがな日本美術史は私の好きな本の一つです。
もちろん父を神格化していたわけではなく、はっきり言ってしまえば、
自分は普通の家の子どもに生まれたかったと反抗期には何度も言っていました。
同級生が自分の父親を知っている、同級生が自分の家にお金を払っている。
この居心地の悪さは、自営業の子にしかわからない感情かもしれません。
(塾は関係ないですが)
そういう感情もあり、作品中の一郎が教育業界と距離を置きたくなる気持ちがとてもわかります。
結果として、私は少なくとも現在は教育業界からは遠いところにいて、
(昔の)学校の教師が、塾の存在が、自分たちの仕事が不十分であると感じさせられるので敵視する一方、
作品中で吾郎が「塾の人間というものは、すべての子どもに等しく勉強を教えられていない現実に、
絶えずある種の鬱屈を抱いている、商売であることの限界が、喉に刺さった小骨のようにつきまとう」と語るように
大手を振って、すべての子どもたちに教育を無償で提供できる学校教員を、
ある意味で羨ましく思っていたところもあったのだろうなぁと思いました。
もう70になる父の語った賤業という自虐も、この辺りの感情が根っこにあるのではないかと思わされます。
最後の教育格差の問題へのアプローチも含めて、非常に良い作品でした。
二月の勝者も、作中で何度も匂わされているように、同じ問題意識があると思います。
父は、資源がない日本だからこそ、教育に力を入れるべきだと昔からずっと言っていました。
なんとも古臭い文言ですが、先進国トップの学力を誇った日本が、
いまや公教育がぐちゃぐちゃになり、そして富裕層・貧困層の教育格差が拡大し、
他の先進国から博士がいないとビジネスの場ですら、馬鹿にされている始末です。
教育の底上げもエリート層の教育もどちらもできていない現在の日本の教育ですが、
ニ度と言うつもりはありませんが…NYのWhitney Museum of American Artで、全米の大学院から近・現代美術研究のために毎年10人しか選ばれないHelena Rubinstein Fellowに選ばれた美術館史上、私は唯一の日本人です。少なくてもアメリカではあなたに同意する人はいないことを断言します。 https://t.co/bL6qETo03M— 『ヴァティカンの正体』筑摩新書/岩渕潤子 (@tawarayasotatsu) 2019年11月11日
そもそもヴァティカンのお方が反応していた、他の人が美術史云々の指摘をしている事に驚いたよ。
てっきり検索かけて、見つけたプロフで文化関係と書いているから、そっち方面の人間と思っていたよ。
こう思ったのは指摘している人と同じ感想で、それこそ美術関連の人間にしてはそっち方面の基礎知識が余りにもなさすぎるから。
近代以降所かそれ以前についても見ている限り、この方は理解していないと思う。
いや、だってアキバゲットーからのハンザ同盟とかポスター関係の発言なんて、確実に美術関連の歴史や知識すらこの人にはない事を露呈していたしねぇ…。
それに例のお仲間の現代芸術方面以外の美術芸術界隈の人間にどう考えても喧嘩を売っているとしか思えない発言ばかりしていたしね…。
しかし例のkutooのあのお方と言い、フェミ界隈はなんでこう言う濃いキャラしかいないんだろうね?
それとこの人達、初めにキモいから排除したいと言うお気持ちが先にあって、そこから変に理屈付けようと屁理屈ばかり捏ねて、その後ヒートアップして感情のみを吐き散らして、自滅しているパターンが余りにも多い様に思える。
この理路のバカバカしさ
そもそも、コラボで人を釣る企画であり、「自発性」を問題にするならコラボ自体がNGってことになる
ここについて、クリアファイルで釣るというコラボ行為を許容範囲とした場合
ポスター文言にイチャモンつける空々しさがお分かり頂けるだろうか
あのポスターは、広告効果として「コラボやってます」以上の価値を持たない
しらん人が見て不快になる事がある可能性が沢山の批判()から類推できるが
批判()してる人の何人が、知らずに献血に行って不快になったのだろう?
んで、バカが見つけて、アホが炎上させて、サルがいろんな屁理屈を並べだした
サルの中にはマチアソビで使われた「鬼滅の刃」のコラボポスターには女性への配慮があるとか抜かしてるが
Vol23で話をしてて、Vol22の竹咥えさせられた禰豆子のポスターを見てないんだと思うんだよな
その程度の後付の批判なんだよ
あの男は頭の天辺から足の爪先まで、自己中心的な話しかしていないんだ。
そりゃあ、「自分を変える」ハウツーなのだから筋は通っている。
俺だって自分の都合を優先させることはあるから全否定はできない。
だが現実問題、その他の諸々を甘く見積もったり、そもそも無視しようってのはキツくないか。
自分次第でどうにかなることなんて、多いようで少ないんだから。
それが多いと思っているならば、ほぼ「好きに、楽に生きよう」と言っているのと同じだぞ。
そんなことを肯定的な表現で、色とりどりに飾り付けるのは欺瞞な気がする。
「自信を持つのです。あなたたちの成功も失敗も、全てはあなたたちのものなのですから」
これも良いセリフのように感じるが、言い換えれば「お前らが成功しようが失敗しようが、こっちは知ったこっちゃない」ってことだ。
「『よく学び、よく遊べ』…… いいですか、『よく学び、よく遊べ』です。 声に出すことでより効果があります。『よく学び、よく遊べ』!」
同じことを三回続けて言いやがった。
こうしてセミナーは小一時間ほどで終了したが、実際はそれよりも長かった気がする。
セミナー終了後、会場に陳列された関連書籍やグッズの前に受講者がゾロゾロ集まっていた。
金欠の弟はそこに並びはしなかったものの、以前に買わされた本を返す気は完全になくなっているようだ。
「『よく学び、よく遊べ』!」
「どうだった、兄貴。意外と悪くなかったでしょ?」
「んー、俺にはあまりピンとこないなあ……」
良くなさそうなものもポジティブに捉え、些細なことは気にするなとエネルギッシュに語る。
「俺、将来は“ああいう感じ”になれたらいいなあ」
とうとう、こんなことまで言い出した。
我が弟ながらチョロすぎだろ。
「1冊の本と、1時間のセミナーだけで、そこまで決めてしまっていいのか?」
その時になって、俺はようやく弟に直接的な忠告をした。
上手く言えないが、強い危機感を覚えたんだ。
「“ああいう感じ”になりたいというが、あれは人格を無責任に矯正して、体よくモノを売りつけているだけだぞ。誇れるような仕事じゃあない」
だが漠然とした危機感のまま意見したところで、それはイチャモンにしかならない。
弟の自我にまで踏み込めない以上、瑣末なことを指摘して屁理屈を捏ねても納得するわけがなかった。
「兄貴の考える“誇れるような仕事”が何なのかは知らないけどさ、犯罪でもないのに他人の仕事をなじるのはどうかと思うよ。自分が理解出来ないもの、気に入らないからものを否定するのは“誇れる事”じゃあないだろ」
私は宇崎ちゃんの大きな胸を強調した構図はやはり性的な意味を含んでると感じるしそれを感じる人感じない人の目に触れる場に貼るポスターに起用するのはやっぱりおかしいと思う
そしてそれに反対をしている人達に対しては屁理屈を展開してるなぁって感じ
(胸を大きい人がエロな訳でもないし宇崎ちゃんを悪く言いたいわけじゃなく胸に視線を誘導させる構図じゃなくて1巻の絵の方が該当のポスターには適切じゃないかな)
この考えが「お気持ち」と言われてしまうのは性的の基準が定められていなく個人的基準で測っているから、ってことなんでしょうかね
18禁漫画とレーディングされてるものは性器の描写が基準となるみたいだけれこれを適用させると広告業界がめちゃくちゃになるのでは
個人基準って生きてきたまたは勉強してきた環境で上下ある物だけれどそこで培ってきたもので物事を判断するのはお気持ちなんじゃないかなってお気持ちです
なんで認知センサーとか意味不明なこというの?観測者による主観的なものではなく、宇宙の絶対的法則があるから数式は美しいんですよ。
「ツイフェミと同じでなければ女にあらず」というツイフェミノリが苦手な女性の意見
https://togetter.com/li/1427455
否。
流石にフェミと一般の女性を一緒にするのは一般の女性に対してとても失礼。
一般の女性はあそこまで予測能力や倫理観や常識が欠如している事はまずない。
一般の女性はフェミみたいに感情論だけで動く様な人達ではなく、もっと論理的な思考を持っているよ。
男女性別問わず、寧ろまともな人間であれば、あの手の意見には否定的な意見を持つのは当たり前。
今のフェミは所謂世間で言う所の声だけは大きいプロ市民の一形態に過ぎないからね。
そもそもフェミさん自体、以前に女性の90%は名誉男性とか言っているので気にしない方が良いよ。
https://togetter.com/li/1342645
それと名誉男性で調べたら、現代がフェミが言う所の名誉男性の意味と全然違う意味で名誉男性と使っているのが草。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55517
フェミさんは女性の笑顔は性の商品化とか言う屁理屈で、日弁連までご迷惑をかけた疑惑があるのか。
ツイフェミを警戒か?日本弁護士連合会、武井咲さん起用のサイトを一旦削除。別URLに再掲する
https://togetter.com/li/1427571
これをみたら、フェミが在特会化しているとか指摘されるのも納得。
最もフェミさんの場合、世界中で大暴れしすぎて、保守派が台頭するきっかけを生んでいるのだから、逆風が本格的に吹き始めたら、在特会なんて可愛く思える位には多分長期に渡り、叩きのめされる羽目になると思うが。
巨乳キャラをdisりつつ高身長男性キャラを好む女は本当に気持ち悪い
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20191107141551
特に元の欄での人気コメントではないんだけど2階まで伸びてたので見つけた。
巨乳キャラをdisってるんじゃなくて「おっぱいを女性から切り離して商品として提示するのやめろ」って言ってるだけだぞ。どんだけ認知が歪んでるんだ?そしてお前チビだろ? - hate_flagのコメント / はてなブックマーク
さすがに全体的にアレすぎなので
「増田が低身長というのは根拠のない妄想で、それこそ認知のゆがみでは」
「ていうかもろに身体的特徴をあげつらおうとしてない?大丈夫?」
とのツッコミが入っていた。
ツッコミを受けたhate_flag氏は落ち着くかと思いきや
hate_flag 身長が低いことに劣等感を覚えてるんだろ?気にすんな。「男は身長が高くないと価値がない」っていう歪んだ価値観も漫画から得ちゃってるだけなんだぜ。是正しよう
hate_flag氏のように差別発言をたしなめられて「劣等感を覚えてるから問題に感じる」「気にしなければよい」「お前の歪んだ価値観を直せ」で正当化出来るなら
・「カタ〇」と言って注意されたら「自分の体に劣等感を覚えてるんだろ?気にすんな。お前は漫画にその劣等感を植え付けられたんだよ。」
・「チョ〇」と言って注意されたら「韓国籍に劣等感を覚えてるんだろ?韓国を差別すんな。お前の歪んだ価値観を是正していこう。」
とかでも正しいことになってしまう。
hate_flag理論を使うならもはやどんな発言も表現もフリーとなり、
問題が生じるとすれば受け取る側の心の問題だと押し付けることが出来るようになる。
つまり、元々の話である胸のでかい絵や漫画もいよいよ何も問題なくなってしまうのでは。
hate_flag氏の仲間の中でもdenpa0604氏とquick_past氏しか☆をつけていない。
仲間といってもdenpa0604氏は発狂系左派の形態模写をする正気の人(何年もあの活動をしてる時点で大路理論でいけば狂人そのものだが)なので
quick_past氏は大真面目な左派なので、仲間の発言の不味さに気づけないぐらい偏っているだけであろう。
あなたは「やーいF欄卒」とか「貧乏家庭」のような下劣な罵倒を受けても
「自分が劣等感を持ってなければ問題ない」「腹が立つなら自分が低学歴や貧乏人を蔑視してるんだ」と言って飲み込むの?
仮にあなたが無理してそう言えるんだとしても、それを飲み込むのは違うと思うけど。
で結局、
hate_flag氏はどういうつもりでこんなぶっ飛んだ発言をしておられるのだろう。
「ひ、皮肉だから…」のような論理破綻した見苦しい言い訳以外の説明があれば聞いてみたい。
今回ははてなダイアリーを持っていないので匿名ダイアリーから書いた。
hate_flag氏・quick_past氏から反論や応戦があれば自分のidを名乗ってここで対等にお相手する。
まあそんな意気地はないだろうが。
denpa0604氏から応戦が来たらかなわないのでこっちが逃げる。
なお私の身長は184cmです。
hate_flag氏はまともぶろうとしてるけどカッとなって地金(人を攻撃するときに差別そのものの論理を使ってしまうような性格と知性)を出す人。
普段無理して反差別ぶろうとしている人の限界と失態だからこそ、私もこうやってわざわざ取り上げているのです。
もしもdenpa氏が同じ発言してても取り上げません。だってあの人の「反差別ぶってるけど差別的な気持ちをむき出しにする左派」の振る舞いはは全部わざとやってるだけから。
denpa氏の差別芸は同じことの繰り返しで閃きや知性は見られない(世間に既にあるもののコピーとカリカチュアなので)のに対し、nekora氏の差別芸はオリジナルな閃きやがふんだんに見られるオリジナルな差別の語彙です。
差別的であることは他の二人と一緒ですが、一番面白い差別です。あの人は頭が良かったと思います。
このように、差別野郎と一口に言っても中身や程度は様々です。この差を見分けられない人がいるのは私には驚きですが、ほとんどの人はわからないようです。
幽霊が普通の人には見えず写真や動画に映るのはなにか科学的な屁理屈あるんかな
幽霊について科学的アプローチをつかった掘り下げ方ってもうほとんど見ないけどインチキで終わっちゃったんだろうか
まだまだ面白そうなのに
家族が輸血による肝炎感染被害を受けたので、献血の広告に高い倫理性を求めたいと考えています
https://togetter.com/li/1426870
しかしこれ言った当人、言う前に暗にオタクの血は肝炎だって差別している発言になる事に気づかなかったのだろうか?
それに気づくくらいなら今までの献血ボイコットやアキバゲットー等も起きないだろうが。
はっきり言って変に屁理屈付けて余計に切れられるパターンだよね。
嫌いなら嫌い、キモイならキモいと言っている方がまだマシなパターン。
しかし幾ら家族とは言え、この手の被害者や弱者も持ち出して、規制に利用しようとするから、私はこいつらの事徹底的に嫌っているんだよ。
最近言う人が少なくなってきたよな
とりあえずヒロインがブスだったら成立しないメソッドを振り回してオタクの反応を楽しむ人達
アニメに関わらずヒロインがブスだと成り立たないことを暴き出すことに意味はあると思うんだよな俺は
ぶっちゃけ俺はけいおん!が大好きなんだけど唯ちゃんがブスだったら成り立たないよね
だからけいおん!は唯がブスだと成り立たない!って言われたら腹立つけどその通りなんだよね
だから何って話なんだけど、ヒロインがブスだと物語が成り立たないっていう事実に物語の消費者は自覚的であった方が良いような気はするんだよな
そもそも原作の要素を一部でも改変したらそれは二次創作なので原作が成立しなくなるのは自明なんだけど、このifブス論はそういう屁理屈的な理屈を超越して創作物に表れた見も蓋もない人類の本音を皮肉ったものだと思うんだよね
ルッキズムとか言われてるあれね
キリトくんだってイケメンだから許されてるわけだし夜神月だってイケメンじゃなかったら早々に詰んでたわけだからヒーローにもダークヒーローにもifブス論は当てはまる
でもどっちかっていうと男の場合は※イケメンの方が適してるかな
そういうのにもっと自覚的だったら俺は中学生の時に一方通行の真似してブラックの缶コーヒー爆買いしたりⅩⅢ機関の真似をして黒フード着込んで黄昏時に裏山で黄昏たりした黒歴史を残さずにすんだと思うんだよなぁ
昭和天皇の写真を燃やした作品について左翼はヘイトではないとか不敬ではないとか適当な屁理屈を並べ立ててこれを擁護した。
そういった写真を映像であれ何であれ繰り返し行うことは、その対象に敬意がないばかりか、感情を持たないからこそできることだ。
例えば包丁を持った人間が誰かを刺し殺そうとしているとしよう。
まともな人間であれば殺意があったとして踏みとどまる善良な心があるものである。一線を越えてしまうというのは心がある故に歯止めがかからなかったからこそ意味を持つのである。
これが左翼であれば一線というものはない。良心の呵責に苛まれることなく淡々と人を刺し、悪意や罪の意識なく対象を殺したと認識するまで包丁で刺し続けるだろう。
よくよく考えてみればああいった人間と対話をして分かり合おうという発想そのものが誤りだったのかもしれない。彼らの言う対話とは一方的且つ上からの教育ないし指導ないし説法を言うのであり相互理解とは無縁のものだ。ただひとつの正解があり、教育や指導をすれば必ず正解に導かれる、悪(とみなしたもの)も改心する、そういう洗脳を対話とするわけだ。知恵者は弁舌で相手をマウントする。マウントされたものはそれに従う。なるほどトップダウンである。余談だがYoutuberのヒカルはそういう素質がある。頭角を現すに足る能力だろう。
かつては原爆が広島長崎に落とされ、多くの同胞が命を落とした。記録映像は言うまでもない凄惨なものであり、見るものに強い拒否感を齎すものだ。児童が見たくない、親が見せたくないというのも頷ける。それは我々には心があるからであり、心があるからこその反応だ。
同じことは東日本大震災にも言える。東日本を襲った津波は世界中の人々を悲しませた。当時の映像は311が近づくに連れレコメンドに現れる。その動画を見るものは恐怖を覚えるだろう。少なくとも、その神の怒りとも喩えうる現象を間近で感じた我々にとっては、思い出すために忘れたいというほどのものだったはずだ。
首里城が燃え落ちたことで多くの沖縄県民は依って立つ土台を改めて奪われたのであり、その悲しみは本土人の私には理解の及ばぬ深さであるはず。また建て直そうなどと軽々薄々なことは言えない。建て直したところでそこにあるのはかつての首里城ではないのだ。少し話を逸らすが、本土では全く流通しない2000円札を森喜朗が余計なことをしたとか言う人をたまに見るが、あれほど沖縄県民に無理解な意見もないよなと思う。沖縄県で多く流通している2000円札、しかし本土では出回らないそれを便益だけで説明できるとは思わない。そこの温度差は常に意識しなければならない。
さてその首里城が火災に遭ったことで、多くの左翼が悲しみを表明している。表現の自由戦士もだ。しかしは私は疑問に思うのだ。コイツらは悲しみを表明する資格が果たしてあるのだろうか、と。
「たかが再建したレプリカじゃん」「燃えてはじめて完成するアートってあるよね。映像に映っている人たちの悲しみはまさにアートに突き動かされた人の気持ちそのものだよ」とか思っているのではないだろうか。私には彼らの模範生じみた意見を見るたび「内心そうは思っていないだろホラ吹き」と思ってしまうのである。
だからこそ問いたい。お前らは本当に悲しい気持ちになっているのか?
心あるならば意見を表明してみろ。
主体性と客体化について。
https://anond.hatelabo.jp/20191031141650 の補記の続き
- id:ultimateblue 自分の店の看板しょって下着広告出してる下着屋と献血の看板しょってトロ顔乳袋女広告出してる赤十字は全然違う話なのになんか無理やり共通化して黒塗りに持っていこうとしてない?この章だけなんか変
- id:peta0227 ポスターと下着で矛盾するの、主体露出はOKで客体消費はNGの文脈が今回は不適当なケースだからだと思う。ポスターのテーマが「公共で客観的にどう映るか」なら「下着は主体だからOK」はハイコンテキストで不適当かと。
- id:kutabirehateko 下着の広告は消費者たる女性をターゲットに作られており、着用する女性を性的に消費することを煽るためのものではない。男は下着姿の女性や女性用下着を性的に消費するものと公言してはばからない世の中がおかしい。
- id:kumaponta 主体と客体なんて委託でも入れたら途端に不明確になる。判断基準としては合理性に乏しいものだと思うな。主観的な基準はいくらでも騙せるものだよ。明確な客観的基準こそ合理的だと思うよ。
- id:junglejungle 女性下着が本当に主体的なのかかどうか。勝負下着という言葉もあり、男性の性的喚起を目的としている要素もある。かわいい下着を着るべきというジェンダー観の押し付けもある。と、こういう屁理屈もつけられる。
主体性と客体化に関する言及が多く見られた。この観点は重要なのではあるが、正直に告白すると、複雑すぎて細かい議論から逃げてしまった。
たとえば、以下のような2つのケースは、比較的論じるのが簡単である。
前者は「女性の客体化」であり、認められない表現だという人もいるであろう。今回の宇崎ちゃんのポスターは、ポスター批判派にとってはこれにあたる(露出度ではなく、乳袋だが)。
後者は「主体的」な露出であり、前者を認めない人も、こちらを認めるケースが多いであろう。下着広告の大半はこれにあたる。
では、以下のケースはどうであろうか。
これは言い換えると「主体的な客体化」であるが、このケースはどう判断されるのだろうか。
さらに次のケースはどうだろうか。
段々と即答が難しくなってくる。次の例はどうだろうか。
これはコメントでも多く言及されていたが、女性誌の一部などで発生しているケースである。宇崎ちゃんが認められない場合、男女を入れ替えただけのこのケースも認められるべきではないように思われる。
次のケースはどうだろうか。
ここでいう団体は、具体的には赤十字である。赤十字には、恐らく女性を客体化する意思は存在していなかった。今回のケースでは、たまたまコラボレーションをした作品に、女性を客体化した要素が含まれていたことになる。もう少し正確に表現するならば以下だろうか。
このケースからは、なんとなくまずそうな雰囲気が漂っている。情報によると、セーラームーンはこのパターンらしい(anod:20181007164838)。セーラームーンの露出度の高い服装が、男性編集者による女性の客体化に由来しているという文脈を考慮するのであれば、セーラームーンは全面的に認められなくなるかもしれない。セーラームーンは認められると考えている方は、どう判断するだろうか。キズナアイも、もしかするとこのケースに入るという人もいるかもしれない。
このケースを、少しいじってみよう。
セーラームーンが認められやすい理由は、セーラームーンのキャラクターたちにはっきりとした自己が見られるから、という説は一定の説得力がある。似たような例といて、次のケースはどうだろうか。
ナミや峰不二子はこのケースだろうか。自己がはっきりとしていると、多少の露出度の高さは認められる傾向があるように思われる。あるいは、露出度の高さは、「貞淑であるべし」というジェンダーロールからの開放と見なされることすら有り得る。ここで興味深いのは、これらのケースでは依然として、男性による女性の客体化がベースにあるということだ。
このケースの考察は、個人的には、非常にクリティカルであると考えている。もし、ナミや峰不二子、あるいはセーラームーンが認められるとすると、「客体化」や「主体性」は、実は判断基準としては重要ではないという可能性が出てくることになる。むしろ重要なのは、「自己をはっきりと持つキャラクター」と表現の外形であり、言い換えれば「異性に媚びてない」見た目であれば、その誕生経緯はどうであろうと、問題ないという判断になりえる。
「宇崎ちゃんは嫌だが、セーラームーンは許せる」という人は、「宇崎ちゃんは異性に媚びているが、セーラームーンは異性に媚びていないようにみえる」からという心理が理由かもしれない(もちろん、違うかもしれない)。これが正しい仮説だとすると、表現の是非の判断が、外形が許せるか許せないか、という問題に帰着してしまう。さらに、an・anの表紙にも違和感を覚えない人であれば、「同性が異性に媚びている表現は嫌だ」という結論になる可能性がある。
私自身は、このような表現の判断基準の持ち方は、どちらにしても問題ないと考えている。なんらかの経緯により、このような判断基準に至ったとしても、それは個人の自由である。一方で、客体化あるいは主体性が表現の是非に影響を及ぼすという観点の妥当性は、必ずしも明白ではない、とも考える必要があるのではないだろうか。
いずれにせよ、表現の誕生経緯を勘案することは非常に難しい。セーラームーンの例にしても、男性編集者の存在など、そもそも知らなかった人も多いだろう。これはつまり、外形のみでセーラームーンの表現の是非を勝手に判断していた人が、それなりに存在しているということだ。私自身は、このような理由もあり、客体化あるいは主体性といった要素を表現の是非に持ち込むことには慎重になるべきだと考えている。
もし、何らかの理由で客体化に触れたい場合は、例えば「過剰に異性に媚びた表現は、性的搾取やセクハラの助長につながるのでNG」といったように、むしろ外形をベースとした基準にしてしまったほうが、理解も得られやすいし、運用が楽なのではないだろうか(もちろん、「過度に」とはどの程度か、とか、「異性に媚びた表現」が果たして本当に性的搾取やセクハラの助長につながるかどうか、「異性に媚びることは悪いのか」などの別の議論は必要である)。
https://www.asahi.com/articles/ASMBV559JMBVUTIL00Z.html
日赤これで折れたら、普通にオタクから総スカン食らうと思うがね。
ただコミケとの関係見たら、赤十字の内部でも現場と喋る机とはまた意見の剥離があるのかもしれないね。
今回に関しては、オタク等は普通に辞めさせない為&フェミに対抗するために献血とか総出で頑張っていたのにな。
もしこの事で、意見をするならば、その辺の指摘をしておいた方が良いと思うよ。
そりゃ足りないはずだわ。
今回に関してはフェミが表現狩りに没頭する余り、いつも盾に使っていた女性の権利や倫理や道徳を投げ捨てて、屁理屈をつけて、必死に噛みついて、献血と言う事業自体の妨害や挙句の果てに巨乳の人やオタクに対しての人権侵害まで行い出し始めている構図そのものだからな。
どこのブラボだよ。
本当にフェミなんざ献血にも行かない癖に文句だけはつけて、あらゆる嫌がらせで、やめさせようとしてくるのだから本当に性質が悪いよ。
オタクは当時からコミケの件で有名な位には献血には貢献しているのにな。
これに関しては特に命に係わる事だから、下手に長引かせて妨害したからこそ、逆に世間はオタクに限らず、フェミに対して大反発された事態を招いたって所なのにな。
もし奴等の目論見通り、表現規制がなされて、そのせいで輸血が足りなくなったら、フェミの招いた事態になるんだけどな。
ポスターなんて問題視しているのはそれこそマスメディアとフェミくらいで、今回に関しては余りにもフェミの行動が異常すぎるから、世間は大方フェミの方を問題視しているぜ?
そのマスメディアの日テレのスッキリですら、タレントは呆れていたじゃないか。
それともう、このポスターの問題なんてもう生易しいもので、今やあいトリ委員会にもおられたあの方の巨乳は奇形発言から、実在女性差別や秋葉原ゲットー騒動にまで発展しているからな。
世間はもうこの件に食傷気味なのに今だフェミがこの件で必死だから余計にうざがられているんだよ。
何にせよ、どうせこれも朝日補正かかっている偏った記事だとは思うけどね。
文春にしろ、弁護士ドットコムにしろ、本当にこの件に関しては余りにフェミ側有利に偏りすぎた酷い記事ばかりが、世の中に出続けているからな。
一番マシだったのが、吉峯耕平弁護士の意見も載せた、夕刊フジって、もう大概だと思うよ。
新聞社や出版はどうせ世間なんて無知だから、世論操作すれば余裕程度に思っているのだろうけど、余りこう言う行為していたら、自身の情報の世間からの今後の信用性にも関わる事だと言う事は意識した方が、良いと思うけどね。
2ちゃんだったかブログだったか、はたまたまとめだったか一人暮らしのライフハックを探していて「NHKの撃退法」を見かけた。
そこには、いかにNHKが腐敗しているか公平じゃないか、中立じゃないか、横柄かがたくさん書かれており、若さ故間に受けてとても憤りを覚えた。
「クソだ!終わっている!」「こんなクソに金を払うなんて!」「潰れればいいのに!」
そう思ってテンプレにあるいくつかの撃退方で訪問員を撃退していった。
時には狂人を演じたり、時にはああいえばこういうで屁理屈こねて倫理武装した気になった。
時には集金人のおじさんを諭そうとしたことさえあった。
録音するぞ、録画するぞ警察呼ぶぞと凄んだこともある。
一通りやりつくして気づいたのは「この熱量でこの人たちと対峙しても本丸はかわらない」
いつしか手軽に「テレビないんで」か「お引き取りください」の一言で終わらすことにした。
それでも芯の部分は確実に強いものだった。
配偶者にも同じ価値観でいてもらいたかったので説明して、理解してもらって憤怒してくれて同じ気持ちで我が家は訪問員 断固反対になった。
うちはわけあって実家や家族の支援を受けれない妻と夫の2オペ育児だ。
実際は一人は平日日中フルタイムで仕事にでているので1.5のリソースになる。
「日中一人で子育てをしている時に響くピンポン」この出来事は子育てを経験している者ならどれほどのストレスか共感したくれるだろう。
せっかく寝かしつけたところでチャイムが鳴ったら最悪なもので、なのでチャイムは消していた。
ところがその日はチャイムで出ないことがわかるとアイツはあろうことかドアをドンドンと直接叩いて叫んできた。
柴2「キャンキャン!!(恐怖)」
猫1「ワオーーー(通知)」
その大合唱を聞いた赤子は当然
「ギャーーーーーーー!!!」
その出来事にパニックになってしまってとっさに玄関口に出てしまったら最後、
訪問員はチャンスとばかりに全回答YESになるような巧みな営業トークで畳みかけてきた。
後ろで大騒ぎするワンニャンズと、ドアを殴られたことに理解が追いつかない、YESの積み重ねでうっかり契約しますか?に回答してしまいそう
パニックと恐怖で「家主がいないので」と言ってドアを閉めるのが精一杯だった。
アイツは恐怖を植え付けきた
自宅を知られている
犬猫赤子がいることも知られている
そもそもご近所さんで払っていないのはうちだけじゃないだろうか
払わないことが少数派で異端なんじゃないだろうか
そして細く弱くなった心はとても簡単に音も立てずに折れた。
配偶者に出来事と心境を話したら、「きっとこの先おかあさんと一緒をみるしいいタイミングなのかな」ということだった。
こうして環境と事象とが重なっただけでいとも簡単に信念が折れてしまった。
本当に無様でみっともなくてダサいし恥ずかしい。
今でも納得していないことはクソ多いし、ぶっ壊してほしいと思っている。