はてなキーワード: 共倒れとは
むしろ別れて近辺に身寄りなしで倒れたほうが彼氏は実家に帰るかもしれないから、別れたほうが彼のためにもなるかも
あなたが家事とかフォローできてしまうから更に頑張れてしまう側面もあると思う
未練があるんだろうけども、体力的にも支えれる自信がないなら身を引くのも愛情だと思うよ
共倒れしてもなんにもなんないし
最初のうちはかなり楽しかったけど、最近はかなり限界がきている。
多分その原因の一つが、同棲している彼氏がかなりの激務だということ。そして私自身も働いているということ。
ひとそれぞれ激務の種類は違うため、読んでいる人の中には「こんなん激務でもなんでもない」と思う人もいるかもしれないけど、体力がない私にしてみればかなりの激務のように思える。
そんな彼氏の最近の勤務生活はというと、朝6時頃起床し7時には出かけ、そして夜23時ころまで帰ってこない。(約15時間勤務?)
もちろんそんなんでは帰ってきても深い話はできず、30分くらい話してお互い就寝。
土日出勤も多く、平日は出張でそもそも家に帰ってこないことも多いため、同棲しているのかしていないのか分からないことも多い。
30分話す内容はだいたい彼氏の仕事の愚痴で、私も仕事でつらいことがあってもなかなか切り出すことができない。
彼氏のほうが確実に忙しいし、愚痴を聞いてくれる余裕がないように思えるためだ。
他の話もしたいのだが、本当に時間がない。
家事ももちろんほぼ私任せ。専業主婦ではないため、私もクタクタ。(もちろん家事は無給だし疲労ばかり募っていく)
今の時代では専業主婦になるという選択はかなりリスキーであるし、生きていくにはお金が不可欠でどうしようもない。
でも、私が家事をやるしかない。時間がないという物理的原因があるため、彼氏には家事を任せられない。
同棲を始めてまもないころはここまで激務ではなかった。ただ、今年6月を過ぎたあたりからどんどん激務になりはじめ、夏には彼氏が過労で中期入院した。
入院後にはさすがに退職か転職することを勧めたが、聞く耳を持ってくれず、結果上に書いたように激務な生活が続いている。
私は彼のことを好きなため、別れるという選択肢をとれない。多分別れたほうがお互いのためになると思うのだが、私自身別に彼氏に特別嫌気がさしているわけではない。
ただ、この生活がいつまで続くのかわからない。彼氏に結婚の意志があるかもわからず、いよいよ私がただの家事ロボットのような立ち位置になってきたと感じる。
「日本人は過労気味である」というのはもはや世界共通の認識のようになっているが、だから結婚の比率が落ち、少子化に繋がっているのだと思う。
お互いがお互いのサポートで精一杯で、育児にまで手が回らない。第一子を授けても、第二子までの余裕がないのだろう。
最初は「(いつになるか分からないが)本気で彼と結婚したいから同棲をしよう」という意気込みで同棲を始めた。
が、今はただただ激務の彼氏のサポートに徹している。結婚の話も出ず、30分ほどしか家にいない彼を見て、ほとんど別居状態だなと思うようになってきた。
このことを母に相談したが、「相手は変えられないということを心に刻んでおいた方がよい」という言葉をもらった。
さすがに結婚生活30年の母の言葉は重いなと感じたが、このまま激務が続いたらどうなってしまうのだろう。
また彼氏が過労で入院し、それでも会社にこき使われ続けるのだろうか。
私も生活のために仕事と家事を両立していかないとならないのか。彼氏が私のサポートをしてくれる日は来るのだろうか。
とにかく毎日がしんどい。逃げ出したいとよく思うが、未来が見えない。
日本のブラック企業は、確実に家庭を壊している。そして、そんな企業で働いている人もまた被害者だが、サポートしている方も被害者になっているということをよく理解してほしい。
男は仕事、女は家事という時代はもう終わったと言われているが、実際問題理想論でしかない。
お互いが同じ量の家事ができればよいが、それもまた理想論でしかないと感じている。
とにかく未来が見えない。ブラック企業・激務は家庭を壊していく。
激務がまた来年一年間続くのだろうか。途中で共倒れしないよう祈るしかない。
共働きで彼氏・旦那が激務な人はどのように乗り切っているのだろうか。
私がもっとしっかりしなければいけないのか。疲れ果ててしまった。
時間がないと、先のことをこんなにも考えられないとは…。今はとにかく時間がほしい。二人ともゆっくりできる時間。
自分は鬱とかの精神病患者(そこそこ長く、今後も続く)。なので精神病を抱えて生きるのがしんどいのは分かる。
奥さんが暴れたり泣いたり伏せったりする姿をご主人は耐えていかなきゃいけないと考えてらっしゃるかも知れない。
ご主人が奥さんに譲歩しすぎ、ご主人のストレスが蓄積して共倒れになる可能性を危惧する。
奥さんが「買い物依存症」なのかどうかをまず見極めなきゃいけないと思う。
例えオタクだろうが、金銭管理に野放図になるのもどうだろうか?
自分も本やアニメ、フィギュアが好きだけれど、お小遣いの範囲でというのを守ってる(そうしなきゃ生活出来ない)。
かわいそうだけれど、最悪、奥さんのクレジットカードなり没収も想定しなくては。
大きめのダンボール箱に入れた分、これを「今週中に判別しようか」とアバウトに決めておく。
判別は一緒に。ただ、口出しせず見守り、ある程度終わったら「がんばったね」「よくやったね」と沢山ほめる。
認められたい気持ち、ほめられたい気持ち、だが、自分の矮小さを強く意識しそれが出来ない事もある。
奥さんの両手をとって、「ありがとう」「がんばったね」とほめてあげてほしい。
例え家族で暮らしていても、孤独感にさいなまれている精神病患者さんはいるから。
干渉せず、だが、見守るというのは難しい。
寝込んでしまう姿を見たくないから、好きなままにしてしまうという気持ちもわからないでもない。
しかし、家族として今後も暮らしたいのであれば、ほんのわずかでも、互いが気持ち良く暮らせる事が大事なのではと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20181104065044
オタクを潰したい人はフェミ以外にもたくさんいるので、後押ししてくれるだろう。
ただ、その選択をした場合、狡兎死して走狗烹らるの展開しか見えない。
オタクごときのためにフェミニズムの大義を捨てるというならそれもいいんじゃね?
俺はもうほとんど脱オタしてるからオタク潰されてもそれほど痛くないし。
でも、最近のオタクたたきに特化しすぎてただのヒスババアにしか見えなくなったフェミニズムって
最近、オタク叩かないと誰も相手にしてくれないけど、オタク潰れたら存在意義失うから
お前ら自分たちが男の管理から逃れようと戦ってきたくせにそういうことするのかとうんざりしてるわ。いじめられっ子の復讐かよ。だせえ。
いいからさっさとすべてのオタク すべてのオタク的コンテンツ すべての二次元を消し そして わたしも消えよう 永遠に!! な展開はよ。
フェミ側の問題点はもう大体指摘されてるからいいとして、こっちからするとオタク連中には子供の目に"すぐに"目につくものはお行儀よくを徹底してほしんだよな。
親からすりゃあ、子供本人が興味をもって自分で超えちゃいけないラインを超えてエロ本漁り出したっつーなら、それは黙殺するよ。本人が自分の意志で選んでるわけだからな。だけど、本人が意図してないで見せられる可能性が高いっつーなら話は別だよ。
これが普通だよ。R-15、18なんてラインが出来て、それが今日まで支持されてる以上、これが普通じゃないなんて言わせねーぞ。
既存のルールをぶち壊す側が根拠を出せよ。悪影響は存在しないか無視できるほど軽微って根拠をさ。そんなもんあるのかしらんけど。それが出ねえ限りは味方なんざしねえよ。
そういう意味じゃあ、どちらかというとフェミ寄りの立場なんだけど、日本のフェミ連中って頭おかしいから協力したくねえんだよな。
性的消費とかもはやギャグだよな。自分の都合で架空の人格に人権を考え出すとか(笑)これが大義名分になるうと思ってんならいかれてんぜ。
あんな連中に、自分たちがガンガンがなり立てれば世界が変わる経験なんてさせたくねえし。
フェミは表現の自由を自分たちが嫌いな作風を抹殺する権利だと勘違いしてるって点はオタク連中に全面的に同意するぜ。
地雷原に突っ込んでタップダンス踊るアホとアホの討伐を大義名分に自分たちの思想を広げたいバカの戦いだろ?
どっちが勝ってもまともなことにならねえし。共倒れしてくれねえかな。
>>猛勉強して通信制高校卒業したほうが良いと思う。
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僕もその認識です。だけど、学費が工面できないんです。在学中はなんとか卒業しようとしていて、そのせいで奨学金みたいなものを使い切っちゃったし、親が(というか親父)騙されて借金抱えていて、それが二千万円以上あるんですよ。おかげで、家差し押さえられるは、競売にかけられるは、その間も住み続けているわで大変だったんです。
そういうこともあって、まずお金。だから、雇ってほしいとあの日記を書いたんです。
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>>親は疲弊しているだろうが、親のうち1人でも病気になったら、息子が家計の助け程度しか稼げないと、5年後~10年後は共倒れして遅かれ早かれ生活保護になる。
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これも焦ってる原因です。両親ふたりとも60代なんですよね……。結婚するのが遅かった。もうすぐ年金もらえるから、借金返すの楽になるね、とかそんなたわごとでるレベルです。
親のスネがかじれるうちになんとかしろ。
親は疲弊しているだろうが、親のうち1人でも病気になったら、息子が家計の助け程度しか稼げないと、5年後~10年後は共倒れして遅かれ早かれ生活保護になる。
それなら、eラーニングが充実してる学校を探して、10年後は完全に独立&親を助けて生きていけるという目標をたてた方がいいよ。
今更勉強とか思うかもしれないけど、中卒というのは一生ハードルになる。
仕事は、SEとかなら在宅でも経験積めばしっかり稼げると思う。
翻訳とかも良い。
やはりある程度は学力というか学習に耐えられる忍耐力は必要だよ。
明日がプレミアムフライデーかと思うと落ち着かない。ようやくここまでたどり着いた。人類の歴史は普通選挙の歴史と言われるが、明日からはプレミアムフライデーの歴史という概念が加わるだろう。父の無念を思う。父はプレミアムウェンズデーに殺された。
378回目のプレミアムウェンズデーのその日、プレミアムフライデー推進委員会の委員長であった父はプレミアムウェンズデー撲滅運動の渦中にいた。「プレミアムウェンズデーに意味なんてない、プレミアムフライデーにしろ」というのがその主張であった。理由は知らない。とにかく父は「プレミアムフライデー」という造語を愛し、それ故最大の抵抗勢力「プレミアムウェンズデー」を憎んだ。
街は戦場と化した。飛び交うジャガイモ、玉ねぎ、人参、鯖、海老。プレミアムフライデー派は劣勢であり、命の危険さえあった。ここで死に至ればカレーの具にでもされてしまう。そんな折、プレミアムサタデーから声を掛けられた。「我々と組まないか?」
「どんなメリットがある?」
「いいか、我々プレミアムサタデーはもはや壊滅の危機だ。プレミアムサンデーが真っ先にやられたことを思えば当然だろう。民意を得られないんだ」
「何が言いたい?」
「プレミアムフライデーは次の日がサタデーであることを前提にした主張。そうだろ? プレミアムサタデーがやられたら君たちの後ろ盾はなくなる。せいぜいプレミアムサーズデイと共倒れってとこだろうな。そこで我々が組む。相乗効果だ。毎月最終金曜日だなんて馬鹿げた主張を終わりにして、毎週にしたっていい。プレミアムウェンズデーの奴らにそんな真似はできないだろうな。何しろ奴らは週の真ん中。諸刃の剣なんだよ」
こうしてプレミアムフライデーはプレミアムサタデーと組んだ。我々に脅威を感じたのかプレミアムウェンズデーの矛先はプレミアムマンデーとプレミアムチューズデーに向かい、あっという間に二陣は壊滅した。後はプレミアムウェンズデーとの一騎打ち、と思っていたところ、父は殺された。プレミアムウェンズデーに。プレミアムサタデーが寝返ったのだ。
プレミアムウェンズデーはプレミアムサタデーと秘密裏に交渉を進めた。「プレミアムサンデーがエピタフに刻まれている今、本当にすべきことは我々が組むことだ」
「断る。我々はプレミアムフライデーと共闘している」
「良く考えるんだ。君はサタデーの本質を理解しているのか? アイデンティティはあるのか? 君は自分がサンデーだとでも勘違いしているんじゃないのか? 本当のことを教えてやろう、お前はただのバッファなんだ。プレミアムフライデーが実現したらどうなる? フライデーがプレミアムだった分、バッファとしてのサタデーにツケが回ってくるのは自明。そうじゃないか? だったら君がすべきことは唯一つ。プレミアムウェンズデーと手を組むことだ。君たちの共闘が破綻することは目に見えている。プレミアムフライデーに都合良く使われるだけだ」
「そんな」
「我々はそんなことはしない。地政学上、君たちに直接干渉することは不可能だ。だからこそできることがある。我々は君をバッファとして見てはいない。正式な休日とすることを画策していこうと思っている。これは豊富な経験と資金力があるプレミアムウェンズデーだからこそ実現できることだ。今プレミアムサタデーが実現すればどうなる? 我々の協力で2日間の仕事の後にまた休めるんだよ。それに加え、サンデー、ウェンズデー、サタデーとが等間隔に配置され平和が訪れる。もう無駄な争いはやめよう。我々と手を組むんだ。いいね?」
私は父の無念を晴らすため、あらゆる手段を講じて政界へと進出した。そして、長い時間をかけてプレミアムウェンズデー及びプレミアムサタデー派を排除していった。目的を遂行するためなら残酷にもなれた。私は遂にプレミアム制定大臣にまで上り詰め、プレミアムフライデーを制定することを宣言した。その時既に私はプレミアムフライデー派閥の権力も掌握していたので、受け入れられるのは容易であった。国民の殆どはプレミアムウェンズデーでもプレミアムフライデーでもどっちでもいいという態度であった。
遂に夢が叶う。父さん、仇を討ったよ。そして信念を実現できる。明日は素晴らしきプレミアムフライデーだ。「おーい、ワインを持ってきてくれ」と曜子を呼ぶ。私の愛人だ。今夜くらいプレミアムしたっていいだろ?
摩天楼を眺めながら曜子と乾杯をする。ワインを口にする。私は倒れる。曜子が私を見下している。
「気分はどう? 明日はプレミアムフライデーなんですってね? おめでとう。でも私はそんなものは認めない。これは父の復讐よ。プレミアムサンデーを知っているかしら? あなたの父はプレミアムサタデーと組むためにプレミアムサンデーを殺したのよ。あら、知らなかったの? 可哀想。だけど仇は仇よ。あと1分くらいの命かしら。せいぜい一人でプレミアムな夜を過ごしなさい。あなたが待ち焦がれたフライデーは来ないけどね。さよなら」
これ「https://note.mu/amakara_no_tare/n/na4eb53fb6768」を受けて書きたいと思ったこと記事。
自分は今回に関してはテレビ局に慎重に取り扱ってほしい旨をメールで送った、ドラマ実写化に関してのみ規制賛成派。
該当作品はツイッター投稿をリアルタイムで見てて、その後ピクシブのぶんだけ読んだ。
ここまで前提。
■幸色のワンルームは少女にとって魅力的なのは「性」の扱い方にもあるんじゃないか
■クロスメディア展開がへたくそなのと制作側が色々甘く見てそうで怖い
■実写ドラマ反対したい理由は色々だけど、私個人に関しては”自分のため”だったと思う
の3本です。長い。一番最後に3行でまとめたから忙しい人はそれ読んでくれたら嬉しい。
幸色のワンルームは単なる誘拐の話ではなく、ただの男女の逃避行でもなく、
・理不尽にただ蹲って耐えるしかなかった少女が守るべきもの(=居たいと思える居場所、人)をはじめて得て戦うことで少女から大人へと羽化する話であり、
・リアルの男女の性に絶望した読者に対して「男と女ではなく、大人と子供でもなく、ひとりとひとりの人間として関係性を結ぶ」という夢を与える物語。
と捉えることができる。できるんですよ。傍から見たら犯罪だけど。
(問題は誘拐ストーカー設定なくてもこれを描けたことだけど、その設定のおかげで(いろんな意味で)バズってるから うん…)
「男とか女とか性とか支配被支配とかラベルだけの話ではなく、ぜんぶひっくるめて、私という人間とあなたという人間の話であり、救いの話」というふうに見たとき、
正直、読み口としては2000年代の商業BLやブロマンスに近いなと私は思った。
実際幸色のワンルームの幸とお兄さんの関係は決して恋愛感情だけにはとどまらないという風に描かれています。
加害者と被害者であり、無自覚的な搾取する側とされる側であり、姫と従僕であり、ナウシカと王蟲の幼生であり、友情であり、慈愛や同情であり、恋愛感情もうっすらあり、依存であり、共闘関係であり、勘違いであり、共犯者であり、そして全てを肯定し合う関係である。
だから人気が出た。
恋も愛もべたべたラベルが付いてひと山いくらで売られていることを、十代の少女たちはとっくに気づいている。そんなふうに安っぽくない、けれど十代少女たちに門戸を開いているフィクション作品をもとめている。それがどれだけ過去の文学や映画や漫画でありふれてやりつくされてきたものだとしても、「いま」「ここ」で「私たちに対して」向けられている作品に惹かれて何がおかしいのだ。
またこれは重大なポイントだが、お兄さんは性のにおいがしない。
デフォルメされた世界で成人男性の記号をほとんど持たない、いってしまえば無性の存在。メンタル的にもそう。
その上、精神年齢は少女とほぼ変わらないため、罪の意識を持った姿は読者にはどこか可哀想にうつる。過去の傷があるらしく年下の幸が守らねばと思うほどいたいけでたよりない。幸に都合の悪いこともしない。
けど、男。
「そんなやついねえよ」だ。だからこれはファンタジーだし理想たりえる。リアルと切り離せる免罪符でもある。
ひと山いくらのラノベに出てくる都合のよいヒロインから性の匂いをひっぺがしたようなものだ。少女にとって男の性は不要なもの、というか幼いころから自分を脅かしてきたものでしかないから、無い方がいい。幸の安心できる居住空間を提供する為にも。
だから、ストーカー、誘拐犯の男、というショッキングでスキャンダラスな設定はあるものの、それは今やおにいさんと幸が法を犯したことをしても問題ないというハードル下げのための設定になり下がっており、基本「ある日突然(可愛くて自分が居ないと生きていけない(A))女の子が空から降ってきた」と同義なのだ。ぺらっぺらだが、それこそが求められている。「怖くないから」だ。
(A)には「やんごとない身分の」「血のつながらない妹/姉である」とか、あと「大量殺戮生体兵器の」とか「妖怪の」とか「暗殺者の」とか「殺人鬼の」とか「サイコパスの」とか入ったりする。よくあるやろ。そういうのを①男女逆にして②リアル現代の③クライムフィクションにチューニングすると
ついこないだあった事件にそっくりで笑えなくなる、みたいなの超あるあるなんすわ…
とはいえフィクションだし少女漫画だし、問題ねーじゃんと思うだろ?私も思う。お兄さんは捕まるか虐待親に突撃して共倒れして死んで美しい思い出になって欲しいけど(どうせやるなら徹底的に幸に都合よく退場して欲しい)。
ツイッターへの最初の投稿とか現実の事件に対してタイミングが最悪すぎる件に関してわざとかどうかはもう「関係ありません」で貫き通すだろうし実際分かんねえからいいわ…。マジでインスピレーションさえ受けてないとしてももう運が悪かったと思ってほしい。というか当時あれだけのトップニュースすらチェックしてなかったなら作者はうかつだし、チェックしてても特に何も考えず出したならそれはそれで大変アレなのでそれは怒られても仕方ないんじゃねーかと思う。
特に問題に思うのは、クロスメディアするとしたら慎重にやるべき題材だったということだ。
「先生!」「PとJK」の実写化の時も同じこと思ったけど(あれも「少女漫画なら素敵だがリアルに考えるとわりとやばい」案件)今回は格が違う。なんせ誘拐犯でストーカーだ。どれだけ気を使っても使いすぎるということは無いだろうに…と思う。
後ろめたさも、退廃的なことも、この作品の魅力と分かちがたく結びついている。伝え方を一つ間違えたら倫理観を疑われる作品なのは変わらないのだ。
このへんは制作側の、なかでもプロモーションの腕が必要な作品だろうなと思う。
たとえば、この作品がギリギリまで性のにおいを消臭できているのは、絵柄の影響が大きい。デフォルメが強く、リアルさは無いティーン向けの絵。虐めのシーンにも性的なものは見受けられず変態教師とのバトルでさえ匂わせる程度だ。
性も犯罪も、それが主題ではないのだと、なによりも絵が主張している。
また、この作品は家族で見てやいやい言いながら見るより、一人で集中して見たいものじゃないだろうか?ターゲットは現在テレビを良く見る層と被っているか?いないんじゃないか?ティーンの原作ファンがこの作品を見て語り合うなら、家族よりも、同性で趣味の合う友達とではないか?
だから、メディア展開を思い切り間違えてる気がしてならないのだ。
テレビでやるならアニメ作品にすべきだったと思う。その人気に火を付けた一端でもあるキャッチーな絵柄を生かし、フィクションであることを最大限利用すればよかった。あくまでこれは夢物語で、リアルとは違うのだとアピールすればよかった。それでも非難は受けただろうが実写化よりはましだったはずだ。「誤解されやすいけど本来こういう話ですよ」と12話でも24話でもかけてやればよかった。
実写化したいなら、この退廃的な作品は映画の方が合うだろうと思った。それに映画館でしか見れない、というフィルタリングは大きい。実写化することでどうしても露悪的に、生々しい匂いになる画面をテレビから無作為にまき散らすのではなく、納得して料金を払い席に着いた観客にだけ誠心誠意向き合う形をとれば良かった。観客を巻き込んで二人の世界に浸れる場所を作ればよかった。
広告展開で規制派の火に油を注ぐ可能性は大いにあっただろうが、中止よりはマシな結果になったんじゃないか。
なんで再現が難しい絵柄を実写で、なんでナイーブかつ視聴者を選ぶであろう題材を全国放送の誰でも見れる割にメインターゲットを逃しまくるであろうテレビで、やろうとしたのだろう。やはりコストの問題だろうか。
いや本が売れたらいいなと思ってたんだろうけど炎上商法やった割にリターンがアレ過ぎない?そうでもない?わからんけど
正直、ドラマ制作側も作者の方も編集部も、「現実にある犯罪を扱った現代劇である」という認識が甘すぎたのではないかと思う。
それも、未成年の被害者がいる事件を、「犯罪としてではなく救済として描く」というひねりを売りにした作品でだ。
「カリオストロの城」でも撮っている感覚だったのかもしれない。モニタの解像度低いわ。
もしくは、とてもリアルだと思ったから実写にしよう!と思ったのかもしれない。
そのリアルさは虚構で夢でしかなく、それでいてとてもありふれた現実だ。
だって、実際の誘拐や幼児への事案はひっきりなしに起こっていて(マジでひっきりなしに起こっている)。
ストーカーや誘拐犯の脳内で、自分は被害者と愛し合っていたという美しい物語が展開されているのは決して珍しくないのだから。
その恐ろしさを無視して、リアルに寄せる実写化をするのは賛成できなかった。
苦言を呈す派に対して作者からのコメントは「実際の事件とは切り離してみてください」これだけだ。たったこの一言で全て免罪されるなら表現の自由とはなんとも気楽で無責任なものではないですか。いや作品内で色々ファンタジー要素盛って免罪符切ってるしあれこれ言及するより作品に集中するのは良い手だと思うけど無責任だとは思うぞ。
だって「世の中いろんな人もいる」と、これが現実でもありえるかもね、とでも捉えられるコメントを付けて世に送り出したのは、他ならぬ作者自身なのだ。
ドラマにしても、女優に「実際にこういうこともあるかもと思う」というコメントを、編集もせず流してしまった。(これで規制派の使命感に火を付けたようなものだと思っている)。制作側止めろよ…
現代のクライムフィクション作品でこのコメントが出るときは「だから怖いなって思いました」くらいのことが続くはずが、「実際あったら素敵」と続いてしまうような。
作品そのものというよりもその周りの倫理観がガバガバなのだ。現実がガバガバ。
そうでなくても今現在、長年沈黙されてきたハリウッドやら世界的に女優の性的搾取の告発が起きてて転換期で、それでも搾取する側の擁護をやめない(「いや、でも女性側も望んでたんじゃないか」みたいなのワイドショーで沢山見ましたね!)、日本のテレビ業界をつい最近私たちは見せつけられているのだ。そもそもの信頼感が地に落ちている時に「地獄の真ん中で搾取されてるけど女の子はハッピーです」みたいな作品作ってもそりゃ倫理観が疑われるだろという話だ。
お兄さんと幸の間にある感情はとても純粋なもののように描かれる。
それは憂いを帯びて美しい。破滅に向かっているからだ。地獄の上にある安息だからだ。あかるい太陽ではなく、暗闇の中の星。
薄汚く、ふたりを虐めるものばかりの世界でここだけは綺麗であるように感じる。実際そうだからなのだろう。未来なんて考えたくもないし過去の事は忘れたい。いまここにある、おにいさんと幸のあいだにある、形容しがたいなにか、それだけが全ての世界でいたい。
この作品のメディア展開が一つ潰れることで、悲しく思うファンもいるだろうなと思う。恨まれるだろうなとも。
つーか私も十代の時に、リアルで起きた殺人事件(娘が父を鎌かなんかで…)をうけて「ひぐらしのなく頃に」のメインキャラが義父を鉈で殺す回の放送が見送られた時「いやリアルとの区別くらいついてますけども~~~~~????」って怒ってたよ。
でも今(アラサーだよ)、もし「新幹線で鉈をふるう殺人事件が起きたけど、犯人は実は悪い人ではなかった」みたいなフィクション作品がテレビで予定されてるとしたら…今の私は、「それは見送った方が良いのではないか」と思う。
大人になるにつれて、想像力は広がりだけではなくリアルさを増していった。経験と知識が増えたからだ。
「これのせいでちいさい子供や、少年少女が酷い目にあうかもしれない」と思うと、耐えられなくなってくる。大人になれば強くなると思っていたのに、陰惨なフィクションも年々見れなくなっている。それは、年を重ねた分現実に起きる陰惨な事件を、それに対する酷い言説を、これまで見過ぎて、現実を見過ぎて、どうしても思い出すから、なんだか嫌になっちゃうからだと思う。大人になるにつれて、後から生まれてくる子たちが傷つかない世界になればいいと、祈るようになってきたからだと思う。
フィクションなのに、現実で被害に遭って泣いていた子や、かつて嫌な思いをしたときの自分を、思い出す。被害者の絞り出す様な言葉や、それに向けられた酷い言葉の数々を、理不尽を、やたらと思い出して、想像してしまって、苦しいときがある。
子供の時はフィクション作品やメディアの力を舐めてたし、大人になればもっと区別がつくようになる、
なんならフィクションを見てリアルを思い出すなんてオタク失格だとすら思っていた。
でもそうじゃなかった。
倫理観スイッチ切って倫理観ゼロの作品を楽しむには、TPOがある程度大事だと知った。自分の家族を亡くした直後に、家族を殺す話を楽しく読めないように。
倫理観ゼロの作品は、倫理観ゼロの現実世界では楽しめないと分かった。楽しめるならそれは娯楽である以上に、麻酔や薬であり、治療なのかもしれないと思った。生きるための救済。
作品の影響力を舐めたらダメだと思った。面倒なオタクである自分は偶像やフィクションに命を救われてなんとか生きてきた。
ならば人の命を奪う作品が無いなどとどうして言えるのか。
だから今回の幸色のワンルームへの規制は、わたしは(あくまで私はな)、
これを見た「大人」がリアルに起きた事件や今までの経験のフラッシュバックに耐えきれなくて「やめろ、せめて少女漫画のカテゴリのなかにいてくれ。そうでないなら無作為にまき散らす前に対策してくれ無作為にまき散らされて何が起こるか分かってんだおれはくわしいんだ(※嫌なことを沢山思い出しながら)」
って言ったんだと思う。
そういう側面は大いにあると思ってる。
「それでも僕はやってない。」が公開された以降から痴漢被害者への二次加害が酷くなったって話聞いてワァーってなった。
そんな変遷を見てきたら「こういう作品が公開されたら、また…」というフラバもそりゃ起きるよと思った。
直前に現実の誘拐事件があり被害者バッシングを見てるんだから余計に「あれが、また…」ってなるよ。(だから本当にタイミングが悪すぎたんだよ…)
というかそれはダメだ。現実がこうだから配慮して作品自体消そうみたいなのは私が一番やりたくないことだった。だからゾーニングとフィルタリング推進派なんだけどさ。
そしてゾーニング・フィルタリングはメディアの差でも実施できると思う。その作品に触れるまでのハードルの差があると考えているから。テレビは特にハードルが低い。例えば映画館での上映や本屋で棚が分けられパッキングされた単行本等とはそれだけでも違う。同列に語れないと思う。
だからってガチガチにこの本は誰向け!この本はこの性別この年齢このカテゴリ!とかマジ誰もやりたくねーよ。なにそのディストピアだよ。
ネックは「現実の事件に対する二次加害が野放しなこと」だから、ここがマシになれば結果的に表現の自由も守られるんじゃねーかなと思うけどどうですかそのへん。
ほんとね現実クソだったよ。現実の誘拐事件おこす犯人もマジでクソだったし被害者に向ける目も相当クソ。二次加害を大量に見過ぎて本当にメンタル削れたし、なによりオタクのリアル事件に対する大喜利に慣れ過ぎて、被害者がいるっつーのに自分も一瞬「あっそんなひどいことされてなかったのかも?」とか思ってしまったのがめちゃくちゃ自己嫌悪で死にたくなった(自分ネットのアイドルと二次元オタクカルチャーに10数年どっぷりなんですよ)。「そんなわけねーだろ」と思った。被害者の苦しみをも加害者のやったことも軽視出来るもんじゃない。絶対。
この感覚のままでいるのはやばいと思った。でもこれは曲りなりにも女体持ちで嫌な思いも散々してきたから「そんなわけねーだろ」と思えた部分はあるだろうなってのもあるし、「そんなわけねー話」をいくらでも茶化せる人がいるのも知っていた。
誘拐もストーカーも盗撮も被害者叩きも遠い世界の人にとってはそれはファンタジーだろうしな。
でもファンタジーじゃねえんだよな。
私が生きていく現実に影響があるんなら、私は私のために戦わないといけないと思ったんだよ。
嗚呼この世に寿命の移転システムがないことを本当に恨めしく思う
日々要介護の病状が悪化していく親と、介護離職で貧困の中その世話に勤しむ中年の未婚の子
いよいよ救いがたくなり、このままだと親子共倒れは避けられない境遇であるならば、
親御さんに安息をもたらし、せめてお子さんだけでも寿命の移転を経て再起させてあげることができるようになればいいのに
これは姥捨て山の発想ではなく、年齢だけを基準にする必要はない
たとえばクライシスの世代の中で、望むような結婚も就職もできず、ボロボロで疲れ果てた人には、希望があれば永遠の休息を与えるのもやむなしと思う
一方の高齢者の中には、例えば作家や漫画家、研究者など、創作意欲の炎を燃やし続けるも、ただ肉体のみが物理的に朽ち果てようとする人がいる
先日結婚し、夫になった人と同居を開始した。
同時に夫は部署が移動になり、定時上がりから急に激務になった。毎日帰りは23時を過ぎる。
結婚前は家事分担について話合ったりもしたが、これでは家事分担どころではない。
結婚前の話でも、きっちり家事を折半しようとは思っていなかった。
気付いた方がやる。できる方がやる。やりたい方がやる。
ただしここでいうできる、とはスキルの話ではなく手が空いてる方という意味で
どの家事においても俺できないからわかんないからやってよ、というのは勘弁してくれとは話しておいた。
私たちは結婚前にも何か月か同棲経験があり(諸事情ですぐに解消したが)
このときは私の方が帰宅が1~2時間早かったが、私ばかりが家事をやり当然のような顔をしているので一度怒ったことがあった。
その際彼は反省していたが、同棲を解消し一人暮らしに戻って考えてみると
私が気をまわしすぎて一人で勝手に疲れて爆発していた感もあったな~と思ったので
これからは私もしたいことだけ、頼まれたことだけしようとひそかに自分ルールを決めた。
しかし蓋を開けてみればこの激務。
私は尽くすタイプでも長女気質でもないのだが、色々してあげたくなってしまう。
お昼出る時間が無いと言われればお弁当作ろうか、とか。(今は自分の分もたまにしか作っていない)
今まで自分でやってもらっていたことでも、いいよやるから置いといて~とか。
言いたくなってしまうし多分今までなら言っていたのだけど
でもこれから毎日これが当たり前になってお礼も言われず当然のような顔をされたら
私は確実に以前のようにイライラして爆発すると思う。
色々やってくれるけど常にイライラしているよりも
最低限の家事でいつもニコニコしていた方がお互いのためにもいいよな~
と思いながら、頼まれるまではこれ以上何もするまいと自分を戒めている。
でもこれちゃんとやってよ~系も非常に言いにくい。
自分で食べた食器を下げるとか洗濯物を出すとかのレベルなんだけど。
これくらいはだまってやるべきかが今の悩みどころ。
激務の方がいたら感想を聞きたい。
ような聞きたくないような。
追記(長い)
いろいろアドバイスや励ましありがとうございます。
この状態が長く続くわけではなく、異動したばかりだからもう少し落ち着けば改善する、また何年かでまた異動もしくは転勤するのが慣例だと本人は言っています。
子供についても、結婚したのは最近ですが付き合い自体は長いのでそろそろという話はしています。両親が遠方・保育園激戦区・私が薄給(キャリア志向ゼロ)と三拍子揃っているので、子供ができれば退職する予定です。ただ子供ができるとも限らないのでできるまでは共働きで頑張ろうと話しています。この状態で子供ができて、つわりがひどいようなら共倒れの危険があるので躊躇してしまいますが…もうすこし時機を見てという年でもないのでなるようになれと思っています。
この状態で家事を全面的に負担するのは仕方がないと思っていて、納得もしているし適度にやっていけるだろうとも思っています。
先に書いたようなパジャマやバスタオルをかごに入れる、彼のみが食べた食器を下げる・洗うとか。
できるできないで言えば私も彼も一人暮らしが長かったので家事は一通りできる。
むしろ私よりきれい好き。私は基本面倒くさがりでズボラなので。料理は私の方が得意。
ただ悪気なく私が彼の世話を焼くことを当然だと思いがちな感じがある。
後でなんでまだ冷蔵庫にしまってないの~みたいなことを言う。(買ってきたの知らなかったし)
カフェが混んでいると席取ってるね~と私がレジに並んでる間座って待っている。
(一度先に座ってて、と言ったから)
要は気付いて気を利かせてやってあげたことがあたりまえになって、なんで気づいてやっといてくれないの!って言われるようになるのが嫌なだけなんですよね。
なんでもやってあげたいけど、やってあげられない時に不満に思われても困るというか。
だからそれを助長させてしまわないように、頼まれた時だけと思ってはいるのだけど、いちいちやってないよと指摘するのも気が引ける。(放置しても問題ないものはそうしてるけど)
彼が忙しすぎてそのさじ加減が難しいなあ、という話。
介護疲れという状況を初めて認識したのは私が高校生の時、親が近くに一人で住む認知症の祖母の面倒を見ていた時。
鈍感で何言われても気にしない省みないような父親が夜うなされていた。
徘徊等による症状の対応で職を失い介護につかれた中年男性が心中しようとするエピソードがある。
救いようの無い様子が垣間見えて、どこにぶつけていいかわからない飲み込めないモヤモヤとした気持ちで胸がいっぱいになった。
元気な時は元気、崩したときは解離を起こしてしまい意識はあるが行動を制御できないというもの。
そんなアラサー。
とここまでが自己紹介。
今は家族、職場など周囲の理解もあってマイナス側ではあるが安定している状況。
元々病気については知っていたため一緒に治しながら生きやすい生き方をしていければと思っている。
こんなケースは精神疾患にかかる人が相当数いるこの世の中ではあまり珍しくもないものだと思う。
だけども、だけども周りがうらやましいとも思う。
子供が出来て子育てに大変そうながらも幸せな忙しさに満ち溢れている家庭。
家庭を顧みずやりたい仕事に没頭している人。
ミュージシャンの小室さんの騒動があったとき、女性問題に注目されて奥さんに対する
不義理が話題になった。夫婦間の問題ではあるが私もそれは不義理ではあるなーと思う。
ただ、それほど本人は日々の生活に疲弊していたんだろうなと共感する部分がある。
言いたい、吐き出したいことが色々あったはずだがまとまらない。
一つだけ聞きたい。
介護、看病に疲れてる私を見て、別れを進めてくれる人がそれなりにいる。
共倒れになったらそれこそキーチVSの話のように誰も救われないが、介護や看病に疲れ、自分の人生を生きるために別れるという人はいるのだろうか。
いるならどのように自分の心に折り合いをつけたのか聞きたい。