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はてなキーワード: 不断とは

2023-03-06

“意见领袖”大衣下的郭文贵

光一时的郭文贵,在蚂蚁们的吹捧下,俨然成为了救苦救难的菩萨,为何郭文贵能一度辉煌无比,一度忽悠了成百上千的无知群众,其实就是在他不停的为自己抹上一层“意见领袖”的外衣,让我们扒开他的这层外衣,看看里面到底藏了一些什么鬼东西。

一、材料再加工的大忽悠

其实,郭文贵从一开始就想把自己造成一个被迫害的意见领袖形象。在拉扎斯菲尔德等人提出的“两级传播”理论中,信息先由大众传媒流向意见领袖之后再流向公众,因此,意见领袖这一中介者无疑成了传播的“二把手”,将信息“解释并加工”成符合自己所属群体特性的内容并继续传播扩散。对于有利的内容,他们会主动传播,而对于不利的,则会一概去除。所以显而易见,郭文贵从不谈及自己被讨债,犯罪等问题,其总是非常擅长转移注意力,通过信息的加工和再解释,把一些广为人知的东西重新包装,附上阴谋论、迫害论,就可以快速的组装成一个抓人眼球的“爆料”。可惜,谎言经不起时间的推敲,为了维护好自己的形象,也就造成了现在我们看到的一个谎话连篇的郭文贵。

二、无信无力的大骗子

郭文贵为何总能有小蚂蚁跟随,从根源来看,就是他所自己形象的包装和打造,有着支配引导,协调干扰的作用。他以意见领袖的形象,成为群体、人际传播中的重要角色,蚂蚁们所拥趸的对象,必须有着或权威、或可信、或专业的特性,对某一事件具有独特看法,深受大众或群体个人的信任。因此,从最早不知出处的老领导、纽约时报、班农等等,他在努力向关注他的人传播一种信息:他有强力的可信度。他通过所谓的爆料,迎合部分人群的想法,而在社会价值观解构,公众理性丧失,自身判断力减弱的情况下,其也在一段时间内,有效借助自身意见引导舆论,对已有信息产生或协调、或干扰的引领作用。但是,很快的,他的困扰缠身,导致了公信力的急剧下降,他精心打造的形象开始崩塌,用毫无根据、毫无逻辑的谎言编织而成的战神郭文贵,终究会被所有人唾弃。

三、扯着虎皮的大混蛋

在拉扎斯菲尔德的理论中,意见领袖社交范围广,拥有较多的信息渠道,对大众传播的接触频度高、接触量大,同时意见领袖常常关注那些身边的事件和新闻,并适时发表自己的观点。郭文贵的发布会、全球直播等种种做法与上述理论不谋而合,可以看出其别有用心,正所谓酒香不怕巷子深,他为何一而再,再而三的强调自己重要人物、重量级媒体的“亲密”关系,原因就是他希望能掌握到一些信息,体现出自己的能量,从而为继续扩散和编造谎言打造一个强有力的虚拟背景墙,他希望通过扩大影响力,从而裹挟民意,为自己政治庇护提供帮助。可惜,郭文贵拙劣的演技已经使得美国失望,他最终的结局就是穷途末路。

想借意见领袖外衣,用民意武装自己,妄图期待以此获取美国政治庇护,满嘴谎话的郭文贵这招看似管用,但是抛弃了最基本做人原则的他,怎么可能继续潇洒下去,越来越多的人,开始看清他的真面目,不断萎缩的蚂蚁帮就是最好的证明,他,已无路可走。

2023-02-21

anond:20230221123128

オタクじゃなくても権利侵害されたと思ったら怒れよ😲

権利不断努力で勝ち取り守っていくものだよ😲

2023-02-10

anond:20230210120011

フランス人権宣言

前文 

国民議会として構成されたフランス人民の代表者たちは、人の権利に対する無知忘却、または軽視が、公の不幸と政府の腐敗の唯一の原因であることを考慮し、人の譲りわたすことのできない神聖自然的権利を、厳粛な宣言において提示することを決意した。この宣言が、社会全体のすべての構成員に絶えず示され、かれらの権利と義務を不断に想起させるように。立法権および執行権の行為が、すべての政治制度目的とつねに比較されうることで一層尊重されるように。市民要求が、以後、簡潔で争いの余地のない原理に基づくことによって、つねに憲法の維持と万人の幸福に向かうように。こうして、国民議会は、最高存在の前に、かつ、その庇護のもとに、人および市民の以下の諸権利承認し、宣言する。

2023-01-23

結婚・同居すんなら「絶対に譲れないこと以外は相手希望に沿うように譲れ。それも無言でそうしろ

自分の新婚時代を思い出してちょっと和んだ。てゆーか我が家旦那側が年上、バターナイフは俺は使いまわす派だった、妻は毎回洗う派)と共通項あってなんか笑っちゃったんだけど。

さて、アドバイスは散々言われてるだろうし似たようなことを言ってる人がいると思うが、一言だけ言わせてほしい。

   

絶対に譲れないこと以外は相手希望に沿うように譲れ。それも無言でそうしろ

   

あのね、相手を観察すんのよ。ほんで相手のやり方について絶対に嫌だ・譲れないってこと以外は「そっちのやり方にしよう」とか一々言わずに黙ってそうすんのよ。

同居してたら事実としてお互いに譲り合うもんだけど、一々「これは譲ります」とか言ってたら正直恩着せがましくなるのよ。

話し合いなんかいらねーよ。

ネットとかだと細かいこともちゃんと話し合って決める的な態度が持て囃されてる感じあるけど、譲れることなら一々話し合いなんかする必要ないんだよ。

元増田さんが実際どういう意図・思いで「話し合い」してたのか知らんが、話し合うという行為自体に「妥当性を評価する」みたいな要素あるでしょ。

まり元増田さんとしてはぶっちゃけどっちでもよかった・そこまで重く考えてなかったのかもしれんが、話し合う時点で「場合によってはこっちの主張を飲め」ということになるでしょ。

そんなん一々やられたら疲れるに決まってるでしょ。

元増田さんは、「これまでの自分の習慣、実家の習慣と違うことを嫁はんがしている」と認識した場合、黙って内心で「これは自分的に譲れないことかどうか」を検討して、譲れるなら黙って譲れ。

条件付きでなら譲れるってことで初めて「話し合い」をしろ。ただしその場合も、基本的にはお願いベースで話した方が良い。

あと絶対に譲れないことなら、それはそれで話し合いはいらないんだよ。

申し訳ないがこれだけは絶対に譲れないので、自分のやりたいようにやらせてほしい。ただしそちらの分には口は出さない」と宣言するだけなんだよ。

健闘を祈る。

最後蛇足蛇足だが、我が家において俺と妻が譲り合った事例を覚えてる範囲で参考として書いておく。

  • バターナイフ、妻は毎回洗う派(俺は1週間くらいは使い続ける派だったが、まあ毎回洗う方が清潔には違いないよな、と思って黙って譲った)
  • タオル収納の仕方(妻のやり方を見て、はーこういう感じなのね、と思って黙って譲った)
  • 洗濯頻度(妻は1週間ため込んで週末纏めて洗う派だったが、俺はそれは絶対嫌だと思って、どうせ洗濯係は主に俺だし俺の洗いたいタイミングで洗うと宣言した)
  • 夏場のエアコン使用頻度および設定温度(妻実家がよく言えば節約志向で夏場のエアコン限界まで使わない感じだったのだが、俺は冷房が程々効いてないと絶対に無理なので「そちらの寝室は好きにしてくれればいいがリビングとこっちの寝室は俺の好きにさせてほしい」と頼んだ)
  • 逆に、冬場のエアコン(俺は室温10℃くらいまでなら厚着すればヘーキ派だったのだが、妻が寒いのは無理と言ってエアコンつけるので、まあこれは俺の方が変だよなと思って黙って譲った)
  • トイレットペーパーの種類(妻は尻洗浄使わないのでトイレットペーパーはとにかく安いやつ派だったのだが、俺はシャワートイレ対応トイペじゃないと嫌だったので頼み込んで譲ってもらった)
  • タンス(クローゼットあるからいらねーじゃんと思ったが妻が欲しいと言ったので、どうせ向こうの寝室に入れるだけだし俺は無駄だと思うけどまあいいやと黙って譲った)
  • テレビサイズ(妻実家が32型を長年使用していたらしく、デカテレビなんかいらないじゃん的なことを言っていたが、設置場所は確保できてて邪魔にならんし買うのは俺だから俺の好きにさせてほしい、と頼んで譲ってもらった)
  • 家買った時の住所(俺が通勤利便性価格でメイン候補にしていた区を、妻が「〇〇区と××区は絶対に嫌だ」と宣言したため譲った)

だいたいそんなかんじ。全然一言じゃねえな。ごめん。

anond:20230122111418

   

なんか伸びたんで以下追記とかブコメ返信とか

ごめんちょっと盛った書き方したし言葉足らずでしたよね。トラバへの返信トラべでも書いたんだけど、俺の真に言いたかたこととしては

黙って譲れることなのか、条件付きでなら譲れることなのか、絶対に譲れないことなのか(日常生活でそんなん滅多に無いとは思うが)を、相手に「話し合い」をぶつける前に自分の中で検討しろって話。

がメイン。絶対なのに譲れるなら絶対じゃないのでは? ああそうだよ!言葉のアヤだよ!悪かったよ! てか日常会話での絶対なんてそんな絶対じゃないだろ!ごめんよ!

rajgrksalme32f コメントにもあるけど、「絶対に譲れないことで被った時は?」これがすごい気になる。譲り合いできないし、かといって話し合っても解決にならないし。

思考実験としては面白いけど生活でそんな「本当に絶対に譲れないこと」なんてほぼ無いし、「絶対」の弱い方が妥協することになるんじゃないですかね。

ouhens ほんとそう思うけど、一方的にそれ実践してたら会話が無くなって家にお互いへの憎悪しか残らなくなったわ

お気の毒に思いますが、結婚生活において配偶者様とのそこそこ円滑かつ良好なコミュニケーションを維持するために不断努力必要なのは言うまでもなく自明ことなので一々書きませんでしたね(そもそもフツーに仲良い夫婦ならそんなん意識しなくても当たり前にできていることであり)。

hesopenn 絶対に譲れるかそうではないかの二分法的思考、一つの論点だけで譲れるか譲れないか判断するなど、反面教師しか思えない。論点を増やして、互いの妥協点を見出すのが王道実践!交渉学という本が良かった。

言葉足らず等々はごめんとして、そんなことは書いてないですよね

shimajitan だいたい同意できるけど、寝室分けてるのが気になってしまった。いつから分けているんだろうか

当初から。お互いに他人の気配があると眠れないどうしだったので円満に別室になった。セクロスするときは基本ラブホ行く。

Rlee1984 それはあまり良くない気がする。ジョーク挟めば話し合いも楽しい相互の譲れない度合いを提示勘案した方が良いし、たくさん話し合う練習しとかないと、いざって時(両者譲れない子育て引っ越し介護)に詰むと思う

なんか他にも「そんなんだといざと言う時の話し合いに困る」的なコメントしてる人いたけど、失礼ですがパープリンですか?

結婚生活において配偶者様とのそこそこ円滑かつ良好なコミュニケーションを維持するために不断努力必要なのは言うまでもなく自明のことであり、「話し合い」以外にもコミュニケーションは色々あるでしょ……。なんで話し合いするかコミュニケーションしかみたいな謎の分け方になってるのよ。

hope_ring 謙虚そうなアドバイスなのに妙に高圧的。自分自身の不満との折り合いが出来ないと不満が溜まって爆発するのになぁ。割と譲るけど軽く話す、希望を言うぐらいに段階付けて主張はするな。。。

折り合いをつけかねるようなことはちゃんコミュニケーションしろよ………

ikanosuke 絶対やだ。主張が対立した途端「普段はこんなに譲ってるのに」って頼んでもいないのに引っ張り出されそうだし。譲ってやってるって思われてるのも嫌。快適な暮らしを営むためには、摺り合わせを避けるべきではない。

多分ですけど俺とあなたの「擦り合わせ」の想定内容は違います

追々記

なんかブコメで「ブコメへのレスっぷりを見る限り実は黙って譲ってなさそう」とかノータリンなこと言ってる人いるけど、そもそも家庭を継続維持していくパートナーに対してと、ブクマカに対してとが、同じ配慮対応になるわけないだろ。それに俺は全部黙って譲ってるなんて一言も言ってないだろ(割合として黙って譲ってる、というか譲ってる意識すら無いことが多いとは思うが)。お前らは程度問題とか頻度とかそういうことを少しは考えろ。

あと一部の「それ違うよ」ってコメントについてはちゃん否定しておかないと、いつの間にか既成事実化されたりするのでそうしているだけだ。

2022-12-30

結婚出来ない俺たち

50代の男性未婚率が30%近いって記事を見て、驚きはしたけど、なんとなく納得する部分もある。

俺と趣味で結びついた友人たちも全員独身だ。

年に何回か連れだってロードバイクを持って旅行したりする仲間たちで、下は30代後半~上は40代後半まで

だいたい一回り差くらいの男どもばかり8人ぐらいのグループだけど、見事に全員が独身

今年は、そのうち日程が合った4人で海外に走りに行ってきたり

全員で夏に北海道合宿をやったりしたけど、誰かに彼女がいるなんて話も出てこない。


このグループ全員に共通することは、優秀だしそれなりに稼いでるってこと。

海外留学して学位を取得して研究者やってるやつもいれば、同じく海外留学して経営に関わってるのもいる。

歯科医もいるし、フリーランスもいる、俺たちは程々に頑張ってやってきて、小さいながらも成功して幸せ社会人生活を送れているってのは共通してる。

そして、もう一つ共通点がある。

さすがに、こっちは全員ではないのだが。

一度は結婚相談所登録して、結婚をしようとしてみたってこと。


登録してみると、結構すごい勢いでお見合い要請が来たりする。何人にでも会えるし、妥協するなら結婚はできたのだろう。

だけど、そうして活動してるうちに、思うんだよな。

俺はこれで結婚して幸せなのかな?って。

大なり小なり努力をしてきて、妥協なんてしなくても、それなりであり精一杯の成果を手に入れて来た人生で、結婚だけ妥協に次ぐ妥協で行っていいのか?

ふとそう思ったときに、自分スペック収入に群がってくる女が亡者しか見えなくなってくる、そして嫌になる。

こんなところまで似ている。


プロサッカー選手などアスリートや、成功したベンチャー企業経営者みたいに、めっちゃいい女を魅了できるようなスペックもない。

自分から好きになった人に受け入れてもらえなかった程度には、恋愛はうまくいかない。だから、望んだ結婚は出来なかった。

そう結婚できなかったんであって、しなかったんではないのは分かってはいる。しようと思っていた時期もあったんだし、誰かと恋人同士になったこだってある。

その延長で結婚できなかったんだよ。

でも、それなりに頑張ってきて、目標を実現することに半生を費やしてきたような努力家たちにとって、望まない相手との結婚が魅力には映らない。

中途半端に勝ってきたがゆえの、ちっぽけなプライドが、自分が望まない選択の末に幸福が待っているとは信じさせてくれない。

才能なんてなくたって不断努力ができるなら、上位1%くらいには入れることを知ってる俺たちは妥協が難しい。

そんなことを言ってる自分たちは、もうとっくに40代結婚なんて言っていい年でもなくなった。

から、そんなこんなで俺たちは生涯結婚できないだろう、という結論に至ってる。

結婚が半ば義務だった時代なら、何かしらで押し付けられて押し切られていたのだろうけど、今は納得しない決断をしなくていい時代だ。

から結婚ができない。

まぁ、こんな連中ばかりではないと思うけど、結婚できない30%の中には割と仲間が居そうだ。

追記

ブコメ共感してくれる人もいるようで嬉しく思う。

俺は、好きになった人と一生を共に過ごす形として結婚がしたかったのであって

まず結婚をした後に、その人を好きになりたかったんではないんだよ。

子供もつとかも好きになった人との間に持つかどうかであって、子供が欲しいか結婚したいと思ったこともない。

相談所でお見合いを繰り返すうちに、この「作業」の中から誰かを好きになるのは難しいと悟った。

結婚はそういうものではない、という人もいるだろう。それはそれで正しいのかもしれない。

だけど、結婚のための結婚必要ない一人でいいって感想ブコメで書いてる人もいるが

その通りかなと。

2022-12-29

9条ばっかりどうこう言ってないで12条を守ろうよ。

この憲法国民保障する自由及び権利は、国民不断努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。

2022-12-23

anond:20221222135414

有権者選挙ときだけじゃなく普段から努力しないといけないんだから高校生だけに中継見せても意味ないだろ。

日頃から不断努力必要

2022-11-06

整理解雇の4要件

(1)人員整理必要性

どうしても人員を整理しなければならない経営上の理由があること(「経営不振を打開するため」は可、「生産性を向上させるため」は不可)。

Twitter社の経営不振を打開するためなので可。

(2)解雇回避努力義務の履行

希望退職者の募集役員報酬カット、出向、配置転換一時帰休実施など、解雇回避するためにあらゆる努力を尽くしていること。

Twitter社は数年来赤字続きで、その間、不断努力を尽くしてきたので可。

(3)被解雇者選定の合理性

解雇するための人選基準評価者の主観に左右されず、合理的かつ公平であること。

Twitter社の内情を良く知る人物が、合理的かつ公平に行ったので可。

(4)解雇手続き妥当

解雇対象者および労働組合または労働者過半数代表する者と十分に協議し、整理解雇について納得を得るための努力を尽くしていること。

Twitter社は数年来赤字続きで、解雇は誰もが納得できる方策だと考えられるので可。

解雇以外の方法が本当にあるのであれば、Twitter社の有能な社員であれば、遥か昔に提案していただろう。

よって、Twitter社の整理解雇は全く問題ない。

法律上解雇予告手当1か月分を退職金として払えば解雇できるが、

イーロン・マスク氏の温情により特別に3か月分を退職金とした。


異議のある者は、もちろん法的手続きを取っても構わないが、

その場合法律に則って、退職金解雇予告手当1か月分とする。

ってことですかね。

2022-10-26

anond:20221025121100

少なくとも乗用車としてのFCVには全く未来がない。以下は7年前の増田に2年前の追記をしたものだが、ほぼこの予言通りになった。もう業界FCV乗用車に将来性があると思っている人間はいない。事実上敗戦処理をしている状態だ。

https://anond.hatelabo.jp/20150504101626

FCVバストラック分野ではバッテリ重量が爆増するEVと比べてコスト優位」という予測もあったが、これもテスラのSemi(EVトレーラーヘッド)投入によって覆されつつある。Semiの500kmバージョンの15万ドルという価格は、日本国内ディーゼルトレーラーヘッドの新車価格(1600〜2100万円)と大差ない。さらLCAライフサイクルアセスメント)で見ると今のディーゼルトレーラーヘッドよりも3000万円近く安くなるという、驚愕コスパを実現している。

https://blog.evsmart.net/ev-news/2022-tesla-semi-update/

俺が増田で前から繰り返し言っているけど、なかなか理解してもらえないのが、今後EVは「環境にいいから売れる」わけではない、ということだ。EVは今後数年以内に「CVよりも安いから売れる」ようになるのだ。中国の宏光MINI EVもいよいよ日本発売が決まったが、当然爆売れするだろう。https://togetter.com/li/1963736

Semiもこれと同じ理由物流分野でのシェアを大きく伸ばすだろう。契約企業は、Semiの環境負荷がいいから、イメージが良くなるから、切り替えるわけではない(お題目としては大々的にアピールするだろうが)。不断コスト圧力さらされる物流業界に貴重なコスト減の機会を与えてくれるから売れるのだ。EVという技術システム本質的シンプルさが、それをもたらしている。

一方、FCVという技術システムEV燃料電池タンクをくっつけた複雑な機構で、今のディーゼル車よりコストを下げられるような技術アドバンテージがどこにもない。今の化石燃料よりも高い燃料を、今の液体燃料タンクよりも高い高圧気密タンクに詰め込んで、それを車内で高額な燃料電池に突っ込んで電力に変えて、それでEVと同じモーター(eアクスル)を廻して走る。高くつくに決まっている。

2022-07-21

anond:20220720134218

かにこれタイトル間違ってはいないわ。

エロ漫画が(更生の為の不断努力を怠るための言い訳と利用されて結果的に)性犯罪助長してた」

正式名称だったらそのとおりとしか言えんわ

2022-07-15

「米上院安倍氏の功績たたえる決議案提出」

https://news.yahoo.co.jp/articles/ecad3fd989f5f54a2c12c17f03ff39ffe65de678

「一流の政治家で、世界民主主義価値観不断擁護者」

日本の政治経済社会、そして世界繁栄安全保障に忘れがたい足跡を残した」

 

左翼歴史修正主義者たちが安倍さんの業績をなかったことにしようとして色々吹聴して回ってるけど、冷静に見たらこういう評価だよな。

2022-07-13

anond:20220713074628

一方でインターネットで鴨を探すのも活発になってる。

そりゃカルト宗教も飯を食いたいからかもをそのまま自分たち依存させたいがために必死からな。

憲法案が家族につなげようというのは、家族誰かをはめ込んでしまえばそのまま他の家族も苦境に陥れ芋づる的にカルト宗教信者を増やせるからという思惑もあるだろう。

心療内科も儲かるからと多剤処方をして診療をしない診療所が多くて問題になったこともあった。

正しく救われる社会不断努力で作られ維持されるもの

2022-07-11

小説を選ぶ筋肉が衰えてた

学生時代は通学路にお気に入り本屋があって、よく小説を買っていた。漫画より1円あたりで潰せる時間が長いから、暇な割に自由な金が少なかった学生にちょうど良かった。

北方謙三水滸伝ループしながら、伊坂幸太郎とか東野圭吾とかの新刊をつまんで、ハードカバー面白いけどすぐ読み終わっちうからブルジョア向けだなとか思ったとき岩波の棚でドストエフスキーを買って読んでた。電気羊、コンビニ人間騎士団長殺しローマ人の物語本屋に行って「次買いたい本リスト」の順番を入れ替えるのも楽しかった。

ただ、社会人になってからは変わった。ここ5~6年、本屋にふらっと立ち寄ることはなくなった。

一人暮らしで本を置くスペースが減ったのと、通勤路に本屋がなかったのと、読む時間が取りにくかったのと、そういうところが影響してるのかな。

電子書籍漫画を買うようになった。時間あたりで読める冊数が多いし、MP消費が少ないから。

近くの本屋小説が減っておまけ付き雑誌売り場が広くなっていった。

ところが、ここ最近ちょっと重めの病気をして仕事を休まざるを得なくなった。

膨大な暇が襲ってきた。

小説を読みたくなった。

普段漫画を買う感覚Kindleを開き、小説を買おうとした。

なんか買えなかった。

そもそも「欲しい本」がなかった。5年の歳月新刊トレンドに関する知識陳腐化させ、KindleUI古典的名著との偶発出会いを難しくさせたのかもしれない。

まあ、トップにあった異世界転生ものでも何でもいいから読めばよかったのにさ、変にこだわって読まないっていう判断をしちゃってるから感受性が枯れていくのだろうね。

筋肉不断努力で維持されなくてはならない。

2022-07-08

安倍野次排除批判してたはてなー自分安倍を殺してしまった自覚あるの?

安倍選挙演説野次SP使って排除させたのはちゃん安全上の理由があったって今回わかったよね。

安倍野次排除批判して結果として安倍が殺されてしまったよね。

この事についてはてなー責任とるの?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASQ3T3Q49Q3RIIPE012.html

より

morimarii いくらなんでも道警の排除理由がひどすぎた。あれでは裁判所擁護できない/程度問題選挙妨害の時は排除必要から警察は自らの選択をきちんと説明できるようにしといてほしい


yas-mal 日本社会の"正気"を示せた結果。まずはよかった。このあとどうなるか。

senbuu 表現の自由が守られて良かった。言論弾圧に断固反対。

rti7743 自由を守るための不断努力を行い、自由を守った。素晴らしい。


安倍が殺されたよ。よかったね。これがお前らの望みか?

2022-07-03

anond:20220703111612

デモは当然の権利だ!」とかイキってるバカパヨいるけどそれはおまえらが偉いんじゃなくて

先人たちの不断努力尊い犠牲の上で成り立ってるというわきまえくらい持とうぜ

「わきまえない」とかやたらあの連中気に入っちゃってるっぽいけどさー

anond:20220702234222

元増田だが、昨日は怒りに任せて感情をブチ撒けてしまったのと、

あと俺に対して言ってもいない主義主張を推察している人もいるので、

その辺りも含めて追記しておく。

まず第一に、俺自身は「トランス女性女性です」と言う考え方を支持しない。

と言うより、「トランス女性女性ではない」のだからその現実に苦しむのだし、

そこへ「トランス女性女性です」と言うイデオロギーを無理矢理押し込んで、

無理にトランス女性女性扱いさせるのは当事者である自身も含め、

社会一般軋轢しか生まず誰もが不幸になるとしか思ってない。

次にトランスジェンダリズムとして呼称されている「女性と言う言葉意味を無くす」だとか、

あるいは「女性とすべての子宮を持つひと」と言う呼び掛けについても、俺自身はほぼ支持していない。

まず「女性と言う言葉意味を無くす」と言う考え方は、女性性別移行したい人間にとって、

移行する先の性別を無くすことを意味するし、「女性とすべての子宮を持つひと」と言う呼掛けも、

男性に例えるなら「男性とすべての前立腺を持つひと」みたいな呼掛けになる訳で、

これは確かにキモい、と言う感情理解できる。

ただとは言え子宮癌とか前立腺癌への健康診断を呼び掛ける文脈で、

女性とすべての子宮を持つひと」とか「男性とすべての前立腺を持つひと」

と言う呼び掛けを使わず健康診断を受けろよ、と言う呼掛けを出来るのかどうか、

って言うところには、俺自身は回答を持ち合わせてはいないのが現状。

ついで、トランス女性女性用スペースの利用について。

まず最初に言っておくと、世間一般懸念している(とされている)、

俺は女だと名乗ったら、どうみても男でも女性として扱わなければならない

みたいな考え方も俺は支持しない。

と言うより、生活実態として中身が伴わない状態で俺は女だ、とか言っても誰も相手にするべきではないし、

そんな行為が罷り通る社会を実現したいか、と聞かれたら、「は?何言ってんのコイツ」としか思わない。

ただな、ルッキズムにはなるけど、生活実態として女性しか見えないトランス女性に対し、

チンコが付いている限り、男性トイレだとか男性設備しか使うな」って言うのは、

流石に無理があるだろ、とは思ってる。

まずトイレについてだが、どう見ても女性しか見えず、どう頑張っても男性だと認識させられないトランス女性に対し、

男性トイレ使えって言うのは、「お前は男性トイレに入ろうとした女の不審者になれ」と言うのと同義なんだよ。

逆のバージョンを考えれば分かるが、どうみてもオッサンしか見えないトランス男性女性トイレ使おうとしたら不審者しかならんだろ?

次に Twitter で良く例として上げられている風呂とかの入浴設備問題なんだが、俺個人としては、SRSチンコを取らない限り、

トランス女性女性用浴場に無条件に入るのは、建造物侵入公然わいせつ男性刑務所にブチ込まれたくないなら止めとけ、とは考えてる。

ただこの問題は一個やっかいな点があって、トランス云々とはまったく関係ない文脈で、

ごく一部の DSD 女性性分化疾患を持つ女性)がとばっちりを食うんだよな。

と言うのも DSD 女性の中には外性器として男性器も性発達している人もいて、

チンコが付いているなら女性用を入浴設備を使うな!と単純に主張すると、

こういった DSD 女性たちも無条件に排除されてしまう訳で、

そう言った意味ではこの人たちを無視しないで欲しい、とは思ってる。

なお DSD 当事者人達がどう言う人達か、って言うのは、

を見てくれたら助かる。

ついで、トランス女性女性プロスポーツへの参加について。

個人としては、トランス女性女性競技に無理矢理突っ込むのは互いに不幸にしかならんから止めてくれ、と思っていて、

どう言うことかと言えば、例えば競技トランス女性不断努力を以ってして優勝を勝ち取ったとしても、

あいつはトランス女性から勝ったんだ」と後ろ指を指されることに繋がってしまうし、

逆に女性からしてみれば、「あいつらトランスは私達から活躍の場を奪った」と言う認識しかならん訳で、

こう言った面からトランス女性女性競技一般に無理矢理ブチ込むべきではない、とは考えてる。

とは言えその反面、今の今までトランス女性が「女性として」のプロスポーツへの参加方法が一切無かった、

と言う現実直視すべきで、この点はルールを決める側の競技連盟が無い知恵絞ってどうにかしろよ、とは思ってるし、

無論これはトランス男性でも同じことが言えるんじゃないか、とも考えてる。

ただこの手の問題でいくつか思うのは、現状のルールに基いて競技に参加したにも関わらず、

トランス女性選手であると言う「だけ」で、その当事者トランス女性全般へ増悪を向けるのは止めろと思ってるし、

元々が女性一般トランス女性を問わず競技大会(確か自転車だったか)でトランス女性が上位入賞したケースを、

女性競技での活躍を奪ってる!」と言うのは、流石に御門違いもいい加減にしろ、とは思う。

なんでそう言う競技不公平云々は大会設営者に言えよ、と言うのが正直なところではある。

最期元増田へ付いたブコメで、

keshimini 差別主義者と一般社会LGBT当事者で、どこまでが「おかしLGBT活動に対する批判」でどこまでが「当事者苦痛を踏みつけにする行為」の認識ラインがまず違うんだよな。そこが合わない以上、揉め事はなくならない。

と言う指摘があり、これについては元増田を書いた以上、返答する義理があると思うので、

それについて言及してこの話を終わりたいと思う。

まず俺が思うのは、

トランス女性女性ではない。

から女性として扱うべきではないし、連中は女性安全活躍の場を奪う外敵である

と言っているのがトランス差別主義者だと言う認識

ついで、

トランス女性女性と同一ではない。

しかトランス女性トランス女性特有の苦難があるのだから合理的範囲での配慮必要である

と考えてるのがまぁ社会一般かな、と思う。

で、最期問題なのがトンチキな LGBT 活動家と当事者集団で、こいつらは、

トランス女性女性である

よってトランス女性女性区別なく扱い、それに対する弊害はすべて差別である

みたいな事を言っている印象がある。

それで、この問題の根幹にある、

おかしLGBT活動に対する批判」でどこまでが「当事者苦痛を踏みつけにする行為」の認識ライン

については、これはもう文脈に依る、としか言えないと思っていて、

例えば「トランス女性女性ではないから○○は当然だ」みたいなのは当事者苦痛の踏み付けだと思うし、

「トンチキ活動家と当事者はそう言うけど、こう言う場面では不都合が出るよ」みたいな懸念の表明は穏当だと思ってる。

とは言えこの辺りはグラデーションで、ある面では穏当な懸念を示していたとしても、

ある面では苦痛の踏み付けをやってしまっている面もある、と思っていて、

人間の読解力に限界がある以上、ある程度これは許容しなければならない、と個人的には思ってる。

ただ Twitter だと特に顕著だけど、トンチキ LGBT 活動家も、それを批判する側も、お気持ち当事者も、

全員が全員、イナゴの群れか何かか、と言う勢いで安易個人発言に群がってる面があると思っていて、

これがネット上でトランス女性への増悪を増幅させたんじゃないか、と個人的に思うところはある。

なんでインターネット老人会じゃないけど、いわゆる炎上案件でのネットイナゴTwitter大量発生し、

それがどんどんどんどん増幅して相互憎悪を撒き散らした結果、

今のネットトランス女性への増悪はあたり前、みたいな風潮になって行ったんだろう、と俺は思ってる。

正直なところ、俺が昨日ああ言う感情剥き出しの記事を書いてしまった理由としては、

今のネットトランス女性への増悪はあたり前、性別違和への苦痛の踏み付けは無視当然、

と言う態度への我慢が出来なくなったからで、まぁ感情を剥き出しに書いたのは俺の未熟だったとしても、

性別違和を持つ当事者としては、今のトランス女性に絡む言論は、大体がイナゴの群れ争いにように映ってます

あと一番最期。話が長い、って言ってるやつがいたが、

自分お気持ち表明を正確にしようとすると話が長くなるんだ。すまんな。

2022-06-23

anond:20220623160136

憲法に関する考え方 - 立憲民主党

日本国憲法を一切改定しないという立場は採らない。立憲主義に基づき権力を制約し、国民権利の拡大に寄与するとの観点から憲法に限らず、関連法も含め、国民にとって真に必要改定があるならば、積極的議論検討する。

【談話】憲法記念日にあたって | 新・国民民主党 - つくろう、新しい答え。

憲法議論においても、護憲改憲の単純な二元論に陥ることなく、憲法に関する不断議論に努め、国民とともに建設的かつ創造的な憲法改正議論を進めていきます

2022-04-27

言論の自由を守るための不断努力には、耳が痛いことや気にくわないことをスルーすることも含まれている。

2022-04-12

頑張れば報われれるというのは国民不断努力によって、これを保持しなければならない。

本来、頑張ると、報われるってのは別物。

昔の日本は上が下を労い、下が上に従えば世の中が回っていくという儒教思想で、頑張ると報われるが結ばれていた。

だけど報われるかどうかは完全に力関係によるもの

上に立つ人間やりがいだけ煽って、報いを出す気がなければ完全に破綻する。一方でやるきだけ出せー報いはないがなーというゾンビみたいな連中が這いずり回る。

2022-04-09

〇〇の権利とか△△の自由って、そんな安っぽいもんではない

この投稿きっかけは月曜日のたわわだけど、それ以前から思っていたこと。

『私には□□の自由/権利がある!』みたいな論理最近よく見かける気がする。正直、この主張の安易さが気に入らない。

それが広く知られている自由権利なら、それは過去特定の人たちの尽力によって獲得し、現在個人意思によって遵守され、そして未来の誰かたちの不断努力によって継続されていく。

きっと、そういう物のはずなんだ。少なくとも、決して誰かの気に入らない何かを制限するものではないはずだ。

2022-04-04

人生が致命的に上手くいかない

というよりも、残り時間の少なさにいよいよ危機感を覚えるべきときに来ている。

正直言って、このまま死んでもいいぐらいにどうしようもない人生だ。しかし折角だから最後創作活動を多少なりともやっておきたい。

やはり俺には何の才能もなかったのだ!と叫んでから死ぬのだ。

逆になんということだ俺は天才だったのか!と人生が突然に開けだすのも悪くない。

どちらにしろこのままある日突然死んでからなんということだ俺は何者だったのだろう?と悩んで消えていくというのはどうにもしっくりこない。

しっくりくるかどうかというのは人間にとっては最重要だ。

そもそもをして我々の人格なるものは全身の神経の電気刺激の集合が、しっくりくる状態を求めて相互作用を繰り返した結果なのだ

まりはしっくりくることを求めることが本能なのである

よく言う食欲や性欲についても腹が満たされればしっくりくるし適度に股間勤労意欲を満たしてやるのがしっくりくるということだ。

さてさて、そうは言っても何をすればいいのか。

子供の頃はゲームなんぞを作りたいと思っていたが、私が今までに遊んだ俄作りの素人ゲームなんぞは100を超えようが、それらについて言えるのは本当の天才不断努力の果てに作り出したもの以外はクソであるということだ。

私は過去に一度や二度ゲーム作りに挑んだが天才でないのも努力家でないのも明らかであった。

よってゲーム作りは却下である

次に絵や漫画却下である。これもまた天才不断努力かの賜なれど、私には到底そのどちらもないことを人生証明してきている。

音楽芸能の類も同じく運動も駄目でそもそも手先が不器用であり物を作るのには向いてないし、感覚器官が全体をして曖昧模糊としているので料理やら目利きやらも不得手である

となればもう残ったものは文筆のみである

悲しいことにこれはもう事実なのだ

文筆とは時として天才たちがその天才性を抜き身のままに振り回すための土俵であるとも扱われがちだが、実際にはどちらかといえばあらゆる才能の土俵から追い出されたハグレモノの集まる無能無才が暮らす創作界のスラムである

持って生まれ能力努力も足らぬ私は当然のようにこのスラムにふらりとやってきて、そこで海の物とも山の物ともつかぬ某方をどうにかこうにかして有象無象をあれやこれやするのがお似合いなのである

全くもって文筆とは素晴らしいもので、たとえば「それはそれは見事な紅葉の山」という言葉だけで「それはそれは見事な紅葉の山」を表現できる。

もしもこれを絵で描こうとすればどれほどの能力時間を有することか。

背景画像の集合からピッと貼り付ければいいではないかと思う横着者のもおろうが、それを探してくる手間さえなくただ「山」と書けばそこに「山」が現れるが筆しらべの秘術である

全くもって人生において遊ぶことと無能なりに食っていくことに大忙しの貧乏暇なし無学慌ただしというものだ。

才能がなければただ遊ぶということにおいても無用時間をもって大したことも出来ぬままにいくら時間を使っても付きぬものから創作に使っていられる時間など人生のうちの極々一部となる。

そうなるともういよいよペンを持って事を為す以外の道などないのだ。

たとえば俳句など読んで見ればわずか17文字おきに一作品が出来上がる。

全100作の俳句をつなげた一世一代詩集を認めんと心に決めれば原稿用紙にして4と1/4で済むわけだ。

これは実に無能に優しいというもの

掌編小説などは原稿用紙に5枚でいいし、短編で10枚、長編でも50枚も描けば十二分に両足を突っ込めるというものだ。

原稿用紙50枚!と聞くとなんとも驚きだがなんのことはないツイッター3回で原稿用紙1枚なのだからツイッターを150回だ。

ナンセンス小説であれば「イヤー!アイヤー!チョイヤー!ドッカーン!」なんて引き伸ばしの擬音を次々に入れれば簡単に稼げるものだ。

官能小説であれば喘ぎ声や擦れ音で半分埋めるのが実にシズル感があると推奨されている。

こうなればもう簡単だ。

3作も書きあげれば(なんとツイッター500回程度でいいのだ!)もう十分、「やあやあ我こそ物書きなるぞ!我の才能が偶然この時代に噛み合わぬゆえもう諦めて余生はくだらん仕事をして糊口を凌いで残った時間はひたすら遊んで過ごそうと思ふ」と言い張れるのだ。

3作のアイディアだって簡単だ。

まずは自分主人公ノンフィクション半生伝記を人知れずかきあげて、手塚治虫なりヘンリー・ダーガーなりを気取ってこっそりとHDDの奥に仕舞い込んでしまうのだ。

次に脳内で連載されている作品から手頃なのを1作書き上げる。

最後自分理想とする社会についての妄言をあれやこれやと書き連ねたらもう3作だ。

あっという間である

後半の2作を適当ライトノベルなりハヤカワなりの賞に応募して、一次予選で落とされて帰ってくればもう残りの生涯は自由である

「俺は自分に秘められた才能を試し終わったのだぞ。誰が文句をつけるものか。天より預かった才能は地に返してから死ぬべきだが、それが元より無いなら自由に生きるのが当然だろう」と堂々とぐうたらぐうたら暮らせるのだ。

さあ自由になるために筆を取ろう。

2022-03-27

なぜ、味噌汁赤味噌を使わず白味噌を使うのか

味噌といえば赤味噌だ。

大豆・塩・水のみを原材料にした赤味噌こそがほんもの味噌だ。

日本において味噌起源中国からの伝来であり、わざわざ「赤」味噌などと「赤」の文字をいれずとも味噌とは赤味噌のことだった。

しかしながら、時代が過ぎるとともに豆の使用量をケチって米や麦でかさ増しした味噌が登場することになった。

それが白味噌だ。

酷い物だと大豆を全く使っていない白味噌もある。

白味噌の登場により、従来の味噌赤味噌もしくは豆味噌不名誉な再命名レトロニム)を受けることになった。

味噌白味噌よりも赤味噌の方が旨い。

勘違いしないでほしいが、「美味い(うまい)」ではなく「旨い(うまい)」だ。

すなわち旨味の成分であるアミノ酸の多さによる比較で、赤味噌の方が秀でているということだ。

米や麦はたんぱく質含有量大豆に劣るから味噌醸造する際のアミノ酸生成量も必然的に少なくなってしまう。

から大豆使用量をケチった(あるいは全く使用していない)白味噌赤味噌に比べて旨くないのだ。

赤味噌がすでに存在していたにもかかわらず旨味に劣る白味噌をわざわざ発明したのは、日本の歴史を鑑みるに致し方のないことだと考える。

明治時代以前の日本は常に飢饉と隣り合わせの生活を送ってきた。

凶作・不作は死活問題であり、政争や反乱の主要な原因は食糧難だったことは想像に難くない。

江戸時代徳川幕府)は三百年近く続く長期政権となったが、それとて飢饉による一揆武力で押さえ続けてきただけのことだ。

そうした時代においては、食糧生産生産効率カロリー効率観点から米や麦の生産に注力していただろう。

それに比べて大豆は米や麦に比べて高価になるので、味噌づくりにおいて高価な大豆使用を削減しようと白味噌発明したことは、日本の歴史の必然であったといえよう。

高価な大豆使用を削減して米や麦で味噌醸造しようとしてきたことと醸造した白味噌料理適用させて新たな食文化を作り上げてきたことには、不断努力があったことは想像に堪えない。

そうした先人の努力現在食文化を育んできたことを想像すれば、白味噌に携わってきた人に対して感謝の念は耐えない。

から白味噌の事を悪く言うつもりはない。

白味噌存在のものはもちろんとして、白味噌発明した人も醸造してきた人にも罪はない。

しかし、今では大豆安価で大量に海外から輸入できるのだ。

製造コストにおいても赤味噌白味噌とで大きく差が出る訳でもない。

事実赤味噌価格白味噌に比べて特段高価なわけでもない。

江戸時代から続く老舗であり、かつては宮内省御用達(※)だったカクキュー八丁味噌でも、スーパーで他の味噌と同程度の価格で売られているのだ。[※ 宮内庁ではなく宮内省であるGHQ占領前は宮内省だった。]

ちなみに八丁味噌とは伝統ある豆味噌商標だ。

八丁という名が示す通り、岡崎城から西に8丁(約870m)の距離にある愛知県岡崎市八帖町製造された味噌のことであり、製造業者は「まるや八丁味噌」と「カクキュー」の2社である

しかし、残念なことに八帖町以外の場所で作られた豆味噌でも八丁の商標を名乗る商品がいくつかあるのだ。

しかも、農林水産省地理的表示(GI)保護制度によって、八帖町以外で作られた味噌でも八丁味噌を名乗れるように行政が推進しているという政治問題をも内包している。

こうした八丁味噌の不遇についても熱く語りたいが、本題ではないので赤味噌(豆味噌一般に話を戻す。

今でこそ味噌は数ある調味料の一つだが、明治時代以前の食卓においては味噌汁として飲むだけでなく、小鉢盛り付けておかずとしてそのまま食べることも多かったという。

おかずとして食べる味噌は、なめ味噌という形で今もその文化を残しており、有名なもの金山寺味噌がある。

しかし、食事全体のバランスや水分補給という面を考えると「一汁三菜」という言葉にある通りに(たとえ「一汁一菜」だとしても)「汁」は欠かせないものであり、それはやはり味噌汁だというのが日本食文化において汎用的なありかたといえよう。

やっと味噌汁の話にたどり着けたが、タイトルで書いた通り味噌汁に使う味噌赤味噌であるべきだ。

単に赤味噌の方が旨いというだけが理由ではなく、米飯との相性においても赤味噌の方が秀でている。

主食である米飯甘味には、赤味噌もつ大豆の旨味が合う。

米と大豆のそれぞれが互いを生かし合って、口内で一つになるのが日本食の基本にして究極といえよう。

米は最上主食であり貨幣でもあり神でもあり、さまざまに変化をする文化でもある。

しかし、米だけを食べて人間は生きてはいけない。

かつて白米ばかりを食べていた江戸町人江戸わずらいに罹ったという。

江戸わずらいとはビタミンB1欠乏症のことであり、いわゆる脚気である

カロリー摂取だけに主眼を置いた食糧需給向上において生まれ社会の歪みが健康を蝕むことになったのだ。

似たような例は海外にもあり、19世紀アイルランドではジャガイモの不作が飢饉となるほどに食糧ジャガイモ依存していたので、国民病と呼べるほどに脚気蔓延していたという。

ちなみにジャガイモ原産地南米ペルーだという。

では、ジャガイモ主食とする南アメリカ大陸でも脚気蔓延していたのかというとそうでもなく、ジャガイモと一緒に豆料理も食べるのが伝統的な食文化なので、脚気になることはなかったという。

摂取カロリーのみを目的として食糧ジャガイモ依存した近世北欧は、さながら白米の生産流通を高度化して脚気患者蔓延させた江戸時代日本に近しいものがあったのだろう。

ちなみに、野菜穀物栽培することのできない地域に住むイヌイットは、発酵食品によりビタミン摂取している。

イヌイット伝統的な発酵食品キビヤックがあることは有名だ。

アザラシの腹に海鳥を詰めて発酵させたキビヤック悪臭の強い珍味として紹介されることも多いが、地元民にとっては貴重なビタミン摂取源だ。

南米イヌイットの例から伝統ある食文化には食糧生産カロリー摂取効率性だけではなく栄養にも一目を置いているといえよう。

日本においては、まさしくそれは赤味噌であると断言できる。

もちろん、食糧生産効率性向上によって生まれ白味噌なんかではなく、豆味噌たる赤味噌だ。

それにしても、白味噌白味噌文化否定するつもりはないが、白味噌味噌汁は白米の飯に合わないだろう。

米を発酵させて作った白味噌で白米を食べるなんて、まるでライスライスを組み合わせたライス定食ではないか

そのような脚気精神産物である白味噌ではなく、やはり味噌汁には赤味噌を用いるべきだと断言できる。

米は甘く、大豆は旨い。

米はカロリー摂取に優れ、大豆たんぱく質ビタミンなどの栄養に優れる。

米と大豆はどちらも日本食生活に欠かせない食品である

双方の象徴米飯と赤だしの味噌汁だ。

そこに、白だし味噌汁が入り込む余地はない。

味噌汁よ、赤味噌であれ。

2022-03-13

なんで味噌汁赤味噌を使わずにまがい物の白味噌を使うの?

味噌といえば赤味噌だ。

大豆・塩・水のみを原材料にした赤味噌こそがほんもの味噌だ。

日本において味噌起源中国からの伝来であり、わざわざ「赤」味噌などと「赤」の文字をいれずとも味噌とは赤味噌のことだった。

しかしながら、時代が過ぎるとともに豆の使用量をケチって米や麦でかさ増しした味噌が登場することになった。

それが白味噌だ。

酷い物だと大豆を全く使っていない白味噌もある。

味噌白味噌よりも赤味噌の方が旨い。

勘違いしないでほしいが、「美味い(うまい)」ではなく「旨い(うまい)」だ。

すなわち旨味の成分であるアミノ酸の多さによる比較で、赤味噌の方が秀でているということだ。

米や麦はたんぱく質含有量大豆に劣るから味噌醸造する際のアミノ酸生成量も必然的に少なくなってしまう。

から大豆使用量をケチった(あるいは全く使用していない)白味噌赤味噌に比べて旨くないのだ。

赤味噌がすでに存在していたにもかかわらず旨味に劣る白味噌をわざわざ発明したのは、日本歴史鑑みるに致し方の無いことだと考える。

明治時代以前の日本は常に飢饉と隣り合わせの生活を送ってきた。

凶作・不作は死活問題となり、政争武力闘争の主要な原因は食糧難だったことは想像に難くない。

江戸時代は三百年近くの長期政権となったが、それとて飢饉による一揆武力で押さえつけて作り上げた仮初めの平和だ。

そうした時代においては、食料生産生産効率カロリー効率観点から米や麦の生産に注力していただろう。

それに比べて大豆は米や麦に比べて高価になるので、味噌づくりにおいて高価な大豆使用を削減しようと白味噌発明したこと歴史必然であったことだろう。

高価な大豆使用を削減して米や麦で味噌醸造しようとしてきたことと醸造した白味噌料理適用させて新たな食文化を作り上げてきたことには不断努力があったことは想像に堪えない。

そうした先人の努力現在食文化をはぐくんできたことを想像すれば、白味噌に携わってきた人に対して感謝が耐えることはない。

から白味噌の事を悪く言うつもりはない。

白味噌存在のものはもちろんとして、白味噌発明した人も醸造してきた人にも罪はない。

しかし、今では大豆安価で大量に海外から輸入できるのだ。製造コストにおいても赤味噌白味噌とで



白味噌味噌汁飲んでる奴はたわけもんやろ。

絶望的に米飯との合わへんやろ。

なんで米を発酵して作った味噌を汁にして、米の飯を食わにゃあかんのや。

米と米で相性最悪やろ。

ライス定食だがや。

ロシア国民は悪くない、みたいな風潮が理解できない

かに国民政府イコールではないかもしれない。報道の自由選挙の公正性が十分担保されていない国だというのもわかる。

しかし、それらの事実ただちにロシア国民を免責するだろうか?

ロシアは、中国北朝鮮ほどの専制体制ではなかったはずだ。報道の自由がないといっても独立系メディアはつい一週間前まで存在していたし、世論調査支持率選挙の得票率が常に100%と発表されてきたわけでもない。

世論調査支持率にどれほどの信頼性がおけるのかはわからないが、たとえば https://www.jiia.or.jp/research-report/russia-fy2021-05.html記事にも書かれているように、情勢によって支持率はきっちり変動している。

今回の侵略プーチン支持率10ポイント上昇したが、この原因を単に情報統制のみに求めるのは無理があるのではないだろうか?

ジョージア侵攻やクリミア併合では支持率が高まり2019年年金支給開始年齢引き上げで支持率が低迷したのならば、それはロシア国民が「自分たち年金が減るのはNoだが武力による現状変更Yes」という意見世論調査を通じて継続的に表明してきたということではないのか?

そもそも自由の制約された抑圧的な権威主義体制自体ソ連崩壊後の混乱の記憶から安定を望む国民が、望んで後押ししてきた側面があるのではないか

もしも今の日本があのような暴挙に及んだならば、民主主義国家主権者として日本国民は当然責任を問われるだろう。

ロシア場合権威主義体制である以上その程度は弱まるかもしれなが、それでもロシア国民責任が皆無になるとは思わない。

念のためだが、ここで主張しているのはあくまで「ロシア国民責任」であって、その中の特定の一個人に対して直ちに責任を負わせるべきだとかリンチまがいのことをしろだとかいうことではない。

これは今回の侵略で「ウクライナ国民」に連帯を表明したとしても、それはヤヌコーヴィチアゾフ大隊過激構成員への連帯を必ずしも意味しないのと同じことだ。

文化排除も当然肯定しない。

それでもロシア国民政府とともに一定批判を受けるべきだし、制裁企業撤退によって結果的個人不利益を受けたとしてもその責任ロシア国民政府が負うべきものだと考える。

そして我々は、「不断努力」を怠った者は責任と代償を負わされることを肝に銘じ、「国民」としての自らの行いを省みなければならないのだろう。

2022-02-26

anond:20220226104304

左翼方向性は昔から世界屈指の経済力と非軍事平和国家という特別地位武器外交でうまく立ち回れ」でしょ。

言い方を変えれば「9条があるから攻めてこない」というくらいになるまでイメージ戦略に利用しろ、という話なんだよ。

それを右翼の皆さんが藁人形論法で「9条さえあれば何もしなくても誰も攻めてこない」みたいに矮小化してきたってだけ。

たとえば中東とかのアメリカ嫌いの多い地域では「アメリカは難癖つけて俺らの国を侵略してきたけど日本はそんなことしないから好きだ」という評価は実際にあったんだよな。

そんで集団安全保障かいってアメリカと一緒に軍事行動を取れば「騙された、やっぱりアメリカの仲間じゃないか、じゃあこれからテロの標的にしよう」となったりするわけだ。

これなんかは現実9条平和に繋がっていたパターンだよな。

たとえば今回のウクライナ侵攻も「ウクライナNATOに加入してその戦力がロシアに向けられたら…」という恐れが発端ではある。

ウクライナが完全に武装放棄して中立化を宣言すれば(奇しくも和平条件としてそういう要求が出ているが)戦争回避できたかもしれない。

もちろんこれは「非武装にさえすれば大丈夫」なんて楽天的な話ではなく、その状態平和を維持するためには不断外交努力必要だという話でもある。

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