こういう主張は珍しくない。
至適な形容が見つかってないが、一種の「秩序感覚」によるのだろう。
つまり世の中のあらゆる問題について誰がどう対処するのか完全にルールとノウハウが整備された究極状態があり得、今はそこに向う過渡期の一点であるという、いわばシーケンシャルな社会観に立脚した感覚。
共産主義の人間性開放の神話みたいなものとも相似形である。歴史・社会には到達すべきハッピーエンドがあるという考え方。
しかし社会はただ不断の変化を続けているだけであってそれは進歩ですらない。永久に不完全なシステムの中で取りこぼされる誰かの困りごとが根絶されることはない。
その永遠の泥縄的パッチ作業に自ら能動的に手を染めようというのがボランティアの考え方でありまたリベラルという姿勢である。
シジフォスの苦役と違うのは、どうやったら楽にうまく岩を転がせるか常に工夫するエンジニア的思考が必要ということ。
そもそも「いつか正規の救援制度ができる邪魔になるから、困ってる人が居ても何もしないでおくべき」というのは頭で想像しただけの机上の空論である。
コタツでネットを介して見聞きするのでなく、リアルにそういうシチュエーションを経験すれば「自分には何ができるのか」と考え出すのは人間の本能と言って過言ではない。
ツイッタランドでは親が放置していて他所の親子に依存しようとする子供のことを「放置子」と呼ぶらしい。 放置子のような存在に個人救済で対応すると泥沼にはまるのはよく分かる。 ...
素人では手に負えないから行政に任せよう!一切関わらないのが正解!!って、確かに正論ではあるんだがなあ。 人手不足やら何やらで子供の福祉について行政の手が(地域によっては...
共助を増やしたらその次は自助を増やされるだろうから絶対やらないほうが良い ボランティアとか馬鹿だと思うわ
こういう主張は珍しくない。 至適な形容が見つかってないが、一種の「秩序感覚」によるのだろう。 つまり世の中のあらゆる問題について誰がどう対処するのか完全にルールとノウハウ...
うおお思ってたこと言語化してくれてありがとう。 実はまさに放置子っぽい子に会ってたから余計嫌な気持ちになってたんだ。 個人的には心配もしつつ多少は距離を持って後腐れなく接...
つまり、行政が用意してる正規の対応(児相の対応とか)と ネット民の知ったふうな見解(関わらないのが正解、とか)の間の隙間で 個人的にできることややるべきことがあるんじゃないか...
子供に対しては社会全体の責任というのがあると思うし なんかネットらしいノリでむやみに異形視したり差別したりする空気はよくないと思うけど 愛情を及ぼしてやるべきという話では...
夫婦でばっかり愛し合わないでキモおじにもちょっと触らせてやるべきみたいなこと言ってんぞ そこまでは必要ないと思ってるんだ…むしろ放置子の件だと個人救済泥沼ルートじゃん ...
人が他者に持つべき心は慈悲であって愛(執着)ではないということは、とうの昔に仏教が説いた
せやな…でも慈悲すら感じられない言説が多すぎて 皆表現しないだけで慈悲深いならいいんだけど、そうではない気がする
増田が挙げたツイ民とかは慈悲を持ち合わせていないので、増田が感じたムカつきは根拠のあるものだということや