はてなキーワード: ニセ科学とは
「科学には、ノーベル賞がある物理学、化学、医学生理学、文学、経済学以外にも多くの分野があるが、そういった分野における業績はノーベル賞では一切考慮されない。
受賞者の選定がどのように、どういった基準で行われているかが不透明である。
ノーベル賞の受賞者は、男性と白人に偏っており、根強い女性差別および人種差別がある。
ノーベル賞は、ロボトミー手術など、現代はニセ科学扱いされているものにも授与されている。
ノーベル賞は、一般市民にもよく知れ渡っているので、ノーベル賞の受賞が見込まれる研究分野に公的資金が集中投入され、研究資金配分に歪みをもたらしている。
現代の科学研究は、ノーベルの時代とは異なり、多数の人々から構成されるチームで行われるものであり、特定の個人の功績に帰することは難しくなっている。
以上より、ノーベル賞は様々な弊害を科学にもたらしており、ただちに廃止されなければならない。」
これが現実らしいな
否定派の人はなぜそんなにPATMを否定されたいのか不明ですが、PATMとは単に周囲の人にアレルギー症状を起こしてしまう人とその症状を便宜的に呼ぶための言葉で、それ以上でもそれ以外でもありません。もし仮に否定派の人が「人が近づく事で周囲にアレルギー症状を起こすという現象がこの世界には絶対に存在していない」という主張であれば、頭の病気かと思われますので、少しお休みになられた方が良いと思います。 例えば、その人の着てた服に動物の毛や花粉やカビやダニがついていた場合、他人がクシャミや咳をすることは有り得ますし、PATMの原因はそういう衣類が原因かもしれません。或いは本人の体表や髪についたカビかタンパク質や呼気や皮膚ガスが原因かもしれません。要はPATMはただの現象を指すものであり、その原因などの意味を含まないものなのです。
否定派の人たちの目的がわかりませんが、もし仮に正義感から高額な代替医療に流れる事に警告を発したいのが目的なのであれば、PATMの存在を否定するのではなく、その代替医療を行っているところのみを否定をするべきでしょう。 それを飛ばして「周りが咳をする現象そのものが存在しないと主張」するのであれば、それこそある程度の根拠は持ってくるべきでしょう。「ネットの掲示板のカキコミで精神病っぽい人がいた」などという中学生のような根拠ではなく、例えば通話で患者と話してみる、Zoomなどのオンラインミーティングをしてみる、実際に会ってみる、というくらいのコストは払うべきです。 PATM患者の中には他人から「アレルギーが起こる」と言われている人もいますし、医者に言われた人もいますし、録音をしている人もいるみたいなので、最低でもそれらの人へのヒアリングはするべきでしょう。それらの行動すら起こさずに、症状自体を否定するのは科学的ではありません。 また「PATMの自覚のある人は統合失調症だ」と主張する人も多いですが、PATMの方が他にも被害妄想や加害妄想、うつ症状やその他の症状がないかくらいは確認すると良いと思います。精神疾患であれば高い確率で他の統合失調症の症状が見られると思います。
なお、東海大学理学部教授の関根嘉香氏はPATMの研究で、きちんと科学研究費助成金を交付されており、それなりの「科学的な結果」を出しているみたいですね。計40人を対象とした比較実験で皮膚ガスの検出も行っており、根拠なく否定するNATROM氏というネットの人物よりは遥かに科学的かと思われます。 もしPATM否定派が研究を否定し、「PATMの人は全員統合失調症である」という主張をするのであれば、PATMを主張する20名くらいとZoomミーティングなどをし、精神疾患があるかの調査ぐらいはした方が良いのではないでしょうか(オンラインミーティングだとそこまでコストのかかるものではないので、最低限それぐらいはするべきでしょう)。
一部のオーディオマニアは、電源タップやケーブルを「良いもの」に変えると音質が向上すると信じている。
常識で考えて、そんなわけはないのだが、なぜ彼らはそんな荒唐無稽な妄想を抱いてしまうのか。(たとえばケーブルによって変わる電気的な特性は、導線の抵抗値くらいしかないが、それは部屋の温度が数度変わるのと同じ程度の影響しかない)
ここでは、そんな彼らの多くが共通して信じている理論の紹介と、なぜ人はそういうニセ科学を信じてしまうのかについて説明する。
オーディオに関する非科学を信じる人の多くが共通して持っている考えは、電気には「きれいな電気」と「そうでない電気」があるというものだ。これはちょうど、飲料水に「きれいな水」と「そうでない水」があり、きれいな水を飲むと健康に良いと言うようなものだ。電気の場合は当然、「きれいな電気」で駆動したスピーカーからは「良い音」が発せられると彼らは主張する。
彼らによれば、家庭用の電源や大衆向けオーディオ機器に流れる電気は「きれいな電気」ではない。それをオーディオマニア向けの高額製品を使って変換したり、「不純物」の少ないケーブルを通すことで、スピーカーに「きれいな電気」が流れるらしい。
この理論の秀逸なところは、その単純さにある。本来、音質を決定づける要因は無数にあり、それらは複雑に影響しあっている。それらをすべて把握することは容易ではない。しかし、「きれいな電気理論」なら、
「高額オーディオ製品を通す→きれいな電気が流れる→音質がよくなる」
となり、単純明快だ。水質と健康のアナロジーで理解しやすいのもポイントだ。
オーディオオカルトに限らず、多くのニセ科学に共通するのが、問題を過度に単純化して説明を試みる点だ。マイナスイオンは身体に良くてプラスイオンは身体に悪いし、血液型性格判断診断なら人間の性格は4種類に分類できるし、波動測定装置を使えばあらゆる食品が身体にいいかどうかたった1つの指標で判定可能だ。
もちろん、「問題を単純化して説明する」というアプローチ自体は間違っていない。たとえば、力学で摩擦や空気抵抗が非常に小さいならば、それらは無いものとして考える。疑似科学の問題は、その理論を立証する過程で実験者の主観を排除するしくみが備わっていなかったり、そもそも理論中の概念が適切に定義されていなかったりする点だ。オーディオの場合で言えば、音質の評価は聴者の主観や対象製品への先入観に大きく依存するし、そもそも「よい音」とか「きれいな電気」の実態も正確に定義されていない。
だから、この種の「きれいな電気を流せば音質がよくなる論」は疑似科学である。
なぜ、オーディオマニアはこのような疑似科学を信じるのか?結局、人は安易な理屈がつけられるものを信じるということだ。オーディオ機器の内部構造やそれらの音質に与える影響を正確に理解するには、どうしたって大学レベルの物理や工学の知識が要る。一方、オーディオマニアの理論なら
これだけの理解で済む。一部の人達にとっては、小難しい数式を出されるよりも、こちらの方が説得力があるのだろう。
ただ、事実はこの説明の通りにはなっていない。ケーブルや電源タップの変化をブラインドテストで聴き分けられた人は、この世に存在しない。結論としては、音質の向上を期待してそんなところに金をかけるのは、馬鹿げていると言える。
「科学には、ノーベル賞がある物理学、化学、医学生理学、文学、経済学以外にも多くの分野があるが、そういった分野における業績はノーベル賞では一切考慮されない。
受賞者の選定がどのように、どういった基準で行われているかが不透明である。
ノーベル賞の受賞者は、男性と白人に偏っており、根強い女性差別および人種差別がある。
ノーベル賞は、ロボトミー手術など、現代はニセ科学扱いされているものにも授与されている。
ノーベル賞は、一般市民にもよく知れ渡っているので、ノーベル賞の受賞が見込まれる研究分野に公的資金が集中投入され、研究資金配分に歪みをもたらしている。
現代の科学研究は、ノーベルの時代とは異なり、多数の人々から構成されるチームで行われるものであり、特定の個人の功績に帰することは難しくなっている。
以上より、ノーベル賞は様々な弊害を科学にもたらしており、ただちに廃止されなければならない。」
これが現実らしいな
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210516122138
いや、あの、元増田ってそんな難しいこと書いてある?
「中止の理由を野党に求める世論が台頭し」< 現時点で立憲民主党や共産党は根拠を示して「中止すべき」と主張してるので、そんな世論は台頭しないでしょうね。
立民や共産がどれだけ立派な議論をしてようが「野党が感情的に反対したせいで」ってイメージ操作されかねない、って話でしょ。
そもそも現状、野党がそれなりにまっとうなこと言ってても「野党は反対ばっかり」「対案を出せ」の大合唱じゃねーか。そういうふうにオリンピック中止の責任を押し付けられかねない、ってのが元増田の懸念だろ。
これは「何が何でもミンスが悪い」教っぽい
「何が何でもミンスが悪い」教によって野党が悪いことにされかねないから中止反対、って話やぞ。元増田は「何が何でもミンスが悪い」教の勢力の根強さを警戒する立場やぞ。
元増田の立論に反対するのは全然いいんだけど、せめてどういう主張なのかちゃんと読み解いたらどう?
最初の大前提から論理がひっくり返ってて話にならんが、野党が悪い勢の言い分が大抵こんなレベルなので、そういうのに慣れた奴はどこが異常なのか理解できんのだと思う。白は黒い、と言えば勝ちみたいな。
ちゃんと読めば「野党が悪い」って言ってんじゃなくて「野党が悪いことにされる」って言ってるのがわかるはずだよね?
そんな難しいこと書いてある?
五輪が中止される
→「五輪が中止になったのは野党のせいだ」という世論が盛り上がる
→野党が弱体化する
→ファシズムになる
という流れを元増田は警戒しとるんやぞ。
仮に五輪がめでたく中止になったら、自民のネトサポさんたちは「五輪が中止になったのは野党のせいだ」「本当はさざ波だったのに野党が無理やり中止させた」って言いまくるに決まってるでしょ。これまで自民が野党にどんなレッテル貼りしてきたか、そしてニセ科学教授みたいな自民ネトサポさんたちがどんなに自民に忠実だったかを思い出してみろよ。絶対こういう流れが起きるよ。腕時計窃盗教授をブレーンにしてる連中だぞ。
本屋が好きだったし、一度は書店員として頑張ってたこともあるけどもう嫌になって辞めた。
最近どこの本屋にもヘイト本やトンデモ健康本(スピリチュアル・ニセ科学)コーナーが絶対にある。しかも店の配置的にイチオシ商品を優先的におくような場所に平積み・ドカ置きで激推しされてることが多い。
店員だった頃、年配のお客さんたちが新聞の広告に出ていたから〜とニコニコしながらそういう本を買い求めていた。私たちが探しやすいようにってわざわざ新聞の切り抜きまで持ってきてくれるんだよ。いつもレジでなんでもないことにありがとうって言ってくれる、取り置きしただけでも感謝してまたくるよって言ってくれるような優しい感じの人も、そういう変な本を買っていく。キツい。例えば年配の人がトンデモ健康法を信じて病院の治療を拒否したりして最悪のことになったらどう責任取れるの?こんな優しい物腰の人たちがヘイト言説を吹聴するようになって晩年に身近な人たちの信用とか一気に失っちゃったらどうするの?自己責任って言うの?いい加減な内容の本を大量生産して、勝手に配本するのやめてくれないかな。私は店長とかじゃないから拒否する権利がなかった。そのまま並べて売れないでくれって願うしかなかったけど売れていく。ほんとキツい。
たぶんこういう人たちは本の権威をまだ信じてくれていて、本になるくらいだから立派な内容と認められたものを立派な先生が書いてくれたんだろうなーって楽しみにしてるんだと思うよ。すごい、そんな不思議なことで病気が治るんだ!とか、テレビ(ちょっと軽薄なメディアという認識?)は扱わない、難しい内容とか歴史問題の真実を硬派で堅実なメディア、本こそが教えてくれるんだって信じてるんだよ。
本が売れないのはわかるよ。でも、こういう過激なものに頼らなきゃ本当に売りたいものが作れないとか仕方なかったとかそう言う言い訳、トンデモ本にハマって亡くなったり人間関係失った人に向かって言えるの?
本が好きだから本が売れない時代でも頑張ろうと思ったけど無理だったよ。最低賃金も長時間重労働もきつかったけど頑張れた。でもデタラメ本を売り切るためにいっぱいPOP書いてオススメですってニコニコ笑顔で言うのは無理だわ。
いつも来てくれるおじいさんが「おすすめの広告?書いたの君なんだ!内容がわかりやすかったし上手だから買っちゃったよ〜読むね〜!」って買ってくれた本、だめだよ。絶対信じないでほしいし二度とこんな本を置く本屋さんなんかに近寄らないでほしい。だから続けるのは無理だった。こんなことしてたら「本屋」は死ぬ。本はもう少し生き続けると思うけど。
いいものも悪いものもある、受け取り方によって毒にも薬にもなるのが本だって簡単に言うことはできるよ。でも何が正しいかすら思考停止するようならもう、本という権威はどこかに返上しといてくれ。
中国科学院大学温州研究院課題組長(教授),兵庫県立大学客員教授(ソフトマター物理,レオロジー)の瀬戸亮平先生がゼロコロナとwithコロナで縦軸を感染者数の対数とする図を使って、withコロナを批判し、ゼロコロナを推奨している。しかし、この図は対数ではありえない0の値が縦軸にある。
対数軸なら、1,000, 100, 10, 1, 0.1, 0.01, 0.001 と0に近づいても0には決して到達しない。でも、瀬戸亮平先生は1から少しで0になるニセの図を描いている。
縦軸は感染者数だから小数にはなりえず、瀬戸亮平先生の図は正しいと反論するかもしれない。しかし10日に1人感染者が見つかれば平均0.1、100日に1人感染者が見つかれば平均0.01と考えれば、小数は不自然ではない。
また、潜伏期間は2週間程度なので、2週間感染者が0であれば0になると反論するかもしれない。しかし、症状が出ていないが感染した人が気づかないなら、ウイルスがどこかにあるまま感染者数0が続くことは十分起こりうる。
対数グラフでは決して到達しない0に到達すると誤解させるニセグラフを瀬戸亮平先生が公表し、東京大学物性研究所教授の押川正毅先生、神戸大学惑星学専攻教授の牧野淳一郎先生がかかわっているのを見ると、日本の科学技術は対数グラフすら正しく書けないレベルですでに終了していたことを否応なく実感させられる。