はてなキーワード: あまつさえとは
俺は男なので男目線での自分の嫌いな性癖との向き合い方をアドバイスしてみる。
男なのでCPとかは無い、好きなシチュ嫌いなシチュに置き換えさせてもらう。
俺はおねショタが好きだ。
おねえさん側が精神的に優位・受け手に回っても肉体的に優位・淫乱であればあるほど嬉しい。
おねえさん側は守りたい甘やかしたい性的に食べたいという欲求があり
ショタ側はわけもわからず飲み込まれる・抵抗できない・実は自分も好きだったという関係性なので
これがショタおね、ショタ×おねえさんになると全くといっていいほど別物になる。
ショタが体力的に負けているのに弱みを握ったり、性的に落とす話になるのだが、
あまつさえ、多少ショタ側からの暴力や複数人でのレイプすら見られる。
最悪ショタ側を汚いおっさんの外見をショタにしたものでいいわけだ。
そこにお互いが心の底から愛し合う背景もなければ
純朴であった少年の白さが混乱と性欲で塗りつぶされてピンク色に染まっていく背徳感もない。
本当に竿役がおっさんでよくね?と1万回以上は思いながら苦虫をかみつぶしてきた。
しかし商業的に売れる以上、確実にショタおね派も存在するということだ。
そこでなぜおねショタの持ち味を殺すようなショタおねを支持するのかを確認してみた。
そうすると、肉体的に負けている相手を性的に落とすことが快感であるという回答を得た。
つまり欲求がおねショタは保護欲や被レイプ願望であるのに対し、
ショタおねは屈服させる征服欲や勝利願望、レイプ願望であることが判明したのだ。
同じ題材を扱いながら、こうも向けられる欲求に違いがあるのか、と俺は驚愕した。
扱う題材が例え同じでも捉え方が違うというだけでコンテンツの質が変わるのだ。
ここまできて、ショタおね派がより大きな対象をレイプしたい願望の表れであるとわかったところで、
自分はめちゃくちゃにされたいレイプされたい願望がある人間であることがわかった。
同じ題材で正反対の性癖をぶつけられたのだからそれは不快感を持つに決まってるよな、と。
そして、同じ題材のように見えて向けられたユーザーは確実に違う、別ジャンルであるということも納得した。
それからというもの、ショタおねを見かけても「あれは俺の好きなものと違う」と冷静に受け流すことができるようになった。
似てるようで違うのだ、という認識を理論的に補強することで自分の心を守ることができるようになった。
僕らは同じおねえさん好き、ショタ好きであって、
けれども、それに求めるものが違うから理解し合えないだけなんだ、と。
それでも、おねショタのほうが絶対においしい、おねえちゃんにめちゃくちゃにされたい、
そういう願望のせいで「途中で攻守逆転すんなよクソが…」とか作品に対する裏切られたという気持ちはある。
しかしそのたびに思うことが、性癖は人それぞれだから仕方ないよね、という当たり前の想いなのだ。
期間 | 投稿数 | ブクマ | トラバ |
2015年 | 176 | 1729 | 131 |
2016年 | 135 | 1093 | 79 |
2015年1月に悩んでたことを匿名で書き散らせる場所を求めて増田に辿り着いて以来、
病気で引きこもって数ヶ月全然書かない時期があったり、一転してたくさん書いたりしながらもう1年ちょっと増田にお世話になっている。
バズらせるのが目的とかでは全然ないので、創作実話とかは全然書いてなくて、
思いついたこととか、見聞き体験したことなんかを、覚えてるうちに、思い出せたついでに、残しておこうみたいな感じで書き殴っている。あと他の人の増田にトラバもつける。
時々妙にたくさんブクマがついたりするので、どのくらい自分が増田を書いたり、ブクマやトラバをもらったりしてるのか気になって今回調べてみたんだけど、完全に予想以上だった。
手集計な上に電卓苦手だから多分何ヶ所か計算間違えてるとは思うけど……。
私の拙い文章を読んだり、あまつさえ反応をくれたりした増田達がこんなにいる。
本当にありがとう。
月イチ位で色んな作家さんがボヤキを入れてる。
酷い所は一方的に私情を挟まれて作家なりに努力したにも関わらず
誰かしらの鶴の一声で無かった事にし、
あまつさえ彼らの労力を無駄と断じて金銭面や精神面での労わりすら
諦めの付かない溜息を漏らさざるを得ない。
そんな状況を生み出す編集者はとてもじゃないが
有名大学とかで優秀な成績で卒業して入社してきたとは思えない訳でして、
ところ構わず怠惰を繰り返しては意思疎通が出来ないのは作家さんの力不足だと言って
そんな指示はしていない等と御託を並べた挙句、ボツにされるのだから
作家さん方の苦労を察して止まない。
作家さん達が苦労してるのに、編集者はどうしてこう功績を自慢したがるのかしら。
一番の問題はそんな無能編集者たちをマスメディアは我先にと手柄自慢の後押しをする。
これじゃマッチポンプじゃないですか。
どうして編集者の悪い所をつつかずに作家のせいで何もかも終わったみたいにやるんですか。
そんな世界に一体誰がしたんだろう。
だけど、考えても見て欲しいのだけど、そうなったのは編集者一人の力?
いや違うでしょ。
作家さんが頑張って手に入れた、あるいは手に入れようと手を広げた栄光を
おいそれと編集者が奪い取るんじゃありません。
つまりそういう事ですよ。
私はここが具合悪い、私の方が具合悪い、とアピールしてくる人が私の周りには多い。
大丈夫?の一言をくれるだけで違うのにね。そういう人には期待しちゃいけないんだよね。あまつさえ説教してきたり。
そのくせ自分の時は大騒ぎするから、親身になって接するのは損した気になる。だからもうしないんだ。
自分も気をつけよう。だーれもいなくなるよ。
例えば自販機。
一番下の列はほぼ全部缶コーヒーじゃないか?下手したら真ん中の段の半分くらいまでもが。
冬の時期はもっと最低だ。ホットとコールドで同じコーヒーが4本くらい売ってたりする。
あまつさえ一番上のペットボトルのとこにも500mlのカフェオレ売ってたりして。
それがまだある1社の自販機ならいい。きっとコーヒーに力を入れてるメーカーなんだろうと納得もする。
でも、C社もS社もA社もK社もそうじゃないか?
例えばコンビニ。
ドリンク売り場の冷蔵庫の向かって一番左あたりを見たら上から下までコーヒーの棚、ないか?
挙句最近はその場で淹れてます的な専用の機械置いてまで売っちゃったりして。
どうしたんだ日本。アレか。
毎日5本くらいコーヒー飲まないと眠くて死ぬくらい日本の労働者は窮地か?
コーヒーはやたらと種類が豊富なくせにジュースはがんばっても3種類くらいしか存在しないのだ。
ペットボトルで持ち歩きたいならリンゴかブドウかオレンジあたりで満足しとけという感じだ。
グレープフルーツジュースが飲みたきゃパックで買って高校生スタイルを強要されるわけだ。
じゃあもうフルーツいいわ、水でいいわとミネラルウォーターを手に取ろうとすると、
今度は水じゃなくてうっすら味のついたハイカロリーな謎の汁を渡されるしな。
なんなんだよ日本。めんどくせえよ。ミネラルウォーターのブランド名を書くなそれに。
おれは口の中をさっぱりさせたいだけなんだよ。ヨーグルト味の汁じゃさっぱりしねえだろうが。
そもそもだ。
缶コーヒーにあんな「なんちゃらブレンド」「なんたらスペシャル」と
種類豊富に用意して、しかも定期的に新商品に入れ替わるの、なんか意味があるのか?と言いたい。
高級なんとか豆を贅沢ブレンド!とか言うけど、そんな豆にこだわる人は缶コーヒーなんざ飲まんやろ。
ブラック・砂糖とクリーム入り・カフェオレ、の3種類くらいでそれこそよくないか?
というか、現状、各社がお互いにブラックとカフェオレとなになにブレンドほげほげスペシャルを何種類かと
さらに普通の砂糖と、甘味料入りの微糖と・・・とアホほどコーヒーを出してるのに、
一向にどこかのブランドが淘汰される気配がない。コーヒーといえばここ!というところもない。
なんか知らんけど、みんな仲良く売り続けられちゃってるのだ。
それはつまり、みんなコーヒーばっかり飲んでて、しかも特にメーカーにこだわりもなく、
コーヒーと名のついた汁なら見境なく摂取してる状態なんじゃなかろうか。
いくらコーヒーが肝臓にいいらしいと分かってきたとか言っても、ね。
そういえば脂肪燃焼でおなじみ、ヘなんとかのコーヒーってすっかり見なくなったね。
とここまでを長い長い枕にして言いたいことは、
ニュース見てて、女子中学生監禁した人が誰かに似てるなあ似てるなあと思ってたら
ああそうだ。だいぶ昔に辞めてった奴に似てるんだ。
各局がこぞって使用してるあのアップ写真。見れば見るほどよく似てる。
なんつうのかね。顔のパーツのひとつひとつや容貌そのものはあまり似てないんだが、その奥から滲み出すものが凄く似てるっつうのかな。
いやー思い出すなあ。
求人も出してないのに偉いさんのコネで無理矢理入社してきた、兼業社家のそれも跡継ぎですらない予備。
ハッキリ言って歓迎されてなかったね。手ぇ足りてたし。しかも、入社前からアレコレ既に噂を聞いてたんだけど、
まだ資格取ってる最中の見習いでありながら地元での実習中に反抗、コネで入れてもらった別の土地の神社でも反抗。あと何社かリピート。
そんで、おハチがわざわざ遠方のこちらに回ってきたという話だったわ確か。
とはいえ、「下馬評が最悪とはいえ、実物を見て判断しなきゃフェアじゃない」と思ったから。
いざ入社してきたそいつの態度を見て判断しようと思ったんだけど。
やってきたのは渡り中間みたいに尻軽にあちこち転々としてただけでロクな仕事も任されてなかっただけの、もう若いとは言えない年の奴で、しかもどういうわけか“経験豊富”をアピールしてた。
斯界もまた生え抜きが評価される世界だ。お前がそのチンケな経歴を誇っている相手のお歴々は、上にそんなナメた態度なんざ一切取る事なく長期間勤め上げている方達なんだけど?と言いたかった。立場の勘違いも甚だしい。
それでもなお、「意に染まぬ遠方に来させられて傷ついているのだろう」と、務めて好意的に迎えていたのだが。
神社入ってきた奴がまず最初にこなす仕事もまともにやりゃしない。境内の一番遠い箇所の早朝清掃。率先しての受付。率先しての祈願奉仕。朝拝準備。雑用。肉体労働。
仕事をまともに覚えない。ひたすら自分のやり方でやりたがる。一体何を仕事の本質と思ってるのか知らないが、とかく伝統を受け継がない。
十歳くらい年下の指導役(そいつからすれば先輩)に仕事を普通に押し付ける。まあこれは新卒上がりの指導役がヘタレの風見鶏なせいだが。
もちろん神社というのは信仰や伝統を護持する関係上そう甘い組織じゃないから、見るに見かねて先輩や上役やらが注意するも、
スネるわゴネるわおどけるわ、でその場その場をやりすごし、指導すらまともに受け入れない。結果的に仕事覚えられなくて困るのはそいつ自身だったんだが。
人の言いなりになるのが死ぬほど嫌いなのによく前職が勤まったもんだが、もちろん組織人として下命に服さねばならない局面なんていくらでも巡ってくる。年功序列、上意下達。斯界の鉄則だ。
で、人の命令に従わざるを得ないときは、面従腹背。背任背信。陰口三昧。
あまつさえ職員間の対立構造を裏で煽って激化させ、対立者それぞれに相手への悪口を吹き込みつつ怒りを煽るだけ煽って、自分だけは味方ですよアピール。まるで密告社会みたいなのを作ろうとしてたっけ。
そのやり口もえげつなかったなー。
まず、幾つになっても口さがない巫女連中と神職の悪口で盛り上がり、距離を縮める。
やたらに反抗心を煽るだけ煽って、軽率な巫女連中に小さな反抗を繰り返させる。
巫女の突然の態度変化から、神職達もバカじゃないから巫女と新人との間に敷かれたラインにやがて気付く。
で、年だけ食ってて経験豊富気取りで、仕事覚える気もする気もない新人に対する指導。まずはその鋭鋒を一旦、鈍らせる。
新人に対する当たり前の干渉が止んだ一瞬の隙を突いて、上役それぞれに、個別に接近する。
方法は同じ。二人きりになるタイミングで、別の上役への敵意や体制への不満を煽る悪口で大盛り上がり。互いにけん制しあうように仕向ける。
粗暴な奴なんて日ごろからうまく誘導しておいて、機会があれば、自分の気に入らない奴に暴力振るわせたりとかしてたっけ。
もちろん上役達もバカじゃないから新人の小ざかしい動きには当然気付くんだが、さあ事ここに至ればもう手遅れだ。
指導神職たる上役達は新人の育成に力を注ぐのが常だから、互いの確執はさておき、ひとまずこの新人をこれまでの神職達と等しく育成しようと思い直していた様子は幾度も見受けられた。だが既に、個々人がそうは思ってもなかなか言い出せない状態に陥っていたらしい。
なにせこの腹芸ばっかり得意な新人は、ちょっとキツイ事を言えばすぐにスネ、別の上役に自分の悪口を吹き込みまくり煽りまくり余計に仕事をやり辛くさせるだろうという事がもう誰の目にも見えているからだ。
上役達はそれこそ何十年と同じ職場に勤めてきている地元の人間だから、そんな人間同士で揉めたくなんかない。
結果、自ら煽った上役同士の牽制を利用する形で新人への教育は止み、先輩諸氏も指導役も上から命じられたはずの新人教育を行えば上から理不尽な攻撃が飛んでくるという謎の事態に命令遂行を断念し、こうして今ここに、誰からも教育されないバカが一人爆誕するわけだ。
さて。斯界ではしばしば、命令の理解よりも服従そのものが求められる。
神職連中は昨日から受け継いだものを明日に渡す、詰まるところはそれだけが仕事だからだ。
神社はただ黙って伝統を受け継ぎ、形を変えずに次代へ受け渡せばそれでいい。意見も感想も改善案もその一切を差し挟む必要はない。
服従を求めるのは、指導が厳しいのは、単純に、先人の伝えてきた伝統を踏みにじる事の重大さを本当に自覚させる為のものでしかない。
だが、肝心のその指導をはねのけるようではこの先に何ひとつ学べることなどありはしない。
伝統の重みを嫌う人に伝統を背負わせようとしても無駄な事だ。伝統とは歴史の重みそのものなのだから。
少なくとも私はそう思ったので、奴を業務に関わらせることはしなかった。
業務上同じ係にいくつか名を連ねていたし、これまでの新人には自分が教わったやり方をそのまま受け継ぎ、なるべくメインで業務を担当させてきたが、コイツにはやらせるだけ無駄だと思ったし、そもそも何より態度が無礼過ぎたため神社の外の人に関わらせる事すらできなかった。損失を招く未来しか想像できなかった。
仕事のやり方も教えてもらえず、仕事もなく、手の空いて暇でしょうがないバカは、なぜか先輩達の仕事の評論を始めた。もちろん下っ端としての業務は放棄したままだ。
比較的相手してくれる先輩に対しては、献策や改善案の提示も始めた。
無論いずれも、責任取らなくていい立場のバカの提示する案だから、地に足の着かない無責任な計画ばかりだった。もちろん採用されない。
困り顔で会話に応じ深甚の感謝を述べていた先輩方の表情が印象的だった。
ま、こいつも神社を転々としているだけあって、肝心なところで脇が甘い。
上役にだけいい顔をしているだけでは、この均衡状態は長持ちしないという事に気付いていなかったのだろう。
さて、こいつが風に吹かれる風船みたいにあっち行ったりこっち行ったりするのを決めているのは、コネの大元である、さる偉いさんだ。
偉いさんもまあ、自分が押し付けた面倒な人材の動向なんてのは気になるわけだ。勝手に顔を潰されても困るから。
で。たまたま折良く動向を訊ねる相手が私だったという事が、きっと分水嶺となったのであろうと思われる。
まあ私もお偉いさんの前だし礼儀と節度を守った返答しかしなかったが、向こうは訊きたい事だけは訊けたような苦い顔をしていたからなあ。
さて、知らないところでまた勝手に動き出す自分の運命も知らず、こいつはどこまでも俗物だった。
巫女に手を出すなと奉職時に言われたはずが速攻で手を出し、用意してもらってた社宅に連れ込み半同棲、年単位でイチャイチャ。
それだけ派手にやってて、しかも責任も取る素振りすら見せなければ、流石に近隣の住民達の口の端にものぼってくるのが当たり前だよなぁ。
最後は周辺住民の噂になった事を問題視されて、二人揃って辞めてった。
辞め時にわざわざ親が来て、本人のいないところで職員一同に向かって深々と頭を下げ、はっきりと口に出して許しを請うていたくらいだもんなぁ。
しょうもない理由で辞めてくゆとりは多いけど、あそこまで、年取った親に頭下げさせて「どうかお許し下さい」なんて台詞言わせた奴は後にも先にも見た事ないわ。
宮司である親父さんがそうやってずっとペコペコ頭下げて守り続けてきたものが何かなんて、軽蔑こそすれ、あいつは一度も真面目に考えた事すらないんだろうなぁ。
跡継ぎじゃねえんだったら、気に食わない事ばかりなら斯界からとっとと出て行けよと。社家の恥だわ。
たまたま折良く次の転任先が探されていたおかげでまた転任していけたようだが、しかしなんとまあ因果な事に。
その転任先も「巫女に手を出し即日クビになった奴が出て人手不足だったから」という理由で人を探していたのであった。
先で何が起こるか、どう迎えられるかなんて想像が付くし、つくづくどこまでも因果応報という言葉の付きまとう奴だと思う。
しかしまあ、「巫女に手ぇ出したから神主クビにしたんだけど人が足んなくなったから、ヨソの神社で巫女に手ぇ出してちょうど問題になった奴がいるんでそいつ転任させるねー」でよく通るもんだ。何で誰も怒んないのかねぇ。
さて。
女子中学生監禁の犯人の写真を見て、上記の奴によく似通ったものを感じたわけなんだが。
ニュース番組では「監禁ではなかったのではないか」「自由がありすぎて監禁されていたとは言えないのではないか」などという報道もよく見る。
報道を見て受ける印象もまた、どっちだかわからないな、と確かにそう思える。
しかし、
奴が仕事するどころかそれを否定してむしろ仕事の本質を破壊・解体しにかかっていたように、
それと似通ったものを感じるこの犯人もまた、ぱっと見、監禁とは言えないようなソフトな共同生活を送っていたように見えてもその本質は、実態は、監禁以上の恐ろしい精神支配やマインドコントロールや恐怖の植え付けを被害者に対して行っていたのではないだろうか。そのような疑念を覚える。
もちろん擁護する余地だっていくらでもあるんだろうが、きっとその場にいないとわからない事も沢山あって、
それは無論被害者しか語り得ない内容な上、また人に信じさせるのはとても難しい事柄のような気がする。
このエントリのように。
こじらせ女子が炎上中というツイートを見かけ、なんのこっちゃと検索してみたところ、下記のまとめにたどり着いた。
うーん、正直ね。事の発端となった「飛田新地に行きました!」からの「清潔だと思ってました><」→「調査ですよ^^」の流れはさほど気になりませんでした。
もちろんそれでひどくプライドを傷つけられた人もいて、怒っている人もいる。だけどそれはそれで、別にいいんじゃないかなぁと思ったんです。自分はね。
だけどそこから先がまずい。やはり炎上させる人というのは、本質的なところがずれているのだなぁと深く頷いてしまうほどに酷かった。
まず、怒っている人の意見を要約。
「性風俗に興味本位で飛び込み、面白おかしく語って、実際に働いている人の尊厳も踏みにじり語られた側のことは何も考えていない。」
「『アングラな世界を覗き見た!スクープ!』って銘打っておいて『まぁ自分はあくまで調査しただけで汚れてませんけどね^^』ってふざけんな。」
ってなところですかね。「おいおいちげーだろ文盲か」って思った人、いたらごめんなさい。(あらかじめ謝りリスクを軽減するスタンス)
それにしても、これらはまっとうな怒りだ。少なくとも自分にはそう思える。そして、それに対する北条氏の反論がこちら。
「気分害されたようで、申し訳ありません。切実さをもってホステスをやった私と、飛田の女の子は本質的に同じだと思っています。」
「私にはミソジニーがあり、それが性の商品化への関心に繋がっています。が、調査という言葉は人を傷つけてしまうのですね。」
はぁ?????????????(太字にしてフォントサイズも大きくしたい)
違うくね???????????誰も「調査」という言葉に傷ついたりしてないよね??????????????????
>飛田の話に「清潔だと思ってたのに」というリプが来たことに対し、「飛田=不潔」という侮蔑的考えを否定せず「調査ですよー」と返した意図を教えてください。
>ご気分害されたようで、申し訳ありません。切実さをもってホステスをやった私と、飛田の女の子は本質的に同じだと思っています。
という返事ができるのだ。
「本質的に同じだと思っています」だぁ?「不潔」という侮辱的な考えを持たれている飛田の女の子に「いや^^自分は清潔だし^^あくまで調査だし^^」と答えた人間がなんでそういうことが言えるのか。どういう神経してんだ。
別にさー、「ああいった不潔なところでしか働けないなんてカワイソー」でも「自分にはあーゆーことできないわーwww」でも、それが自分の意見だというのであれば(賛否はあれど)いいと思う。それが自分の発言だというのであれば。
でも、根底でそういうこと思っていて、それをうかがい知れる受け答えをしておきながら「自分は彼女たちと本質的に同じ存在だ」あまつさえ「ミソジニーがあり」と来た。
それはちょっと卑怯なんじゃないですかね。自分ばかりいいところに立たせておいて、体を張った感出そうとしてるだけだよね。
その後に続く「こじらせ女子」のワードをめぐるあれこれを読んでもね、全部無責任なんですよ、この人。
「私が弱かったから」
「(こじらせ女子という単語を使ったのは)大人の事情なんです......すみません(´;ω;`) 私としては、こじらせ女子という言葉は使いたくありませんでした。」
「誤解されてる」
「本当に嫌われてしまったようで悲しく、ふがいない」
「敬意を払って使っているつもりなのに、伝わらない。」
「物書きとして失格だと感じています。」
「違うの~~誤解なの~~私のせいじゃないの~~~嫌われて悲しい~~~私のことわかってくれない~~~ふえぇん><><」
雨宮さんの、非常に理路整然とされた言葉を受けて、なんでこんな感情レベルの(それも小学生かという稚拙な)反応になるのか。
そしてそこから衝撃の展開を迎える。
「死んでお詫びしようとおもいましたか死ねませんでしたすみません」
ファーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
おいおいおいおいうそだろうそだろライター?!これでライターなんですか?!文章を書いて!!お金をもらう人が!!!そりゃねえだろ!!!!!!!!!!!!!!!
これを書いたのが三十歳こじらせ女子?嘘でしょ、こんなの中二病真っ只中のメンヘラ十代の言うことと完全一致じゃん。
仮にもそんな信条を掲げてライターやってる人間が、場を和ませる冗談でも逃げの一手だとしても「死んでお詫びしようとおもいましたか死ねませんでしたすみません」って。
ちょっと最低にもほどがあるんじゃないでしょうかね。どうなのそれ。ひょっとしてギャグなの?
お金をもらって書く文章と、Twitterで垂れ流す文章は違うって、そんなことは当たり前だけどさぁ。そういうことすらスポーンと抜け落ちる強烈かつ卑劣な発言じゃないですか。
ちょっと女子~~~~~~~~~自分の発言に責任を持ちなよ~~~~~~~~~~~その逃げが許されるの中学生までだから~~~~~~~~~~~~。
あーあー、もうこの人が今後書く文章、なんの魅力も力も持てないんじゃないですかね。わからないけどね。
自分は「リスクとか^^^^^あっ、そういうのいいんで^^^^^^」という人種なのであいまいに書き捨てますね!匿名だし!!
死んで詫びちゃうか~~~そっか~~~「リスクを取ってペンを取ります(キリッ」てしておいていざつっこまれたらそれか~~~
その程度の
(太字にしたい)
は~がっかりだわ。いっそ噛みつくなり総スルーするなり自分を擁護する人間にすり寄るなりすりゃ炎上を見守る側としては面白いのに。それすら興ざめさせるこの最低な逃げ方。
しかしこれで北条氏は「こじらせ女子」改め「かまってちゃんメンヘラバカ女」の烙印押されちゃって、今後の仕事とか大丈夫なんでしょうか。ちょっぴり心配。
いざとなったらマジで飛田新地で働いてくれば、もっと臨場感たっぷりに魅力的な話が書けるかもね。がんばれ❤がんばれ❤
PS.個人的に「北条氏が美人だから嫉妬してる(キリッ」は相当笑えました。北条氏はぜひそういった取り巻きによちよちぎゅっぎゅされて慰められて生きていくと快適だと思いますよ^^
以上。
クラブのためという自己肯定意識が横行していて、歯止めが効かなくなっている
クラブの元選手やレジェンドといった、「今となってはただの部外者」でさえ、その立場をわきまえない
あまつさえたたのサポーターやファン(金を払って試合という対価を受け取っているだけの一般人)が、プロに対してプロであることを殊更に強調し
サポーター(ファン)はお客様だと思っているうえに、お客様は神様だと思っているので、選手やスタッフに対して敬意などを抱くことはなく、彼らはクラブの成功にしか興味がない
上記のように、自らは態度や発言、行動に責任を負わないくせに、クラブと自分を同一視し、クラブが「成功しない」と自分の価値を貶めたと考えてクラブを攻撃し始める
ファンやサポーターが表に出てくるときはほほ確実に批判、暴力、差別行為、恥知らずな言動(フラッグ等)であり
つまりサッカーという競技を競技だと受け止めていない事がわかる
優劣をつけるための代理戦争だと考えている
選手やスタッフに対しての短絡的な人格攻撃が主で、あれほど複雑、先鋭的に進化しているシステム、戦術考察のやり取りはほぼ無いに等しい
選手、スタッフの大半はビッグクラブに所属すればするほど自分たちがサッカー文化を背負っているという自負の元に行動しているのは見て取れる
それはプロ意識であると言えるが、このプロ意識におんぶに抱っこの甘えん坊がピッチの外側にあふれている
上記の内容から、サッカーという文化に対して穿った視点を払拭することは難しく、所為「DQNのスポーツ」というのは市場を形成してるファン、サポーター、マスコミ、解説者という名のこれらと同類の人種を見れば正しいと感じる
池永チャールストーマス被告がリベンジポルノに関する裁判の中で
犯行理由を「被害女性と自分が付き合っていたことを知らしめたかった」と述べている。
意外だったんだけど、リベンジポルノで被害女性の人生を破壊したかったわけじゃなかったんだな。
俺はてっきり、被害女性が一生自分の痴態が公衆に晒され続ける恐怖と不安と恥で、
メンタル病んで自殺するか、少なくとも社会不適応を起こさせることが目的かと思ったよ。
リベンジポルノってそういうものじゃないのか。つまり、被害者が生存していなければ意味のない犯罪だ。
だから、池永被告が被害女性を殺害したことに強い違和感があった。
殺してしまったら、もう精神的苦痛を与えることが出来ないじゃないか。
結果として精神的苦痛を味わっているのは、被害女性の両親だけだ。
ただでさえ東京の中流上位世帯で教育にも熱心だっただろうし、あまり性に開放的な家庭環境ではなかったはずだ。
しかし、現実は大事な愛娘が身元不明の男とネットを介して出会い、連日性行為をしていた。
その事実を知っただけでも大きな衝撃だろう。娘が未成年のうちに性体験を終えておいて欲しいと思う親御さんなんてまずいない。
(アンダークラスの家庭だって、娘の行動に勘付いていても愉快には思うまい)
そしてその動画がネットに公開され、世界中の少なくない数の人々に娘の痴態が鑑賞されてしまった。
自分がこの両親の立場だったら、正直、娘を殺して自分も自殺したくなったかもしれない。
中東の「名誉の殺人」ではないが、そのくらい強いショックを覚えるような事態だ。
この瞬間、両親は「貞操観念の緩いバカ女の親」から「可哀想な被害女性の親」へと変わってしまった。
つまり、結果として池永被告は両親の面目も保ってしまっている。少なくとも社会の側は親を責めることはできなくなった。
だから、この事件は日本犯罪史に残るレベルの凶悪で冷酷な事例だとは思うが、
その凶悪さのわりに犯人の冷酷さが中途半端であるような気がする。
池永被告がリベンジポルノを撒いた時点でやめておけば、(殺人と比べれば)微罪で逮捕されることは有っても、
ここまで大ごとにならなかっただろうし、一方で被害女性とその家族は一生に残る深い心の傷を負って、
自ら手を下さずとも、いやそれ以上に惨たらしい日々を送ることになっただろう。
いわば、体に手を出さずに魂だけを殺すことが出来たはずだ。
その意味で、今回の被告の独白は、非常に納得がいくものであった。
彼は被害女性に復讐したかったのではなくて、交際していたことを世間に自慢したかっただけなのだ。
おそらく殺害に至ったのも、もう自分以外の男に抱かれるのが悔しくて仕方なかったからに過ぎなかったのだろう。
その意味で池永被告は完全に狂っている。狂気の男を裁こうにも、彼は全ての目的をすでに達成しており、
どんな判決が下されようとも、深い満足感の中で余生を過ごすことになるだろう。
それがなんであれ、彼は死をもってしても償えないほどの罪を犯した。そのことは疑いようもない。
後になってから、あれは誘われてたのかなと思うことがあるんだけど、そんなに付き合ったことがなくてよくわからないままスルーしてしまってる気がしてきた
「○○に良い温泉あるけどこの時期は予約二人以上しか受け付けてないみたい。またその温泉行きたいんだよね~」って言われた時に
「早く繁忙期終わるといいね~!」て何も考えずに返したけど、もしかして一緒に行く?って話だったのかな
でも別に付き合ってるわけじゃないから泊まりで出かけたりなんてできないよ
たとえ誘い請けだったとしても、何考えてそんなこと言うんだろう
私が美人だったり可愛かったりするような女だったらまだわかる
けど一緒にいるのが恥ずかしいと思われそうな見た目だしな
謝ったのに相手の態度が軟化しないと、何でだよ?謝っただろう?俺はこんなにしてやってるだろう?とあまつさえ怒りさえぶつけてくる人たちへ。
包丁で刺した方は痛くも痒くもないから、ごめんごめん悪かったよで、刺した事も忘れられるんだろう。
刺した感覚が気持ち悪かったり、相手の流した血を見て多少後悔したりもしただろう。
だが刺された方は?
「痛かった。怖かった。傷口を縫った。傷が塞がるまで動けなかった。抜糸をしても傷痕が残り、傷痕を見るたび刺された事を思い出し、恐怖し震え、事あるごとに傷痕が疼く。」
それでどうして謝ったら許されると思えるんだ?
何故元通りになると思えるんだ?
謝ったのも、反省し色々努力したのも、全部あなた方自身の中の事だ。
相手の事は考えていないだろう?
どんなに苦しんでいるか。
執念深いな、と思うのだろう。
そうさせたのはあなた方だ。それだけ、傷痕は痛むんだよ。
はてなスターがなかった頃、ブクマではネガティブなコメントが吹き荒れていた(まあ今もだが)。
「ここが間違ってる!」「それは誤りだ!」という指摘はしやすくても、
「良い記事でした!」なんてわざわざ言ったりはしない。
そこで開発されたのがはてなスターだった。
「良い記事だがコメントをするほどではない」という気持ち…それを掬い上げるシステム。
多くのユーザーがスターに価値を見出し、スターを重要なものとして扱っている。
あまつさえ「スターをたくさん付けられると気持ちが込もっていないように感じる」などと言う人も出てきている。
「良い記事だがスターを付けるほどではない」と思わせたら失敗なのだ。
連打だってしてくれていい。
「俺はそれを知っている」という自意識を介在させて見ているから、そういう心理に陥るのではないか。
すこし余計なお節介、いやお説教をさせてもらいたい。その高尚な自意識を消し、赤ちゃんのような無地でフラットな心持ちで鑑賞するスタイルを会得すれば、きっとレパートリーは広がる。この手の自意識は、「SFとしてはガバガバ」「何々のパクリ」などと言い放ち勝手に冷めてしまうアンチ気質の人々と同じ種類のもの。そんな上から目線で、あまつさえ「あぁ、今だけ受ければそれでいいんだな」なんてメタな目線で作者と対決するような物腰では、作品に込められた繊細な表現や演出の意図を取りこぼし、美点を感じ取れずに素直に感動できなくなってしまうだろう。
作品鑑賞は自分と作者の知恵比べではない。美意識の対決でもない。そういう楽しみ方をする人もいるかもしれないが、元々は作品自体を楽しむために見ているはずだ。
作品鑑賞とは、作者のノリに合わせることで、作者の作りし世界に没入しようとするごっこ遊びだ(小説好きな人はこの能力が高い)。とはいえ、ごっこ遊びが苦手な人でも、没入できる作品はある。矛盾のないように記述を凝らした、完璧主義の脚本ならば、誰でも没入できるのだ。とくに海外の大作あたりなら、必然的に精緻で上品なストーリーになる。文化の壁もあるから「俺はそれを知っている」状態も起きにくい。でも、そういう創作姿勢は、一つの美意識ではあるものの、絶対正義ではない。絵画でいうと写実主義だけを評価するようなものだ。
幼児と会話するときにあなたはどう意思疎通を図るか考えてほしい。その時のあなたは柔軟に好意的に欠落を補完しようとする。その時と同じような創造的な姿勢が、作品鑑賞をする読み手にも求められるのだ。なぜなら、作品というものは幼児に等しいものだから。それほどに、独自の世界観を持っていて、少しずつしかその全容が見えてこない存在であるからだ。そう捉えてもなお、作品と向き合うのが厳しいと感じる、あるいは得たものが少ないと感じるなら、それはあなたには合わない作品なのだ。対象読者ではなかったのだ。そうしてただ去ればいい。でもそれは寂しいことだ。寂しさを生んだ原因を作品だけに求めないでほしいと思う。
このデブに罪はない。いや、罪はあるが非常に軽微な罪だ。
借金なのか単なる遊ぶための金なのか生活費なのかは知らん。楽に金を稼ぎたいと思ってデブなのに風俗店に応募してしまった。
罪といったらそれくらい。両の尻を百回くらい平手打ちされて許されるような罪だ。
しかしだ。このデブを雇って、あまつさえ初めての客に付ける店側の罪は決して許されない。
もの凄い美人やグラマーな女を用意しろといっているわけではない。
そこらに歩いているような中の中の中程度の女だって構わない。
そこらを歩いて、たまに擦れ違うようなデブをなぜ雇った?
しょうがないから俺はデブ女の乳を揉んだり吸ったりしてやった。