はてなキーワード: 研究室とは
元増田です。
21歳で大学4年、理系の大学院に進むつもり。(酒酔い寝不足)
家を出る前のことに関してはまあいろいろあって、毎日家の中で誰かがケンカしていて、
高校のときは、大学に行くの反対されたり、やっと通しても父親が自殺してPTSDになるわで、あんまりいい思い出はない。
いろいろ押し通したところで(その精神状態で行ける)第一希望の大学に受かったけど、
まあ上のようなことを引きずって、信頼の出来そうな人に相談しても距離を置かれるだけで、
何も解決していなくて、なんだかなあという日々を過ごしていた。
けれど、数撃っていたら方向性の違うメンヘラがよってきて、話し相手になってくれて、
まあ3年生のときには、お互いだいぶ良くなったと思う。
そっから映画とかアニメとか漫画とかいろいろ見るようになったんだけど、(頭に入るようになった)
なんだか自分はろくな生き方していないというか、不安ばかりで、心から楽しんで生きることを知らずに過ごしてきたんじゃないか、
大学生活でも、理系の科目とかSFとか好きだけど、好きなだけで、結局なあなあと頭に入れていただけじゃないか、って思えてきた。
やっている研究は自分にとって新しいことで、まだ意味のあることをやっている感じがある。
実家からとか親世代とかから、いや、もっと一般的に世の中からから見ると、
「中身のない人間の贅沢な悩み」だと思う。
なんというか有名になりたいというわけでもないが、自分の手を動かして、達成感を得たい。のかな。
いろいろグダグダ書いたけど、
「その時その時代その年齡その立場でできることを楽しめりゃいい」
と少しは思えるようになったのは、大学生活で得たものの一つかなあ
まあ、自分の手を動かして、公開してみることだな!
私は現役で東大に受かり、新ふりを経てとある学部に入って、そこで何年か研究してました。
私が所属してたラボ(だけならまだしも研究科も...)はFラン出身の人がいました。所謂ロンダ組ですね
つか内部生を探すのが大変なんじゃないか?ってくらいロンダがうじゃうじゃいました。
奴らときたら研究室でしょうもない議論をしてたり(耳障りだった...)、授業でも○○してたり.....
もうほんとに知性の欠片も感じませんでした。
しかもどうみても身分不相応な会社に行こうとしてたり、、、(勿論はじかれてました)
こんな環境が心底嫌になってしまって..衝動的に中退してしまいました。
その後さっさと某国立大学医学部医学科(学士編入)に入って現在に至ります。
現在ですが、やっぱ国立医学部だけあって周りの学生のレベルは東大学部生並であり、非常に居心地がよろしいです。
自分と同等かそれ以上の知性を持った人間が集まった集団に属するのがbestだとつくづく感じます(勿論息苦しく思うこともなくはありませんが)。
自分の人生に妥協はできる限りしないほうがいいです(当たり前のことですが....自戒を込めて)。最初は良くてもすぐに嫌になります。
こんなことすらわかってなかった(というより考えてすらいなかった)学部時代の自分をぶん殴ってやりたいです。
とはいっても東大大学院全体でFラン勢による侵略が進行しているわけではないです。(学部時代の友人談からすると)
ですので学科選びとラボ選びさえ慎重にやれば私みたいな思いをすることはないです。
あと行きたい研究科の院試で外部性がどれだけ浸食してきてるかはホームページとかで確認できるはずですので、院進する内部生の皆さんは必ず確認しましょう!
家族(大4)がいつも日付変わってから青い顔で帰ってくる。まあ2、3日ならそういう事もあるかって思ってたけど4月からずっとこの調子。聞けばなんか膨大な量の雑用与えられるしたとえ雑用を全部こなしても誰も帰らなくて4年はずっと残ってるらしい。
週6日朝8時に出てって日付変わってから帰る(下手すりゃ明け方とか)休みほぼ無し。朝から晩まで研究室に缶詰。
ブラック企業も真っ青だよ。せめてまともに風呂くらい入らせて、寝かせてやってほしい。パワハラの証拠とかあったら手っ取り早いんだろうけど、手出さずに上手くやって学生コキ使ってるんだとか
就活でもしたら更に膨大な仕事与えられてトドメ刺されるらしいからみんな就活してない。夏休みも取れるかどうかわからなくて、取れたとしても研究室に毎日行くらしい。
休みとは…?
最近明らかに表情が乏しくなってる。マジでそのうち鬱病にでもなって心身ぶっ壊さないか心配だわ
なんか助けられる方法ない?
「君って普通だね」と言われて嬉しい人は少ないだろうけれど、「君って普通じゃないね」と言われて嬉しい人もまた少ないんじゃないだろうか。
大学進学のために上京してから悩まされていた不眠症。無計画が引き起こす学期末のレポート地獄。いつまでたっても片付かない部屋。ストロングゼロと煙草。
僕は地元の田舎では周りのやつらのようなガリ勉をせずともそれなりに勉強ができた。やる必要がないと思う提出物は出さなかったし、学校もサボりがちだったから高校の成績は悪かったけれど、大学受験では苦労せず希望の大学に合格した。今思えば僕は周りとは勉強の方法が少し違っていた(周りが1ヶ月かけてする試験対策を3日徹夜すればできた)。でもそれはむしろ僕自身の美点のように感じていた。もしかすると、時間をかけて勉強した結果僕より点数の悪い同級生をバカにしていた節さえあるかもしれない。と同時に、コツコツとした努力のできない自分自身を恥じてもいた。
それが、大学に行ってみたらどうだ。確かにガリ勉で努力をして入ってきたやつも大勢いる。でも僕みたいな一夜漬けを少し大掛かりにしたような受験勉強で大学にきているやつもたくさんいるじゃないか。それでもいいんだな。
大学3年間。将来の目標に向かって努力をするやつらをとにかく視界に入れないようにして、遊んで暮らした。レポートも学部2、3年までのレベルのものは一夜漬けとその応用みたいなやり方でなんとかなる(なんとかならないものは、それを察知した瞬間に取り組むことを放棄する)。試験が重そうな理系や法学部に行かず、文学部に進んで本当によかったと思っていた。
ところがどっこい、僕を待ち受けていた卒論は、そうはいかなかったのだ。いや、適当に済まそうと思えば、ギリギリ通る具合のものを提出して卒業できたようにも思う。ただ僕は変なところで完璧主義なのだ。テーマ設定のまずさと彼女との仲がこじれたこととそもそも外国語の読解が不得手であったことやらで、去年の12月に全てを投げ出し、引きこもり、学生証に留年シールを貼り、今に至るのである。
去年の冬から部屋に引きこもりがちになった僕を心配した研究室の教授に勧められて訪れた保健センター。大学にこんな施設があったとは、4年間通った大学だが知らなかった。診察室に待ち構えていたのは柔和な表情をした丸眼鏡の精神科医。質問票に答えたり、テストを受けたりと何回か通った後に医者が発した「ADHDですね」という言葉。
そんなことってあるだろうか。23歳にもなって。僕以外の人はもっと楽に生きているってわけか。自分が発達障害ということに気づきたくなかった。
「君って普通だね」と言われて嬉しい人は少ないだろうけれど、「君って普通じゃないね」と言われて嬉しい人もまた少ないんじゃないだろうか。僕は普通がよかったのに。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/feature/1014
寮生は情報発信が苦手だから、誤解されがちなことや誤解じゃないことについて勝手に書いてくよ
そこまで深く運営に携わってるわけじゃないから勘違いや誤りがあるかもしれないけど、自分が理解してる範囲で無責任に書いてくよ
匿名掲示板やSNSなんかで寮に関わる都市伝説的な話がまことしやかに語られるのは遠巻きに見てる分には愉快だけど
ブコメを見て思い込みベースでバッシングされるのはなんか悲しいなーっと思ったので
明らかに裕福そうな家の人もいるにはいるし、寮に来なくても暮らしていけそうな人で言えば多分結構いるし自分もそう
とはいえ素知らぬ顔で一緒に暮らしながら、仲良くなって家庭環境を知ってみると結構壮絶で
授業料免除と寮暮らしとアルバイトでどうにか通ってるような人も一人二人とは言えないくらいには知ってるから
あくまで印象だけど、学生全体の平均と比べてみても割合的にはやっぱ低所得層の家の人たちが多いんじゃないかなって
寮生は多分300人近くいるはずなので、一人一人の政治的な信条について断言はできないけど
少なくとも自分が住んでる数年間の観測範囲では、そういう人達が寮内で大手を振って活動したり、運営に首を突っ込んでる姿は見たことない
というか今時、ああいう連中の妄言にまともに付き合う人っているんかな?(大学構内ではやたら元気に活動してるけど)
一方でマイノリティの権利なんかにセンシティブな人達はいたりはするけど、そういう人たちは勝手にやっててるし無理やり勧誘してくるようなことはないので...
入寮してから表には一切姿を見せず研究室と寮の往復しかしない院生なんかもざらにいるので、寮で付き合いを強制されることはそんなに多くないと言えるんじゃないかな
これはマジ
とはいえそのこと自体が強制されるわけでもないし(嘘か誠か昔は強制されてて、『敬語を使うんじゃねえ!』と先輩に殴られたとかいう笑えない話がある)
自分なんかは入寮するまでの人生で年功序列制を十分すぎるほど内面化していたし、人見知りなので入ったばっかの頃は同級生にすら敬語だったよ
いざ敬語を使わないのに慣れてみると年齢の感覚が曖昧になって、干支ひとまわりくらい離れてるおっさんとも普通に友達になれるようになったし
立場の違いを必要以上に気にすることがなくなってフラットな人付き合いが出来るようになったよ
向き不向きはあると思うけど、自分にとってはこれが一番好きな部分かもしれない
長いこと住んで感覚が麻痺しててしまっている自分ですら、今のような湿度の高いじめじめした季節には廊下の饐えた臭いが鼻につくし
汚さに関していえば共有スペースはともかく、個々の住人の部屋に関して言えば綺麗な人はどこのモデルハウスだってくらい綺麗なので千差万別
写真で見ると不思議とイカニモな感じに見えてしまうけど、変な人もいるにはいるが大半は普通の大学生なので
当たり前にサブカルに興味ある人もいれば、そうじゃない人も多い
寮にサブカル的な価値を見出したり、挙句自分がいかに変わっているかアピールし出すのはむしろ、訪問者側の人たちに多い印象かな
というのも良くも悪くも、住人にとっては寮はまず第一に家であるし、一緒に暮らす住人に自身の特異性を必要以上にアピールしたって遅かれ早かれ化けの皮がはがれるだけなので...
気が向いたら増やす
コトノハ〇×(http://kotonoha.cc/)において、現在問題となっている大量の複垢を用いて大量連投を行うユーザー(以下:複垢連投オヤジ)と闘って感じた支離滅裂な理論に関して言及していく。複垢連投オヤジに関してはanond:20180217203415の記事を見てもらえれば詳しく分かるはずである。
私は、このコトノハ〇×において、複垢連投オヤジから最も個人攻撃を受けてきた被害者のひとりである。
迷惑なことに、複垢連投オヤジは自分の理論は押し通すのに他人の理論には常に批判しかしない。
ここで、私に対しての批判、暴言に対して言及していくことにする。
記事が長くなり、字数制限が厳しくなったのでPart.2を作成。
それくらい、複垢連投オヤジの思考が言い出したらキリの無いくらい滅茶苦茶であるということであるが…。
私はボランティアを趣味のひとつとして挙げているが、これに対する複垢連投オヤジの一方的な批判や暴言に関してである。
複垢連投オヤジは私の行ってきたボランティア活動に対し、「公民館レベルのボランティアで良い気になっている奴」というような内容の投稿を行ってきた。
最近は平成30年7月豪雨(西日本豪雨)が起こったこともあり、その水害ボランティアに行っていないのに、ボランティアを趣味と言っている、要するにやるやる詐欺ではということでそのような旨のコトが相次いで投稿されるようになったが、勿論それに賛同する〇側に回答するのは複垢連投オヤジのアカウントだけである。
更にはとある俳優がこの豪雨の被災地でのボランティアに参加し、Twitterで称賛されたとの内容のコトも投稿された。
複垢連投オヤジは全くボランティアをするということは無く、以前は自身がやっている献血が凄いと投稿し、私のボランティア活動を馬鹿にするようなコトも投稿してきた。
ここで考えてみる。
そうではなく、実際は様々なボランティアがあり、私が行ってきた地域清掃や地域のお祭りにブース出展するボランティアや伝統的なお祭りのボランティア以外にも、子どもと遊ぶボランティアや老人ホームのボランティアなどもある。
しかし、復興支援はタイムリーなものであり、ニュースで取り上げられることが非常に多いため、ボランティアに関心が無い人でも情報として入って来やすいため、これだけがボランティアだと思っている人も少なからず居るようである。
次は、複垢連投オヤジが今回の豪雨の被災地に住んでいるであろうユーザー名を出し、コトノハフレンズ(複垢連投オヤジが運営を名乗る時に使うアカウントのひとつ)が対策委員会を立ち上げて全力支援するというようなコトを投稿し、そのコトのコメントでその活動の一環で私(この記事の筆者)を派遣するという内容を投稿したことに関して言及する。
まず、その名指しされたユーザーもこのコトの内容に対して全否定しているため、コトの内容は捏造で出鱈目である。
ボランティアは、基本的に謝礼金は出ず、個人の意思で行う慈善事業、奉仕活動である。
見返りを求めるというものではなく、徴兵のように本人の意思に反して無理矢理派遣するという性質のものでもない。
それなのに勝手に上記の内容を投稿しているので、もう滅茶苦茶であり、複垢連投オヤジはボランティアとは何かを理解していないのも同然である。
そこまで水害ボランティアに重要性を感じるならば、人に押し付けず黙って自分が行けば良いのではと思う。
見返りを求めないので、前述したTwitterでの称賛や表彰は求めていないので、これを過度に推すのも正直どうかと思う。
複垢連投オヤジは、最近私が東日本大震災の復興支援ボランティアに行けなかったことに対して言い訳だということを投稿したが、非常に腹立たしいことである。
私は学部時代は理系というのもあり、通学時間が長いことと授業で忙しいこととで中々バイトに就けず金欠で復興支援を含むお金が掛かるボランティアに行けず諦めてきたのである。
そんな中、唯一行けた復興支援ボランティアが4年生後期の熊本地震の復興支援ボランティアであり、東日本大震災の被災地となった各県(福島県、宮城県、岩手県)は一人旅で訪れたという事実がある。
しかし、これを言い訳と言われても困る。
人には人の事情、時間があるということを全く考慮しておらず、一方的に批判するために繋ぎ合わせただけの支離滅裂な理論そのものである。
複垢連投オヤジが、私がボランティアを趣味だと言っていることを売名行為だと言ってきたことに関して。
これも、なぜそのように言うのか根拠は全く不明である。前述の通り、複垢連投オヤジにとってのボランティアは「被災地の復興支援」だけであり、それをやっていないのにやっていると言っていることに対してなのだろうか。実際は様々なボランティアがあり、ボランティアを趣味と言っている方は大勢居るはずだがそれらも売名行為であると言えるのだろうか。
ボランティアを始める目的は様々であるが、少なくとも売名目的で始める方はほとんど居ない。私の場合は浪人中、新しいことを始めたくて友人の勧めで始めたことが一番最初のきっかけであるが、活動を続ける中で、ボランティアチーム、また周りのボランティアラーも様々な目的でやっているが、売名が目的という人にはひとりも会ったことがない。多くの方は社会経験や交流など、または子どもが好きなど純粋な理由からである。
ボランティア関連全ての項目に対して言えるけど、複垢連投オヤジは全くボランティアをやったことがない、浅いどころか無に近い知識で語らないで欲しい。
複垢連投オヤジが「就職活動などでの経歴で有利になる為に、自称ボランティア活動をしていると思う」と言ってきたことに関して。
勿論、これが理由でボランティアをやっているという人も多く見てきたので、上記の「売名行為」とは異なり、これが理由で活動しているボランティアラーが存在することは否めないが、ボランティアを始める理由、する理由は十人十色であるため、これはあるひとつのパターンに過ぎない。
この記事を他の項目も含めて読んでいただいたら分かる通り、複垢連投オヤジは常に自分の考えが正しいとして押し通そうとする性質がある。
そのため、それが100%だとして私(筆者)もそうだと思って決め付けて言っているとしか思えない。
そもそも、私は浪人生だった頃から大学院生である今まで、ボランティア歴は7年を超えているが、単なる実績目的だけの人がそこまで長く続くだろうかよく考えて欲しい。
今まで数回体験で来ただけの人、実績や単位目的だけでインターンシップで来た人など短期だけだった人は多数見てきた。
何も知らない浅はかな知識で、これ以上ボランティアについて語らないで欲しい。
2018年9月上旬、台風21号で近畿地方が被災、その数日後に北海道胆振地方で震度6強の地震が発生した。
この中の「北海道地震」に関して複垢連投オヤジが地震関連、ボランティア関連のコトを複数投稿したことに関して。
前述の通り、被災地の復興支援だけがボランティアではなく、ボランティアは原則的に人に強制して行わせるというものではなく、自分の意志で行う慈善活動であるが、複垢連投オヤジは何度言っても聞く耳持たずなのでそれを理解する脳は無く繰り返し機械的に投稿しているようである。
特に自然災害に対してこのように書くことは、被災地や被災者への冒涜とも取れる。
もう、言いたいことは上記で言い尽くしたので言うことは無い。
何も知らない浅はかな知識で、これ以上ボランティアについて語らないで欲しい。
複垢連投オヤジが「〇〇(私のユーザー名)は尾畠春夫を冒涜していると思う」と言ってきたことに関して。
これは、北海道地震発生後に複垢連投オヤジが投稿されたコトであるが、上記のTwitterでの称賛等に関する内容のコトだと思われる。
まず、今までの経験上、ボランティアラーが他のボランティアラーの活動を馬鹿にする、批判するという人に会ったことがなく、友人やボランティアでの友人から聞いた話でもボランティア活動に関して批判する人は自らボランティアをやっていない人ばかりである。言葉を少し付け足すとすれば、ボランティアラー、チームの活動交流会において意見交換や討論をすることはよくあり、そこで出た悪い意見(改善点等)のことを「批判」と言うかもしれない。複垢連投オヤジの意見をこの「批判」と考えると、内容はもってのほかであり、全く理論として成立していない。勿論、尾畠氏は活動が評価され、表彰されており、それだからと言って他のボランティアラーや活動を一方的に批判するようなことはまず考えられない。特に尾畠氏は「スーパーボランティア」として新語・流行語大賞にノミネートされたとき、自分の行動は当たり前であり、スーパーではないという旨で辞退したほどである。
複垢連投オヤジは懲りずに「公民館レベル」とか「生ぬるい生活」とか色々言っているが、自分がボランティアを全くやっておらずボランティアのイロハの「イ」も知らないのに知った気になって出鱈目を語るのはいい加減もう止めてもらいたい。
私は男性ながらあんさんぶるスターズ!(以下あんスタ)をプレイしており、その中で可愛い系のキャラを推していることに対し、複垢連投オヤジが「ホモショタ (ショタコンなホモ)」であると決めつけていることに対する言及である。
まず、考えて欲しいが、男性があんスタをプレイすることがそこまで不自然で可笑しいことなのだろうか?
私があんスタをプレイすることに踏み切れたのはあんスタをプレイしている男性のニコ生主やYouTuberがきっかけである。
また、ゲーム内の公式掲示板やTwitterでもあんスタの男性プレイヤーは見掛ける。
それらも不自然と言えるのだろうか?
あんスタに限らず、男性が男性アイドルゲームや男性キャラ中心の育成ゲームをプレイすることを批判する人に言いたいことがある。
これに対して誰もが納得できる回答が出来るだろうか?
出来ないだろう。
女性のラブライバーは多いのに、男性のあんスタプレイヤーは少ない、また批判されることもある、これは正直可笑しい話であるので、これを書かせて頂く。
もし、男性のあんスタプレイヤーがホモであるなら、女性のラブライバーもホモということになってしまう。
経験則であるが、あんスタ、アイナナを始めとした男性キャラ育成ゲームをプレイしている男性を批判する女性を全く見たことがなく、寧ろそのようなゲームをプレイしている女性は、男性プレイヤーを歓迎する傾向にある。
それ故、女友達に勧められて始めたという男性プレイヤーも多いそうである。
私もリアルで女性プレイヤーとあんスタの話題で盛り上がったことは何度かある。
あんスタ等の男性プレイヤーを批判する人は偏った価値観を持った男性が多数を占めるのではと思う。
私にとって、あんスタの男性プレイヤーをすぐにホモだと決めつける人は短絡的で世界が狭い、頭が固い人だという評価を下さざるを得ない。
最近は複垢連投オヤジが私に関して過度な粘着、ストーカー行為を働いており、ホモと思われるような発言も見られることから、複垢連投オヤジ側がホモであると見られており、新たに「ホモオヤジ」という蔑称で呼ばれるようになった。
複垢連投オヤジは37歳、私は26歳であり、私が複垢連投オヤジ等と言った軽蔑した発言をすることに対し、複垢連投オヤジが年上なのだから敬語使えと言ってきたことに対する言及である。
まず、年上ならば必ず目上なのだろうか?
それは間違っており、上司が年下、部下が年上ということはよくあり、私は浪人していた時期があったことにより、私が4年生の頃の研究室の大学院生は私より年下であった。
このように、年齢は必ずしも位に一致しない。
コトノハの一般ユーザー間においてこのような位は存在しないため、本人の人間性や評価による部分が非常に大きいと言えるが、複垢連投オヤジは私を含む他のユーザーにとって信頼される存在だっただろうか?
全くそうではなく、大量のアカウントを用いて尋常ではない量の連投を行う、更にはそれを批判してきたユーザーのアイコンを盗用し、小学生レベルの低俗な落書きを加えたアカウントを作成して使用するなど、多くのユーザーにとって極まりなく不快な存在であった。
それ故、コトノハでは「複垢連投オヤジ」や「連投バカ」、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)のコトノハスレ界隈では「漫湖」等と言った蔑称で呼ばれるようになり、多くのユーザーに嫌われてきた。
私や一部のユーザーに関しては趣味や価値観を全て否定されて嫌がらせを受けてきた。
果たしてそんなユーザーを尊敬し、敬いたいと思うようなユーザーは存在するだろうか?
全く居ないはずである。
複垢連投オヤジはそんなユーザーであるので、幾ら年上でも軽蔑すべき要素しかない。
年相応に扱ってほしければ年相応の態度で居て欲しいものである。
あそこらへんの研究室とか学会の音楽学は、西洋音楽がすべての基盤にあるけどそれを意識していないから、西洋音楽系の研究なら良いけどそれ以外は中途半端な手の出し方になって言ってはなんだけど価値のない研究しか生まれない。
だからさ、ちょっと乱暴すぎない?東洋音楽学会系列のアプローチと音楽社会学のアプローチがそもそも違うのにその切り口は雑でしょ。今のそっち系のスタンダードは定量的研究って無理じゃんという所から出発していて、音楽を通して社会や社会通念を記述することが目的では?テクスト至上の時代はレヴィ=ストロースを機に終わったけど、あえて今テクスト論を扱う事を音楽の記述と言ってしまっていいものかどうか?
そのふたりが「ザ・音楽学者」なのは音楽学としての良し悪しは別としてそんなものかと。
あそこらへんの研究室とか学会の音楽学は、西洋音楽がすべての基盤にあるけどそれを意識していないから、西洋音楽系の研究なら良いけどそれ以外は中途半端な手の出し方になって言ってはなんだけど価値のない研究しか生まれない。文献とか聞き取り調査からこねくりまわすことはできても、それ以上のことはできないでしょう。音楽学の研究は少しはできるとしても、音楽の研究はできないと思うよ……というのが自分の思う音楽と音楽学の違いだけれど、増田の思う音楽と音楽学の違いはまた別の話なのかな。
shibuya12 いいね!よく逃げ切った!レイプされる奴が悪いんだから増田は罪悪感なんて感じる必要ないよ。堂々と明るい未来を歩んでいってほしい。
「常識的に考えて溶ける訳ないでしょ」 “焼き鳥とビールが水になる”痩せサプリ、販売会社が効能ないと認める (1/2) - ねとらぼ
shibuya12 社長GJ!こんな商品に騙される馬鹿が百パー悪い。社長は悪くないよ。
騙された奴は自らの意思で商品を購入したのに社長に責任転嫁すんなよ。この世はやったもん勝ち。人を殺そうと騙そうと金を稼いだ奴が偉くて正義!
shibuya12 んー。大金さえ稼げればアウトローな仕事でもよくない?さっさと一生分の金を稼いで海外に移住したほうがいいでしょ。ただ真面目に働くとか馬鹿だと思うわ。
北野武、世の男へメッセージ「人のせいにするな、“当たり前のこと”をやれ」 | OLIVER
shibuya12 漫才のノートを、いつも持ち歩いて何かあるとすぐ書き込むくらいのことは誰でもやってるわ。たまたま才能が有って成功しただけやん。
何度産休したらクビに出来るの?
shibuya12 自分で中だしセックスして孕んだんだから自己責任でしょ。なんで社会が助けなくちゃいけないわけ?人の迷惑を考えてよ!
数年前まではMEC、TECOMがほとんどのシェアを占めていたのが、medu4やQ-assistといった新規勢力が急速に台頭し始め、医学生にとって選択肢がかなり増えた。
その中でもmedu4というのは、元MECの講師が中心となって始めたもので、他の予備校との差別化点を簡潔にまとめるとすれば
といったところであろうか。筆者も全ての予備校を見ているわけではないため、他人の感想も参考にしている。
また、予備校というものを介さず、オンラインで誰でも申し込めるため、最近は4回生以下でmedu4を始めるという状況がちらほら見受けられる(主にtwitterで見かけるのだが)。
特に印象的であったのは、
『医学的知識の非効率的な復習がダルいからと、一通り終わらせてる高学年で改めて使う便利なコンテンツがビデオ講座なのに、低学年で使っちゃうと「高1で赤本解く」並みに無意味やぞ。そんな時間があるなら、もっと大切なことがあるやろ。遊んだりとか、低学年でしかできない基礎の勉強したりとか』
『私が学生時代に教鞭をとっていた鉄緑会では中学2年で中学の内容が終わります。そして中3から高校の内容をはじめ、高1で東大の過去問を解きます。 そして今や理III合格者の3人に2人が鉄緑会出身者です。 つまり、本当に効率良い人は高1で赤本解いて、余った時間で遊んだりしています。話の次元が違う。』
と返信していることだった。
しかし、本当にそうであろうか?私は低学年(1、2回生もいるらしいが)でこのような国試向けの教材に手を付けるのはよくないと思う。以下に理由を述べる。
医師国家試験には傾向という概念がある。厚生労働省が医師に何を求めているかが色濃く反映される試験であり、それは近年の知識重視から臨床重視へのシフトという形で表れている。そしてこれからも高齢化社会など、日本の医療の形態が変わりうる状況は続いているがゆえにこの国家試験の内容も今のまま変わらないとは考えられない。そんな状況で、低学年からその直近の国試をターゲットにした教材を解いたところで、自分が6回生になった頃には何の役にも立たない知識である(もちろん不変の知識もあるが)。考えてみてほしい。5年前のQBを解いている受験生など、どこを探してもいないのである。そのため、国家試験を見据えてmedu4を早いうちから始めることに意味はない。
そもそも、medu4に限らず予備校教材というのはいかに効率よく国試に必要な知識を身に着けるか、あるいはどのようなことが次に問われうるか、というメタ的な勉強を重視している。国試合格だけを目的としているので当然である。よって、その内容は偏りがちになる。同じ病気についての知識でも、過去に問われたことがあるかないか、それがこれらの教材の中での重みづけとなっている。しかし、実際医学はそれだけじゃない。もっと細かい知識や新しい知識、調べれば面白いことが山ほど出てくる。ならばあえて最大公約数のような教材よりも、論文や各大学の研究室、あるいは最低限ハリソンをはじめとした成書を基に勉強するのが後々のためにもいいのではないだろうか。そもそも低学年でmedu4に目を向けるような人は意識が高いはず、その高い意識をもっとレベルの上の領域に向ければ周囲から尊敬されるような存在になれるのでは。
③国試ベースの効率化された知識体系を早期から身につけるのはよくない。
大抵の大学は、基礎や臨床の科目の試験で国試で問われているかなんて考える教授はいない。各自が専門にしている高度な内容まで趣味で踏み込み学生を苦しめる、そんな試験を作ることが意外に多いのではないだろうか。あるいは国試ではほとんど触れられないような分野、例えばリハビリや遺伝医学などが設置されている大学もあるかもしれない。そういった内容に、国試用にチューニングされた知識体系をもった人が触れたらどう思うだろうか。これは国試に出ないから重要じゃない。そんな風に思う人も出るのではないだろうか。教授が趣味で出す高度な内容や、一生使わなさそうなマイナー知識、そういった多種多様の知識を必死に詰め込み蓄えた後に国試の勉強をすると、意外な発見があるものだ。だから、せっかく大学が凄まじい数の講義を提供してくれるのだから、まずはそれに力を入れてもいいのではないだろうか。
④国試の心配なんかせずに遊ぶべき。
1回生から国試の勉強してたら心が持たない。せっかく大学受験が終わったのでちょっとは外の空気に触れるべき。勘違いしてほしくはないが、医学の勉強はどんどんしてもいい。研究室に通って実験したり、勉強会に参加してみるのはよいことだ。もちろんバイトや部活に精を入れるのもよい。でも、5年以上後の国試のことを考えていたらどんどん目の前の楽しいことを逃してしまう。どうせ直前に死ぬほど勉強するのだから、今しかできないことをやれ。国試なんて6回生からギアを入れたら90%受かる。気にするな。
これくらいだろうか。以上①~④が、国試を目前に控えた私が思う、医師国家試験予備校教材との付き合い方だ。本当は医師国家試験なんて気にせずに医学を勉強するのが一番良い。詰まるところ低学年でmedu4をやるのは勝手だが、あたかもそれがbetter choiceであるかのように周りに布教するのは最早悪といっても過言ではないと思うがどうだろうか。
6月の初めに就職内定貰って、あとは中間発表と論文書きあげるのを終わらせれば晴れて社会人なんだけど、
別に今もコアタイムあって時間に拘束されてるし、なんなら土曜日も当番で登校するから体力的にはむしろ楽になるくらいなんだけど。
ただ、小学校から大学院まで基本的に狭いコミュニティで暮らしてきたから、いきなり大企業の中に放り込まれるのが苦痛。
内輪ネタで朝までげらげら笑いながら研究室や部室や友達の下宿で酒飲んだり、そういう少人数ゆえの距離の近さみたいなのが取っ払われて、
全員が出世の競争相手な中で一日の大半を過ごすのしんどそう過ぎ。
みんなどうやって40年近くこの苦しみを耐え忍んでいるんだ。
自分は氷河期だったが当時はインターネット就活じゃなかったから状況が違うのであまりたいしたことは言えないが、一応一部上場から二部落ちした企業で、二部落ちする前にリクルーターもやっていた(今は転職して別の企業にいる)。
何かをやりたい、という気持ち。これは仕事にはあまり役に立たない。そのために何をやったのか、あるいは、今までやった何がその仕事に役に立つのか、それだけを考えるべきだろう。ボランティアでもサークルでも良いけど、自分はずっと勉学、あるいは理系なら研究室での過程や成果を見ていた(まあ、部門がちゃんと基礎力必要な部門だったからね)。なんにせよ、「やりたい」は上辺か本心か見分けられないけど、「やった」なら見分けられる。
横の人間なんかどうでもいいから、自分と相手だけを見るんだ。わかったな。
あと自分も、そろそろ履歴書のアップデートしないとだな、と思い出した。