あそこらへんの研究室とか学会の音楽学は、西洋音楽がすべての基盤にあるけどそれを意識していないから、西洋音楽系の研究なら良いけどそれ以外は中途半端な手の出し方になって言ってはなんだけど価値のない研究しか生まれない。
だからさ、ちょっと乱暴すぎない?東洋音楽学会系列のアプローチと音楽社会学のアプローチがそもそも違うのにその切り口は雑でしょ。今のそっち系のスタンダードは定量的研究って無理じゃんという所から出発していて、音楽を通して社会や社会通念を記述することが目的では?テクスト至上の時代はレヴィ=ストロースを機に終わったけど、あえて今テクスト論を扱う事を音楽の記述と言ってしまっていいものかどうか?
そのふたりが「ザ・音楽学者」なのは音楽学としての良し悪しは別としてそんなものかと。 あそこらへんの研究室とか学会の音楽学は、西洋音楽がすべての基盤にあるけどそれを意識し...
あそこらへんの研究室とか学会の音楽学は、西洋音楽がすべての基盤にあるけどそれを意識していないから、西洋音楽系の研究なら良いけどそれ以外は中途半端な手の出し方になって言...