はてなキーワード: 稽古とは
J氏からの性加害を訴える告発をこれまで見てきて、どうにもモヤモヤしている気持ちを抱いているのでここに書いておく。
当初は告発が事実だとしたら、被害者は救われて欲しいと思っていた。
ただ加害者は死亡していて本人からの謝罪は不可能なので、どういった形が被害者にとってベストな解決なのか。会社が見ないふりをして自分たちを排除してきたというなら、会社からの謝罪と慰謝料などの救済は必要だろうな、と思っていた。
引っかかったのはバックにいるのが以前事務所からJ氏の性被害についての記事で訴えられて負けていた文春で、BBCへ働きかけてあの番組を作らせたことを伏せて報道したり、告発している元Jrの証言に矛盾や事実でないことを確認もせず記事にしていたり ※1、そもそも元Jrたちに何百万円払うから被害を告発してとDM送りまくってたり※2、証言したJrと会見する度打上げ会してたり、何やら某政党と繋がってると告発してるJrが漏らしてたり、あれれ?という思うことがどんどん多くなってきた。
告発者たちの顔ぶれが、DVで訴えられそうになってるのとか、以前追っかけマップ作って迷惑かけたやつとか、事務所へ身内を入れてた上それ言う的なのとか、入所をすすめる記事書いてたやつとか、今も精神的に不安定で病院に通ってますと言いながら会見の後の記者と飲み会楽しかったとかいうやつとか、よくもまあという人たちで。
明らかに盛ってないかと思える証言※3や、そこまでいる?と言う描写入り証言とか、何より告発者たちの求めることの大半がお金と事務所を潰すことなのも、段々疑惑の目を向けたくなるのも自然なことで。
一番わからないのは、証言している告発者たちが現社長を非難している一方で、揃いも揃って当時Jrを管轄していた事務所のお偉いさんであったI氏と、Jrのトップとして長年取り纏め、デビュー後もJrを監督し、スノストをデビューさせるのに貢献し、ついこの間まで副社長として長年Jrを一番見てきていたであろうT氏に誰も何も言わないのは何故なのか。
現社長はデビュー組にしか興味ないと一部で揶揄されるほどほとんど関わっていないので、一番近いところにいた事務所側の人たちに、マスコミ、いや文春がまず証言取りに行かなくてはいけないのでは?
特にもう今は事務所側にいない人間なのだから忖度なく話てくれるはずと、お得意の突撃をすべき対象では?
一番何もかもを知っているはずだし、もし証言が正しければJ氏に加担していた人たちなのに。
真っ先に責任追及されるべき存在であるにも関わらず、全く名前が上がらないのが逆におかしい。
J氏が以前ゲイであることを否定していたことや、事務所離れた元タレントたちやJrが、そんなことはなかったという証言をしても報道されないのも随分一方的だ。
その一方的な報道に対して、現タレントへの中傷や風評被害はもとより、事務所は潰れろと言う人たちがいるのが腹立たしい。
そもそも、もし本当にJ氏が性加害をしていたとして、J氏はもとよりM氏が亡くなるのを待ってやっと証言出来たと言うのが事実として、じゃあ事務所にいる全タレントが被害者だと決めつけて言うのはセカンドレイプに当たらないのか。
そしてその被害者たちが未だ事務所に所属し、タレントとして成功しているから加害者側に立っているとか、仕事を取り上げるべきというのはおかしな理屈では?
もしも万が一、二人が亡き今やっとアイドルとして心置きなく仕事が出来る、けど過去のことは忘れて話したくないと思ってる被害者が居たとしたら、それは救われなくてもいい被害者だということなのか?
今事務所のファンとして望むことは、本当に被害者がいるなら救われて欲しいし、間違っていることがあるなら正して欲しいということ。
何が本当で何が嘘なのか、あったことをなかったことにはせず、なかったことをあったことにせず、それらを公明正大に明らかに出来るのはやはり司法の場ではないかと思うので、もし本当に彼らが「自分たちのような存在を二度と出さないように」と言うならまず法的に訴えて欲しい。
こうして勇気を出して告発して国会に行くぐらいなら出来るはず。
きちんと法の下で裁かれる事案であることは間違いないのだから。
法の下で出た結論を待って、応援している彼らとの向き合い方を考えたいと思うのは間違いではないはず。
あ、それからペンライトとかいうファンを名乗る集団は、元々言動がファンじゃねえなと思ってたら香ばしい集団だったので無視。
https://www.youtube.com/@paperhousekun
先輩グループのバックでホテルに泊まっている時→その時地方公演のあるグループは日帰り
ジャニー氏が車椅子に乗ってジャニヲタが心配していた時期に被害?
などなど。
本人のつらい記憶が時期を間違えていたとして、記事にするならある程度調査してから記事にすべきでは?それでジャニヲタからツッコミが入ったら、批判されたといいながらちゃっかり記事を訂正してたりするのは信憑性を疑われても仕方ないのでは。
※2
※3
一回5万貰って二年間で200回と言ってる告発者いたけど、合計で1,000万円貰ってたのマ?
その前に毎日本業の演出や、稽古、地方公演へ同行、送られてくる履歴書を全部見るなどなど聞きかじっただけでも朝から晩まで忙しくしていて、その上何百人といる全タレントに次々手を出すってどんな性豪というか超人と思われているのか。いや、モンスターか。
中一の春休み、初心者なりに1年続けた剣道の部活で少し距離のある高校に稽古に行く事になった。
高校生に向けて作られた練習メニューは、いつもこなしている内容とはあまりにも違って、1年生の私はまともについていけなかった。
女子は男子より多少易しいトレーニングをさせられたけれど、息が続かず呼吸も苦しかった。
高校側の顧問の先生はゲストのこちらに優しい印象で、休むことも許可してくれていたように思う。
1人体調を崩し途中で見学者が出たけれど、私は精一杯頑張らなければ、と思って全力で掛け声を叫びながら道場の端から端までを一息でかけた。無理をしたのか過呼吸の状態になり、私は先輩達の稽古の後ろで呼吸が収まらないのと、厳しい指導の言葉に涙が止まらなくなって嗚咽のまじった声で醜く泣いていた。
高校の先生と生徒の前で私が子供のように泣いているのが不名誉だったのか、恥ずかしかったのか、何かそういうプライドみたいなものを気にしながら「泣いても誰も助けてくれると思うなよ(だったか、助けてくれへんぞ、だったか、とにかくその時の景色だけは鮮明に思い出せる)」
と、皆の前で私に言った。
床に座り込んでいた私の視界に見える道場の仏教的な絵と、冷たい床と見下ろしていた顧問の風景が、今もそこにいるかのように蘇ってくる。
泣いてもなんにも解決しないよ。
その時とはニュアンスがまるで違っていて、
醜くて、上手く呼吸が出来ない弱い私を恥じるかのように。
帰りたい。
自分だけがあの冷たい道場に取り残されたまま。今もまだ、あの時の13歳の私は帰れないでいる。
退部を決めた私は、先輩に挨拶を、と思って一人一人にお礼を言って終わった帰り道、「何か俺に言うことないんか」と、ひとこと。
ありがとうございました。
顧問が戒告処分を受けたことをきっかけに、ネットニュースに載り、誹謗中傷も受けた。
メンタルが弱すぎる、この先の人生生きていけない。親が甘やかしたから。など
何度も死のうと思ったけれど、低い天井と、首に絡まった電気コードが自分の血の流れを止めていく感覚と、息苦しさでいつもやめてしまった。本当に死ぬ勇気なんかなかったのだろうけど。
リストカットで傷が残るのは何かのアピールのように思われる気がして、耐えられない時は自分の髪の毛を酷い時は坊主みたいになるまで切った時もあった。
昔は見ていた学校の先生から追いかけられ、決まって窓から飛び降りる悪夢や、つらいフラッシュバック体験の頻度も減ったけれど、些細なきっかけで思い出すことがある。
私は価値がない人間だ、この先頑張っても、きっとネットのコメントが言っていたみたいに、弱いメンタルのせいで挫けるのかもしれない。
前と比べて前には勧めているけど、きっとそうに違いない。
むしろ弱い子供は不登校で学校来ない方が周りの子や先生は助かるかも。
という書き込みがあった。
さっき、Twitterで話題になっていたトロッコ問題のことが頭によぎった。
このまま何もしなければ5人死ぬ。
1人の命と引き換えに自分が生きていると知ったら、亡くなった1人の家族と、恋人と、友人の気持ちは。毎日苦しくて、その瞬間がいつも鮮明に思い浮かんでくるんだろうか。
耐え難い悲しみが押し寄せてきても、それでも生きないといけない。
親はいつか死ぬ。最後に信じられるのは自分だけ。どんなに苦しくても、辛くても、自分で生きる道を探していかないといけない。
私はどんな立場になっても、たった今トロッコに立たされている誰かにそっと寄り添ってあげられるような、そんな選択ができる大人になりたい。
余談
1年生の女子部員は私だけで、団体戦はレギュラーの人数が足りないので、私に期待がかけられすぎていました。
試合に負けると怒られるので、剣道の楽しさがどんどん分からなくなっていきました。
部活と勉強の両立の部分でも、勉強を優先するとよく怒鳴られました。退部をきめた先輩を部員で囲わせ、辞めないように説得させ、逃れたくて窓から飛び降りようとした先輩もいました。同級生が部活をやめようとしていた時、「剣道部より○○部が楽やから辞めたいんやろ」と怒鳴りつけていました。
みんなおかしいと思っていました。
だから教育委員会も動いてくれたんだと思います。兵庫県は内心がとても受験に響くので、部活を辞めたら行きたい高校に行けなくなるのではという気持ちがあり、やめられませんでした。先輩はみんな、優くていい人たちでした。
私の母がネットニュースに記事を売ったなんてことは絶対にありません。記事の削除に動いてくれたのも、辛い時寄り添ってくれたのも母や家族です。恵まれた環境にいることを感謝しながら、これからたくさんの人との出会いを大切にして、人として成長していきたいです。
地下格闘技とか言ってステロイドでただでさえ保険証もなくて不摂生な生活して、あんな無駄なことしてるくらいなら
海外の狩猟動画とかアフリカとかミャンマーの暴動映像とか見てたら
アメリカのちゃんとした狩猟で自分で作った丸木弓でイノシシやクマ一撃で射殺す映像とかいっぱいあるし
手作りの火縄銃や弓矢でミャンマー国軍の兵士や平和維持軍の兵士闇討ちして武器奪ったりしてるニュースや写真いっぱいあるじゃん
あんだけ金や女を犯罪で手に入れたいからって反社やってる連中のくせに
だってあんな中学校の社会や高校の日本史Bの教科書に作り方や使い方や図書館行けばアーチェリーや弓道や射撃の教科書いっぱいあって稽古から維持管理の方法まで書いてるの載ってるようなもんでそれほどのパワーが手に入るなら、もう無敵じゃん
頭が悪いから海外ソースの映像とか資料とか調べる知能がないとかかなって思ったけど
昔っからヤクザの顧問弁護士とか、自衛隊崩れとか警官崩れとか、一流商社や省庁崩れのインテリ型や技能型反社いっぱいいるのにあんまりないよねそういうの
ぼる塾の酒寄希望さんを知っているだろうか。
メディアに良く出ているぼる塾は3人だけど、ぼる塾にはもう1人、酒寄さんというメンバーがいる。
酒寄さんには息子さんがいて育児休業中だったけれど、最近では一部の劇場に復帰し、執筆活動をしたり、ぼる塾のYouTubeに出演したりしている。
私は自分が出産するまで、「酒寄さん育休中って言うけど、期間長くない?」と思っていた。
私が勤めている会社では、大体1年で復帰する人ばかりだったからだ。中には数ヶ月で復帰する猛者もいた。
だからなんとなく私も、子どもを産んだ後は1年で復帰して、まぁ時短にはなるかもしれないけれどあとは元に戻ると思っていた。
いや、無理だ。
まだ育休中の身ながら実感している。
元に戻るなんて無理だ。
習い事の先生には「育児が落ち着いたらまた通いたいです」なんて話をしていた。
いや、落ち着くのっていつだ。
子どもは産んで終わりじゃない。
そんなことわかっていた筈なのにわかっていなかった。
保育園に通わせたって、仕事終わりに迎えに行かなきゃいけない。小学生になったって同じことだ。
育休中の今、旦那さんや母に預かってもらっても、歯医者に行くのがやっとだ。
ここで漸く酒寄さんのことにいきつく。
私はぼる塾が好きで、妊娠中も出産後もよくぼる塾のYouTubeや、出演したテレビ番組を観ていた。先日酒寄さんが出版された本のイベントも観た。
酒寄さんはこのいつまでも終わらない育児の合間に、ネタを考えたり、連載を執筆したり、挙げ句に今は舞台にも立っている。
凄すぎる。
YouTubeにも出ているし、中でも田辺さんと酒寄さんのラジオ「田辺の和室」ではずっと小気味良いトークを繰り広げている。
すごすぎる。
更に更に酒寄さんは、よくぼる塾のメンバーとLINEでメッセージを交わして、精神的支柱にもなっている。
いや、すごい。
子ども1人抱えていっぱいいっぱいになっている私には途方もない仕事量に思えた。
先日、酒寄さんがSNSにある呟きをしていた。
その前からこの文章を書きたいと思っていたんだけど、今こそ誰かに伝えたくなって実際に書き出してしまった。
ぼる塾の酒寄さんはすごかった。
今も現在進行系ですごかった。
ハッタショ増田は昨日暴れてたじゃん
「萎びた果物や野菜が貼っていいのは見栄じゃなくて半額シールなんだよ」とか
「レムちゃんヘスティアちゃん女神官ちゃんみたいなJKくらいの美少女と付き合いたいとかお前はそいつらと付き合うにあたって、何か功績や技能や才能あんのか?」とか
「性格悪い歳食ったババアが悪役令嬢みたいな真似事して、家柄最高で尽くしてくれる若いイケメン肉オナホ欲しい夢小説みてぇな人生歩みたいなら、海外で滞在費合わせて30万くらい叩いて元特殊部隊とかがインストラクターやってるところで準軍事訓練の稽古つけてもらってからテロリストとして活動するくらいしか方法なくね」
とか言ってた
上で指摘してる増田もいるが
揚げ足取りでも屁理屈でもなく、法律改正されて人格障害はいくら重度でも精神障害として定義しなくなったから精神科医も法律上動けんのよ
方法があるとすればアルコール依存症とかギャンブル依存症みたいな依存症系統として精神病院に押し付けるしかないわけなんだが、その症状を見てる限りでは酒やタバコはあんまりやらないし、外に出て手当たり次第人に殴りかかっていくと言ったことはしない、健康優良な暴力反社会性人間だからなおのこと難しい
総力戦の戦争中の社会とかなら、その手の基地外さんを忍者の隠れ里みたいな秘密工作員養成キャンプに国が放り込んで、特殊工作員として稽古つけて爆弾みたいに敵国に放り込むと言ったこともしてくれてたけど
わいもこの嫁さんと同じようなことをわいの嫁さんにやってる(やってた)
具体的には、嫁さんがすぐ被害者ぶるのでこっちも被害者ぶるようになった。
事例をあげると、
・「家事も何もしてくれない!」って喚くのでこっちも「家事も何もしてくれない!」って喚くようになった
・やりたくないことがあるとすぐ「こんなの難しくてできない!むり!」で終了させるのでこっちもやりたくないことがあったら「こんなの難しくてできない!むり!」で終了するようになった
・少しでも気に入らないことがあったら機嫌が悪くなってスネるのでこっちも少しでも気に入らないことがあったら機嫌悪くなってスネるようになった
・ちょっとでも批判めいたことを言うと「私のこと馬鹿にしてるんでしょ!」ってブチ切れるのでこっちも少しでも批判めいたことを言われたら「私のこと馬鹿にしてるんでしょ!」ってブチ切れるようになった
・ちょっとでも何かぶつかったら「いたいっ!!!!ひっどい!!」って喚くのでこっちもちょっとでも何かぶつかったら「いたいっ!!!!ひっどい!!」って喚くようになった
これら、私は本気では(本心では)やってない。ただ、嫁さんの態度をマネてやってるだけ。
これをやり始めてから嫁さんは自分の有害な女性らしさをだんだん自覚し始めて、いまでは全くやらなくなった。
たまにおどけて、有害な女性らしさを発揮する嫁さん、のマネをする私のマネをされることはある。
それに応えてこっちも有害な女性らしさゴッコをやることもある。
この手法を発見する前は、こっちもムキになって怒ったり、なぜそれが恥ずべき行為なのかを理屈でクドクドと説明した期間が長かったが、まったく効果がなかった。
ふとあるとき「泣いてる子供を泣き止ませるには、泣いてる子供の映像を撮って子供に見せればいい」という児童福祉関係の人の言葉を思い出して、嫁さんの言動をミラーリングするようになった。
自分の悪い点を抽象化されて言語的に説明されてもダメージ受けないけど、実際の言動で反撃されるとダメージ受ける。しかもそれが過去の自分の言動に起因するので反省パワーが上がる。
最近は嫁さんも私の悪い言動(「んあ〜〜」とか言ってすぐとぼける、自分勝手な振る舞い、先延ばし癖)を演技して教えてくれるので、すみませんでしたって謝罪する事が多い。
また、嫁さんのポジティブな言動もミラーリングするようになった。
例えば、男性は基本的に女性みたいに「わあ!」とか「ありがとう!うれしい!」とか「これおいしいね!」とか、感情を大げさに表現しないが、
そこは恥ずかしさを忘れて、あえて「わあ!」とか「ありがとう!うれしい!」とか「これおいしいね!」と嫁さんのマネをする。
すると、それがとても嬉しいみたいで喜ばれることが多くなった。
正直な話、こっちの中にはそこまでの感情は無いんだが、相手(異性)は異星人みたいなもので、ほぼすべてのSFで惑星間コミュニケーションは基本マネから入るように
「そういうもんだ」と納得させてやってるけど、このしっぺ返し戦略はうまくいくっぽい。
夫婦関係の問題の解決は、相手との同調と同期を取ることがコツっぽい。
追記¹
嫁さん曰く
「女はただ女であるだけでヨシヨシされて育ってくるので反省する機会が無いまま大人になってしまう」
「感情的に喚けば周りが解決してくれるので、そのような習慣が形成されてしまう」
「クリィミーマミみたいにやりたくないことは「イヤ!」の一言で強制終了させられるのが女」
とのこと。
(クリィミーマミは最近の昭和再評価みたいな流れから話題になって配信かなんかで一緒に観た。)
女も男も成長過程で普通に怒られが発生して社会生活では一人前の大人になってたとしても
子供の頃に家庭内だと甘えが通用した経験が深く刻み込まれているので、夫婦関係だと家庭内なので甘えが再発して子供っぽくなってしまうんだと思う。
確かに主語がでかかったし、「家庭内では」と限定したほうが良かった。
私も家庭内だと子供っぽくなって報連相を怠るとか自分勝手な行動するとかしてしまう。)
追記²
こっちの中に感情がなくても、嫁さんの言動をトレースすることで、ある程度相手の感情も理解できるようになったよ。
自分にこの感情のモチーフがなくても、この感情がポップしてくる合理性とか過去の出来事とかを思い出せるようになる。
そして、この被害者ぶることによって相手を悪者に仕立て上げる手法の巧みさにも気づいて、畏れ入った。
なんつうか、本当に最小限の言葉だけで最大の効果が得られるの凄いよ。被害者ぶる言動のマネは絶対にやってみた方がいい。面白いくらい強いから。
理屈じゃなく直感でこれをやってた嫁さんをある意味で尊敬してる。
追記³
これ単純に軋轢を生んでるだけだと思う。妻は夫に本心を聞いてもらえず、表面上は仲良く振る舞うようになっただけじゃないの。妻の気持ちに寄り添わないかぎり、将来的にしっぺ返しを喰らうのはあなただと思うよ。
みたいに心配されてるので。
この手法は嫁さんには内心はかなりウザがられてると思うけど、毎日嫁さんからチュウチュウしてくるし、こっちが悪いことをしたらそれはそれでやり返されてるので、しっぺ返しはすでに受けてるしあまり心配してない。
単純に被害者ぶる言動のマネをやりまくると被害者感情がインフレして価値暴落してバカバカしくなってくるんですよ。
そうするまねっこどんどん的な遊びに変化してきて、お互いに「ある感情」とか動物とか出来事とか擬音とかのマネをお互いにリクエストするようになって、いろんなモノになる遊びをやるようになってきた。
うちがたまたまそうなっただけかもしれないけど、自分以外の何かになる演技をやることによって、自分の言動を相対化する効果があるんじゃないかって気がする。
不満を感じてるならちゃんと真正面から向き合って伝えればいいのに、相手の真似をして馬鹿にするような方法はやめましょう、気持ちが離れるだけですよ、って話をしてるんだけど…...
最初は真正面から向き合って、ぶつかり稽古しまくって、結果お互いに爆発してたんですよ。だけどあまり得はなくて。
嫁さんのマネをするようになってから、嫁さんと同じ方向を向けるようになったと思います。そのほうが得られるものが大きかったです。
嫁さんも粗野な私の姿をマネしてくれますが、反省もするし、私のことを見て理解してくれてるんだろうな、と嬉しさもある。
注意
この手法をやるときは、敵として撃退しようとするんじゃなくて、相手と同じになってみようって気持ちが大切だと思われ。
相手のカタチを変えようとせず、まず自分のカタチを変えてみる経験としてやってほしい。
被害を受けて悲しむ感情を茶化すようにはして欲しくない。それは相手への侮辱だから。
そうじゃなくて、一時的にでも、本当に悲しい気分になってみてほしい。そうすると分かることもある。
市川猿之助さんを追い詰めたのは誰か。
もちろん未だにゲイを面白おかしく報道する日本のマスメディアとそれに扇動され好奇の目で芸を消費する日本社会それ自体だろう。
猿之助さんは独身の成人であり、どのような恋愛や性愛を楽しんだとて余人に後ろ指を指される筋合いはない。
共に舞台芸術を作り上げる人の輪というものは一種独特の熱をはらむもので
稽古上がりや打ち上げの際にアルコールも入れば一般人には馴染みのない関係性も生まれる。
もちろんそれが嫌だったという人の声は聴かれなければならないが
殊更に猿之助さんだけ悪辣な加害者として面白おかしく書かれる必要があったか。
猿之助さんが痛ましい自死を図った原因は遺書を読むまでもないし
何度不倫をし家族を裏切っても社会から許され続ける人間が梨園にはいくらでもいる。
中年になっても老人になってもセックスの相手に事欠かない理由はきっと肉体的魅力だけではない。
彼等のケースでも明らかに知名度や社会的パワーや金銭が背景になっているのに、
それをハラスメントと呼ぶかどうかは暗黙の社会合意によって極めて恣意的に運用されている。
未だに同性婚を認めるの認めないのという地点で議論をしているような日本だ。
伝統芸能を背負って立つ猿之助さんは特定の相手と会いを育むことも家庭を持つことも出来なかった。
寂しさに負けず仕事の場にパッションをぶつけたりクローズドな営みを持ったりしていても結局はこのように晒され自死を決意するところまで追い込まれてしまう。
「〇〇ハラスメント」だ「加害者」だ「被害者」だという口実は沢山作るが、
つまりは男が男を愛したというその一点を問題としていることは誰の目にも明らかだろう。
俺はサンクチュアリといえば史村翔原作池上遼一作画の傑作コミックの印象しかなかったので、サムネのお相撲さんを見てサンクチュアリってそういう話だったっけなーと思ったらネットフリックスオリジナルドラマだった。
身体がデカい不良が角界にスカウトされて、昔懐かしの「かわいがり」とかをうけながらも持ち前の運動神経で勝ち進んでいくんだけど相撲へのリスペクトは一切なしで稽古も軽んじる。しかし哀しき過去を持つ相撲取りと友達になったかと思ったらそいつに土俵の上で死ぬかと思うくらいボコボコに負けて張り手恐怖症になってなんやかんやあって復活して真剣に相撲取りになるぞ!と性根を入れ替えて、ボコボコにしてきた相手と再対決だ!終わり!
みたいな感じの話。
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
俺の中で相撲漫画の傑作と言えばバチバチなんだけど、それには遠く及ばんかったな。
借金で店を手放してからは気力もなくなった主人公の父親が交通事故で植物状態になったり、出てった母親はクソビッチだったりっていう展開は正直ノイズだなと思ったし、もともと政治部の記者だったけど上司に裏切られて相撲担当に変えられたヒロインが”時代に沿った”ジェンダー論や相撲のあるべき論を語るのはくっせぇ!と思ったし、主人公の財布盗むキャバ嬢は結局なんやってんって感じだし。部屋のメンバーもなんか、こう、キャラが濃いのか薄いのかはっきりしない。
相撲を中心にした人間ドラマ感を出してはいるけど、どれも味付けとして濃いわりに後味すっきりしない感じなのがおもんないなーって感じ。
ただ主人公役の人はクローズ2では普通にマッチョ系のガタイのいい喧嘩強そうなおっさん顔って感じだったのが、今回はマジで相撲取りみたいになっててこれはなかなか近年まれに見るレベルだなって感じだったのは素直にすごい。なんか出演者は1年かけて身体と技術を作りこんだらしい。
元力士芸人とかが多いので全部が全部、未経験からってことはないだろうけどちゃんと相撲取りのドラマに見えたのはネットフリックスの地力を見たなとは思った。
当方、30代後半になる。会社員男だ。現場の仕事で疲れた時、帰りに自分好みの居酒屋に寄ることがある。約一年前に、そこで珍しい体験をした。あんな気分になったのは初めてだった。懐かしいし、嬉しいけど、でもちょっと怖い。ツキがありすぎて、逆にツイてないんじゃないかと思った。
実をいうと、中学生の時に柔道合宿で知り合いになった女性と再会した。二度と会えないと思っていた。思い出が記憶の水槽に残っていたのを自覚した。
それは、居酒屋のカウンターに座った瞬間だった。どちらからともなく「昔会ったことあるよね」「増田君だよね」「Yさんだよね」という流れになって、しばらく話し込んだ。
少しばかり、昔のことを綴ってみたい。2000年代前半のことだ。
中二の夏休みだった。当時、広島県の海の見える田舎で柔道をやっていた。普段は中学校単位で練習しているが、隣の市にある工業高校で柔道合宿があるらしい。顧問の先生が是非とも参加したいと主張していた。それは6泊7日の長期合宿で、うちの中学は途中日程で二泊三日だけお邪魔させてもらうことになった。
当時は弱い方だった。黒帯には遠く及ばず、公式戦でも黒星が多かった。白星が増えつつはあったけど。不安だったのを覚えている。高校生にボコボコにされると思った。でも柔道は好きだったから、ちょっと期待もあった。
朝八時くらいに工業高校に到着したのだが、柔道場に入ると、すでに数十人の高校生と、県大会で活躍するレベルの男子中学生が畳の上でぐったりしていた(ランニングウェアで)。朝6時からの朝練で相当しぼられたらしい。
朝9時半に柔道の練習が始まったのだが、背丈が185、体重が90くらいある高校生が、「これから、午前の練習を、始めるッ!!」みたいに野太い声で開始を宣言した。今でも覚えている、とても高校生には見えなかった。『テニスの王子様』で、すごいおっさんの高校生が出てくるだろ。そんな感じだった。
準備体操や受け身の練習を終えて、中学生だった自分達は、いよいよ投げ技の打ち込み(二人組になって技に入る直前までやる。20本で交代で、組み合わせが順番にグルグル回る)に入った。高校生と組むことが多かったのだが、レベルの差がありすぎて向こうの練習になってなかった。こちらは、綺麗に受けてくれるお陰で練習になっていたが。
柔道場には女子が何人もいた。別に珍しくはない。工業高校があるのは大きい市だったから、柔道をやってる女子はたくさんいる。うちの地区には女子は数えるほどしかいない。
その中で、打ち込み練習で自分の前に立った女子(Yさん)は、ほかの女子とは違う気がした。体型は大きめで、上半身が丸っこい感じがしたのを覚えてる。
めっちゃ気が強そうだった。目の鋭さが違う、子どもって感じがしない。実際にそうだった。打ち込みで自分と組み合ったと思うと、真っ先に大外刈り(※技の解説はあまりしない。適当にググってほしい)に入り始めた。女子と打ち込みをしたのは、その時が初めてだった。なんか、男子と明らかに感じが違う。柔らかくて繊細で、リズムがあった。
残念ながら、リズムが良すぎて技の受けが噛み合わなかった。「んん~!!」という不機嫌そうな声とともに、Yさんは20本目を終えた。Yさんと交代して自分は、おそるおそる大外刈りの打ち込みに入った。
……やっぱり、男子とは明らかに違う。振りかぶった足で相手を刈る技なんだが、大外刈りは相手と胸を密着させる必要がある。男子だと問題なくできるのだが、どうしても胸が合わなかった。こちらの胸板をぶつけると、反動とともに弾き返される。何度もぶつけようとするが、うまくいかない。Yさんの方から、「チッ!」みたいな舌打ちが聞こえた。正直ビビっていた。
自分はナメられやすい見た目だった。あなたの周りにも、40代ほどで小太りで、中肉中背のマッタリとした雰囲気のおじさんがいないだろうか。その予備軍みたいな中学生だった。今の妻にも「おじさんみたいじゃん」「お腹触らせて~」などと言われることがある。※けっこうな頻度でぜい肉を握られる。
打ち込みでは、その子以外の女子とも組んだ。背負い投げは背丈の関係で入りにくそうだったので、全員大外刈りにした。でも、Yさんほど入りにくくはなかった。みんな、スッと胸を合わせて密着することができた。
そんなこんなで投げ技の乱取りが始まった。ここからは男女別に分かれた。男子は40人以上いて、女子は6~8人だったかな。女子は柔道場の端っこの方で乱取りをこなしていた。黒帯も白帯も一緒だった。やはりYちゃんは圧倒的な強さのようで、福山市では中二にして57kg級で優勝していた。
ところで、当時の日記には「強くなれる機会だ。でも、高校生に投げられたらめちゃ痛そう」と書いていた。実際そんなことはなかった。というのも、白帯は白帯だけのグループでの乱取りだった。黒帯のグループを見ると、自分がいる市で一番強い体重90kgほどの男子が、細身の高校生にボロ雑巾のように背負いで投げ飛ばされていた。
その時、見てしまった。その男子が体格を活かして大外刈りに入った――と認識した時、一瞬で空中二回転半する勢いで、その高校生のしゃがみ込む背負いで畳の上に叩きつけられていた。いや、あれはもう畳にめり込んでいた。「バァーーーンッ!!」という音がしたのを覚えてる。でも不思議かな、そんな勢いで強い人に投げられてもぜんぜん痛くない。
当時の自分は、柔道が強くなりかけていた。黒帯にはほど遠かったけど。黒帯の乱取りグループに入れてもらいたかった。だから、頑張って、頑張って、ひたすらに白帯の中学生や高校生を投げ続けた。そしたら、あっちのグループに入れてもらえるかなと思った。そんな気配はなかった。
午後は、寝技の稽古だった。初めの方は先生が模範の攻めパターンを見せてくれて、二人組を作って互いに掛け合う流れだった。やがて、小休憩を挟んで寝技の乱取りがスタートした。自分はやはり黒帯のグループに行きたかったので、必死で相手を抑え込んでいた。
それで、寝技の乱取りの三本目か四本目の終わりに「ビイイイイッッ!!」と電子タイマーのブザーが鳴ると、工業高校の先生と、もうひとりの先生(Yさんの顧問)に呼ばれた。ほかの白帯も二人ほど一緒だった。
「おみゃーらは、次はこっちに入ってもらうけえ。君らの先生に許可はもらっとる」
※標準的な備後弁(名古屋弁×広島弁みたいな感じ)だ。特に乱暴な口調ではない。
その時また、電子タイマーのブザーが鳴って――目の前にはYさんがいた。この時が、人生で一番驚いた。黒帯のグループを夢見ていたのに、反対に女子のグループに入ってしまった。
「お願いしまーす!!」
「……」
礼儀正しい方がYさんだ。自分は無言だった。「なんで、なんで」と心の中で思っていた。当時の感情は覚えてる。ウダウダしていて情けなかった。
Yさんや、ほかの女子との寝技の乱取りを回想してみる。当時の乱取りは確か、互いに両ひざをついた姿勢でスタートだ。Yさんはフツーに力が強かった。筋肉がある。男子と比べても劣らない。
で、ぐいぐいと畳に引き込まれて、コロッと転がされた。脇の下にサッと手を入れられて、そのまま横四方固めになった。こんなにあっさり決められたのは、言い訳になるがショックを受けていたからだ。
Yさんの身体越しに真上を見ると、さっきの工業高校の先生がこちらを観ていた。恥ずかしい気分になった。黒帯のグループに入りたかったのに、とまだ未練がましく思っていた。先生が「Y。ええぞ、逃がすな」と言っていた。
その瞬間、自分は空いていた右手でYさんの黒帯の後ろを掴んだ。左手の肘を同じく太ももに押し当てて、ブリッジをした。すると、Yさんの体がきれいにひっくり返って、そのまま横四方固めをやり返す格好になった。
「あぁーーーーーもーーーーーッ!!!!」
今でも覚えてる。Yさんは本当に叫んだのだ。横四方で抑え込まれたまま、わっせわっせと両手を互いの身体の間に挟んで、腹ばいに転がろうとするのだが、当時の自分の体重は65kgあった。女子の力で動かすのは困難だった。
しかし、女子を横四方固めで抑えると、両者の身体の間に空間ができることがある。Yさんの場合は特にそうだった。Yさんの顧問の先生も、ずっとこっちを見ていた。
先生の声が聞こえてきた。
Yさんの抵抗が激しくなって、指先を顔にぶつけてきて痛かった。人差し指が唇にぶつかって、「いてっ」と叫んだところで、ぐるりと転がって脱出された。
また、寝姿勢のまま組み合ったところで、Yさんが自ら背中をついて(いわゆるグラウンドポジション)、こっちを引き込もうとして、もちろん抵抗して――終了のブザーが鳴った。
「うん。次はこっちじゃ」
連れて行かれた先には、ほかの女子がいた。今度は白帯の子だ。小柄だった。自分と同じ市の中学一年生だった。
電子ブザーが鳴ると、両ひざを立てて組み合ったのだが、Yさんに比べると力がない。組んだ感じだと、その子の体重は40~45kgだった。指先をひねるくらいの勢いで押すと、真横にコロンと転がった。よいしょっと上に乗って、丁寧に上四方固めになった。
今度は余裕があったから、「両手をお腹のところに入れて」「押して押して、空間を作って回転して~」みたいに教えていた。教えるのはおこがましいかもしれなかったが、でも、その子の練習にならないから……と思っていた。
あと、一人か二人の女子と寝技の乱取りをした。Yさんと同じくらい力のある子はいたけど、本気でやると自分が勝った。男子と女子には体力差があるのだ……。その後、白帯のグループに帰された。
それからも立ち技や寝技の乱取りの最中に、たまに先生方に呼ばれて女子の練習相手をした。Yさんという例外を除いて自分が勝つので、ずっと相手の実力に合わせるみたいに柔道をしていた。周りの先生が、その女子にリアルタイムで指導をするのを聞きながら。
当時は、女子と組まされて悔しい!! と感じたけど、感覚としては間違ってない。今の自分は、柔道を教える人としては約十年目なのだが、あの先生方の気持ちは理解できる。あの時、あの場所ではこういう情況があった。
1.強い女子(Yさん)の練習になる相手がいない。男子と手合わせさせたい。
②Yさんと同じくらいの体格
3.白帯のグループから2.の傾向がある子を抜いて練習相手にする
こんなところか。要するところ、あの先生方からはこういう視線で見られていた。
・増田はほどほどに弱い
・体格がそこまで大きくない(164cm,65kg)
※Yさんは当時おそらく163cm,55kg前後
今では納得している。実際、2.の③④は特に重要だったりする(女子の保護者から言われるのだ……)。
よくない人間だと、指導とみせかけて女子選手の身体を触るとか、嫌な気分にさせるとか、そういうことが実際にある。一般的な寝技の練習風景だと、男子と女子が寝技の乱取りをすることになった場合、女子の仲間が数人単位で乱取りの様子をずっと見ているのが基本だ。「セクハラは見ています」というメッセージを暗に伝えている。
また、練習環境によっては、女子選手が自ら男子選手を捕まえて乱取りをせねばならないことがあるが、女子が捕まえる男子は、概ね2.の条件を満たしている(女子選手も人間なので、特定の男子が大人気で順番待ちということもある)。
合宿のすべての日で、Yさんと乱取りをすることになった。寝技の方はだいぶ慣れた。抑えたり抑え込まれたり、実力は拮抗していた。
立ち技が難しかった。はっきりってYさんの方が強かった。体力では勝っているが、Yさんの方がセンスがある。組み手争い(上手く組めると優位に立てる)について、Yさんは特にこだわるタイプだった。うまく組めなかった場合だと、「ああ、もおっ!!」みたいに怒り出してしまう。男性ホルモンが強いタイプの女子だった。
ところでYさんは、合宿所に自転車で来れるくらいの学校に通っていた。漫画やアニメに出てきてもおかしくない学校名だったのを覚えている。それで毎朝早朝、自転車で工業高校にやってくる。
当校にとっての合宿最終日の朝、柔道場がある体育棟の軒先でYさんと出くわすことがあって、「おはようございます」と言った。Yさんも「おはよ」と言って、ほかの女子数人と着替えに行った。
三日目もこれまでと同様、白帯グループと女子グループの間を行ったり来たりだった。だが、この日の最後にはなんと、黒帯のグループに入ることができた。もちろんコテンパンにされたけど、いい経験になった。
それで、最終日の夕方の部のことだった。この日は、ベテランの講師陣によるストレッチ講座があった。この日だけは、ほかの中学の女子は帰らずに参加していた。
講師が二人いて、ほかの生徒らはラフな格好で畳に座って開始を待っていたのだが、そこにYさんが黒いTシャツと、下はジャージ姿で現れた。入口のスノコが踏まれた時の音を覚えている。
あの光景は、当時男としては相当初心だった自分でも察せる状況だった。ほかの男子は皆、畳の上を颯爽と歩くYさんを観ていた。一応、いろんな人が読んでる場なのでサクッというけど、物凄い大きさだった。その膨らみが、真っ黒のシャツの中で踊っていた。自分は知っていたけど、柔道着なしのTシャツ越しだとさらに目立っていた。
しかし、当時の自分は関心がなかった。大きいなぁとは思ったが、すぐにどうでもよくなった。畳に視線をやって、ジャンプ漫画のジョジョ(第6部・ストーンオーシャン)のことを考えていた。
性の目覚めが遅いタイプだった。『いちご100%』を読んでも何が面白いのかわからない少年だった。初めて人を好きになったのは21の時だ。遅すぎる。
それで、ストレッチ教室の講師が説明を始めて、いろいろ体を動かして、いろんな部位がグキグキッとなって、1時間も経つ頃には終わって……うちの中学は解散ということになった。顧問の先生と一緒に、最後に工業高校の柔道部員みんなに礼をして、さあ帰ろうかというタイミングだった。
柔道場入口のスノコの前まで行ったところで、Yさんやほかの中学の女子が屯していた。Yさんがこっちを見ていた。声をかけようか迷ったけど、けっきょく声をかけた。あまり知らない異性に声をかけたのは、おそらくこの時が初めてだ。
「お、これはYさんではないですか。お疲れ様です!!」
「お疲れさま」
「修業になってよかったね」
「うち、今日で終わりじゃないよ。最終日まで。あと二日あるんよ」
「Yさんは近所の学校なん?」
「うん」
「俺は尾道」
「うん。知ってる」
「うん」
「絶対だぞ」
「……頑張る」
「多分もう会えんよ」
「うん、そうかも」
「どうやって帰るん?先生の車?」
「うちも歩くんよ。福山駅まで」
この日の夜、家族が泊まってる親戚の家に合流することになっていた。家族が柔道合宿に合わせてくれたんだと今では思ってる。親戚の家の最寄り駅まで、誰かが迎えにくる予定だった。
この時、Yさんに「じゃあ一緒に帰ろうよ」と提案した。
同じ中学の柔道部員は外に出ていたが、顧問の先生はこちらを見ていた。「ほかのみんなは先生の車じゃけえ。暗いから気を付けるように」と言って、スノコを踏んで体育棟の出口に歩いて行った。それから自分も、Yさんと一緒に工業高校を出た。
Yさんと駅まで一緒に帰る途中、いろいろ話はしたけど内容はよく覚えてない。柔道の話ばかりだったのは覚えてる。冗談で、Yさんにお腹のぜい肉を触られたっけ。最後にメアドを交換する話になったが、当時は携帯電話を持ってなかった。
あっという間に福山駅に着いて、Yさんと手を振って別れて(またね、とお互いに言ってた)、福塩線の電車に乗って、親戚の家の近くの駅で降りると、叔父さんと叔母さんが迎えに来ていた。
それから、Yさんと話すことはなかった。県大会の会場でも、中国大会の会場でも、お互いに姿を認めることはあったけど、別に話をすることはなかった。目は何度も合ったのだけど、こっちは試合前でピリピリしてるし、Yさんもそうだと思うと話しかけづらかった。
それで、高校になるとYさんを見かけることはなくなった。Yさんとの思い出は終わったのだ。
冒頭に戻る。
偶然、Yさんと居酒屋で再会して話が盛り上がった。確か、こんな感じのことを話した。
・お互いに1回離婚をしていること
・お互いにあまり変わっていないこと
・二人とも同じ市内に住んでいること
最後に電話番号を交換した。Yさんと話ができて一番よかったのは、当時の感情が脳裏に浮かんできたことだ。中学二年生の時の思い出が蘇るって、あんなにしみじみとした気分になるんだな。