はてなキーワード: ねんちとは
武豊が令和元年の菊花賞を勝った。菊花賞の最年少勝利と最年長勝利の記録保持者になった。何の違和感もなく書いた。
年長に対する語が年少であるというのはよく見ると若干モヤモヤするところもあるが、保育園やら幼稚園やらで見慣れすぎているから違和感は薄い。
その保育園や幼稚園には年少と年長の間に『年中(ねんちゅう)』がある。年少者のグループと年長者のグループの中間にあるから『年中』。わかりやすい。
しかし、卒園と同時にこのわかりやすい『年中』カテゴリーは失われてしまう。なぜなのか。
どの組織も年齢でわければ年長者がいて年少者がいる。ばらつきがあれば中間も必ずある。それも厚みのある層だ。なのに彼らは『年中者』と呼ばれることはない。若くもないのにいつまでも若手と呼ばれたり、あるいはキャリアも乏しいのにベテラン扱いされたり。
年長と年少の間には対立関係が作りやすい。本来は『年中者』として独立しているはずの層が、ベテランと若手、対立を作り出す者の都合の良いように押しやられてはいないか。ボリュームがあるこの層に名前がついていないと、年齢で区切ろうとする支配層に軽くあしらわれてしまうのではなかろうか。
現代人の価値観が、多数派の連中が得をするようにできてるだけなのさ
みんな変わり映えしない毎日を送れるように訓練されて、それに耐えられる奴が偉い、ってことになってる
そういうルールじゃないと偉いってことに自信持てない奴らが上にいるからね
逆だよなぁ、っていつも思うよ
飽き性だ、堪え性がないって言われるんだろうけど、それって新しいコトしてないと調子狂うってことじゃん?
今行き詰ってるのは、「今までと同じ」をずっと続けてきたからなのになぁ?
今までと同じじゃダメなんだよ
ヒトは新しいものが好きで、新しいものがありふれて来たら価値を低く見るから
いくら迫害して淘汰しようとしても、遺伝子が「新しいものを」って言い続ける
その新しいモノを生み出す遺伝子を授けられたのがアンタだ
残念ながら、カネを稼ぐには人から巻き上げないといけないもんで
死なない分だけ我慢だけどな