はてなキーワード: 漠然とは
まず予言するけど「明日からコツコツがんばるぞ」という決意は空振りに終わる。
これはもう9割5分くらいの確率で当たるから10万くらいなら賭けてもいい。
今からやるべきは、なんとかして自分を勉強机に向かわせるための試行錯誤だ。
それを実行して駄目だったなら、何が悪かったのか考えて、改善して翌日実行しろ。
実行できなかったのであれば、なぜ実行できなかったのか。何が邪魔しているのかを分析してそれを排除するんだ。
そうしてPDCAぐるぐる回して、環境を改善し、作戦を立てて、なんとか勉強できるように持って行く。
それをしないで漠然と「がんばる」なんて精神論に頼っても失敗する事は目に見えている。
一番良いのは環境を変える事だ。
おいスマホは置いてこいよ。何考えてんだ置けって。
「行こう行こう」と思いながら気づいたら夜になってんだろ。わかる。
ということで自宅での集中法を探るわけだが、はっきり言って地獄だ。
なんたって、自分専用にカスタマイズされたリラックス空間だからな。
自分のために用意した空間も娯楽も、勉強するとなると全てが「誘惑」と化して襲ってくる。
しかも、まず自宅での集中方法の一番効果的な手段が「ネットを絶つ」ことなんだが、
100均でいいからキッチンタイマー買ってこい。やむを得ずネットに繋ぐときはそいつで制限時間を設けろ。
あ?なにスマホ持ってんだ。タイマーアプリ?スヌーズできて便利?なに寝言いってんだ。
スマホは充電切れたままにしとくんだよ。うまくすれば充電ケーブルを繋ぐまでに正気に戻れる。
集中できない?ふざけんな自室じゃ集中どころか何一つ出来てないじゃねえか。
サイドテーブルみたいな小っちゃい奴でもいい。
完全に勉強用のスペースとして用意すれば、そこに座るだけで作業する気になれる。
今座っているPC用デスクは完全に「娯楽のためのスペース」として認識してるからなお前の脳は。
あとは目覚ましかけろ。
目覚まし鳴ったらネット閉じて動き始めんだよ。
なに「切りの良い所まで読んだら」とか言ってんだ馬鹿か。お前それで何度失敗したか覚えてないのか?覚えてねーよな数えきれねーもんな。
はてブでもブラウザの「開いてるページを全てブックマーク」の機能でもいいから放り込んで今すぐ閉じろブラウザを。
目覚まし延長なんかすんじゃねーぞ。1時間後に鳴っても同じように「切りの良い所まで読んだら」って絶対言うからなお前。
あとなー。
それをな。ブラウザ上で解いて提出しようとすんのな。やめな?無理だから。お前の場合。
ブラウザ開いてるって時点でもう禁断症状の出てるジャンキーみたいなもんなんだからお前の身体は。
デスクトップでも課題印刷すればどこでもできんだろ。それ持ってPCの前から離れろ。
アナログで解いて、それを打ち込んで提出しろ。二度手間だが出来ないよりゃましだろ。
プリンターが無いなら買ってもらえ。一大事なんだからそれくらい説得しような。
ネットに繋がったPCの前に座った時点で、負けがほぼ確定してっからな。
やむをえず充電する場合も充電時間はいいとこ5分10分だぞ。すぐ切れるようにしとけ。
そんなとこかなー。
とにかくな。自分の意思がいかに弱いかという自覚をすんだよ。そこからだ。
そうすれば「ココロを入れ替えて明日からガンバル」なんて負け確の精神論なんか出なくなるから。
お前がやるべきは「根っからのやる気なし駄目人間のこいつ(自分)をいかにして作業に向かわせるか」というゲームなんだよ。
自分のことだと思うから駄目なんだよ。言う事聞かないゲームのキャラか何かだと思え。
そうすれば「ガンバレ」なんていう命令やら作戦やらを下すのが、どれだけ滑稽な行為かわかんだろ。
必要となるのは精神論ではなく効果の認められる具体的な手法。ライフハック。そのへんだ。
似たような「根っからのやる気なし駄目人間のこいつ(自分)」と数十年来で付き合ってる先輩からの助言だよ。
ここまでやってもまだロクに動いてくんねぇかんなこいつ。"やる気の問題"とか言って甘く見てると人生棒に振るぞマジで。
今まで怠け癖なんてなかったのに急に、という事なら
うちもほぼ同じ状況です。32歳同い年夫婦。
特に、旦那が興味ある人としか話したくない、人に興味ない、浮気とは全く違う世界に身を置いている、酒ギャンブルやらない、部屋が汚れていても気にしない点、
また、自身が運動も仕事もせず食べて寝てばかりの生活であるという点
ただ、私はこのままじゃ嫌なので、最高!とは思いません。。
思うことがあったので書かせてください。
うちがそちらと違う点は下記の通り、これはあなたの参考までに記載します。
・うちは確実に子供がほしいこと
・旦那が会社経営にまつわる事が好きなので、結果的に好きなことを仕事にしていて、労働自体に興味はないが、仕事に意欲があること
・旦那の年収がそちらより少し高いこと(現時点で1,300万)
・うちはお小遣い制でないこと(欲しいものねだれば大体買ってくれるけど、収入を知っているから無理なものはねだりません。私が欲しければ自分の貯金から勝手に買います。)
・うちの方が外食頻度が多く(週1,2)、比べるとうちの方が贅沢できていること(これは年収から考えると当たり前ですが)
・私が23-26までブラック中小→転職して26-30は優良な大企業で、いずれの会社でもいわゆるキャリアウーマンをしていて年収が800万あったこと
・私も頑張りすぎたったと思うけど、それが楽しくて、鬱にはならなかったこと
・私は一生働きたくないとは思わないこと(結婚を機に引っ越して退職したけど、コロナが落ち着いたら絶対にバリバリに復帰したい。社会から経済から必要とされたいという考えから。)
私がもしこのまま、ダラダラした生活を続けていても、きっと旦那は変わらず好きでいてくれると思います。
ただ、私が「このままのダラダラした生活がいい!」と思うようなタイプなら、そもそも彼みたいな人には選ばれてなかっただろうな、と思っています。
一つ言えるのは、東大で32歳で800万というのは比較的低い方なのでは?仕事への意欲があるならまだしも、それも無い旦那様とのことなので、今後も上場企業の昇給額程度しか見込めないのでは?そうなると、今後もし子供が生まれれば、生活水準を少し下げる必要があると推測します。人間は基本的に、生活水準を下げるという事ができない生き物と言われています。読んでいて、そこ(漠然とした将来ではなく、直近の未来)への想像力が少し欠けているかなと感じました。
夫のためにバレンタインフェアに行った。
並ぶ。
列の何組か前に見知った顔を見つける。
夫だ。
しかも女連れ。
「誰よその女」と、まるでドラマのような科白で詰め寄る。
周りも気にせず大喧嘩。
修羅場を抱えながら列は進む。
入場の順番になったがこっちは全くそんな気分ではない。
しかしせっかく並んだのだ。
一応入場はする。
怒りでほとんど何も視界に入らない。
思考もろくにできない。
夫が追いかけてくる。
爺ちゃんは小学生のころのまま、不器用ながらも優しく語りかけて慰めてくれた。
少しクールダウンになった。
会場から出る。
ひどい雨だ。
傘を差す。
この建物は丁字路の右下部分に建っているらしい。
片側一車線ながらも交通量はそこそこあり、車のスピードも速い。
「この横断歩道渡りづらいのよね」と見知らぬ年配が独り愚痴を言う。
信号が変わった。
丁字路とは思えない速度で車が進む。
なるほど渡りづらい。
運良く車の列が途切れた。
さっと渡る。
まっすぐに道を進む。
傾斜はゆるいが長い下り坂だ。
ふと違和感を覚えて上を見る。
傘の骨が折れている。
ボロボロだ。
どんどん道が細くなる。
車一台となんとかすれ違う。
左右には古い日本家屋が並ぶ。
やはり瓦屋根は良い。
時折小さな畑を挟む。
夏野菜だ。
道は続く。
いつしか田が目立つようになる。
丁字路に出た。
左か、右か。
右の道5メートル程のところに、細い脇道がある。
進行方向と合う。
あの道を行こう。
スマホを取り出す。
よかった、細いもののまっすぐ続いている。
細いあぜ道を進む。
交差点を突っ切る。
急に道がかなり広くなる。
相変わらず地面は土。
だがさっきと違い、しっかりと固められている。
端には草が生えている。
6月の稲が青い。
道がまた少し細くなる。
実家に着いた。
いつしか雨は止み、傘も無い。
思い出したかのように怒りや不満が広がる。
ごろんと横になり、例のゲームで遊ぶ。
気付けば隣に父がいた。
だらけた姿勢で父に話す。
「ちょっとくらいそんなこともある」なんと父は夫の味方だ。
母と妹がやってくる。
ソファに座る。
同じように愚痴る。
「許してあげなよ」という母に妹が同意する。
ここまできて四面楚歌。
居たたまれず飛び出す。
そんな夢を見た。
これ、男が大体「美人だったら」「おっぱいがでかかったら」等漠然とした基準で話すのに対し、女は「誰々に似てたら」という特定条件下での話をする
女にとっての『許容できるイケメン』は『自分好みのイケメン』であり、イケメンなら誰でもいいんだろ?と言われると『好みのタイプじゃなきゃヤだ』と拒絶するのだ
ジャニーズアイドル(細身童顔)が好きな女にジェイ・ソウル・ブラザーズを与えてもウワッて言われるだけだし逆もまた然りなのである
中学生の頃「生まれてこなきゃ良かったのに」と母親に言われた当時はやっぱりショックだった。
それまで暴力や暴言、人格否定の数々は多々あったけれど、存在を否定されるのは初めてだった。
目の前が真っ白になるというか、後頭部をガツンと殴られたような衝撃というか、一瞬だけ魂が抜けたような気がする。
そんなことを言った母親は泣いていた。
号泣しながら「お前が生まれてくると知っていたら産まなかった」と半狂乱になっていた。
私は泣かなかった。何も反論しなかった。
正確には何て言えばいいのか分からなかった。
ただよく分からない感情が頭をぐるぐるしていて、その後しばらくして自室に戻ると、訳も分からないままひっそりと泣いた。
でも頭の片隅で「いやお前もそこそこやぞ」「いい大人のくせに」と思った。
今では母親と縁が切れて数年経っている。
連絡先も知らない。教えてもいない。
どうでもいい。
でも、少しだけ苦しんでいてくれたらいいな、と思っていた。
心臓が止まるかと思った。
そもそも電車に全く乗らない人だったし、マスクもしていたから他人の空似なんだろうけれど。
その瞬間漠然としたしんどさを思い出した。
当時に受けていた色んなことを思い出した。
しんどかった。
毒親と縁が切れて、恨みも怒りも消え失せて、完全に呪縛から解放されていると思い込んでいた。
単に忘れているだけだった。
いつになったら解放されるんだろう。
今度見かけたら一発ぶん殴りたいな。
もしくは「お前が親だと知っていたら私も生まれてこなかったわ」と反論したい。
どうでもいいけど「子供は親を選んでくるんだねぇ」っていうほのぼの漫画もしんどくて見てられない。
来世では選べるかな。
たとえば「comprehensive」という単語の意味が分からないとして、辞書を頭から読む人はいません。「comprehensive」の意味が分かれば良いわけです。たとえばJavaのライブラリのある関数の仕様が分からなくて、Javaの文法書を頭から読む人はいません。その関数の説明だけ読めば良いわけです。
「本を読む」とはそういうことです。つまり、「機能的に知識を得る」ことが本を読む意味であり、目的が無く漠然と本を読むことに意味はありません。
賢明な人なら、他人にこう言います。「○○について知りたいなら、✕✕という文献の△△という章が参考になる」とね。漠然と「本を読め」なんて言ってるのは、馬鹿だけです。
家電屋さん?のツイートもバズってたりして、読むと、おお、店側も大変だな…となり、転売ヤーいかんな。死滅すべし、という感じだ。
だから表題のような法律を個人的に成立、施行したが、ビンタされる転売ヤーを除いて、果たして誰か、これで困るのだろうか?
神保町の本屋とか中野のマニアックな玩具屋とか、未開封の稀覯やグッズをバカ高い値段で売ってたりするが、ああいう商品展開が割と収益の柱だったりするのだろうか。
そういう人たちまで蝶野ビンタの犠牲になるのは少し心が痛む…。
というか、少し話がズレるけれども(でもって、別に転売ヤーの肩を持つわけじゃないが)、なんで神保町のレア本はOKで買い占められたSwitchはNGなのだ?
俺はずっと逆柱いみりの『mamafufu』という漫画を探していて、これなんか定価はどうだったか知らないがAmazonで8,000円とかになっている。プレステの『夕闇通り探検隊』だって、なんかどっかしらおかしいんじゃねえか?という価格設定だ。
この辺は漠然と許されてるのにSwitchはダメなのか。影響する規模がデカいからか。
確かに『mamafufu』を欲しがってるのは俺ぐらいだろうし、他にいたとしても俺はそんな奴に会いたくない。
でも、あるオコナイが罪悪かどうかは、規模感よりもそれが個々でどのぐらい人道に反してるかで決まるべきなんじゃねえか? というのは正直わからないでいる。法学とかにもとんと疎いからね。
別にSwitchと一緒に逆柱いみり作品全部値下げせえや、というつもりもないしSwitchだのマスクだのだけでも別にいいので、蝶野氏には申し訳ないが、まあしばらく頑張って欲しいと思った。
すでに、所謂「流行り」であったそのジャンルは毎日目まぐるしくイラストや漫画、小説などの作品がウェブ上にアップされ、コロナの関係でイベント自粛などがありながらもそれなりに盛り上がりを見せていました。
ある時、一つの小説が世にアップロードされました。その作品はそこそこ有名な絵師に宣伝され、ブックマーク数を700ほどまで伸ばし、作者のフォロワー数も500近くまでのぼりました。
文字書きでフォロワー500というと、そのジャンルではまあそれなりに有名というような立ち位置で、現に私はその作品で作者を知ることになります。
作品自体、とても素晴らしいものでした。原作の時代背景やキャラクターの心情などを豊かに描いた、本当に素晴らしい作品でした。
それを受けて、今度はある有名絵師が、その小説に漫画をつけたいと申し出ました(これはおそらくDMなどでやり取りされており、公にはなっていません)。
そして小説の作者はそれを了承し、申し出からどれほどか分かりませんがそう遠くないうちに漫画が公開されました。
有名絵師のフォロワーは1万人を超えていました。瞬く間に漫画は拡散され、ツリーに掲載されていた小説も同じように人の目に再度触れることとなり、700ほどだったブックマーク数は数日で1300までのぼりつめました。
つまり小説への宣伝効果で言えば、これ以上ないほどの成功だったと言えます。
しかし、有名絵師にとって、また、のちの小説作者にとっても、タイミングが非常に悪かったのです。
小説の作者は、この小説の再録本を作る予定を控えていました。漫画公開の二日前に、表紙ができたとツイートしていたので、ああ出すんだなと思ったのを私も覚えています。
そして小説の作者は、漫画が公開されたその日に「本の通販が始まりました」とツイートをしました。
漫画が出たタイミングだったので、私はその有名絵師が表紙を描くのだとか挿絵をつけるのだとか、まあ何かしらに関わっているのだろうと漠然と思っていました。
しかし表紙にキャラクターのイラストはなく、おそらく有名絵師は絡んでいないのだと理解するまでそう時間はかかりませんでした。
描いていないならいないで、別に構わなかったのです。迷っているうちに在庫はなくなり、なんとなく惜しいような諦めのつくような、そんな気持ちで日々の忙しさに戻って行きました。
一か月ほど経過したある日、有名絵師が気になるツイートをしました。
「自分には全く話がなかった」
簡潔に書くとこの二点です。
有名絵師のこともフォローしていて、イラストや漫画を逐一確認するくらいにはファンだった私には、最近の活動を振り返っても宣伝になりうる要素と言うとあの小説のことしか思い浮かびませんでした。
日付を確認しても、やはり漫画の公開と小説の通販開始日は一致しています。
そして何より、漫画をツイートした有名絵師の呟きがしっかりと削除されていました。
有名絵師はアカウントに鍵をかけ、ツイートを削除したのち解放しました。
「今後描くなら相互だけにする」というツイートを残して。(現在は削除されています)
それから暫くしても、小説の作者はそのツイートに気づいた様子がありませんでした。日常的なツイートをするばかりで、もちろん当事者で話をするなりしていればいいと思いましたが、何せ絵師は漫画を消していますから遅かれ早かれ読者は気づきます。
そして勝手にヤキモキしているうちに、他の読者が匿名ツールを使って小説の作者に凸しました。
内容は公開されていないので細かいことは分かりませんが、作者のツイートを見て「あのことだろうな」ということは察することが出来ました。
けれど、当該ツイート(不快だ、話がなかったetc.)は消えている状況で、確認のしようがないこと。絵師に「不快でしたか?」と聞けるわけがないこと。自分が宣伝のために同じ日に通販を開始したわけではないと証明するのが不可能であること。
それらの要素を踏まえ、「痛いところを突いてきた」「笑ってしまった」と作者はツイートし、端的に言えば「誹謗中傷の類い」のメッセージだと捉えたようでした。
どうにも、納得がいきませんでした。
小説の作者には本当にそんな意図がなく、また「小説を本にします」だなんて言えばそれこそ「買ってください」というようで言いにくかった、という心情があったかもしれません。
相手は有名絵師です。時間の隙間に読んだ小説の出来が良く、漫画を描いてみたいと思ったけれどお金を出すほど好きかなんて分かりませんから、私が小説を書いた本人なら「本を作ります」とはわざわざお知らせしないと思います。
だからこそ、小説の作者にも思うところはあったと思うのですが、絵師が不快だと思った、その証拠がないからと言ってメッセージを批判だと受け流し、あまつさえ嗤うなんてことには到底納得ができませんでした。
私は作者に、ツイートの内容に心当たりがあること、有名絵師のツイートを自身も見たこと、今は消されていることを匿名ツールで送りました。信じられないのであればと、絵師が描いた小説を題材にした漫画が消されていることも付け加えて、送信しました。
それから間もなく、小説の作者はその前のメッセージを笑った、という呟きを削除し、そのうちにウェブ上に上げていた全ての小説も削除しました。
私以外にも、それが事実だと送った人がいたかもしれないけれど、間違いなく私は一人の文字書きを潰したひとりです。
絵師と小説の作者は、漫画作成にあたり何度も経過を確認し、やり取りをしたそうです。そのやり取りの中で絵師は小説の作者に何かモヤモヤしたものを感じていて、今回のことで爆発したのかもしれないし、なにもなかったけれど何か逆鱗に触れてしまったのかもしれません。
小説の作者は、作品を全て削除した後で「もう自分の手から作品を手放さない(誰かに手を加えさせない?)」「馬鹿げている(勝手な勘違いをされたことに対して?)」とツイートしていたので、全てを明かす気はないようだし、絵師と今後関わる気もないのだろうと解釈しました。
今回、私の心情としましては絵師の味方寄りでした。絵師が不快だと言っていた情報を受け止めずに批判だと笑ってしまうところや、事実が判明したあともまるで批判を受けたために筆を折ったような遠回しな言い方しかせず、現にフォロワーは心配するばかりで事の顛末を知らないまま今に至るからです。
就活が終わって自分が想像していたよりも格段に良い会社に就職できてしまった。同年代に言ってもまず持ち上げられ、かつ老若男女誰でも知っていて、比較的潰れない企業。
だからこそ他人に言いにくい。周りはまだ就活を終えていない人もいるし、終わっていても気持ち悪いマウント合戦に巻き込まれかねないので本当に親しい数人にしか話せていない。
推測でしかないが、このマウント合戦はこれからの人生ずっと続いていくような気がする。自分から話さなくても、仕事以外の場でも年収や生活水準といった情報は漏れ聞こえてしまうし、むしろそれを積極的に利用し快楽に変換して愉しむ人たちも多いのだろう。そういった価値観に逆張りして早々に戦線を離脱し、如何に横槍を入れて楽しむかしか考えていなかった自分は、いざ巻き込まれそうになった今適切に回避する技術も経験も持ち合わせていない。
周りの内々定者を見渡しても、ハナからこういう企業に入る前提で進学し、計画的で有意義なキラキラした学生生活を送ってきた人たちばかりに見える。今までの自分はこうした人たちを馬鹿にはしないまでも、どこか冷ややかな目で見ながら生きてきてしまった。今更迎合するなんてことを自分の精神と彼らは許してくれない気がする。でも、迎合しないと自分はひとりぼっちだ。独りでも楽しめると強がる癖に、スマホを握りしめて更新ボタンを連打していないと落ち着かない自分は、本当のところ孤独に対して非常に脆弱だと感じる。
加えて何より悲しいのが、その自分が楽しんできたネットのノリに入り込めなくなりそうなことだ。5chのゴミみたいな板で自虐エピソードに華を咲かせたり、乞食速報で手に入れたどう考えても必要ないワッフルメーカーを自慢したり、おおよそ吐瀉物にしか見えない底辺飯を見せ合ったりしてキャッキャできたのも、ある種の切実さがあってこそだった。今の自分にはそれがない。
こういう不安を打ち明けたところで単なるマウントと取られるだろう。でも実際構図としては自分が心底嫌っていたクッソウザいマウントそのもの。匿名空間以外では絶対に話すべきじゃないことはわかるし、したところで大した共感は生まず、よくて罵倒の嵐にあうだけ。自分が親友だと思っている人も、こんな話を何度もされたら辟易して、親友ではなくなってしまうかもしれない。
漠然とした不安を抱えてずっと生きてくのかと思うと辛くなった。
じゃあこの会社をやめるか、やめられるわけないんだよなぁ。
1年以上前のことではあるがTwitterのフォロワーと1対1のカラオケオフしたがその後無言でブロックされた
ブロックというか相手は鍵垢なのでブロ解されてブロックも同然となった
その直後は完全に拒絶されたんだなぁ程度に気楽に考えていたが、ひょっとして相手は1年や2年経ってから、後になってあることないこと触れ回るんじゃないかと思うとすごく不安になった
セクハラや乱暴の一切の自覚はないが強いて言うなら縁を切られた心当たりは以前に会ったときは相手が遅刻したから奢ってもらったがその時は割り勘にしたくらいのことだ
連絡を取る方法もあるにはあるけれど連絡を取るのはストーカーのようで墓穴を掘るようで
思い出しては不安になって、もし自分がこの名義のまま何か活動を始めたとして
私には今まで(といっても4年ほど)、Aくんの担当しかしたことがなかった。
それに、二次元にも推しはいてもあの事務所内でA以外に「自担」と呼べるような人は現れないと思っていた。なぜなら私は盲目的にAのことを好きだったし、その好きにはアイドルとしての好きとちょっとリア恋感情があったから。リアルにAに恋してるのに他に好きな人ができるわけがない。
しかし数年前、Aにある変化が起きた。そこからAは彼自身の気持ちやしたいことをするようになっていった。それ自体はいい。アイドルとかいう前にAの人生なので好きなことして生きてほしい。しあわせであってほしい。ただその変化が私とピッタリ合うというわけではなかったので、(本人と私の思う「アイドルAくん」像が違うという点で)所謂自担との解釈違いのような状態になってしまった。(そこでちょっとリア恋〜みたいなのは薄れたと思う。)
なってしまったのだが、そこまで深刻ではない。たとえばあまり好きな外見ではない時期があったり今まで言わなかったことを発言したりした程度で、現に私はAを自担だと思っている。とても好きでかっこいいしかわいい。
もし読み手に深刻そうに伝わってしまっているなら私の表現力のせいである。
Aはいつも通り好きでかっこよくて最高の自担!.....でも少し気になるところがあるな。周りの同担は気にしてなさそうだけど。という程度で割合にすると9:1の9が自担最高!の気持ち。めでたい。
私はきっとAに昔のようなAを求めてしまうけど気づかないフリをしていた。そしてそんな中突如現れたのが後輩グループのB。
Bのことは以前からそのグループ内でもかなり好ましく思っていた。歌番組でもAのいるグループを目当てに見ているとBのいるグループもだいたい出演していたためシングル曲を知っている程度。それ以上でもそれ以下でもなかった。ただその日みた歌番組の後輩グループがかわいかった。Bの歌声や仕草が好きだと思った。それからというものの出演番組を全部録画したし、CDやDVDもこの歌番組以降発売されるものは買った。雑誌も買った。さすがにドル誌を毎月買うことはないけれど。
後輩グループの活動を見ていくごとに、若くて未来があるっていいなと思っている自分がいた。
それに、気づかされた。本当は自分がAにかわいいAでいてほしいと思っていることに。
勿論、Aのグループに夢を見ていないということはない。でもどうしたって勢いと若さにはやっぱり適わないのかもしれないと思うと、なんだか切なかった。Aのグループは、客観的に見るとピークが過ぎたのだと思う。私はファンなのでまだまだこれからだって言い続けるけれど、ピークは過ぎたと認めざるを得ない。
対して後輩グループは、まさに「これから」。応援していて明るい未来が見えるって大切なことらしい。彼らについていけばものすごく楽しいことがあるんだという気にさせられる。ライブの円盤を見終わった頃にはBを自担だと思っていた。自担と呼ぶ他ないという感じだった。
Aのいるグループは自担をAとしながらも箱推ししているのでグループとして本当に好きだけれど後輩グループはBが圧倒的に好きだ。きっとランキング形式にすると1位がA、2位がB、3位〜はAのグループの他のメンバーが同率で占めることになるだろう。後輩グループはその下だ。
だからCD等の売り上げではAのグループがいい数字を出せて後輩グループがそれに劣っていたら、まあ!私の好きなグループは強いわよ!、なんて思うがこれが逆ならおもくそ悔しかったりする。
だからいつかAのグループは後輩グループよりも目立たなくなってしまうと思う。悔しい。CDめっちゃ買いたい。学生なのでなかなか厳しい。
悔しいだけじゃなく怖い。
今までA>Bだった自担と自担のバランスがいつかA=Bになり、さらにA<Bになることが。
なんで怖いのかは漠然としている。
でもこれを怖いと思ったのは着実にA>BからA=Bに移行している自分がいると気づいたから。
私は担降りしてしまうのだろうか。いや、仮にAから担降りする日がやってきたとしてもグループ自体が好きなので箱推しとして好きであり続けるとは思う。
でもいつかAをBが超える日がくるのかな。
あ、もしかしたら私はいまのバランスが崩れるのが怖いのかもしれない。
どんな風にヲタクしたらいいのかぼんやり考える今日この頃。後輩グループも推してるくせにAのグループのライバル.....と思ってしまう。そう思いながらもCD買って売り上げに貢献している。
ふわっとした文章でごめんね、読んでくれた人。
そしてこのことは私史上最大の秘密であり、母親すら知らないトップシークレットだ。普通親なら気付くはずだと思われるだろうが、何故か母はいもしない男の気配を私から嗅ぎ取っており、男受けしない娘だが最低限の経験はしていると今も信じ切っている。
母ですらそう思い込んでいるのだから、友人や同僚ともなると私が魔法使い一歩手前の希少種だとは考えもしないのだろう。それどころか身に覚えのない彼氏の話題を振られることさえある。その度適当な嘘をつき、ボロが出る前に別れたことにしてその場を乗り切る。時にはワンナイトの相手を登場させたりもしている。今ではすっかり恋人と長続きしない自由気儘な人物像だ。処女のくせにな。
周囲にそう思われている理由はなんとなく分かっている。単純に遊んでそうな容姿と性格なのだ。
濃いメイクや身体のラインを強調する強気な服、それからアクセサリーが大好きだ。爪はいつでも長く伸ばし濃い色のジェルネイルをしていないと落ち着かない。着けている指輪の数も多い。服飾にこだわることが当然とされている職場ということもあって、毎朝時間ギリギリまでその日着けるピアスを選んでいる。誰かのためではなく自分の気分を上げる武装のようなものだ。
そんな見た目に加え、夜遊びも嫌いではない。
居酒屋やバーは勿論、JISのような異性と出会う為だけに存在する店に行くこともある。声をかけられれば会話をするし、とりあえず連絡先も交換する。大学時代に友人とふざけて始めたマッチングアプリで知り合った相手とデートの真似事をしたこともある。
ちなみに初めて男性と手を繋いだのもキスをしたのもその時だ。余りの虚しさに頭の悪い女の笑い話として友人達との飲み会で酒の肴にした。実は初めてだったなんて口が裂けても言えない。これも墓まで持っていく。
ここまで書けば分かると思うが、私は派手な見た目とそれなりに釣り合いの取れた非常に厄介な性格をしている。私自身が見た目にこだわる人間である以上、そこから得る印象の重大さは理解している。誰だって全く逆があり得ると分かってはいても、清楚な格好をした人間からは楚々とした印象を受けるし、派手な格好をした人間からは奔放な印象を受けるだろう。なので人から向けられる目に対して文句はない。
正真正銘性に奔放な友人もいる中で、私は25になっても未だ男性とお付き合いをしたことがない。それどころかそろそろ26になる。アラサーと呼んで差し支えない年齢だ。
自分のとっつき難い外見や不誠実な言動。学生時代から現在まで異性が殆どいない環境で生活していること。言い訳ならいくらでも用意できるが、最大の理由は私自身がそれ程他人との関わりを強く求めて生きていないことだろう。
基本的に私はプライドが高く、ありえない程に気が強い。性格も悪いが、そもそも根本の人間性に難があるタイプの人間だ。親しい相手を除いた自分以外の人間に無条件でいつでも害意を抱いている普通にヤバいやつなので当然モテない。もしくは見た目だけがモテる。断っておくがこれは外見が性的な対象として見られているだけなので人間として好まれているわけでは決してない。
そんな中、学生時代からの友人がついに全員既婚者となった。高校や大学など出会った時期は違うが全員同じ歳だ。それぞれ卒業後も定期的に連絡を取り、お互いの近況を報告し合っていた。そんな友人達が一人残らず結婚した。相手は私と知り合う以前から付き合っていた彼氏であったりよりを戻した元彼であったりと様々だが、とにかく全員が全員結婚したのだ。
すでに数年前から母として育児に励んでいる友人もいるが、これから先自分の周りには家人として家庭を守って生きる人間ばかりになっていく。何故か旦那さんのお義母さんとまで引き合わせてくれる彼女達とはこれからも友達でいられると思っているし、こんな気難しい私を受け入れてくれる奇跡のような友人達の幸せをちゃんと喜ばしく思えている。
だが同時にとうとう1人になってしまったと漠然とした虚無感を覚えている。やはり家庭を持つ人間と自分1人を生かす為だけに活動している人間との間には価値観において決定的な隔たりがある。
これから先、私は彼女達の気持ちに寄り添えない瞬間が多くあるのだと思う。旦那さんのことか義実家のことか子供のことかは分からないが、とにかく今まで雑な嘘で取り繕ってきた私では到底慰めきれない何かがきっとある。自発的に家族を作っていない私では今の時点でもう想像すらできない。
でも赤の他人に大切な相手として想われる人生とは一体どんなものか、知りたくて堪らない瞬間がある。しかしその愛情を受ける為に言動に気を使い、相手を思い遣ることを考えるととてつもなく面倒に思える。つまり私は恋人が欲しいわけではなく、無条件で自分を肯定してくれる生きた人形が欲しいだけなのだろう。人はどうか知らないが、私の場合他人に情を割くには体力がいる。
恋人、あるいは結婚という誰かと共にある形の幸せを手にした人達には私にはないある種の才能がある。
26歳を目前に自分が処女であるという事実は人には言えない重荷になっているが、本当に人に知られたくないのは私が誰かに感情を向けられたことも向けたこともないという現実だ。
全くの孤独であるか身近に同じような人がいれば気にならないのかもしれないが、残念ながら私はそうではないし、周りにもそうは思われていない。可哀想なくらいプライドが高い私は自分の見た目と現実との乖離をせっせと埋めるしかない。
それに人が複数集まって会話する時、過去の交際経験という経験値がないのは少々脆弱だ。決して色恋の話ばかりしているわけではないが、一度目の人生の転換期になる25歳で彼氏いない暦=年齢の女は少々浮いた存在だろう。当たり前に過去何人もの恋人がいた友人や同僚達にとっては尚更。何より過去の経験はそのまま発言力と説得力に直結する。
現在私には彼氏がいない。最近別れたのだ。そして今は作る予定もない。友人全員の結婚を期に、もういいかと思うようになった。話の流れによってはまた適当な嘘でその場を受け流すだろうが、これからはリアルタイムの話題が必要になる程恋愛経験が会話の中心に上がることはないと思う。友人達はみんな過去の話よりこれからの話をする。きっと今までのような遊び方をすることもなくなるだろう。
週が明ければ私は26歳になる。仕事だけで終えてしまった25歳の頭を整理したかった。色々考えたが結婚願望や恋愛願望以前の問題で、自己愛と自己嫌悪が強過ぎる余り他人に情を向ける余裕がない私は恐らくこのまま歳を重ねていくのだと思う。きっと精神はリスクのない無条件の愛情を求めて停滞したままだろう。
まだ職場では小娘扱いして貰えているが、最近妙に結果を残さなければいけないと思えて気が逸っている。分かりやすいきっかけはなかったが、私も友人達と同じように立派な大人になっている。歳取るって大変だわ。
・人類の魂はたった一つ
・一つの魂がある人の人生を生き、死んだらまた別の人の人生を生き、を繰り返してる
・魂は時間を遡れる、例えばある子供の人生を生きた後でその親の人生を生きたりする
・それでも数百年単位で見れば魂は過去の人間の人生を生きてから未来の人間の人生を生きている
・人類が絶滅すれば、魂は最後の一人の人間の人生と一緒に消滅する
行動方針
・魂が消滅しないようになるべく長く、多く人類は繁栄しないといけない
行動で無理やり自己肯定感を上げることはできない。
あとは経緯をつらつら書いてあるだけだから、暇な人だけ読んでくれ。
「小さい目標を立てて達成すれば自己肯定感が上がる」と、どこかで書いてあった。
目標と言われているのは本当に小さなこと。買い物に行くとか、簡単な運動をするとか。
とにかく自分に自信が持てなかった俺は、一縷の望みをかけて実行してみたんだ。
でもダメだった。
普段やっているようなことや、やらなければ生活できないようなことを目標にしたところで「そりゃできるだろ」の一言で片付いてしまう。
そこで普段やらないことを目標に設定してみたが、これはそもそも持続できなかった。
理由は簡単だ。「こんなことして何になるんだろう」という気持ちが勝ったからだ。
ヤケになって、1日1回だけ腕立て伏せするっていうふざけた目標を設定したこともあった。バカバカしくてやってられなかった。
その後に残ったのは、「腕立て伏せ1回すらできない自分」ただそれだけ。
漠然としていた「俺はできない子」という認識が、事実となって具現化して刺突してきたわけだ。
立ち直れるはずもない。
この程度もできない人間は、俺くらいだとは思う。
でもこの経験をもって、自己肯定感はがむしゃらに動くことで上がるものじゃないってことが言えると思う。
まずはマインド。自分のことを否定する自分を黙らせる必要があるんだと感じた。
(その方法が分かれば苦労はしてないが)
誰かの参考になれば幸いだ。
共働き子持ちのシステムエンジニアなんだけど、独りのまとまった自由時間が作れず、1時間未満の隙間時間を漫画読みに注ぎ続けてる。
漫画は好きなので読んだ事に後悔はないけど、もうちょっと自分の成長や家族の将来や人生の充実に役立つ事もしたいなー、と漠然と思ってる。
半日以上のまとまった余暇は子供と遊ぶ事に費やしたい時期なので、あくまで短い空き時間の使い方としてのオススメを知りたい。
話の面白さとか、見た目の良さとか、あるいは何かしらの一芸に優れてるとか、一緒にいて落ち着くとか、そういうフックが一切なくて誰からも何の興味も持たれないから友達もいなくて休日は家でゲームとかネットとかひとりでできる遊びを延々してる俺みたいなおじさんって結構いると思うんだけどみんな何が楽しくて生きてる? ちなみに俺は特にない ここで趣味に打ち込んで周囲からの承認に捉われることなく自分の満足することをやってるから人生最高に楽しいぜとか言えるとポリコレポイント高そうだけど、そんなものはない 夜中漠然とした不安に襲われて叫びたくなるし最近はふと自死もよぎるくらいメンタルも安定しないぜ というわけでみんなの楽しいことを教えてくれよな