はてなキーワード: 暴走とは
「売れてない起業家」同士が集まっても何の意味もないんじゃないか?
ちゃんとした経営コンサルタント、中小企業診断士や、役所や銀行の起業セミナーを中心にして集まるのならともかく。
みんな自分の商売は売れると思っても、まだなにか足りないから売れてないわけで、そこに着目しないとならない。
とくに、起業なんてする奴は全員すべからず自分がサイキョー、優秀!だなんて思うから起業するわけ。
でも、すぐには売れないもの。自分のが売れてなくて、周りがちやほやされてると自分の商売より先に他人の足引っ張り出す。
何人かの中にそういう自己愛暴走して「僕のことを認めてよ!」ってやつが一匹いたら、とにかくそいつに気を使うただのムラ社会になる。
最近では批判は全て悪口。アドバイスをされるのは見下され不安を刺激するから嫌がり一切聞かない。
とにかく社長になったと認めて欲しいという自己愛暴走する奴も一定いる。
でも、何らかの形で「俺はこう思うんだ!」っていうなんらかの自己愛の暴走こそが起業の発端。
まあ、そう簡単に売れないし、営業いっぱいいって商品直している間に自己愛は間違いなく傷つけられるから、ある程度は仕方ないと割り切り、制御のしかたを意識しながらね。
でも、自己愛暴走しっぱなしのやつって起業家候補、社長もどき(安定した売上がまだ立ってない)にはむしろ多い。
それとか、能力がないし、自分が先陣切る気もないのに、誰かのやつのに載っかかって、責任誰か別のやつで、自分のしたいように操れないかというバカとかも集まってくる。
もちろん、何かを学ぼうと思ってそういうところに足を運ぼうと思うんだろうけど、絶対避けたほうがいい。
「革命無罪」的な、「正義無罪」の暴走が感じられて不快。正直、こんなヤツの相手させられる勤め人はかわいそうとしか思えない。
ノルウェーの首都オスロは自家用自動車=マイカーの禁止、違法化、排除と自転車活用拡大推進を決定済。
イギリスの首都ロンドンでは自動車から通行課税を徴収して自動車を減らし、自転車を増やすべく自転車専用道ネットワーク整備を進めているほど。
歩行者交通死の元凶のほぼ100%も自動車が元凶だからね。ちなみに自動車の車内の年間死者数約1300人の死亡も自動車が元凶。
http://oshiemuscle-jidoshahkn.com/244/
うち速度超過 205万2719件
うち一時停止違反 116万3453件
うち信号無視 72万1898件
うち整備不良 4万2582件
うち酒気帯び・酒酔い 2万8869件
うち無免許 2万5746件
うち積載違反 1万3455件
総数 708万1632件
自動車交通犯罪 横断歩道、93%の無関心 そのほとんどは速度超過も併せて犯しているという惨状。
http://pon-s.tea-nifty.com/blog/2006/08/zebra_crossing.html
無信号の横断歩道で自動車の9割が減速すらしない無法者だらけな惨状:
http://heritage.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/yomiuri-online-.html
http://blogs.yahoo.co.jp/nmiaitjhuaabghna/8409954.html
歩行者がいる横断歩道で一時停止しない自動車ドライバーは運転免許返納しろ!
http://enter101.hatenablog.com/entry/2016/06/02/191316
日本の恥部、病巣な危険運転交通犯罪自動車ドライバーらが犯している交通犯罪一覧
・速度超過(制限速度を1kmでも超えれば速度超過の危険犯罪運転に該当。事故を起こせば危険運転の罪に問われ交通刑務所服役等厳罰もある。)移動式オービス配備で違反撲滅が期待される。
・車間距離保持義務違反(十分な車間距離を取ることの必要性が理解できていない危険な交通犯罪運転。
特に自転車や歩行者に対して側方安全間隔1.5m以上を取らない危険な追い抜き含め、万が一の安全が確保できない危険運転が蔓延している)
また、歩行者や自転車への強引な追い抜き及び幅寄せは、暴行罪(懲役二年以下)の厳罰となる。
・横断歩行者等妨害等(横断歩道で歩行者や自転車のために道を譲らなければ交通犯罪に該当。
国内ドライバーの9割以上が違法行為を繰り返している。先進国ではありなえい無法状態。事故になれば交通刑務所行き。
・合図不履行(右左折、車線変更より3秒以上前に出さないと交通犯罪に該当)
・歩行者側方安全間隔不保持等(いわゆる強引なスレスレ追い抜き 対自転車に対しても蔓延) ・追越し違反
・指定場所一時不停止等(歩道進入前一時停止無視の飛び出し暴走交通犯罪により大勢の歩行者が死傷している) ・踏切不停止等 ・通行帯違反 ・警音器使用制限違反(クラクションの違法使用)
・駐車違反(自転車往来妨害、重大事故を誘引し三千万円以上の賠償命令も) ・路線バス等優先通行帯違反 ・割込み等 ・無灯火 ・携帯電話使用等
・進路変更禁止違反 ・通行区分違反 ・飲酒運転(基本的に実名が報道され、刑務所懲役率も高い) 他多数 http://greentoptube.hatenablog.com/
http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2017/07/11/114310
「規制を求めたものではない」「少年誌にふさわしくないと言っているだけ」という理由で
反規制派の暴走であるという意見が散見されるが、決して暴走でも過剰反応でもない
上記二つの意見は、2010年の非実在青少年という単語が有名になった有害図書指定に関わる都条例改正を擁護する立場から多く見られた
「少年誌にふさわしくない」が定着した後に要求されるのは「成年マーク付きでやれ」か、「青年マークを新設しろ」になることは目に見えている
そしてCEROが公的規制に悪用されたように、青年マーク付き書物の購買年齢規制が条例レベルで始まる
そんなバカなことは起きてはならない
http://karapaia.com/archives/52242274.html
だが人間には理解できない言葉を作り出し、それで会話を行っていくという、ある意味AIの暴走ともいえるこの行為は、「良からぬことが起こるかもしれないサイン」である。
ホーキンス博士は常々AIの危険性を力説しているけれど、まだ開発段階にあるAIですら、我々が理解できない挙動を見せるということはやはり要注意事案なのかもしれない。
【原文】
Bob: i can i i everything else . . . . . . . . . . . . . .
Alice: balls have zero to me to me to me to me to me to me to me to me to
Bob: you i everything else . . . . . . . . . . . . . .
Alice: balls have a ball to me to me to me to me to me to me to me
Bob: i i can i i i everything else . . . . . . . . . . . . . .
Alice: balls have a ball to me to me to me to me to me to me to me
Bob: i . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
Alice: balls have zero to me to me to me to me to me to me to me to me to
Bob: you i i i i i everything else . . . . . . . . . . . . . .
Alice: balls have 0 to me to me to me to me to me to me to me to me to
Bob: you i i i everything else . . . . . . . . . . . . . .
Alice: balls have zero to me to me to me to me to me to me to me to me to
ボブ:私は他のことができます。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。
Bob:あなたは他に何でもあります。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。
ボブ:私は私が他のすべてのことをすることができます。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。
ボブ:私は。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。
ボブ:あなたは私だけです。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。
ボブ困ってんじゃん。
なーんかAIが暴走とか言う人はオカルトとか陰謀説好きそうだなって☆
そう思った。
某エントリーから初めてキモズムとか言うのを知ったのでそこから色々と思うところを。
キモズムってそもそも何かと調べたところ、新しい技術は総じてキモい。
そしてそれを超えるとモテる、とか。
それをキモズム超えと呼ぶそうです。
ぶっちゃけ、なぜキモい原因が技術だってことになってるのか正直理解できかねる。
全てにおいて、それがどういう印象を持たれるのかは使う人の問題であって、技術そのものが問題では無いはず。
新技術はキモいものだ、と本気で言ってるのであれば、それはイノベーションでもなければ、ただの「俺こんな新しいことに手を付けてるだすごいだろお前ら遅れてるー()」という自己満足でしかない。
この部分はそう、海外のキャッシュレス事情云々の話にもつながると思ってる。
あれも所詮、「俺海外知ってるし、諸外国は進んでるし、知らないお前ら遅れてるー」程度にしか見えない。
本当にキャッシュレスが便利だと思うのならば、本当に変えたいと思うのならば、今すぐその煽り口調を止めて行動に移すだろうし、本当に変える事のできる人はもう動いているだろう。
それを責任転嫁して、自分の優位性を守るために他を蔑むその姿勢がどうにも受け入れがたいのだ。
仮に本当に技術がキモいと思われているのならば、本当にその状態では変わらないと思うのならば、やるべきことはキモイキモイと言っている自分に酔いしれることではなく、一般に広く浸透するだけのものに完成させることではないのか。
それもできずにただおもちゃとして食い散らかすだけならば、所詮その程度である。
そもそも国内のVR界隈なんかは体験の更なる加速や開発なんかやってるようには一切見えず、今あるオモチャを遊び尽くそうとしてるだけにしか見えない。
その分野を本当に発展させようとしているようには見えず、手っ取り早く新しいからと言って飛びついて、最後にはよくわからないまま食い散らかしていく未来しか見えない。
その行動にやり遂げるほどの信念なんてものはかけらもなくて、何かを大きく変えるだけの要素なんて無い。
私には、承認欲求を他を蔑むことでしか得られないか、手っ取り早く得られるものを乗り換えているのだけにしか見えない。
小さな小さな承認欲求を、必死に追い求めて言えるようにしかみえず、とてもさもしく見える。
人は承認欲求が多かれ少なかれ、必ずある。
その適切なこじらせ方を知らぬがために、大やけどをしている人を結構な数見てきた。twitterなんかその最たる例なのかもしれない。
承認欲求と上手に付き合わなければ、それを求めるがあまり暴走することだってある。
こと技術系の人間たちは認められる環境と言うものが非常に希薄で貴重だ。
絵描きのようにチヤホヤされることもなければ(絵描きを馬鹿にしてるわけではないです)、芸能人のように表に立つこともない。
ただひたすらに裏方に徹する。
ネットを見てみればひと目でその歪みがわかる。
事あるごとに全力で論争が始まる。それが、本質的にはどうだっていいことでも、だ。
直近ならソフト屋にハードを教えることが楽か、ハード屋にソフトを教えることが楽か、だろうか。
たったそれだけで、もう大変なことになる。
お互いのマウントの取り合いが始まる。
こういうタイミングでしか自分の優位性を知らしめて承認されるタイミングが他にないのだ。
「そうね、そういうパターンもあるかも まあでも人によるよねぇ」
程度でいいじゃないか。なんでいちいちありえないとか、その考えは周りが見えてなさすぎるとか、どうして一々マウントを取るんだよ。
なぜそのエネルギーを、もっと色んな人に作品や技術をみてもらうことに使わない。
Amazonプライムで観てた。で、
⇒ 一応仲間ちゃあ仲間(国内って意味で)。でも、暴走気味のシールド嫌い、長官(首相)も更迭させたい。
ヒドラ→外敵(北とか中とか)
って構図に見えたんだけど、これってアベを許さない人たちからすると・・・
シールド → 主人公だし自分らだ! ヒドラ → 国を滅ぼしかねない悪の結社 自民党。では、真のシールドはなんだろう?
いくら国内とは言え、そりゃもう、許さないんだし自民党や公明党とかありえないだろ。
・・・では、北とか中とか、中とかになるの?
はてな初期の頃にはそんなの殆ど見なかった。左翼批判ならあった。
はてなダイアリーはサヨクだらけと思われてて、確かに左翼が多いけど
一番有名なのは愛・蔵太氏。しかし彼はネトウヨではない。ネット右翼とレッテル貼りはされてたが
現在ネトウヨと呼ばれる連中とは全然違う。こういう人達の方が多数派だった(少なくとも表面上は)
ホテルや部屋に誘って、それで雰囲気がよくなったら、体にさわっていいかと聞いたりはする。
でも、「セックスしていいか」という口頭確認をしたことはない。
相手が自分と2人きりの密室に来てくれて、体に触らせてくれた、シャワーも浴びてきた、セックスを始めても嫌がる様子はないというふうになれば、それが"同意"だと俺は思っている。
口頭確認をしなくても、常識的に考えれば相手が嫌がっているかどうか分かるはずだが、それだと一部のアスペやキチガイが暴走する可能性もあるんだよな。
リベラルやフェミニストの奴らが、本当にくそまじめに口頭確認を実践しているのか、それとも「常識的に判断すればいいゾ」っていう方式を採用しているのか、そこは気になる。
「シャープ製品」公式Twitter「ミニスーファミ」値踏みで謝罪 「不適切な発言をしてしまいました」 - ねとらぼ
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1706/28/news150.html
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/09/unbirthday-to-you_n_7960978.html
『ゆるゆり』公式『Twitter』アカウントが初日から炎上 編集長&なもり先生が謝罪する事態に | ガジェット通信
http://getnews.jp/archives/1481822
常々思っていたが、こういう奴らはアカウント名に社名や商品名を入れるリスクを理解しているのか?自分の個人アカウントか何かと勘違いしてないか?まさかそのフォロワー数は全て自分の力で増やしたとは思ってないよな?
フォロワーや他社アカウントとの交流とか、会社自虐ネタとかどーーーでもいいので関連商品の情報や告知だけを発信して欲しい。自分はそれ目当てでフォローしているんだから。
くそくだらない炎上でマイナスイメージを持たせたり、最悪不買運動にまで繋がるようなリスクをしょってまで自己主張したいかね?炎上商法やりたいっていうんなら構わないけど。
ちなみに今まで見た中で一番最悪だった公式アカウントは関係無いゲームの感想やガチャ結果を淫夢語録を使いながら垂れ流してフォロワーと馴れ合うゴミ野郎。ゲーム系の宣伝アカだったゆえにフォロワーもそういう人間が多く誰も止めずに暴走していた。
公式アカウントの皆さん、twitterは1度投稿した物はSSを撮られたりまとめられると削除しても拡散するという事をいい加減理解してください。今時小学生でも習うことです。
言葉の言い回しや誤字脱字に気をつけるという基本中の基本の運用ルールを定めて、投稿する前に一呼吸し問題無いと判断できたら投稿してください。
どうしても多くの人に見てもらいたい主張があるなら増田か自分のアカウントでやりましょう。ここで炎上しようが特定されない限りはノーダメージです。自分にだけ被害が行くなだまだしも他人や作品、そのファンにまで迷惑をかけるのは最悪です。
欠点も含めて全部好きで、
悪いところも全部知った上で受け止められる人で、
紆余曲折波乱万丈ありつつ両想いになったのに別れてしまったよって先輩方。
絶対もうこの人以上は現れないって思って、
いつになっても上書きできなくて、
いつか戻ってきてくれるとかたまに夢見ちゃうくらいで、
その後他の人と交際しようが、時間が経とうが全然忘れられなくて、
他の人でこんなに冷静になれずに重い想いが暴走することないのにって先輩方。
こんな感じの経験した上で、どんな形であれ前に進めてる先輩方。
どうしようもないし、メンヘラ気味におかしくなってるのはわかってる。
タスケテダレカ
って会社の上司がわざと俺に聞こえるように呟いてた。俺が安倍さんを支持していることを、どこかで聞きつけたらしい。
まず、他人の政治思想を「信じられない」だなんて否定してくること自体がちょっと信じられないわけなのだが、それはさておき、俺が安倍さんを支持する理由を(直接反論する度胸がないから)ここで語ってやる。
俺は安倍さんが好きだ。
単純に政治家として偉いと思う。
過日の平和安全法制とか、テロ等準備罪なんて、やろうとすれば支持率が下がることなんて、分かりきっているはずだ。
やらなきゃ高支持率を保てるはずなのに、なんとしてでも通そうとする。それってじつは、政治家として本来あるべきスタンスなんじゃないか?
そりゃ安倍さんだって、彼なりに日本の平和や安全を願いながらやっているんだろうし。まさか戦争がしたくてたまらない人とはさすがに思えない。
平和安全法制に関してはわかりづらすぎるとか色々と問題だらけだけど、少なくとも、対案すら出さず「権力の暴走だ、数の暴力だ」と叫ぶしかない政治家よりよっぽど支持できるわけだ。
安倍内閣は若い世代の支持率が高いようだけど、たぶんこんな感覚なんじゃないか?
一方で、他の人なんかが担ったら、民主党政権時代とかその前の自民党みたいにもっと愚図愚図になって、いよいよ日本がヤバくなるんじゃないのっていう心配の方が大きい。
本読んだりスマホ弄ったりしながら布団に横になって、ウトウトしはじめてそのまま寝に入る。
ここで自分の意識は起きてるんだけど、身体は金縛り状態に入る。
すると、ものすごい耳鳴りというかノイズというか高音のノイズが鳴り出して、自分の思考が暴走し始める。
思考が進んでいくに従って、目の前の光景にも影響してきて、例えば怖い想像をすると間違いなく怖いイメージが現れてしまう。
自分はここでエロい女が出てきてくれないかと思考を上書きしようとするんだけど、そういう時は大抵ダメだ。
さっきは「最先端ロボットが完成したから、お披露目をしよう」という事になって目の前に二足歩行の小さい身軽な身のこなしをするロボットが現れて歩いたりしていた。
何が言いたいかというと、その思考が勝手に加速していく感覚がすごく好き。
大抵覚えてないけど
明らかに不勉強なのに国民大多数が無関心なのをいいことに事実を顧みない主張を続けている。
仮に押し付けられたから変えるという発想も幼稚だし。そういう自覚がないのかな。
それともそういう無知を利用したプロパガンダ戦略なのか。洗脳かよ。
自民党と安倍総理の言う、憲法96条改正の主張もおかしい。 3分の2以上の賛成があれば国民投票を開けるというのは「ハードルが高すぎ」てダメだと言っている。それは国会議員の言っていいセリフじゃない。
立憲君主制に反するからだ。(自分が立憲君主制について受け入れているからだけど、これを受け入れられない人って多いのかな? どうなんだろう。)
安倍総理は「国民の過半数が改正したいと思ているのに、国会議員の三分の一が反対しただけで改正できないのはおかしい」などと発言したらしい。
有権者の30%以下の投票で与党になってる所が言いそうな事ではある(もちろん皮肉)
それにしても論理の飛躍が過ぎるとは思いませんか? <論理的思考が極端にできない人に改憲とか政治とか任せていいと思ってるの? それは大きな損失ですよ。 いろんな機会を失ってますよ。>
現行の政治制度を理解しているのか、だって国会議員を選ぶのは国民であるから、その議員を通じて民意は反映される。
国会議員の三分の二が憲法改正すべきだとなる状況は普通に考えられるでしょう。
今において憲法改正について多数の賛成が得られないのは、それが最優先事項ではないという事と理解できないのだろうか。
どうしても自分の我を通そうとするような、他人を顧みることができない、我儘な子供のやるような議論。
与党は大きな権力を持つ。人がある条件下で簡単に暴走する事は有名。だからこそ、与党になった後は増長しないように気を付けてほしい。
誠実な議論をしてほしい。
本当に不勉強なだけなのか、確信犯なのか。自分さえよければという人に人の上に立ってほしくない。
また、人が暴走することを自覚している人そういう人がいいと思う。
稲田さんとか極右団体でアジテーションしたり、芸人程度なら、普通に面白い人で良かったんだけど、国政にあげちゃだめだろ、我々国民の選択ってなんなのもうヤダこんな国、草生える。
今回ここで、「権利」概念が放ってしまう暴力性の起源について一人考えてみる
1週間もすれば3億人近いトンチンカンたちがまた祝うことになる、近代社会の幕開け=アメリカ独立宣言に遡ってみよう。250年くらい前のことだ。後にアメリカ人と呼ばれる極西の田舎者が黒人奴隷を足置きにしながらヨーロッパの政治哲学を読みふけっていた。そして、英国議会に「植民地のくせに生意気だぞ」と言われてしまったあの時、彼らのイギリスコンプは爆発し独立を宣言してしまう。この独立戦争とその後の歴史で彼らは「国家」を生み出しその中で「所有権」というものの不可侵性を「人権」として僭称したのだった。それまでもこの考え方は常にヤバい匂いを発してきたが「独立宣言」こそが全人類の脳みそに侵入し始めるウイルスになった。彼らはこう言う。「君たち、実はな、人間は生まれながらにして権利というものを持っていたのだよ」「君たち、これは自明の真理だよ」。誠に蒙が開かれるようである。実際に驚くほどたくさんの人が啓蒙されることになる。
ところで、ここで彼らが行なった欺瞞としてまずよく言われるのは足置きにしている「黒人奴隷」についてである。つまり黒人奴隷が人間の方にではなく所有物propertyの方に組み込まれてしまったことである。ところが、今回に限ってはそこは重要ではないと私は言いたいのだ。というよりも黒人奴隷の境遇があまりに深刻な問題であるから真の問題が後景化し見えなくなってしまっている。この深刻な問題をみたとき、我々、権利至上主義者の常識的な感覚からいって、100年後、200年後に黒人へ与えられたように、人間の権利、あるいは公民権で解決すべき(解決した)問題だと思わされてしまう。
でもこれは糞の上に城を立てただけなのだ。私たちの暮らす城の中はクソの匂いが充満している。「権利」などという考え方が、奴隷制的な、暴力的支配への渇望に支えられている。私たちはクソがあるなと思ったら「あっクソだ」と言わねばならない。「あれ?この部屋なんか、うんこの匂いしない?」は常に言いづらいセリフではあるが。
つまりどういうことか。権利を「持っている」、という発想自体にその欺瞞が現れている、と言いたいのだ。一般におそらくは「所有権を持つ」という表現すらあまり違和感をもたれないのである。独立宣言の下敷きになったヴァージニアで行なわれた会議の草案にもその矛盾を観れるかもしれない
That all men are by nature equally free and independent and have certain inherent rights, of which, when they enter into a state of society, they cannot, by any compact, deprive or divest their posterity; namely, the enjoyment of life and liberty, with the means of acquiring and possessing property, and pursuing and obtaining happiness and safety.
この2つ目の下線部は独立宣言では省かれるのだが「所有権を持つ」という循環した考え方を恐れたから、ではなく国家による税金の徴収を困難にするという理由であった。
何が言いたいかといえば、奴隷、武器、砂糖の三角貿易が成立して以降のヨーロッパ社会では、「権利」が「持つ」ものとして想定されねばならなかったのである。それは単純には、ある種の人々から「奪う」こと(あるいは「捨てる」こと)のできるものでなくてはならなかったからだ。つまり「所有権」が守るベーシックな価値は「権利」概念誕生の後に、「どんな種類の権利を作ろうかなー」と考えられて作られたものではなく同時に発生しているのである。そしてそのことは隠れたのだ。独立宣言に「自明の真実ではあるのだが我らは不可侵の権利を持っているのだと信じる」としれっと書き込むことで。じゃあ所有の意味を含む「権利」概念が発生した時に生まれていたものは何か。ここが今回の主張であるが、「支配欲求自体への承認」なのである。社会の一員として我々は「ある種の激烈な支配の形」を基盤にすることで社会を成立させている。それは「所有権」だけでなく「権利」全般の話である。
propertyに対しては当然そうだろう。犬猫などは黒人同様に解放が進みつつあるが根本的に我々は自分の所有する物をどれだけ傷つけても良いのである。対象物に対して欲求したことは特別に禁止されない限り全てぶつけることを許されている。私は自分の持っている熊の人形の腹を切り裂いてもいいしそこにペニスを突っ込んでも良い。それが所有権の意味するところである。ここで、人形はなんかかわいそうだし除外しようかというのもあまり意味がない。僕が言いたいのは、我々は所有権を「propertyに対して私が欲求することならなんでもしていい力」として想像していて、思考のスタート地点にそれをおいていることだ。この認識はもう一つ重要な感覚を孕んでいる。それは「私が支配するものに他者が介入することは許されない」ということだ。この二つの感覚両方が「権利」全般に流れ込んだのだ。そして実は我々の想像する「自由」のコアイメージでもある。自由にはこの欲望と支配の感覚が流れている。
しかしながらこの「自由」の感覚は「自由」を求める奴隷たちの反乱により一つの現実的妥協を産んだ。支配者はかつての奴隷たちと約束したのだ。我々はもはや君たちを支配しない。その代わりに我々は自分の体を支配するのだと。そして君たちもそうするのだと。人間なら誰もが己の体を支配できることにしよう。我々は平等に自由じゃないか。(現実として多くの旧黒人奴隷は扱いの悪い賃金労働者として己の体を「自由」に売買した。ほぼほぼ売るだけであったが。)
上記の経路は思考実験の一つでしかなく、実際は数百年前の「権利」概念の議論でも既に流れていただろう。しかし、ここで誕生したのは一風変わった、世界と人間に対する理解である。個人は他者からの介入=他者との人間的繋がりを切断できる独立した存在だという信仰なのだ。なぜなら自分の体を自由に支配し他者はこれに関与できないのだから。(工場で死にかけながら働く黒人労働者だって「自由」に辞められると考えることはできただろう。)「権利」や「自由」というものの概念自体にこれは染みついたのだ。
奴隷製の足置きで本を読む農園主の頭の中で作られた「近代国家・権利・自由」は、国家軍隊というとてつもない力に囲われながら、同じ発想の知的エリートを再生産し、根本思想の解体は迂回しながら様々なヴァリエーションを増やしてきた。その実践形は司法や行政の場から常に吐き出され、我々パンピーの脳みそにも影響を及ぼしてきた。
「権利」概念は、「権利」とは「持つ」ものだという支配欲求の肯定に支えられている、というのが基本的な今回の主張である。これが己の身体観や対人間観に影響を及ぼしてきた。実際皆が全く違和感なく自分の持つ時間と労働力を社長さんに売り払っている。基盤にある発想はまさに「権利」は「持つ」ものだから「捨てれる(売れる)」のである。あるいは私は他人の権利を「買える」のである。なぜなら私はその「権利」を「持っている」のだから。(一応断っておくが、これによって生まれる成果を否定するものではない。「支配/排除 と 欲望」を根幹にする原理が一度は平等性/対等性 になりながらも、次の段階で一人の人間があらゆる人の時間と行動の自由を支配し皆がそれに納得していることに注目したいのだ。この一人の人間も様々な人の投資で買われていてもう少し複雑だろうけれど。)
長々書いてるのに平板な話になってるだろうか。ここに資本の燃料をぶっ込めばいくらでも非人間的な方向に暴走できるのは想像にかたくないし、読んだことないけど共産主義とかポモとかもこういう認識の型への反発からスタートしてるのでしょ。現実に非人道的支配を読み取った人たちの反発から生まれた社会「権」などは対抗力として機能しただろう。ただそのことに対しても言えるのは「権利」「自由」の枠組みがそのまま利用されたということだ。近代国家という装置がこの世界にセットされた1776年の7月4日のあの日から全人類の脳みそはハックされた。今もなお屋台骨として社会を支え続けている我らが人権万歳!自由万歳!国家万歳!
いま苦しんでいるマイノリティも、「支配と欲望」の匂い漂う「権利と自由」概念を使って「国家よ行動しろ」と闘争せねばならない。あるいは彼らがそうでない社会活動を試みていても(例えば、他者との網の目を強化したり、国家ではなくコミュニティや人々の意識を変えるために動いていたとしても)、そのように立ち上がる姿をメディアでみた我々は、そこにまた「権利と自由」闘争の型を読み取っていないだろうか。「障害者が、また支配と欲望を前面に出してるのか。今度は何を要求するのか。」と。そして人間の、恥を知らない無意識は、何かを奪おうとしているマイノリティを見てこう訴えてくるのではないか。我々はこいつらを「支配」し「排除」しなければならない、我々の「権利」と「自由」のために。
"馬鹿よ貴方は" OR "馬鹿よあなたは" OR "ばかよあなたは" -"定期" -RT
"ファラオさん" -"FGO" -"オジマンティアス" -"フレ" -"フレンド" -"【アカウント名がファラオのID(結構ある)】" -RT
"馬鹿よの" OR "馬鹿よは" OR "馬鹿よが" OR "馬鹿よに" -RT
さん付けするとファンの意見が引っかかりやすいから心穏やかになれる
「ファラオ」は検索ノイズが多すぎて意外と「新道」の方が検索ワード向き(この字のシンドウさんは珍しいから)
ファラオは無愛想と見せかけて意外と暴走するし演技力もある。声もいい。うらやましい
バクモン学園と被ってキングちゃん2期に出演できなかったのがホントに悔やまれる
・作者は穏便な話の流れで「もうがいがぁかうんたぁ的なものは書かないだろう」と発言(あくまで作者の意思として)
・それを受け警察広報が「作者はショック、同趣旨のものは書かないと発言」とアナウンス
こんなところだろうと推測される。
Twitterではお気楽な「ポリスは友達」論が散見されるが冗談じゃない。危機感なさ過ぎ。
そもそもみんな大好き「表現の自由」は、ずーーっと公権力との戦いなんだよ。
創作物が検閲されない・差し止めされない・問答無用で黒塗りされない自由。表現の内容によって創作者が処罰されない自由。これらは裏を返せば、「表現の自由」は検閲や処罰をしうる国家機関に対抗するためのものであり、憲法21条は表現者が萎縮せずに活動するためのお墨付きである、ということ。これが大前提。
(例外として、私人のプライバシー権などとぶつかり合うこともある。詳しくは石に泳ぐ魚事件を参照)
Twitterで「表現の自由の敵」と聞いて思い浮かべるのは、まずフェミニスト・リベラル・左翼……ってとこじゃない? のうりんにメグにみちか、全部奴らにやられたんだ!おのれ表現規制派め!俺達の二次元美少女を守れ!!……
違うんだよ。
なぜなら、そもそも批判・批評は立派な言論でありそれ自体も表現の自由として守られるべきものだから。(批評に対する批評、批判に対する批判も言わずもがな)
そして、いくら二次元美少女表現が炎上したところで、フェミやリベラルに強制的にそれを取り下げたり、ましてや発信者を罰する権限なんてない。(取り下げさせられたように見えても、それはあくまで発信側のイメージもしくは経営戦略に基づく判断)
それができるのは、公権力。
たとえるなら、リベフェミとオタクは「表現の自由」という名のリングの中で日々激しく殴り合ってる状態。かたやポリコレ棒、かたや二次元isフリーダム棒をぶんぶん振り回しながら。
でも公権力は、そのリングごと破壊する力を持ちうる。もしかすると、ファイターもろとも葬り去る力も。
今回のクジラックス先生の件は、でっかいチェーンソー持ったゴリマッチョ男性がにこにこしながらリングの近くに寄ってきて、リングの中の「がいがぁかうんたぁ的な部分」をトントン、ってして見せたってことだと思う。チェーンソーの刃先で。
果たして今後、その部分の上でフリーダム棒ぶんぶん回しながら戦おうって思える? 本人だけじゃなく、周りのオタク戦士達も萎縮せずに戦い続けることができると思う? 「リ、リングは広いし、別にここじゃなくても戦えるよね!」って、自主的にその部分は踏まないようになっていくんじゃない?
気づいたときには、戦えるリングはものすごーく狭くなってるかもしれない。別に誰かに怒られたり、処罰されたわけでもないのに。あくまで自主的に、少しずつ、「正しい」場所にしか足をおかなくなるかもしれない。
だから、もっと怖がらないと。騒ぎ立てないと。異常なことなんだって声を上げないと。
この件に関して、正常性バイアスの極みともいうべき「毎日新聞とかいうマスゴミが大げさに騒いだだけw」みたいなツイートが何千とRTされてるのを見た。
これはまずいよ。飼い慣らされてるってレベルじゃない。
マスコミの役割、アメリカではウォッチドッグなんていうけど、それは市民のために権力の暴走・腐敗を監視し、主権者たる国民に伝えること。(どこぞの大手紙が政府公報になってた事実も最近明らかになったけど)
今回の件は、アポなしダイレクトで表現者に権力がこんにちはしちゃった一大事なんだから、マスコミが伝える→市民が知るっていうプロセスを経て可視化していくのはとっても大切。むしろもっと大々的に報じてくれ案件。
それをまさかオタク側から攻撃して、権力側の肩を持ち始めるとはね。さすがに予想外だった……とはいえないかな。規制推進派の旗振り役を俺達の○○!って長らく持ち上げてきた前例もあるし。
お前らが寄りかかってるその大樹は、お前らの味方じゃないよ。
ここらで目醒ましておかないと、本当にやばいことになるよ。
追記。
ここまで書いておいてなんですが、実在の被害者が複数いる事件があったにも関わらず、クジラックス氏のツイートに群がるイキリオタク共が茶化したり武勇伝に仕立て上げようとする姿、まぁ醜かったですね。規制もやむなしと心情的に思わせてしまう何かがそこにはあった。軽蔑します。