はてなキーワード: 日商簿記とは
俺は昔、はてなブログでブログを書いて、昔でいう「プロブロガー」をやっていた。
1級身体障害者の炎上ブロガーって言えば、古参のはてなーなら知っている人もいるかもしれない。
元フジテレビアナウンサー・フリーアナウンサーの「長谷川豊」にブログ記事をパクられた人、っていえば思い出す人もいるかもしれない。
もう過去の記事は全て消したが、「だいちゃん.com」(https://xn--n8jvce0l6c.com/)っていうブログを運営していた。
そんな俺は今、大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている。
知っている人もいるかもしれないが俺はとあるきっかけで、はてなブログを追い出されてWordPressにブログ記事を全部引っ越しさせてブログ運営を続けていた。
だが、はてなブログ時代は主にはてなブックマークからの流入がメインだったから当然、WordPressではブログ運営が上手くいかなかった。
Googleアップデートなんかの煽りも受けて、ブログ運営のみの収入で生活をすることが困難になった。
ブロガー時代の俺に「自分のところでライターをしないか?」というお誘いを受けて、アフィリエイト記事を執筆するライターなんかもやっていた。
ライター収入で一時期は生計を立てていたが、他人のブログの記事を書くということに面白みを見出すことが出来ず、ライターとして生計を立てるということも辞めてしまった。
でも、どうにかして収入を得て生活をしていかなければならないから、俺は頑張って就職活動を始め、今は大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている訳だ。
もう、昔のはてなアカウントも消してしまって、はてなには全く顔を出していなかったが、少し懐かしくなって今、増田で記事を書いている。
ちなみに、俺は1級身体障害者ということもあって、今の会社に就職するまでまともな職歴はほぼ無い状態だ。
20歳の時には1級身体障害者になって、そこから半寝たきり状態で20代前半を過ごしたりしてきたし、リーマンショックなんかの煽りも受けて、なかなか就職が決まらず……。
そんな俺でも障害者雇用枠でなんとか大手企業に就職することが出来たから、どうやって就職をしたのかをちょっと書いてみようと思う。
まず、俺のスペックを書いていこうと思う。
・性別:男
・年齢:30代半ば
・職歴:ほぼ無し
・所持資格:「日商簿記2級」「MOS Word」「MOS Excel」等
こんな風に、俺のスペックはボロボロだ。しいていうなら、顔が若干良いくらいだ。
しかも、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
でも、こんな俺でもなんとか就職することが出来た。
一番この増田を読んでいる人達が気になっているのはここじゃないだろうか?
こんなボロボロのスペックでどうやって大手企業の障害者雇用枠、しかもリモートワークという狭き門での就職を成功させることが出来たのか。
その道のりは簡単ではなかったよ。かなりの苦労がここにはあった。
まず、どうにかして障害年金以外の収入をすぐに確保しなければならなかった。
幸い、ブロガーやライターをやっていた時の収入は殆どを貯蓄に回していたから、なんとか貯蓄を切り崩しながら生活をできていたが、自分の経歴の酷さは分かっていたから、すぐに就職先が決まることは無いと判断した。
そんな俺でも就職するまでの間、障害者だったら収入を得る方法があった。
それが、
という方法だ。
障害者職業能力開発校は、通っている間は失業保険の手当を貰える状態にある人は、失業保険の手当の受給期間を通っている間は延長してもらうことが出来る。
でも俺は、失業保険なんていうものに加入はしていなかった。当然だ。俺はブロガーでライター、個人事業主だったからな。
答えは「NO」。
障害者職業能力開発校に通っている間、失業保険の手当を受給出来ていなくても、障害者なら「職業訓練手当」という給付金を貰いながら通うことが出来る。
貰える金額は障害の等級によって違うが、1級身体障害者の場合は月に約12万円ほどは貰うことが出来た。
都心に住んでいる人からしたら、こんな金額じゃ生活出来ない! と感じる人もいるかもしれない。
幸い、俺は九州の田舎に住んでいるから、月に20万円もあれば十分に生活は出来る。
そうやって、収入の基盤をなんとか確保した。
ちなみに、俺が通っていた障害者職業能力開発校は、訓練期間が1年~2年。
通常は1年だが、「プログラム設計科」という、プログラミングを学ぶ訓練だけは2年コースになっている。
そこでプログラミングを学びながらプログラマーを目指していた。
でも、俺は「基本情報技術者試験」の午後問題の「アルゴリズム」と「プログラミング」の問題を殆ど説くことが出来なかったんだ。
「ああ、俺、多分プログラマーには向いてないわ。」
そして、就活をし始めた年齢が30代だったということもあって、30代で未経験プログラマー、しかも1級身体障害者で残業の出来ない状態では無理ゲーだろうなー、と思って、次第に「パソコンに強い事務員」として次第に就活をし始めた。
この部分がいつも就活において引っ掛かって、いつもいつも不採用だった。
それ以外もだいぶ酷い経歴だが、この部分が一番引っ掛かっていたと思う。
あとはやはり、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
を抱えているという部分だ。
でもこの部分は通院しなければならない為、しっかりと企業側に伝えておかなければ就職した際に通院出来ない、という状態になる。
でもある日、学校からの紹介でとある大企業の特例子会社への就職の話が入ってきた。
職歴ほぼ無しの俺にはかなり良い条件だった。
でも、問題点が。
俺の住んでいる地域からかなり遠い企業で、引っ越しをしなければならなかった。
俺が健康体なら別に引っ越しをするくらいはかまわなかった。だが、俺のような1級身体障害者で病院をいくつも通っている人間は、遠い地域へ引っ越しをする場合、病院を全て1から探し直さないといけない。
特に、人工透析を行っている病院の変更はとても手続きが大変だ。
病院との相性もある。
週に3日、1日5時間も延命治療を受けなければならない病院だ。ここの部分で相性が悪ければ恐らくストレスで精神がやられてしまう。
実際、俺が今通っている人工透析の病院を見つけるまで相性の悪い病院に通っていて精神がやられた過去があるから、その部分だけは本当に注意していた。
そういった事情もあって、最初は就職に前向きに検討していたが、だんだんとそういったことを考え始めて、そこの会社への就職は断った。
その頃、今世界中で流行している感染症が流行り始めていた。それも俺が就職を断った理由の一つだ。
俺が引っ越しをしなければならなかった就職先の地域は、かなり感染者が増加していた。
それに、会社がかなりバスなどを乗り継がないといけない場所にあって、人工透析を行う病院まで距離が遠かった。
恐らく、毎日が病院と会社の往復という日々。1日が仕事と通院で終わるような毎日になっていたに違いない。
そうだと俺は察知して、自分を守る為にそこの会社へ就職しなかったというのもある。
こういうことを書くと、甘えだとかなんだと言う奴らが出てくるかもしれないが、俺の身体や精神は君たちが思っている以上に脆く、弱く、儚い。
これを「甘え」だというのであれば、もういい。好きに言ってくれ。
だんだん、俺の住んでいる地域でも感染症の感染者数が増加していっていた。
でも、俺の通っていた学校は建物が古く、建物自体がいわゆる3密状態になっていた。これだけは避けることが出来なかった。
それと、どうしても知的な部分に障害がある人達もいるから、感染症対策をちゃんとしない生徒もいた。
しかも、他の患者さんと一緒に治療を受けているから、下手したら自分が感染すると病院全体が一時閉鎖しなければならない、という状態だ。
家には高齢の親もいる。
だから俺は、絶対に感染する訳にはいかないと思い、少しでも感染リスクのあることをだんだんと辞めていった。
俺はそうやって学校を辞めた。
ここの部分も、Twitterなどで発信していたら、
「お前と同じ障害を抱えているけど、俺は感染リスクのある仕事をしているんだ!! 甘えるな!!」
みたいに言ってきた奴がいた。
お前はお前、俺は俺だぜ?
お前はリスク管理が出来ていない。
俺はリスクのあることは全て排除して、徹底的にリスク管理を行った。ただそれだけの話だ。
お前は勝手に感染リスクのある仕事をしてくれ。俺は感染リスクのあることが徹底的にしない。だって命が惜しいからな。
人の命だってかかっているんだ。
俺は自分が感染するリスクも取りたくないし、他の患者さんや親を感染にまきこみたくなかった。
俺は障害年金は貰っていたけれど、それ以外の収入が学校を辞めたことで本当に無くなってしまった。
障害年金は月に約7万円ほどだ。でも、俺は実家暮らしだが実家もそこまで裕福ではないから障害年金の殆どを家に入れていた。
正直、感染症が収まるまで通勤での勤務もするつもりが無かったから、そこで一旦、就職活動したいを辞めていた。
すると、以前ライターをさせて貰っていたクライアントさんの一人が俺に仕事を振ってくれるようになった。
以前のようにライターの仕事では無いが、生活出来るくらいの金額になるように仕事を振ってくれていた。
ちなみに、その人は俺がライター自体を辞めて障害者職業能力開発校に入るとき、
といった意味を込めてなのか、カニを大量に送ってくれた為、俺の家族の間では、
「カニの人」
として周知されている。
その人がまた、ライターの仕事ではないが仕事を振ってくれるようになった。
その収入だけでも正直、個人事業主として生活は出来ていた。だが、その人は法人の社長ではない。あくまで個人事業主だ。
クライアントが個人事業主だと、どうしても将来的な収入が不安になる。
でも、俺は感染症のリスクを負ってまで就職する気は更々無い。でもやっぱり将来的な収入が不安だ……。
そんな葛藤をずっと抱いていた。
ある日、Twitterをいつものようにやっていると、とある就職エージェントの広告が目に入ってきた。
取り敢えず、登録だけしておいても損はしないな。まあ、今すぐに就職をする気は無いが、感染症が収まったらやっぱり企業勤めをしたいから、恐らく就活を再開するからな。
そんなことを考えて、本当に取り敢えずで登録だけしてみた。
俺は、
「すぐに就職をする気は無い。でも、リモートワークなら就職したいかも。」
みたいなことを、エージェントの就職担当者に話したような気がする。
へ流れで登録することになった。
なんか、いちいちあっちのサイトこっちのサイトって登録するの面倒だな……なんてことも思ったりしたし、リモートワークでの就職は倍率がめちゃくちゃ高くてなかなか決まらないということを、俺は実体験から分かっていた。
今まで、リモートワークでの就職を何度も試みて、全部の企業から落とされているからだ。
でも、やっぱり登録をするだけしておこうと思って、その会社へ登録だけ済ませた。
リモートワークで仕事をすることが出来たら、感染症リスクもだいぶ抑えられるからな。
個人事業主としての収入もあったが、安定はしていないと判断して、俺は安定収入を取ることにした。
ちなみに、就職エージェントの就職担当の方が、俺の履歴書の書き方が下手だからと、履歴書を添削してくれた。
そしてアドバイスもしてくれて今まで出していたものとは見違えるような履歴書になった。
俺みたいに酷い経歴でも、書き方次第である程度は改善できるのだな、と思った。
ちなみにアドバイスの中でも、抱えている障害や病気のことはしっかりと書くように言われた。
書くと就職には不利に働くかもしれないが、そこをちゃんと理解してくれる企業じゃないと長く働けないから、ということだった。
話を戻すけど、その就職エージェントが紹介してくれるのは、大手企業ばかりだった。
でも、来る日も来る日も全ての企業へ応募しても、書類選考の時点で落とされていた。
心が折れそうだった。
だけど俺は諦めなかった。
俺は正直、名前すら聞いたことが無かった。というのも、俺は主にIT企業へ事務員として就職を試みていたが、ITとは程遠い企業だったからだ。
俺はどうにかして就職をしようと、面接マニュアルを読み込み、YouTube撮影用のカメラの前で面接の練習をしてそれを録画。
動画にして自分の面接での喋り方、話す内容等を面接の日まで毎日見直していた。
そういった努力も実ったからなのか、俺はその1社へ就職内定が決まったんだ。
パソコンに強い人材があまりいなさそうな業界、という部分も良かったのかもしれない。
晴れて俺は、大手企業で障害者枠でリモートワークで就職が決まった。
後編へ続く。
俺は昔、はてなブログでブログを書いて、昔でいう「プロブロガー」をやっていた。
1級身体障害者の炎上ブロガーって言えば、古参のはてなーなら知っている人もいるかもしれない。
元フジテレビアナウンサー・フリーアナウンサーの「長谷川豊」にブログ記事をパクられた人、っていえば思い出す人もいるかもしれない。
もう過去の記事は全て消したが、「だいちゃん.com」(https://xn--n8jvce0l6c.com/)っていうブログを運営していた。
そんな俺は今、大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている。
知っている人もいるかもしれないが俺はとあるきっかけで、はてなブログを追い出されてWordPressにブログ記事を全部引っ越しさせてブログ運営を続けていた。
だが、はてなブログ時代は主にはてなブックマークからの流入がメインだったから当然、WordPressではブログ運営が上手くいかなかった。
Googleアップデートなんかの煽りも受けて、ブログ運営のみの収入で生活をすることが困難になった。
ブロガー時代の俺に「自分のところでライターをしないか?」というお誘いを受けて、アフィリエイト記事を執筆するライターなんかもやっていた。
ライター収入で一時期は生計を立てていたが、他人のブログの記事を書くということに面白みを見出すことが出来ず、ライターとして生計を立てるということも辞めてしまった。
でも、どうにかして収入を得て生活をしていかなければならないから、俺は頑張って就職活動を始め、今は大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている訳だ。
もう、昔のはてなアカウントも消してしまって、はてなには全く顔を出していなかったが、少し懐かしくなって今、増田で記事を書いている。
ちなみに、俺は1級身体障害者ということもあって、今の会社に就職するまでまともな職歴はほぼ無い状態だ。
20歳の時には1級身体障害者になって、そこから半寝たきり状態で20代前半を過ごしたりしてきたし、リーマンショックなんかの煽りも受けて、なかなか就職が決まらず……。
そんな俺でも障害者雇用枠でなんとか大手企業に就職することが出来たから、どうやって就職をしたのかをちょっと書いてみようと思う。
まず、俺のスペックを書いていこうと思う。
・性別:男
・年齢:30代半ば
・職歴:ほぼ無し
・所持資格:「日商簿記2級」「MOS Word」「MOS Excel」等
こんな風に、俺のスペックはボロボロだ。しいていうなら、顔が若干良いくらいだ。
しかも、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
でも、こんな俺でもなんとか就職することが出来た。
一番この増田を読んでいる人達が気になっているのはここじゃないだろうか?
こんなボロボロのスペックでどうやって大手企業の障害者雇用枠、しかもリモートワークという狭き門での就職を成功させることが出来たのか。
その道のりは簡単ではなかったよ。かなりの苦労がここにはあった。
まず、どうにかして障害年金以外の収入をすぐに確保しなければならなかった。
幸い、ブロガーやライターをやっていた時の収入は殆どを貯蓄に回していたから、なんとか貯蓄を切り崩しながら生活をできていたが、自分の経歴の酷さは分かっていたから、すぐに就職先が決まることは無いと判断した。
そんな俺でも就職するまでの間、障害者だったら収入を得る方法があった。
それが、
という方法だ。
障害者職業能力開発校は、通っている間は失業保険の手当を貰える状態にある人は、失業保険の手当の受給期間を通っている間は延長してもらうことが出来る。
でも俺は、失業保険なんていうものに加入はしていなかった。当然だ。俺はブロガーでライター、個人事業主だったからな。
答えは「NO」。
障害者職業能力開発校に通っている間、失業保険の手当を受給出来ていなくても、障害者なら「職業訓練手当」という給付金を貰いながら通うことが出来る。
貰える金額は障害の等級によって違うが、1級身体障害者の場合は月に約12万円ほどは貰うことが出来た。
都心に住んでいる人からしたら、こんな金額じゃ生活出来ない! と感じる人もいるかもしれない。
幸い、俺は九州の田舎に住んでいるから、月に20万円もあれば十分に生活は出来る。
そうやって、収入の基盤をなんとか確保した。
ちなみに、俺が通っていた障害者職業能力開発校は、訓練期間が1年~2年。
通常は1年だが、「プログラム設計科」という、プログラミングを学ぶ訓練だけは2年コースになっている。
そこでプログラミングを学びながらプログラマーを目指していた。
でも、俺は「基本情報技術者試験」の午後問題の「アルゴリズム」と「プログラミング」の問題を殆ど説くことが出来なかったんだ。
「ああ、俺、多分プログラマーには向いてないわ。」
そして、就活をし始めた年齢が30代だったということもあって、30代で未経験プログラマー、しかも1級身体障害者で残業の出来ない状態では無理ゲーだろうなー、と思って、次第に「パソコンに強い事務員」として次第に就活をし始めた。
この部分がいつも就活において引っ掛かって、いつもいつも不採用だった。
それ以外もだいぶ酷い経歴だが、この部分が一番引っ掛かっていたと思う。
あとはやはり、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
を抱えているという部分だ。
でもこの部分は通院しなければならない為、しっかりと企業側に伝えておかなければ就職した際に通院出来ない、という状態になる。
でもある日、学校からの紹介でとある大企業の特例子会社への就職の話が入ってきた。
職歴ほぼ無しの俺にはかなり良い条件だった。
でも、問題点が。
俺の住んでいる地域からかなり遠い企業で、引っ越しをしなければならなかった。
俺が健康体なら別に引っ越しをするくらいはかまわなかった。だが、俺のような1級身体障害者で病院をいくつも通っている人間は、遠い地域へ引っ越しをする場合、病院を全て1から探し直さないといけない。
特に、人工透析を行っている病院の変更はとても手続きが大変だ。
病院との相性もある。
週に3日、1日5時間も延命治療を受けなければならない病院だ。ここの部分で相性が悪ければ恐らくストレスで精神がやられてしまう。
実際、俺が今通っている人工透析の病院を見つけるまで相性の悪い病院に通っていて精神がやられた過去があるから、その部分だけは本当に注意していた。
そういった事情もあって、最初は就職に前向きに検討していたが、だんだんとそういったことを考え始めて、そこの会社への就職は断った。
その頃、今世界中で流行している感染症が流行り始めていた。それも俺が就職を断った理由の一つだ。
俺が引っ越しをしなければならなかった就職先の地域は、かなり感染者が増加していた。
それに、会社がかなりバスなどを乗り継がないといけない場所にあって、人工透析を行う病院まで距離が遠かった。
恐らく、毎日が病院と会社の往復という日々。1日が仕事と通院で終わるような毎日になっていたに違いない。
そうだと俺は察知して、自分を守る為にそこの会社へ就職しなかったというのもある。
こういうことを書くと、甘えだとかなんだと言う奴らが出てくるかもしれないが、俺の身体や精神は君たちが思っている以上に脆く、弱く、儚い。
これを「甘え」だというのであれば、もういい。好きに言ってくれ。
だんだん、俺の住んでいる地域でも感染症の感染者数が増加していっていた。
でも、俺の通っていた学校は建物が古く、建物自体がいわゆる3密状態になっていた。これだけは避けることが出来なかった。
それと、どうしても知的な部分に障害がある人達もいるから、感染症対策をちゃんとしない生徒もいた。
しかも、他の患者さんと一緒に治療を受けているから、下手したら自分が感染すると病院全体が一時閉鎖しなければならない、という状態だ。
家には高齢の親もいる。
だから俺は、絶対に感染する訳にはいかないと思い、少しでも感染リスクのあることをだんだんと辞めていった。
俺はそうやって学校を辞めた。
ここの部分も、Twitterなどで発信していたら、
「お前と同じ障害を抱えているけど、俺は感染リスクのある仕事をしているんだ!! 甘えるな!!」
みたいに言ってきた奴がいた。
お前はお前、俺は俺だぜ?
お前はリスク管理が出来ていない。
俺はリスクのあることは全て排除して、徹底的にリスク管理を行った。ただそれだけの話だ。
お前は勝手に感染リスクのある仕事をしてくれ。俺は感染リスクのあることが徹底的にしない。だって命が惜しいからな。
人の命だってかかっているんだ。
俺は自分が感染するリスクも取りたくないし、他の患者さんや親を感染にまきこみたくなかった。
俺は障害年金は貰っていたけれど、それ以外の収入が学校を辞めたことで本当に無くなってしまった。
障害年金は月に約7万円ほどだ。でも、俺は実家暮らしだが実家もそこまで裕福ではないから障害年金の殆どを家に入れていた。
正直、感染症が収まるまで通勤での勤務もするつもりが無かったから、そこで一旦、就職活動したいを辞めていた。
すると、以前ライターをさせて貰っていたクライアントさんの一人が俺に仕事を振ってくれるようになった。
以前のようにライターの仕事では無いが、生活出来るくらいの金額になるように仕事を振ってくれていた。
ちなみに、その人は俺がライター自体を辞めて障害者職業能力開発校に入るとき、
といった意味を込めてなのか、カニを大量に送ってくれた為、俺の家族の間では、
「カニの人」
として周知されている。
その人がまた、ライターの仕事ではないが仕事を振ってくれるようになった。
その収入だけでも正直、個人事業主として生活は出来ていた。だが、その人は法人の社長ではない。あくまで個人事業主だ。
クライアントが個人事業主だと、どうしても将来的な収入が不安になる。
でも、俺は感染症のリスクを負ってまで就職する気は更々無い。でもやっぱり将来的な収入が不安だ……。
そんな葛藤をずっと抱いていた。
ある日、Twitterをいつものようにやっていると、とある就職エージェントの広告が目に入ってきた。
取り敢えず、登録だけしておいても損はしないな。まあ、今すぐに就職をする気は無いが、感染症が収まったらやっぱり企業勤めをしたいから、恐らく就活を再開するからな。
そんなことを考えて、本当に取り敢えずで登録だけしてみた。
俺は、
「すぐに就職をする気は無い。でも、リモートワークなら就職したいかも。」
みたいなことを、エージェントの就職担当者に話したような気がする。
へ流れで登録することになった。
なんか、いちいちあっちのサイトこっちのサイトって登録するの面倒だな……なんてことも思ったりしたし、リモートワークでの就職は倍率がめちゃくちゃ高くてなかなか決まらないということを、俺は実体験から分かっていた。
今まで、リモートワークでの就職を何度も試みて、全部の企業から落とされているからだ。
でも、やっぱり登録をするだけしておこうと思って、その会社へ登録だけ済ませた。
リモートワークで仕事をすることが出来たら、感染症リスクもだいぶ抑えられるからな。
個人事業主としての収入もあったが、安定はしていないと判断して、俺は安定収入を取ることにした。
ちなみに、就職エージェントの就職担当の方が、俺の履歴書の書き方が下手だからと、履歴書を添削してくれた。
そしてアドバイスもしてくれて今まで出していたものとは見違えるような履歴書になった。
俺みたいに酷い経歴でも、書き方次第である程度は改善できるのだな、と思った。
ちなみにアドバイスの中でも、抱えている障害や病気のことはしっかりと書くように言われた。
書くと就職には不利に働くかもしれないが、そこをちゃんと理解してくれる企業じゃないと長く働けないから、ということだった。
話を戻すけど、その就職エージェントが紹介してくれるのは、大手企業ばかりだった。
でも、来る日も来る日も全ての企業へ応募しても、書類選考の時点で落とされていた。
心が折れそうだった。
だけど俺は諦めなかった。
俺は正直、名前すら聞いたことが無かった。というのも、俺は主にIT企業へ事務員として就職を試みていたが、ITとは程遠い企業だったからだ。
俺はどうにかして就職をしようと、面接マニュアルを読み込み、YouTube撮影用のカメラの前で面接の練習をしてそれを録画。
動画にして自分の面接での喋り方、話す内容等を面接の日まで毎日見直していた。
そういった努力も実ったからなのか、俺はその1社へ就職内定が決まったんだ。
パソコンに強い人材があまりいなさそうな業界、という部分も良かったのかもしれない。
晴れて俺は、大手企業で障害者枠でリモートワークで就職が決まった。
後編へ続く。
お前が読みやすい、使いやすい、分かりやすいって思った教材がお前へのオススメだよ!!
他人の回答待ってる時間があるなら書店に行って、資格コーナーの簿記のテキスト見比べてこい!
特に独学でやってるやつ
テキストの解説が分かりづらい、問題の解説が分かりづらい、問題が分かりづらい
これ大体は自分が分かってないだけだから。過去の俺もそうだった
テキストで分からないならググれ、ググっても分からないならどこでもいいから質問しろ、質問する時は具体的にどう分かんないのか書け
それでもダメなら素直に予備校使え。自分で解決できないなら独学は無理だ
操業度差異の解説が分かりづらいです!じゃなくて、まずお前はシュラッター図を覚えてないから解けないの。つまり製造間接費の差異分析そのものが出来てないの。わかる?
シュラッター図覚えてたら操業度差異なんて普通は解けるの。予算差異と能率差異が計算できて操業度差異ができないケースってかなり限定的な問題だけなの。逆にその二つをどうやって計算したのか俺が聞きたい
個別原価計算で月初と月末仕掛品の数値が分かりません、解説が見ても分かりづらいしこの問題おかしいです!じゃなくて、摘要欄をちゃんと見ろって言ってんの
先月に着手して当月まで持ち越してるなら、それは月初仕掛品だろ。じゃあ当月に着手して来月に持ち越すなら、それは月末仕掛品だろ。中学生でも分かる理屈だろうが
そもそも売上高と売上原価を混同するのもおかしいの。売価×販売個数=売上高になるのであって、原価のまま客に完成品を販売したら儲け0円どころかその他の費用のせいでマイナスになるわ。ちゃんと分かってんのか
あと試験に一切関係のない、なんで借方なの?とか、なんで貸方なの?とか、なんで減価償却累計額は資産のマイナス属性なの?なんて疑問は試験には出ねえから考えるな覚えろ
減価償却費が出たら減価償却累計額がセットで出るって覚えろ。固定資産を処分したら減価償却累計額(と減価償却費)が借方に出て貸方は固定資産が来るって覚えろ。利口じゃないのにいちいち考えるな
それと損益分岐点の計算ができないやつに、その他のCVP分析の問題が解けるわけねーだろ!そこが分からないのに他の問題は解けましたとかウソ書いてんじゃねーよ!!
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 167 | 21436 | 128.4 | 42 |
01 | 66 | 7237 | 109.7 | 33.5 |
02 | 42 | 6514 | 155.1 | 36 |
03 | 26 | 8203 | 315.5 | 59.5 |
04 | 24 | 3159 | 131.6 | 53 |
05 | 27 | 3439 | 127.4 | 54 |
06 | 50 | 4429 | 88.6 | 43 |
07 | 65 | 5332 | 82.0 | 46 |
08 | 139 | 12663 | 91.1 | 44 |
09 | 152 | 15509 | 102.0 | 40 |
10 | 154 | 13758 | 89.3 | 44 |
11 | 166 | 11043 | 66.5 | 33.5 |
12 | 182 | 16167 | 88.8 | 36 |
13 | 174 | 20174 | 115.9 | 57.5 |
14 | 107 | 15941 | 149.0 | 58 |
15 | 159 | 19884 | 125.1 | 50 |
16 | 165 | 29883 | 181.1 | 45 |
17 | 151 | 20941 | 138.7 | 61 |
18 | 218 | 28720 | 131.7 | 61 |
19 | 212 | 13967 | 65.9 | 35.5 |
20 | 160 | 13471 | 84.2 | 33 |
21 | 172 | 18004 | 104.7 | 47 |
22 | 324 | 25536 | 78.8 | 33 |
23 | 244 | 22244 | 91.2 | 29.5 |
1日 | 3346 | 357654 | 106.9 | 42 |
80枚(6), gross(4), フリゲ(11), 日商簿記(4), 泡盛(8), カマボコ(5), 遠赤外線(4), 親戚たち(3), Nizi(3), プペル(3), ER(4), 分担(30), 仏教(23), 葬式(28), 不妊(17), 外注(11), タスク(17), 弱者男性(10), 祖父(13), 包丁(17), GAFA(7), サボっ(12), 緊急事態宣言(31), リモート(35), 家事(49), 陰謀論(14), 親族(11), 水準(10), チケット(12), 洗濯(21), 掃除(26), 陽性(19), 妻(50), 治療(31), 不満(25), 入院(13)
■夫婦関係のこと・いろんな意見を聞いてみたい /20210114084501(62), ■リモート葬式したら絶縁された /20210114104835(44), ■Vtuberに実況されてゲームが作れなくなった話 /20210114153728(25), ■高1の息子がネトウヨになったかも。これってネトウヨ? /20210113192637(23), ■はてブに左翼が多い理由ってなんなの? /20210114164029(19), ■NiziUの断絶とアイドルの今後の勢力図について解説する /20210114003602(13), ■◯ー◯ー◯◯ー◯ー◯ー /20210113213530(13), ■沖縄県民の俺がおすすめする泡盛 /20210114003006(12), ■異性愛の創話上のつまらなさは異常 /20210114173758(12), ■陽性ってポジティブな響きがするよな /20210113171215(12), ■anond:20210114104835 /20210114171220(10), ■フェミニズムが嫌いな女だっているんだから /20210114212300(9), ■「コロナは茶番」勢のツイートをよくウォッチしている 追記 /20210114054727(9), ■キチゲ発散しないと生きられないから助けてほしい /20210114154550(9), ■もっと正しい存在に生まれ育ちたかった /20210112165321(9), ■寝取り・寝取られが嫌い /20210114123634(8), ■部落差別を目の当たりにした話 /20210114172657(8), ■ささやかだけど嬉しかったこと教えて /20210113154153(8), ■anond:20210114174353 /20210114190608(8), ■台本付きチケットの彼がひと事に思えない /20210114000451(7), ■在宅勤務における「サボる」の意味が理解できない /20210114145526(7)
それを云うためには、自主研究ではなく、それを調査しろと指示しないといけない。
指示するためには、その前段階の技術が会社にあると証明しないと指示を出せない。
たとえば、チソチソしこれ、と指示を出すことは、物理的には可能だが、法律的にはできないと思う
例としては
物理の研究内容が、必ずしも自分たち会社のものになるか?というと
これはならない場合もあるし、そもそも、指示を出せるかどうかというと
物理の研究をして ぐらいが精一杯で、それは、権利を会社に帰属させられる指示とは言い切れない。残らないとも言わないが、かなり、持っていかれるから指示の出し方が甘い。
先に書いておくがオチは一切ない
日商簿記2級の勉強を始めたのは一昨年の9月からだった。日商簿記3級の目途がついたので
前もって3級の勉強と並行して2級の学習も始めた。そして去年の2月に受験をする予定だった
が、簿記2級は思ってた以上にボリュームが多く、平均で4~5時間程度の勉強だと全く足りていなかった
1月になった時点で全体の6割しか終わらず過去問にすら手をつけてない状況だった
この状態では受験をしてもお金の無駄だろうと考えて、次の6月に受験をすることにした
目標は定まっていたので4月の時点で既に過去問は1周を終えて、後は苦手を潰していくだけだと思っていた
が、今度は試験そのものが中止になってしまった。そしてやるかどうか分からない11月に賭けることになった
10月になって、既に過去問は4周ほどやり終えたし、多少の苦手はあれど過去問ならどの回でも合格点が出る程度には学習を終えていた
これなら11月の試験も余裕だろう。ケアレスミスさえしなければ、そう思っていた
そして来るべき第156回日商簿記検定試験2級、余裕綽々とまではいかないが合格点は取れたと思っていた
まあ余裕だろうな、と思っていたが安心感が欲しかったので各予備校がいつもやっている速報を見た。そして凍り付いた
なんと、第4問の序盤で計算ミスをしていたのだ。これは非常にまずい
どれぐらいまずいのかというと、学校のテストで解答欄を1つズラして解答していた時ぐらいまずい
工業簿記の序盤で計算ミスをするということは、原価にズレが生じるため仕掛品(未完成の製品)と製品(完成品)の原価にもズレが出るということだ
そして製品の原価がズレているということは売上原価にもズレが生じている。分かりやすく言えば第4問はほとんど不正解(マイナス16点)だ
あれだけドヤ顔で余裕ぶっこいてたのにこの様である。しかし希望を捨ててはいけない
もしかしたら試験に臨んだ時の自分は、計算をミスをしていないかもしれない。そう、結果が出るまで事象は確定しないのだ。シュレディンガーの自分だ
結果は言うまでもなく間違えていた。第1問は16点だったし、第5問は18点、第2、第3はそれぞれ8点と10点ぐらいだっただろうか。そして第4問は4点
第4問をミスしても合格できるぐらいの実力は残念ながら自分にはなかった
合格点は70点なので、第156回は56点で不合格という結果に終わった。
次のチャンスは、1月5日だった
そう。簿記2級と3級受験生の希望の星、CBT試験である。平たく言えば指定された会場のパソコンですぐ受けられるネット試験
これを落とすわけにはいかなかった。主に受験料(1回5,000円+電車賃1,280円)がやべーから
しかし156回のミスを引きずっていた自分は、思った以上にモチベーションが落ちていた
過去問を1周してみたが、すぐに終わってしまうのだ。問題をある程度覚えてしまったし、そもそも落ち着いて解いたらそんなに難しくないからだ
モチベーションを上げるために新しい問題集を買ってみたがやる気は出なかった。言い回しは過去問より小難しいが、やってることはほとんど一緒で新鮮さが薄すぎるのだ。味のないガムぐらい無味なのだ
そして新しい問題集を8割ぐらい解いた時点で、2021年になった。あけおめである。勉強の進捗は全然あけおめではないのだ
明日になったら本気出す、と思いながらも日付はドンドン変わっていった
そして本日1月5日、試験日になった。なお問題集は9割しか終わっていない
そして試験が始まった。時間は従来の試験から30分短縮された、90分間である
ぶっちゃけた話、問題自体は普通に解けた。腐っても500時間ぐらいはかけたのでそれなりに知識はあるのだ。ケアレスミスは治らなかったが
軽く解答を見直してみると、ケアレスミスが出るわ出るわ。なんでお前こんなにミスしてるの?ってぐらいミスが見つかった
ハーレムを作りたい願望でもあるのかと思うぐらいミスが多かったが、見直したことによってほとんどは潰せた。純愛モノが勝利した瞬間である
真面目な話、この段階でケアレスミスを潰さなかったら恐らく12~16点は引かれていた
CBT試験の利点の一つとして、試験が終わった直後に自動で採点をして合否の判定を出してくれるのだ
結果は
合格だった
理解不足が未だに残ってたのと、恐らく潰しきれなかったミスがいくつかあったが合格は合格である
その場でキタキタ踊りを踊りたい衝動に駆られたが、他にもまだ試験中の方が居たのでやめておいた
こうして、長きに渡る簿記2級との戦いは多大な犠牲(主にお金)を払いながらも自分の勝利で幕を閉じた。
あわよくば1級も取れねーかなと、半年ほど前から1級の勉強も始めていて既に地獄を見ているが
あれは機会があればまた語りたい。おわり
問1はうっかりミスで16点だった(確定)
問2はやってたら時間足りなくなってパニック起こして10点ぐらい
問3は更に時間足りなくて連結関係ない部分だけ埋めたから10点取れてるぐらい
問4は普通に解けたけど、下書き用紙に製間の実際発生額を走り書きしちゃって、問題文に予定配賦してるって記述があったのに実際発生額を解答用紙に書いた可能性があって震えてる
問5は余裕ぶっこいてたら時間使い過ぎた。これも下書きに色々書きすぎて、パニック起こして最後の二つは間違えたので18点(確定)
試験受けた時の自分が問4でうっかり実際発生額を書いてたらその後のP/Lも全て間違えてるので恐らく64点で不合格
ちゃんと予定配賦額を書いてたらその後のP/Lも全問正解なので74点でたぶん合格
6月に受ける予定で勉強してたから1年ぐらい(勉強時間500時間ぐらい)たっぷり使ってやったのに結果がお粗末すぎた。工業簿記は予想通りだったけど予定配賦と実際発生額のどっちを書いたか忘れた時点でダメ
商業簿記は問2の有価証券の単価に惑わされた。あれ、ホントにこの額でいいのか…?って悩んでる時間なんてなかった
問3はそもそも問1、問2、問4、問5で時間かけ過ぎてじっくり解いてる暇がなかった。繰越利益剰余金の推定すら出来なかったから、非株(と非株に帰属する当期純利益)の推定もできなかったのが痛い
こうやって書き出してみると時間配分ヘタクソすぎてダメダメだった。2級の勉強が最後まで出来る奴は簿記の適正あるとか言うけどホントかー?
不合格でもここまで来たから合格するまで受験するけど、もう何の問題集使ったらいいのか分からない。過去問は問題覚えるぐらいには回しちゃったから、過去問の間違えた部分+予想問題集でいいのか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
予備試験 アクチュアリー正会員 新司法試験 国家総合職上位合格 東大文1現役合格
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
証券アナリスト 米国公認会計士 英検1級 日商簿記1級 早稲田政経現役合格 慶應経済現役合格
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
社労士 中小企業診断士 早稲田中下位学部現役合格 慶應SFC現役合格 一橋院ロンダ 東大院ロンダ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
結構自信ある
同窓会に出席してそう感じた。
俺の卒業した高校はいわゆる「県立高校に入れなかった人」が入る現役MARCH御の字レベルのとこだ。第一志望でこの高校を受ける奴は見たことがない。
現役MARCH御の字だから、現役時点での合格先の中央値は日東駒専になる。進学先だと一浪MARCHが一番多くなる。
普通に考えたら就職先は地銀、大手子会社、地方公務員、大手(※外食小売などの不人気業界やSIer)だらけになるところだ。
だけど、まあたまげたわ。
電通×2、東京海上、ENEOS、商船三井、JR東海、三菱地所、三井物産、Yahoo、NHK、UBS証券、NTTデータ、三菱ケミカル…
東大生が受けても大半は内定できないようなとこ行ってる奴の多いこと多いこと。
一応書いておくと、全員本体。エリア総合職とか子会社とか工場採用とかでもない。
冗談抜きで40歳までに学年の平均年収1000万超えるんじゃないかって思った。
驚くべきことに彼らの中に一流大学卒が全然いなかったことだ。俺の高校らしいっちゃらしいが、大半は一浪MARCH。難関資格持ちもいない。日商簿記2級持ちが一人いたくらい。
一方で現役で早慶合格したような学年超トップ層の就職先は冴えなかった。
大手子会社とか第一地銀とか地元の役所とか。中小もいた(イケイケのベンチャーでもない本当の中小)。
学歴や資格のハンデもものともせずに超絶一流企業に内定した彼らには共通点があった。
高校時代に運動部、遅くても大学1年までに彼女を作り、サークルやバイトに精を出していた。
要するにリア充だ。
でもイベサーや広告研究会なんかにありがちな、就職活動を見越して大企業ウケするように大学生活を設計するような真似はしてなかった。
彼らは皆、学業を平均程度にこなし、そこらへんのサークルに入り、普通のアルバイトをしていた。
嫌味のない性格の、普通のコミュニケーションをとる、無害で明るい青年って感じ。
逆にリーダーシップがあっても、学歴あっても、簿記1級とかの難関資格取っても、クセや個性が強い取っつきにくいタイプで一流企業行ったやつはいなかった。女にモテなさそうなタイプはやっぱ悲惨だった。
50代の部長や役員にはアクが強烈に強いタイプや、寡黙な東大卒や、ハマコーみたいな凄まじい顔した人がいるけど、今の中堅でこれから部長以上に出世するであろうコースに乗っている先輩方の中にそうした人はいない。一人もいない。
人付き合いが好きで、スポーツマンで、若手からの人望が厚く、イケメンorイケメン風。
絵に描いたような爽やかサラリーマンみたいな人たちしかいない。
もはや求められているのは知性でも教養でも出世欲でもプロ野球選手のような競争心でもないんだろう。
爽やかリア充であればいい。
だからエリートになるために勉強頑張ったり、難しい本読んだりするのはほんの少ししか役に立たないと思う。
今は景気が良くてさらに人手不足なので、あなたが名門大学卒で日商簿記2級を最近取ったなら(昔とは試験内容も変わっているので)いけるんじゃないだろうか。
自分は今よりかなり景気の悪い時期に、一橋は格上だなと思う程度の大学卒、新卒入社した会社を3年以内で鬱退社、その後10年超引き籠りの30代で拾ってもらえたので。
税理士の先生は高齢者が多くMARCH程度が平均らしいので未だに学歴(大学名)が通じるから、名門大学卒なら自信を持って門を叩こう!
「会計事務所はブラック」と目に入っただけで、そっ閉じされそうなので補足。
一通り仕事を覚えるまではパートで働くのがお勧め。パートなら割り当てられる仕事も少なく毎日定時帰りできてブラック度をだいぶ減らせる。
小さな会計事務所のパートは近所の主婦が多くて主婦ネットワークで悪い噂を流されたらパートが集まらなくなって困るからブラック事務所でも残業させないように(労働時間が扶養の範囲で収まるように)気を遣っているらしい。
定時までに終わらない量の仕事を振られた時は、顔だけ申し訳無さそうにして社員に渡せば良い。会計事務所の平社員は穏やかで優しい人が多く、パートさんは家事や介護や扶養の制限で残業できないことを理解しているのでたぶん怒らない。
パートのまま「(できれば外資系)法人クライアントの一年間の一通りの業務、年次決算・法人税申告までできるようになりたいです!」と手を上げて、自分のペースで覚えていって決算・申告ができるようになったら、社員(フルタイム)に転換してもらう。
会計事務所の社員の働き方が過酷すぎて自分には無理そうだったら、「会計事務所パートで年次決算・申告までやってました。英語対応もできます!」と職務経歴書や面接でアピールして入れる外資の経理を探す。
直接雇用で採用されなければ、派遣で経理の経験年数を増やしながら求人に応募し続ける。
40代・女性・経理会計未経験でも、日商簿記2級取ったら会計事務所(税理士事務所)パートなら雇われるよ。
税理士の先生の平均年齢は60歳で80歳の所長もいる。40代の新人なんて全然若い。
3級だけでも雇われるかもしれない。とにかく会計事務所は人手不足だから。まず簿記3級取って2級の勉強しつつ週3のパート探したら?
田舎住みだそうだけど、会計事務所は田舎にもたくさんあるから大丈夫。
翻訳会社に勤めたぐらい英語ができるのはすごく武器になるから、できれば県庁所在地なら1つはあると思われる英語対応・外資系対応をうたっている会計事務所に入って、1年目はパートで1社でいいから法人税申告まで担当して1年分の業務を覚えて、2年目から体力が続きそうならフルタイムを希望して、3年目を目途に外資系の経理に転職するのが良い。自分はそうやって人生を立て直した。
俺は10年以上の引き籠りから、簿記2級取って、英語が得意だったから外資系企業が主なクライアントの小さな会計事務所に契約社員で就職して3年も経たずに、外資系の事業会社(非会計事務所という意味ね)の経理に転職して、勢いのある業界で会社にどんどん金が入ってくるのとマネージャーが辞めて会社が無名すぎて金の力でも次の人が雇えなかったらしく繰り上がりでマネージャーに昇進したりと、とても運が良くて、脱引き籠りから7年で年収700万までもらえるようになった。
注意点は、会計事務所はどこもブラックなのでずっと続けるのはお勧めしない。ゴールは外資系の経理部門ね(Financeという名前だったりもする)。
でも、会計事務所に転職する時の面接では「ただの帳簿の入力だけでなく、法人税の申告もやりたいです。税理士になるために一科目ずつ勉強しています」と嘘を吐いてやる気をアピールすること。
会計事務所の所長が最も求めている新人は、「税理士試験の勉強をしながら働かせていただいているから薄給激務の奴隷労働も厭わずにやります」という無資格事務員なので。
とはいえ、会計事務所がブラックだと知れ渡ったおかげで新卒や20代が雇えないので、俺たちのような30代、40代の未経験にも門戸が開かれているわけだが。
俺も一橋には劣るけど名門大学を卒業して最初の会社は大手だったのに鬱ですぐに辞めて10年超引き籠りだったから、本当にニャートさんの最近のブログには身につまされる思いだし、ニャートさんのキャリアが救われればいいなと思って提案してみた。
学歴を「換金」できない|40歳働けない結婚できない私(3回目) - ニャート
https://b.hatena.ne.jp/entry/nyaaat.hatenablog.com/entry/2019/07/18
会社員、簿記知識ゼロから3ヶ月ほどで独学で2級に合格。76点という点数の通り、最低限のことをして最低限で合格した記録。
(別件でやっとはてな匿名ダイアリーの書き方を修得したので今さら。簿記ナビさんの合格体験記に応募して残念ながら採用されなかったもの。)
簿記2級はTACのテキスト5冊読めば2ヶ月で合格できる。もちろん独学で。を参考にしたが、最後の予想問題集は削った(試験範囲が変わっている最中ではあったけど)。
下書き用紙が足りない、という声も聞かれる中、自分はほとんど下書き用紙は使わなかった(下書き用紙に自己採点用に答えを書き写すほどの余裕はなく)。下書きをほとんど使わない自分はおかしいのか、だから点数が伸びないのか?と迷ったこともあった。
問題もチェックテストもコンプリートで実施。チェックテストの解答時間は計っていない
問題は38までは解いたがあとは解かず
第1部は全て。第2部は145回~149回で、時間を計って解いたのは149回のみ(66点)。他は電車の中で立ちながら解いたり。
やりながらスッキリの該当箇所を見返したり、それでも足りなかったらインターネットで検索して種々のページを見た。
一通り終えた後最初に戻って、間違えた箇所覚えていない箇所を見返す作業を実施。
時間を計ってない他の回の点数は、145回: 54点、146回: 70点、147回: 70点、148回: 69点。
過去問5回分のみはさすがに少ないかと思い、試験1週間前にもう少し前の回の過去問もやるか、予想問題集を買うか迷ったが、手を広げるのはやめて、今までやった内容を固めることにした。
80点→76点 (第1問: 12点、第2問: 18点→16点、第3問: 14点→12点、第4問: 16点、第5問: 20点)