はてなキーワード: 便宜上とは
もともとはUNIXに使われていたCrypt,DESのブロック長が8バイトだったのと
当時はそんなにディスク容量もなかったので便宜上バスワードは8バイトまで。(8バイトで切られる)
という歴史的仕様だった時の名残。今はSHA256かSHA512だから64文字ぐらいまでなら何の問題もない。
もっとも、当のUNIXの世界ではとっくの昔に公開鍵暗号方式とワンタイムパスワードの組み合わせになってるので
直接パスワードを送信したりはしない。
30年か40年ぐらい昔の仕様が今でも残っているのが8文字なんじゃないかなぁ。いくらなんでも、時代に追いついてなさすぎだよね。
ちなみにDESなんてもう使わない。3DESですら脆弱、MD5,SHA-1ですら脆弱と呼ばれる時代っすからね。
ただ銀行系の人は、そんな知識もないでしょ(技術屋じゃないからね)。下手すりゃ証明書はベリサインだよね。とかまだ言ってるとおもう。
彼らの知識を更新するのは、とんでもない重労働だからSEは誰もやらないと思う。そんな事しなくても古い技術で金がもらえるのにわざわざ危険を犯してまで進言する奴はもう銀行業界にはいないだろ。
朝会のあと、給食のあとお昼寝の前、お昼寝のあと、その三回だけ。
全園児数十人が廊下まで一列に並べられ、トイレの中で男の子は小便器に、女の子は個室へ別れていきました。
それ以外の時間に尿意を催したとして、先生にそれを告げて集団を離れることは、僕にとって、とても考えられない課題でした。
幸い、その周期に馴染むことができていたためか、おもらしをした記憶はありません。
それを見ながら、あれは恥ずかしいことなのだと覚えました。
幸い、僕におねしょ癖はなかったため、それについては多数派の目をしていました。
皆と違うということが、どれほど目立ち、恥ずかしいことなのかということを知りました。
ただ、僕にも皆と違うある特徴があって、自分が普通ではないということは自覚していました。
小学校に入って、休み時間には自由にトイレに行って良いことを知りました。
しかし、授業時間中に、先生にそれを告げて行くということは、もちろんできないことでした。
今まではトイレの時間を決められていたせいか、自分の尿意の間隔、その時間感覚が僕にはよくわかっていませんでした。
帰りの会で、全員で「さようなら」と挨拶をした瞬間、ついに限界が来て漏らしてしまったことがあります。
学校でお漏らしをしたのは、小学一年生の時、その一度限りです。
普通の子ではなかったため元々目をつけられていた僕ですから、床の掃除をさせられた後、長いあいだ、教務机をはさんで居残らされました。
理由を訊かれていたのか、反省を促したかったのか、内容はよく覚えていません。
ただ、自分の感覚がわからず、授業中に行くこともできない子供だったため、僕にとっては仕方のないことだったのです。
何を話すわけにもいかず、ただ先生の気持ちが収まるのを待つほかありませんでした。
事件が起きたのは二年生のときです。
昼休み。僕が堂々とせずに排尿しようとしたのを面白く思ったのでしょうか。
いつも僕に何かしらちょっかいをかけていた二人が、ジャージのズボンを下ろそうとする、
出て行ったと見せかけて素早く戻ってきては陰部を見ようとする、などの行動を繰り返し始めました。
その騒ぎは遊びのように他の男子にも伝染し、数の暴力となって僕の排尿時間を奪いました。
それは昼休み中続き、五時間目をなんとか乗り切り事なきを得たと記憶しています。
一人、止めようとしてくれた男子がいたように思いますが、いつだって少ない声は何も変えられないのです。
おそらく、それはいじめなどではないのでしょう。
彼らからすれば、全ては「ノリ」なのです。「空気」なのです。「遊び」なのです。
こちらから見れば、どんな罪が適用されるのかはわかりませんが、限りなく犯罪に近い迷惑行為です。
逮捕が可能になる14歳という年齢の直前の時期ですから、その線引きを恨むしかありませんでした。
当時の担任はそういったことに敏感な先生で、すぐに対応をとってくれました。
余程恵まれた人生を送ってきた人でなければ、このことにほぼなんの意味もないことは、わかるでしょう。
彼らが謝罪の心を持っていようとなかろうと、僕が彼らを心から許そうと許すまいと、何も変わらないのです。
もちろん、今となっては彼ら個人に対して強い怒りなどの執着はありません。
その影響がもたらしたものなのか、確証はありませんが、
それからの僕は、公共の場で排尿することがひどく苦手になってしまいました。
小便器に対面しチャックを下ろしても、同じトイレの中に人がいると、なかなか尿が尿道を伝わってこようとしないのです。
後ろになど並ばれては、とてもではないですがそのプレッシャーは尋常でなく辛いです。
時間の長さが不審に思われることが嫌で、排尿を終えたふりをして、出直したことも度々あります。
そのストレスを避けるため、個室に入ることもありましたが、やはり学校などのお互いを知られている可能性のある場所では使えない手段です。
自動車学校などはとても嫌でした。
普通の学校と違い教官も同じトイレを使うので、集団で、おじさん特有のあのノリで後ろに並ばれると、とても厄介です。
お蔭様で、学生ではなくなった今ではそういったストレスを感じることもなくなり、その感覚を忘れつつあります。
同時に、いじめ(便宜上、日本特有のこの表現を使う)という感覚を忘れかけていた自分に警鐘を鳴らしました。
喉元過ぎれば熱さ忘れる。
結局、当事者にしかわからない、根本的には解決できない問題ですが、
国民というものは知らず知らずのうちに、道路のように均されています。
秀でたものは利用し、しかし真に優れたものは頭を打たれ、平らにされ、
ひどく劣り凹んだ部分があると埋め立てられようとします。地盤のことなど微塵も考えずに。
年齢と住所だけで区別され、管理され、数十もの個体を密閉空間に放り込むことは、果たして効率以外に何の利点があるのでしょうか。
何回試行しても出てこないよ。現実の事象の「確率」って人間には求められないものだからね。
人間が実験したデータから直接求められるのはどこまでいっても「割合」、無限回試行できる悪魔なら求められるかもしれない
しかし数学によって X%のものをY回試行してZ回起こる確率 とか Y回試行してZ回起こったものが実際にはX%以下で発生する事象である確率
つまり人間はN回試してM回起こったという実験データから真の確率を計算で求められなくても、「真の確率がとある範囲に収まっている確率」を計算することはできる。
「だいたいコレぐらいの確率である確率」がすごく高い数値になるとき、この「だいたいコレぐらいの確率」を便宜上真の確率の代わりとして扱っているというワケ
便宜上だよ便宜上、ここ大事、あくまで便宜上。それは本当の確率ではない、というのを理解しよう。あくまでそれぐらいの確率である確率が高いというだけ。
試行回数が少ないと、「とある範囲」がものすごく広くなって実用的でないか、
あるいは「とある範囲の確率である確率」がそんなに高くなくて信用ならないかのどちらかなんで、そんなものは真の確率の代用として扱っても何の益もない。
だから、統計的に意味のない割合を普通は「確率」としては扱わない、オーケー?
我々が現実の事象について「確率」と呼んでいるものは実用のための便宜上のものなので、実用性のない割合データを「確率」と呼ぶ理由はないのさ。
1000回試して1回起こった事象の真の確率が0.1%前後である確率はあまり高くないので、この0.1%を「確率」として扱っても意味がない。
この前の都知事選の日、地味に川口市長選もやってたんだよね。大雪の日に外出するのがダルくなって結局行かなかったんだけど、今日こそは雪も雨も降ってないから行こうかなと思う。でも、13時半までに投票先を決めて家を出ないと、夕方の用事に間に合わない。あと15分だ。
今回も誰に投票するか全然決めてない。マニュファストも手にいれてない。候補者のHPも見たけど、全部似たようなこと言っててあんまり差異がわかんないよ。どうしよう。
共産にしようか。先週の週末、共産党から電話があって投票してねって言われたし、今朝も「今日は選挙ですから投票行ってください」って電話きたし。しかし、我が家には共産党員はいないと思うんだけど、なんで毎回選挙のたびにこまめに共産党だけ電話してくるんだろう?と不思議に思ってたら、
「うちは昔パパとおじいちゃんが埼玉協同病院に入院したことあるでしょ。あそこは共産党の登録しないと入れないとこなんで、便宜上そうしたの」
とさっき母に教わった。
そうだったのか。知らなかった。協同病院にはお世話になっている。父親の心臓病も診てもらったし、私も深夜に発疹がでたときも夜間対応してもらったし。
でも共産党って共産主義なんでしょ。いまどき共産主義ってどうなん。やっぱ資本主義じゃないの。
みんなにしようか。みんなの候補者は、家の最寄の駅で立って演説しているのを見かけた気がする。主義主張がどうのってよりも、ああいう風に地道に選挙活動やってる人はなんとなく応援してあげたくなる。
さっき、日本政治COMというサイトのボートマッチやってみたら、自分の考えに近い政党は「民主」「公明」「みんな」「自民」「生活」の順だ、という結果が出た。私そんなに民主党好きじゃないんだけど(でも投票したことはある)、もしこの結果を重視するなら、民主も公明も今回の選挙にはいないから、みんなが一番近いってことになる。みんなにすべきか。
でも、公明って自民と連立してるんだっけ。じゃあ、自民に投票した方がいいのか?でも公明って宗教政党だよね。それってどうなん。
自民という選択肢を検討してみる。自民党は別に嫌いじゃない。なんだかんだ日本の戦後政治を担ってきたのは自民党だし、金融業界で働いてるせいか安部政権のアベノミクスは結構評価してるしね。物価はじわりじわりとあがってるけど、うちの会社も数十年ぶりにベースアップ0.5%で妥結できそうなんだ。こういう経済のダイナミクスってここ数年全然なかったじゃん。だから経済を動かした阿部は結構すごいと思う。
でもなんか頑なすぎて極右路線を突っ走ってるといつか豪快に破滅するんじゃないかと心配になる政党でもある。憲法改正はしないでもいいと思うし秘密保護法案はいまいちよくわからんし。それに、自民の候補者のHP見たら、めざす政策に番号が振ってあって、若者向けの政策よりもお年寄り向けの政策の方に若い番号が振られていて、なんか老人向けの政治する気なのかなって感じがするのは気にかかる。私は自分と同じ若者を優遇する政策をしてほしい。
どうしよう。決められない。他の人は、どうやって投票先決めてるんだ??
年齢相応の生き方みたいなものに興味はないつもりだったが、昨年の末くらいから何故かとても気が重い。
具体的に言うと、三十路も半ばになって独身童貞ぼっちなのだが、(とりあえず童貞は置いておくとしても)独り身で居ることが辛く感じるようになって来た。
今までこんなことを悩んだことはなかったし、悩んだ所でキモヲタでブサメンでピザでハゲでワープアでヘタレのおっさんである自分にとって、誰か相方を見つけるというのはとてもとても遠い所にあるゴールにしか思えない。それはとてもよく解っている筈なのに。
まず、どうすれば年齢相応の交流を広げられるのかがまったくわからない。何かを楽しむという感性が薄くなってしまった自分にとって楽しめるのはゲームだけだが、この歳でゲームコミュニティなんてただ浮くだけだ。それにただ長くやっているだけで、熱心にやっているわけでもないので、すぐに話題が続かなくなるだろう。
次に、自分みたいなのに絡まれることは迷惑ではないのか? という気持ちが立つ。誰だってこんなどうしようもない相手よりは、一緒にいて楽しく、年齢も近く活力に満ちた人の方がいいだろう。自分でそう思うのだから、他人から見たら余計そうだろう。人間関係に正解はないのだから、迷惑がられようと経験値を積むしか無いという話もあるが、それは「残機」がある若くて印象の良い人にしか通用しない話だ。キモヲタでブサメンでピザでハゲでワープアでヘタレのおっさんは「残機0、ライフ1」であるようにしか思えない。つまりワンミスでゲームオーバーだ。コンティニューのシステムは、多分ない。
交流を増やすために街コンなどに参加してみてはどうかという話も受けた。現実的な解であるように思えるが、ここでもまた「しかしそこは自分が居ていい場所なんだろうか、自分の年齢は便宜上許容として書いてあるだけで実質的にはお呼びじゃないのではないか、行ってみたら『何でこんな奴がここに居るんだ? 説明を文字通りに捉えて、居てもいいと思ったのか? この痛いキモヲタのおっさんは』という空気が待っているのではないか」という気持ちが出てくる。何と言うか、これは恐怖心に近いと思う。それでも突っ込んでみて覚えるしかないのかも知れないが、トライアンドエラーが許されるように思えない。それが出来るような根性があったら、増田で愚痴ってないでさっさと解決しているだろう。それに加えて、根拠も何もないのに「どうせサクラを雇って自分みたいな無知な人間から搾り取るだけの構図なんだろう、若くて高収入のイケメンが全部かっさらって行くだけの『初心者狩り』が横行しているんだろう」というとても強い偏見を以って見てしまっている。もちろん本当にそういう所もあるにはあるんだろうが…
結局のところ、そう言った自分の感触がどれだけ一般的なのかが全くわからない。単なる自分の思い込みなのか、それともとても一般的な(あるいは世間様はもっと厳しい)考え方なのか。ゴールがあるのは箱根の山の向こうなのか、それとも次の曲がり角の先なのか、わからないからスパートがかけられない。スパートをかけて届かない所にゴールがあると知ったら、自分は多分そのまま倒れて立ち上がれない。二度とやり直しは出来ない。そんな能力は自分にはない。そんな自分に対する(無根拠かも知れないし、事実かも知れない)自己低評価に縛られ、偏見に縛られ、無知に縛られている感じがする。他人から見たら簡単なことなのかも知れないのに、自分ではステイルメイトに陥っているようにしか思えず、絶望感ばかりが湧いてくる。
こんなウジウジしたおっさんの愚痴に真摯に向き合ってくれた皆さん、本当にありがとうございます。
id:houyhnhmです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20140128000549
固形物の熱の移動は体内で既に行われていると考えられる。体腔へ体温より二十度以上低温な気体が代わりに入り込む事により、表面から急激に熱を奪われた為であろう。
id:dadabretonに、指摘されて間違いに気付いた。ありがとう。これでIDコール飛ぶかな?
id:houyhnhmさん、おしっこのブルブルッはどう考えればいいんでしょう?
温度そのものを感じ取る訳ではない。ボクらはたいてい熱移動の有無で温度を感じる。風が吹いたら涼しいと感じるから・・・・・・はっ
忘れてた。体表面から熱が奪われる理由の一つは、湿気。もう少し丁寧に言うと、気化によって熱が奪われ表面温度が下がる。
体腔内の粘膜は当然水気を含んでいる。外気に触れない場合にはほぼ飽和水蒸気圧まで蒸発している状態が体腔にある。また固形物といえども表面は適度に濡れているはずだし、尿は間違いなく液体だ。
この時、その境界を考えると、ほぼ等しい速度で水分子の物質移動が起こっている。(その速度自体は温度に比例する)
色々なものを排出した際、マクロ的には物質移動に伴う熱量の移動はあるが、
だからと言って、排出中に冷えていく感じがある訳ではない。これは主因では有り得ないだろうというのは直ぐに分かるだろう。
確かに、長時間していると徐々に冷えていく感覚はあるが、終わりに感じる差し込むような冷たさではない。
で。
外気が入る所までは同じ。おそらく合ってると思う。
外気は、体腔内の気体とくらべて、以下の点が異なる。
ここでごめんなさいだけど、体腔内に入る気体の体積も、相当小さい。熱容量も小さい。(参考:[wikipedia:比熱容量の比較])
温度差を大きめに考えても、奪う熱量は気化熱の方が圧倒的に大きい。
要は、単純に寒い空気に触れたのではなく、濡れてる所が乾燥した空気に触れたので、熱が奪われて寒いと感じる、という事かと。
http://q.hatena.ne.jp/1221811488
出してる最中に発生する訳でもなく、出しきった直後にかなり早く起こる反射なので、血液の移動速度を考えたりするとちょっとわからんなあと。
またわれわれのもとから同志が去っていった。
そして新たな仲間がやって来るだろう。
山の向こうにかさを増しつつある積雲とともに。
だがかれも間もなく去るだろう。
もうすぐ冬がくる。
悲しい記憶をえぐるあのつめたい風が。
まずわれわれの同志は認識すべきだったのだ。
冒険者ガイドブックには書かれていないが、ここがおしゃれな女子の見栄が光を放つ都会でも、スポーツ万能イケメンの性欲のたぎるにぎやかな浜辺でも、ネット動画で盛りあがれるような若者でひしめいたゲームセンターでもないということを。
はてなとはムラ的である。そしてムラとははてな的である。同時に、はてなは非都会的であり、都会とは非はてな的なのだ。
ムラにおいてムラビトの関心事はつねに共有されているし、共有されるべきなのだが、それはムラが外部から侵入してくる敵に対抗するためには仕方のないことなのだ。
ムラの一体感こそが強大で理不尽ともいえる文明社会の力に立ち向かうための、ある種魔術的ともいえる結束力の源となっているのだから。
この小さな社会は閉鎖的で狂信的で、SNMN(神聖四文字(テトラグラマトン)。われわれはそれを便宜上「シナモン」と呼ぶ)を神と崇める中世的カルトによって支配されている。
驚くのも無理はない。この先進国日本においてまさかオカルティズムによって支えられるムラがいまだに存在していたなどと、誰も想像すらできなかっただろう。
だが、これはまぎれもない現実なのである。はてなというムラはここにある。そして同志よ、きみはこのムラに足を踏みいれてしまったのだ。
第一に、ムラビトは新参者の排除が好きだ。もしも新参がおしゃれなフェラーリに乗ってやってきたら、つるはしを持ったムラビトによって、その紅き果実は一夜のうちに無惨な血だまりと化すであろう。「ふぇらだかへらだかなんだかしらねえが、おらのムラで調子に乗ってんじゃねえ!」耄碌した老人のたわごとにきみは付きあうべきか。
第二に、ムラビトは新参を待ち望んでいる。ムラビトは新参が現われなければムラビト同士で殺し合ってしまうのである。ムラの平和は新参の流入によって生じるあの排除への一体感によってかろうじて保たれている。愚劣な新参の流入を嘆きつつ、同時に過疎化を心配する声もあるというわけだ。きみはムラビトに言うべきだろう。「お前らの命はオレが握っているッ! どちらが上か勘違いしてくれるなッ!」と。
第三に、ムラビトは誤読が好きだ。ムラビトには都会の常識、論理、科学が通用しない。このムラは迷信や魔術によって支配されているのだ。その解釈はつねに飛躍し、高レベルのムラビト=ラビならば、否定は肯定となり、間接話法は犯罪告白となり、人間は六本足になるだろう。「え? おれが誤読したって? 誤読するような書き方をするお前が悪いだろうが!」ムラビトとコミュニケーションすることはそもそも不可能なのだ。きみのせいではない。
第四に、ムラビトはお役立ち情報が好きだ。たとえばおすすめ小説を並べたアフィブログはかならずムラビトを吸い寄せるが、彼らはお役立ち情報が好きなだけで、そのお役立ち情報を活かそうとは思っていない。お役立ち情報に触れた見つけたというお得感だけでお腹いっぱいなのである。むかし「あとで読む」という貼り紙が村のそこら中の電信柱に貼られていたころがあったが、もちろんあとで読んだムラビトなどいないのである。ムラビトとはその程度のアホである。きみはアホの戯言を気にするのか。
第五に、ムラビトは高学歴ぶるのが好きだ。ムラに大学院などないのになぜかムラビトは全員が識者面をしている。わけもわからずに社会情勢を嘆いてみせるが、じつはムラには日本社会との接点はほとんど残っていないのであまり意味がないのだ。だがそのことにムラビトはまだ気づいていない。それは幸福だろうか不幸だろうか。ムラビトの空想癖にせいぜいきみは苦笑するだけで済むだろう。
われわれはふたつの提案をする。
第一に、何が起ころうと、それを風に揺れる稲穂のざわめきや蝉の鳴き声あるいは馬のいななきのようなものだと思ってしまうということである。ムラにはムラのやり方がある。それはムラにとっては極めて自然なことなのだ。ムラにおいて排除とは自然現象であり消化作用である。きみは批判されているのではない、大自然に包まれているだけなのだ。われわれ都会人は疲れた精神のうちに自然の癒しを欲しているが、ムラビトをそのようなものだと思ってみてはどうだろうか。
第二に、コメント欄を閉じ、ブックマークコメントを非表示にするという技術的な解決策がある。われわれはこの方法をすすめている。レベルの低い冒険者はまずムラのなかに要塞を作って引きこもり防御をかためるべきなのだ。初心者にありがちなことだが、初期装備のままムラの深部を、ムラビトのこころの闇を探ろうとしてはいけない。危険だ。命の保証はない。そうやってわれわれの同志は倒れていったのだ。扉を開けなければ嵐はやがて去っていく。大荒れの海を見に海岸へ行ってはいけないのだ。
ムラビトの世迷いごとをまともに受けとってはいけない。かれらは異世界とテレパシーで会話しているのだ。われわれ文明社会に生きる人間とはその語も文法もアクセントも思考様式も異なっている。かれらは秘境に生きる最後の魔術師たちなのである。
これ タタールステーキ。タタール人のステーキとは名前が付いているけど ハンバーグステーキとか
なんとなくついていて 厳密な定義がない(定義して公布されていない)用語に対して、偽装という言葉を使うのは
いくらなんでも、おかしくね?
ジュースと言ったら果汁100%みたいな定義があればいいけどさ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9
ヒレのステーキなら ヒレ以外は入らないけど。
表題の通りで、話によると1位と2位の得票数に有意の差はなかったとのこと。という訳で、歴代の受賞作品の得票数を調べてみました。表記はグッドデザイン大賞公式サイトのままですが、便宜上一部改変しているところもあります。ただ、2008年度以前のものについては、
「大賞選出および表彰式」に出席いただいたグッドデザイン賞受賞者ならびにグッドデザイン賞審査委員、審議委員の投票により行いました。
とあるのみで、具体的な数字を公開していないようでしたので、載せていません。ご了承ください。また、総投票数が公開されているのも2011年度以降のみです。ご注意ください。
この年はあくまでも余興の一つだったようです。グッドデザイン大賞は4位の岩見沢駅が受賞しており、あくまでも参考結果と言えます。
一般投票の結果
1位 三菱電機株式会社/主軸モータ[SJ-Dシリーズ]:886票
2位 GREEN TOKYO ガンダムプロジェクト実行委員会/GREEN TOKYO ガンダムプロジェクト:783票
(省略)
4位 株式会社ワークヴィジョンズ+岩見沢レンガプロジェクト事務局/駅舎および複合施設[岩見沢複合駅舎]:654票 (グッドデザイン大賞受賞)
(2回目の投票)
1位 ダイソン/エアマルチプライアー AMO1、AMO2、AMO3:437票
差は1.45倍
1位 本田技研工業株式会社/カーナビゲーションシステムによる情報提供サービス2920票
2位 パナソニック株式会社/LED電球 Panasonic LDAHV4L27CG:2492票
差は1.17倍
2位 NHN Japan株式会社/モバイルアプリケーション [ライン]:1373票
差は1.63倍
さあ、以上を踏まえて今年度の結果を見てみましょう。
1位 グーグル株式会社/Google マップ:2,752票
2位 独立行政法人宇宙航空研究開発機構/ロケット [イプシロン]:2,232票
差は1.23倍
んー、過去の結果を見る限り、きわどいですが、この票差で僅差とみなすには無理があるのではないでしょうか。ただ、サンプルが少ないので、どなたか過去の得票結果をご存知の方は教えてください。
http://anond.hatelabo.jp/20131024100811
昨日、増田を書いたら気になって親父に聞いてみた。
親父は二十数年忘れていた、悲しいことを久しぶりに思い出したのか、ちょっと表情が曇ったが、話してくれた。
当時、どうしようもなく、性別の確認はしなかったのだと。
そして、町内の、と言っても実家から20㎞程離れたお寺で供養して貰ったそうだ。
うちは田舎の古い家で、累代の墓は近所のお寺にある。
そこではなかった理由までは聞けなかった。
でも、それ以来、弟を供養して貰った寺には立ち入ってもいないらしい。
・
正直、生まれてもいない子供が寺院的にどんな扱いなのかよく知らない。
当時幼かった僕はその辺の経緯も知らなかった。そもそも、母の妊娠だって、すべてが終わったずっと後になって、僕が二十歳頃、親父がぽろっと口にして知ったのだ。
全員が、存在を忘却していた水子に、今更何ができるわけでもないのだけど、供養とか、供え物とか、なにか出来ることがあるのだろうか。
綺麗に忘れる事が弟の為なのだろうか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1773671.html
これなんだが。
俺はこの記事を読んで、こんなネット教育はまったく論外だしとんでもないやり方だと思った。
ところがはてブコメントを見ると、約半数が賛成しててびっくりした。あまりにも意外だったので、ぜひ賛成している人たちの考えを聞いてみたいと思い、この増田エントリーを書いている。
《はてなブックマークの現状》
まずはどんな具合に約半数が「賛成」なのか現状をざっとまとめる。
現状といいつつトップ10コメントだけだが、はてブページは 2013/9/3 12:40 時点でこんな感じ。順番もはてブページの通り。
賛成か反対かは俺の独断で分けてみた。
一部のユーザが大量スターしてるため(見たところ賛成派、反対派ともに各1名かな)、スター数と順番の関係がおかしなことになってたりするが、大多数のユーザは1スター、たまに2スター3スターといった感じなので、状況としては、賛成・反対でまっぷたつと言っていいのではないかと思う。
あらためて賛成コメントを抜き出してみると、「この程度の」「体験させる」「経験しといた方が良い」「一つの試みとしてあり」といった言葉から、コメントした人やスターをつけた人が、この授業での経験を軽くて大したことじゃないものと考えていることがわかる。同様に「試行錯誤」や「体験」「経験」「試み」といった言葉からは、やり直しのきくものだとも捉えているのだろう。
ほんとうにそうだろうか。「誹謗中傷したら実名さらされちゃう経験」って軽いものだろうか。その後の学校生活にたいした影響を及ぼさない経験?
そうじゃないだろう。自分が誰かの悪口を書いたら、それが自分の名前付きで相手に伝わってしまうのだ。そうやって損ねた友人関係は簡単にやり直し修復がきくものだろうか?
大人でも大変なことなのに、学校が世界のすべてというような子どもにとっていかに重大なことか。
「誹謗中傷してはいけない」ということを伝えるのに、このような過大なコストを子どもに強いるのが適切だとは、俺にはどうしても思えない。
反対コメントでも指摘されてるように、別のメッセージが伝わってしまう可能性すらある。対人関係を教育するのに隣の席の児童の悪口を言わせて「ほら、○○君は嫌な顔をしただろう?誹謗中傷したらいけないよ」なんて教育はしない。別の方法がいくらだってあるだろう。
教師が実名ボタンを押す頃合いをちゃんと見てるからそこまで大変なことにはならないはず、とか、ネットでの失敗は結果が取り返しがつかないからこの程度の体験をさせることは必要、とか、そもそも誹謗中傷のような負の感情をもっている本人が悪いから自業自得だ、とか、そういう反論を受けるだろうか。
大変なことになるかならないかは属人的な要素が強すぎて、授業手法として一般化するには危険すぎるし、ネットでの失敗が取り返しがつかないことを伝えるという使命があるにしても、それと子どもの学校生活を引き換えにしてよいものではない。自業自得論については敢えてコメントすることもないだろう。
「この授業で伝えたいことは『誹謗中傷してはいけない』ではなくて『ネットが匿名だと思って調子に乗っているとひどい目に会う』ということだから、この手法で問題ない」
この意見は賛成する理由として少しは有望な気もするが、やはり子どもに負わせるコストが過大だという反論を覆すには至らないのではないか。
《まとめ》
当り前だが、俺はものごとには色んな意見があってしかるべきだと思っている。問題が複雑であればあるほど、正誤を判断するのは難しいし、そもそも何が正しく何が間違っているか確かなことは誰にもわからないことだってたくさんある。
消費税増税のタイミング、TPPの参加可否、移民受け入れ問題、原発再稼働か電気代値上げか、解雇規制緩和か派遣労働の拡大か、きのこの山かたけのこの里か・・・。
こういった複雑な問題は人によって意見が違うのは当然だし、さまざまな意見がぶつかりながら社会的コンセンサスを形成していけばよいと思う。
繰り返すが色んな意見はあるだろうとは思う。この授業のやり方にしたって一部の教育関係者が考えつくこととしては想定の範囲内かもしれない。考えついたことを実際に提案し、なんちゃら会議に諮り、そこで働くべきブレーキ機能が働かず実現に至ってしまった。今回の授業はおおかたそんな経緯かな?・・・そう思っていた。
それがたまたまメディアの目にとまり報道されたが、きっと世論でもはてブでも盛大な批判を浴びて、このような授業は二度と行われないに違いない。そんなことを考えながらはてブコメントを開いてみたわけだが、予想は大幅に裏切られ、約半数が賛成を表明していた。
俺が驚いたのはこのような授業が行われたことそのものではなくて、はてブの約半数の人間が賛成を表明していたことだ。
ごくごく少数ならば「えーーありえねーー」で済ますこともできるが半数だと理由を知りたくなる。こんな授業が当り前のように全国の小中学校で行われるような世の中にはなって欲しくないし、自分の子どもをそんな学校に通わせたくないからだ。
だからブコメ書いた人でもスターつけた人でもそれ以外の人でも構わない。
上の反対意見を見てもなお賛成なのか、俺が書いたことに対してどういう反論が成り立つのか、読んだ人、どうかよろしくお願いします。
id:salvatore8 「反対のトップは賛成意見」
反対のトップはid:nakex1氏のコメントことですね。このコメントは「全員に公開して相互不信のタネをまいてしまうのはやり方が雑」と書いており、この授業のポイントである「実名を公開すること」には明確にノーと言っており、俺の意見と近いという点で「反対」に分類しました。もっとも賛成反対は便宜上のものなので、異論があるのは理解します。
id:ktasaka 「誰に対するどういう方向の批判なのか不明。教師の学級経営がここまで信頼されていないものなの?自分でも簡単にできると思ってる?」
→わかりにくくてすみません。この授業手法の是非を「子どもに負わせるコストが過大だ」という俺の批判意見を読んでもらった上で、あらためて問いたいということです。教師の学級経営が信頼できるかどうかという属人的かつ大きな主語の話をするつもりはなく、あくまで今回の授業手法の是非の話です。どんな授業手法であっても結局は教師次第じゃないかと言うかもしれませんが、であればなおのこと、わざわざこのようなリスキーな方法をとらなくても、他にいくらでもやり方はあるんじゃないかという話をしています。「自分でも簡単にできると思ってる?」については「ネットリテラシー教育を自分でも簡単にできると思ってる?」という意味かな?「親として子どもにすべきことをしっかりしたい」と考えていますが、それはこの増田の主旨ではないです。
id:mizunons 「この人は、いったいどういうパーソナリティ傾向の人が「この学習で、うっかり他人を批判してひどいめに会う」と想定しているんだろう。その想定と、この懸案内容は一致していて妥当なんだろうか。」
→小学生くらいの年代であれば「この学習で、うっかり他人を批判してひどいめに会う」のは誰にでも起こりうることではないでしょうか。どのようなパーソナリティの子どもであれ、人を傷つける発言をしてしまうことはあるでしょうし(記事にも5分ほどで誹謗中傷が増え始めたと書かれています)、そうやって言われたことに傷つくこともあるでしょう。それが原因で当人同士の、あるいは友人まで巻き込んだ人間関係が壊れてしまうこともあるでしょう。もちろん全員がそうだという話ではありません。一般的に起こりうることとして想定可能な事態だと俺は考えてます。
Twitter @coneko 「匿名チャット実名表示授業への意見。締めに「自分の子どもをそんな学校に通わせたくない」と言っているんだけど、こういう状況になっても悪口を書かないような子供を育てる、という気にはならないのかな。」
→ここは誤解されているようなので補足します。俺も3人の子の親として、自分の子が匿名であれ実名であれ、事実であれ妄想であれ、悪口を安易に外に吐き出すような子になって欲しくないと思ってます。嫌いとか気に入らないという感情そのものは人として誰しも持ちうるもので悪いことではないけれども、それを外向けに表現するには配慮が必要だという、当り前のことを当り前に学んで育って欲しいと思ってます。この授業で問題なのは、そういうことを率先して教えるべき立場の大人が、チャットで実際に誹謗中傷が増えてきたのを確認してから実名ボタンを押し「ほーらみろ悪口なんてめったに書くもんじゃないぞ」という、俺から見れば最悪の方法で教えようとしているという点です。親としてなすべきこととは別に、こんな授業がまかり通ってしかも賛同を得ている事実に、俺は驚きを感じています。
なんか全レスに近いかたちになってきた。暇だなー俺。まあ誰に迷惑かける話でもないし「なげーよ」という批判には「ああなげーよ!」で返したいと思います。レスしてないブコメについては基本同意だったり、レスを必要としないブコメだったり・・・そんな感じです。同意してくれてるブコメにこそうんうんと頷いてレスしたいんだけど気持ちだけにしておきます。
トラバ「賛成: HNの相手に悪口いうことあっても名前だしていわないだろ」
http://anond.hatelabo.jp/20130903210843
→ブコメとトラバありがとう。そうだね。チャット上のやりとりまですべて匿名ならば少しはリスクは減ると思う。ちなみにどういったルール、どういった運用でやっているかは予測であれこれ書いてもしかたないと思ったので、実はいま岐阜聖徳学園大学附属小学校に問合せてる。まあ匿名ダイアリーの記事ごときで回答が得られるとは思ってないけどね(問合せは実名でやったよ)。
id:uduki_45 「万が一のシミュレーションにもなるし、何より問題を表面化させることが大事だと思う いじめに関しては手遅れになってから解決なんてまず無理な話なんだし」
→誹謗中傷はシミュレーションではないよ。そして、いじめの表面化の大切さについてはネット教育とはまた別の議論だよ。
id:kanjin30203 「小学生くらいの人間関係って陰口言っててもちゃんとゴメンナサイすれば大概元に戻る。中学生以上にやらせるのは確かに危なそうと思うけどね。先生の技量に大きく左右されるから全国でやるべきとは思わない。」
→「大概元に戻る」のが本当だとしても、この授業を実施する積極的な理由にはならないよね。
id:rx7502 「授業の手法にこだわってるけど、そんな小手先ではなくて、主眼が達成できているかや主眼が発達段階を鑑みて適切なのかで、授業を見るべき。成長させる上で、失敗させることも大切。」
→うーん、その失敗の重大さ、取り返しのつかなさを問題にしてるんだけどな。それからもうひとつは失敗のさせ方。友達との喧嘩やトラブルを通して子どもは人付き合いを学んでいくものだけど、だからといって大人が意図的に喧嘩やトラブルを発生させようとするのは無しでしょう。実名さらされてさ。自分がそういう目にあったらと思うと俺は笑えないよ。
id:akikan2 「少し関連記事を探せば、「特定のテーマ上で、特定の個人を誹謗中傷しないルール」で授業が行われたことが分かる。大して調べずに匿名ブログで物事を語る大人を産まないためにもこの授業は必要なのでは。」
→これかな。情報ありがとう。http://www.j-cast.com/2013/09/03182883.html?p=all ここには「特定の個人攻撃につながるものではありません」とはっきり書いてるね。いっぽうで日経記事には「5分ほどで相手を誹謗(ひぼう)中傷する言葉が増え始めた」と書いてあり、両者の記事は互いに矛盾してるよね。あなたは、なぜJ-CASTの記事が正しくて日経の記事が間違っていると判断したのだろうか。J-CASTの方が新しいから?でもこれは日経記事への反響をうけて教頭がインタビューに答えたものだよね。日経の記事は第三者である記者が授業を取材した事実が書かれており、J-CASTのニュースは当事者である教頭のコメントを紹介しているという点で、両者の言い分が矛盾しているならどちらを信じるかという問題だな。俺なら、第三者の日経の方に若干重きをおきつつ、予断ははさまずに態度保留するけどな。少なくとも後者を無条件に信じるのは少々危ういと思う。あとさ、具体的なテーマを与えるとなぜ特定の個人攻撃につながらないと言い切れるのか。俺にはなんの因果関係も感じられないよ。
id:QJV97FCr 「て言うか、あなたが何でこの授業に反対なのか書いてないよね」
→上記本文からコピペします。これが俺の反対理由→【「誹謗中傷してはいけない」ということを伝えるのに、このような過大なコストを子どもに強いるのが適切だとは、俺にはどうしても思えない。反対コメントでも指摘されてるように、別のメッセージが伝わってしまう可能性すらある。対人関係を教育するのに隣の席の児童の悪口を言わせて「ほら、○○君は嫌な顔をしただろう?誹謗中傷したらいけないよ」なんて教育はしない。別の方法がいくらだってあるだろう。】
id:tonapa 「多分に囮捜査的な手法だが、悪口はダメと理解していて当然の小六児童の間ですら、実際に「匿名前提の誹謗中傷が起きた」時点で意義ある授業だと思う。机上の知識だけで感情や悪意を抑え込める子供は意外と少ないよ。」
→その囮捜査は本職の警察ですら是非が問われてる(というか禁止されてなかった?)というのに、「机上の知識だけだと効果が少ないから」という理由だけで、その囮捜査を子どもにしかけるとは、それこそ問題では?
id:blue1st 「この人の論点とはちょっとズレるけど、「バレる可能性があるからダメだよ」的な方向での啓蒙は果たして正しいのかな、と疑問には思った。」
→コンビニ店長も同じ主旨のコメントしてたね。その通りだと思う。
id:kotetsu306 「"自分が誰かの悪口を書いたら、それが自分の名前付きで相手に伝わってしまう" ←「陰口たたいてたら『帰りの会』で晒し挙げ」なんて何十年も前からあるけど…?」
→ならやってOKということにはならないし、それを「大人が後出しで」やるのがどうなんって話よ。まったく別の問題です。
id:alph29 「そりゃベストではないけど、ただ「インターネットで人の悪口を書いてはいけません」と言う授業よりは(どうして駄目かを理解するためには)ベターだとは思うよ」
→ベターかな。どうだろう。そうは思えない理由は本文に書いたつもり。そこに同意してもらえないなら仕方ないな。俺の思い込みが強すぎる面もあるのかもしれない。実際にはそんな心配することじゃねーだろ、こんなんで壊れる人間関係なんてないよ・・・てことかな。
id:kain397 「例えば、生徒全員に対して個人面談を行うみたいな指導方法もアリだと思う」
→多いにありだよ。ただ学校にいる教師だけでは時間がとても・・・という話になって、結局は教育予算の話になる。この記事では私立小学校の話だけど、それでも予算ありきで動くのは変わらないし、なによりこの問題は最終的には私立公立関係なく、すべての子どもに共通する問題だからね。
ちょっと脱線するけど、現状では教育カリキュラムがネット社会に対応したものにないというのは、親として俺が日々痛感していることで、それ抜きにしても、親が子どものネットとの接触、エログロとの接触やゾーニングについて積極的に動かなければいけないと思ってる。だってさ、ファミコンしかなかった時代と、スマホやタブレットで隠れていくらでもSNSやエログロに接触できる時代とは、気を配らなきゃいけないレベルがまったく違うんだよ。小学低学年の娘に見せたくないコンテンツがいっぱいある。大げさな話じゃなくてさ、仮に積極的に見ようと思わなくたってスマホでウェブ閲覧すると下の方にアンアン言ってる広告がすぐ出てるよね。
もうここまで書いちゃうと何書いても嫌われるパターンかもな。俺ネットリテラシーなさすぎ。ごめんなさい。
id:fiiguy 載せたでー!
その2はこちら → http://anond.hatelabo.jp/20130904124430
否定派を敵だなんて言ってませんけど。
「明らかに嫌そうな人たち」を便宜上そう呼んだだけで。
表現が気に入らなかったなら謝るけど。
めんどくさいんじゃなくて、数字を使って書く方法は無いんだけど。。。√2とかを√無しで書けってのと一緒で
数学者というものは 数学上重要な数字やめんどくさい少数は 記号を使って書くという事が多いというルールが数学上存在しているという事だ。
なんか勘違いしてるようだけど、2乗したら-1になる数を"i"って記号で虚数って言うよ、ってこと自体はただの定義であって
でそこからそれをどう使えるかなんだけど。。。それを考え出せって、何も意味ないっていうか
別にX^2=-1の、それにも解はちゃんとあるんだよ、って時点でX=+/-√-1は自明で、
で、√-1ってなんなの、ってのが虚数の導入でしょ?なんか言ってることが違いすぎる。
そうだよ?iが虚数なんて単にそう決めただけ。論理的に"i"だ、なんて導くことは不可能(これは想像(imaginary)な数で数学ではそういった場合頭文字使うかなあ
みたいなことまでヒント出せば出来るけど)
で、あなたは、そこで、X^2=-1からX=√-1を10分考えさせるのが重要だといった。ロジカルシンキングだと。
その意味が未だに全く分かりません。
すごいめんどくさい話で大雑把に書くんだけど、物理屋なんかでわかってないことはたくさんあって
なんかしらないけど、そうなるから、そうしてる。みたいなことは沢山ある。
そのなんかしらないけど、そうなるから、そうしてる。に対してどういうアプローチをしていくか?というのが、凡人に出来る精一杯。
√-1を 平面上に展開して複素平面でというのはかなり高度なアイデアだけど
物理で出てきた時に、なんかしらないけど、そんなパラメーター。という風に、わからないけど、使える。アプローチできる。
(実際には習うけど)中学では√-1って存在しないって教わったけど、いいや、このまま使っちゃえと思えるかどうかが、発想力。
実際問題、中学1年ぐらいの 2次方程式の解の公式でも虚数は出てくるけど、存在しないって教える。
でも、存在しないって教えるのは虚数が高校生の範囲だから便宜上そう教えてるだけで 実際はあるし√-1って書いても何の問題もない。
数学やってる奴ならiって書かなくても√-1って書いてアレば 人間なんだから意味はわかる。
という、このアプローチ力を鍛えてないとだめなんじゃね?と 解き方を知ってる問題をとけるのは、犯人を知ってる推理小説の冒頭で犯人を言えるのが当たり前みたいなものだ。
問題等のは 解き方を知らないのに、解ける(実用上問題のない近似値が出せる)というところが、最も重要。
増田はこの増田が 馬鹿でドン臭くて 糞野郎だって言いたいんだろうけど、会話の中でそういう余計な情報を入れる必要性はないよ。数学だから。
そういうのは、ロジカルじゃないだろ
双方が同じ事を考えればそれでいい。
ちなみに、この増田が低偏差値なのは事実だ。先に認めておくよ。満足だろ。
ちなみにルートは中学3年生で習う。俺もいつ習ったか忘れたんで調べた。
今回は便宜上 マイナスは考えずプラスの解答だけを考えるとして(省略して)
x=√4
x=2
これが4ではなく3なら
x=√3
これが3ではなく2なら
x=√2
これが2ではなく1なら
x=√1
x=1
だよね。 じゃぁ 仮に -1 を 無理やり 記号で書くとしたら どうなる?
は、表現が良くなかったかもしれないけど、正しく数学を拡張していく過程で虚数という概念が出てきて、
開発された、との意味で。
もちろん、「値域を拡張する」というアイデアについて考える段階では、「虚数単位という1パラメータを考えればいい」かどうかも明らかでないわけで、その過程でクォータニオンや外積代数みたいな構造にまで思い至る奴もいるかもしれない。
コレ的な意味で、"i"を"便宜上開発した"と言いかった感じかな。
虚数的な概念は、数学を拡張していく上で"ロジカル"に必然として生まれたものなので、おっしゃることに全面的に同意します。
もしかしたら先の増田は実数の概念を完全に理解しており、この様に2乗したら"-1"となる数を考えることにより、この様な拡張の思想自体をロジカルに自分で考え出すことが出来たスーパーマンなのかもしれません。
「お手並み拝見」とかキモいこと言われた増田だけど、さすがに「虚数は便宜上開発された」というのはやや言い過ぎな気がする。
数学で重要なのは構造やルールそのものであって、「二乗して-1になる数」とかいう具体的な実像はそれらから必要不可欠的に導かれたものに過ぎない。
「二乗して-1になる数を考えてみよう!」なんて全く数学的にロジカルな思考とは言えないと思うね。
関数には定義域や値域というものがあって、それは集合である。sqrtという関数を考えると、普通の初等関数と同じように定義域と値域をRとするとどうもうまくいかなさそうである。
定義域をRとするとR-のときに少なくともR上には値を持たないようだからだ(全射とか単射とかの概念もやっとくといいかもな)。
でも多くの関数と同じように、sqrtもR上で定義できる方法はないのか?
このくらいまでは持っていってようやく考えさせるフェーズに入るべきだろう。
もちろん答えは「値域をRからCに拡張する」であるわけだが、ではCという構造をwell-definedに決めるためにはどういうものが必要か?という話に当然なるわけで、それを表記的にきれいに表現できるのが虚数単位iという数(Cの元)の導入なわけだ。
i自体はC上の普通の演算に対してゼロ元や単位元になっているわけでもなく、別に何ら特別な性質を持った値ではない。いきなり「二乗して-1になる数を考えよう!」とか言い出すことのセンスのなさはここにある。
もちろん、「値域を拡張する」というアイデアについて考える段階では、「虚数単位という1パラメータを考えればいい」かどうかも明らかでないわけで、その過程でクォータニオンや外積代数みたいな構造にまで思い至る奴もいるかもしれない。
それがロジカルってことだろ。「二乗して-1になる数があるぞー!それになんの意味があるのかとか考えるな!とにかくそれを探し出せ!」とかいうのは全然ロジカルじゃない。ただのクイズ。
iOS 7でとうとうAppleもフラットデザインに舵を切った。
今までのAppleのデザインはメモ帳やカレンダーといった現実世界に既にあるものをソフトウェア上で表現するものだった。
このスキューモーフィックと言われるデザインは、ユーザが画面を見た瞬間に、現実世界の事前知識から「そのソフトウェアが何であるか」をすぐに理解できるメリットがあった。
iPhoneによってあらゆる人にコンピュータが広まる過程において、ソフトウェアの概念をスムーズに理解させるには、このような現実世界のメタファを利用することが有効な方法だった。
ただ、この方法では、メタファにこだわればこだわるほど、「ページをめくる」「ゴミ箱に丸めて捨てる」というような現実世界で対応する動作が無いと機能を追加しづらくなるデメリットがあった。
そして、iPhone発売から6年経ち、スマートフォンを活用して生活するのが当たり前になりつつある状況になった今、Appleは新しいデザインコンセプトへとシフトした。
新しいデザインをAndroidやWindows Phoneと同様の「フラットデザイン」と呼ぶべきか否か議論はあるかもしれないが、便宜上ここではフラットデザインと呼ぶ。
フラットデザインの一番本質的な違いは質感や影のあるなしではなく、ソフトウェアをソフトウェアそのものとしてデザインしているところにある。
ソフトウェアは現実世界にある道具と同様の機能を果たす面もあるが、それだけには収まらない様々な機能を提供可能な新しい「モノ」である。
Appleは今まで「カレンダーを画面上で再現したもの」という存在だったソフトウェアを、「日付を知るという機能を物理的制約のない画面上で最適な形で表現したモノ」へと変化させたのである。
これは既存のメタファに一切頼らないという意味で、直感的な理解が難しくなる危険性をはらんだ変更である。
中にはこの変更についていけない人も出てくるだろうが、それでもソフトウェア本来の能力を引き出すためにはどこかで現実世界のメタファから卒業する必要があったのである。
Appleは人類全体の中の十分な割合の人が、ソフトウェアというモノをメタファに頼らずとも理解できる段階まで来たと判断して、今回の変更に踏み切ったのだろう。