「一喜一憂」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 一喜一憂とは

2020-10-14

それはアクマ卓球の才能がないからだよ。 単純にそれだけの話だよ。大声で騒ぐほどの事じゃない。

ピンポンスマイルセリフなんだけど。

最初読んだ頃はスカして嫌な事を言うようになっちゃったなぁって思ったんだけど

近視眼的にある物事一喜一憂している様に

多数の物事の中から、ある1項目のベクトルが上を向いてるか下を向いてるかってだけのことで

それ自体にいちいち拘泥する意味がないって事なのかなって

最近仕事をしながら考えるようになった。

2020-10-08

なんで二次創作ときでそんなにムキになっているんだろう。

https://togetter.com/li/1553044

これについてなんだけど、両者とも二次創作で傷付いたり、落ち込んでいたりしているので一次創作をやっている私から見れば、「なんで他人のフンドシを借りて勝負しているのに、自分で生み出した作品のように一喜一憂してるんだろう、あほくさ」としか思えず、共感できなかった。

個人二次創作に対して嫌悪感はないがそこまで本気で嵌まり込んでいる人を見るとうわぁと思って引いてしまう。

もし、この漫画登場人物達が二次創作ではなく一次創作作品についてだったら少しは共感出来たかもしれない。

でも、この人たちは元ネタになった作品はどうでも良くて、ただネット上の人間関係依存しているだけかもしれない。

だったら、「同人女作品の優劣」ではなく「同人女同士の人間関係」ではないだろうか。

まあ、住んでいる世界が違ってもネット上の人間関係にそこまで深入りしないよう自戒するべきだ。

2020-10-01

メタボおっさんが20kgちょっと減量した話

ダイエット増田https://anond.hatelabo.jp/20200930212059)に便乗して自分体験談もここに記しておこうと思う。


とりあえず自分情報から

男性

・30代

身長169cm

ダイエット8か月目

・元の体重が80kg台前半、現在体重は61kg


前置き。

仕事柄一日の半分が自由に使えるので参考にならない部分はある

体重の減り方に一喜一憂するのが嫌で最近まで全く確認してこなかったから、減量の過程ぶっちゃけ把握してない

有酸素運動一辺倒で筋トレを全くしていないのでおそらく効率的ではない


最初の一か月にやった事。

・起床後にラジオ体操

夕方ごろに1時間歩く

・朝食を簡略化(カロリーメイトとか適当果物

・昼食はジャンクフードよりも定食腹八分以下で(しかし食べたい時はジャンクフードも食べる。勿論量は減らして)

・夕食は自炊なので野菜多めに。午後8時前には食べるよう心掛けた

最初は1時間歩くだけで結構へばってたけど段々と余裕で歩けるようになって自信がついた


五か月目まで。

・間食と酒を完全に辞めた

・大まかなカロリー計算を始める。一日の摂取は1800~2000kcal辺りに設定

・歩く時間を2時間半、距離にして12km前後?まで延長(水分補給と定期的な休憩が必須

ウォーキングシューズがすり減ってきたので軽めの登山靴を購入

・この時点で腹回りの贅肉が落ちてきた実感があった

・以前に比べて胃袋が小さくなった気がする

ポケモンGOドラクエウォークを取り入れようとしたが気が散るだけなので辞めた


それ以降。

・速度より距離意識した歩き方だったのを、腕の振りを意識しながら速足レベルまで上げた

ランニングを始めたが筋を少し痛めて挫折豆腐メンタル

20代の頃にやってた古い自転車を整備して乗り出す。思いのほか走れて、渋滞しない休日には隣の県まで行くようになった

学生の頃にやっていた水泳も再開。泳ぐ速度は当時より遥かに劣るが、1日に4km以上無理なく泳げるまでには慣れた

現在散歩自転車水泳をローテーションしてる感じ

運動量が増えたので必要に応じてカロリーメイトバナナで調節してる(散歩の時はまず不要

食事特に変えてない


こんな感じで気付けば8ヵ月経ってて、久々に体重を計ったら身長から推定される標準体重まで落ちてた。

ウエスト最初からするとかなり細くなり、昔の服が普通に着れて感動した(もうおっさんから外で着れるものでもないが)。

ただ皮下脂肪は落ちても皮は余ってるので、まだまだ小太りの域だと思う。

痩せて一番良かったのは運動が楽しめるようになったことかな。特に散歩はいいよ。季節の移ろいや風景がこんなに心にしみるとは思わなかった。

ダイエットとしてはまだ成功してるとは言い難いが、アドバイスとして注意すべきポイントを言うなら、やっぱり「運動したら多く食べる」という悪循環からの脱却だと思う。運動に慣れて胃が小さくなるとそこまでの欲求はなくなるけど、それでもたまに「今日ご飯お替りしていいかな」とかいう気分になるので怖い。ただ、慣れてくると「運動しても意外と腹が減らないもんだな」という実感はなんか自信に繋がってる気がする。

あと、運動は一つに絞るよりも何種類かあった方が精神的に楽。俺は最初散歩だったかハードル低かったけど、これがランニング一本だったら辛くなって挫折してたと思う。ランニングやるにしても「辛かったら散歩でいいや」というような逃げ道があると長続きする確率は上がるんじゃないかな。特に俺みたいな痩せ方は運動をやめたらリバウンドしかねないし、散歩のイージーさを知ってるだけでも歯止めになりそう。

2020-09-28

anond:20200928172532

陸上競技孤独な戦いになりがちだからもっと団結を見たくて(他のチームスポーツに人気で負けないように?)チーム制にして

チームごとの合計タイムを競うけど別々に計ったら面白みに欠けるからバトン形式になって

バトンを渡す時間がロスになるので渡し方に一喜一憂するしバトンを渡す場所がゴールでありスタートからやっぱり一喜一憂する

そういうエンタメなんじゃないの

リレーってあるじゃん

4人くらいマジで走りながらバトン繋ぐやつ。

あれってできたからなんなん?

バトンを渡すことを極めたからなんなん?

槍投げとか、幅跳びとか、なんかこう人類可能性広げた感を感じるんだけど、

バトンはマジわからん

バトンの渡し方に賢い大人一喜一憂してるのみると、他にやることあるちゃうの?って思うわ。

恋愛めんどくさい

めんどくさいし疲れるじゃん

相手言動一喜一憂して振り回されるし

夜は寝られなくなるし

平穏に生きていきたいよ

恋人がいなくても別にいいじゃん

ほっといてくれよ

勝手恋愛対象にされても迷惑だよ

2020-09-23

丸山担を降りることにした

十数年前、ジャニーズ事務所の中でかなり異質なグループである関ジャニ∞の、ちょっと変なメンバーを好きになった

所謂正統派イケメン”ではなかったが、大型犬のように可愛らしく笑う

ファンマシーンと言われるほどのサービス精神旺盛さも魅力で、ファンからの無茶ぶりにも彼なりに応えてくれる

歌・ダンス・演技・演奏、どれもそこそこに出来ていて、これからの成長を見守るのも楽しかった

新曲が出たら歌割りに一喜一憂して、バラエティーに呼ばれれば、上手に受け答え出来ますように、滑りすぎないように、ちょっとだけでもウケますようにと祈っていたし

ドラマが決まれば祝杯をあげた

コンサートも、舞台も、番協も、エキストラも、楽しい思い出がいっぱいある


それでもいつからか、彼のことでときめかなくなってしまった

応援することに疲れてしまった

 

ファンのことを妻と呼ぶから

髪型が変だから

アイドルしからぬ弛んだ体型だから

ギャグバリエーションがないから?

トークがつまんないから?

演技力に成長が見られないから?

自撮り気持ちいから?

 

自分でも、何が原因かわからない

彼を見ているだけでイライラしてくるし、アラフォーアイドルがこれで良いのか?!と叫びたくなってくる

  

これはもう、末期だ

応援するためにファンになったのに

彼に元気を貰うためにファンになったのに

誰かと比較して、彼へのマイナス感情が膨らむばかりだ

から丸山担を降りることにした


もう応援しなくて良いんだ、無関心で良いんだ

そう思えた瞬間から、彼へのイライラがスッと消えていく

勝手に背負っていた、好きでいることへの義務感を捨てることができた





ありがとうさようなら

2020-09-06

anond:20200905232401

他者評価関係なく自分理想表現をしたいだけなら感想一喜一憂するなって話だし

自分理想表現他者に伝えて評価されたいなら伝わりやすさ=読みやすさは重要だよ

2020-09-05

コロナどうでもよくなってて草

8/31 100人 114users

9/1 170人 107users

9/2 141人 42users

9/3 211人 130users

9/4 136人 47users

 

昔のあの興味はどこにいっちまったんだ?

東京都の1日あたりの感染数なんてどうでもいいって気づいちゃったのか?

俺は好きだったよ みんなで一喜一憂するあのノリ

2020-09-01

ポエムTRPGMVPシステムについて

はーいポエム書きまーす。

こいつどうしても吐き出したかったのではてなアカウント取ったらしい。

サイコロフィクション系のルールによくあるラストMVPシステムが嫌いだ。

何度もそれ系のセッションをやって、その度に私は選ばれなかった。

何度やっても、私は誰の琴線にも触れない。

誰が見てもこの人がMVPだろうという状況なんて一度もなかったし、現に票は毎回割れたのに、綺麗に私だけが避けられてきた。

消極的プレイをしたわけでもない。少なくともそんなつもりはない。

一度セッションした人たちと二度とやらなくなるなどいうこともない。要するに何か重大なことをやらかしハブられたわけでもない。

それでも、面白いように、私は選ばれない。

それでも私はセッション面白いから最後にそれが待ち構えていると知りつつ参加してきた。 そして、MVPを皆が指し示す時、今日こそは選んでもらえるかなと期待し、そして絶望するのだ。

でもセッション面白いから、やっぱり今日ダメだったかーと諦めてきた。

一度だけ、選んでもらえたことがある。

その時は相当舞い上がって、定期的に書いているリプレイで選んでもらっちゃったんだけど!とうきうきして書いた。

でもそれ以外の私が書くリプレイにはMVPシステムの話は出てこない。意図的に省いている。もちろんMVPシステム自体がないルールもあるけれども。

何故かは言わずもがな

蓄積ダメージがのしかかったのはつい先日のことだった。

MVPシステム搭載のルールで1日に2セッションをやった。

もちろん結果はお察し。そう。2回とも。2回ともだ。

他のプレイヤーが各々MVPで選ばれた分の経験値を入れている時に、何かがキレてしまった。

チャットを閉じた後に泣き、寝る時に泣き、夜が明けても通勤中に泣き、就業時間中に泣き、昼休みに泣き、帰り道で泣き、これを打っている時も泣いている。

落ち着いた、大丈夫だ、と思っても、このことを思い出すとまた際限なく泣いてしまう。

こんなことで、と思っても、涙が止まらない。

このシステムプレイヤーの善意を引き出すために設定されたものだと知った。

最終的にみんなに評価されると認識していれば、変なプレイはしないだろう、という牽制をこめたシステムなのだそうだ。

そんなシステム

人の善意を促すシステム

苦しめられているとか

もうこんなのどうしようもないじゃない

しかセッション中は本当に楽しんでいるのに

最後最後でそれをぶち壊しに来られるとか


こんな絶望があってたまる


私はもう二度とMVPシステムを搭載したルールでは遊ぶつもりはない。

MVPシステムのあるゲームで2つほどキャンペーンやってたけど、二度とやらない。というか、やれない。

MVP選択の度に恐怖に晒されるだろうし、仮に奇跡的に選んでもらえたとしてもおそらくもう喜べないだろう。

大体、そういう状況になった時に泣かずにいられるかまるで自信がない。

キャンペーンのうち1つは、一度時間切れでMVP選べなくて「次回までにMVP決めてきてね!」と言われたのが原因のひとつとなってその次回に適当理由をつけて休んだ。

そのセッションに関してはMVP選択されたかキャラシーに何ポイント入れておいてね、などという話は以降なかったので、おそらく「また」だったのだろう。

ほんと参加しなくてよかったと今になって思ったので、その頃からもうだいぶ限界だったと思われる。

ダイスロールで一喜一憂するのが好きだった。

誰かのロールに笑ったり、感心したり、感動したりするのが好きだった。

自分が言ったことで笑ったり楽しんでもらえるのが好きだった。

そんな交々をリプレイにして、面白かったって言ってもらえるのが好きだった。

そういう楽しい思い出がなかったことになる勢いで悲しい思いをしていること自体が、今一番つらい。

ブランク込みだけど一応学生時代から長い間TRPGプレイしてきて、こんなことで限界を迎えるとは思わなかった。

私は誰にも選ばれない。

誰にも選ばれない、という呪いを、自分自分にかけ続けるのだ。

はてブの人らみんな勘違いしてるけど、別に安倍晋三は好かれてないんだよなあ。嫌われてないだけ

安倍首相お疲れ様みたいなSNS投稿がバズってても、次期首相は誰がいいかってアンケで内閣の菅を差し置いて石破がトップだったり

支持率過半数を超えてるような時期でも個別政策評価では主だった政策が軒並みネガティブ評価が下されてたりするの見たら分かるじゃん

説教臭いしやることもちょっとズレてる上司かいて、部下の間じゃ頻繁にそいつ愚痴で盛り上がるけど、定年退職する段になったら気を利かせて寄せ書きとか書いてみたり一丁前に寂しくなりますねみたいな挨拶したりして円満ムード出してあげるじゃん

で、退職後はしっかりみんな清々した気分でいるっていう。あれと一緒なんだよな

熱心に安倍批判記事とかホッテントリに上げてるけど、そうじゃないんだよ

別にみんな本気でねぎらってるわけじゃないし、感謝してるわけでもないんだって

実際のところ、安倍首相がどんなことをやらかしたのかに無関心なのと同じくらい、安倍首相がどんなことをやってくれたのかにも興味ないし別に知りたくもないんだよ

ここまで今の首相一挙一動を逐一把握してそのために一喜一憂してあげてる連中って、ほんと政治家連中以外でははてブ民くらいなんだよな

正直言って、SNSお疲れ様とか投稿してキャッキャしてる連中よりお前らのほうがよっぽど安倍晋三に対して真摯だったんだじゃないかとすら思えてくるわ

俺だけははてブで喚いてる連中を褒めてやりてえよ。お前らえらいよ

2020-08-28

自分の生まれ場所に誇りを持ったり自虐したり、他人出身地馬鹿にしたり憐れんだりする理由分からん

まれ場所なんて自分で決めたわけじゃないんだし、そもそも決められないんだからそんなことで一喜一憂しても意味なくね

2020-08-25

anond:20200823235120

フォロワー数とかRT数で自信つけさせるのは辞めた方がいい。数の増減に一喜一憂してツイッターに張り付くようになるから

2020-08-22

AI時代将棋の真の楽しみ方

anond:20200822071725

こんなダラダラした長文で初心者がわかるか?

仕方ないから俺がAI時代将棋の真の楽しみ方を教えてあげよう。

とりあえずAbema基準な。

Abemaの将棋チャンネル評価値をパーセンテージ表現していて初心者にも分かりやすい。

しか無料

オススメです。

優勢は60%を超えたら、勝勢は80%を超えたら。

これが目安。

55%-45%とかならほぼ互角。

5%程度の変動で一喜一憂していると疲れるぞ。

気楽にいこう。

同じ60%でも意味が違うことがある。

たとえば「パッと見えるうちのどの手を選んでもだいたい60%」と

「唯一の正解を指せば60%だけどそれ以外なら40%」とでは

だいぶ状況が違うことがわかるだろう。

特に「唯一の正解」というのが人間には指しづらい手だったりすると

実質的には「40%」で劣勢だということになる。

まり60%の状況で何か指して40%に下がってしまったとしても、

それは「大悪手」とは限らなくて「本来の状況に戻っただけ」かもしれないのだ。

「唯一の正解」すら実は怪しい。

ソフトが示す「最善手」は思わず「正解」扱いしてしまいがちだけど、

ソフトものすごい勢いで強くなっているので、

今年のソフト来年ソフトにボロ負けする程度の実力しかない。

来年にはその手は「不正解」になっているかもしれないのだ。

ソフトが示す最善手を指しても勝てないかもしれない。

ソフトが言う最善手とは「ここから先の十数手ぜんぶ俺が言うとおりに指したら勝てるで」というものかもしれない。

いわば「ここから崖をよじのぼって細い桟道を時速100kmで走り抜ければ近道やで、でも一歩でも足を踏み外したら死ぬで」みたいなもんだ。

そんな手を指せば人間は死んでしまうので違う手を指すしかない。

それはけっして「悪手」ではないのだ。

90%でも圧勝とは言えないかもしれない。

数値上は90%-10%でも実は「一手違い」ということもある(たぶん)。

まり一手でも遠回りすれば相手側が逆にこちらを詰ませてしまうかもしれないのだ。

しかもその詰みが人間には気付けないようなものだったりすると、ぜんぜん別のところを指したりしてまた詰みが消える。

そうなると評価値はあっちへいったりこっちへいったり大揺れしてしまう。

これは「互いに悪手を指しあっている」のではなく「なーんか人間の知らんところでソフトがちらちら変なもん読んでんな」くらいに捉えておこう。

まとめ

ソフトの読み筋はあくまで目安にすぎない。

評価値のちょっとした変化に囚われすぎることなく、解説棋士の一週間の予定でものんびり聞いていよう。

ちなみにAbemaのコメント欄パーセンテージ1%でも減るたびに「やらかしたあああ」「悪手きたあああ」などと騒いでいる人たちはわかっていてやっているので気持ちよく無視しような。

2020-08-20

最近アイマスアイマスとは呼びたくないよね

ライブ即売会ときしか顔を合わせない癖に一体感を主張する連中には嫌気がさす。

仕事帰りにホームに行って見慣れたP達と顔を合わせるあの感覚が今のアイマスにはない。

モバイルゲームでいつでも遊べて、育て終わったキャラ能力は皆一緒。

戦いの場はいだってマラソンという周回数稼ぎしかない。

育てたアイドルの成長や活躍一喜一憂するという概念が失われ、P達はいしかタダの担当になった。

この時代アイマスアイマスと呼ぶのには違和感がある。

今のアイマスと呼ばれる何かはモバマスの延長上にある別の文化だ。

こんなものアイマスと呼ぶことに異を唱える人間が主要スタッフの中にすらいない事に対して恐ろしさすら覚える

anond:20200820194540

自分人生でも自由にならないところたくさんあるだろ。

それで不確定要素なんて十分なのに、さら他人の不確定要素に一喜一憂するとかバカしか言いようがないんだよなあ

anond:20200820193419

自分の力でどうにかなることは、努力してそれ相応の結果を得てください

自分の力ではどうにもならないことで一喜一憂するところに価値を見出す余裕を持ってください

スポーツチーム応援してる人ってバカじゃん

自分の力ではどうにもならないことで一喜一憂するとか愚かもいいとこ。

2020-08-15

恋がしてえ

相手の事で一喜一憂してえよ〜〜〜

夏の懺悔

終戦の日は、Y君の命日です。

高校時代同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。

Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。

しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。

Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。

入学からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップ公立高校を落ちてきた人間でした。

はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。

から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。

入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。

第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。

「四位なのに、第一志望でこの学校にきたんだね。」

「こういう人も来るくらいの高校なんだから俺も勉強しよう」

その時の僕にはまだ、そんな理由勉強をはじめようと思う理由理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。

とは言っても、その後Y君が試験ライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラス文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラスクラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。

交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。

彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街引っ越してきたので、同じ中学校出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えますしかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。

Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いていますしかし、同じクラステニス部から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。

Y君と同じグループテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦メンバーに入ることはなかったそうです。

とき一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。

僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。

Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。

高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強ノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活休みになってY君が加わったことが何度かあります

Y君が、自分勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者発言賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。

僕らはみな自分に合わせて勉強スタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。

僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間文法勉強していた方が都合よかったのです。

そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。

時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベル英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。

学年上位の彼女場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。

すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベル問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。

試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。

Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分必要勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。

高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ模試のたびに奪い合うのです。

事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。

勉強をしたかテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。

正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。

僕は、努力方向性を間違える人間愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑対象でした。「三年の夏に部活引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。

当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。

みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学から日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命早慶国公立大学

Y君が目指したのも、早慶文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格絶望的なので記念受験だったと思います

日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベル大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。

先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力甲斐あって志望校合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベル大学です。

高校卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。

僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。

僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。

Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学教育学部合格したのも少なからず影響があったと思います

Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。

Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法レベル大学に手応えを感じていたそうです。高校時代担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専合格は決まっていました。

しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専入学一時金を払わなかったそうです。

かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイ変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後メールには、そう書かれていたそうです。

苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間けが成功評価できますしか成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。

三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています

同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。

二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察通報したそうです。海上保安庁警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。

沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。

暗く塩辛海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。

人生の遠回りを許さな日本空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。

彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。

彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。

こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。

今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れますしかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。

実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれ田舎風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。

今はまだ、入道雲青空に彩られたこ風景に罪の意識を覚えます

2020-08-14

周庭さんって利用されているのでは?

中国政府のやることは突発的に見えて、裏で入念な計画を練っている事が多い。

周庭さんの逮捕保釈報道に加え今までの中国政策を考えると、裏にどす黒い何かがある気がしてならない。


現時点で中国香港を締め上げる上で出した国家安全維持法では、中国住みの有名人インフルエンサーによる中国批判の封じ込めに成功している。

その中で民主活動家の周庭さんの逮捕・釈放の報道を見るに彼女中国政府に対するダメージコントロールとして、いつでも民主活動家情報

聞き出せるカモとして利用しているのではないかと考えるようになった。人権?なにそれ美味しいの?な中国政府の息がかかった警察彼女

殺すもしくは殺したと同レベル処置をすることは容易い。なのにそうしないのは配慮ではなく利用に重きを置いているのではないかと思う。


今は泳がせて民主活動家情報を溜め込んだ段階で逮捕して情報を引き出すそして、開放することで中国政府に対する批判を緩和するそれが狙いではないかと。

彼女自身の本意ではないことは明確だが民主派の人々の逮捕が続く現状で、周庭さんの逮捕保釈一喜一憂するのは中国政府の思う壺だ。



天安門事件中国政府メディア戦略情報戦略に力を入れるようになったはず・・・中国から発信される情報は注意深く扱うべきだろう。

2020-08-11

米津玄師さんを少し憎らしいと感じた話

米津玄師さんのSTRAY SHEEP Radioを聞いて改めて感じた寂しさと,少しの憎らしさについて書いていく.

私の感じている寂しさは例えるなら,大切な友人と少しずつ距離が離れて行って,その大切だった人とまた仲良くなれる夢を抱きながらも,そんな妄想現実にはもうやってこない悲しさのような寂しさのような,そんな感情だと思う.

そして,少しの憎らしさとはその大切だった人が他の人と楽しそうにしている姿を見かけたとき気持ちのようだと思う.

私は米津玄師さんのdioramaやYANKEEの時の楽曲がとても好きだった.この時代米津玄師さんも唯一無二で今聞いても魅力的な楽曲が多い.唯一無二だから代わりになるようなアーテイストジャンルが一つもない.そんな唯一無二のジャンル新曲を期待すると,当然ながら米津玄師さんの新しい楽曲を期待するしかない.けれど,そのジャンルの曲が新しく作られることはなかった.

YANKEEの次のアルバムBremenでは曲の雰囲気が変わり,どちらかというとシンプルな曲がとても増えた.dioramaやYANKEEの時の複雑で幻想的なジャンルの曲はなくなってしまった.この頃はまだ昔の曲調が戻ってくると信じていたし,実際昔の雰囲気を少し持った曲はその後ちらほら現れた.しかし,そんな期待とは裏腹に以前とは違うジャンルの新しい楽曲たちが生まれていった.

もう距離が離れてしまったと気づかされたのは「砂の惑星」が発表された時だった.「砂の惑星」は初音ミクマジカルミライ2017のテーマソングで,米津玄師さんがハチ名義で出した今のところ最後の曲だ.この曲自体は昔の雰囲気を携えていて,この曲を聞いたときは戻ってくると期待した.しかし,歌詞MVの内容をよく見てみると,これは恐らく昔との決別の意味が強いことが察せられた.これに気が付いたとき少し泣いた.

とうとう「砂の惑星」の時の気づき確信に変わり,現実を突きつけられる瞬間が訪れた.それはF / T RADIOの時だった.このRADIOの29分ごろに,「昔の米津玄師とかハチに帰ってきてほしいって思うファンの人もいるかもしれないけど,もう戻れないから」と言っていた.もうあの時代米津玄師というジャンル消滅して,今後新しい楽曲がそのジャンルに増えることはないんだと知った.なんだか寂しいような,悲しいような,憎らしいような気持ちがないまぜになったのをよく憶えている.

最後にSTRAY SHEEP Radioで感じた少しの憎らしさについて書いて終わろうと思う.STRAY SHEEP Radioの28分ごろから,「カムパネルラ」という楽曲について語るシーンがある.そこでは「このアルバムを作るうえで3年たっていて,その時間はとてつもないと感じた.その間に自分を好きだった人が通り過ぎて,いなくなってしまった人がいるだろうと考えた.自分のことを好きだった人達を覚えておきたいと思っていて,その人たちの為の贖罪祈りの曲になっていると思う.」と語っていた.この話を聞いて少しの憎らしさを感じたのは,ここで言う「通り過ぎて行った人達」は,恐らく「昔の米津玄師ハチが好きだった人達」ではないような気がして,忘れ去られた寂しさと憎らしさが混在した気持ちになった.私は同じ場所で佇んでいるだけだから,通り過ぎていく人たちと違って,ただただ置いて行かれる存在しかないんだろうなとそう感じた.

これだけ現実を突きつけられて,置いて行かれたとしても,米津玄師さんの新しい楽曲が出るとき一喜一憂するし,アルバムCDはなぜか全て揃って手元にある.多分これからもずっとこうなんだと思う.

この文章気持ちの整理と,ちょっとした意趣返しで他意はない.憎らしさや寂しさは愛ゆえに発生するものから

2020-08-10

anond:20200810090436

他人を恨むような気持ち特に無いな

世界中蔓延しているんで自然災害だと思ってる

消毒液とかマスクとかはそれなりに準備できたから後はできるだけ気をつけて

身内だけでも生き延びられればいいなという気持ち

すでに他人は全員ウイルス持ってるものとして行動してるから

1日に陽性者が増えようが一喜一憂はしない

2020-08-09

anond:20200809163826

ソースから引用のみ

那覇最大の歓楽街に対し、2週間の休業要請

高山義浩 | 沖縄県中部病院感染症内科日本医師会総合政策研究機構

7/31(金) 11:01

https://news.yahoo.co.jp/byline/takayamayoshihiro/20200731-00190953/

.

.

そもそも、なぜ、これほどに急速に、沖縄の夜の街で新型コロナ流行し始めたのでしょう?

.

すでにメガクラスターへと発展している米兵へとリンクしている可能性もあります

しかし、東京での流行により働くことが困難になった女性たちが、沖縄へと流れてきていた事情もあるようです。

.

リゾートバイトと言えば、聞こえは良いのですが…、生き抜くためにギリギリ女性たちが、

GOTOキャンペーンに照準をあわせて働き始めていました。

.

感染症流行は、いつも社会の弱い部分をさらけ出します。外出自粛、ソーシャルディスタンス、三密回避… 

これらが呼びかけられた結果、コロナは夜の街へと逃げ込んだのです。

社会保障による支えがなく、生き抜くために「密」であることが避けられぬ場所へ…。

.

これから2週間にわたって松山地区が休業するとともに、住民全体が不要不急の外出を自粛することが徹底できれば、

那覇流行は沈静化へと向かうことが期待されます

とくに、夜の街に限らず宴会を控えること。そして、お盆は少人数とし、里帰りは延期してもらうことも必要です。

さらに、高齢者施設病院において、アウトブレイクが生じることがないよう、私たちは力を合わせなければなりません。

まだまだ苦しい戦いが続きますが、しかし、いずれは終わります

.

ただ、松山で働いている女性たちは、これからどこへ流れていくのでしょうか? 

社会現実直視したサポート体制を重ねなければ、いつまでも問題は先送りされ、終わりを迎えることはありません。

そして、コロナもまた拡散していくことでしょう。

.

今回の沖縄県についての専門家の情勢分析

.

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=3111651008888385

高山義浩

August 4 at 11:33 AM

.

それらはさておき、沖縄の「ホテル足りない問題」が一部で過熱報道されるなか、個人的には「そこじゃない」感が大いにあります

というのも、急速に患者数が増加したのは、那覇の夜の街を中心としたアウトブレイクに、私たちが気づけてなかったことに問題があったからです。

.

これは、私たち沖縄県専門家責任があります

7月4日以降、米軍においてメガクラスター現在までに286人)が発生したため、気を取られすぎたのです。

7月12日に北谷の夜の街で臨時検査(130人)、19日に金武の夜の街で臨時検査(198人)を行いました。

結果、陽性者はゼロであり、夜の街での感染拡大は起きていないと気を抜きました。

ところが、この時点で那覇の夜の街では、流行が始まっていたのです。しかし、さらに読みを外しました。

7月25日、26日には、ハンセン普天間基地従業員(983人)に対する臨時検査を行いました。結果、陽性者は1人に過ぎませんでした。

その一方で、検査機関が混雑してしまって、報告が遅延するようになってしまいました。

.

ようやく、那覇の夜の街にターゲットして臨時検査(2080人)を実施したのが、8月1日、2日でした。

まり米軍にこだわりすぎて、専門家の読みが後手後手に回ってしまった感があります

いま、急速に陽性者が出ているのは、一定流行が起きてから検査を始めてしまたからです。

次に活かすべき反省は、ここだと思っています

.

これまで沖縄県では、クラスター発生を疑った場合には、その周辺に対する徹底したPC検査実施しています

このやり方が正しかったのかどうか、今後の分析を待ちたいと思いますが、いずれにせよ、流行に遅れて徹底して検査をすれば、急速に陽性者数が増えます

.

ただ、こうした早期介入により発見される患者は、もっぱら軽症者もしくは無症候者です。

病院への入院を要する患者ではないため、隔離施設としてのホテルが不足します。実際、本日時点での沖縄県における重症者は3人に過ぎません。

ほとんどが軽症者なんです。重症者への治療が滞ったような、ニューヨーク北イタリア医療崩壊とは、まったく別の問題です。

.

予告しますが、これから数日、さら沖縄県新規陽性者数は増加します。なぜなら、私たちは徹底したクラスター対策を続けているからです。

100人を超えるでしょう。それぐらい大きな流行が起きています

ですから、ある1日の陽性者数の増減に一喜一憂したり、最高記録を更新3日目みたいなことには、ほとんど意味がありません。

.

若者の多くが軽症のまま軽快します。

そして、ホテルにいようが、自宅にいようが、周囲との接触を断つ心がけをしていれば、感染を広げることはありません。

もちろん例外はあります。ただ、診断されていない(または偽陰性の)軽症者や無症候者が、感染を広げるリスクの方がよほど大きいです。

そして、実のところ、診断されていない感染者の方が多いはずです。

.

まあ、個人的には、クラスターが明らかになった集団に対して、必ずしも検査をやり続けることはないと思っています

高齢者や基礎疾患を有する方にの検査実施して、それ以外の方には、「みなさん感染者とみなします。

14日間じっとしていてください」として外出自粛を求める方が効率的かつ確実です。

なぜかというと、受診してこない(または偽陰性の)人たちも含めて封じ込められるからですね。

.

重症リスクの高い集団(主として高齢者)に注目して、確実に医療へつなぐ施策をとっていくことが必要なんです。

沖縄県では、50人、60人と全体の陽性者数ばかりが報道されていますが、

その陰で高齢者感染事例がジワリジワリと増えてることに気づいていますか?

.

というわけで、沖縄県の皆さん、高齢者や基礎疾患を有する方への面会をできるだけ控えてください。

また、流行している都市部から地方への不要不急の移動も控えてください。

.

症状がある方は、外出を控えてください。学校仕事休みましょう。

高齢者や基礎疾患を有する方、ケアに関わる方は放置することなく、かかりつけ医相談して受診方法指導を受けてください。

かかりつけ医のいない方は、コールセンター電話をかけて相談してください。

.

療養のためのホテル室数は飛躍的に増えました。さいわい、GOTOの過熱も遠のいたので、確保しやすくなっています

しかし、そんなことより、県民の皆さんに知っていただきたいのは、高齢者への感染拡大を防ぐことです。

いま、その瀬戸際にあると感じています

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん